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悪いことしたな、とランタンは思った。
抱え上げた探索者の死体が、不意に重みを増して腕の中からこぼれ落ちた。
どさりと重たい肉の音がして、それは受け身を取ることもなくまさしくただの物のように地面に転がった。
ひどく打ちつけた頭部が裂けたが、血管の内で固まっているのか、もう血は流れない。
無造作に腰を蹴られて、ランタンは転倒した。
洞窟の硬く冷たい地面に死体と並んで横たわりながら、まだつきに見放されてはいないと、その事に微かな安堵を覚える。
これが殺すための蹴りだったら腰骨を砕かれていただろう。
だがそうはならなかった。
「……いったい、何のつもりだ?」
ゆっくりと上半身を起こし、洞窟の壁に背中を預け座り込む。
身体が重い。
手首に見知らぬ腕輪が嵌められている。これがなにか悪さをしている。
ランタンは感情の見透かせぬ、冴えた視線を男に向けた。
命金制度、迷宮で帰還困難になった探索者の救援は信頼の上で成り立っている。だから悪意を持てば、偽りの救援を求め、制度に参加している探索者を誘い出すことができる。
しかし特定の個人を誘い出せはしない。
つまりは全てが仕込まれたことだ。呼びに来た探索者ギルドの職員も、迷宮へ送り出した引き上げ屋も、全てが偽物だ。
「馬鹿みたいな質問だな」
男が言った。
わざわざ危険を冒してまでランタンを迷宮に誘い込んだのである。
目的は明白だった。
「答えられないのか?」
「お前を殺すためだよ!」
ランタンがわかりやすく挑発すると、男はランタンの頭を蹴っ飛ばした。
ランタンはこれを躱すこともできずに、叩き付けられるように地面に倒れる。
頭がぐらぐらした。まったく無防備に食らったように見えた。
しかし、やはりまだ死んでいない。
殺すためだと言いつつも、まだ男はランタンを殺す気が無さそうだった。
ランタンは再び起き上がり、同じように壁に背を預ける。額が切れていた。流れる血を掌で拭う。
やはり身体が重い。致命的なほど行動が遅れる。
痛みを表情には出さない。
「お前のことを僕は知らないけど、僕はお前に、何かしたか?」
犬の顔に、唸るような表情が生まれた。
人族が変異によってこうなったのではなく、元は犬人族で、短い角を変異によって獲得したのだろう。その表情は自然だった。
「どうせ覚えちゃいないだろうが、お前は俺の兄貴を殺した」
「いつ?」
「五年前、下街で」
「五年前じゃあ覚えてないな。何人殺したかも覚えてない」
かつて下街に貧民街が広がっていた頃、ランタンはそこで暮らしていた。
そこは無法地帯だった。弱肉強食の獣の摂理によって日々が営まれており、盗みも殺しも職業の一つと言ってよかった。
ランタンもある意味ではその摂理に則っていた。自ら望んで戦いを吹っ掛けたことはなかったが、正当防衛の名の下に、襲撃者たちを容赦なく殺していた。
その数は十や二十では足りず、殺し損ねたものも、見逃したものもいる。
恨みは買って当然だろう。
それが巡り巡って、復讐者となって目の前に現れたことも、これが初めてではなかった。
迷宮で出会うことは、流石に初めてのことだったが予想外ではない。
いつかそんなことがあるかもしれないと、心のどこかでは思っていた。
制度の不備は承知の上で、ランタンはこれに参加している。
「ああ、そうだろうな。お前はそういう奴だった。あの時も、俺たちはいつも通りに狩りをしていただけだった。仕事帰りの探索者を仲間と一緒に囲んでふくろにする。探索者と言っても数にはかなわない。それが生意気な子供ならなおさらだ。簡単な仕事だ」
「で返り討ちにしたのか」
「そうだ。兄貴は頭を砕かれて、逃げ出した俺が戻った時には鼠の餌だ。あんまりだろ?」
「そうだな。ひどい様だ」
