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つい先日、一つの迷宮を攻略したばかりだというのにランタンはまた迷宮にやってきていた。
今回の迷宮は開放型迷宮である。そこは永遠に広がる乾いた草原であり、獣系魔物の楽園だった。
空は水で薄めたような青空で、雲がまばらに散っている。
風が吹いた。熱を孕み、肌から水分を奪っていくが、それが心地良くもあった。
ランタンは珍しく弓矢を持ち込んでいる。
閉鎖型迷宮ではそれほど役に立たないので探索者でこれを用いるものは少ないが、開放型迷宮が増えるにつれてこれを持ち込むものも増えつつある。
しかし主要な武器とはなかなかならない。
距離は五百メートルほど、鹿型の魔物の姿は指先ほどの大きさに見える。
普通の弓矢ならば届かせるのがやっとだ。当たったとしても運動力はほとんど失われ、殺傷には到らない。
だがこれは探索者の弓矢である。普通の男では引くこともできない弦をランタンは軽々と引き、狙いを定めて矢を放った。矢はひゅっと風を切って真っ直ぐに飛んだ。
鹿の側頭に直撃し、そのまま向こうに貫通する。
しかし鹿は死ななかった。貫通した矢こそを角のように怒らせて、こちらに突進してきた。五百メートルの距離を駆けるのに数秒もいらない。これもまた弓が迷宮で使われない理由である。
距離の利は容易く失われ、
余程上手く当てないと一撃必殺とはならない。
ランタンは焦らず、だが即座に二の矢を番えた。
鹿は直線的に駆けてくるが、正面の表面積は思いの外小さく、身体が上下するだけで狙いがぶれる。
頭を下げて角を向けるとより狙い所がなくなる。枯れ枝の間に身を隠したようだ。
ほんの一秒、ランタンが躊躇っていると突然、鹿が身を起こし硬直した。慣性力のままに前進こそするが脚も止まっている。
なにかを踏んだのだ。
そしてそれは雷だった。
迷宮に同伴するレティシアの魔道である。
ランタンが矢を放った。的の小さい頭部よりも胸を狙った。それは正面から鹿の胸の内に打ち込まれ、矢羽根近くまで深々と突き刺さった。
鹿がどうと横倒しになる。まだ息があった。リリオンが即座に近付いて止めを刺した。苦しみを短くするためだった。
「あんまり、やっぱりよくないか」
ランタンは首を捻り、楽器のように弦を爪弾く。
「先制を取れるのはいいだろう」
「今はたまたま当たったけど、外したら場所を知らせるだけだ。武器を持ち替える間にやられそうだった。それにレティがいれば必要ないし」
「いない時もあるさ」
「けどレティの代わりにはならないよ。これと一緒に寝ようとは思わないし」
ランタンは弓を地面に突き立てて、仕留めた魔物に近付いた。
「もうダメね、使えないわ」
リリオンが突き刺さった矢を抜いたが、二本とも壊れていた。鏃は潰れ、軸は竹のように裂けてしまっている。
「こりゃひどいな。普通の狩りか対人戦闘ぐらいにしか使えないな」
「人に向けちゃだめよ、危ないんだから」
「もっと危なくないと使い物にならない」
ランタンは受け取った矢を真っ二つに折って放った。
リリオンはてきぱきと鹿を解体し、まず魔精結晶を取り外した。それをしまい、次に毛皮を剥いで小さく丸める。味見程度、小さく肉を削ぎ、あとはこのまま迷宮へ還してしまう。
迷宮探索にはこの間の四人と、レティシアとリリララが参加していた。そしてウーリィも連れてきている。
ウーリィは竜種で、要は魔物だった。
ウーリィは籠の中に閉じ込められており、その籠をローサが大事そうに抱きしめている。そんなローサをリリララとルーが心配そうに見つめていた。
「様子はどう?」
「まだ落ち着きません」
