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カボチャ頭のランタン  作者: mm
02.Some Day My Prince Will Come
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 解毒薬をバラクロフの目の前でこれ見よがしに揺らしてみたり、床に叩きつける振りをしてみたり、注射をするか迷う素振りをして見たりと子供っぽい嫌がらせをしたのは、きっと頭が朦朧としていたからだと思う。ふと正気に戻ったのは、これ以上の時間経過を咎める、物言わぬ肉体の諌言だったのだろう。

 ランタンは取り敢えず先にバラクロフへ投薬して様子を確かめ、それから自身の手首の血管に注射を打った。そして一息吐いて、おもむろにバラクロフを殴って気絶させた。気絶させるにしては酷く乱暴だったのは毒の所為で力の制御が上手くいかなかったからであり、バラクロフの前歯が残らず砕け折れてしまったのは偶然の産物である。苛立ちを闇雲にぶつけたせいでは、決してはない。

「ふぅ」

 解毒薬が速やかに身体の中の毒素を無毒化した、などと言う事はないだろうがランタンは意識が冴えたような気がした。ひとまずの脅威が去ったので安心したのかもしれない。あるいは何か己のあずかり知らぬ所で苛立ちが発散されたのかもしれない。ランタンにはまったく身に覚えがなかったが。

 ランタンは腰に戦槌を戻して、汗に濡れた顔や首を、血に汚れた額や掌を外套で乱暴に拭った。右肩の怪我は腫れているような感じがあり、それでいてじくじくと血が染み出していたが、どうする事もできないので放っておいた。

 ランタンは視線を左右に動かす。

 さらなる黒幕が隠れているなどと言う端面倒くさい事はなさそうだ。

 隣の部屋からは相も変わらず戦闘音が聞こえていたが、たまにテスの笑い声も交ざっているようなので加勢をする必要はなさそうだった。それに今のランタンが突入しても足手まといにしかならないだろうという程度の判断能力は戻ってきていた。

 もう一度ゆっくりと部屋の中を見回す。

 微かな生命の気配は、バラクロフの物でもベルムドの物でもない。腹部を丸ごと失った蜥蜴が僅かに呻いたのだ。ランタンは仰向けに倒れる蜥蜴へと近づいた。蜥蜴は白く濁った目をして、虚空を見つめている。半開きの口からは今なお凶悪な牙と、青い舌が覗いていた。呼吸をしているようには見えなかった。

 それはただ肺に溜まった空気が抜け出した音だったのかもしれないし、死後硬直により何かしらに筋肉が強張る音だったのかもしれない。あるいは本当に蜥蜴は魔物と成り果てて、今もまだ死んでいないのかもしれない。

 ランタンは大きく溜め息を吐いた。床に転がった剣を手にとって、皮鎧の失われた蜥蜴の胸にその鋒を当てる。なだらかに隆起した胸が、蜥蜴の性別を告げていた。何とも言えない気持ちになる。

「……さようなら、おやすみなさい」

 ランタンは胸を避けるように剣に角度を付けて、横隔膜の辺りから肋骨の隙間を通し蜥蜴の心臓を一突きにした。それでついに蜥蜴は死んだ。魔物のように身体の一部が魔精結晶化するという事はなかった。

 剣をそっと引き抜く。ランタンの手の中には剣の侵入を拒む肉体の抵抗があった。それは魔精薬のみで作られた肉体ではなく鍛錬の結晶であるとそう思った。ランタンは鋒を紫に汚した剣を放り投げて、蜥蜴から視線を逸らした。

 ランタンはバラクロフを一瞥して、ふん、と鼻を鳴らして倉庫を出た。

 身体はやはり重たい。太陽も重たげで空からもう傾いていた。夕焼けが眩しく、汗ばんだ身体に風が少し肌寒いような気がした。ランタンはまぶしさに目を細め、そのままぎゅっと瞼を閉じて、ゆっくりと再び持ち上げた。

 視界は良好である。

 倉庫の外には足跡があった。それを足跡と呼んでいいのかは判らないが、リリオンと女が押し合い圧し合いしての物であろう、地面に刻まれた大蛇がのたくったような跡を辿った。足跡は途中で途切れて、戦闘痕に変わっている。まるで大型の魔物同士が暴れたような有様だった。地面の舗装が放射状に陥没し、また剥がれて捲れ上がり、あるいは倉庫の壁に罅が入り、大きく崩れていた。

