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カボチャ頭のランタン  作者: mm
19.For Whom the Bell Tolls
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 仕事から帰って寝るだけの小さな部屋は、ミシャの思い出がたくさん詰まっている。

 例えばこの床の傷。

 こっちは椅子を引きずってできた傷だ。まだ小さい頃、何を思ったのか天井に触りたくて母の部屋から椅子を引きずってきた。だからその傷は部屋から廊下へと繋がっている。

 こっちは燭台を倒した時の傷だ。蝋燭の火の焦げつきは、今も触ると指が黒くなる。

 絨毯を剥がしたから色んな傷が露わになっていた。

 一つ一つに思い出はあるのだろうが、たくさんありすぎてもちろん全部は思い出せない。

 空気の入れ換えで開けていた窓を閉め、鍵をかける。

 窓からの景色は迷宮特区の外殻壁に塞がれており、何だか息苦しく思ったこともあったが、今はこれはこれで趣があると思う。

 外はもう夜だった。

 窓下の通りは連なる引き上げ屋から零れる灯りに薄ぼんやりと照らされている。戻ってくる起重機もちらほらとある。それは迷宮から這い出た魔物のようにも見える。

 早朝には列を作る起重機の群。三々五々に集まってくる勇ましい探索者たちも、夕暮れの頃になると疲れ切って帰っていく。

 行きはよいよい、帰りは怖い。

 迷宮特区は出てくる人の数が、入っていく数よりもよほどに少ない。

 硝子窓を叩く小さな音をミシャは思い出す。

 ランタンは窓から訪れる。どうしてそんなことをするのかと尋ねれば、アーニェと顔を合わせるのが恥ずかしいと照れる。

 それもそうかとミシャは納得したし、ランタンの恥ずかしさも共有した。

 自分の体温で温めておいたベッドの中にランタンを招き入れて幾度の夜を過ごしただろうか。彼の体温は季節を部屋にもたらした。夏には汗ばみ、冬には冷える。

 愛し合う最中にアーニェに気づかれぬようにと声を押し殺すミシャは、声を出させようとするランタンに何度か噛みついたことがある。

 夜のランタンは少し意地悪だ。

 思い出してくすくす笑い、ふと俯いて溜め息を吐く。

 感傷的な溜め息だった。

 ミシャは部屋を出て、小さく軋む廊下を渡り、狭くて急な階段を慣れた足取りで降りていく。

 一階の居間では母アーニェが帳簿をつけていた。

 少数種族である蜘蛛人族である彼女は、蜘蛛人族の中にあって更に異質だった。額の複眼は珍しいが驚くようなものではない。だが特徴的な三対六腕をミシャは他に見たことがない。

「明日の用意は済んだの?」

「……まあ、いちおう」

 ミシャの曖昧な頷きにアーニェは軽く微笑んで、手にしていたペンを下ろした。

「じゃあ、お茶を淹れてあげましょう」

「いいよ、私やる」

「いいから、お座りなさい」

 お座りなさいという言葉が、甘えなさいと聞こえたような気がした。

 言われた通りに座り、ミシャはやかんを火にかけるアーニェの背中をぼんやりと見つめる。火を調整しながら、棚から茶葉とコップを取り出す。

 身体の輪郭は昔から少しも崩れていない。

 微かに紫がかるような黒の濃い髪も豊かで、いかにも女らしい。

 人種も、複眼も、腕の数も迫害の対象であるはずなのにアーニェは探索者によく言い寄られている。度胸試し、遊び半分のものもいるが、本気で入れ込んでいる探索者だって一人二人ではない。

