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迷宮を進んでいると、定期的に遠話結晶に連絡が入る。
六つに分かれた斥候部隊それぞれから拠点へ連絡が入り、まとめたものがレティシアへ伝えられる。
「拠点より北東へ三キロ地点に巣穴らしき穴を発見。現在は空ですが出入りの痕跡があるようです。西に進んだところで竜種の足跡を発見。陸竜の中型種と思われます。東方の彼方に飛竜の群れが存在しています。距離は不明」
「了解した。捜索を続行するように」
ざらついた音声を発していた結晶が沈黙し、レティシアはそれを腰の袋へしまった。
「レティが選んで連れてきただけあってさすがに凄腕だね。戦闘になってないなんて」
竜種は最強の魔物の一つだ。その肉体に備わったあらゆる能力は抜きん出ており、感覚器官も鋭敏だった。
ある意味で出現地点に囚われている閉鎖型迷宮ならばその感知能力も宝の持ち腐れだが、開放型迷宮では十全に発揮することができる。
「やはり竜種は特別だよ」
レティシアが部下の騎士よりも、むしろ竜種それ自体を自慢するように口にした。
「他の魔物と違ってすぐに襲いかかってはこない。無駄な争いを避ける賢さを持っているんだ。迷宮に植え付けられた探索者への攻撃本能と、もちろんせめぎ合いはするがな」
「なるほど。だからこそ生け捕りが可能ってこと?」
「正しくは友好な関係を結ぶことが、かな」
「レティはカーリーと仲良しだものね。ローサが羨ましがっていたわ。ローサもともだちになりたい! って」
「はは、似ているな」
カーリーはレティシアの愛竜の名前だ。レティシアと同じ赤毛で、くるくると巻いた鬣が特徴的な赤竜だった。レティシアを背に乗せると人竜一体といった飛行を見せる。
「ローサのことよんだ? なにかごよう? たたかう?」
自身の名を耳敏く聞きつけて、ローサはリリオンとレティシアの間から顔を出した。
呼んでないわよ、とリリオンが答えるといそいそと元の位置に戻る。よばれてなかった、とガーランドに報告している。
「カーリーも連れてこればよかったんじゃない?」
「それも考えたが、やはり迷宮ではな。万が一がある」
魔精というものはもともと無色透明で、あらゆるものに染まっていく。そして無色透明であるがゆえに染まりやすく、それが迷宮や魔道、あるいは探索者の強化といったものの源になっている。
迷宮の魔精はすでに色づいている。そこには探索者への敵対心や攻撃意思といった色があって、どれほど馴らした竜種でも影響は免れない。
レティシア一行はきのこの森を北に向かって進んでいく。行く先は胞子の靄がかかっており、十メートル先の光景さえ曖昧だった。
ぼんやりとして柔らかい光は、胞子の動きに揺らめいている。
索敵はやはりリリララの役目だったが、珍しく苦戦している。
積もった雪が音を吸うように、胞子が頼りとなる音を吸っていた。そして地面を伝う震動もまた胞子によって減衰している。
リリララが立ち止まるように示した。
「下から何か来る、ような気がする」
反射的に戦鎚に手を掛けようとしたランタンをレティシアが制する。
「ルー、傘の上まで運べるか?」
「はい、レティさま。お安いご用ですわ」
ルーがその重力の魔道を用いて全員を傘の上へと運んだ。
全員が一つのきのこに乗ると流石に支えきれなさそうなので、三つのきのこにそれぞれが分かれる。
ぶよぶよと弾力のある柄の部分と違い、きのこの傘は埃の積もったベッドのようだった。ふかふかしているが粉を吹いている。目に鮮やかな赤と白の縞模様だった。
傘の上では胞子の靄はやや薄く、より遠くまでを見ることができる。だがこちらを移動に用いれば、飛竜から狙い撃ちにされるだろう。
「リリララの勘違い?」
「いや、それはない」
しばらく待機したが何も起こらない。しかしレティシアは確信しているようだった。
腹ばいになったローサが身を乗り出して地面を見下ろしている。
「あの子、落ちないかしら? 心配だわ」
「ガーランドが付いてるから大丈夫だよ。――揺れた」
微かな地響きが、次第に大きく確かなものになっていく。
周囲のきのこたちも目に見えて震えだし、自らが砕けていくように多くの胞子を撒き散らした。
ランタンたちの下を何かが、群れをなして通り過ぎていった。それはきっと竜種に違いない。だがそれらは積もった胞子の下を潜行していた。激しく波打つ胞子だけが、そこをなにものかが通過していったことを証明している。
それは遠ざかっていく。
「数はいたが、大きさはそれほどでもないな。小型か、幼体か」
「でかい犬ぐらいか。追って姿を確かめる?」
「いや、いい。あれは期待できない。数より質だ」