 隣の倉庫の角を曲がるとリリオンの方盾が落ちており、更に先には大剣が落ちている。女の手によって払い落とされたのか、それともリリオンが自ら投げ捨てたのか。その更に先には緑髪の女とリリオンが互いに無手で対峙していた。

 女がランタンの姿に気が付いた。それは一瞬の隙だった。

 リリオンがラリアットするように女に飛びかかり、その首に左腕をフックした。薙ぎ倒さんとする勢いを、女は首だけで支えて持ちこたえた。だがリリオンはその勢いのまま女の細首を支点にして女の背後を取った。次の瞬間にリリオンは跳び、両足を女の腰に絡みつけて組み付く。そして女の身体を一気に後ろへと引き倒した。

 リリオンはもろに背中から地面に落ちたが、腕も脚も外す事はなかった。

 裸締め(バックチョーク)だ。女が瞬時に顎を引いたせいで、首のフックがやや緩い。だが。

 技は力の中にある。リリオンを見ていると本当にそう思う。ランタンはかっと胸が熱くなるような気がした。

 リリオンは背を三日月の如く弓形に反らして、背筋を使って女の首を絞めた。緩かった首のフックをきつく締め直されて、リリオンの腕が女の顎を押しのけて首にめり込んだ。首どころか、そのまま上半身を引っこ抜きそうなほど綺麗に極まっている。

 女の手がリリオンの腕を引き剥がそうと爪を立てて引っ掻いていたが、防刃素材の戦闘服をただの爪が切り裂けるわけもなく、虚しく服の上を滑っただけだった。そして今度はリリオンの腕を掴んだが、あるいは全力ならばその腕を握り砕く事もできたのかもしれないが、女のそれはただ縋り付く程度の力しか残されていなかった。

 完全に極まった。

 リリオンの腕は女の気道と頸動脈を同時に締めて、脳と肺への酸素供給が断たれた女はほんの三秒もかからずにあっけなく失神した。掴んでいた指がはらりと剥がれ落ちて、腕が重力に引かれてだらりと垂れ下がった。

 だが、それでもリリオンは女を締め続けた。リリオンは必死で、まだ戦っているままなのだ。

「リ――」

 口を開いたが、舌が縺れるのが判った。しかしランタンは喉をがならせて、無理矢理に声を出した。声が少し掠れたが、そのままはっきりとその名前を叫んだ。

「リリオンっ!」

 走ると絶対に転ぶ。ランタンは大股の早歩きでリリオンに近づいた。リリオンはランタンの姿を確認して、それから女へと視線を往復させた。リリオンはまだ締め続けている。

「大丈夫、もう()()()()よ」

 リリオンは目をぱちぱちさせてランタンの顔を窺った。奥歯を食いしばっていて、薄く開いた唇から歯の隙間を通って鳴る荒く掠れた呼吸が聞こえた。リリオンの鼻からはだらだらと鼻血が出ている。

「もう意識がないから腕を――、リリオンの勝ちだよ」

 ランタンが言い直すと、それでようやくリリオンは身体を弛緩させて女の首から腕をのっそりと引き抜いた。ランタンが緑髪の首根っこを掴んでリリオンの上から退かしてやると、リリオンは左手を地面に突いてゆっくりと立ち上がった。

 胸を膨らませて呼吸を落ち着かせ、ゆっくりと萎ませる。その呼吸には泥のように重たげな疲労の音色が滲んでいた。だが、それはすぐに掻き消された。

「やったよ! ランタンっ!」

 リリオンは花が咲いたようにぱっと表情を輝かせた。

 リリオンの顔、その頬は赤く腫れていて唇が切れており、また血を流し続ける鼻は少し歪んでいるようにも見えた。おそらく折れているのだろう。まだ幼さのある顔への怪我は痛々しかったが、それ故に笑顔は鮮烈だった。

