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相談ねえ、と首を捻ったランタンが最初に頼ったのはレティシアだった。
何しろ彼女はこのティルナバンの騎士を管轄する立場にある。
前王権代行官ブリューズの時代に乱れきった規律を取り戻した手腕は評価されている。
ティルナバン騎士団にネイリング騎士団の人員を用いたことに対しての批判もあるが効果が出ている以上それはやっかみでしかない。
枕を胸に潰してうつぶせに寝転がるレティシアが、片肘をついてにんまり微笑みかける。
隣のランタンは、裸の肩同士をぶつけ合った。どちらも肌が汗に濡れている。
「なにその顔」
「ランタンが私に相談事を持ちかけてきた! と思っている顔だ」
「初めて見た」
「甘えてはくれるようになったが、具体的な相談はあんまりしてくれないじゃないか」
「そうかな?」
自覚のないランタンが首を傾げるとレティシアは溜め息混じりに、そうだよ、と呟きすぐに、そうだよ、とのし掛かって耳に齧り付いた。
押し潰されてランタンは情けない悲鳴を上げ、女の裸身を、石でもどけるようにぞんざいに押し退ける。
「馬乗りになってほしいんじゃなくて、相談に乗ってほしいんだけど」
「そうだった。しょうがない」
レティシアは満更でもなさそうだった。
ランタンは変異者たちの様子を伝える。
彼らは打ちのめされていて、まるで負け犬のようだと正直に告げた。ランタンは心配しながらも、やはり苛々した様子だった。
「今の騎士団はそれなりに評判いいじゃん。前は怖がられていたけど」
「以前は規律が緩んでいたからな。さて何故、規律は緩んだと思う?」
「人間は元もと悪の存在だから」
「うーん、これは重傷だな」
身も蓋もないランタンの答えに、レティシアもさすがに苦笑する。
「人の善悪については一先ず、いや、しばらくは置いておこうか。規律の弛みはそれを取り締まるものがなかったからだ。それがすべての理由ではないが」
「取り締まりを厳しくした?」
「普通にしただけだよ。その前にまず二人、そのあとに三人ほど首を刎ねたがな」
「見せしめだ」
「人聞きの悪い。示しただけだよ。規範の運用が正しくなされていると。適当に選んで首を刎ねたわけじゃない。それに値するものは選んだつもりだ」
それらが規律を引き締めるために、あえて騎士たちの前で処刑されたのは言うまでもない。
その苛烈さは意識的に使われたものだったが、しかしレティシアの中に元から存在している苛烈さでもあった。
それなのにレティシアの緑の瞳はあくまでも穏やかにランタンを見つめている。
黒曜石の艶やかな肌に、金属質の竜角が額から二本生えている。それは微かに螺旋を描くように捻れ、見る角度によって七色の輝きを帯びる。
「やる気のない奴を半殺しにしてみる?」
「それに値するならしたらいい」
「――いないな。さすがに」
「それはいいことだよ」
「それが困りごとでもある。変わりたいと思っているから、きっと僕の所に来てくれてるはずなんだけど」
「焦れったいんだな」
「うん。苦しい時間は、短い方がいいよ」
「それはそうだ。私の場合で言えば、あとは自信を取り戻すことだったな」
「自信?」
「そう。騎士の役目は結局、治安維持だ。だがティルナバンは探索者が多いだろう? 彼らは揃って乱暴者で、困ったことに力がある。騎士よりもずっとな。それが自己矛盾というか、自己嫌悪というか」
「自己否定?」
「ああ、それだな」
「探索者を取り締まれなかったからか」
「今はかなり厳しい訓練を課しているおかげで、最近はなかなかやるようになった。そこらの探索者には負けないぞ」
「僕にも?」
ひどく無垢な顔で尋ねたランタンは、それが冗談なのか本気かの区別がつきづらい。だがレティシアにはもう慣れたものだった。
「ランタンは特別」
心の底からそう言ってやるとランタンは満更でもない顔をする。
そんなランタンが心配になった。
ランタンは彼ら変異者に、少しばかり入れ込み過ぎなように思う。
