043
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倉庫の外にはケイヒルの部下である三十名近い武装職員が整列していた。
ケイヒルの鎧とよく似た黒い鎧を揃って身につけているが、ケイヒルとは違い頭をすっぽりと覆う兜も装備していて、鎧の形状もケイヒルの鎧よりも簡素である。隊長と一兵卒の差であろうか。
倉庫の前に整列している様子は何だか検品を待つ大量生産品のようにも見える。
しかし、それらがずらりと並んでいる様子は壮観でもある。休めの姿勢を取っていて物言わず、それでいてぴりぴりとした張り詰めた気配を鎧の内部から漂わせていた。
ランタンたちが倉庫から姿を現すと兜の隙間で一斉に眼球が動く気配がした。ランタンでさえも僅かに気圧されて嫌な顔をしたその視線の槍衾に、リリオンに至っては完全に怖じ気づいていた。リリオンはランタンの外套をぎゅっと握った。
「マリアーノ、先生の所に案内してやってくれ! 丁重に頼むぞ、先生にもそう伝えてくれ」
倉庫の奥からケイヒルが怒鳴ると、三十数名の内の一人が一歩前に出た。
「はい、了解しました!」
鎧の雰囲気に似つかわしくない清々しい青年の声が兜から発声され、ランタンの頭上を通ってケイヒルへと飛んでいった。
マリアーノと呼ばれた鎧がランタンへと近づいてくるので、ランタンは兜の隙間から中身を覗き見るように軽く会釈をした。けれど中身は見えない。
鎧はランタンの前で立ち止まった。その立ち姿は堂々としている。肩と胸を張って、背筋を伸ばして、腕を後ろで組んで休めの姿勢を再び取った。兜の中から視線が注がれて、じっと見つめられているのが分かる。ランタンはその視線に気づかない振りをしながら、よろしくお願いします、と先手を打って告げた。
「いえ、はい――」
ケイヒルもランタンを見た時に驚いていたのだから、その部下である彼もまた同じような反応をしていたのだろう。立ち姿とは裏腹に、返された声に僅かな動揺がある。だがそれでもマリアーノは平然を装って、ついてきてください、とランタンたちを先導した。
整列する武装職員の前を横切ると沈黙を保っていた彼らの中に小さくざわめきが起こった。鎧の中身が血の通っている人間である事を確認したリリオンはすっかり安心して、そのざわめきを聞くとからかうようにランタンの背中を人差し指で突っついた。ランタンはそれを、ざわめきも含めて、無視する。
ざわめきが足音に変わった。ケイヒルに呼ばれて、ランタンたちと入れ替わりになるように武装職員たちが倉庫の中へと入っていった。
マリアーノは倉庫区画の外れまでランタンたちを連れてきた。そこには二台の馬車が用意されている。一台は一頭引きの荷馬車で、もう一台は二頭引きの大型の箱馬車である。軍用のものらしく大振りで頑丈な造りをしていた。
ぶるぶると巨大な輓馬が嘶き、その脇には馬車の守りである武装職員がいた。少しばかり暇そうにしているように見えた。
「……馬でかい」
この馬を盗むような奴はいないだろう、とランタンは思った。武装職員が暇そうにしているのも頷ける。
輓馬の大きさにランタンが少し怖じ気づいている横で、リリオンが無造作に手を伸ばして馬の首をがしがしと撫でている。馬はその威圧的な巨体とは裏腹に大人しくリリオンに撫でられるがままにされている。
「ランタンも触る?」
「触らない」
「大人しいよ」
「触らないから」
マリアーノが同僚に声を掛けて、箱馬車の後部に備えられた扉を開けて中を覗き込んだ。
「先生、怪我人二名です。お願いします」
「んあ、戦闘か? それにしちゃ静かだな」
「戦闘はありませんでした。終わった後だったのです」
「ああ、そういう事ね。んで、その怪我人は?」
「こちらに。ケイヒル隊長から、丁重に頼む、と」
「……あいよ。お前はもう戻っていいぞ」
「はい、失礼します」
マリアーノは馬車に突っ込んでいた上半身を戻して、ランタンたちに入るように促した。リリオンがランタンの手を取って馬を触らせようとしていたので、ランタンはこれ幸いとリリオンの手を振りほどいてマリアーノに向き直った。
