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カボチャ頭のランタン  作者: mm
19.For Whom the Bell Tolls
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 顔が真っ赤になった。

 ばんっ、と机を叩いたリリオンに、周囲の視線が一斉に集まった。しかし怖いもの知らずの探索者たちも思わず視線を逸らす。

 リリオンは睨むような顔つきで、ぎりぎりと奥歯を噛んだ。

 小さい。目の前のギルド職員が小さく見えた。

「急いでください。お願いします」

 リリオンは怒鳴ることもなく、むしろ硬く、絞り出すような声でそれだけ言ってすぐに踵を返した。

「どいて、どいてください」

 探索者ギルドはいつものように賑わっている。リリオンは人混みをすり抜けて、危うくぶつかりそうになるとそれを押し退けて、早足になってギルドを出る。

 外に出るともう駆け足になっていた。

 今頃になって机を叩いた手がじんじんと痺れ出す。

 対応してくれた職員は怖れるような顔をしていた。日頃、探索者たちの相手をしているギルド職員ですらそんな顔をしていたのだから、自分はどうしようもなく怖い顔をしていたのだろう。

 ランタンに対する救援依頼は出ていなかった。だからやはりランタンは誘い出されたのだ。

 すぐに調べ、対応すると言われたがそれでは遅すぎると思った。

 ランタンが救援に向かった迷宮の場所はわかっている。迷宮特区は縦横に無数に区分けされ、数字が割り振られている。リリオンもその数字はすっかり頭に入っている。

 目隠しされていたって辿り着ける。

 必要なのは引き上げ屋や起重機(クレーン)だ。すぐに向かわせてくれればいい。

 偶然か、それとも仕組まれたことなのか。探索者ギルドが抱えている引き上げ屋や、起重機の多くがちょうど出払っているらしかった。残されているのは大型の起重機で、それは人を運ぶためのものではない。竜種のような大型の魔物や石材などの重量級の迷宮資源を運ぶためのものだ。