レティシアはランタンが一人だった頃を知らない。出会ったときから側にリリオンがいたからだ。ランタンは孤独だった頃の感傷を変異者に感じているのだろう。
「相談した甲斐はあったかな?」
「うん、ありがとう」
「それはよかった。でも色んな人の話を聞くのはいいことだ。特に、彼らはずいぶんと拗れているから」
「レティは?」
「私は、そう言えばそうだったな」
レティシアはそれがあることを忘れていたみたいに自分の角を撫でた。彼女のそれも持って生まれたものではない。
「ランタンがこれを気に入ってくれないと拗ねるかもしれない」
「ふうん。そう言われると拗ねる顔が見たくなるな」
そう言いながらランタンはレティシアの角に触れた。爪でかりかりと撫でてやると、くすぐったそうに目を細める。
「でも、相談に乗ってくれたから意地悪はやめとく。次は誰に相談しようかな」
頭の中に顔を思い浮かべているらしいランタンに、レティシアは身をぴったりとくっつけた。
「これは相談なんだが、それを考えるのは明日にしないか?」
せっかくの夜だ、と一度目の汗が引いた身体を抱き寄せる。
「たのもう!」
ランタンが扉を開けると、油断ならぬ無数の視線が一斉に小さな身体を貫いた。
亜人族の大探索団トライフェイスの集会所である。
それなりに広々とした部屋だが、それが狭く見えるのは室内の人数だけのせいではない。
屯しているのはもちろんみな探索者で身体は鍛えられている。亜人族はそれに加えて角や毛皮のせいで人族よりも一回り大きく見える。
それにトライフェイスは変異者を大々的に受け入れているので、彼らの姿もよく目立った。
迷宮ではいつ如何なるときでも魔物に襲撃される危険性がある。そのために探索者はいつだって戦えるようになっている。
すでに臨戦態勢に入っている彼らから発せられる気配は、もはや物理的な圧力を感じさせる圧迫感となってランタンに襲いかかった。
たのもう、などと言ったのだから自業自得である。
「間違えた。助けてくれ」
常人ならばひっくり返るような圧迫感もどこ吹く風といった様子で、ランタンはずかずかと集会所に押し入った。
そこかしこで金属の擦過音がかちゃかちゃと鳴った。半数以上が剣を抜きかけていたようだ。
「たのもうと助けてくれを間違えるんじゃない。どんな間違いだ」
「助けてくれなんて言ったことがないから。口がこんがらがった」
ランタンは悪びれもしない。
トライフェイスの団員はあきれ顔だった。
ランタンの口調は本気のようにも思うし、その内容も事実であるように思える実力も備わっている。
ここにいる全員を相手取っても後れを取らない自負があるからこそ、こんな生意気な顔をするのだろう。
じろり、とその顔を見ていると、今度はいかにも女受けをするような笑顔を浮かべてくる。
二枚目の顔ではない。自分のその童顔が、相手にどういう効果をもたらすかを知っているのだ。
戦意が萎える。
「ええい、俺にそんな顔を向けるな」
同性にはもちろん、角も毛も生えていないような相手にも興味はない。だというのにこの少年はひどく妖しく思える。
牛人族の大男は嫌そうな顔をして腕組みをした。
「団長いる? ギデオン」
「いるよ」
「会いに行っていい?」
「どうぞ」
「じゃあ、失礼。ところで僕が刺客だったらどうするの?」
「そんときゃ全員で相手するよ。勝てそうになくても」
ランタンはぐるりとあたりを見渡す。
「みんな?」
すると確かに全員が頷いた。亜人族も変異者も一人残らず、好戦的な目をしていた。いや挑戦的な目だろうか。例えばランタンが刺客ではなくても、剣を交えてみたいというような。
それはランタンの庭に集まる変異者たちと明確に違う目だった。
「それは、――いいね」
ランタンはそれだけ言って、集会所の奥へ向かった。
いちばん奥の、扉の分厚い部屋に入る。
「ギデオン、助けてくれ」
トライフェイス団長の、狼人族のギデオンは頭上の耳をほじった。
「聞き間違いか? それとも、たのもう、と言い間違えたのか?」
「助けてくれ、と言いました。座るよ」
ランタンはソファに腰を下ろした。
ギデオンとは変異者について何度か話し合いをしたことがあった。彼が館に来ることもあるし、こうやってランタンが訪れることもあった。
