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カボチャ頭のランタン  作者: mm
02.Some Day My Prince Will Come
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 リリオンの顔を押し返して、胸一杯に息を吸い込み、ゆっくりと身体に籠もった空気を吐き出した。ぽっと赤くなった頬が冷めて、ただ耳の先っぽに熱の残滓があるばかりになったランタンは澄ました顔を作って見せた。

 けれどテスがニヤニヤと笑って、リリオンがねぇねぇとしつこい。ランタンはリリオンの鼻っ柱を摘まんでそれらを知らんぷりした。空咳を一つ。

「――それで、そのお手伝いをしてくださる方は何方(どなた)なのでしょう。もしかして司書さまでしょうか?」

 ランタンがテスに尋ねると、テスよりも早くリリオンが鼻声で反応した。

「お姉さまが来てるんですか?」

 鼻を摘ままれたまま左右を見渡して司書の姿を探すリリオンは、その反動で指の間から鼻が抜き取られて小さく悲鳴を漏らした。ただ摘まんでいただけのランタンは、証拠を隠滅するようにこっそりと指先をズボンで拭った。

「いやいや、残念ながらあいつは来ないよ。呼べばきっと来ただろうし、来たがっていたがね」

 来たがっていたのか、とランタンはぼんやり思った。司書の姿、と言っても全てがベールに包まれてはいたが、からは完全にインドア派の事務方の印象しかない。もしかしたら類は友を呼ぶと言うやつなのだろうか。司書の職場も何だかんだと言っても物騒な職場ではある。

「あれを荒事に誘って何かあったら私はすごく怒られてしまうからな。まあバレなければ良いのかもしれんが、なかなか難しくてね」

 やるせなさそうにテスは肩を竦めて、言い聞かせるようにリリオンに微笑んだ。リリオンは鼻を手で押さえつけながら、少しばかり寂しそうな顔つきでゆっくりと頷き納得してみせた。そしてランタンに向き直り鼻を押さえた手を退かした。鼻が赤い。

「鼻が痛いわ」

「知らないよ、自分でぴってやったんでしょ?」

 ランタンが素っ気なくリリオンを一蹴する。リリオンは寂しさを誤魔化しているのか照れているような顔つきでランタンを睨んだ。ランタンも負けじとそれを睨み返し、けれど結局は折れて、その赤くなった鼻を甘やかな指使いで擽ってやった。リリオンが目を細めてふにゃふにゃとよく判らない声を漏らして、くしゃみを一つ零した。

「くふふ、ランタンは悪い男だな」

「テスさんに斬られないように気をつけないといけませんね」

「――くふ、ランタンを斬るのは中々骨だろうね。そんな面倒なことをさせないでくれよ」

「ご期待に添えるようにがんばりますよ」

 ランタンは端布でリリオンの鼻をかんでやりながら、テスに友好的な微笑みを送った。

 先の戦闘で手の内を全て晒したわけではないが、それでも恐るべき働きをしたランタンをどこからかテスは見ていたはずだ。だがそれでもテスにかかってしまえばランタンの相手は面倒の一言で済むほどなのだ。そうでなければ武装職員などやっていられないか、と納得しつつもその底の知れ無さはなかなかに恐ろしかった。

「――それでそのお手伝いさんは結局どなたなんですか?」

「ああ、くふふ、そうだな――、困ったことがあるとりんりん泣いて、私の所に飛んでくる可愛い鈴さ。住処(アジト)を見つけたら戻ってくる予定だから、紹介はその時にな」

 ランタンとリリオンが揃って首を傾げると、テスは喉を震わせて笑った。

「ま、勿体ぶることもないのだがね」

 見張り塔の中は窓からの採光があったがそれでもやはり薄暗く、床には三体の芋虫のごときものが転がっていて居心地が悪かったので外に出た。

 三人は向日葵のように太陽に顔を向けて見張り塔に背を預け、リリオンを真ん中に置いて地面に座りその鈴が鳴り響くのを待っていた。

 手持ちぶさたなので携帯食料のビスケットを囓る。その上にスライスしたチーズや干し肉を乗せてやると、リリオンとテスがそれを貪った。どうせなら火精結晶コンロも出して紅茶でも湧かしてやろうかな、とランタンは妙なのどかさに少しだけ呆れもしていた。ランタンは水筒から一口水を飲んだ。

