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カボチャ頭のランタン  作者: mm
21.Body And Soul
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「迷宮に行く」

 ランタンが変異者たちにそう告げた。

 館の庭で、いつものように汗を流していた変異者たちはその言葉の意味を理解するのに、少しばかりの時間を要した。

 ランタンは探索者だ。迷宮には行くだろう。だがそういう意味ではない。ランタンは自分たちについて言っているのだ。

 左右に顔を振って、顔を見合わせる。そのどれもが半笑いのような曖昧な表情だった。

 ランタンはいつだって選択肢を与えた。

 たとえばこの庭に来るか来ないか、迷宮に行くか行かないか。当人の言葉や精神状態を優先してきた。強い言葉は使っても、強制はしなかった。

 だが今回の言葉は選択の余地がなかった。

 迷宮は懐かしいもののはずなのに、それが未知のものへの挑戦のように思えて変異者は顔を強張らせた。

 初めての探索の時もこんな風には思わなかった。

 あの当時は、まだ若く、恐れを知らなかった。探索者としての輝かしい未来だけが迷宮の向こうにあると信じていた。

「迷宮は獣系の小迷宮。一泊二日。引き上げ屋の代金も食事もこちらで用意する」

 告げるランタンは淡々としている。いつもならば、葬式代も、なんてくだらない冗談を付け加えてくるのに、それもない。

 行きたくないと拒否することもできた。探索は基本的に複数人でするものだし、一人でなんかできっこないものだから、仲間に拒否されたらいくら指揮者でも強権を振りかざすことはできない。

 だがそれを告げるのはランタンだ。

 今では一人きりの姿を見ることの方が珍しい少年だが、彼は迷宮の単独探索者だ。

 もし行きたくないと言えば、ランタンはそれを受け入れるだろう。そして一人で迷宮へ行くはずだった。

 変異者(おれたち)を地上に置き去りにして。

 微かに身体が震えた。

 ある男は今もまだ自分のものだとは思えない鱗が、鳴子のようにしゃらしゃらと鳴って恥ずかしいと思った。その身体は怯えを隠すこともできない。

 ランタンが鼻で笑った。

「武者震いか?」

「――ああ、そうだ」

 せめてもの強がりを口にする。

「やる気じゃないか。うれしいよ」

 それが世辞であるとわかっていても、喜びを感じる自分を変異者たちは自覚できた。

 わかっているのだ。

 ランタンというこの少年が、どうしてか自分たちを救ってくれようとしているのは。それは痛いほどにわかる。自分たちを救ったところで、彼には何の得もないのに。ランタンは優しいから、それをしてくれる。

 だからその優しさに応えたいと思う反面、やはりどうしようもなく臆病な自分もいる。

 怖い。

 怖い。

 確かそれはすっかり変わってしまった自分を見る他人の視線への怖さだったはずなのに、今ではその言葉がすべてに浸食している。

 何もかもが怖くて、一体自分は何が本当に怖いのかもわからない。

 自分自身がわからない。

「ランタン、聞いていい?」

「デイジー、どうぞ」

 女の変異者が手を挙げた。硝子質の髪を短く刈り込んだ女だった。挙げた手に、首筋や耳、頬や額に刻まれた無数の切り傷は自分の髪によってつけられたものだった。

「その迷宮の攻略難易度は?」

「ああ、言ってなかったか。高難易度」

 高難易度迷宮。

 探索者ギルドの定める難易度で最高のものだ。もちろん高難易度の中にも高低はあるが、それでも高難易度迷宮は高難易度迷宮だ。

 そこが主戦場だったとは言わないが、何度も攻略したことはある。

 しかし荷が重い。

 かつての自分はやれた。だが今の自分はできるだろうか。

 一人の男がじっと手を見る。

 黒々とした獣の毛に覆われた手だった。元々は人族だったが、この手を見てもそうは思わないだろう。猿の手、猿の腕だと思う。

 醜い腕だと、そう思う。

 自分にやれるだろうか。

 かつては探索者としての肉体を誇っていた。脂肪の薄い、彫刻のような肉体を。だが今はこの肉体に誇りを持てない。

 変異者の中には、社会に馴染もうと自ら足掻いているものもいる。変わってしまった自分自身を肯定し、受け入れようとしているものもいる。

 男はつい目を背ける。

 こんなものは自分の肉体じゃない。どうしようもない拒絶感が湧き上がってくる。

 この庭で汗を流すことが好きだった。

 周りのみんなも変異者で、同じように苦しんでいるから、自分の惨めさが少しだけ和らいだ。剣を合わせている間は、彼らを見ている間は、自分自身を見ずに済むからそれもよかった。

 男は地面に逸らした視線を、そっと周囲に向ける。

 戸惑い、迷いを浮かべるものたちもいれば、覚悟を決めた顔をしているものたちもいる。

 ランタンを見上げる。

 少年は迷宮へ行く。探索者だから。

 置いていかれたくはない、とそう思う。

 男は妬ましいほどの眩しさに目を細める。




 相談に乗ってもらうついでに、色んな人たちに手助けをしてもらった。

 今、ランタンの庭に集まる変異者は総数で五十名近い。

 これらすべてを迷宮に連れていき、面倒を見てやることはランタンにはできない。

 だからギデオンを始めとするトライフェイスの面々や、あるいは面倒見のいいジャック、陶馬を拾った迷宮を共に攻略した探索者たちの助けを借りた。

 彼らも変異者を連れて迷宮へ行ってくれることになった。

 話が違う、ランタンと探索することに意味があると言うものもいたが、思いがけず変異者たちは素直にそれに従ってくれた。

 迷宮探索への覚悟を決めるというのはそう言うことなのかもしれない。

 ランタンが連れていく変異者は五人だった。

 リリオンとローサも同行するので八人での探索になる。

「おはよう、モーラ。元気にしてる?」

「はい」

 ミシャの弟子である蠍人族のモーラは、小さく頷いた。ランタンよりも頭一つも小さいので、頷く角度よりも見上げる角度の方が大きい。相変わらず表情に乏しいが、真っ直ぐに目を見てくれるようになった。

