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膨らんだ爆炎は二つ。
ランタンが放ったものと、精霊が放ったものだった。
赤々として重さすら感じる炎の塊は互いにぶつかり合って、形を変える。
肉体のように歪み、そして押し勝ったのはランタンの爆炎だった。
爆炎同士の境が失せて、ランタンのそれが精霊の炎を大波のように飲み込んでいく。地面を舐めて、勢いのまま向こうの壁まで届き、天井へと這い上がった。
生半な魔物ならば骨も残らないだろう。
ランタンは炎の中で歯を食いしばる。それがまるで牙を剥くような笑みに見える。据えた視線。激情と冷静さを孕んだ瞳は、炎の中で揺らぐ精霊の姿を見ている。
揺らぐ。炎の中というよりも、陽炎の向こう側に佇むように。
効果がないわけではない。爆風によって四肢は千切れ、風に吹かれた塵のように形を失った。
だが致命傷にはならない。すでに元通りになっている。
精霊は魔精に近い存在だ。
そして魔精は物質というよりも、現象に近い。そこには生も死もない。
そこに存在するかどうか。
だが魔精が現象に近く、精霊が魔精に近いのなら、つまり精霊は現象ではない。ただ似ているだけで。そして精霊は魔物であり、ならば少なくとも無力化することができるはずだった。
形のなかった精霊が、探索者に触れて最終目標としての形を得た。
そして形を得ることで探索者への対抗力を手に入れた代わりに、失ったものは無限の可能性だ。
例えば腕を得ることで殴ったり、掴んだりすることができるようになった。
だが肘は一定の方向への屈曲、伸展しか許さず、指はせいぜい開くか閉じるか、広げるか揃えるかの組み合わせに過ぎない。
動きは形に囚われている。
ふとランタンの脳裏に変異者たちの姿が思い浮かんだ。
戦うための形を得たものたちの、その異形が。
抱きしめようとして切り裂いたあの刃の腕を持つものたちを。
彼らは、もはやそれしか許されないのか。
いや、そんなことはないはずだ。
彼らの身体は心の表れだが、一側面でしかない。すべてではない。
炎の中をランタンは走った。
彼我の距離は三歩半。大きく二歩踏み込んで、腰を旋転させる。肩を起点に腕が始動し、遠心力に肘が軋むほど伸びる。戦鎚を鞭のようにしならせて精霊の頬へと叩き込む
精霊の掌が戦鎚を受けた。掌は、ぱん、と高い音を響かせる。開かれた指が仕掛け罠のように閉じ戦鎚を握り締めた。
彫りの深い顔、山賊のような髭。その奥に余裕を持った男臭い笑みをランタンは幻視する。
戦鎚を引くが、精霊は物凄い力で抵抗する。ランタンこそがむしろ引き寄せられる。引き寄せたランタンに精霊は突如、頭突きを叩き込んだ。
石で殴られたような痛みが走った。目の前が真っ白になる。それでも戦鎚を放さない。歯を食いしばる。気合いを込める。その先端が炸裂し精霊の指を吹き飛ばす。
いや、違う。
肉体が炎に変じ、爆発と一体となってそれを受け流した。
戦鎚はまだ握り締められている。
形の持つ性質と、持たざるものの自由さの混在。
変幻自在。
「く、そ」
ランタンの口から悪態が漏れる。劣等感に似ている。
炎の中で精霊が動き出す。距離は一歩。それはランタンの距離だ。その狭苦しい間合いの中で精霊は巨躯を綺麗に折り畳み、問答無用の暴力をランタンにぶつける。
強い。
憧れるほどに。
躱し、受け、時に打ち返す。
割れた額から血が流れ、受け損ねた戦鎚がランタンの肉体を圧する。精霊は手の中で戦鎚を回し、鶴嘴を向けてランタンの頭へ叩き付けた。
「させるかっ!」
その寸前に雷が精霊を貫通する。
「ランタンっ!」
リリオンが炎の中に踏み込んで、ランタンの後ろ襟を引っ掴んで後ろに引っ張った。まるで炎の中からこそ助け出すように。
まだ燃えさかる炎が、見えざるものに押し潰される。
「いかせませんっ」