「しかしバラクロフは何を考えているんだろうな」

 呟いたテスの顔をリリオンが見つめた。

「数を揃えただけでは探索者をやれないことぐらい判りきった話だろう。曲がりなりにもバラクロフも探索者なのだから。しかも二度目だぞ」

「もう廃業してるんじゃないですか?」

 ランタンが皮肉気に言うと、テスは大きく削ぎ落とした干し肉を引き千切るように噛みきった。

「そうなのかもしれん。だがな、丙種のヒヨコ共ならまだしも、()()()()だぞ。傭兵に払った金はどぶに棄てたようなものだ」

「……僕をただの、――ガキ、だと思ったとか」

 ランタンは謙遜することなく、しかし言いたくなさそうに言った。テスは小さく笑ったが、リリオンは今度はランタンの方に振り向いてその顔を覗き込んだ。なぜランタンが苦い顔をしているのか判らないというような心配そうな顔つきで。

 言うんじゃなかった、とランタンは唇を突き出した。

「それならば楽で良いのだがね。まあ狙いはリリオンだけではなく、ランタンも、と言うことだ。気をつけることに越したことはない」

「たしかにそうですね。ふふふ、お揃いだったみたいね、リリオン」

 ランタンは眉間に寄った皺を消して、心配そうな表情のリリオンに向かって片目を閉じた。それから悪戯っぽく、いや、それは完全に意地悪く頬を歪め、目を伏せて囁いた。それは悪魔の囁きだった。

「ごめんねリリオン、僕が狙われてるから迷惑掛けて」

「――ランタンって、本当にいじわるっ! もう知らないっ!」

 今朝のことを蒸し返したランタンにリリオンは叫ぶようにそう言うと、少女は頬をぱっと赤くして両手で顔を覆った。事情を知らないテスは大声を上げたリリオンに驚いたように目を丸くして、ランタンはただ肩を揺らして笑った。

「あんまり苛めるんじゃない。まったく、これではランタンを斬る日も近そうだな」

「おっといけない、そうでした。忘れたら、酷いことになっちゃいますね」

 他人事のように言い放ったランタンにテスが呆れたような視線を向けた。ランタンはそれを涼しい顔で受け止めて、指の隙間から睨み付けてくるリリオンに悪魔のように優しい微笑みを送る。その睨み付けてくる視線の延長線上にランタンはビスケットを差し出し、厚くスライスしたチーズを乗せて、ポーチから秘蔵の小瓶を取り出して琥珀色の甘いシロップをたっぷり垂らし、ビスケットでそれを挟み込んだ。ランタンはそれ差し出したまま、指に垂れたシロップを見せつけるように(ねぶ)った。

 リリオンが飛び出してそれに齧り付いた。途端に頬が蕩けた。ちょろいな、とランタンはリリオンの口元から垂れるシロップを指で掬い取って舐め取った。

「まったく、……お、来たぞ」

 テスが立ち上がり、尻尾と尻に拭いた汚れを払った。逆光で影に塗りつぶされた輪郭があった。近づいてくると次第に色彩がはっきりと浮かび上がる。

 それはりんりんとは鳴らなかった。

「人を顎で使って自分らはピクニックかよ……」

「お弁当と言うには素っ気ないですが、よかったらお一つどうぞ」

「ふん、いらねぇよ」

「それは残念」

 テスと同じ狼人族の男である。全体的な容姿はテスによく似ていたが、何もかもが一回り大きくて男性らしくがっしりとしていた。全身が真っ黒なテスとは違い、その男は黒い身体に幾筋かの青色や灰色の混ざった大理石模様(マール)の毛並みをしている。

 テスが可愛い鈴と称した人物がこれなのだろうが、現れて早々に舌打ちをした自分の声は低く、唸るような響きがあった。リリオンはランタンの背中に隠れてしまった。

 ランタンは男に断られたビスケットをリリオンに渡してやり、ぺこりと男に向かってお辞儀をした。

「こんにちわ、はじめまして」

 ランタンは余所行きの表情を作り友好的な微笑みを添えて男に挨拶をした。男の灰青色の瞳は気味悪がるような色を湛えた。テスが、挨拶、とぼそっと男に呟き尻を叩くと男は絞り出すように、よろしく、と口に出した。テスがやれやれと溜め息を吐き出した。

「あー、ぶっきらぼうで悪いな。弟のジャックだ。道案内を頼んである、まあ仲良くしてやってくれ」

 テスがジャックの肩に手を掛けると、ジャックはつっけんどんにそれを振り払って背中を向けた。テスはその背中に軽く拳をぶつけて、ランタンたちに向かって肩を竦めてみせた。ランタンの位置から微かに窺うことの出来るジャックの横顔が苦々しげに歪められた。

