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カボチャ頭のランタン  作者: mm
02.Some Day My Prince Will Come
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 扉の向こうから低く響く獣の雄叫びが聞こえた。金属製の扉がびりびりと震えて、扉に触れたランタンの指先に痺れるような振動が伝わる。雄叫びに混ざり何かしらの破砕音が三人の耳朶を打ち、扉を押し開くことを躊躇わせた。

 扉一枚を隔ててそこにある重圧(プレッシャー)は、迷宮最奥の白い霧の前に立った時を連想させた。果たして鬼が出るか蛇が出るか。いや決まっている。扉の向こうにいるのは牛である。

「おや、これは――」

「下がった方が良さそうですね。――リリオンっ!」

「はいっ!」

 雄叫びとは真逆の華奢な返事をリリオンが返すと同時に、三人が大きく後ろに跳躍した。その瞬間。

 金属製の重い扉が内側から爆破されたかのように拉げ、弾け飛んだ。扉は大きく距離を取って着地した三人の頭上をさらに飛び越えて背後に落ちる。そしてその大跳躍に飽き足らず重低音を撒き散らしながら床を何度も跳ね、壁にぶち当たってようやく沈黙した。

「なんとも乱暴な」

「リリオンはあんな真似しちゃダメだよ」

「もうっ、わたしそんな事しないわ」

 三人は扉などには目もくれずに、勢いよく扉を開け放ったその男を睨み付けた。

 賞金首探索者、現カルレロ・ファミリー頭首フィデル・カルレロ、その威容を。

「でかいな」

 テスが思わずという風にぽつりと呟き、リリオンが視線だけを少し上に、ランタンは喉が露わになるほどに顔を上げた。黒目がちの眼球がぎょろりと当たりを睥睨する。

 二メートルを超えるカルレロの身体は、蛮族の英雄を赤銅から削り出したかの如き見事な巨躯である。リリオンよりも頭は二つは大きく、身体の厚みは三人分どころの話ではなかった。全身の、特に首や肩の筋肉が尋常でなく発達しており、真っ赤になった剥き出しの上半身にはひとつまみの脂肪も存在していない。筋肉のうねりが皮膚を透かして見えるようだった。

 そしてこめかみから迫り出す野太い牛角がいかにも威圧的であるが、それよりも目を引いたものはその手に握った長柄の半月斧(バルディッシュ)である。カルレロの巨躯の所為でそれは普通の斧に錯覚させられるが、その斧頭はランタンの胴体ほどもある。普通の人間には持ち上げることも出来ない、巨大な力の塊である。

 カルレロはそれを軽々と振り回し、顔面の中央に存在する大きな牛鼻から荒々しく鼻息を吹き出した。それは怒りに熱されて白い蒸気となった。

「おおおおっ! 俺のっ、息子をおぉっ!!」

 部屋中に散乱した死体を、そしてその中に立つ三人を睨み付けてカルレロが叫んだ。そこにあるのは怒りと、これは悲しみだろうか。ランタンは雄叫びの中に響く、掠れて震えるような枯れた音色に眉根を寄せた。

 今まで散々ここで戦っていた。そこに響いた戦闘音楽はあの扉がどれだけ分厚かろうとも、届かないわけはないだろう。だと言うのにカルレロからはまるで、今し方戦いがあったことを知ったようなそんな印象を受ける。

「寝起きが悪い、と言うことかな」

 テスが小さく呟いた。

 ランタンはそれを聞きながら怪訝そうに眉を顰めたが、ただじっとカルレロの背後に潜むバラクロフを睨んだ。視線が交錯する。呪うような視線には、カルレロが傍らにある所為が浮薄な愉悦が滲んでいるような気がする。

「エインっ! あれが、あのチビどもがっ、俺の息子たちを殺したんだなっ!」

 叫ぶようなカルレロの声に掻き消されたが、バラクロフがそれに何事か呟きながら同意をした。何を伝えているのか分からないがバラクロフが何か言う度にカルレロの顔色が赤く、濃く、憤怒に染まってゆく。