 それでもいい、とリリオンは言ったが、ギルドは首を縦に振らなかった。

 それを聞かされて出てきた言葉が、急いでください、それだけだった。

 ランタンの命が危ないかもしれないのに、何度もお願いしなかったし、ランタンのように脅かすこともしなかった。

 どうして。

 リリオンは迷宮特区へと向かう。

 捜すのはミシャだった。

「ミシャさん知りませんか? これぐらいで、黒髪で、目の丸い女の人」

 道すがらの探索者や引き上げ屋に声をかける。

 探索者の中にはミシャの名を知らないものもいたが、自分たちが世話になっている引き上げ屋だと言えば、すぐにわかってもらえた。引き上げ屋にはそんな説明もいらなかった。

 三人目の引き上げ屋が、どこで仕事をしているかを教えてくれた。

 ミシャはまさに仕事中で、迷宮特区にいた。

 仕事の時、引き上げ屋は一日の大半を迷宮特区で、そして起重機の座席上で過ごす。

「ミシャさん――!」

 区画に飛び込んでリリオンは名を呼んだ。

 ミシャはそこにいた。

 炎虎の毛皮を肩から羽織り、起重機に座っている。

 寒さに鼻先と耳が赤い。丸い目で迷宮口を睨んでいる。温めるように両手を口元にやっている。

 それは祈りの姿勢だった。

 迷宮には様々な危険があり、戦いがある。

 そして地上には探索者の無事を願う祈りが無数にあった。

 心配も祈りも、リリオンだけのものではない。それは誰もが持っているものだった。

 ミシャは幻聴でも聞いたようにふと顔をあげ、そしてリリオンを見つけて目を丸くした。口元から手を外すと、吐き出した息の白さも丸くなった。

「リリオンちゃん? ――どうしたの?」

 ずっと黙っていたからだろう、微かに声が掠れた。

 手元に息を吹きかけ、丸めるようだった背中を弓形に反らして、ゆっくりと背もたれに身体を預ける。

 起重機の首は伸び、もうすでにその先から釣り糸のようにロープが垂らされている。この先に探索途中の探索者たちがいる。

 今まさに地上を目指しているところかもしれないし、あるいはすでに迷宮で命を落としているかもしれない。

 それは約束の時間が来るまでわからない。

 その時を、ミシャは祈るような気持ちで待っている。

 毎日毎日、何人もの、何組もの探索者の帰りを待っているのだ。

 それを仕事だと割り切り引き上げ屋もいるが、ミシャはそうではないだろう。

 一日の大半を、祈り続けている。

「ミシャさんが見えたから」

 リリオンは視線を迷宮口へ向けた。

「そう? もうすぐ帰ってくるのよ。はぁ、それまではね。いつまで経っても慣れないわ」

 ミシャは軽く肩を竦めた。

「お仕事の邪魔をしてごめんなさい。わたし、もう行くね」

「――うん」

 ランタンのことを伝えて、手伝ってとお願いするべきだっただろうか。

「リリオンちゃん?」

 背中に声をかけられたが、リリオンは聞こえない振りをした。ミシャは鋭いところがあるから、リリオンはぼろが出る前に足早にその場を後にした。

 契約の時間に、探索者が間に合うとは限らない。ミシャは次の仕事ぎりぎりまでロープを迷宮口から引き上げない。

 ランタンと他の探索者。命の天秤は主観的なものだ。その選択をミシャにさせるのは躊躇われた。

 驚くべきことに、自分だってその選択ができなかった。ギルドの職員を脅すことも、ミシャに泣きつくこともできなかった。

 それは他の誰かの命を押し退けることだった。

 でも、どうしよう。

 どうすればいいんだろうか。

 焦る気持ちと泣きたい気持ちが押し寄せてきた。

 信じる気持ちと不安な気持ちも。

 色々な心の動きが、自分でも紐解けないぐらいに絡まっている。

 ただ焦りだけに足を動かして、リリオンはランタンが向かった迷宮口へ辿り着いた。

 迷宮口なんてその口の大小があるだけで、どれも代わり映えはしない。

 けれどもその迷宮口はこの下に迷宮が広がっているとは思えないほどに空虚な感じがした。地面を真っ黒い絵の具で塗り潰したみたいに。

「ランタン。……――ランタンっ!」

 リリオンは迷宮口に近付き、膝を付けて覗き込むと大声で叫んだ。

 声は吸い込まれ、反響さえしなかった。

「ランタン、ランタン、ランタン――っ!」

 ただ叫び、リリオンは迷宮へ頭から落っこちるような錯覚に襲われた。

 それでもいいと、それしかないとさえ思った。

 身体一つで迷宮に飛び込む。

 それは身投げも同然だった。

 年に何度も起こる迷宮への転落事故の、その三割は身投げだと言われている。

「リリオンさま?」

 思い詰めたリリオンの背中に声がかけられる。

 そこには探索帰りのルーがいた。




 紅葉する森の一画ごと猿の群を燃やし尽くし、コールは魔精薬をあおった。

 コールは探索者ではなかったが、それでも十分な実力を持っていた。特に魔道使いとしては一流だった。

 そうでなければ迷宮を生き延びることはできない。研究材料を集めることもできない。

 空き瓶を投げ捨てる。

 二人いた仲間は死んでしまった。悲しくはないが、惜しいと思う。志を同じくし、よく働いてくれた。

 罠によって脚に怪我を負った一人は、必死の抵抗も虚しく猿になぶり殺しにされた。それは目を背けたくなるほど無惨な有様だった。

 落ち葉は灰になり、木々は黒く炭化している。

 まだ立っているものもあれば、横倒しになっているものもある。

 それが仲間の死体のように錯覚する。炭になった木々も、焦げた猿も、人間もどれも区別がつかない。

 それが迷宮で死ぬということだった。

 もう一人は猿の群に追いかけられてはぐれてしまった。どこかで生きていればいいが、きっともう死んでいるだろう。猿に殺されたか、それとも他の魔物か。

 きっとランタンに殺されたに違いない。

 コールはぞっとして、油断無く周囲に視線を巡らせる。

 辺りは灰と煙に霞んでいる。

 隠れ潜む場所はもうない。

 紅葉の絢爛さは失せ、まるで荒野のような有様だった。

「もう逃げも隠れもできんぞ、どこだランタンっ!」

 狂気の中に、まだ少しの冷静さが残っている。

 ランタンは必ず殺すと言った。

 魔精が封じられていようとも、きっと逃げはしない。

 それがランタンへの評価だった。

 死への恐れと、しかし諦めきれないランタンへの欲求。

 魔物さえ自在に操って、こちらに(けしか)けてきた。あれは迷宮の落とし子だ。ほしい。どうしても欲しい。ランタンを殺して得られる、漆黒の魔精結晶が。

 事実と妄想の区別はもうつかない。

「出てこいっ!」

 叫んだコールの声ははっきりと狂気に染まっている。

 不死への憧憬。そのきっかけは何だったか。幼い頃の夜、布団の中で目を閉じた時、真っ暗な目蓋の裏側が少年にとっての死そのものだった。目覚めることの保証はない。夜ごと死を乗り越えてきたように思う。