 ランタンたちを嫌っていたり、道案内をするのが死ぬほど嫌なのではなく、姉であるテスに世話を焼かれるのが恥ずかしいのだ。亜人種の年齢を推し量ることは難しいが、がっしりとした体つきと低く響く声の印象よりも、本当は随分と若いのかもしれない。

「案内する、ついてこい。犯罪街の方だ」

 ジャックはちらりとランタンを一瞥(いちべつ)して告げると、途端に走り出した。外套(マント)が風に吹かれるように棚引いた。走る姿が様になっていて格好良い。

 ランタンは頭巾(フード)を被り、リリオンにも顔を隠すように伝えてその背中を追いかけた。

「まったく道案内だというのに、ちょっと行ってくる」

「別に構いませんよ」

「行っちゃった」

 猛然とジャックを追走したテスをランタンたちも追いかけ、程なく追いついた。

 ジャックは後ろのことなど気にする様子もなく一定の速度で駆けている。外套に覆われた背中が大きく逆三角形だ。腰の辺りに二振りの大型ナイフが交差させてあり、そのやや下のズボン穴から尻尾が飛び出している。太股がズボンを引っ張るほど太く、テスとは違い素足で、細くも見える足首から繋がるそれは獣の足だ。

 テスが並んで走っていて、二人揃って同じように尻尾が揺れている。テスの尻尾は毛足が長いがほっそりとした印象で、ジャックの尻尾は中頃が膨らんで狐の尻尾に似ていた。

「上を通るぞ」

 貧民街を目前とするとジャックの声が通り過ぎる風景のようにランタンの耳を掠めた。その瞬間ジャックはやや前傾姿勢になって加速した。建物の壁を駆け上って屋根に登り、さらに速度を上げて走った。テスも慣れたようにその背中を追って、ランタンとリリオンが地面に取り残された。

「リリオン、おいで!」

 ランタンは咄嗟に壁に背を預けて中腰になると、手を組んで差し出した。リリオンがそこに足を掛けるとバネのようにリリオンを跳ね上げた。武器や背嚢のせいもあって中々重いが、リリオン自体の体重はまだ六〇キロあるかないかだろう。まだ細いなとランタンは関係の無いことを考えながら、リリオンの差し出した手に捕まって屋根へと上った。

「リリオンはまだ軽いね」

「あらランタンほどじゃないわ」

 ジャックは屋根の上を走って随分と先に行っていた。テスがちらりと振り返って早く来るようにと手を振った。屋根に上ると貧民街の混沌とした街並みが靴底で伸ばされた汚れのように広がってみえる。ランタンたちは再び走り出した。

 貧民街の路地は走るには狭くごちゃごちゃとしすぎている。あるいはそれに加えて狼人族の鋭敏な嗅覚には些かキツい有機物の腐敗した据えた臭いをジャックは嫌ったのかもしれない。ランタンもそれを好んで嗅ぎたいとは思わない。

 背の低い掘っ建て小屋(バラック)に素人大工が増改築を繰り返した多層建築物は、要所要所を抜き出してみると無秩序で統一感のない悪趣味建築のように思えたが、それ全体を眺めると貧民街全体が一戸の建物であるかのような奇妙な一体感があった。

「わぁっ!」

「気をつけて。卵の殻よりも脆いよ」

 屋根を踏み抜きそうになったリリオンが悲鳴を上げた。その穴から何か声が聞こえたが罵声ではなかった。ここの住人にとって屋根に穴が空くことぐらい別に驚くようなことではないのだろう。屋根は場所によっては鳥の糞が落ちただけで穴が空きそうなほどだった。

 速度を上げると屋根が片っ端からズタボロになってしまうのでランタンたちは中々ジャックに追いつけない。ランタンは貧民街から急に反り立つように広がる犯罪街をキャンバスにして、先ほどよりも小さくなったジャックの背中を見つめた。更に離されてしまった。

「どうして待ってくれないのかしら?」

「……おしっこを我慢してるんじゃないの」

「テスさんも?」

「――あー、ジャックさんが一人でおしっこに行けないから、ついて行ってあげるてるとか。姉弟(きょうだい)だし」

 ランタンが適当なことを呟くとリリオンは、なるほど、と息の上がった声で呟いた。実のところジャックがどういう意図でランタンを置き去りにしているのかは判らないでもなかった。

