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カボチャ頭のランタン  作者: mm
17.Holy Days
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 館の庭には馬屋がある。

 館の主がアシュレイからランタンに代わってから、馬屋は使われることなく放置されていた。

 しかし今はそこに一頭の馬の姿を認めることができる。

 そしてそれは姿こそ馬であるが、血の通った馬ではない。

 白く滑らかな身体は陶器でできている。物質系の魔物だった。

 物質系の魔物は魔精によって偽りの命を与えられた非生物だとされているが、この陶馬は夜になれば眠り、朝になれば目覚める。まるで生き物のようだった。

 冬の朝はまだ暗い。

 風がざわざわと音を立てている。

 ローサは薄暗の中、眠い目を擦りながらバケツ一杯の陶馬の餌を運んでいる。

 よたよた歩く度にバケツの中身ががしゃがしゃ音を立てる。うるさい、と自分の立てた音に思う。

 冬になり庭の菜園は規模を縮小し、館に於けるローサのもっぱらの仕事は陶馬の世話だった。

 陶馬の餌は無機物だった。硝子も鉄も、そこらの石でも何でも食べる。

 しかしランタンが砂と灰、珪石といった硝子の原料を混ぜ与えたところ、鼻先をバケツに突っ込み器用にまず珪石だけを選り分けて食べるということをした。

 何でも食べるが好みがあるらしい。

 今のところのお気に入りは硝子や陶片であり、宝石類も嫌いではないらしいが流石に高価なのでどの宝石が最も好みかを調べてはいない。

 そういえば魔精結晶も好みである。

 探索から帰って荷物を片付けずに会いに行ったら、結晶がしまってある鞄を噛み破った。

 がしゃがしゃ響くその音を聞きつけたのか陶馬が目を覚ました。

 陶馬はいびきこそ立てないが、四つの足を折り曲げて己の背を枕にするように首を丸めて眠り、目覚めるときは大あくびをするように大きく首を反らした。

 ローサが近付いてゆくと陶馬は馬屋からひょっこりと顔を出した。

 嘴に似た口元をかちかちと鳴らして催促する。

「おはよー」

 ローサは言いながら馬屋に入った。すると陶馬はじゃれるように顔を押しつけてくる。

 ローサにはすっかり懐いている。兄姉ガーランドに噛み付くこともない。

「ひゃん! もー、つめたい!」

 冬の夜の冷たさそのものを押しつけられたローサは眠気を一気に吹き飛ばして、その顔を押し退ける。

 空になった餌箱にバケツの中身を空けて、まて、と命令する。陶馬は従順にその命令を聞いて待機する。

 ローサは乾いた布で夜露に濡れた陶馬の身体を拭ってやった。

「ぬれたままだとかぜひいちゃうのよ」

 ランタンに耳にタコができるほど繰り返された小言を、ローサはまねて口にする。頭の先から尻尾の先まで綺麗に拭き取って、ローサは満足気に頷いた。

「たべていいよ」

 陶馬は餌箱に鼻先どころか顔を突っ込む。がしゃがしゃばりばりとおよそ食事とは思えない音を立てて硝子を食べる。

 硝子は食むほどに砕け、きらきらした白い霧のようになる。

 それはなんだか砂糖菓子のように美味しそうで、ローサはごくりと唾を呑んだ。それから子供っぽく首を振る。美味しそうでも硝子は硝子。食べたら口の中が血塗れになる。

 空のバケツを床に置き、ローサは俯くように馬屋を見渡した。陶馬の寝床には暑さ寒さを感じるわけではなさそうだが、使い古しの毛布を使っている。それを捲ると時折、同衾の鼠や猫が逃げていくことがある。

 しかし現れたのは水色に透ける硝子玉だった。

 陶馬の排泄物、というよりは生成物である。食べた量と比べればその質量は十分の一もないが、硝子職人が丹精込めて作ったかのように透き通っている。

 生成物は陶馬が食べたものによって様々に変化する。

 売り物にならないほどの小さな宝石を食べさせれば、それなりの大きさの一つの宝石を生成するかも知れない。しかしそのためにはそれこそ山ほど食べさせなければならない。

 ローサはいくつかの硝子玉を拾ってバケツの中に放り込んだ。

 世話始めの頃に拾ったものは宝物箱にしまっていたが、今では巾着袋に雑然と放り込んである。クロエやフルームと遊ぶときに投げたり転がしたりしてなくしてしまうこともあった。