 声に反応したのは、また猿の魔物だった。

 まるで灰から湧いたようだった。

 コールは充血した目を剥いて、魔道の発動体である剣をそちらに向けた。

「失せろっ!」

 溶岩めいた炎の奔流が猿を飲み込んだ。

 猿たちは避けることもできずに炎の塊になって、悲鳴を上げながらのたうち回って、やがて動かなくなった。その凄惨な姿が少しも目に入らぬようにコールは頭を左右に振りながら、獣のように辺りをうろうろとする。

「どこだ、どこにいる」

 一歩ごとに冷静さは失われた。

「ふーっ、ふーっ」

 獣じみた荒い呼吸。歩く度に足元でぱきぱきと何かが砕ける。炭かもしれないし、骨かもしれない。何もかも燃えた真っ黒と灰の白さの中に、燻る火種がちかちかと赤い。

 それがランタンの瞳のようだ。

「小賢しいっ!」

 四つ足の足音。

 それは鹿だ。ランタンが差し向けたに違いない。そう思った。

 六脚の真っ黒な鹿がこちらに向かって走ってくる。ランタンの戦力を削ぐために洞窟前におびき寄せていたものと同種だろう。

 かなりの強敵だが、ランタンに殺されたものより一回り小さい。

「があっ!」

 コールは咆えて、剣を振るった。

 炎が刃をなして、刀身から離れた。

 放たれた炎刃は地を這うように滑り、黒鹿は軽々とそれを跳び越える。

 その時、コールは剣を斜めに振り上げた。

 見えざる糸で繋がれたように、炎刃が黒鹿の腹下で真上に跳ねた。刃は深く腹を切り裂いて、溢れ出た内臓の隙間に入り込んだ。

 黒鹿が絶叫した。

 炎は体内を逆流して口から溢れる。

 けれどもどうにか前脚で着地を完成させたのは、魔物の本能かもしれない。だが後肢はもう力を残していなかった。

 黒鹿はもはや他人のもののようになった肉体の後ろ半分に押し退けられるように体勢を崩すと、どうと横倒しになった。

 速度のままに、歪に折れ曲がった死体がコールの足元に滑り寄る。

 その角に魔道結晶がくくられていた。




 黒鹿の角にくくられた魔道結晶は炎と雷だった。

 二つの結晶が互いにぶつかり合って、砕けた。

 かっと白い光が迸ったかと思えば、火雷が膨らみ空気が震動した。

 コールはそれでも生きていた。しかし剣はどこかに失われ、耳と鼻から血を溢れさせ、焼かれた体は熟れ過ぎた果物のように割れて血を流している。

 どこにも隠れる場所などなかった。

 しかし火雷の中から生まれたかのようにランタンがいる。手に握った狩猟刀を腰だめに構え、突っ込んでくる。

 死角からの姿に反応できたのは、狂気のなせる技なのかもしれない。

「……けるな」

 コールは灰を握った。

「ふざけるなぁっ!」

 叫びながらランタンに向けて灰を投げ付ける。

 ランタンはそれをまともに浴びながら、微かに目を細めるだけで速度を緩めなかった。

 魔精の封じられたランタンにとって、魔道使いに対してできる最大限の攻撃だと言えた。

 コールはそれを受け止めた。左の腕に刃を突き立てられる。肉を裂き、骨に食い込む。

 激痛はむしろ意識をはっきりさせた。視界は白く濁っているが、驚きに目を見開くランタンの顔がよく見えた。

 ランタンは即座に刃を抜こうと腕を引いた。

 しかし柄から手がすっぽ抜けてしまった。

 体力が足りない。握力さえ維持できていない。

「しま――」

 しまった、と思った時にはこめかみを殴りつけられていた。頭がぐらんぐらんする。まともに食らってしまった。火雷を浴びせていなかったら、骨が砕けていたかもしれない。

「し、ねっ!」

 拳の指を解いて、掌をランタンに向ける。

 ランタンは即座に横に転がった。放たれた炎が地面に弾ける。熱に炙られたというのに、首筋がひやりとした。

 距離を空けてはダメだ。

 ランタンは果敢に踏み込む。こちらは魔精を封じられている。だが向こうも満身創痍だ。

 魔物たちと戦って魔精を消耗し、火雷の魔道を浴びて、立ち上がれるのすら不思議だった。

 コールを支えているのは狂的な生への執着、いや不死の渇望だった。

「ラぁんたァん、お前は、お前は結晶そのものだぁっ!」

 もはや人の声ではない。

 獣の咆哮に似た不明瞭な声でコールは叫ぶ。

 ずるりと腕から狩猟刀が抜けて、コールの足元に落ちる。

「俺にぁ、永遠の命をぉ!」

「知らねえよ」

 魔道の威力は必殺というほどではないが、今のランタンでは一発耐えようなどとは思えない。死にはしないが行動不能になっては意味がない。連続して放ってくるが、その間隔は踏み込む隙がある。