 リリオンには負けず嫌いの気が存分に備わっている。初襲撃時に貫衣によって締め落とされた事を、少女は酷く落ち込み、そして根に持っていたのだ。

「ちゃんとランタンに教えてもらったようにできたよっ!」

 それでランタンが、慰めと遊びが半分半分であったが、多少の寝技や関節技を仕込んだのである。もっともそれはランタンの自己流の技術であり、いわゆる探索者の数だけ流派が存在すると言われる迷宮の中で産み落とされ成長する探索者流格闘術であったが。

「うん、がんばったね」

 ランタンは手を伸ばして赤く腫れた頬を撫でた。リリオンはランタンの手の冷たさに驚いて目を開いた。ランタンは心配させないように微笑んで、端布を取り出すとリリオンの鼻血を拭ってやった。リリオンが、ふん、と鼻を鳴らすと血の塊が飛び出した。

 一瞬、折れた鼻の欠片でも出てきたのかと思ったランタンは吃驚してしまった。その驚いたランタンに、リリオンも驚いて目を丸くした。二人は目を見合わせて一瞬黙ると、どちらともなく肩を揺らして笑った。

「他に怪我してるところはない?」

「これ――」

 ランタンが尋ねるとリリオンは右の腕を持ち上げた。

 手首と肘の間に、もう一つ関節が増えている。

「――折られちゃった」

 でろんと垂れ下がる腕を見せてリリオンはあっけらかんと言い放った。痛くないの、とランタンが聞くと、痛いわ、とまったく痛そうな素振りもみせずに返してきた。

「我慢してるの」

「そっか。……ね、我慢ついでに、もうちょっとだけ、少しだけだから痛くしてもいい?」

「うん」

 言葉足らずなランタンに、リリオンはあっさりと頷いた。ランタンはそっと袖を捲ってリリオンの白い腕を露わにした。おそらく蹴られたのだろう、骨折箇所にはどす黒い打撃の痕跡が見られた。ランタンは殆ど触れぬ程度に、優しく患部を撫でた。

「ちょっと待ってて」

 ランタンは倉庫の壁に空いた穴を覗き込み、その穴に手を突っ込んだ。その先には木箱があった。指先に触れた木箱の枠を力任せに毟り取って、狩猟刀(ナイフ)でその形を整える。乾燥した材木がまるでチーズのように抵抗なく削ぎ取られ、できあがったものは添え木である。ランタンはついでに女の纏っていた外套をも切り裂いた。

「よし、腕貸して」

 ランタンはリリオンの手首と肘の少し手前を掴んだ。手首を掴んだ掌にリリオンの脈拍と戦闘の残滓とも呼ぶべき熱が伝わってくる。

「ランタンの手、冷たいわ。怪我もしてる」

「うん、穴空けられちゃった」

「……大丈夫っ――()っ、なの?」

「ま、ふふふ、リリオンよりはね」

 宣言もなくいきなり骨接ぎをした事で、リリオンの表情が一瞬だけ硬く強張った。眦に涙が浮かんだが、それは睫毛に引き寄せられて流れ落ちる事はなかった。

 ランタンは、よく我慢したね、と(うそぶ)きながら真っ直ぐに繋げたリリオンの腕に添え木を当てて、女の外套から畳んで作った三角巾で腕を吊ってやった。首の後ろで三角巾を結ぶ時、背に垂れた髪を払う。それで今更ながら気が付いた。

 せっかく作ったシニヨンが崩れ、解けてしまっている。砂に汚れてぼさぼさになって、ぐるぐるに纏めていたので髪に癖がついてしまった。髪の中頃に髪紐が芋虫のようにくっついている。ランタンはそれをそっと外して、髪の汚れを払ってやると、項で簡単な一つ結びにしてやった。

「じゃあテスさんところに行こうか」

 ランタンが女を運ぼうと手を伸ばした。

 よくよく見ると女もリリオンに負けず劣らず酷い有様である。こめかみの辺りにどす黒い内出血を伴う腫れがあり、額が割れていて赤い血が一筋流れている。眉間を通り、右の目を汚し、鼻に沿って流れ落ち、唇の所で乱暴に拭われている。リリオンの左腕に目をやると、そこに血を拭ったらしき血汚れがあった。首を絞める際に触れたのだろう。