 バラクロフの意のままに。

「――いきます」

 何をどう足掻こうとも、カルレロとの戦闘を避けることは出来ない。ランタンは囁くようにテスに伝えると先手必勝の法則に従って、足元に転がる手斧を蹴り上げてそれを掴み、間を空けず流れるようにバラクロフに向かって投げつけた。同時に疾走し、跳躍する。

 真っ直ぐにバラクロフを狙う手斧をカルレロは素手で払い落とした。手斧はまるで重さのない羽虫のように払われた。だがカルレロの視線が一瞬バラクロフに向いた。

 その瞬間にランタンは壁を蹴りカルレロに真横から飛びかかっていた。

「ぬぅんっ!!」

 横っ面を吹っ飛ばすように振るった戦鎚が、跳ね上がった半月斧に阻まれる。火花が散り、巻き上がった風は突風のようで、打ち合いの衝撃は隕石を殴りつけたような重みだった。これは尋常のことではない。爆発を巻き起こせば、自らの起こした爆炎が斬風に煽られて己をの身体を襲うだろうというような確信があった。

 ランタンは打ち負けて吹き飛ばされ、どうにか着地したものの踏鞴(たたら)を踏んだ。首に汗が滲む。

 相手が迷宮から遠ざかる賞金首探索者だということもあり、多少の侮りがあったのかもしれない。けれど体重差が覆されることは無く、純粋な力比べては完全にカルレロに分があった。戦鎚も並の物だったら殴りつけていたこちら側が砕かれていただろう。

「軽いっ、軽いぞっ! この豆粒がっ!」

 そう怒鳴ったカルレロの横合いから、いつの間にか弓を構えたバラクロフが矢を射った。ランタンはそれを余裕綽々に躱したが、テスが怒鳴った。

「上だっ!」

 視線を上げると何か黒い影が落下していた。後ろに転げるようにランタンはそれを避けて、立ち上がり様に感じた殺意に、反射的に首を守るように戦鎚を立てた。打ち付けられた何かを止め、ランタンはその衝撃を逃がすままに後ろに下がった。

「くふふ、――おかえり」

「……ただいま」

「お前の背中を見てる子がいるんだから、もう少し慎重にな」

 リリオンの腕を掴んだテスがニヤリと笑いながら呟いた。ランタンは拗ねるように答えて、テスに捕まえられているリリオンを見やった。リリオンは今すぐにでもランタンに飛びかかりそうなほどになっている。

「ランタンっ、大丈夫っ?」

「へーき」

 感覚が鈍るほど手が痺れていたがそんな素振りも見せずにリリオンへ軽く微笑み、すぐに視線を黒い影共に向けた。

 敵が二人増えた。面倒くさい。

 一人は蜥蜴人族だ。

 蜥蜴の顔が裂けたように口を開き、青い舌を覗かせて唇を舐めた。胸から腹を防御する鞣し革の軽鎧を身につけて、剥き出しの腕や背中は鰐にも似た濃緑の鱗板(りんばん)に覆われている。それは天然の鎧だ。ランタンの頭上に落ちてきて、その勢いで叩きつけた大鉈が床を砕いている。ゆらりと立ち上がって、硬そうな尻尾がばちんと床を叩いた。興奮による衝動と、同時に威嚇か。

 そしてもう一人。人族だと思われる。

 ひょろりと背が高く、その手に握られた極細い刺突剣(レイピア)が重たそうに見えるほどの酷い猫背で、頭髪のないのっぺりとした顔は色が悪く黄みがかった砂色をしている。変拍子で左右に揺れて、ランタンたちをどこか茫洋とした瞳で見つめていた。蜥蜴とは正反対の冷淡さがむしろ不気味だ。