「――だいじょうぶ、だいじょうぶ。ウーちゃん、こわくないよ」
魔物は迷宮の魔精にあてられて荒ぶる。
人と魔物の関係は敵対関係だけではない。
大昔から今に到るまで人は魔物との共存を望んでいる。それは迷宮解放同盟や反探索者同盟たちのような考えではなく、いかに利用するかというものだった。
家畜として、愛玩用として、そして軍用として。
一部では成功しているが、一般化はしていない。
成功のもっとも身近な例はランタン家の浴室で飼われている不定型魔物のブロブである。
それは魔道ギルドが生み出した魔物であり、あらゆるものを貪食するため浴室は黴一つ、水垢一つなく清潔に保たれている。なかなか有用な魔物だ。月に一度、魔道ギルドの職員が訪れ、大きく育った身体を切り取って子犬ほどの大きさにまとめていく。
あるいは陶馬のガランもそうだったが、これは突然変異に近く、稀なことだった。
例えば軍用の魔物の多くは普通の獣と掛け合わせることで、扱いやすくしたものが主流だった。そうでもしなければ人の手にはあまる。
竜種はそもそも掛け合わせる獣がいない。地上で繁殖したものは比較的人慣れしやすいとされるが、それでも竜種は竜種である。
ウーリィは籠の中で羽ばたいていた。
幼竜だった頃の面影を残しているが、羊の毛のようだった巻き毛の羽毛は生え替わっている。羽で内側から格子を叩き、嘴で噛みついた。籠を壊そうとしている。
かなり興奮していた。このままでは籠が壊れるより先に、ウーリィの骨が折れるかもしれない。
その様子をレティシアが覗き込んだ。
心配げなローサとは裏腹に、懐かしそうな顔をしている。
「ずいぶんな荒くれものだな。見込みがある」
安心させるようにローサの髪を撫でそう言った。
ネイリング家ですら竜種の迷宮運用は主流ではない。彼の家の役目は武力による地上秩序の維持だった。迷宮探索は人を鍛えるためのものであり、竜種そのものを捕らえるためのものだった。
しかしそれでも迷宮運用はまったくない話ではない。極少数、迷宮でも使える竜種を有している。前例があるというのは希望であった。
「外に出すか」
「いいの!?」
ローサは喜び半分、心配半分に叫んだ。
その複雑な心境が肉体に現れている。丸い耳はわっと膨らんだが、籠にしがみつくみたいに肩がこわばった。立ち上がった尻尾がへなへなと萎える。
「とんでいっちゃわない?」
「そのまま放したらそうなる。風切り羽を抜いてやってもいいが、今回はいいものを持ってきている」
レティシアが手を出すと、リリララがそこに銀の鎖を渡した。
「ローサも手袋をつけなさい。引っ掻かれるとひどいぞ」
言われてローサは手袋を嵌めた。厚い皮と銀糸を編み込んだ頑丈な手袋は、二の腕まで覆うものだ。
「ルー、念のため動きの阻害を」
「仰せのままに」
ルーが重力場を発生させると、ウーリィの羽ばたきが弱まった。鶏程度、飛行することは可能かもしれないが、この重力場を振りきって大空に飛び立つことは難しいだろう。
「ローサ、慎重に、だが決して逃がすなよ」
「うん!」
リリオンが籠を開けて、ランタンは見ているだけだった。なにもしていないわけではない。一応周囲を警戒している。
扉が開かれると、ローサは籠に腕を入れてウーリィを抱き上げた。
もう大型の猛禽類ぐらいの大きさがあり、顔つきも精悍だった。
尾は優雅に長く、背は金属的な光沢を帯びて、全身を羽に包んでいる。腹の方の毛は柔らかそうだ。羽毛に埋もれて四肢は短く見えるが、そのぶん逞しく、爪はまさしく竜種のそれだ。
きぃきぃと金切り声を上げて、手袋に包まれたローサの腕に噛みついたり引っ掻いたりする。ふいに翼が広がった。