「それはよかった。今日はよろしくな」

「はい」

 ぽんぽんと二度叩くように頭を撫でてやると、それが合図のようにモーラは下がってミシャの方へと向かった。だがその途中でローサに掴まって、何か一方的に質問攻めにされていた。昨日はよく眠れたかとか、朝ご飯はちゃんと食べたかとかそんなことを。

「あいつら遅いな」

「ランタンが早いのよ」

 変異者たちは一向に姿を現さない。

 文句を言うランタンにリリオンが肩を竦める。

 迷宮への降下時間前に姿を現す探索者の方が珍しい。一時間も二時間も遅れるような探索者はいないが、五分十分は当たり前の遅刻だった。

「早くはない。普通」

「わたしもランタンに出会わなかったらこんなに時間きっちりにならなかったかも」

「出会えてよかったね。そうならずに済んだ」

「うん」

 皮肉交じりの言葉に、リリオンは素直に頷いた。

「大丈夫、ちゃんと来るわよ」

「だと、いいけど」

 変異者たちを信じようと思っているが、それでももしかしたら来ないんじゃないかと疑ってもいる。

 彼らの心の問題はひどく根深く、病的ですらある。

 彼らは何よりも人目を怖れているし、その中でも最も怖れているものはかつての自分を知る探索者たちだった。

 変異したことは、彼らにとってはいけないことだった。落ちぶれたと言い換えてもいい。そんな自分を知られるのを嫌がっていた。

 実際にどう見られるか、思われているかなんて今は関係なかった。ただ悪い考えばかりに囚われている。

「迎えに行ってやるべきだったかな」

 そんな風に呟くランタンをリリオンはにやにやして見つめる。

「過保護だって言われちゃうわよ」

「もう言われたよ」

「えへへ、知ってる」

 ランタンの過保護さそのものであるかのように、リリオンは胸を張った。

「ランタンはすごいのよ、誰だってランタンと一緒に探索したいんだから。そんな機会をふいにはしないわ」

「そうかな。担がれてるんじゃないかって思うよ」

「そんなことないわ。エドガーさまだって言ってたわよ。ランタンには英雄の資質があるって」

 ランタンはぞっとしたように、くすぐったくなったように肩を竦めた。

 それは他者を戦場へ駆り立てる力だ。

「ランタンは信じてあげて。それが自信になるのよ」

「信じてるよ。じゃなきゃ本当に迎えに行ってる。……いや見捨ててるかも」

「すぐそんなこと言うんだから」

 そんな風にしていると、やがて一人また一人と変異者たちがやってきた。七分の遅刻もあったが、全員が姿を現した。

 探索用の装備に身を固めて、その上から外套をかぶってフードで顔まで隠している。

「うわ、あやしい格好。襲撃者と勘違いされなかった?」

 来てくれたことにほっとしているのを隠すみたいに、ランタンは彼らを指差して笑った。

 こういう露悪的なことをランタンは庭でもよくやっていた。そんな時、彼らは少なくとも苦笑いぐらいはしてくれたが、今はそんな余裕はないようだった。

 フードに隠された顔であっても、強張っていることがわかった。

 知り合いとはち合うかもしれないここまでの道のりこそが、彼らにとっては探索よりも辛いことだったのかもしれない。

 そんなものは脱ぎ捨ててもっと堂々としろと言ってやりたかったが、何しろこの先は本当の迷宮探索だ。

 精神的な負荷をかけすぎる必要もないだろう。

「ローサ、そろそろ時間だよ」

「はーい」

 ローサは飛んでやって来た。ランタンの右に納まり、左にはリリオンが並ぶ。彼らの隠された顔を覗き込むみたいにローサは身体を折り曲げる。

「逃げずによく集まった」

 ランタンは全員に視線を向ける。

「デイジー、ジェイド、フィン、パーク、ウェイン」

 そして名前を呼んでやった。変異者たちの背筋が伸びる。

「久々の迷宮探索だ。気分はどう? 緊張してる?」

「してる」

 デイジーが率先して口を開いた。

「でも、やるよ」

 勝ち気な彼女らしい言葉だった。

「ジェイドはどう?」

「わかんねえ。できると思うけど」

 そわそわと肩を揺らす。肩から繋がる腕の、その先の毛に覆われた猿みたいな手が落ちつかなげに動いている。

 ランタンは一人一人に声をかけて、言葉を聞いてやった。もうとっくに降下時間は過ぎていたが、ミシャは起重機の上で文句の一つも言わない。

 ランタンはそちらに向けて手を振った。

「遅刻した分を取り戻すよ。迷宮探索だ。全員で攻略して、全員で帰ってくる。いいね」

 変異者たちは鼻息荒く頷いた。ローサもそれに釣られて、ふんふんと息を漏らす。

「さあ行こう。逃げ出した先に楽園なんてありはしないんだから」


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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白かったです。 みんながどういう活躍をしてくれるか楽しみです。
[良い点] ランタンのチームでは無いだろうけど、ほかのチームで脱落者が出なければいいなぁ...
[良い点] 名前をちゃんと読んであげるの良いよね… [一言] R.I.P.三浦建太郎 忘れないよ
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