「ありがとうございました」
「いえ、それでは」
マリアーノはかっちりとした回れ右をすると駆け足であっという間に去って行った。テスが言っていたようにケイヒルが率いる探索者ギルド治安維持局六番隊は真面目な人間で構成されているようだ。
テスの率いる三番隊はどのような隊なのだろうか、と考えて少しだけ薄ら寒くなった。探索者ギルドとは敵対しないようにしたいものだ。
「さ、リリオン行くよ」
その想像をなかった事としてランタンはステップに足を掛けて馬車に乗り込み、中にいるギルド医に一言挨拶をしてリリオンへと手を伸ばした。リリオンがその手を掴んで、ランタンはそっと少女を引き上げた。リリオンが重たく感じた。
「おう来たなって、……あーあー酷ぇなこりゃ」
ランタンを見て、リリオンを見て、ギルド医は面倒くさそうな顔をして頭を掻いた。
箱馬車はリリオンが立ち上がれるほどに天井が高く、簡素ながら三台ベッドがコの字に並べられる程の広さがあったが、このギルド医がいなければもう一つベッドが置けただろうと言う程にギルド医は立派な体格をしていた。
筋肉質の身体に白衣を羽織った中年のギルド医は、ランタンから盾や戦槌を毟り取るとそれを馬車の隅に放り投げた。そして二人揃って押し倒すかの如くベッドへと座らされる。
リリオンは完全に引いていた。ランタンはどうにか抵抗を試みる。
「あ、あの……」
ランタンが何か言おうとしたがギルド医は無視してランタンの首を掴んだ。手が大きく、指が太く、皮が厚い。そのまま首を絞められるのかと思ったが、ただ脈拍を測っているようだった。
「目ぇ見せて、――はい、口開けて。これ何本に見える?」
「……三本です」
「うん、正解。意識はちゃんとしてるな」
「あの、すみませんが、僕よりも先にこの子の手当をお願いしていいですか?」
ランタンがギルド医の三つ立てた指を握って、無理矢理に言葉を遮った。ギルド医は気にした様子もなくランタンの表情を窺って、ランタンの手の中で指を動かした。
「うーん、優先順位を決めるのは俺の判断なんだがな。どう見てもお前の方が重傷だ。そっちの子が例えば服の下で内臓が零れてもない限りはな」
ギルド医が指を抜き取って、三本指のままリリオンを指差した。そして理解を促すようにランタンへと視線を戻す。リリオンの内臓はきちんと身体の中に収まっているので、ギルド医の言う事はもっともである。
だがランタンは首を横に振った。
「それでもです」
「……その理由は?」
「意地です」
ランタンが澄ました顔で一言だけ、だがはっきりと言うと、ギルド医は驚いた表情になってそれからすぐに厚い唇をにっと歪めて笑みを作った。そして大きく頷いて、なるほどなぁ、とランタンに負けじとはっきり言った。
「怪我人に男も女もない。が、お前の言い分はもっともだ。怪我した女を差し置いて、先に治療を受けるなんざ男のするこっちゃねえよな。そりゃそーだ」
ギルド医は何度もうんうんと頷いて、リリオンを手招いて呼び寄せた。リリオンはランタンの顔を、文字通りの顔色を窺って遠慮しようとしたが、ランタンは頑として譲らなかった。ここで渋れば渋るほどランタンの治療が遠のく事を悟ったリリオンは諦めてギルド医の前に座った。
「安心しな、――お前ランタンだろ?」
「はい」
「じゃあ心配する必要はないぜ。この男は殺しても死なないって医務局でも評判なんだから」
そんな評判は初耳であるがランタンは何も言わなかった。
リリオンを安心させる方便なのだろうが、もしかしたら本当にそう呼ばれている可能性もなくはない。ギルド医務局にはよく世話になっているが、たまに実験動物を見るような目で見られていることにランタンは気づいている。それを確認する事は、少し恐ろしかった。もし本当に変な噂が立っていたらギルド医務局を利用しづらくなる。
ギルド医はリリオンの顔を拭いて、口を濯がせた。
「はい、口開けて。あー、って」