 必要なものは勇気だけ。

「くれよぉ!」

 ランタンは炎の中に飛び込むみたいに、発動の瞬間に踏み込んだ。間近を通り抜けた炎に髪が焦げる。

 コールの足元の狩猟刀を拾い、そのまま大腿動脈、あるいは脇腹を狙う。

 ランタンが手を伸ばす。その時、狩猟刀が踏み付けられた。

 偶然か、それとも狙ったのか。

 もう後には引けない。ランタンはそのままコールの膝に組み付いた。折る。折れずとも倒す。しかし今のランタンは文字通りの非力だった。

 背中に衝撃が走る。

「――かはっ!」

 ランタンは容易く振り解かれ、そのまま首を掴んで片手で持ち上げられた。

 白濁し、それでもいやに冷静なコールの眼差しに射貫かれる。

 狂気は芝居だったのか。いや、そうではない。徹頭徹尾、理性を失い、ただひたすらの狂気に染まっているだけだ。それがむしろ冷静に見える。

「もう、終いだ」

 ランタンの首に指が食い込む。ぎしぎしと音を立てて、肉が潰れ、気道を圧迫する。ひゅう、とランタンの喉から息が漏れる。声もなく口が開き、浮いた両足がばたばたと藻掻いた。

 苦しい。

「お前は、俺の、願いを、叶えて、くれる。願えば、かなう。すべて、なにもかも、お前が、俺の」

 コールの手に爪を立てる。皮膚を破り、肉を裂き、血を掻き出すように。それでも力が緩まない。コールの指を一つ取る。そのまま逆にへし折った。それでもダメだった。爪を毟る。それでも。

 まだできることがあるはずだ。

 灼熱の痛みをランタンは感じた。

 何が起きたのか。胸に剣が刺さっている。それはどこから来たのか。コールの胸から生えている。いや、背中から突き刺され、飛びだしているのだ。それがそのままランタンの胸に。