天井からルーが降る。ランタンと精霊の間に降り立って、相手の奥足を踏み潰すぐらいに踏み込み、地を這うが如く沈墜する。手形は虎爪。力が波のように腕を伝播し、放たれた撞掌が精霊の鳩尾を打ち抜き、肉を毟る。
後退した精霊にガーランドが水弾を撃ち込んだ。
「ルー、ガーランド時間を稼げ!」
レティシアが指示を飛ばした。ちらりとランタンに視線を向ける。
リリオンがランタンの額を押さえる。流れる血が指の隙間から溢れる。慣れた手つきで包帯を巻いていくが、包帯はすぐに真っ赤に染まった。
「痛い?」
「痛いけど平気」
「ランタン、退くか?」
「いや」
ランタンは即座に否定しながらも、精霊の全容を掴みかねている。無力化できないはずはない。だが方法がわからない。
「でも、どうしたら」
「ランタン、あれは、――精霊はランタンの影響を強く受けていると私は思う」
「かもしれない」
いや、きっとそうだ。
最終目標は迷宮の守護者であり、強力な魔物であり、探索者の敵である。
ランタンの中にある強いものの姿が、あの姿なのかもしれない。
いや、いや、ちがう。
だが口に出すのは。
リリオンがランタンの頬を掴み、ぐいと捻って視線を合わせた。
「――ランタン。わたし、そのままのランタン好きよ。でも、わたし知ってるわ。ランタンは自分の姿があんまり好きじゃないの」
猛烈な恥ずかしさ。それを知られていることを、知らなかったわけではない。だがこんな状況で、それを口にさせてしまったことが恥ずかしい。
大きな身体も、大人に見える姿も、男らしさの象徴も。
それはランタンに欠けている要素だった。
「大丈夫よ、ランタン。ほら見て」
ガーランドが精霊と斬り結んでいた。
ガーランドは精霊より一回りも小さいが、より俊敏だった。
戦鎚の振り回しをからかうように躱しに躱し、ざくざくと斬り込んでいく。巧みに扱う二刀はまさに変幻自在といっていい。まるで精霊のお株を奪うような剣筋だ。
精霊が戦鎚を打ち下ろす。ガーランドが躱し、だがその場で精霊が踏み切った。側宙するように身体を回した打ち下ろし連撃。たまらずガーランドが二刀を交差させてそれを防ぐが、足の止まったところに精霊が蹴り込んだ。
ガーランドが吹き飛ばされ、追撃を防ぐようにルーが立ちはだかる。
ルーは避けるより受け流し、いなすような戦い方だ。巧みに力の流れを操作して、精霊は自ら振り回した戦鎚に引っ張られるように体勢を崩す。
そこに的確に拳や膝を打ち込んでいく。その打撃は、そこに骨も靱帯もなくともやはり関節を狙っている。
かと思った瞬間にルーの徒手が蛇のように精霊の喉元に打ち込まれた。
精霊の髭を掴んだ。円を描くように腕を回し、精霊の首を右回りにねじ折った。それに留まらず、その勢いのまま首投げする。倒れたところを踏み付ける。
「完璧な強者はどこにもいない」
「知ってる」
「それはよかった。あれもきっと完璧ではない」
雷を放つ。踏み込んだ精霊の右足を消し飛ばし、そちらに回り込むことでルーが攻撃を回避する。
「痛みも苦しみも感じないようでは、いまいち魅力に欠けるな」
「だが、あれは死なない」
「今のところは、ね。でも迷宮にはそれがあるものよ」
妙に達観した口ぶりでリリオンが言った。母の死がリリオンにそれを理解させている。
ランタンは頷く。
迷宮には生も死もある。
それを理解していながらミシャには絶対だの、大丈夫だのと嘯いている。自分にも言い聞かせている。
「でも、僕の考える強い探索者は死なないんだよな」
「だが死ぬ。すべての生き物は逃れられん。そこが迷宮か、それとも愛するものの腕の中かはわからないがな」
ランタンはつい笑った。
「みんながあれを抱きしめたら死ぬかな」
「ためしてみる?」
「いや、そんなことされたら嫉妬で僕が死ぬだけだ」
「そうね。あれはランタンじゃないし、わたしもいやよ」
ガーランドが精霊の膝を切り、崩れたところでルーが上段蹴りを叩き込む。精霊の額が割れ、そこに炎が流れる。まるで血の代わりのように。
「血を流した……!」
はっとしてランタンは口を押さえた。