 久しぶりの感覚ではある。

 ジャックは試しているのだ。同業者の少しばかり目立つ存在がどれほどのものなのかを。このままでは拍子抜けさせてしまうかもしれないな、とランタンは鼻を鳴らした。

「リリオン、僕の後ろを付いておいで。足跡を踏むように」

 そう言ってランタンは速度を上げた。

 時折、迷宮はその道程で牙を剥くことがある。落とし穴であったり、高熱の蒸気を噴き出したり、壁が崩れたり、と天然の罠が潜んでいるのだ。それを見つけるのに比べたら、屋根の強度に当たりを付けることぐらいは訳がない。加速して屋根はぎしぎしと軋んだが、穴が空くことはない。

 ランタンは少しずつジャックに近づいていった。もう少し速度を上げても平気そうか、とランタンは背後のリリオンを窺った。リリオンはランタンの足元ばかりを見ている。

 視線を前に戻すとジャックがちょうど屋根から飛び降りるのが見えた。ゴールのようだ。

 同じように飛び降りたテスの髪が吸い込まれるように屋根の下に消えた瞬間にランタンは急に立ち止まり、突っ込んできたリリオンを抱きとめると爆発を巻き起こして一気に加速した。屋根が爆風によりばらばらに吹き飛び、リリオンは悲鳴を上げることもできずにランタンにしがみついた。一足飛びに屋根から飛び降りると、そこで()()()ランタンたちを待っていた二人が目を見開いて驚いた。

 ランタンはリリオンをそっと下ろして、柔らかく二人に微笑んだ。

「ずいぶんとお待たせしてしまったようで、お暇ではありませんでしたか?」

「……いや、大丈夫だ」

 頬を引きつらせるようにジャックが言って、テスが面白がるように弟の顔をニヤニヤと見つめている。通り道にした建物から、何か怒号のような声が響いている。テスは笑ったままランタンに視線を移した。

「随分と大きな音がしたな」

「本当ですね、竜種(ドラゴン)が糞でも落っことしたんじゃないですか? 大変ですね」

 ジャックはランタンから視線を逸らして、リリオンに目を向けた。

「そっちのは平気か?」

「はい、……大丈夫です」

 急加速に目を回していたリリオンが一度自分の頬を叩いてしっかりとした口調で答えた。ジャックは小さく頷いて、身振りでついてくるように示して歩き出した。

「ここからは歩きだ」

「それは良かった。僕は足が遅いので助かります」

 ジャックは何も答えずに先頭を歩いた。

 ちょうど犯罪街と貧民街の境辺りの道は、散歩をするには不向きな不潔さと剣呑さが漂っている。道幅は二人並んで歩くのがギリギリで、左右の建物は泥を固めたような、廃材を集めたような、布を吊ったようなと言う有様でその中にはうぞうぞとした人気の気配が感じられた。じっとりと湿った品定めの視線が向けられている。

 ランタンとリリオンの二人だけで歩いていたら、もしかしなくとも襲われていたかもしれないが、先頭を歩くジャックの堂々たる佇まいはそういった者たちにつけいる隙を与えなかった。なるほどこれは確かに鈴だ、とランタンは思った。危険を遠ざける魔除けの鈴。肩で風を切って歩くジャックにランタンはそっと近づいた。

 そしてそこに揺れる尻尾を不意に掴んだ。ジャックの膨らんだ尻尾がランタンの手の中できゅうと圧縮される。空気をたっぷり含んでふかふかしている。掌がくすぐったい。

「うわぁっ! なんだよっ!?」

 その途端ジャックは大声を上げて振り向き、自らの尻尾を取り上げてランタンから守るように自分の手の中に抱きしめ、撫でた。握り潰された尻尾はあっという間に元の大きさに戻った。

 ぐるぐると喉を鳴らして睨むジャックにランタンは事も無げに伝える。

「失礼」

 まるですれ違いざまにたまたま肩がぶつかったように。

 その堂々たる開き直りにテスが大笑いして、ジャックが言葉を失った。気味悪がるようにランタンから視線を逸らすと少しだけ早足になって再び歩き始めた。テスがどうにか笑いを納めてランタンに振り返った

