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空は黄昏のまま、時計だけが夜であることを告げている。
予定通り最下層に辿り着いた。
魔精の霧の向こうを魔精鏡で確認すると、魔精の濃さが影となって浮かび上がる。
迷宮に出現する魔物と最下層に出現する魔物が同系統であるとは限らないが、その形なき影は最終目標が不死系ないし不定型であることを示している。
夕食を済ませた後も継続した最終目標の観察をようやく切り上げる。
リリララ、ローサ、ガーランドはすでに毛布に包まって眠っている。
ランタンは焚き火を囲むリリオンたちに加わった。
ミシャが丸い目を大きく瞬かせる。眠たいのかもしれない。両手に包むようにコップを持って、舐めるように唇を湿らせる。
炎を押し潰すように鍋が掛けられ、ぐらぐらと湯が沸かされている。ランタンはそれをコップですくい、一掴みの茶葉と砂糖を放り込んだ。
茶菓子を渡しながらリリオンが尋ねる。
「どうだった?」
「十中八九、精霊だな。道中とやることはさして変わらないと思う」
最終目標の影は形を定めず、集散を繰り返した。
不定系の魔物と不死系の一部の魔物は特定の形を持たないことは共通するが、前者は物質的な肉体を持ち、後者は持たない。そうであるがゆえに精霊はより移ろいやすい。
「やはり形を与えるか? ならばまたリリララを使うことになるな」
「腐っても最終目標だからな。試す価値はあるけど、流石にその誘いには乗らないんじゃないか」
ランタンは寝息も小さいリリララに視線を向ける。
今日はよく働いてくれた。索敵、精霊の形の固定、そしてミシャの護衛。明日までには回復するだろうが、最終目標戦に参加させるかはまだ微妙なところだ。
「可能性はまず二つ。無色か、色付きか」
「あ、そっか」
リリオンが意表を突かれたように声を上げた。
道中に出現した精霊はまず無色の精霊だった。それが探索者に触れることによって色に染まった。
最終目標は最初から色づいている可能性もある。
それは水の精霊かもしれないし、火の精霊かもしれない。そうだった場合、リリララに精霊の依り代を用意させても無駄だった。
「後者だった場合、リリオンはあんまり役には――、おっと」
ランタンはわざとらしく口を押さえて、目だけを動かしてリリオンを横に見た。
リリオンはあからさまに頬を膨らませてむっとしている。
「ランタンって意地悪ね。わたし、水なら斬れるよ。――火とか雷とかは難しいけど」
リリオンは魔道を使えない。その才能が少しもない。その代わりに類い稀な身体能力を誇っている。だがその身体能力も精霊相手には役に立たない。
そういった場合は装備品で補うのが常道と言われているが、魔道の付与された装備は非常に高価なので実践できる探索者はそれほど多くはない。
揺籃の大剣は魔道を付与されていない。
だがその鋼は物質系魔物の破片が練り込まれておりリリオンに、そしてリリオンの戦いに合わせて成長するという特性を持っている。
今はまだ無色透明の精霊を斬ることはかなわないが、あるいは戦いの中でそれを斬ることができるようになるかもしれない。
「わたくしも火や雷は少し難しいですわね。あの手応えの無さと言ったら」
ルーが拳を掌にぶつけながらリリオンに同調すると、少女は大きく頷いた。
「ねー、ルーさん」
ルーの重力の魔道は基本的に物質に影響を及ぼすものだ。
相手の攻撃を軽くし、自らの拳や蹴り足を重くするので、その威力の大部分は近接戦闘能力と装備の硬さに由来する。
だが精霊相手に装備の硬さは意味を持たない。肉体を持たない精霊に有効であるのは、魔道そのものが持つ効果だろう。
「それは僕もわかるよ。戦鎚で殴ってもあんまり当たってる感触ないし。つまらん」
攻撃に勢いをつけすぎると、直撃させたとしても空振りをしたみたいに戦鎚の重さに身体を振り回される。精霊は面倒な相手だ。
「色付きなら僕とレティとガーランドが主戦力かな。さっきみたいに石像が用意されてるようなら、リリオンやルーにも頑張ってもらおう。問題は無色だった場合。可能性はまた二つ」