「助けてくれとは、ついに女関係が拗れでもしたか? だからあまり増やしすぎるなと」
「そこはご心配なく。変異者たちについて相談したくて」
ランタンが告げると、ギデオンは納得したように頷いた。
「ああ、話は聞いてる。ようやく重い腰を上げてくれたな。お前が動いてくれるとなると、こちらもずいぶんと助かる。俺たちだけでは支えきれないからな」
「支えるか。――手を貸して、立ち上がらせるだけじゃダメか?」
ランタンはギデオンから外した視線を、壁に貼り付けられた無数の探索計画書へ巡らせた。
ギデオンはずいぶんと迷宮探索から離れているようだった。その代わり団員を差配して、いくつもの迷宮を同時攻略している。剣を握る時間よりも、ペンを握る時間の方が長くなったと愚痴を聞いたこともある。
「苦労しているみたいだな」
「思いの外ね。元もと探索者だから、あんなに繊細だとは思わなかった。どうしたらいい?」
ランタンは変異者たちの現状を語った。
ギデオンは口を挟まずそれに耳を傾けて、よく話を聞いてくれた。獰猛な狼の視線が、思慮深い牧羊犬のそれに思える。
「それはお前の魅力のせいでもあるな。うちに来た奴の多くは、自分の足でここに来た。自主的にな。だがお前のところは、お前に引きつけられてきたんだろう。そんな顔をするな、それは素晴らしいことさ」
「彼らはどうなりたいんだろう?」
「元通りになりたいと思っているに決まっている。何もかもなかったことにして。だがそれは不可能だ。ああいう風になって奴らは多くのものを失った。元の肉体、精神、築いてきた人間関係、日常。ランタン、焦る必要はない。取り戻すのは難しく、時間がかかって当然だ」
「でも焦れったい」
「それはお前の都合だ」
「だけど彼らに合わせるばかりだと何も変わらなさそう」
「お前の目にそう見えるのか」
「うん。なんか、今の生温い感じ満足しているような気がする。うちの庭に集まって、身体を動かして、ちょっとのおしゃべり。リリオンのおいしいご飯」
「飯の世話までしているのか。ランタンは面倒見がよすぎるな。その内に尻まで拭いてやるんじゃないか?」
「あんたほどじゃない。たくさんの変異者の面倒を見てるじゃないか。こうして相談に乗ってくれるし」
「だがそんな風にいつまでも無駄飯を食わせるようなことはしない」
ギデオンは頬杖を突き、顎を引いてじっとランタンを見つめる。
「そうだな、荒療治が必要なのかもしれない。お前は迷宮をよく知っているから心配なのだろう。上手くできるか、生き残れるか。だが俺たちは探索者だ。奴らも探索者だ。――さっさと迷宮へ叩き込め。人族だろうが亜人族だろうが、変異者だろうが迷宮は区別をしない。実力のない奴がたまたま生き残ることもあれば、凄腕が死ぬことだってある」
「それはそうだけど」
「それが俺たちの日常だろう。違うか? あいつらが失って、欲しているものの一つだ」
ギデオンは断言した。
黙ってじっと考え込むランタンを思わず鼻で笑う。
「過保護だな」
「あんたの目にもそう見えるなら、それは性分みたいだ」
「自覚があるのか?」
「昔に言われた。リリオンのことで」
「はっは、惚れた女ならしかたあるまい」
「その時はまだ惚れてないよ」
「そうだと自覚したときには、もうずっと前から惚れてるもんだろう」
ギデオンは立ち上がって、ランタンに歩み寄り、その肩に手を置いた。そうだと知らなければ探索者だとは思えない肩の細さだった。
亜人族の探索者として、被差別者の御旗として彼らを支える苦労をギデオンはよく知っている。自分は亜人族だが、ランタンはただの人族だ。
差別の対象ではない。
だから変異者はランタンにとっては無関係で、この少年の振る舞いは一種の献身に違いなかった。
「ランタン。叩き落とすのを躊躇うなら、一緒に行ってやれ。お前が行けばついてくる。必ずな。そして思い出させてやれ、あの魔精渦巻く迷宮を。探索という日常を」
ギデオンは肩に置いた手を外し、毛に覆われた喉をがりがりと掻いた。
迷宮を懐かしく思い出しながら。