「くふふ、ランタンの好みはうちの弟みたいな奴なのか?」

「何を言っているのか判りませんが、触り心地の良さそうな尻尾だなとは思いました。実際ふかふかでとても良かったです」

 そう言えば何らかの動物だか魔物だかの尻尾を幸運のお守り(ラッキーチャーム)として装飾品にしている探索者もいたな、とランタンはぼんやり考えた。だがジャックの尻尾は持ち歩くには少し大きすぎる。

「私の尻尾は触らないのか?」

 テスが自分の尻尾を持ち上げてランタンに向けて揺らして見せた。

「綺麗な尻尾だと思います。でも女性を急に触ったら変態じゃないですか、そんなことはしませんよ」

 何を当たり前のことを、とランタンが最もらしく言うとジャックの耳が痙攣するように震えた。鋼の忍耐力で振り向きたい衝動を抑えていることが、強張った肩から見て取れる。

 ランタンはテスにその漆黒の尻尾を触らせてもらいながら、比べるようにジャックの尻尾を眺めた。ジャックの尻尾は毛が細く綿毛を思わせるようにふわふわしていたが、テスの尻尾はその濡れ羽色の印象そのものに毛の一本一本がしっとりと瑞々しく、指の間を滑るような艶やかな触り心地だった。

 ランタンはうっとりと息を漏らした。

「これは、……すごいです。すべすべだ」

「くふっ、そうだろう。ランタンもなかなか撫でるのが上手いな、んふっ」

 テスは満足気に頷く。ランタンが撫でるのをやめると、その指先の後をなぞるように自らの手で一撫でした。それを見ていたリリオンが小さく声を上げた。

「私もっ」

「ん、リリオンも触りたいのかい? ほうら触っても良いぞ」

「私も触っても良いのよっ、ランタンっ」

 リリオンが二歩前に出てランタンの前に回り込み、尻尾を持ち上げたテスを半ば無視するような形で、後ろ向きに歩きながらランタンの顔を覗き込んだ。

 テスは思わず自慢の尻尾を取り落として、リリオンの背後でジャックがつまずき転び掛けた。ランタンは何とも言えないよう表情を作って、リリオンはきらきらした視線をランタンに送っている。

 ランタンはどうにか微笑みに見えなくもない曖昧な表情を取り繕った。

「……リリオンって尻尾ありましたっけ?」

「ないわよ、知ってるでしょ」

「……じゃあ何を触ればいいの?」

「どこでも触っていいのよ」

「えーほんとにーまよっちゃうなー、……バカっ!」

 ランタンは照れたように小さく吐き出して、いつもならば尻を引っ叩くところだがそれもせずに俯いてリリオンから視線を逸らした。リリオンは身体を折り曲げてランタンの顔を覗き込んでいたが、くるりとステップを踏んで半回転し隣に並んだ。ランタンの袖を小さく引っ張った。

「触らないの?」

「触りません」

「なんで?」

「……尻尾がないから」

「お尻でもいいのよ?」

「ダメです」

「尻尾があったら触ってくれる?」

「尻尾は無い」

「――尻尾ってどうやったら生えるのかしら?」

「さあ知らない。テスさんなら知ってるんじゃない?」

「ええっ、おいランタン、お前――!?」

 いい加減面倒くさくなったランタンは、教えてくれるってさ、とホラを吹いてテスにリリオンを丸投げにすると逃げ出すように小走りでジャックの隣に並んだ。背後からテスが何か言っていたが、ランタンは無視して空を見上げた。左右の建物に削られた狭い青空だ。いい天気である。

 そんなランタンをジャックは姉と同じ色の灰青色の瞳で探るように見つめた。その瞳に気づいてランタンは視線をゆっくりと下ろした。にっこりと笑う。

「……なんだよ」

「はい、お詫びとお礼をしなければ、と思いまして。巻き込んでしまって申し訳ありません。道案内ありがとうございます」

 睫毛を伏せて目礼したランタンにジャックは一瞬だけ沈黙して、太く息を吐き出した。溜め息と言うよりは、緊張から解放されたと言うように。

「お前には関係ないから、別にいいよ。ねーちゃんに頼まれたからやってるだけだし」

「それでも、ですよ。テスさんにもいつもお世話になってますし。優しいお姉さんをお持ちで羨ましいです」

「優しい……? ねーちゃんが?」

「ええ、とても。困っているところを助けて頂くばかりではなく、こんな風にお力も貸して頂いて」

「ふん、ねーちゃんはただ単に自分が楽しみたいだけだろ。――無理矢理付き合わされる方にはいい迷惑だよ」

 ジャックは口の中で小さく舌打ちを転がして、背後でリリオンに翻弄されているテスを振り向きこそしなかったが気にしているようだった。ぎりぎりと牙を剥いて歯を軋ませたのは、何らかの苦々しい過去を思い出したからだろうか。