 どちらかが貫衣(ローブ)であろうか、と瞳を細めたがその腕にギルド証は嵌められていない。猫背の方はゆったりとした貫頭衣を身につけているので雰囲気は似ているが、確信は持てない。なんとなく違う気はする。

 だがしかし、前哨戦の雑魚共とは雰囲気が違った。貫衣でなくとも、いわゆる側近や幹部と呼ばれる者だろう。蜥蜴の方は恐ろしげなその顔つきそのものの剣呑な、猫背の方は陰気で不気味な雰囲気があったが、それ以上の独特の存在感があった。カルレロほどではないが相応の使い手だろう。

「二人とも」

「はい?」

「カルレロを貰っていいか?」

 テスが好戦的に喉を鳴らして牙を剥いて笑う。そこには隠しきれぬ獰猛さがあって、ランタンは反射的に頷いた。テスの項の毛がぶわりと膨らんで立ち上がっている。それは喜びであるのかもしれない。 怖い人だ。おそらく、この場の中で最も。

「テスさんのお気に召すままに、どうぞ」

「すまんな」

 それはこちらの台詞だ、と思う。相手方ではどう見てもカルレロが一番の難敵である。

「だが、危なくなったら呼べ。どうにかしてやる」

 頼もしく、けれど投げ遣りにそう言った瞬間、ランタンの視界からテスの姿が消えた。ランタンの足で十歩以上ある距離を一瞬で詰め、カルレロに肉薄していた。だがカルレロも反応している。

 浅い角度で切り上げられ、薙ぎ払われた半月斧がテスを両断しようと襲いかかった。しかしテスは速度を落とさずそのまま半月斧に突っ込んで、まるで跳び箱のように斧頭に手を添えて飛び越えるとカルレロの顔面に目がけて鋭い刺突を放つ。

 高速の平突きは、しかしカルレロの顔面を滑った。カルレロは驚くべき反応速度で首を傾け、血も滲まぬ薄皮一枚を斬らせるだけでそれを避けた。かと思われた時、二振りの内のもう一つ、テスの剣が左の角を目がけて振り下ろされ、また避けられた剣が振り上げられていた。まるで狼の顎門だ。角の根元を捉え、噛み付いた。

「くふ、面の皮は厚いようだが、貴様の()()はずいぶんと(やわ)いな。いくら大きくとも、それでは私を満足させることは出来ないぞ」

 角を切り落とした澄んだ音に負けず劣らず、冷たく冴えた声でテスが嘲笑(わら)った。

「ぶるるあああぁっ!!」

 途端にカルレロは激発し、背後に着地したテスへ振り向きざまに半月斧を薙ぎ払った。角を失ったことと、それ以上の傷に触れられたかのように怒り狂っている。半月斧は壁を破砕し、巻き込まれ掛けたバラクロフが転ぶようにそれを避けて、テスはさっさと奥の部屋へと引っ込んでいった。カルレロは蹄で床を砕きながら、暴れ牛同然にそれを追いかける。

「くっそ単細胞の馬鹿がっ!!」

 馬でも鹿でもなく牛だろうとランタンは取り留めも無いことを考えながら、テスがカルレロを引きつけてくれたので気兼ねなくバラクロフへと走った。だが同時に猫背共がその行く手を阻んだ。

 床を滑るように猫背がランタンに肉薄すると刺突剣を突き出す。耳元で大気に穴が空いた音が鳴り、その鋒がぐにゃりと(しな)り側頭部を削ぎ落とさんと迫った。ざらりと髪が散る。ランタンは避けながら靴底を猫背に叩き込んだ。極度の猫背のせいで、見た目よりも腹部が遠い。ほとんど爪先で押しただけだ。

 視線の端で蜥蜴が大鉈を振りかぶっているのが見えた。だがそれが振り抜かれることはない。

 盾を構えたリリオンが蜥蜴に突っ込んで、その巨体を吹き飛ばした。浮かび上がった緑の巨体、その下をランタンは身体を低くして潜り抜ける。立ち上がったバラクロフは奥の部屋へとカルレロを追いかけようとしている。