男はランタンの目の前を落ちつかなげにうろうろする。
止めを刺しきれぬ獲物を前にした野犬のようだ。反撃を警戒するようでもあるし、嗜虐的に嬲るようでもある。
「だから俺は絶対にお前を殺してやろうと決めたんだ。それなのにお前はどんどんと化け物じみてきやがる。一人で迷宮を攻略して、あっという間に押すに押されぬ単独探索者だ。ならどうする?」
「諦めるべきだったな」
「はっ――」
鼻で笑い、ランタンの頭に靴底を叩き込む。壁面に後頭部を打ちつけて、ランタンの首が力無く傾ぐ。
「――いい気味だ。迷宮で鍛えた。効くだろう?」
男の腕には探索者証が嵌められている。
五年間、迷宮探索を繰り返し、生き残ってきたのだろう。
それはよく汚れ、傷ついている。探索者として生きてきた証だった。
「そのまま探索者として生きていけばいいものを」
「ああ、できるならそうしたかった」
男は腰を屈め、ランタンの髪を掴んで乱暴に上向かせる。
「お前を殺すために探索者をやって、こりゃ大変な仕事だと思ったよ。命がけで稼いだ金を、襲撃者にかっぱらわれるなんて最低なことだ。そんなことをする奴は殺されて、鼠の餌になって当然だ」
男の目が暗くなった。
「だが見ろ。結局、この様だ」
投げ捨てるようにランタンの頭を振り回し、男は自らの角を指差した。
「くそが。結局、俺の人生はいつもこうだ。――いっつもこうだ!」
感情を押し殺すような静かな声音が、破裂するような怒気を孕んで洞窟をこだました。
それはランタンに向けられたものではなく、この世の中のあらゆる不条理に向けられているようだった。
「――まっとうに生きようと思ったよ。お前は嫌になるほど目立つけど、迷宮に入ればお前のことを考えてる暇なんてないからな。仲間もできた。鼠の餌になった仲間より、ずいぶんましさ。戦って、金稼いで、仲間と酒飲んで、そのうち嫁さんでももらってよ。昔のことも、悪いと思ったよ。殺して奪って、俺は間違ってたんだ。だからせめて償おうと思ったさ。世のため、人のため。それなのになんでかなあ?」
サラス伯爵領の戦いに身を投じた探索者は、そのほとんどが他者のために戦ったはずだ。
しかしその報いは異形への変異であり、人々からの奇異の視線である。
「なんで俺ばっかり、こんな目に合うんだ?」
風が吹いている。洞窟の奥から、微かに風の流れを感じる。
「なあ、ランタン。お前は何で探索者を助ける? お前が一番よく知ってるだろう。迷宮で死ぬのは自業自得だって。命金制度は綺麗事だ。こんなの薄っぺらい氷の上に乗っかってるだけの制度だ」
「理由は特にない。僕はそれをできるからするだけだ。……呼びに来たギルド職員はグルか?」
「さあ、知らね。俺と一緒で、必要だから用意したんじゃないか?」
男はランタンに復讐をする理由はあるようだが、その首謀者ではないようだった。
「この人は?」
「それも知らない。けどお前に恨みがあるみたいだったぜ。俺と似たようなものだろ」
「殺したのはお前か。仲間割れか?」
「土壇場で怖じ気づいたからな。しかたねえよ」
鳩尾に男の爪先がめり込んだ。
ランタンは息が詰まりくの字に身体を折り曲げて、ひゅうひゅうと喉を鳴らして呼吸をする。黒鹿に開けられた脇腹の傷から、じわりと血が染み出した。
「わははは、いい様だ。苦しいか? 化け物だって、死ぬ時は苦しい。安心したよ。じゃなきゃお前ばっかりずるいだろう」
「……何がずるい?」
「殺しまくったのはお前も同じ。人助けをしたのも同じだ。おんなじ探索者同士、お前は英雄だ何だって言われて、いい女をいっぱい抱いて、幸せいっぱい、誇らしげに肩で風を切って歩いてる。――俺を見ろ。見ろよっ!」
男はいきなり上半身を裸になった。犬人族の血の濃い、毛に覆われた身体が剥き出しになる。背中は茶色で、腹の方の毛は白い。
肌の上に鎖帷子を着ているのかと思ったが、そうではない。