 血に汚れた腕が持ち上がり、ランタンの肩を掴んだ。

「わたしが運ぶわ」

「腕折れてるのに?」

「わたしが、運ぶから」

 リリオンは有無を言わせぬ雰囲気でそう言うと、戸惑うランタンを半ば強引に退かして、女をひょいと肩に担ぎ上げた。突き出すような形となった女の尻がリリオンの肩の上で妙な存在感を放っている。尻ばかりではなく太股にも確りと肉がついていて重たそうだが、リリオンは平然としたものだ。

 ランタンは肩を竦めて歩き出し、リリオンの代わりに方盾と大剣を拾い上げるとそれを一纏めにして背負った。その重みにランタンの身体が少しだけ揺らいだが、歩けない程ではない。

「テスさんは大丈夫かな?」

「まあ大丈夫でしょ、たぶん。負けてても二勝一敗だし。あれ五勝一敗、か?」

「……ランタン大丈夫?」

 テスへではなく、変な事を呟いたランタンに向けた心配に、ランタンは何も問題はないという風に素知らぬ顔で頷いた。頭に上っていた血が肩から抜け出た事で、思考が妙にふわふわしている。

 ランタンは半開きになっている倉庫の扉を乱暴に蹴っ飛ばして開け広げて中に入ると、ちょうど奥の部屋からテスが出てくるところだった。

「おや、私が最後か――」

 少しだけ悔しそうな雰囲気を滲ませて言ったテスは、しかし清々しい笑顔を作って右手で捕まえて引きずっていた物体を放るように転がした。それはフィデル・カルレロの巨躯である。見るも無惨な有様だった。

 カルレロからは、角が二つとも、右の眼球が、左腕の肘から先が失われていた。そして両足の健が断ち斬られているようだった。鋼のような肉体は他にも大小無数の切り傷が刻まれていて、失った血の分だけ身体が小さくなっているような気がした。

 カルレロもまた紫色の血で全身を汚している。

 辛うじて上下する胸がカルレロが生きている事を伝えているが、それだけだった。痛みに呻くでもなく、憎悪に唸るでもなく、怒りに震えるでもなく死体のように意識を失っている。

「――二人ともやるなぁ」

 テスの身体からは戦いの残滓か、迸る闘気のように熱気が漂っていた。掻き上げた髪が汗で濡れていて、テスの漆黒の毛皮をいっそう色濃く艶やかにみせていた。テスの鎧は少しだけ血で汚れていたが、それは全てカルレロからの返り血でテス自身には一筋の怪我もないようだった。

 これでどうやらジャックに怒られるというような事はないようで、ランタンは小さく胸を撫で下ろした。そんなランタンにテスが笑いかけた。

「くふふ、カルレロ程度では私に触れる事すらできんよ。ま、ジャックもあれで約束事にはうるさいしな」

 テスはそう言うと二人の怪我の様子を尋ねて、よくやったな、と優しく頭を撫でた。ランタンにはそれに加えて頬を撫で、そこから滑り落ちるように首筋にまで触った。そこにある体温と汗に触れて、テスはにやっと笑った。ランタンはぞくりと震える。

「冷たいな」

 言いながらテスはリリオンの肩から女を受け取って、それと引き替えるようにリリオンに囁いた。

「暖めてあげるといい。男を暖めるのは女の特権だからな」

「なにを――わ!」

 ランタンが呆れた様子でテスを見たら、リリオンがランタンの身体を抱き寄せた。左腕だけで器用に、ランタンの後頭部を自らの胸に押しつけるようにぎゅっと抱きすくめた。まるで緑髪の女を締め落とした事で、何かしらの技術を会得したのかしれない。ランタンは微動だにする事ができなかった。

 そんなランタンを余所にテスは女を地面に下ろしながら、肩を震わせて声もなく笑っている。テスは大きく深呼吸をして息を整えると面を上げた。睨み付けるランタンの視線を真っ正面から受けて、それでもテスの瞳の奥には悪戯な笑みが残っている。

「さて、と」

 テスはリリオンにウィンクしてみせると、ふいに表情を改めて女の髪を鷲掴みにした。そのままぐいと顔を上げさせて人相を検めている。

「知らん顔だな」

 小さく呟くとテスは髪から顎へと掴む位置を変え、瞼を開いて瞳孔運動を確かめ、首の据わらない女の顔を様々な角度から眺め回した。

「……いや、探索者か?」

「手首にギルド証が」

 ランタンがテスに伝えると、テスは女の顔から手首へと視線を移した。ぱっと顎を放すと女の顔ががくりと垂れる。袖をまくり上げると隠されていたギルド証が露わになった。それを抜き取って、ふむ、と一つ息を漏らしてその表面に指を這わせる。