 指が緩む。ランタンがそのまま地面に倒れる。

 コールの顔から狂気が抜ける。呆気に取られたようにあんぐりとし、振り返ろうして、ぐるりと一回転してばたんと倒れた。

 ランタンはどうにか立ちあがった。

 ぜいぜいと荒い呼吸をし、胸を押さえる。血が温かい。深いが、骨で止まっている。血は掌から溢れた。痛い、痛い。

「おまえは」

 コールを刺したのは変異者だった。

「なんで」

「さあ、さあな」

 変異者はコールに向けた視線をランタンへ移した。

「でも、勘違いするな。助けたわけじゃない」

 ランタンは泣きそうな顔だと思った。

 どこかで見たとこがある。

 思い出す間もなく、本能的に後ろに倒れた。変異者が斬りかかってきた。

 みっともなく、這いずるように距離を取って立ち上がった。

 本当に殺しにきている。容赦のない太刀筋だった。だが追撃はない。

「……なんで」

「わかんねえよ。こいつらにとって、俺は確かに捨て駒だった。けど仲間のはずなんだ。それをどうして」

「やめろ」

「命乞いか? らしくねえよ」

 変異者は足元の狩猟刀を拾うと、自らの毛皮で血を拭いランタンの方へと放り投げた。

 狩猟刀は足元に落ちて、ランタンはそれを拾った。鞘に戻した。

「戻すな。抵抗してくれよ。なあ、頼むよ。ほんとに、全員ぶっ殺したじゃねえか。あと一人だぜ」

 ランタンは喉を押さえる。そうしないと上手く声が出ない。

「そいつは、おまえが」

 ざらざらした声は、やすりで削ったようだった。

「いいや、殺したのはお前だよ。俺が保証する」

 変異者は脇に剣を構える。腰を落とし、摺り足で距離を詰めてくる。

「なんで」

「だから、わかんねえって。答えられるんなら、こんなことにはなってねえよ」

 鞘に狩猟刀、腰に戦鎚が吊ったままになっているのは、それがあまりにも重いからだ。

 今のランタンでは振り回せない。

「ふざけてる、わけじゃあないか」

 ランタンは素手だった。

 右前の半身。微かに顎を引き、重心を後足に残している。

「ああ、くそ。化け物め。探索者の力は封じたんだ。血塗れ灰まみれのくせして」

 変異者は剣の柄で自分の太ももを叱咤するように叩いた。

「どうしてそんなに怖えのよ」

 はあ、ふう、と深呼吸。

 犬人族らしい、間合いを簡単に蹂躙する高速の足運び。

 身体に刃筋を隠した居合抜きに似た横剣。

 ランタンはその剣筋に、ただそっと右手を差し出した。

「は――!」

 変異者が息を漏らす。それは感嘆の吐息だった。

 細い腕、その手首に嵌められた、探索者証と魔精封じの腕輪。

 必殺の一撃は受け止められた。肉体の力ではない。完璧な読みだった。

 甲高い澄んだ音がする。

 不壊であるはずの探索者証に傷が刻まれる。そして魔精封じの腕輪が硝子のように砕けた。

 そして次の瞬間、ランタンの手には戦鎚が握られている。

「え」

 それは単純な驚きだった。

 剣が弾き飛ばされた。左にあった戦鎚が、右に振り抜かれている。股下に足を差し込まれる。内掛け。簡単に体勢を崩されて、仰向けに転がされた。ランタンが馬乗りになる。

 なんて軽いんだろうと思う。それでいて、少しもはねのけられる気がしない。

「そんな顔するなよ」

 変異者は言った。

 右手に持った戦鎚が喉を押さえ、左手の狩猟刀が胸に突き付けられている。

 ランタンの顔が泣き出す前の子供の顔に見えた。

「お前は、お前らは死に場所を探しているのか」

 雨の花街の、娼婦殺しの男の顔が思い出された。

 そう言われて変異者ははっとした。

「……それだ。ああ、なんだ。そうなのか。はは、情けねえ」

 思わず顔を覆った。指の間から乾いた笑い声が漏れた。

 喉元から戦鎚が外される。

 それでも立ち上がろうとは思わなかった。

「頼むよ」

 男は願った。

「いやだ」

 ランタンは断る。

「じゃあ、また仕切り直しになるぞ」

「いやだ」

「俺はお前には勝てないよ。頼むって」

「したくない」

「子供じゃねえんだから、駄々こねるなよ」

 変異者はランタンの胸に視線を向ける。血がとくとく流れている。

「血、赤いんだな。俺の血も、まだ赤いんだ。まだ赤いうちに頼む。――送ってくれ」

 狩猟刀を握るランタンの手が震えた。胸に押し当てる、その鋒に硬い感触が触れる。肉体に生えた金属片だ。

 もしかしたら男は臆病だったのかもしれない。それゆえに鎧めいたものを肉体に獲得したのだろうか。

 ランタンが躊躇っている間、変異者はよく喋った。

 ウィルという名、生い立ち、どんな悪事を働いてきたか、どんな迷宮を探索してきたか。

 だが次第に喋ることはなくなって、やがて沈黙が広がった。

 そこにリリオンがやってきた。

 ランタンは幻だと思ったけれど、髪を乱れさせ、顔を赤くし、汗をいっぱいかいているリリオンは生々しく生気に満ちている。走ってきたのだろう。息が荒い。

「ランタン、無事? ねえ、どうしたの。ランタン?」

「リリオン。僕は」

 手の中から狩猟刀が落ちた。

「この人がやったの?」

 ランタンの首や胸の傷を見て、リリオンはウィルへ視線を落とした。

 ウィルはわざとらしい笑みを浮かべる。

「ああ、そうだよ」

「半分、嘘ね」

 リリオンは確信めいて言った。

 まさにその通りだった。ウィルは驚き、そして納得した。

「でも十分だわ。ランタンを傷つけた」

 リリオンは揺籃の大剣を抜いた。

 ウィルの胸に鋒を押し当てる。

「リリオン、ダメだ」

「やるわ。ランタンの代わりじゃない」

 冷たい鋒の感触にウィルは深く息を吐いた。腹に乗ったランタンの身体がはっきりと沈んだ。

「はは、まさか迷宮で死ねるなんて」

 リリオンは大剣をウィルの身体に突き立てた。変異の金属片も、骨もまるで抵抗を許さず刃は肉体を貫通した。

「探索者として、死ねるなんて」

 最期にそう呟いた。

 墓標のような大剣から手を離し、リリオンはランタンを抱きしめる。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 記憶や考え方がそのままで肉体が変異するのはきついな。ローサはある意味生まれた時からあの体だけど、他の人は自分の体の異物感に耐えきれないのもわかるな。彼は探索者と生きて探索者として死んだのか…
[一言] 死に場所を探していた…かぁ。 あぁ、ウィルという男の行為がようやく腑に落ちました。 いやぁ…なんとも言い難い、複雑な後味ですわ…。
[一言] 時に命よりも尊厳が大切なことはあるんだなあ
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