口内を覗き込んだ。
「歯は折れてないけど、内頬が切れてるな。うん、唇の傷は血も止まってるし、先に鼻だな」
ギルド医はそう言ったかと思うと、次の瞬間にはリリオンの鼻を人差し指と中指でそっと摘まんでいた。そして呆気にとられるリリオンをよそに、それを一気に捻った。リリオンの身体が電気ショックを受けたように座ったままの状態で飛び上がった。
「い゛ったーいっ!」
リリオンが悲鳴を上げて、止まっていた鼻血が再び吹き出した。
洪水のような鼻血は鼻からだけではなく、口腔にまで溢れて少しばかり猟奇的だ。出血を止めようと上を向こうとするリリオンだが、窒息するぞ、とギルド医がそれを許さなかった。リリオンはコップ一杯分ほどにも見えるの鼻血をバケツに吐き出し、再び口を濯いだ。
「先っぽの軟骨を元の位置に戻すぞ」
ギルド医はペンチのような鉗子を取り出すと、何故だかランタンの方を向いた。そして野良犬でも追い払うように手を振った。
「見ててやるなよ」
「何故ですか?」
「今からこいつを鼻に突っ込むからだよ」
尋ねたランタンにギルド医は鉗子をカチカチと鳴らした。それを見てリリオンが絶望的な顔でランタンの事を見つめた。
「見たらやだ」
「……目瞑ってるよ」
「見たらダメだからね」
「はいはい」
ランタンが同じ治療をされるにしても、リリオンと同じように見られるのは嫌だろう。怪我の治療とは言え鼻に物を突っ込まれた姿が情けないものであるのは想像に難くなかった。
ランタンはそっと瞼を下ろした。暗闇の中でリリオンの悲鳴が響く。
治療は鉗子を鼻に突っ込み内側から軟骨を挟んで、それを引っ張って治すのだろうと思う。鼻の内側は粘膜になっている。そこを捏ねくり回すのだから治療風景は想像できても、その痛みたるや想像を絶するものである。
「うっし、綺麗に真っ直ぐだ。骨がくっつけば元通りのべっぴんさんだよ」
ランタンがうっすらと目を開けると鉗子はすっかりと片づけられていて、リリオンの鼻や口周りを汚していた鼻血の跡もすっかりと拭われていた。リリオンの目が赤いのは泣いたからなのかもしれないが、ランタンには分からない事だ。
ギルド医は固定用のテープを切っており、それはフラスコに似た形をしていた。ぺたりとリリオンの顔に貼ると、テープは眉間から鼻筋を通りすっぽりと鼻全体を覆い、骨折箇所を固定していた。
リリオンが視線だけでちらちらとランタンの表情を窺っている。
「わたし、……変じゃない?」
「変じゃないよ」
「ほんとう?」
「うん、そのテープ格好いいね。僕もしてもらおうかな」
半ば本気で言ったランタンにリリオンはようやくほっとしたように表情を緩めた。
ギルド医はその後、唇の裂傷と内頬にも綿棒で軟膏を塗りつけた。そしてリリオンの右腕の様子を見て、ランタンの骨接ぎに一つ文句を付けてから僅かなずれを直し、腕を非伸縮性のテープで固定して薬を飲ませた。錠剤の消炎剤と治癒促進剤だ。
「骨は綺麗に折れてるから、すぐにくっつくよ。――さてと、次はお前だ。じゃあ脱いで」
ランタンは言われてすぐに上半身裸になった。出血により服が傷口に張り付いていた。ランタンは無表情にべりべりと服を剥がして、ギルド医が足の先に引っかけて寄せた籠の中にそれを落とした。
リリオンはランタンの右の肩に空いた穴を見て息を飲んだ。
患部は濃紫に染まって大きく腫れて炎症を起こしている。穴からはまだじくじくとした出血が見られて、貫通こそしていないが覗き込めば骨が見えるのではないかと思わせた。
「なるほど、こりゃあ確かに意地だわな」
ギルド医は顔を顰めてザブザブと患部を洗った。血を落とした患部に直径二センチ弱のぽっかりとした穴が露わになった。
ランタンが今更ながら自分の怪我の様子を確かめて、嫌そうに表情を歪める。患部を確認すると痛みが増すような気がするから不思議だった。
「肩の怪我は蠍人族に刺されましたが、解毒薬は打ってあります」
ランタンはそう言って更に掌をギルド医に向けた。
「これにも毒がついていたようですけど、事前に耐毒薬を服用しています。なので平気です」