 この期に及んで、とランタンは舌打ち一つを吐き出して転がる死体をバラクロフの進行を妨げるように蹴りつけた。

 それを追うように走り、戦鎚を振りかぶる。だが行く手を遮られたバラクロフが驚くべき早さで矢を番え、振り返り様に弓を引いた。振るった戦鎚が爆炎を纏い矢を払い、ランタンはその炎を潜り抜ける。炎を切り裂くような銀線。鼻先をバラクロフの小剣が掠める。もう少し鼻が高ければ、鼻の形を変えられていた。

 バラクロフの表情が歪む。目測を誤ったことが射手の矜恃に障ったのか、それとも。

 ランタンが戦鎚を薙ぐと小剣でそれを防ぐが、あまりに軽い。戦鎚の勢いそのままに小剣が弾かれてバラクロフは後退った。ランタンの頬が笑みに歪む。バラクロフが唸った。

「ベルムドっ!!」

 だが振り下ろした戦鎚は、視界の外から飛び込んできた刺突剣に逸らされた。

 ベルムドという名の猫背がランタンの前に立ちはだかりバラクロフを守った。荒い息を漏らすバラクロフが猫背の背後で脂汗を袖で拭う。そして性懲りもなく背を向けようとした。

「ふ」

 その背中目がけて吹くように笑い、それほどカルレロが恋しいのですか、とランタンはその背に残酷なほど優しげに声を掛けた。胸焼けしそうなほどたっぷりの憐憫。

 思わず振り返ったバラクロフにさらに告げる。

「噂通りの方ですね」

 蜥蜴はリリオンが相手をしてくれている。猫背が技巧派ならば蜥蜴は力押しだ。リリオンの戦闘方法とは良く噛み合って、白熱した打ち合いを演じている。背後を振り向く余裕はないが、激しい剣戟の音色が聞こえた。リリオンは頑張ってくれているようだ。

 ランタンは猫背の刺突連撃を躱し、逸らし、打ち払いながらバラクロフに笑いかける。ただその瞳の奥はただ冷たさだけを湛えている。

「何を……!」

「お聞きしましたよ。お仲間を犠牲にして、迷宮からご帰還なさったと。()()()はかねがね、お話しできて光栄です」

「ぐ、貴様あっ!」

 バラクロフの表情が一瞬で赤く、燃えるような憎悪に染まった。

 表情に羞恥と負い目が一瞬だけ浮かび上がり、すぐに溶けて消えた。上書きされた表情は激昂である。額に浮き出た血管が皮下寄生虫のように蠢き、頭に上った血の熱で髪油が溶けたのか後ろに撫でつけた髪がはらりと解けた。

 ちょろいな、とランタンは性悪く三日月のように唇を歪める。その表情にバラクロフが自らの唇をかみ切るほどに激怒し、血の混じった唾を撒き散らしながらランタンを口汚く罵り、猫背を(けしか)けた。

 充分に煽れた。

 だがバラクロフ自らが打って出ることはない。猫背を嗾けたのは僅かに残った冷静さからだろうか。

 挑発は完璧とは言えないが、上出来だろう。バラクロフの足を止めることは成功した。逃げ出せばランタンの言葉を認めたことになる。バラクロフはランタンの言葉に縛られたように、この場から逃げ出すという選択肢を失ったのだ。

 強者に守られることは厭わないが、侮られることは我慢ならない。矜恃とは不思議な物だ。

 強敵を引きつけてくれているテスに、あれ以上の面倒事を負わすわけにはいかない。これで少しはテスに面目が立つ。扉を失ったそこから覗く奥の部屋は、寝物語に聞く英雄譚の一幕にも似ている。ただそれよりだいぶ荒々しく残酷ではあるが。バラクロフが立ち入ってはテスも興ざめだろう。