「なるほどな。これは貫衣(ローブ)か」

「ええ、おそらく」

 呟いたテスにランタンが同意する。後頭部でリリオンの心臓がぽんと跳ねた。もしかしたらリリオンは自らが戦っている相手がなんであるかは気が付いていなかったのかもしれない。

 テスがギルド証を一頻(ひとしき)りこねくり回し、それをポーチへとしまった。

 テスは女を俯せにして手錠を掛けた。カルレロ、バラクロフ、ベルムドも一緒に拘束する。奇しくもその三人は左右の違いもあれど片手を失っていて手首に手錠を掛ける事ができないので、肘の上の辺りできつく手錠を締めて対処をした。

 拘束する事こそが、まるで生者の証であるかのようだった。

「これって、どうすればいいんですか?」

 散乱する死体。捕縛した四人。他にも辺りには様々なものが転がっている。

 今更ながらランタンはテスに尋ねた。

 ランタンは探索者であって賞金稼ぎではない。その為、何も知らなかった。

 例えば賞金首であるカルレロは衛士に突き出すのか、それとも探索者ギルドへと突き出すのかと言う初歩的な手続きに始まり、また大量にある死体や戦利品の数々、あるいは違法薬物などの証拠品をどうするべきなのかと言った事さえも。

 ただ捨て置くには様々な意味でもったいないとは思う。迷宮で魔精結晶以外を諦める時の後ろ髪を引かれる感じに似ている。

「必要なのは大抵は首だけだよ。人相が判る事が好ましいがね。ほら、カルレロなんて見てみろ。あんなでかい奴を運ぶなんてしたくはないだろう」

 指を差してテスは笑い、そして続ける。

 手配内容にもよるが大抵の賞金首は生死を問わずに懸賞金が与えられる。大抵の賞金首は衛士隊が、つまりは国によって手配が掛けられているが、探索者ギルドが独自に手配しているだけの賞金首もいる。共同で手配をしている場合だってある。それによって突き出す先は変わるのだ。

 例えばカルレロは衛士隊からも、探索者ギルドからも手配を掛けられている。

 衛士隊からは違法薬物の売買によって、探索者ギルドからは探索者の殺害と衛士隊と同じく違法薬物の売買によってだ。もっとも衛士隊は法律破りを手配の理由にして、探索者ギルドはギルドの名を汚した事を理由にしていたが。

「ギルド証にそいつの死亡情報が刻まれている場合はギルド証だけでもいいな。私は手っ取り早いからその方が好きなんだが――」

「じゃあ首切っちゃうんですか?」

 リリオンがテスに尋ねると、テスはゆっくりと首を振った。

 賞金首を生きて捕らえた場合には、懸賞金の他に特別手当が支払われる事もある。例えば捕まえた賞金首が何かしらの重要な、例えば未解決事件や他の重大犯罪の手がかり、あるいは計画などを証言を自白した場合には特に多額の特別手当が。

「なかなかいい案だが、折角生け捕りにしたんだ。奴らには聞かなければならない事が多くある」

 紫の血を引き起こすほどの魔精薬。それは真っ当な流通網から得たものではないだろう。テスの職務上、あるいは趣味の為にも、殺す事は得策ではない。テスはそっとランタンに視線を寄越した。

「――ランタンもそうだろう?」

「はい」

 ランタンはただ深く頷いた。

 リリオンに影を落とす様々な事を、バラクロフには全て吐き出して貰わなければならない。それまで死んでもらっては困るのだ。そうでなければランタンが力を出し惜しみしてこれほど傷ついてまで、バラクロフを生かして捕らえはしない。

