037
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血なまぐさい場の空気を一気に掻っ攫っていった正義の使者は男たちへボディブロウを叩き込み、その屈強な身体を折り畳んだかのようにくの字にぶち折った。そして汚いものでも払うようにその拳を開いてさっと揺らした。するとそれが合図であったかのように、呻き声も漏らす事も出来ずにどうにか立っていた男たちがぐしゃりと崩れ落ちた。
弓男からの射撃は正義の使者が現れた時点で止んでいる。それどころかあれほど熱烈に放射されていた殺意がすっかり形を潜めて、ただ肌に不快な残滓があるだけだった。
その不快さが呆気にとられていたランタンの意識を覚醒させた。正義の使者がランタンを見つめ、顎をしゃくったかと思うと何かを放り投げた。受け取るとそれは革の手錠だった。ランタンは頷き、振り向むいて膝を砕いた男を見た。
男は何か悪態を吐こうとしたが、歯がかちかちと鳴っただけだった。ランタンが無慈悲に男を蹴ると、男は奇妙な声で呻いて意識を失った。仰向けに倒れた男を鶴嘴に引っかけて転がす。戦槌を振って血糊を払い、それを腰に差し戻す。ランタンは後ろ手に男の腕を拘束した。
それからリリオンに近づき、尻を引っぱたいて屍の地を抜けるように促した。ランタンは水たまりを避けるようにぴょんぴょんと跳んで、リリオンは大股に歩きするりとそこを抜けた。
殺しも殺して四十余名。ランタンは自らの所行に薄ら寒くなったが、リリオンは存外平気な顔をしている。ただ少しだけ正義の使者が誰なのか本当に判っていないような、疑わしげな顔をしただけで。
ざあざあと鳴いた風が、鉄臭い死臭を吹き流していった。正義の使者の頭巾がはたはたと揺らめいた。そこから犬鼻が突きだして覗いている。
「ありがとうございます、助かりました」
ランタンは白々しく正義の使者に伝えた。正義の使者は頭を振り、頭巾を脱ぐと牙を剥いて笑った。紛う事なき武装職員テスである。前髪はいつものように垂らしていて、後ろ髪を髷のように結っていた。テスはいつも凜々しいが、それに加えて今日は男性的な雰囲気の精悍さもあった。
「いや何、目に入った悪行狼藉を見過ごせなかっただけだ。人として当然の事をしたまでさ。この行いにケチを付けるような人間がいたら、それはきっと人の心を持たない冷酷な人でなしだろう」
テスも同じように台詞でも読むようにランタンに答えた。
襲われている子供たちをたまたま偶然に通りかかったテスが持ち前の正義心に突き動かされてそれを助けた、とでも証明するように。
「テスさん!」
下手くそな芝居がかった二人のやり取りに疑問符を顔中に貼り付けていたリリオンが、取り敢えずその疑問を驚きに変えて名を叫んだ。テスはリリオンに顔を向けると微笑んで、よくがんばったね、と優しげな声音で伝えた。
「やぁリリオン、今日は随分とおめかししているね。よく似合っているよ」
褒められたリリオンは大いに喜び、そのおめかしを施したランタンはなぜだか妙に気恥ずかしかった。ちらりと寄越されたリリオンの視線をランタンは思わず気がつかない振りをした。テスがそんなランタンの顔を妙に真っ直ぐ見つめて、それから鷹揚に肩を竦めた。
「まったく、私の出る幕がなくなるところだったぞ」
危なくなったら合流する、とテスは言っていたが確かに危機感を覚えるような場面は、あの腸内容物の雨に降られそうになったことは抜きにして、終ぞ無かった。
戦闘行動に忙しかったランタンにテスの事を考える余裕はなく、どこかで乱入のタイミングを計っていたテスの事を想像して誤魔化すような乾いた笑いを漏らした。あの場面で出てこなかったら、すっかりテスを忘れ去って弓男を追いかけていたかもしれない。