「ねえ」

「なに?」

「お母さんって、いい人いないの?」

「――火を使ってる時に変なこと言わないでちょうだい。藪から棒に、どうしたのよ」

 ミシャは手前に置かれたコップを包むように手に取った。

「いないのかなあって」

 ぼんやりとした尋ね方にアーニェは肩を竦める。正面ではなく隣に腰を下ろして、湯気の立つお茶を少し冷まし、唇を湿らせた。

「いるわよ」

「え! ほんと?」

「そんなに驚くことじゃないでしょう。私にだっていい人ぐらいいるわよ。迷宮に、山ほどね」

 ミシャは浮かしかけた腰を下ろし、なんだ、と呆れる。

 それは未だに迷宮から帰らぬ探索者のことだ。

「なんだ、って失礼しちゃうわね」

「だって」

 ミシャは唇を尖らせた。その子供っぽさにアーニェは思わず頬を緩めた。

「どうかしたの?」

 声は甘い。六本腕の真ん中でミシャと同じように包むようにコップを持って、余った腕の一本でミシャの髪をそっと撫でた。

「この間、ランタンくん襲われたじゃない」

「ええ」

「どうしてリリオンちゃんは、私に何も言わなかったのかなあって」

 アーニェに尋ねると言うよりも、むしろ独り言のようにミシャはぽつりと呟いた。

 先日ランタンが襲われた。

 周到に迷宮に誘い込まれて、罠に嵌められて危うく死んでしまうところだったらしい。

 実際、胸にひどい傷を負っていた。見舞いに行っても強がったり、相手は自分を殺すつもりはなかったと嘯いたりもする。

 だが危ない目にあったのは事実だ。

 白い胸の、心臓の真上の傷は目を覆いたくなるほどだった。少年の青白い顔は流した血の量を容易に想像させた。

 それは界隈で英雄とも称されることもあるあの少年にも、やはり死は抗いがたいものなのだとミシャに理解させた。

 そんな時にミシャは仕事をしていた。迷宮特区で依頼主である探索者たちの帰還を待っていた。

 そのところにリリオンが息を切らしてやってきたのである。

 少女が迷宮にいるランタンの危機を知ったのは偏に勘である。それは迷宮で死の危険を分かち合ったからのものかもしれない。ともあれリリオンはランタンの危機を確信していた。