リリララとルーが先に降りて安全を確認し、そのあとに全員が続く。地下を耕された胞子は一定以上の体重を支えられずベリレが沈んだ。ローサは四つ足で体重を分散したことが幸いした。
生えているきのこも、所々で自重を支えきれずに傾いているものもある。
「だめだ。引き抜こうとするとこっちが沈む。残念だよ、ここでお別れだ」
「冗談にもならんぞ。ええっとこういう時は、腹ばいになって」
「ご自分でどうにかなさろうと思わずに、わたくしを頼ってくださいませ。ベリレさま、お手をどうぞ」
「……すみません。失礼します」
ベリレは照れながらルーの手を取り、彼女に引き上げてもらった。靴を逆さまにして、中に入り込んだ胞子を振り落とす。
「ただの移動か、それとも逃亡かどちらだと思う?」
群の移動跡は天然の落とし穴のようなものだ。予定の経路を変更し、北西に向かって進路を取る。
「後者なら、大物に出くわす可能性があるね」
「あたしの耳にはでかぶつの気配は聞こえない。が、今日はちょっとな。粉っぽくてどうにも」
リリララが耳を引っ張った。茶色の毛に覆われた兎の耳はそれ自体がきのこであるように胞子を撒き散らす。
「逆に追ってるって可能性はないかしら? 餌を求めて」
「なるほどそれもある。――よし、このまま先に進もう。ただの移動ならそれもよし、大物から逃げてきたならそれもまたよしだ」
レティシアは無意識にこぶしを閉じたり開いたりしていた。緊張しているのだろう。指揮者の選択は、探索班の生死を決定づけるものだ。
ランタンはそれとなくレティシアの隣に並ぶ。
「大丈夫だよ。間違ってない」
他の誰にも聞かれないように小さな声でそれだけ言うと、すぐにリリララに場所を譲った。
戦闘を避けるように心がけているが、その全てを避けられるわけではない。遠話結晶からも戦闘の報告が入りつつあった。
そして、その竜種は足元から胞子を突き破って突如、現れた。
もしかしたらあの群はこいつから逃げていたのかもしれない。あるいはあの群の未来の姿なのか。
それは太った蜥蜴のような姿で尾は短く、足が六本も生えていた。爪は地面を掘り進むためか、長く鋭い。顔立ちは鯰に似ている。鼻先から生えた三対の髭がそう思わせるのかもしれない。
いわゆる地竜と呼ばれる竜種の一種だった。
牛よりも遥かに大きい。その巨体からするとずいぶんと小さい黒目が、間違いなく探索者たちを認識した。
「散開! 無力化する!」
逃げられそうにはなかった。そう判断するや、レティシアはよく通る声で指示を出した。
それぞれが即座に獲物を手にする。やはり探索者なのである。戦うことこそが自然な行いだった。
飛びだした蜥蜴竜は打ち上げられた魚のようにじたばたしていたかと思えば、途端に地上に適応した。
重低音で一咆えすると、胞子を後ろに蹴飛ばしながら猛然と突進してくる。大きく開いた口に牙はなく、紫色の口腔が不気味だった。
「気をつけろ。丸呑みにされるぞ!」
突進を難なく躱すと、蜥蜴竜はそのままきのこの大木に噛みついた。噛み切れはしないが、口に挟んだまま振り向くとそのままきのこを引っこ抜く。
きのこは噛み切れずとも、人体ならば容易に圧し切ってしまうだろう。
べっと不良のようにきのこを吐き捨てて、目をつけたのはランタンだった。
ランタンはその小さな身体からは不釣り合いなほどの攻めっ気を出している。戦鎚を手の中でくるくる回し、油断のない視線はむしろ挑発的ですらあった。
竜種は賢く、それ故に誇り高くもある。
蜥蜴竜にとってランタンは無視できぬ存在だ。
腹を満たすこともできないその小さな生き物を、どうしても捨て置けない。爆発的な加速で再び突進する。
その横合いから雷が飛来する。レティシアの魔道だ。
だが生半な魔物ならば痺れて動けなくなるような紫電が、竜皮の表面で弾けた。蜥蜴竜はまったく歯牙にもかけない。
大きく開いた口の横をランタンは通り過ぎた。右の前腕、そして中腕の付け根をかいくぐり、踏み込んだ右後足を戦鎚で跳ね上げる。
「ベリレ!」
ランタンが叫ぶよりも先にベリレは行動している。右後足に鎖が巻き付いた。それは彼の竜骨槍ではない。今日のために用意した、ただの鋼の鎖だ。
二重三重と足首に巻き付くと、鎖は途端に形を変えて枷となった。
リリララが変形させたのだ。質量それ自体は変わらない。だがいかにも歩きにくそうな突起があちこちから突き出ている。
体勢を立て直そうとした蜥蜴竜が、そのせいで横転した。
もうと立ち上がった胞子にその姿が掻き消える。
ランタンが追い越しざまにレティシアの尻を叩く。
再び紫電が走った。瞬間に爆発が起こった。
舞い上がる胞子が連鎖的に燃え広がり爆発したのだ。見た目は派手だが、威力自体はそれほどでもない。
蜥蜴竜が火の粉を払うように振り返った。
鋭い爪が、立ち並ぶきのこを苦もなく切断する。