 とは言えこちらも、なかなか。

 嗾けられて勢いを増した猫背は恐るべき使い手である。

 女の手でも折れそうな程に細い刺突剣がランタンの戦鎚を受け止めるのだ。

 戦槌を受けた剣がびぃんと撓り、円を描くように手首を回して衝撃を受け流し、同時に攻撃へと転じる。一秒を半分に割った時間の中で、目を狙い、喉を狙い、心臓を狙う高速の突きがランタンを襲った。

 猫背であるが故の前傾姿勢と、長い腕が相まってその射程(リーチ)は大剣を構えたリリオンに匹敵しそうなほどだ。細く見える腕は痩せているのではなく驚くほど引き締まっている。盛り上がった筋肉が荒縄のようであり、その真価は鍛えられた腕から繰り出される突きの鋭さよりも、突き出した剣を引く早さにある。隙が少ない。

 鋒の内側に潜り込むことは至難の業である。

 ランタンは首から上を狙った二連撃を上体を傾けて避けて、心臓に撃ち込まれる一撃を戦鎚で払いのけた。軽い。だがそこにある軽さはバラクロフの小剣を払った時とは物が違う。逃げるような軽さはすなわち猫背の意思による物である。

 手首の返しだけで放たれた斬り返しを、ランタンは脇腹を舐めさせるように前進しつつ身体を捻ってやり過ごす。服が裂けたが皮膚までは届いていない。そして跳ね上げた戦鎚が猫背の首を狙った。

 猫背が猫背ではなくなった。首を差し出すような前傾姿勢を正して背を伸ばすと、顔面すれすれを戦鎚が撫でた。ぎりと奥歯を噛んだランタンを、猫背が頭上から見下ろした。これは貫衣の身長ではない。

 その瞳には相変わらず茫洋たる光が湛えられている。戦いの興奮も、ランタンへの敵意も何もない。意思を感じない瞳は泥の塊を詰め込んだようで視線を交えることが苦痛でさえあった。

 猫背が頭が重いとでも言うように再び猫背に戻った。その頭の影から矢が射られる。怖い物見たさか猫背から視線をそらせずにいて反応が一瞬遅れた。戦鎚を振り上げるには間に合わない。

「く」

 (やじり)の先端が睫毛に触れた。眼球を貫くすんでの所で掴み取り、折り捨てた。視界が一瞬自らの拳で埋まり、開けた時には猫背の姿が消えていた。猫背を失ったバラクロフが無防備である。が、ランタンは反射的に反転して跳んだ。

 バラクロフの頬に浮かんだ笑みは不吉を孕んでいた。背後で弓鳴りがした。無視。

 リリオンと蜥蜴が戦っている。

 蜥蜴の大鉈が振り下ろされたリリオンの大剣を受け止める。蜥蜴はじりりとリリオンを押し返して、野太い尻尾がざらりと円を描くように床を薙いでリリオンの足を払った。体勢を崩したリリオンは、だが咄嗟に盾を突き立てて転ぶのを堪えた。しかし鍔迫り合いを押し込まれたリリオンは確実に不利であり、また蜥蜴は怪力であった。

 ぼこぼこと蜥蜴の背筋が盛り上がる。リリオンの膝がじりじりと折れ沈んでいく。

 そして猫背が這うようにリリオンへ向かっていた。足音の無いその接近にリリオンは気が付いていおらず、歯を食いしばって蜥蜴を睨み付けている。猫背の刺突剣、その鋒がリリオンに狙いを定めた。やや下向きで、狙いは脹ら脛。行動能力を穿とうとしている。

 リリオンを拘束する蜥蜴か、それともリリオンを狙う猫背か。どちらを、とランタンが背後に迫った矢を爆発の加速を以て置き去りに、そして迷いさえも。

「リリッ!」

 たかが四文字を口に出すことも出来ぬその一瞬。だが少女はランタンの声を聞き身構えた。ランタンは盾に蹴りを叩き込み、その靴底に爆発が巻き起こりリリオンを吹き飛ばした。