男が掻き毟るように毛を掻き分けると、その下に鱗のような金属片のようなきらきらした肌が見えた。
「こいつのせいで、女の前で脱げもしない。この縁が肌にめり込んで痛むのよ。この角だって、小さいもんだろ。牛人族が俺を見て笑ったよ。てめえも角があるくせに」
男はまたランタンの髪を掴んだ。ぶちぶちと髪がちぎれるのを感じた。視線を合わせるようにしゃがみ込み、頭突きするように額を合わせる。
口角に泡。
白目に毛細血管が赤い。
「俺とお前、何が違う? なあ、教えてくれよ。殺した数か? 百か、二百か? 何人殺した? 何人殺せばお前になれる?」
「よく喋る」
ランタンは小さく呟いた。
鳩尾を蹴られた痛みがようやく引いてきた。
男は事実としてよく喋った。
それは孤独の表れだった。変異者は会話や、理解に飢えている。その飢えを癒やすような饒舌さを、ランタンはこの期に及んで哀れに思った。はめられたことは腹立たしいが、男の境遇を自業自得と言い切れはしなかった。
その哀れさから、男は利用されているのかもしれない。
「ああ?」
「足りないよ」
ランタンは真っ直ぐに男の目を覗き込んだ。
「百とか、二百とか。それじゃあ足らない」
はったりでも脅しでもなくそう口にしたランタンに、男は思わずその手を離して後退った。
抵抗もできず、好き勝手に痛めつけられる小さな肉体。
その中に隠されている獰猛さがちらりと覗いた。
復讐者ではなく、探索者としての本能が男に剣を抜かせた。
「ようやくか」
ランタンが言った。
男は険しい顔をして、剣を片手にすり足でランタンに近付く。
「誰かを待たなくていいのか? そのためのおしゃべりだったんだろう?」
男はランタンへの復讐心、あるいは嫉妬心を利用されただけだった。
「動くな!」
「尻が冷えた。これぐらいはいいだろ。どうせ抵抗はできない」
ランタンはのろのろと立ち上がった。
尻をはたき、煩わしそうにその手首を回した。
そこには探索者証と、もう一つ腕輪がはめられている。
男に嵌められたものだ。
言うなれば呪いの装備だった。
身体に力が入らない。それは探索者の力の根源たる魔精を失活させるものらしい。
ランタンが抵抗もできずに暴力を受け入れていた理由はこれだった。
「――おい、何をしている? まだ殺すな」
洞窟に三人の男が入ってきた。犬人族は慌てて振り返る。
「殺してねえよ」
ランタンと一緒に救援のために迷宮へ入ってきた探索者だ。
当たり前だが彼らもグルであり、そして彼らこそが首謀者であるようだった。身体の汚れや傷は擬態であるようだ。微かに息が上がっている。
ランタンよりずいぶん遅れたが、走ってきたのかもしれない。
「これ、よくできてるな」
「奴隷の首輪が効かないことは知ってる」
人の意思を縛り、意のままに命令を遂行させる魔道具である奴隷の首輪は、偶発的な行動を防ぐことはできない。反抗するなと命じれば直接攻撃を防ぐことはできるが、例えばランタンが無意識に爆発し、その結果たまたま首輪が壊れることは防げない。
「ああ、そう。懐かしいことをよく調べたな」
どこからどう見ても探索者にしか見えない二十代半ば頃の男たちはにやりと笑った。
それこそが自らの本質であるかのように。
「ランタン、お前はそれに値するよ。因縁があるのでね」
「黒い卵の関係者か」
「――関係者というのは少し違うな。我々は誰もがそれだ。黒い卵そのものだ」
誰だって強くなりたいし、誰だって死ぬのは怖い。
不死を求めし秘密結社は、人の欲望がある限り消えることはない。
ランタンはこれに確かに因縁があった。
犬人族の男を始めとする、多くの変異者たち。彼らが変異したその原因となったサラス伯爵は、まさしく黒い卵の一人だった。
秘密結社のくせして一部界隈では有名で、その総数は知れない。末端は自分がそうであるとも知らず黒い卵の研究に力を貸しているだろう。