だが戦鎚は斬れない。
紫電を追いかけたランタンは振り向きの一撃に戦鎚を合わせる。
蜥蜴竜の爪が根元からへし折れた。だが竜種の重さ自体を弾き返すことはできなかった。殴り飛ばされたようにランタンがごろごろと胞子の上を転がる。
入れ替わったのはリリオンだった。
揺籃の大剣が蜥蜴竜の下顎を切り裂いた。しかし血が流れない。ぶ厚い皮に威力が殺されてしまった。ならばとリリオンは目を狙った。しっかりと引き絞った大剣を槍のように突き出す。
蜥蜴竜が身を捩った。回転し、身体の前後を入れ替える。
伸びきったリリオンを薙ぎ払おうとする太い尻尾をルーが身体を張って受け止める。踏み込みを合わせ、背中からぶつかるようにして尾の一撃を跳ね返した。
「ありがとう!」
リリオンは叫びながら、伸びた身体を勢いよく縮めた。
大上段からの斬り落とし。
雷が鋼の足枷に打ち込まれた。蜥蜴竜が感電し、びくんと硬直する。その皮までもがぴんと張り詰めたように皺を失った。
剣が尾の付け根を切断した。
押し出したように切り離された尾からびゅっと青い血が噴き出した。
リリオンとルーが大きく距離を取る。
竜種の咆哮は悲鳴と言うよりも怒声だった。
身体を揺するような重低音があたりに響き渡る。四肢を滅茶苦茶に振り回して、癇癪を起こしたかのように暴れ回る。小枝のようにきのこがへし折られ、なぎ倒される。
この巨体でこれをやられるとまったく攻めようがない。
濃く、白く、胞子が再び蜥蜴竜を覆い隠した。
「もう一度やるぞ」
レティシアが胞子の靄に紫電を打ち込む。
膨れあがった火球が破裂し、爆発音はやがて耳鳴りとなった。
飛び掛かろうとしたランタンたちは、しかし標的を失った。
切断した尻尾と、自切したらしい枷の嵌まった後肢だけがその場に残されている。蜥蜴竜は胞子の地面に潜ってしまった。そしてどこかへ行ってしまった、
十分に警戒し、奇襲の危険がないと判断しそれぞれが獲物を引いた。
尻尾も後肢もまだ痙攣するように動いている。
「こっちはおねーちゃん。こっちはじぶんできったの?」
「そうよ」
「いたくない?」
「うーん、きっと痛いわ」
「どおして、そんなことするの?」
「痛いより、死んじゃう方が嫌だからよ」
「そっかあ」
ローサは突撃槍で後足を突いている。
時折大きく痙攣するので、その度にいちいちローサはびっくりしていた。
リリララが枷を鎖に戻した。再利用するようだ。
尻尾の方はベリレとルーとガーランドで皮を剥いでいた。よくよく見るとベルベットのように細かな毛が生えている。柔軟で丈夫そうな皮だったが、皮下脂肪がべったりとくっついているので剥ぐのは大変そうだ。
「皮は全てを。脂肪と肉は荷物にならない程度に回収。爪は全て回収する」
後足に残ったままの爪を、そしてランタンがへし折った爪は胞子の中から掘り起こす。
前腕の爪は長く鋭い。後足の爪はそれよりも短く、幅が広い。前爪は土を切り崩すためにあり、後爪は切り崩した土を後ろへ掻き出すためのものなのだろう。
「これにやられたらどっちにしろ骨まで行くな」
爪を一纏めにするとランタンはレティシアに近寄った。
呼びかける代わりに、軽く手を触れる。
「生け捕りにしなくてよかったの?」
「……どちらにしろ生け捕りの対象じゃない。贈り物なんだ。できれば翼はある方がいい。その方が見栄えがいいからな。陸竜でも、もちろん地竜でも構わないが、それならばそれなりの姿が必要だ。もっとこう鱗が華やかだったり、立派な角があったり」
レティシアは一息で言い切り、大きく深呼吸をした。
「気にしてる?」
「してない。――いや、少ししてる」
「ふうん。やっぱりレティは傲慢だね」
「傲慢。そうか?」
少し驚いたような顔をしたレティシアに、ランタンはいたずらに笑う。
「死者、怪我人ゼロだよ」
「だが、逃げられた」
レティシアは不満気に顎を突き出した。自分を抱きしめるみたいに腕を組む。
「なるほど。確かに竜種は賢いね。怒ったふりして逃げた。次は騙されないようにするよ。レティを満足させないと」
「ふふ、ありがとう」
レティシアがランタンにもたれかかろうとすると、その邪魔をするようにローサが二人の間に割って入った。上目遣いに二人を見上げる。
「ちがうよ」
「何が違うんだ?」
「おこったふりじゃないよ。ほんとうにおこってた。もうっ! って。もうもうっ! って」
蜥蜴竜の気持ちを代弁するみたいに、ローサはその場で足を踏み鳴らした。「そんなに怒ってたか。なら、お礼参りがあるかもしれないな」
「ああ気をつけなければ。ローサ、よく伝えてくれた」
「ローサよかった?」
「素晴らしい」
レティシアに撫でられて、ローサはご機嫌に何度も足を踏み鳴らす。
肉球の大きな虎の足跡が、いくつも胞子に浮かび上がる。