現れたテスは探索者ギルドで見る事のある鎧姿ではない。腰に佩いた二振りの剣だけは変わらずにそこにあったが、革系の暗色の軽鎧に身を包んで外套を羽織っている。いつもの全身鎧を思うと随分と身軽な格好だった。ランタンがそのことを尋ねるとテスは軽く肩を竦めた。
「あれは支給品だからな。私用厳禁というわけではないが、如何せん目立ちすぎる」
ああなるほど、とランタンは頷いた。確かにあの鎧、と言うべきかあの犬面兜は自らが何者であるかを吹聴して回っているようなものだ。ギルド内ではまさにそれこそが目的なのだろうが、たしかにこの現場では悪目立ちするだけだった。
「さてこんな開けた場所で立ち話も何だ。取り敢えず屋根のあるところへ行こうか」
テスはそう言って親指を立てるようにして、弓男が潜んでいた見張り塔を指さした。
ランタンは少しだけ困ったように辺りを見渡す。
「これらは、どうしますか?」
そこに散らばる屍は、それらを漁って戦利品を獲る事を躊躇わせるような酷い有様のものから、まるで眠っているかのように綺麗なものまで様々ある。屍から収奪できる金銭が惜しいというわけではなく、もしかしたら屍の懐の中に弓男の狙いを教えるような何かがあるのではないかと思えた。
「ああ、そうだな。大丈夫だ、放っておけば良い」
テスは屍を一瞥するそう呟き、その群れの中に足を進めた。
「衛士隊がたまたま偶然ここを巡回する予定だからな。都市内に蔓延る違法薬物を憂う衛士隊がね」
テスは後ろ手に拘束された男の首根っこを掴むと、面倒くさげにずるずるとそれを引っ張り出しながら言った。ランタンはぴくりと片目を大きく開いて、リリオンが衛士隊と小さく繰り返した。
「ご友人ですか?」
ランタンが聞くと、テスはただ渋く笑うだけで肯定も否定もしなかった。
「ま、それまでに大鼠共の餌になるかもしれんがね」
「これだけあれば、食べ残しも出そうですが」
「ふむ、そうかもしれん。だがせっかくこんな所まで来て残飯処理ではかわいそうだな。一人残しておくか?」
「生きたまま食われるとも限りませんよ」
「まあ、その時はその時だ。せっかくランタンが生かしといてくれたのだが」
「あそこまで運ぶのは手間ですからね。別にかまいませんよ」
テスがぽいっとゴミを捨てるように男の首を手放した。膝の砕けた男はランタンが弓男の矢から守り、テスが屍の中から引っ張り出したが結局はここに捨て置く事となった。歩けないものを運ぶのは面倒だから、と言うわけではなく、たまたま現れて後処理をしてくれる衛士隊へのせめてものお礼である。
気絶した男が四人並ぶ様は屍が並ぶよりも妙な異様さがあった。弛緩した表情が微笑むような穏やかさを醸し出しているからだろうか。その表情が気持ち悪いとでも言うように、テスは次々に男をひっくり返して俯せにした。リリオンが一人それを手伝って、乱暴に転がしたので男が呻いた。まるで汚い物を触るように触れたのは一瞬だった。
「手伝え、ランタン」
そう言ってテスはランタンに手錠を渡した。リリオンに渡さなかったのはそれがテスの配慮だったのだろうが、リリオンは少しだけつまらなそうな表情を作って見せた。ランタンが男を拘束している様を覗き込むように身体を屈めて眺めている。
「きつくない?」
「緩かったら手錠の意味ないよ」
ランタンが拘束した男の指が僅かに鬱血しているのを見てリリオンが口を挟んだ。リリオンはその後も、痛そうだね、とか、外れないの、とかそんな事を聞いた。男を哀れんでいるのではなく、当たり前の事だが緊縛に興味があるというわけでもない。ただ仲間はずれにされるのを嫌がって、手が出せないならせめて口だけでもと言うことなのだろう。
男たちを拘束し終えると彼らの武装を外した。高級品ではないが粗悪品というわけでもない革や軽金属の鎧を剥ぎ取ると、いつ洗濯したのか判らない衣服に包まれた鍛えられた身体があった。一人だけ手首や肘の内側に注射痕があった。ぼやっとした紫色の痣。テスはそれを睨んだ。