「おいしい?」

 陶馬に尋ねると、馬は食事を中断して顔を上げた。

 音に反応したのか、それとも言葉に反応したのか。しかし意思の疎通が取れているとしか思えぬ動きで陶馬は頷いた。

 ローサは口元にへばりついた硝子片を払ってやり、いいこにしてるのよ、と気取った風に告げて馬屋を後にする。

 すっかり目覚めた帰りの足取りは軽い。

 硝子玉をポケットにしまうと用の済んだバケツを所定の場所に放り投げ、勝手口から厨房に入った。

 いつもは姉が料理を作るが、今朝は兄、ランタンが厨房に立っている。ランタンは綿入れの羽織の下は寝衣のままだった。

「ごはんあげてきたよ」

「ごくろうさん。割れてなかったか?」

 ランタンはローサを待っていたようで、すぐに温めたミルクを渡してくれた。蜂蜜が溶かしてあって、ほんのり甘い。ふうふう冷ましながら、ちょっとずつ舐めるように味わう。

「だいじょうぶ」

「そうか」

「あ、そうだ! これ!」

 ローサはポケットから硝子玉を取り出す。ランタンは掌から一つそれを摘まみ上げる。

「水色。今日は水色か。やっぱり食性かな。――しまっておいで、そしたらもうごはんだよ」

「ごはんなに?」

「お粥、蒸し鶏、卵とかぼちゃのサラダ」

 土鍋の下で熾火が赤くちらついている。時折、思い出したように蓋がかたんと音を立てた。

 蒸気穴から粥が甘い香りをさせてる。ローサは鼻をひくひくさせた。海藻で出汁を取った粥は風邪の時に姉が作ってくれたものだった。

 熱で口の中が変になってしまっても、それでも何だか優しい味がしてお腹いっぱい食べてしまった。

 まな板の上に細く切った生姜が用意されている。金の針のようだ。

 ローサは硝子玉をしまいに部屋へ戻りながら考える。

 粥のためだろうか、蒸し鶏のためだろうか。




 ローサは槍を構える。

 手の脂で木製の柄はつやつやとしている。よく触っていることの証明だった。

 一見鋭い穂先は刃を潰している。けれど思いっきり叩けば骨を砕き、突き込めば心臓に届く。

 牽制するように槍を回転させる。

 視線は対峙する姉に向けたまま、自らの起こした風切り音がひゅんひゅんとうるさい。

 そう思うのは姉の立ち姿が静かだからだろう。

「やあっ!」

 ローサは気合いを入れるために声を張り上げた。

 リリオンは木製の大剣を左肩に担いで、やや前傾になっている。

 刀身は背後の死角に隠されて、それの刃渡りが姉の身長と似たり寄ったりだと知っているのにどれだけ距離を詰めていいのかがわからない。

 憧れの姉との距離がまたわからなくなった。

 肩に触れるほど伸びた金の髪が風に揺れる。姉のように腰まで届くには、まだどれだけの時間がかかるだろうか。

「ふふ、ローサ来ないの?」

 姉の口元が緩む。ローサは飛び付きたくなるのを我慢した。左に担いだ剣は袈裟懸けに斬り落とされる。だからその逆に姉の左側、左側へと回り込む。それからどうすればいいのか。