 鍔競りをしていた蜥蜴が横合いから獲物を押しのけられたことで大鉈を床に叩き込み、標的を失った猫背がランタンへと剣を跳ね上げた。脇腹に払われたその剣を、ランタンは狩猟刀(ナイフ)を抜き打って防いだ。乱暴に差し出しただけの狩猟刀は、しかし刃こぼれ一つ無い。

 そしてようやく追いついた、あるいは別の矢なのかもしれない、を前につんのめるように躱し、距離を取って振り返る。吹き飛んだリリオンの前に立ちはだかり、大きく息を吐いて狩猟刀を鞘に戻した。

 バラクロフが弓に矢を番えたまま油断無くランタンを睨み付けて、蜥蜴と猫背がじりじりと距離を狭める。猫背の感情の読み取れない視線とは違い、蜥蜴の視線は刃物のようにぎらついている。気分よく戦っていたところを横入りされた所為だろうか。だが飛びかかっては来ず、バラクロフの前に並んで立ちはだかった。

 二人ともやはりバラクロフの支配下にある。

 猫背の戦闘技術、蜥蜴の怪力はバラクロフを上回っている。

 面子を大切にする悪党の中にあって武闘派集団であるカルレロ・ファミリーの最も分かりやすい面子は武力だろう。無論それだけで上下関係が決まるわけではないが、少なくともランタンから見たバラクロフには他の他者を従わせる要素、例えば人間性であったりカリスマ性であったりを見つけることは難しい。

 だとするとこの二人も薬物によって操られており、そして非常によく仕込まれている。どれほどの量の薬と時間を使ったのか。この二人だけではなく、構成員全員に、また傭兵に渡した薬物も。果たしてそれだけ売り物を浪費して、商売として成り立つのだろうか。

「ふぅ、それは衛士隊の仕事だな」

 余計なことを考えている暇はない。立ち上がったリリオンがランタンの隣に並び立った。

「平気?」

「ランタンのが一番きついわ」

 見上げた横顔は唇を突き出していて拗ねている。床を転がったせいで外套が血に汚れていた。粘性の高い血液は表面にべっとりと付着している。

「そりゃ失礼」

「ううん、助けてくれてありがとう」

 何とも素直なリリオンにランタンが喉を震わせて一つ笑い、ちろりと唇を舐める。手の中で戦鎚をくるりと回し、慎重にすり寄る猫背たちを嘲笑うように無遠慮に突っ込んだ。

 けれど意表は突けない。表情を変えぬ二人の反応は早く、ランタンは舌打ちを零した。

 蜥蜴の尻尾による足払いを大きく跨ぎ、大鉈を避けて胴を打つ。衝撃に蜥蜴が呻いたが、そのまま口を歪めて楽しげに笑う。鎧もさることながら、そもそもの肉体的な耐久力が高いのだ。鱗板のない腹部ですらこれほどか、と掌に鈍く伝わった感触に柄を握り直した。

 そしてランタンを狙った猫背による突きを、リリオンが割り込んで盾で捌いた。技術が高かろうがさすがに分厚く丸みを帯びた鋼板を貫くことは出来ない。鋒が盾の表面を火花散らしながら滑り金切り声を上げた。血よりも濃い鉄の臭いが香る。

 蜥蜴が笑ったまま大鉈を切り返した。足元では再び尻尾が蠢く。ランタンは跳び、大鉈を戦鎚で受けたその衝撃に逆らわず反転して、鶴嘴を猫背に向けて振るった。猫背はぐにゃりと身体を傾けてそれを()かし、手首が捻られて刺突剣がリリオンの足を薙いだ。