目の前の犬人族がまさしくそうであるように。
犬人族は苛々しているようだった。男は彼らの仲間ではあるようだが、やはりその本質を理解していない。
ランタンと彼らの会話を理解できぬ言語でのやり取りであるかのように取り残されている。
仲間外れを嫌がるように口を開く。
「おい、どうせ殺すんだろう。もう殺していいのか?」
「いいや、まだだ。下準備がいる。変な動きをしないか見てろ」
「これ以外に?」
ランタンは腕を上げて、その腕輪を見せつけるように手を揺らした。探索者証は揺れるが、腕輪は腕の太さにぴったりとして隙間がない。
「ああ、そうだとも」
「しかし僕は殺されるのか。生け捕りではなくて?」
ランタンが尋ねると、彼らは大笑いをした。
ランタンと犬人族と死体だけが笑わなかった。
哄笑が洞窟にこだまする。
「俺たちは間違えていた。ランタン、お前は確かに興味深い」
そう言って首を振った。
「できるものならば生け捕りにしたいが、それは狂気の沙汰というものだ。不可能は可能にはならない。ずいぶんな学びだ」
「貴様らがそれを言うか」
「言わせたのはお前さ。学ぶのに伯爵領一つ必要だった」
ランタンが呆れると、彼らは真面目な顔をして言い返してきた。
「下準備とは何だ? 塩胡椒でもするのか。傷に染みるのはやめてほしいが」
「ずいぶんとお喋りだな。時間稼ぎか? よく知ってるだろう。迷宮に助けは来ない。それとも時間が解決してくれるとでも?」
「いいや、ただの興味だよ」
朝になっても帰らなければリリオンたちも不安に思うだろう。あるいは探索者ギルドも何か勘づくかもしれない。しかしそれだけの時間を稼ぐのは難しい。
彼らは懐から魔精結晶を取り出すと、それをおもむろに砕きはじめる。
犬人族が驚きに目を見開く。
探索者からしてみれば、それは金貨を砕いてばらまいている等しい。
魔精結晶はそれを砕いても、何の意味も持たない。加工し、色を持たせることで水や火を発生させ、更に高度な魔道の発動体となる。
魔精結晶をそのまま砕いても、ただ内包する魔精が解放されるだけだ。
「最近、迷宮から生まれたと吹いているだろう」
「ああ」
「俺たちはそれが真実じゃないかと思っている」
「酔狂なことだ」
「そんなこともない。大真面目にそう思ってる奴は大勢いる。お前は人語を操り、赤い血を流す魔物さ。これを迷宮で殺したらどうなる?」
魔精結晶は魔物の核となる部分に発生する。角や牙、爪や鱗、あるいは内臓の一部や、血液さえ結晶化の対象だ。
迷宮で殺した魔物はその肉体に魔精結晶を発生させるが、地上で殺した場合はその限りではない。
そのためにあえて地上で魔物を殺すことがある。
そしてこれはその逆だ。
「馬鹿の発想だな」
「お前から取れる魔精結晶はどんな色だろうな? 赤か、それとも――黒か」
魔精結晶は青く、内包する魔精の量によってその色は濃くなる。
秘密結社黒い卵のその名は、もともと最高濃度の魔精結晶の異称である。青を煮詰めに煮詰めた、漆黒の魔精結晶。それはあらゆる願いを叶え、あらゆる不可能を可能にするとされている。
希望も欲望もあらゆるものを内包し、これを孵す卵である。
「おい、もうすぐだ。復讐の時間だぞ」
犬人族がランタンの首筋に剣を当てた。
ランタンはそちらに視線を向ける。
「使い捨てにされるぞ」
「今さら命乞いか?」
「いや、忠告だ。そいつらは碌なもんじゃない。利用されてるだけだ」
「……それでもいいさ。誰も俺を必要にしなかったんだ。こいつらだけだ。俺を必要にしてくれたのは」
「だからここで死ぬのか? 僕を殺して」
「ああ、そうだ。兄貴を見捨てて、こいつも殺しちまった。もしかしたら友達になれたかもしれないけど。俺はいつだってこうだ」
「僕のことも好き勝手に蹴ってくれたじゃないか」