ランタンは勿体ぶってコップに口をつける。
綺麗な琥珀色をした紅茶はすっきりとした香りを立ち上らせている。底に沈殿した茶葉が浮かび上がらないように、そっとコップを傾ける。
「また?」
リリオンが首を傾げた。
「形を変えるか、変えないか。だろ?」
レティシアが答える。
「変えないって?」
道中に散々見た精霊の変化を思い出し、リリオンが更に傾けた首の角度をきつくする。ぽきり、と音が鳴って恥ずかしげに元に戻した。
「あの曖昧な形のまま、何にも染まらず、無色透明のままかもしれない。形を変えないっていうか、形がない」
「ふうん」
「そういった精霊との戦闘はあんまり情報が残ってないんだよな」
「どうして?」
「そもそも数が少ないのと、戦うと頭がぱーになっちゃうから。いわゆる精神攻撃だな。幻覚を見た、白日夢を見た、神を見たとかね。自分が何をしてるのかわからなくなってしまうとか」
斬りかかった剣が、放った魔道がことごとく精霊を通り抜け、そうこうしている間に自分が何をしているのかわからなくなってしまった、という記録が残されている。
「こうなるとちょっとやばいんだよな。全員参加したら一網打尽になっちゃうし」
「いやいや、ランタン。簡単に言ってくれるな。頭がぱーになるとはどういうことだ?」
「言葉の通り、正気を失う。帰還した探索者はそれをどうやって討伐したかをあんまり覚えてない。生き残ったけど混乱から戻ってこれなくなった探索者もいるらしい」
ランタンは気軽な様子で言ったが、ミシャは手からコップを落っことした。
ズボンを濡らしたことも気にせずに、心配そうな視線をランタンに向ける。
「嘘、嘘。今のなし、――にはならないか。そうだよね。でも大丈夫、たぶんそれじゃないから」
ランタンは慌てて立ち上がり、それからすぐに尻餅を撞くように座り直した。焚き火を避けるように弧を描いて転がってきたコップを拾い上げる。
「そういった最終目標は入る前からもっと変な気配がしてるらしい。威圧感っていうか、もっと厳かな、神さまみたいな感じの、引き寄せられるような。今回のはそうじゃない、もっと普通の精霊だよ」
ミシャは真偽を見極めるようにじっとランタンの目を見つめた。
ランタンはどきまぎして視線を彷徨わせる。
そんな様子のランタンにミシャは少しだけ表情を和らげた。
ランタンは嘘はついていなかった。ただ落ち着かないだけで。
あの霧の向こうにいるものをミシャはあまり理解していない。
道中に出現した精霊の親玉なのだろうと捉えているが、そもそも道中の精霊すらミシャにとっては不可解な存在だ。
仕事中の迷宮特区で崩壊した迷宮から溢れた魔物と遭遇したことは数え切れない。
だが精霊のような魔物は地上で長く存在できないので、ミシャもほとんど見たことはない。
引き上げ屋は探索者にも、迷宮にも近い。そんな風に心のどこかで思っていたのかもしれないが、それは勘違いだった。迷宮には初めて見るものが沢山ある。
「だから大丈夫だよ」
ランタンは、大丈夫、そればかりを繰り返す。その不器用さをランタンらしいと思う。
かつての口下手な少年であったランタンはまだ失われていない。だからこそきっとミシャは、ランタンをいつまでも心配に思うのだ。
「ランタン、ミシャを安心させておやり」
レティシアが微笑みながら告げる。
「見張りは私とルーでやろう」
「ええ、構いません」
「本番は明日だ。さっさと眠って力を蓄えないとな」
「うん、ありがと。そうさせてもらう」
促されたランタンは膝を打って立ち上がり、ミシャに手を差し伸べる。
ミシャはその手に掴まって立ち上がった。
「濡れちゃったから着替えないと」
「そうだね。寒くはないからそのままでも風邪は引かなさそうだけど、おねしょみたいだし」
抗議の意も込めてミシャはランタンの手をぎゅっと握る。いてて、とランタンは戯けた。
そんな二人を座ったまま見送るリリオンを、レティシアは追い払うような仕草でけしかける。