折り畳まれた内側が幼竜の頃の白さと柔らかさを残しているが、翼を広げるだけでウーリィの身体が倍ほども大きくなったように感じる。
ばさばさと羽ばたき、ローサの頬を打った。だがローサは決して放さなかった。だいじょうぶ、へいきよ、と励ますように声をかける。
「よし、いいぞ」
ローサが腕を解くと、ウーリィは勢いよく飛び上がった。
その後ろ足に銀の鎖が結ばれている。鎖は物凄い速度で伸び、レティシアは巧みにそれを引いたり、送り出したりする。凧揚げのようでもあり、釣りのようでもある。
ローサははらはらして見守っていた。
ランタンもついそちらを仰ぎ見る。敬礼するみたいに日庇を作って、目を眇めた。
「気持ちよさそうだな」
ウーリィの飛行は脚を繋がれていても自由を感じさせた。翼を目一杯に広げ、四肢は空を踏むかのように前後している。
リリオンが先程切り取った肉片を空に放り投げると、急降下してそれに食らいついた。
地上ではそうやって餌をやることもある。
見慣れた光景だった。
「リリオン、ほどほどにな。疲れさせるんだ。でなければ言うことを聞かん」
はあい、とリリオンは返事をしてウーリィが飛ぶさまをみんなして眺める。
ウーリィは途轍もない体力だった。探索者顔負けだった。
一度も羽を休めることなく、迷宮の空が赤らむまで飛び続けていた。
その間、ランタンたちは近付いてくる魔物たちを撃退し、時にその肉を調理して食べた。
ウーリィは飛び続け、近付いてくる鳥型の魔物や地上の魔物に襲いかかることがあった。
生物の頂点捕食者である竜種であったが、自分よりも大きな魔物はまだ殺せるほどではなかった。そう言う時はランタンが弓で援護したり、レティシアが雷を放ってやった。
そしてウーリィは自らを攻撃されたと勘違いして、こちらに向かってくることもあった。餌を断つためにウーリィが仕留めた魔物を取り上げると攻撃は苛烈になった。
ウーリィを繋ぐ鎖はローサの手に渡り、ローサはこれをよく操っていた。
鎖を長く伸ばし過ぎてもいけないが、短くし過ぎてもいけない。
鎖は頑丈だったが切れてしまうかもしれないし、あるいはウーリィの脚の方が千切れるかもしれないからだ。
腹を空かせたウーリィはどうにか餌にありつこうとしたが、時には爆発を用いて骨も残さず魔物の死骸を消し去り、リリララの力で地中深くに埋めてしまった。
疲れさせることが目的だからだ。
ローサが甘さを見せて二度、肉を与えてしまったが空腹を満たすほどのものではない。
それからローサはウーリィに肉を与えるのをやめ、また自らもなにも口にしなかった。
せめて水は飲むように、とランタンとリリオンが説得した。
ローサは手袋を外し、素手で鎖を操っている。こすれた鎖が肌を傷つけ、人差し指と親指の間に傷ができていた。長い鎖を身体に巻き付け、背中から肩を通して手握り込んでいるので、右の肩口も赤くなっている。
「ウーちゃん、ウーリィ、いつでもいいよ」
ローサは語りかけるように呟いた。
ウーリィは羽ばたくよりも、翼を広げて風を受けることが多くなった。右回りに大きく旋回し、降りてくるのを躊躇っているようにも思える。
「きっと空を楽しんでるのよ」
「変に癇癪おこしちゃったから、平気な顔見せるのが恥ずかしいんじゃない?」
「ランタンじゃないんだから」
リリオンが笑って言った。
「僕がいつ癇癪起こしたんだよ」
ランタンが拗ねると、ローサ以外が笑った。
ランタンは妹の顔を見る。
もともとひどく幼いのは精神ばかりで、その顔立ちは十三、四の少女のようだった。そして甘ったれたしゃべり方や仕草が、そんな少女を五歳も若く見せた。
だが今はどうだろう。
ウーリィに向ける眼差しは五歳も大人びて見えた。落ち着きなく走り回ることもせず、その場でじっとして、必要な時だけ必要な分だけ移動した。ただ手だけは忙しく動かしている。