「……平気じゃねえよ、馬鹿なのかよ。あーもう、これだから探索者って奴は嫌になるぜ」
ギルド医は改めてランタンの脈拍や体温を測り、握手をして握力を確かめて、さらに様々な質問をして思考能力を確認した。ランタンはちゃんと答えられていると思ったが、呂律が少しだけ甘えるように柔らかかった。ポケットにしまっていた解毒薬を思い出したようにギルド医に渡すと、遅い、とものすごく怒られた。
「後回しにした俺も同罪だけどよ……、だから大丈夫だって、死にゃしないよ」
ギルド医はばつの悪そうに不安な顔をするリリオンに告げる。
リリオンはランタンがギルド医に好き勝手にやられている間、ずっとランタンの手を握っていた。リリオンの手の温かさに、ランタンは自分の身体がこの上なく冷たくなっている事を自覚させられる。リリオンは折れた方の手でランタンの手を握りしめて、もう一方の手で暖めるように甲を撫でていた。
ランタンはベッドに寝転がされた。シーツから消毒薬の匂いが濃く香り、条件反射のような安心感にぼんやりとしていると視界の端に恐ろしい物が見えた。注射を構えたギルド医である。注射針が妙に長く、太い。
「あの何ですか、それ」
「なにって注射だよ」
ギルド医は言いながらランタンの胸を消毒し始めた。ランタンはそれに疑問と嫌な予感を覚えた。痛み止めや麻酔ならば患部にするべきであり、患部は右の肩か左の掌である。決して胸ではない。
注射針は長くて、心臓に届くほどだ。ランタンの顔が強張った。
「男の意地を見せろよ。おら、いくぞ」
待って、と言う暇もなくランタンの胸に注射針は突き立てられた。本当に心臓に刺された。痛みは殆どなかったがランタンは思わずリリオンの手を強く握り返した。リリオンも注射から目を背けている。ランタンは目を逸らす事もできず、胸に突き立った針を眺めていた。液体が注入される。それは妙な感覚だった。擽ったくすらもあるが、心臓に注射をされた衝撃でそれどころではなかった。
「これ、なに?」
「心臓を動かす薬」
ランタンがこわごわ尋ねると、ギルド医は楽しげに笑いながら答える。
「とまってたの?」
「まあ、ちょっとだけな」
針を抜いて注射の跡に小さなガーゼを貼り付けた。
「神経毒だな。筋肉が弛緩するタイプの。あんまり無茶するなよ、まったく本当に探索者って奴は」
ギルド医は先程も言った言葉を再び繰り返した。無茶をする探索者を咎めていて、それでいて同時に探索者の生命力に呆れを感じているようだった。その後改めて左の肩に麻酔を打たれて、もうそこを見つめる事はしなかったが、傷の中をほじくり回されて治療をされた。
「神経切れてなくてよかったなぁ」
ギルド医の太い指がランタンの傷をあっという間に縫って閉じてゆく。最後に糊付けするように軟膏を塗りガーゼで覆って処置は終わった。ランタンが身体を起こそうとすると、ぶ厚い手が薄いランタンの身体をベッドに押し留めた。
「寝てろ、点滴も打つから」
ベッドに寝転がって馬車の天井を今更ながら眺めていると、針を腕に固定された。ギルド医はそのままランタンの脇腹にも触れた。
肩の怪我ばかりに気を取られていたが、そう言えばこちらにも一撃食らったのを思い出した。患部はうっすらと打撃の痕跡があるだけだが、ギルド医の目はそれを見逃さなかった。一度触れてすぐに罅程度の骨折であることを確認するとあっという間に湿布とテープで固定された。
「リリオンも点滴してもらえば? ベッドまだ二つあるし」
「ううん、ここに座ってる」
リリオンは座る位置をずらしてランタンの顔の横に腰を下ろすと、ゆっくりと顔を覗き込んだ。何となく二人とも無言で互いの瞳をじっと見つめていた。リリオンがぱちぱちと瞬きをして、ランタンの頬を撫でて、ほっぺたを抓った。痛みを感じないのは麻酔の影響だろうか。
「これ貼ってやりな」
ギルド医がリリオンに渡したのはリリオンの鼻に貼られている物と同じテープだった。リリオンが嬉しそうにそれを受け取り、ランタンの鼻にそれをそっと乗せた。それから指でなぞるように押さえて貼り付けてゆく。