さらに所持品を漁ると幾ばくかの銀貨と、よく判らない装飾品や賽子、注射器や煙管などに混じってあからさまにうさんくさい薬物があった。粉末と円筒容器に納められた液剤だ。液剤は薄く透けるような青色をしている。
テスはクンクンと鼻を振るわせて臭いを嗅ぎ、小指の先にちょんと付着させるとそれを舐めた。
「粉末の方はよく解らんが、液剤は魔精薬だな。純度は低いが」
テスはそう言って地面に唾を吐いた。人によっては下品なと形容される行動が妙に様になっている。
「リリオン、ダメだよ」
目を細めてちろりと小指を舐めたテスの仕草に何か感銘を受けたのか、リリオンが真似をしようとしたのでそれを止めた。ちょっと舐めるぐらいで身体に影響があるわけではないが、だからといってそれが薬物摂取を許可する理由にはならない。リリオンはむくれてランタンから視線を逸らすとテスに聞いた。
「どんな味ですか?」
「んー、そうだな。舌がちょっとぴりぴりするような味だ。美味くはない」
「……カルレロ・ファミリーの商品でしょうか?」
「魔精薬を製造できるほどの技術も施設も無いと思うが、どうだろうな」
魔精薬は広義の意味で言えば魔道薬と同じ物であると言えたが、今では魔精精製薬の事のみを指す言葉となっている。魔道薬が様々な薬原料に魔精を混ぜ込んで効果を上昇、変化させるのに対して、魔精薬は魔精をそのまま薬に加工した物である。服用する事で意図的に魔精酔いを起こしてトリップするというような使い方もあるが、本来の使い方は魔道を行使することで失われる魔精の補充だ。だが魔道使いよりも、魔精薬の使用率が高い者たちもいる。
魔物との戦闘や迷宮探索というような荒事をせずに身体能力を向上させるためのドーピングに使うのだ。貴族が修練する事無く力を入れるため、あるいは美貌を保つために。
魔精薬の取り扱いは難しく、高価な魔道薬と比べてもさらに高価で流通量も少ない。純度が低いと言ってもただの破落戸が使用するには過ぎた品である。
「これから聞けばいいさ」
テスは銀貨と薬物をしまい込むと、男たちに一撃ぶち込んで目覚めさせた。ランタンには一瞬それがとどめを刺すように見えた。男たちは苦痛に呻いて瞼を持ち上げると寝転がったまま辺りを見渡たし、拘束されている事に気がつくとそれを外そうと暴れ、屍とランタンたちの姿を見つけてぎくりと身体を強張らせた。
何か叫ぼうとした瞬間にテスがその顎を蹴り飛ばし、ぞっとするほど冷たく言った。
「発言の許可はしていない」
それだけで男たちは揃いも揃って黙りこくった。テスは灰青色の瞳に一人一人の姿を映して、見張り塔を指差した。
「立て、歩け」
男たちは後ろ手に拘束されたまま、芋虫のように身体を捩ってどうにか起き上がると死刑囚が階段を上るような重い足取りで黙って歩き出した。
「さて行こうか」
テスに促されて男たちの背中を眺めながらその後ろを着いて歩いた。ランタンはあまり気にならなかったが、リリオンはのろのろとした男たちの歩みに合わようとして変な歩き方になっていた。壊れかけたおもちゃのように左右の歩幅がちぐはぐだった。
「身体が重いようなら、余分な物を切り落としてやろうか」
テスが前を歩く男たちにそう告げると、男たちは今度は背中を鋒で突かれたように慌てて速度を上げた。テスの言葉はただの脅しではなく、本当にそれをすることを確信させる獰猛な雰囲気があった。
速度を上げた男たちと一定の距離を保つためにテスとリリオンが少しだけ歩調を速めて、ランタンだけが小走りになった。リリオンが微笑みランタンの背中を押すように肩を抱いて、それを見たテスが噛み殺すように笑った。ランタンはそっぽを向いた。
「止まれ」
見張り塔の前でテスが命令し、それからそっと内部を窺ってから男たちを先に入れた。男たちはおっかなびっくり塔の中に入ったが、彼らが恐れるような口封じの矢が撃ち込まれることはなかった。