 ぐるぐると回りながら少しずつ距離を詰める。姉の間合いはこれぐらいだろうか、それとももっと。探り探りに出足を踏み込み、また戻す。

 姉はまったく反応しない。

 ならもう一歩。

 踏み込んだ瞬間に総毛が立った。

 姉の肩が回った。腰を切って抜刀するように、左肩から剣が弧を描く。脛斬り。

 反射的に後肢で立ち上がる。

 鋒が下草を刈り取った。

 毛の白い虎の腹が姉に露わになる。最短の攻めは、このまま上からのしかかる。槍を使い、爪を使い、体重の全てを浴びせる。

 しかしローサにはそれが受け止められる未来しか見えなかった。

 そして少し前ならば抱っこされるだけのように思えたそれも、今では腹に刃を突き立てられることと同意であると知っている。館の侵入者はそういう存在だった。

 ローサは自ら体勢を崩すように横倒しになって追撃から逃れた。

 後方へ、再び距離を取る。

 取れない。

 姉は距離を詰めている。

 ローサは着地した抗力を利用して一転して前進する。

 櫂でもって船を漕ぐように槍の前後を入れ替える。二百キロを超える虎の体重を目一杯に沈墜し、槍の石突きを姉の頭部へ弾き下ろす。

 姉は体勢を低くし、背負うほどに寝かされた剣がローサの一撃を受け止める。

 そのまま姉はローサの胸に頭を預け、気が付けば腰にひやりと刃が触れる感触がある。

 どっどっどっ、と心臓の鼓動が大きい。

 リリオンはそっと押し当てた大剣を外す。それは木製の剣だ。その筈なのにローサはそこに鉄の冷たさを感じた。

 不思議な感覚に陥ってぼんやりし、何度も瞬きをして、深呼吸を繰り返し、ようやく身体から力が抜ける。

「うーん、まあまあかしら?」

「まーまー」

 ローサはとことこ姉に近付いて身体をすり寄せる。

「ぜんぜんかてない」

 手合わせをするとランタンはたまに勝たせてくれるが、リリオンはそれをしなかった。戦い方を教えてくれる母は優しくはあったが甘くはなかった。

「わたしはまだまだローサには負けないわよ。さあ、もう一本やりましょう」

 そう言ってもう一本、もう一本と繰り返し、ローサは五度目の負けでその場にへたり込んだ。

「ぜんぜん、かてない!」

 はあはあと白い息を荒らげ、悔しさ一杯に地面を叩く。

 リリオンはローサの隣に座って妹の背中を撫でてやった。この素直でひたむきな妹はひどくかわいい。

「わたしもママにはぜんぜん勝てなかったわ」

 かつての記憶が今はずいぶんと近くにある。思い出せば寂しくなった過去も、もう不思議とさっぱりしている。

「おねーちゃんでも?」

「ええ。いまでも勝てる気はしないわね」

「いまでも……。じゃあじゃあ、ローサもずっとおねーちゃんにはぜんぜんかてないまま?」

 心配そうな顔をして覗き込んでくる金色の瞳に微笑みかける。

「そんなことはないわよ。いつかわたしが負けちゃう日が来るかもしれないわ。わたしだっていつかママを超えたと思える日が来るかもしれない。どっちが早いかしらね。わたしか、ローサか」

「わかんない」

 ローサは甘えるようにリリオンの膝に身体を乗せた。猫がそのまま大きくなったみたいに甘え、向こう側にある姉の剣を手に取った。

 随分と重たい。中に鉛が仕込んであるようだった。

「おねーちゃんのあたらしいけんってどんなの?」

「さあ、どんなのかしらね。大きさと重さはこれとほとんど同じだって言ってたけど」

 下手に振り回せば関節が抜けそうな重さだった。

 木の大剣はその全長は二メートルに迫り、重さは十キロを有に超える。普通の大剣ならば、重さはその半分以下だ。よく鍛えた探索者であっても、大重量を振り回すことはできても使いこなせるものはそういない。

「まだできないの?」

「まだできないわね。できたらお知らせしてくれるって言ってたから」

「ローサみにいってあげようか?」

「邪魔しちゃだめよ。一所懸命に作ってくれているんだから」

 剣を置いて、自分の槍に持ち替える。羽のように軽く思える。硬いがよく(しな)り、力の通し方の練習にはちょうどよかった。使いやすくて気に入っているが、けれど姉の剣に比べると貧弱に見える。

「ローサもあたらしいぶきにしようかな」

「あら、ローサ。勝敗を装備のせいにするのは半人前の証拠よ」

「――おねーちゃんは?」

「痛いところを突かれちゃったわね。そうね、まだ半人前よ。だからもっともっと強くなれるのよ。まだ半分だもの」

 リリオンはローサを抱いたまま立ち上がり、尻の汚れを払った。手にした大剣を再び左肩に担ぎなおし、ローサに向かい合う。

「さあローサ、もう一本。今日はそれでお終い。終わったらおやつにしましょう。ランタンがクッキーを焼いてくれてるわ」

「クッキー!」

「普通のと、生姜と、蜂蜜よ」

「ローサははちみつ! よおし!」

「さあローサ。ローサはわたしになにをしてもいいわ。火を吐いても、噛み付いても。ローサは自由よ」

 言われてローサは考え込み、はっとしていきなり背中を向けて逃げ出した。

 いや、違う。ローサは猫の身軽さで常緑の樹上に駆け登った。

 一体なにをするんだろう。リリオンは妹の奇行を見守る。

 ローサは叫ぶ。

「ゆーれー! きてー!」

 その自由さにリリオンは目を丸くして、それから思わず声を上げて笑った。

 幽霊ことガーランドはローサの呼び声にすぐに姿を現した。

「何の用だ?」

「おねーちゃんやっつけるのてつだって!」

 一瞬、面倒臭そうな顔をしたガーランドはローサのいたって真面目な眼差しに肩を竦める。

「……いいだろう」

 リリオンは笑いを噛み殺す。

 ガーランドが素手なのがせめてもの救いだろう。しかしなかなか冗談の通じない相手であることは確かだ。彼女の触手の髪が揺らめき、その毛先に水の魔道が逆巻きはじめる。

 ローサに倣ってランタンに助けを求めようか。

 きっとランタンはガーランドよりも早くやってきてくれる。そして自分を助けてくれるだろう。

 そんな考えも過ぎったが、リリオンは姉の威厳を保つために覚悟を決めた。

「さて、どちらを先に斬りましょうか」

 木枯らしに紛れて襲いかかる水弾と樹上から降り注ぐ火弾を切り払い、リリオンは牙を剥くように笑う。



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[良い点] 「ゆーれー! きてー!」  その自由さにリリオンは目を丸くして、それから思わず声を上げて笑った。 はははは。
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