リリオンは立ち上がって背中を追って、二人まとめて抱きついた。
「わたしも一緒に寝ていい?」
二人の間から顔を出して、それぞれの顔を窺った。ランタンもミシャも少し驚いている。
「もちろん。いいに決まってるじゃない」
「じゃあ真ん中はミシャだな」
ランタンのその言葉の通り、ミシャを真ん中に挟むようにして横になった。
仰向けで黄昏の空を見上げていると、寝ようにも寝られないからだ。
「私、流石にそこまで子供じゃないと思うんだけど」
ランタンの方を向き、背中からリリオンに抱きつかれたミシャが苦しげに呟く。
「最初の迷宮は、こうやって寝るのよ」
「それ、ほんとう?」
疑わしげに尋ねるミシャに、リリオンは抱きつく力を強めることで真実だと伝える。
ランタンと最初に攻略した迷宮でも最下層前、魔精の霧を奥にして一緒に横になった。
リリオンは懐かしくも鮮明にその時のことを思い出す。あの小さな身体の頼もしさを。それからずっとランタンとくっついて眠っている。
あの時、自分の身体は隠しきれないほど素直に恐れを現していた。
リリオンはミシャの脚に自分の脚を絡める。そうやって冷たくなっている足先を温める。かつてランタンがそうしてくれたように。
「ランタンとくっついてるとね、怖い夢は見ないのよ」
「それ、ほんとう?」
「僕に聞くなよ」
ランタンはぶっきらぼうに呟き、ミシャの頭を胸に抱いた。ミシャはランタンの背中に腕を回す。
「明日の朝、本当かどうか教えてくれ」
本当だった、とミシャはおはようより先に告げる。
「だいじょうぶだよ。おにーちゃんも、おねーちゃんも、みんなつよいんだから!」
最下層へ突入したのはランタン、リリオン、レティシア、ルー、ガーランドの五人だった。
ミシャとローサ、リリララは待機である。
ローサはミシャを背中から抱きしめ肩に顎を乗せ、耳元で叫んでいる。
落ちつかなげに身体を揺らして、ミシャを抱きしめていなければ、たちまちランタンたちの後を追って最下層へ駆け出していったかもしれない。
「だから、だいじょーぶ!」
それでもローサはミシャを勇気づけるように大きな声でそう宣言した。
ランタンとリリオンに抱きしめられて怖い夢は見なかった。
ローサはそんな二人の代わりを務めようとしてくれている。
ローサも不安を感じているようだったが、そんなことはおくびにも出さない。何とも優しい子に育ったものだ、とミシャは思う。
最初に出会った頃はまだ言葉も覚束ず、自らの発する炎に焼かれるほどの混乱の極みにあったというのに。
ミシャは胸の前に回されたローサの手に、自分の手を重ねた。
「まあ、待ってる側の辛さをミシャに言うのも何だけどよ。誰だってそうさ。いちいちそれを口にしたり、顔に出したりしないけど。あたしだってもどかしいんだぜ」
「うん、そうね。――ごめんね」
「なにが」
「だって私のお守りでしょ? 私が付いてきてなきゃあなたは今頃、霧の向こう側でしょう?」
「あー、なるほど。そうかもな。でも宝物預けてもらったってのは、そんなに悪い気はしないぜ」
リリララはずっと魔精鏡を覗き込んでいる。
ミシャのお守りであると同時に、彼女はいざという時の備えだった。
ミシャも魔精鏡を覗いていたが、今はもう外してしまった。戦いを見てもそれを理解できない。
ミシャとリリララの違いは、いざという時にランタンたちを助けにいけるかどうかだ。
ミシャはその力を持たず、ただ祈ることしかできない。
「ランタンくんの強さは、知っているはずなんだけどな」
「ローサもしってるよ。とってもつよい。ローサ、まだあんまりかてないんだ」
「そうなの? ローサちゃんもすぐに強くなれるよ。ランタンくんだって、最初はすっごく頼りない感じだったんだから」
「ほんと?」
「本当よ」
リリオンも知らない、ランタンの一番弱かった頃をミシャだけが知っている。
ランタンがどれだけ強くなろうとも、ミシャはその記憶を忘れない。
胸の前に手を合わせて、ひたすらに祈る。
どうかお願いします。
みんなが無事に帰ってきますように。
どうか、どうかお願いします。