「ああ、すっとしたよ。俺の人生はいつも最低だけど、良い気分だった。――なあ、なんでそんなに落ち着いてるんだ? もう諦めたのか? あのランタンが」
「いや、僕は諦めないよ。約束したから、絶対に帰るって。だから諦めはしない」
ランタンはむしろ彼らに向かって言った。
その言葉を三人は嘲笑った。たしかに彼らは優位であり、それを覆すことは不可能なように思われた。
刃が喉に押し当てられる。少しでもこれを引けば、喉笛が掻き切られるだろう。薄皮がすでに裂け、赤い血が一筋垂れる。
「戯言だな。魔精を封じられたお前は、もうただの子供だ。どうすることもできん。もう準備は整った」
「いいや、帰らせてもらう。そのためにお前らは必ず殺す。たった四人だ」
ランタンは犬人族に視線を向ける。
「言っただろう。百や二百じゃ足らないと」
ランタンは口元に獰猛な笑みを浮かべる。
はったりではないその言葉に、犬人族はむしろ感心するように口を半開きにした。
その目に宿るのは復讐心ではなく、憧れだったのかもしれない。
男は探索者だった。
「――やれっ!」
洞窟。魔精の満ちた閉鎖空間。
ランタンは腕輪により魔精を封じられ、爆発を起こすことができない。
彼らの失敗はランタンの処刑に物理的な手段を選んだことだった。魔道によっての殺傷は魔精結晶を壊すことがあるので、それを嫌ったのだろう。
だがこの少年は閉鎖空間での戦闘に滅法強い。
近すぎる。蝋の翼が溶けるほどに。
どんっ、と空気の爆ぜる音が響いた。
それはランタンが隠し持った雷精結晶から放たれたレティシア手製の雷だった。
雷は周囲に満ちる魔精を獰猛に食らい蜘蛛の巣のように広がって、その場にいる六人の男たちを容赦なく打ち据えた。死体でさえ痙攣した。
「ぎゃあ!」
犬人族の手から剣が弾け飛び、関節を全て伸ばして硬直する。
奥で見ていた彼らもまたまったく防ぎようもなく雷に打ち据えられて、同様に感電したランタンだけが即座に起き上がって洞窟の奥へと駆けだした。
ランタンと彼らの違いは雷への慣れだった。
「いつもレティにはいじめられているんだ」
ランタンはそう呟いて、他人のものように重たい身体を引きずるように走り続ける。
背後から足音が聞こえた。もう追いかけてきている。
単純な速度勝負なら、すぐに負けてしまう。今のランタンの身体能力はずいぶんと落ちている。
迷宮で鍛えた分はそのままだが、魔精による底上げがまったく失われている。
洞窟の先から光が差し込んでいる。
ランタンは転がるようにそこから外に出る。
見事に赤い紅葉の森が広がっている。
鞄から火炎結晶を取り出すと、それを洞窟の中に投げ込んだ。
一呼吸の間を空けて紅葉よりも赤い爆炎が膨らんで、洞窟に崩落を起こした。しかしそれは時間稼ぎにしかならない。
四対一、ないし三対一では流石に分が悪い。いや一対一でも。
しかしやるべきは一人ずつだ。
欲張ってはならない。
ランタンは紅葉の森の奥へと進み、身を隠した。
普段なら一昼夜だって走り続けられるが、もう息が上がってしまった。
全身が鉛のように重たい。疲れだけのせいではない。やはり爆発も起こすことはできない。
傷の手当てをし、呪いの腕輪を壊そうと試みるが、どうにもならずこれを諦める。手首を切りおとしてまで外そうとは思わない。
水分と探索食を摂取し、どれだけ効果があるかわからないが魔精薬を服用する。
「大丈夫、大丈夫、がんばれるよ。絶対に生きて帰る」
探索者を始めたばかり頃のように、ランタンは自分を鼓舞する。
あの時は力も、魔精の底上げもなかった。
それでもなお迷宮を攻略してきたのだ。
必要なものは慎重さと臆病さ。
そして勇気だけだ。
「僕ならできる」
目を瞑るとリリオンやみんなの顔が浮かんだ。
自分でも驚くぐらいの生への執着が湧いた。
「やるんだ」
ランタンの瞳の奥に炎が浮かんだのは、はたして紅葉の反射だろうか。