テープはやや硬く、反発力があり鼻腔を広げる働きもあった。炎症を抑える為か冷たさと、その冷たさによって鼻の通りがよくなったのを感じた。ただリリオンとお揃いにする為だけでなく、これをランタンに貼ったのはそれなりの理由があったのかもしれない。
ランタンはテープを貼ってもらった鼻をこしょこしょと触った。
「どう、変じゃない?」
「かっこいいよ、ランタンは何でも似合うね」
「まあね」
ランタンは言ってから照れたように目を瞑った。
リリオンがくすくす笑って、少しだけ身体が熱くなるような感覚をランタンは自覚した。それはきっと心臓に打ち込まれた薬の所為だろうと思う事にする。心臓の音がうるさいほどに聞こえた。
「……ね、ランタン、寒くない? わたし温めてあげようか」
リリオンがそう言うか早いかランタンの身体を撫でた。
ランタンは熱くなった己の身体を知られるのではないかと思ったが、まだリリオンの手の方が体温が高かった。ランタンは、ただひたすらに真面目な表情で己の身体を擦るリリオンに言葉を失っていた。
「なかなか温かくならないわ」
「――男を温めるにゃいい方法があるぜ。まず服を」
「言わなくていいです!」
ギルド医のにやついた表情に碌でもない予感を抱いたランタンは、起き上がりこそしなかったが大きな声でその先を遮った。
「ランタンは知ってるの?」
「え、いや」
「ねえ教えて、わたし温めてあげるから」
リリオンは身を乗り出してランタンの顔を覗き込み、なおもランタンの身体を揺すった。
それを見てギルド医は腹を抱えて大笑いしている。テスといいこのギルド医といい、探索者ギルドの職員はランタンを辱めて楽しむ傾向があるようだった。ランタンが困り果てていると、ギルド医は呼吸もできないほどになっている。
ランタンが困っていると、急に馬車の扉が開かれた。だがそれは救いの手ではなかった。
「――やあ先生、楽しそうですね」
「おう、テスか。テメェのせいで仕事が増えたから文句言ってやろうと思ってたけどよ、まあおもしれーもんが見れたから許してやるぜ」
「おや、それはありがたい」
テスは軽く笑って、そしてランタンたちへと目を向けるとにやりと笑った。
「くふふ、これは何とも色っぽい状態じゃあないか」
ランタンとしては全く色っぽくはなく今日の出来事で最も緊迫した事態であったが、テスの目にはリリオンに襲われるランタンの図が完成しているようだった。
たしかにランタンは上半身裸で血の気の失った青白い身体を晒していたし、リリオンはそんなランタンの身体を撫でさすっているのだから、もしテスが本当にそう見えてしまったとしても仕方がない状況ではあった。
だがだからと言って、私も交ざっていいか、とリリオンに聞くのはどうかしていると思う。
「……テスさん、それはさすがに」
「ふむ、たしかに怪我に障っても馬鹿らしいしな」
ランタンが呆れた視線を向けると、テスはランタンが思いもよらぬ方向で納得をして頷いた。ランタンにはテスが本気で言っているのか冗談で言っているのかの区別がつかなかった。リリオンに至っては今までの全てが何の事やら分からずにきょとんとしている。
「だがその姿は、少し目に毒だな」
テスはそう言うと箱馬車の中を横切り、勝手知ったるとばかりに薄い綿の毛布をリリオンに放り投げた。リリオンはランタンの身体からさっと手を離して、それを胸に受け止めた。リリオンはテスに言われずともその毛布をランタンの身体に掛けた。
「ありがとリリオン。……テスさんも」
何だかんだでリリオンの興味を逸らす事ができたようだった。納得いかぬような表情でランタンが呟いたのを見てテスが苦笑している。
「後始末は終わったんですか?」
「ん、いいやまさか。死体も物も中々の量だからな、一日じゃ終わらんよ」
テスはどっかと向かいのベッドに腰を下ろして、欠伸を漏らして口を押さえた。
「失礼。で、一日怪我人を待たせておく訳にもいかんし、私たちは先に帰るんだよ。捕らえた奴らも含めてね」