「失敗したなぁ。こんなことならジャックを残しておくんだった」

 一人前の探索者を運び屋(ポーター)扱いするのはさすがに可哀想だろう、と半ば本気で呟いたテスの言葉にランタンはジャックに同情した。

「この量だと私らだけではどうにもならんからな、応援でも呼ぶか」

 怪我人もいるし、とテスは言った。カルレロたちの事を言っているのか、それともランタンたちのことを言っているのか。

「応援?」

「ああ、ひとっ走りして――」

 テスが言いかけて、扉の方へと顔を向けた。

「さすが、いいタイミングだ」

 三角形の耳がぴくぴくと動いて、喉の奥でくつくつと笑った。

「呼びに行く必要はなくなったようだ。ランタン、リリオン、適当に口裏を合わせろ」

 よく判らないままに二人とも頷いてテスの視線の先を追いかけた。たっぷり五秒後にランタンもようやく人の、それも大勢の人の気配を感じ取った。

 そこから更に五秒。足音が聞こえる。破落戸共のおかわりが来たわけではないようだ。倉庫の外に響く足音は整然として規律を奏でており、倉庫のすぐ傍まで来ると一斉に停止した。

 開け放たれた扉の中には逆光が満たされており、そこに人影が浮かび上がった。

 テスが一歩前に出て、一纏めになっているランタンたちの姿を隠した。

「テスっ! テス・マーカム隊長!」

 怒鳴り声が静寂を切り裂いた。

 黒い鎧に身を包むその男は探索者ギルドの武装職員である。鎧をがしゃがしゃ鳴らしながら倉庫の中に立ち入り、倉庫内の惨状を一目見てこめかみを大きく痙攣させた。それは苛立ちだろう。ランタンでさえその苛立ちが判ったのだから、テスに判らないはずがない。だがテスは平然として男に近づいた。

「おや、ケイヒル隊長ではないですか。これは奇遇ですね。六番隊の持ち回りは下街の警邏(パトロール)ですか。おつとめご苦労様です」

 ケイヒル隊長と呼ばれた男はランタンの目からは四〇歳前後に見えた。額が広く、いかにも苦労してそうな薄い頭髪に、消える事のない眉間の皺に男の哀愁と渋みを感じさせた。

 隊長と呼ばれた事からテスと同格の同僚である事が解ったが、テスはケイヒルよりも一回り以上若く見える。だがテスからはケイヒルへの親しみが感じられた。もっともケイヒルは今にもこめかみの血管が破裂しそうなほど苛立っていたが。

 ケイヒルの鼻梁の細い鼻が大きく膨らんで、荒々しく鼻息を吹き出した。もしかしたらそれは深呼吸の代わりだったのかもしれない。ケイヒルは口を開いた。そこから漏れたのは罵声でも怒声でもなく、疲労を感じさせる低く落ち着いた声だった。

「……状況を説明してもらいたいのだが?」

 この場に最も適した疑問だった。

 倉庫内の様相はそれはもう酷いもので、邪教が邪神でも呼び出そうと生け贄を捧げまくったようにも見えるし、あるいは犯罪組織が血で血を洗う抗争を終えた後のようにも見えるし、頭のおかしい探索者が頭のおかしい武装職員と結託して悪党を血祭りに上げたようにも見える。

 ここで碌でもない酷い事が起こった事は一目瞭然だったが、そこからは酷い事が起こった、と言う事実しか読み取る事ができない。

「ふむ、どこから話していいのか、なかなか難しいのですが」

 正解であるケイヒルの質問を、テスがそっと脇に逸らした。

「まずケイヒル隊長がこちらへ来られた理由を教えていただきたい。六番隊の真面目さは知っていますが、こんな所まで警邏に来る事はないでしょう? きっとその方が状況を摺り合わせやすいはずです」

 ケイヒルは口の中で悪態を噛み潰し、眉間の皺を深くして渋々口を開いた。言い負かされたのではなく、おそらくテスの性格を知っていて様々な事を諦めているのだろう。

「下街の外れを警邏していた衛士隊から応援の要請があったのだ。大量の武装した死体を見つけた、と。その痕跡から大規模戦闘が行われた事は確実であり、その戦闘に探索者が関わっている可能性がある為に我々が派遣された。何か身に覚えは?」

 テスは答えずにケイヒルに続きを促した。ケイヒルの唇が大きく震える。

「その後、その付近にある建物の内部で更に三名を発見。一人は拷問をされた形跡があった。命に別状はないが、三人とも未だに昏睡状態だ。お前が、やったんじゃ、ないのか?」