冗談半分に口にした死というものが突如、生々しく感じられた。
ランタンは最下層の入り口を振り返る。
「いつか、別れの時は来る」
「ランタン?」
「でも、それは今日じゃない。リリオン、付き合ってくれ。もちろんレティも」
「いちいち言わないでよろしい」
レティシアは肩を竦めて笑う。
精霊は強さの象徴ではない。
ランタン自身の理想の具現化に等しい。
強く、立派な姿をして、痛みも死も知らない。完璧な探索者。
リリオンは両手を擦り合わせた。ランタンの血に濡れて赤い掌が、べたりとした粘性を帯びて揺籃の大剣を掴む。レティシアも剣を抜いた。紫電が纏う。
三人は駆けだした。
初手はレティシアの雷だった。精霊は戦鎚で受ける。感電し、しかし精霊に伸縮する筋肉はない。だが一瞬の隙が生まれる。
ルーとガーランドが散開し道を開ける。
リリオンが大剣を振り下ろす。受けの戦鎚を両断し、鎖骨を断ち割って鳩尾まで一気に切り裂く。
断たれた戦鎚を短槍のように使って精霊が反撃する。リリオンは大剣ごと身を退いて、精霊は戦鎚を投げ付ける。
それを打ち落としたのはランタンだった。
強烈な気配。精霊の眼が炎を生む。
速度を緩めずに精霊に殴りかかる。それを受け止められる。視線が交わる。力の押し引きの最中に、ランタンは額の包帯をずるりと外した。傷が生々しく血に湿っている。
「お前は、僕じゃない。だが僕の一部でもある。見ろ、探索者なんてこんなものだ」
精霊の額がひび割れる。火先に似たちらつきがこぼれたかと思えば、それは血となって鼻筋を流れた。
「人はいつか死ぬ。だからこそ懸命に戦い、懸命に生きるんだ」
包帯を投げ捨てる。
「命を懸けな。力比べだ」
ランタンは戦鎚を押し込み、また精霊もそれに対抗した。
さっきは負けた、二度目の力比べ。
奥歯が軋む。力を込めるほどに傷口から血が溢れる。力は拮抗している。目の前が真っ赤になる。息を止める。心音が早まる。心臓が爆発しそうだ。だが命を懸けたからには、負けるわけにはいかない。
ランタンの瞳が赤く染まる。炎の色は、ランタンの血の色だ。
ぐらり、と先に崩れたのは精霊だった。
「はあ――」
ランタンは丸く口を開けて息を吸い、壮絶な笑みを浮かべたかと思うと精霊の横っ面を打ち抜いた。
何かが飛んだ。それは精霊の歯かもしれず、唾かもしれず、命の欠片かもしれない。
命の中には、すでに死も含まれている。
精霊はそれに気が付いてしまった。
その人の形をした肉体の内に、その時確かに命が発生した。
ランタンの手から戦鎚がこぼれ落ちた。全力の力比べで、筋肉がすっかり疲労してしまっていた。握力がこれっぽっちも残っていない。
それでもランタンは焦らなかった。
「しあぁああぁあああぁっ」
精霊が意味不明な叫び声を上げる。もっと人を、探索者を、ランタンを知りたいと思ったのかもしれない。
あるいは死というものに気づかせたことを恨んでいるのかもしれない。
「悪いな。僕には仲間がいるんだ」
喉笛にレティシアが剣を突き刺した。
ひゅうるる、と空気が抜けて、鮮血がぶくぶくと泡になって溢れる。剣に纏った紫電が、精霊を痙攣させた。
引き抜くと同時にリリオンが首を刎ねる。
精霊はついに膝を突き、うつぶせに倒れた。
精霊の傷が治ることはもうない。
「はぁ――……」
ランタンはのろくさと戦鎚を拾い、杖のようにして項垂れた。
大きく溜め息を吐く。
自らの死を強く自覚しながらの戦闘は心が削れる。転がった首級が自分のもののようにも思える。
生き延びたという強い感覚は、ひどく懐かしいもののように感じる。まるで初心に返ったような。
「ミシャさん呼ぶ?」
「……ちょっと待って。格好つけるのに時間がいる」
しょうがないわね、とリリオンがランタンの背中を撫でる。
だが呼ぶまでもなくミシャはローサと一つになって最下層に転がり込んでくる。喜びではなく、まだ心配一色に染まった顔だった。
「――勝ったよ」
血塗れの顔で、ランタンはせめて笑ってみせる。