迷宮でも自分は祈ることしかできない。
だからいつものようにミシャは祈り続ける。
精霊は原始的な魔物だ。
魔精溜まりに近いものなのかもしれない。それは魔精の淀みであり、そうして淀み集まった大量の魔精から迷宮は発生したと言われる。
精霊は最下層全体に充満し、漂っており、ランタンたちが突入するまではまったく無害な存在だった。
精霊が人に触れると、精霊はその意思を掬い取る。
迷宮の最下層には最終目標がいる。それは迷宮の守護者であり、強力な魔物であり、探索者の敵である。
忘れようもない迷宮探索の大前提が、最下層突入の理由が、まず精霊を最終目標たらしめたのかもしれない。
形なき精霊に形が生まれる。
それは人の形を取った。
薄ぼんやりとした塊をこねくり回した曖昧なものが、はっきりと肉体になっていく。
二本の足。二本の腕。丸い頭部。
それらは胴体と繋がっている。
リリオンに迫る長身に、はっきりと鍛え上げられた逞しい肉体。それは戦士のものに違いないだろう。彫りの深い顔には頬から口元を覆う髭が生えている。
それは人の男だった。
手に戦鎚を握っている。片側が鎚となり、もう片側が鶴嘴になっている。ランタンの戦鎚と同型のものだ。
精霊が最初に触れたものがランタンだったのか。
それとも最も興味を持ったのがランタンだったのか。
問い掛けても答えが返ってくるはずがない。
ただ殺し合うだけ。最終目標とはそういうものだ。
ランタンと精霊が打ち合う。
両者ともに振り回すような荒い打撃の応酬だった。
ランタンの顔が歪む。一撃一撃に込められた威力は甚大で、扱う戦鎚も自身が使うものに引けを取らない。
攻撃が妙に噛み合う。
力任せの乱打であるのに、どうしてか演舞のようでもある。
その打ち合いにルーが横合いから殴りかかった。精霊は左の腕で受け、ルーは即座にその手首を掴み、肘を拉ぐ。
だが精霊はそのまま腕を回してルーを投げた。驚きにルーが目を丸くする。地面に叩き付けられる寸前に身体を捻り、猫のように着地して即座に背後へと回った。
精霊は二人を同時に相手取ってまだ冷静である。
いや、感情はそもそもないのかもしれない。
人の意思を掬い取り、模倣し、だが不完全である。
この戦士の姿はなんだろう。自分が思い描く強さの具現化なのだろうか。ランタンは豊かな髭を見て眉をしかめ、そのままルーに視線で合図を送った。
乱打の内から一つ、いつもは選ばない一打をあえて選んで打撃を弾いた。
ルーが自ら倒れ込みながら蟹の鋏に似て精霊の膝を両足で捕らえ、折るような勢いで捻る。
無防備な腹へとランタンは踏み込み、臍を目がけて鋭く蹴りを放った。
ルーが枷となって精霊は躱すことはできない。
ならばどう受けるか。
精霊はいかにも覚悟を決めた人間のように腹筋を固める。石板のような腹筋が、なお硬く盛り上がる。
「消し飛べ」
ランタンの蹴撃が炎を纏って精霊の臍を貫いた。背中から炎が溢れ、しかし腹の中に内臓はない。
精霊は人の形を模したが、その内部は魔精を詰め込んだだけだった。
打ち合った戦鎚には鋼の硬さがあり、爪先に触れた臍には肉の硬さがあった。ルーの拉いだ肘には関節の気配があり、だが折れた後の動きは柔らかい粘土細工のそれだ。
神経も通っていない。
精霊は顔に苦痛の色を浮かべることもなく、腹にランタンの足を刺したまま即座に戦鎚を切り返した。
「させないっ」
横から飛び掛かったリリオンがその腕を一刀で斬り落とす。
ランタンは即座に後退し、ルーも距離を取る。拉いだ肘も膝も、腹の穴も元通りになっている。
地面に落下した腕と戦鎚が雨粒のように煙となり、精霊にはまた腕が生えている。そしてその先には戦鎚が握られている。
リリオンは斬り落としから、即座に逆袈裟へと斬り上げる。受けようとする戦鎚をひらりと躱し精霊の肌を刃が撫でる。精霊は後ろへ引いた。追い縋って胸の高さに斬り払う。
精霊はそれを肩で受けた。
肉の密度が変わった。
水面に棒きれを叩き付けたような手応え。剣が肩に止められる。
「むんっ」
リリオンは強引に踏み込んで鍔元で精霊を突き押した。