「ふうむ、続きをよろしくお願いします。どうにも記憶が混濁していて、うーむ、これは歳ですかね。困ったものです。ケイヒル隊長、どうすれば頭が冴えるでしょうか?」

 テスはケイヒルの頭に視線を合わせて空惚(そらとぼ)けた。ケイヒルは鋼の如き忍耐力を持ち合わせていたが、こめかみに浮き出した血管はもうはち切れんばかりに脈動し、眉間の皺は脳に届くのではないかと思わせるほどに深く刻まれた。まるでテスの剣で斬られたようだ。

「その後っ! 付近に居合わせた乙種探索者二名の証言によりっ、どうせお前がなんか面倒事を起こしてっ、ここに来た事は判ってんだよっ!」

 ケイヒルは一言一言を強く区切りながらも、けれど深く言い聞かせるような響きで怒鳴った。ぜいぜいと肩で息をして、その顔は夕日の所為ではなく赤く染まっている。

「まったく。何をそんなに苛ついているのですか? ハゲますよ」

「……俺の髪の事は言うな。殺すぞ」

 低い声で言ったケイヒルに、テスは余裕の表情で肩を竦めた。

「それでは、頭からいきましょうか」

 この日テスは仕事が休みで、ものすごく天気が良かったので下街に散歩に出かけた。そうしたら偶然にも破落戸に襲われている少年少女を発見して、これを助ける為に手を貸した。おそらくこの破落戸が衛士隊の発見した死体である。だがそれは多勢に無勢だった為に少年少女を救うにはやむを得ない結末だった。ごく普通の倫理観と正義心を持つ全ての人間がごく当たり前のように行う行為である。

「きっとケイヒル隊長も、同じ場面出くわせば、私と同じ行動をとると思います。いえケイヒル隊長ならば、もっと上手くやれるでしょうが」

「ああ、……そうだろうよ。大抵の人間はお前よりも上手くやれるだろうよ」

「それに襲われていたのは探索者でした。探索者はギルドの宝ですので、これを守るのもまたギルド職員として当然の行動です」

「探索者?」

 ケイヒルが怪訝そうに眉を顰めた。それは恐るべきテスの技術の(たまもの)だ。自らの気配の中にランタンとリリオンを覆い隠したのだ。挑発的な話術も、もしかしたらそれを確実にする為の手管だったのかもしれない。

「ええ、ここに居ますでしょう?」

 そう言ってテスは一歩横にずれた。テスの背中に息を殺して隠れていたリリオンと、その少女の腕の中に守られるように抱かれているランタンにケイヒルはようやく気が付いて目を丸くした。

「おいっ!」

「なんでしょう?」

「あれは――ランタンじゃないか!? アレが襲われていた!? 逆じゃなくてか? なんで襲ったんだ? やつらは自殺志願者かなんかだったのか?」

 詰め寄るケイヒルに、さすがのテスも苦笑いをしている。ランタンの姿を確認してケイヒルはテスに感じていた様々な感情を吹き飛ばしてしまったようだ。

 酷い言われようだ。まるで人を厄災みたいに、とランタンは内心むくれながらも口元に友好的な、それでいて意図的に恐怖を滲ませた微笑みを作り上げた。

「はじめまして、ケイヒル隊長様。テスさんには危ないところ助けていただいて、もしテスさんが居なかったらと思うと――」

 声を震わせたのはわざとらしすぎた。ケイヒルが得体の知れないものを見る表情でランタンを見ている。だがそんな表情をされるのも慣れたものなので、ランタンは構わず続けた。

「だから、そんな風にテスさんを怒らないでください」

「おねがいします」

 ランタンの言葉に続けてリリオンが頭を下げた。ランタンの言葉とは違い、本心から。

 ランタンとテスが揃って罪悪感に表情を硬くした。

 だがその頭を下げられた本人であるケイヒルの抱いた罪悪感は、二人と比べるべくもなく膝から崩れ落ちるほどに重たかった。ケイヒルの身体が揺らいで、だがどうにか持ちこたえた。

「ああ、いや、そうか。わかった、頭を上げてくれ。マーカム隊長、ご苦労だった」

 ケイヒルが声を掛けてようやく、それでもゆっくりとリリオンは面を上げた。リリオンは混じりっけなく純粋に感謝の気持ちを瞳に湛えてケイヒルを見つめた。ケイヒルが戸惑うように咳払いを一つ零した。