弓男が潜んでいたと思われる見張り塔は堅牢な造りをしている。壁が厚く、外から見る印象よりも内部は一回り狭い。内壁に沿うような螺旋階段があり、吹き抜けの天井までは二十メートルほどあり、天井にロープも鎖も這わせていない空の滑車があった。ランタンは何となくその天井に巨大な芋虫の姿を幻視して表情を濁した。
小さな窓が全方向を眺められるように一定間隔でぽつぽつと開いており、そこから入り込む陽光で薄い光が内部に漂っていたが、空気は冷えていた。床には折れた矢が転がっている。埃っぽい床に足跡もあったが、そこから情報を得られるような技能は持ち合わせていなかった。
塔内には静寂が満ちており立ち止まって天井に響いた足音がかき消えると、息遣いが聞こえるようだった。
テスは男たちを壁際に並ばせると彼らを睥睨した。
右の人族は三〇歳ほどで、眉が太く、目が小さかった。唇を噛むようにして頑ななほどに口を結んでいる。真ん中の男は何かしらの獣系亜人のようだったがランタンには何の動物かは判らなかった。褐色の短い毛に覆われた皮膚を持ち、耳は丸形で、目が大きく顔は小さく、少し鼬に似ていた。左は人族だったが、すでにだらだらと汗を掻いて、瞳の焦点が合っていなかった。薬物の影響か、それともただの緊張かは判らない。荒い息遣いは耳に不快だった。
耐えきれぬ、とでも言うように左の男が喚きだした。
「俺は何も知らなかったんだ! あんたらがこんなに強いなんて!! あいつに騙されたんだ! なぁいいだろう! あんたらは怪我一つしてないじゃないか! 俺が何をしたって言うんだ! なあ見逃してくれよ!! それを知っていたらあんたらを襲わなかった! たのむ信じてくれ!」
支離滅裂なその言葉のそこに何を信じるべき物があるのか、テスが冷笑しランタンは軽蔑の眼差しを向けた。男はさらに喚き、命乞いのような物を吐き出して、そして唯一戸惑うような表情を作ったリリオンに卑屈な視線で縋った。
その瞬間にテスが動き、だがそれよりも早くランタンがその横を駆けていった。
テスの横顔、その視線が刹那の瞬間交わった。驚きから、呆れたような笑み、そして頷き。リリオンに向けられた視線のあまりの下劣さに、衝動的に動いたランタンはその全てを見透かしたような視線に冷静さを取り戻し、テスへ感謝を捧げた。
その瞳は、やるんならきっちりと最後までやれ、と告げていた。ランタンは腹を括って奥歯を噛みしめた。
ランタンの爪先が跳ね上がって、男の顔面に突き刺さった。
「ぐええぇっ……!」
リリオンに向けられた瞳がぱちんと潰れた。男は絞り出したような悲鳴を上げて仰け反った。跳ね上がった爪先が下を向いて、蹴り下ろされると男の左の鎖骨を割り折った。血の涙で男の顔が染まった。ランタンは男の髪の毛を掴んで、血で汚れるのも厭わずに顔面に膝蹴りをぶち込んだ。男の顔はのっぺらぼうのように平らになって、髪がぶちぶちと千切れて崩れ落ちた。男は倒れ呻きながら身体を痙攣させ手首が砕けそうなほどに手錠を軋ませ、ランタンから逃げだそうと這いつくばった。
だがランタンは無情にその男を痛めつけ拳に血が跳ねて汚れたのを、まるでお前の所為だと言うかのように男の脇腹に爪先を蹴り込んだ。
見張り塔の天井高くまで喉を掻き破るような悲鳴が響いた。足の裏を悲鳴を上げた男の喉にそっと乗せると、男はその意味を察しひっと一声漏らして砕けるほどに歯を噛んだ。
ひゅうひゅうと男の荒い息遣いだけが唇の隙間から漏れている。ランタンはゆっくりと立ち竦む二人の男を見つめた。
男たちは恐怖と言うよりは、得体の知れない何かを目撃したように表情を強張らせている。全身の筋肉を硬直させて、背中を預ける壁と一体になろうとしていた。妙な動きをすればこの奇妙な生き物の不興を買うとでも言うように。冷たく見つめるランタンの視線が少しでも不満に染まれば、男たちはこの上ない友好の笑みを浮かべて、ランタンのために芸の一つでも披露したことだろう。