 たしかにテスの趣味に付き合う、あるいは付き合わされるのは酷く骨の折れることだろう。テスは随分とジャックのことを可愛がっているようだし、その愛情の分だけ苦労しているのかもしれない。

 ランタンにしてみればテスは優しく格好のいいお姉さんという感じだが、それはきっと他人事だからだろう。ランタンが一人納得していると、その首根っこをテスが爪を立てて鷲掴みにした。

「……何かありましたか、テスお姉さま」

「ほーう、そういう態度を取るのかランタン」

 尖った爪がランタンの頸動脈に食い込んでいる。それでも涼しい顔でしらばっくれるランタンをテスが不敵に笑いながら睨み付けて、リリオンがおろおろとした。

 ジャックが大きく溜め息を吐いて、姉の手首を握りしめてランタンの首をその凶爪から救い出した。

「もう着いたぞ。ねーちゃんも落ち着けよ」

 ジャックは呆れたようにそう言うと渋々ランタンを解放したテスの手首を放した。

 足音を殺してそっと進む。そこは貧民街から抜け出して、犯罪街に一歩足を踏み入れただけの街の外れだった。うらぶれたと言うべきだろうか、外壁のくすんだ大きな倉庫が幾つか並んでいたが、いくつかの倉庫はそのくすんだ壁さえもなかった。

 そこに荷物を預けたくはないな、とランタンは思った。人の姿もないので犯罪街の連中も同じように思っているのかもしれない。あるいは完全にカルレロ・ファミリーの支配下にあるのか。

 倉庫の影で手を振っている人の姿があった。

「やあ、おかえりジャック。早かったね、テスさんもお久しぶりです」

 囁くように言った男が拳を差し出すとジャックが、おう、と親しげに答えその拳に自らの拳をぶつけた。テスが、ああ久しぶり、と手を上げて応える。

 それは一見すると人族に見えたが、どうやら亜人族であるらしかった。ランタンたちと同じように顔の横から生えた耳が髪の毛と同じ赤褐色の短毛に覆われている。微笑むとぎざぎざの歯が並んでいるのが見えた。ジャックとテスの二人への挨拶が済むと、ランタンにさっと駆け寄って手を差し出した。その目は好奇心に満ちあふれて、無遠慮にランタンを眺め回している。

 ランタンは気にした様子もなく握手をした。男の手の甲には耳と同じように毛がびっしりと生えている。掌には毛がないが皮膚がやや硬く、甲の毛並みはぴんと立っていてしっかりした手触りだった。

「わっ、本当にランタンだ。おー、はじめましてフリオ・カノだよ。ジャックの探索仲間(チームメイト)。よろしく」

「はじめまして。ランタンです、でこっちがリリオン。今日はありがとうございます」

「……はじめまして」

 リリオンが恥ずかしがるようにランタンの背中に隠れて小さく会釈した。フリオは気にした様子もなく人懐っこそうににっこりと目を細める。そしてじっとランタンを見つめる瞳の色は濃い茶色をしている。そこには不躾と言うよりは明け透けと言うべき清々しさがあった。野生動物が未知の物体を突っついたり臭いを嗅いだりする時の目付きだ。

「本当は色々と話したいところ何だけど――」

「探索者同士親交を深めるのもいいが、それはまたの機会に頼む。目標はあの倉庫か?」

 テスがフリオに尋ねると、フリオは握手を解いて頷いた。

 こっそりと影から顔を出して覗き込むと、その倉庫の前には二人の男が突っ立っていた。腰に剣を差して、倉庫の扉に背を預けいる。何ともだらけた様子だが見張りなのだろう。さぼっていると言うよりは、それは取り残されてふて腐れているようにも見えた。倉庫の中でパーティでもしているのかもしれない、と思わせるような。

「ええ隠れてついてく必要も無いぐらい、一目散に逃げ込んで音沙汰無しです。すっげーキレまくってましたけどね」

 そう言ってフリオは軽く肩を竦めた。その時の様子を思い出したのだろうか、わざとらしく肩を押さえて震えて見せた。怖がっているのか、馬鹿にしているのか。

「とは言え、他に抜け道もなさそうだし、入り口はあの正面だけっぽいですからね。呼びかけても出てきてくれるかどうか、あはは。機嫌が悪い時ってあんまり人に会いたくないですからね、ねジャック?」