 そしてミシャに助けを求めようとした。迷宮へランタンを助けに行くために。

 だがリリオンはミシャに助けを求めず、言葉を飲み込んで去っていった。

 それはなぜだろうか。

 ミシャはまだ熱いお茶をぐびぐびと半分飲んで、答えを求めるようにアーニェへ視線を向けた。

「仕事中だから気を使ったんでしょ。リリオンちゃんはそういうところがある子よね」

 答えは明白で、あまりにも身も蓋もない。

 ミシャは拍子抜けしてしまった。

 だがまだ胸にもやもやが残っている。欲しい答えはそれではなかった。

 駄々をこねる子供のような視線でアーニェを見つめるが、それ以上の答えを貰うことはできなかった。

 質問が間違っていた。

 なぜリリオンは、ではない。

 もしあの時リリオンが自分に助けを求めたら、自分ははたして仕事を投げだしてランタンを助けに行っただろうか。

 結果として依頼主の探索者たちは無事に帰ってきた。もちろん探索の中で疲労し傷ついていたが、誰一人として欠けることなく。

 しかしそれはあくまでも結果であり、その時まで彼らの状態はわからない。もしかしたら一刻を争うほどの大怪我を負っていた可能性だってある。

 這々の体で迷宮口直下まで引き返し、これでどうにか助かると、そう思ったのに引き上げ屋が来なかった時の探索者の絶望はいかほどだろうか。

 そういう可能性があるのに、自分は仕事を放棄するだろうか。

「そんな時に私はどうしたらいいんだろう?」

「難しい質問ね」

 ミシャが頭を悩ませるように、アーニェもまた悩ましげに黙り込んだ。

「――何が正しいという話ではないでしょうね。どちらを選んでも後悔をするわ。でも私たちは引き上げ屋でしょう。務めを果たさなければならないわ。それが誇りだもの」

「やっぱり、そう?」

「そうね」

 アーニェは頷く。

 選択はいつもしている。探索者が戻ってこない時、本当はいつまでも待っていたい。

 だが後にも依頼は控えているし、お腹も空けば眠たくもなり、陽も沈めばまた次の日へと時間は流れる。

 だからぎりぎりまで粘っても、どこかで区切りをつけて、帰らぬ探索者たちを後にミシャは次の現場へと向かう。

 もしかしたらあと一分、一秒待っていたら迷宮に垂らしたロープに反応が返ってきたかもしれないと、そう思いながら。

「できることは何もないのかな……」

「あるわよ」

「なに?」

「祈ること」

 忘れたの、とアーニェは叱るような、ただ尋ねるような口調で問い掛ける。

 探索者の無事を祈る。

 それは引き上げ屋の娘として迎え入れられて、いちばん最初に教えられたことだった。

「忘れるわけないじゃない」

「じゃあ、ミシャは引け目を感じているのね。たしかにランタンくんの場合は他の子がみんな探索者みたいなものだからね。でも引け目なんて感じる必要はないわ」

 アーニェはミシャの方へ身体を向けた。

「あなたには、あなたにしかできないことがあるのよ。自信を持ちなさい」

 アーニェの手がミシャの髪を撫でる。短く切り揃えた黒髪を愛おしそうに。

「いいこと? 引き上げ屋の女はね、いつまでも探索者の帰りを待つのよ。どれだけ時間が経っても、一時(ひととき)も忘れることなく」

 ちょっと脅かすみたいな口ぶりにミシャは思わず眉根を寄せた。

「それってなんだか、すごく重たい女みたい」

「そうよ。引き上げ屋の女は重い女にならなきゃダメなの。それが大切なのよ」

 髪を撫で、空いた手で人差し指をぴんと立てる。

「ランタンくんはとってもいい探索者だわ。何人も探索者を見てきた私が保証する。あの子は特別ね。きっとどんな困難にも打ち勝って、どんな迷宮からだって帰ってくる」

「うん。いつも約束してくれる。絶対に帰ってくるって」

「ええ、あの子はそれを口にできるわ。それだけの実力を示し続けてる。でもいい、ミシャ? いくら特別だっていっても、やっぱり探索者っていうことに変わりはないわ。あの人たちはどれだけ口でそう言っても、自分の命なんて()とも思っていないのよ」

 ふと忘れそうになる。

 ランタンは昔は死にたがりの探索者だった。彼にその自覚はなかっただろう。だがほとんど休むことなく、肉体が癒えたらすぐに迷宮に潜った。それもたった独りで。

 ランタンは変わった。リリオンと出会って、ずいぶんと変わった。

 だが根っこにはやはり、その気がまだ残っている。

「だからこそ、引き上げ屋の女は重い女じゃなきゃならないの。私たちがいつまでもいつまでも、ずっとずっとあなたのことを待っていますって、向こうが嫌になるぐらいに重たくね。じゃなきゃあの人たち、いつまで経っても帰ってこないんだから」

 本当に腹を立てるように、アーニェは腕組みをした。

 アーニェはまだ待っているのだ。もう十年以上の年月が流れていても、それでも。

 アーニェは優しい顔をした。

「ねえミシャ、ちょっとあなたのこと抱っこさせて頂戴」

「なによ、急に」

「いいじゃない。娘の成長を確かめたいのよ」

 ほら、とアーニェは六腕を広げる。ミシャが躊躇っていると、また、ほらと小首を傾げた。黒髪が揺れて流れる。

 ミシャはアーニェの膝に座って、その腕に抱きしめられた。ひどく照れくさい。

「あら、重たい。引き上げ屋の女としては合格ね」

「もうっ、降ろして!」

「こら、あばれないの」

 アーニェは六つの腕を全て使う。

 一対はミシャを落とさぬようにしっかりと抱きしめ、一つは背中を撫でて、一つは手を握り、もう一つはうなじに添えられ、もう一つは髪を梳かす。

 泣きたくなるような懐かしさに、ミシャは身動きができなくなってしまった。

「ほんと、大きくなったわね」

 ミシャはアーニェの肩口に顔を押しつける。いい匂いがする女の人。それが最初の印象だった。

「ミシャ、あなたはとっても可愛い。しっかり者だし、働き者だし、気立てもいい。リリオンちゃんにだって、レティシアさまにだって、決して負けていないわ」

 うなじに添えられた手が、頬へと移った。綺麗な眉の下にある瞳、額の複眼。その全てでミシャを見つめる。

「可愛い私の娘。愛されて当然だわ」

 誇らしく自慢するような口ぶりだった。

「さみしくはないの。うれしいのよ」

 口ではそう言っても、アーニェは離れがたく強く抱きしめる。ミシャも背中に手を回した。

「ランタンくんはいい探索者なだけじゃなくて、いい男よ。強くて、優しい。ミシャ、あなたがいない時にね。わざわざ訪ねてきてくれるのよ。うちで一緒に暮らしませんかって。部屋もあります、何一つ不自由はさせませんって、真っ直ぐに私の目を見て言うの。あの子は孤独を知っているから、きっと優しいのね」