ローサは鎖が緩むたび、それを引き寄せた。ウーリィは次第に高度を下げていく。
夕焼けに赤く染められた大地に、長く引き伸ばされた影が落ちる。
「おいで、ウーリィ」
ローサは右手に鎖を巻き付けてしっかり握り、大きく左腕を伸ばした。短く張り詰めていた銀の鎖が緩んで弧を描き、じゃらじゃら音を立てて地面に折り重なった。
羽ばたきの風が探索者たちの肌を打った。下草が揺れ、土煙が舞った。ウーリィはローサの腕に掴まって、ローサはその重みをしっかりと支えたが、疲れのせいだろうすぐに肩から下がった。
それをリリオンが支えた。
「ウーリィ、おそらはたのしかった?」
恨み言の一つも言わずにそう尋ねる。
くるるる、とウーリィは喉を鳴らし身体を震わせた。ローサは鎖を手放し、脚に嵌めた枷を外してやった。ウーリィは親しみを込めて頬ずりした。
それで全てが報われたかのようにローサは笑った。
ウーリィが鎖で繋がれていたように、ローサもまた鎖で繋ぎ止められていた。
「ウーリィはおなかぺこぺこ? ローサはおなかぺこぺこ。おなかとせなかがくっつきそう」
あるいはその間で意思の疎通が図られていたのだろうと思わせた。
「ローサ、ご飯にしましょう」
「やったー!」
リリオンの言葉に無邪気に喜ぶと、五歳分の大人びた気配はすぐに消え去り、まったくもって幼い顔になった。
「でもその前に手の消毒ね。それから肩も」
それでようやく気が付いたように痛みで顔をしかめた。
「お前はこっちだ。水をやろう」
ウーリィを預かったのはレティシアだった。
腕に止まったウーリィの顔を覗き込む様子は、額から生えた竜角もあって迫力があった。レティシアの前ではウーリィがただの鳥に見える。
夕食を囲む頃には夜だった。
ウーリィには新鮮な魔物肉を刻んだものを与えてやり、探索者たちは大きな塊を串に刺してあぶり焼きにした。
「やはり若く、小さいうちに躾けるのがいいな」
食事を終えて焚き火を囲みながらレティシアが言う。
「もっと大きくなってからだと、もっと長い時間がかかる。一日二日じゃ利かない。鎖だってもっと太いのがいる」
「炎を吐くような奴らは?」
「そんな危なっかしい奴らは迷宮には連れ込めない」
「なるほど色々面倒なんだな」
ウーリィはローサの膝の上で丸まり眠っていた。ローサもうとうとしている。
「いつまでも降りてこない時は苛々したけど、けっこう素直な奴だったのか」
眠りを妨げぬように小さな竜種の頭を撫でてやる。撫でたこちらがくすぐったくなるようなすべすべした手触りだった。
「ずるい……、ローサも……」
ローサが寝言のように呟いた。思わずみんなが笑い、ローサは薄目を開き、微かに左右へ首を振った。
「今日は疲れたな。もうおやすみ」
「うん。ウーリィも、いっしょで、いい?」
ランタンはレティシアに目配せをし、頷きが返ってきたのを確かめる。
「ああ、いいよ。寝返りで潰すなよ。せっかくもっと仲良くなったんだ」
「……うん」
もうダメだった。ローサの頭がかくんと落ちた。
リリオンと二人がかりでローサを天幕に運び込み、ウーリィを胸の上においてやり、それからたっぷりと頭を撫でてやった。
「赤ちゃんみたいな顔してるわ」
「目一杯に疲れたみたいだからな。動き回るより、じっとしてる方がこの子には大変みたいだ」
「ランタンはどう? じっとしていられる?」
「ぼくは、さあ、どうかな。どう思う?」
はぐらかして焚き火へ戻ったが、休む間もなく迷宮へ赴き、この次には変異者たちを率いて旧サラス伯爵領まで赴くのだ。
そして、あるいはこの世界までやって来たのだ。
はぐらかす意味などありはしなかった。