「――知らん」

 ジャックは腕を組んで、ふん、と鼻を鳴らした。

「それで、ええっと今更なのですけど、お尋ねしても?」

「うん、何かな?」

「目標はエイン・バラクロフで間違いなさそうでしたか?」

「うん、そうだよ。容貌擬態(フェイスチェンジ)してなければね。っていうか――あれ、ジャック伝えてなかったの?」

「……あー、言ってない」

「せっかく調べたことも?」

 呆れたようにフリオがジャックに視線を向けると、ジャックはむっつりと目を瞑って何も言わなかった。フリオが肩を揺らしてほくそ笑んで、ジャックの代わりに照れたように髪を掻いた。

「何の話だ?」

 テスはジャックとフリオのどちらともなく、有無を言わせないように尋ねる。フリオは一瞬だけジャックを盗み見たがジャックは目を瞑って沈黙を保ったままだった。しかたないな、とフリオが代わりに答えた。

 それはバラクロフについてだった。どうやら同業者に色々と尋ねてくれたらしい。

「バラクロフは珍しい完全な後衛タイプの探索者だったみたいですね。探索班の主宰者ではなかったようですが、指揮を任されていたようです。多少独善的ではあったらしいですが、そこそこの指揮能力と的確な援護射撃で割と優秀だったそうですよ。安全重視の慎重な指揮をしていたようです」

 慎重ね、とランタンはそれを聞きながら口の中で言葉を転がした。仲間を捨て駒にすることや、口封じに撃つことは慎重さとは別問題だ。

「ですが一度探索に失敗して、魔物に詰め寄られて、ばきんっと弓をやられちゃってから変わったそうです。愛用の弓だったようで、新しい弓に持ち替えてからはどうにも精彩を欠いて、探索班(チーム)から負傷者を出し、死者を出し、それがどうにも仲間を盾にしたとかで、――結果探索班から追い出されて、その探索班も解散して、……それからはもう迷宮に潜らなくなった、と。まあこんな所です」

 慎重さが行きすぎて小胆になり、それが独善性ともに歪んだ自己保身、自己愛へと変貌したのか。それとも追い詰められて化けの皮が剥がれたのか。弓の技術に対する矜恃があったのか、その壊れた弓自体に信仰にも似た思いを描いていたのか。

 エイン・バラクロフ、乙種探索者、弓使い、とランタンは棒人間のように薄っぺらい自らの知るバラクロフの輪郭に粘土を巻き付けるように、新しく得た情報を纏わせてその姿を想像した。

「なるほど、わざわざありがとうなジャック」

 テスがジャックの腕を力強く叩き、そして優しく撫でた。ジャックはゆっくりと瞼を持ち上げて、ほんの小さく首を横に振った。

「ああ、いや、うん。あまり意味の無い情報だろ。どうせバラクロフじゃねーちゃんの相手にはならないし」

「いいや、助かるよ。これから斬る相手だ。どんな情報だってありがたいものさ」

 にっと笑いかけるテスにジャックは眩しそうに目を細めた。

「あはは、テスさん。やっぱり今日、そのまま攻め込むんですか?」

 フリオがそんなジャックにちょっかいをかけながら、ふと尋ねた。テスは今更思い出したようにランタンへと視線を寄越した。

「ん、ああ、それもそうか。どうするよ、ランタン?」

「どうしましょうね。でもこのまま帰ったら本当にただのピクニックになっちゃいますからね」

「うむ、そうだな。それも風光明媚な景色どころか、サンドイッチの一つも無いピクニックでは、あまりにもつまらない」

「……あの中にはサンドイッチの代わりになる物はあるでしょうか?」

「腹一杯にはなりそうだが、味の方の保証はできないな」

「リリオンは成長期のようですし、あまり変な物を食べさせたくないのですけどね」

 ねえ、とランタンが背中に隠れるリリオンを引っ張り出すと、リリオンは小さく小首を傾げた。

「わたし嫌いな食べ物ないよ、……少しお腹すいてるし」

「なるほど、それは素晴らしい。では決まりだな」

 くくくく、と喉を震わせて笑い合うランタンとテスにリリオンがきょとんとした視線を向けて、ジャックが、決まりも何も、と語尾を小さく呟いた。テスがこきこきと首の骨を鳴らして、まるで宥めるように剣の鞘を一つ撫でた。ランタンは蛇のように唇を舐める。