精霊が踏鞴を踏む。
「リリオン、下がれ!」
「うん!」
レティシアが雷を放った。
場合によっては精霊が魔道の属性を得る可能性もあったが、ランタンの蹴撃を見るかぎりその可能性は低い。
雷は精霊を打ち据えて、その肉体に穴を開ける。
その穴が塞がるよりも速く、ガーランドの二刀が精霊を串刺しにした。身体を十字に展開し、二刀を左右に斬り払う。
頭部と、鳩尾から上と下。
三分割にされた精霊は、しかしまったくの無傷と同様だった。断面が揺らいだかと思えばもう繋がっている。雲を斬るような話だ。
「ちっ、足止めする!」
ガーランドは声を上げ、距離を空けて水弾を次々に撃ち込んだ。
精霊は貫通と再生を繰り返す。
微かな空白に精霊は前進しようとするが、水弾の間にリリオンが斬り込んでそれを許さない。ルーが重力を操作し、精霊の動きを鈍らせる。
三人が足止めをしている間に、ランタンとレティシアはそれを観察する。
「有形と無形が混在しているようだな」
「うん。攻撃の手応えは?」
「まったくないわけじゃないが、微妙なところだな。痛がる素振りもない」
「再生に魔精は消費していないか?」
「微々たるものだろう。血が流れ出るのとは違う。斬られても、そこが傷の形に変わってるだけだ。持久戦だと押し負ける可能性があるぞ」
「なら全身を一気に吹っ飛ばすか」
「ああ、それがいいだろう。だがダメだったら撤退も視野に入れていいな。私も足止めに加わるよ」
「頼む。リリオンと入れ替わりで接近する。目で見ちゃいないだろうが、頭は潰してくれ」
「了解。――ところで精霊は、ランタンが元になっているよな?」
「さあ、知らない」
よろしく、とランタンはレティシアの尻を叩いた。
雷の矢がレティシアの周囲に無数に発生し、次から次へと放たれた。
それは直接に精霊を射貫き、時に水弾を経由して背後へ回り込んだ。
水弾と雷の矢。
雷雨後の時弾幕の中にリリオンはいる。
「ひゅ」
呼吸が笛のように鳴る。
きつく編んだ銀の髪が雷雲を巣にする龍のようにうねる。
揺籃の大剣が閃く度に精霊の五体が両断される。精霊の反撃を可能な限り躱し、躱しきれぬものを肉体で受ける。
精霊は次第に再生の速度を速め、あるいは崩れたままの姿でリリオンに打ち返す。
それは学習かもしれず、あるいは形が崩れ、失うことで肉体の枷から解き放たれているのかもしれない。
リリオンは雷雨の中で足を止めて精霊と打ち合う。
水弾の飛沫、雷の燦めき、傷つき煙る精霊の肉体が目に飛び込んで、それでも瞬き一つしない。
精霊の顔を見る。
山賊みたいな髭。彫りの深い顔立ち。どこか見覚えがあるような気がするのは何故だろう。
逞しい肉体は探索者の中にもこれほど強健なものはいない。ベリレや、あるいはハーディに比肩する肉体だ。
「てやっ!」
しかし臆さない。リリオンは自分が彼らに劣っているとは思わない。
手首を小さく使って、鋒をひゅっと跳ね上げる。股ぐらに滑り込んだ鋒は、右の股関節を両断した。
だがやはり精霊は体勢を崩さない。
台座に固定された立像の片脚が壊れたらこうなるだろうというように揺るぎなく立っている。
これだけ斬っても手応えは薄い。
精霊は顔に苦痛を浮かべない。
あらゆる感情がそこにない。無表情の仮面を張り付けたようで、人の形をしていてもそれが人でないことが一目で理解できる。
「リリ、ルー下がって!」
短く呼ばれて、リリオンは精霊が戦鎚を握る右手に打ち込みながら後退する。
入れ替わりにランタンが精霊に肉薄する。
隣を通り過ぎる。その横顔。
瞳が赤い。炎が揺らぐ。
ああ、やる気だ。
ランタンに合わせて太い雷の帯が精霊の頭部を消し飛ばした。
水弾の名残である水溜まりが沸騰するまもなく蒸発する。白い蒸気が精霊の一部のように立ち上る。
十分に距離を取ったリリオンの視界で、ランタンと精霊が向かい合う。
もう頭部が復活している。
その横顔が不思議とランタンに似ているような気がした。
「笑った……?」
ランタンが力を解放したその時、精霊の眼が赤く燃え上がったように見える。