「うん」

「私もあと十年若かったら落とされていたかもしれないわ」

「――お母さん」

「冗談よ」

「十年じゃまだ足らないでしょ」

「あ、言ったわね。失礼しちゃうわ」

 アーニェもミシャも笑った。

「だからね、ミシャ。大丈夫よ、安心なさい。あなたは幸せになるわ」

「うん、幸せになる」

 アーニェはもう一度、目一杯にミシャを抱きしめる。

「用意が済んでいるなら、今日はもう寝なさい。明日、あなたの王子さまが迎えに来るわ。お姫さまが寝坊してちゃお話にならないもの。――それとも一緒に寝ましょうか」

 アーニェはそんなことを言って、ミシャを抱いたまま立ち上がろうとした。ミシャが幼い頃は、そうやってベッドに向かったものだ。急階段だって、少しも苦ではなかった。

「ちょっと無理しないでよ」

 けれどもう立ち上がることもできない。

「お妃さまがぎっくり腰じゃ笑い話よ。安心してお嫁にも行けないわ」

 アーニェは深く椅子に身体を預ける。

「ああ、ほんとうに重たい。たしかに十年じゃ足らないわね」




 空は抜けるような青空だった。

 王子さまは陶器の馬に乗ってやってきた。

「荷物はこれで全部?」

「うん」

 大きな鞄四つ。それがミシャの全てだった。

 ランタンは鞄を受け取ると、陶馬ガランの背中にくくった。

 冬の風に陶器の肌が青いほど白い。濡れたような光沢は、少しミシャの鱗に似ている。鞄が触れるといかにも冷たそうな音を立てた。馬は大人しくしている。

「ミシャ、乗れる?」

 馬の背へと促したランタンに、ミシャは首を振った。

「歩いていくわ」

「ダメだよ。そんな綺麗な格好してるんだから」

 ミシャは嫁入り装束に身を包んでいた。絹に色糸や金糸銀糸を縫い取ったもので、正式な婚礼装ではなかったが一張羅だった。その上から暖かそうな毛織りの外套を羽織っている。

 ちゃんと言葉を選んでいるランタンに、ミシャは微笑む。

 綺麗な格好は、つまり歩きづらそうな格好だった。

「だってランタンくんが引いてくれるんでしょう? じゃあわたしも一緒に歩くよ」

 手綱を握っていたランタンは真っ白く、諦めたように溜め息を吐いた。

「わかった」

 ランタンは頷くと、ひらりと陶馬の背に跨がった。

 ミシャが目を丸くしていると、まったく軽々と引き上げられる。

 ――高い。

 馬の背からの視点は、ともすれば足が竦むほど高く感じた。

 ミシャは思わずランタンにしがみつく。

「大丈夫だよ」

 ランタンの胸に身体を預け、ミシャはどこぞの令嬢のように横乗りに腰掛ける。

「練習したんだ」

 手綱を引いて馬首を巡らせる。

 ランタンは洒落た所作で見送りのアーニェへ一礼した。

「貰っていきます」

 アーニェは何と答えただろうか。

 ランタンは馬の腹を蹴った。

 ガランは途端に走り出す。

 迷宮特区と軒を連ねる引き上げ屋に挟まれた石畳の通りを馬蹄が響く。

 駆け抜けていく。

 陶器の身体を響いたその音色は、教会の鐘の音に似て澄んでいる。

 祝福の音色だった。

 青空に風花が舞う。

「ランタンくん」

 ミシャは少年の胸に抱かれる。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 一話から長いようであっという間でしたが、とうとうミシャがランタンと・・・! これから、悩みながらも幸せになってほしい子。 [一言] 陶馬も大きくなった、けど・・・食費(魔精)掛かりそう。
[一言] 白馬に跨った王子様!!! 乙女の夢を叶えてあげるランタン、アーニェさんの言う通り良い男過ぎますね。 お幸せに!!!!!
[良い点] 面白かったです。 ミシャが幸せでマジで嬉しいです。
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