「――ねーちゃん、俺も手伝おうか?」

「ん、別にいらんよ。ランタンもいることだし、お前らも来たら私の取り分がなくなってしまうだろう」

「そーそー、ジャックもテスさんに褒められたいのは判るけどさ。あはははは、俺ら探索者の相手は迷宮だよ。降りかかる火の粉は払うべきだけど、わざわざ火の中に飛び込む必要はないね」

 フリオは軽い口調で、けれどはっきりとジャックに伝えて、ランタンに同意を求めるように視線を送った。フリオの意見は尤もだ。見ず知らずのランタンのために追跡役をやってくれて、これ以上を望むことは申し訳が立たない。ランタンが頷くとフリオは愛嬌たっぷりにウィンクして見せた。ランタンはそれを無視してジャックと向かい合った。

「少しだけお姉さまをお借りしますね。傷一つ無く、すぐにお返ししますので」

「おや、なんだ。つれないじゃないかランタン」

 ジャックに向かっていったランタンに、テスが頭に手を置いてその頭皮を揉むように撫でた。テスはそのままジャックに話しかけた。

「今日はありがとうな、おかげで随分と楽ができたよ」

 ランタンの頭から手が離れ、そのままジャックの頭をくしゃくしゃと撫でる。ジャックはむっつりとしたままされるがままにしている。それはフリオのウィンクよりもよっぽど可愛げがあってランタンは笑うのを、下唇を噛んでどうにか堪えた。

「礼はまた今度にな」

「……別に、いらねーよ」

「ははは、俺は欲しいな。期待してるんでよろしくお願いしますね。では俺らはこれで。お三方ご武運をって、このメンツには余計なお世話ですよね」

「お気持ちはありがたく頂きますよ。ほら、リリオン」

「……ありがとうございました」

 ランタンが促してリリオンがぺこりと頭を下げると、二人は(きびす)を返して足音も立てずに去って行った。

「優しい弟さんですね」

「くふふ、可愛いだろう。ま、二人にはちょっと負けるがな」

 テスは照れたように微笑んで、二人の頭をぽんぽんと撫でた。そしてすっと目を細めて真剣な表情を作った。

「敵はあの中にいる。エイン・バラクロフ、フィデル・カルレロ、カルレロ・ファミリー構成員五、六〇名等々、正体不明の貫衣(ローブ)やもしかしたら他にも隠し球があるかもしれない」

「どう攻めましょうね。建物ごと潰しちゃいますか?」

 あっさりそう言ったランタンにテスは呆れたような表情を作って見せた。倉庫は中々の大きさで老朽化しているとは言え、それを崩すのはなかなか骨の折れる仕事である。提案してはみたもののランタンの爆発だけでは火力不足だ。

「それはまた派手なことだが、あまり私好みではない」

「じゃあどうするんですか?」

「うむ、いい質問だなリリオン」

 褒められたリリオンが喜び、けれどその言葉に聞こえる奇妙なほどに真っ直ぐ耳朶を打った響きにランタンは静かに覚悟を決めた。

「もちろん正面から入るに決まっている」

「ああ、やっぱり」

 小さく呟いたランタンを無視して、テスは腰から剣を抜き放った。

「なぜ正義である我々がこそこそしなければらならないのだ」

 なるほど完璧な理論だ、とランタンが己を納得させてリリオンがまじめに深く頷いた。

 その瞬間にはテスが倉庫の影から飛び出して、瞬きする暇も無く一瞬で見張りとの距離をゼロにした。

 日差しに煌めいた二振りの白銀が、男たちの喉を抵抗なく刺し貫き、そのまま脊椎を両断して(うなじ)から鋒が飛び出した。男たちは自らの死を認識する暇も無く絶命した。

 男たちがゆっくりと崩れ落ちると刀身がずるりと喉から抜き取られて、けれどそこから血が溢れることがなく、ただ肺に溜まった空気が抜けるような音がほんの僅かに風音に紛れただけだった。

 その絶技にランタンは理論が完璧であるその理由を知って、リリオンがたっぷりの憧憬を含んだ視線をテスに送った。

「これ僕ら必要ないんじゃないの?」

 ランタンの呟きは誰にも聞こえなかった。

「さあ行くぞ。――皆殺しだ」

 テスは両開きの金属製扉の隙間に鋒を滑り込ませ、抵抗もなく鍵を断ち切った。


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