カルレロらの犯人を運ぶ為に本来はケイヒルが付き添う予定だったのだが、ケイヒルと同格であるテスがそれを代わりに行うのだという。テスは休暇中なのでそんな事をしなくてもいいらしいが、現場にケイヒルが残っていた方が事がスムーズに運ぶから仕方なく代わってやったのだ、などと嘯いている。おそらく後始末が面倒であり、ケイヒルに借りを返すというのが本当の理由だろうと思われた。
程なく馬車が動き出した。
貧民街の中を大型の馬車が走る事はできないので、貧民街をぐるりと大回りにするようにして移動しているようだった。箱馬車に窓はなかったが、換気と光を取り込むだけの細隙が幾つかあるだけでそこから夕日が馬車内に入り込んでいた。
車輪が硬く地面が荒い所為で、馬車にはサスペンションも仕込まれてはいたがかなり揺れた。備え付けのベッドも硬く、ランタンは脳が揺れるのを感じた。
「うえぅ」
その揺れにランタンが小さく嘔吐いた。三人が一斉にランタンの顔を覗き込み、一人は物珍しそうに、一人は笑い、一人は心配そうな表情をしていた。ランタンは恥ずかしげに毛布を引き上げて顔を隠した。
「今日はよく頑張ったな。すこし寝ると良いよ」
ちくりとした痛み。
注射を打たれた、とそう思ったのを最後にランタンの意識は途切れて、再び目覚めた時は上等なベッドの上だった。
ぶつりと断裂した記憶の空白にそれほど驚かなかったのは、冷たい消毒の匂いが同じだったからなのかもしれない。身体は動かなかったので、ランタンは視線だけを動かして辺りを見渡した。
見覚えのない知らない部屋だったが、どこであるかは予想ができた。
身体を横たえているベッドは馬車に備え付けられていた物より、ランタンの部屋にある物よりも上等で清潔だった。おそらく探索者ギルド医務棟の一室なのだろう。こじんまりとした部屋だが、けれど個室待遇である。
部屋の片隅に荷物が纏められており、カーテンを透ける月の光に照らされていた。壁に立てかけられた戦槌と盾は、まるでそれぞれの持ち主が二人並んで寄り添っているような雰囲気が在った。
ランタンは病衣に着替えさせられていた。前で閉じるだけのひらひらした病衣は少しだけ心許ない。体中に湿布やガーゼが貼ってあり、右肩は包帯でぐるぐる巻きに固定されていた。多少の疼痛があったが目覚めた時に痛みがある事は慣れているし、それは身体の感覚が戻ってきているという証拠だった。
隣にもう一台ベッドがあった。部屋の広さから考えて、後から足した物だと推測できたが、折角足したそのベッドを使う者はいなかった。そこで眠っている筈の少女は、そこが当たり前であるようにランタンの隣にいた。
しょうがない子だ、と思ったがランタンも人の事は言えないのでただ苦笑する。
リリオンもランタンと同じように病衣を着ていた。ギルド医とテスの駄目な大人二人に、男の身体を温める方法、はどうやら教え込まれなかったようでランタンはほっとした。それでもリリオンはランタンを温めるように身体全体をくっつけている。
その所為でランタンは身体を動かす事ができなかった。辛うじて首から上だけが自由だったので、頬をすりつけるように少女を撫でてやった。少女は眠りながらも眉の間に皺があって、心配そうな表情をしていた。
少女からは、これは風呂に入っていないな、と言うような匂いがする。頑張った匂いだ。
リリオンが擽ったそうな呻き声を漏らして、ほっとしたように寝顔を緩めた。寝顔から不安の影が払われて、その口元には笑みすらも浮かんだ。
しばらくその寝顔を見つめ寝息を聞いていたら、やがてランタンも眼をとろんとさせて小さく欠伸を漏らした。何もかもが終わった、と言うわけではなかったが、それでも一段落は着いのだ。
穏やかな少女の寝顔にランタンは迷宮を攻略した時とは違う満足感を覚えた。なんか変な感じがするな、とランタンはひっそりと恥ずかしがって誰に見られるわけでもないのに顔を隠すように俯くと、リリオンの薄い胸を枕にして眠りについた。