「いい子たちだろう」

 リリオンに関しては同意だが自分は、とランタンはこの上なく申し訳ない気持ちになった。

「お前の正当性は判ったよ」

 ケイヒルとはとても良い人のようだ。テスは満足気に頷いている。悪い人だ。

「――その後、破落戸の所持品から違法な魔精薬を発見。裏に大がかりな犯罪組織の存在が疑われた為に尋問をして、賞金首探索者フィデル・カルレロ一派の犯行である事を突き止めました」

 テスはそう言って床に転がしたカルレロを指差した。

「私一人では戦力が不十分でしたので探索者である彼らに応援を頼み、住処(アジト)を強襲しました。それで今に至ります。彼らのおかげで無事に犯罪組織を壊滅することができました」

 テスは誇らしげにリリオンの肩を抱いてみせた。リリオンが照れたように頬を染めて、ケイヒルは呆れた視線をテスへと向けた。

「お前ずいぶんと端折(はしょ)っただろ。ったく、まあいい」

「探索者として確認が取れたものはそこの三名です。賞金首であるフィデル・カルレロ。乙種探索者エイン・バラクロフ。女の方も乙種探索者です。名前はルー・ルゥ。もう一人のは――」

「ベルムド、と言うようです。探索者かどうかは判りませんが、探索者級の戦闘能力を有してます、……僕の主観ですけど」

「だ、そうです」

 テスはポーチにしまった緑髪の女、ルー・ルゥのギルド証をケイヒルに渡した。

「死体の中にはもっと居るかもしれませんが、確認はしていません」

 ケイヒルは捉えた四名に近づいて、ぐったりとしたその肉体の首筋に触れ、瞼を持ち上げて瞳を覗き込んだ。

「ふん、とりあえず生かして捕らえたようだな」

「それぐらいの分別はつきますよ」

「それなら応援を呼ぶ分別が欲しかったね。……ま、お前に言うだけ無駄か」

「……私をなんだと思っているのですか」

「狂戦士、処刑人、死神」

「黙れハゲ」

「うるせぇ、ぶち殺すぞ」

「――ケンカしたらダメっ!」

 剣呑な気配を察したリリオンが二人の間に割って入った。

 ランタンがそんなリリオンを褒めてやり、大人なのにね、と二人を見つめると泣く子も黙る武装職員が気まずそうに顔を見合わせた。

 ケイヒルは言葉に詰まって押し黙り、けれどテスはリリオンの横に並んで肩を組んだ。さもこちら側の人間であるかのように。

「まったく大人気ないですよケイヒル隊長。私に何か言うよりも、私たちの仕事を手伝ってくれた彼らに一言あってしかるべきなんじゃないですか? そんなだから武装職員はやれ横暴だの何だのと言われてしまうんですよ」

「ぐ――」

 信じられないものを見るような驚愕の表情でケイヒルが横暴な武装職員を睨み付けて、喉から引きつった呻き声を荒らした。だがリリオンの真摯な視線に晒されているケイヒルは、テスへの罵声をどうにか飲み込んでぴんと背筋を伸ばした。

 完全にテスを視界の外に置いたのがせめてもの抵抗だろうか、ケイヒルはランタンたちに向き直り、折り目正しく頭を下げた。

「探索者による犯罪を打ち砕いてくれた事に感謝を。君たちの働きによって探索者ギルドの治安はより向上し、探索者の質も上がる事だろう」

「いえ、そんな」

 顔を上げたケイヒルの瞳にあるのは、テスへの不満ではなく、ただ真面目さだった。

「ここの後始末は俺たちに任せて、君たちは怪我の治療を。外にギルド医を用意してある」

「うむ、そうだな。かかった費用はこちら持ちだから、二人とも手当を受けてくるといい。後始末はプロがいるから気にせずにお行き」

「……お前もその内の一人だからな」

 腕を組んで偉そうなテスを睨み付けてケイヒルは低い声で指摘した。

「しまった、こんな事なら一発ぐらい食らっておけばよかったな」

 テスは悪戯っぽく笑って、有無を言わさずに二人を倉庫から追い出すのだった。


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