 リリオンが鋼鉄に覆われた戦闘靴(ブーツ)の爪先でそれを受けて、力任せに蹴り返す。猫背の腕が剣ごと跳ね上げられて、胴ががら空きになった。だがそこに戦鎚を叩き込もうとしたランタンを、上段からの切り落としによって猫背が牽制した。

 無理矢理腕の振りを止めたランタンの動きが一瞬止まり、蜥蜴が大鉈を構えて踏み込んだ。その行く手をリリオンが大剣を差し出して阻む。

 目まぐるしく対戦相手が交錯して息を吐く暇も無かった。

 大鉈を躱し、刺突剣を受ける。戦鎚がいなされて、大剣が逸らされた。そして時折バラクロフから矢も撃ち込まれる。四人が一塊になって、次々と体勢を変え、位置を交換しているためバラクロフから矢を撃ち込まれる頻度は少ない。だがそれでも貴重なタイミングをバラクロフは逃すことなく、またそれは絶妙に鬱陶しかった。

 その矢によって攻撃の出を妨げられて、避ける方向を限定された。

 ランタンは薙ぎ払われた()()()()()大剣を身を低く避けて、猫背に足払いを放った。猫背はその足を踏み付け、けれどランタンの足は地雷のように爆発する。

「ちっ」

 焦がしただけだ。猫背は吹き飛びも、転びもせずに少し踏鞴を踏んで体勢を崩しただけだった。靴底が炭化して、片足が剥き出しになる。追撃は矢と蜥蜴の尻尾によって阻まれた。猫背は刺突剣で靴を削いで完全に裸足となった。

 露わになったそれは人の足ではない。関節部分にはっきりとした節がある。昆虫系の亜人だろうか。だが深く観察している余裕はない。忙しくて嫌になる。だが不満を垂らしている暇ものないのだ。

 残念ながらランタンとリリオンの連携は(つたな)く、蜥蜴と猫背は巧みだった。

 そしてバラクロフの援護も優れていた。時折見える苦々しい表情から察するに蜥蜴共を御し切れているとは言いがたいが、それでも。

 バラクロフをまず潰したいところだが、それをさせないのがこの二人なのである。まったくもって面倒だ。相手は探索者ではないという驕りはカルレロで懲りたはずであるのに。

 二人はおそらく魔精によって強化されている。違法に迷宮へと潜ったのか、それとも魔精薬を服用しているのか。その両方か。

 ランタンは突っ込もうとしたリリオンの首根っこを掴み猫背の刺突から遠ざけて、足元から浮かび上がった蜥蜴の尻尾を戦鎚に受け止めた。撓った先端が脇腹を掠め、僅かに熱を感じる。ミミズ腫れ程度だ。

 これだけの泥沼ではあったが、誰一人として致命傷はない。

「混沌だな」

 ぽつりと呟くだけの余裕はあったが、それだけだった。五人がぐるぐると混ざり、そして反発し合う混合色の戦場は、針の上に乗った盆のように左右に揺れながらも結局は持ちこたえて微妙な均衡を保っていた。

「――ああ」

 そこに声が聞こえた。ランタンの背後、入り口の方から。どこかで聞いたような、そんな気がする。 バラクロフの表情が変わった。喜色から戸惑いへ。これもまた混沌である。ランタンは小さくリリオンの外套を引き後ろに下がらせると、同時に床に戦鎚を叩きつけて爆発を巻き起こした。

「――ああ、いい匂い」

 素早く振り向いたそこに居るのは、どこかで会った緑髪の変な女であった。黄色の強い金色の垂れ目が情欲にも似た蠱惑的な笑みを浮かべてランタンを見つめた。頬に掛かった髪を後ろに撫でた手にはギルド証が嵌まっている。確か、傭兵探索者だっただろうか。

 その存在は混沌を加速させるだけか、それとも均衡を傾けるに足るか。

 ランタンは靴底にこびりついた血の塊を落とすように、戦槌でかちんと戦闘靴を叩いた。


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