ランタンはそっとテスを見た。その時だけ瞳から冷たさが消えて、申し訳なさが湛えられていた。テスがそれを見てランタンにだけ判るように頬を緩めた。そして後は任せろと瞳が謳った。目を伏せたランタンは芝居かかった仕草でポーチから端布を取り出すと、見せつけるように手を拭って、それをさも冷淡そうにぽいっと棄てた。
テスが踵を鳴らして一歩前に出る。
「なあ私は発言を許可したか?」
その一部始終を注視していた男たちにテスが低い声で語りかけた。男たちは電撃を食らわされたように身体を震わせて、それから黙ったまま大急ぎで首を横に振った。
「記憶力が良い、と言うことはとても、とても重要なことだな。くふふ、それが生死を分かつと言うこともある」
テスは静かに語っていた。ランタンはそれに耳を傾けながら、再びテスの背後に控えた。リリオンがランタンの顔を見たので、ランタンは悪戯っぽく片目を閉じて答える。リリオンはほっとしたように頬を緩めた。少しだけ怖がらせてしまったようだ。
「さて、では私の質問に答えてもらおうか。嘘偽り無く、正直に。――答えられなかったり、忘れたりするとあれの仲間入りだ」
脅し文句としてはこれ以上無い言葉だった。ランタンに壊された男の姿は剣を突きつけるよりも確実に、男たちに恐怖をもたらした。悪党たちはまるで教師の前で張り切る真面目な優等生のように、テスの質問に哀れなほど頑張って答えた。
男たちはカルレロ・ファミリーの構成員ではなく雇われた傭兵だった。雇った者の名前は知らないと言っていたが、伝えられた容姿から雇い主は弓男であると推測された。だが雇い主はカルレロ・ファミリーの一員だと告げたようだ。
司書から与えられた情報ではバラクロフはまだただの探索者で、犯罪組織と繋がりはあれどその一員ではなかった筈だ。傭兵たちに伝えた言葉は欺瞞だったのかもしれないし、本当に一員になったかもしれない。あるいは雇い主はバラクロフではないのかもしれないが、その可能性は低いだろうと思えた。
雇われた傭兵は総勢で八名。カルレロ・ファミリー自体が傭兵集団のような物のはずだが、どうやら自前の戦力を出し惜しみをしたようだった。侮られたものだ、と思ったがランタンは表情を変えずにいた。
襲撃に参加した者の多く、あの薬物中毒者たちはカルレロ・ファミリーの上顧客であり、彼らへの報酬は薬物だった。その中に顧客たちの指示役である構成員が三名ほど紛れていたらしいがランタンの戦槌によって骸となった。ランタンには全く覚えがなかったが、どうやら彼らは襲撃直前に服薬した魔精薬によって薬物中毒者と何ら変わらない獣となったそうだ。
男たちが所持していた魔精薬は雇い主から、景気付けだ、と渡された物だった。服用しなかったのは転売を目論んだからだと言ったが、服薬した指示役の様子を見て怖じ気づいたのだとも付け加えた。まるで自分たちが被害者でもあるかのように苦々しく。
彼らに与えられた依頼は、ガキと女の二人連れを襲え、女は多少傷つけても良いが生け捕りにガキは何が何でも殺せ、とのことだった。探索者のガキではなく、ただガキとだけ。傭兵たちにランタンの情報を与えなかったのは、それにより傭兵が仕事を拒否する可能性があったからだろうか。探索者を襲うのはハイリスクだ。
「がき?」
ランタンが小首を傾げて小さな声で繰り返すと男たちは慌てて、しかし迷った挙げ句に絞り出すようにお子様と言い換えた。冷たく見つめていたランタンの瞳に不愉快さがちらついて男たちが震えた。
「くふふ、言葉遣いには気をつけた方が良さそうだな」
「いえ、そうではなくて」
子供扱いに、実際子供ではあったが、神経を逆撫でされはしたが、ランタンが言葉を繰り返した理由は別だった。
「何が何でも殺せ、ね?」
ランタンが尋ねると男たちは必死に首を縦に振った。
そんなに憎悪を買うようなことをしただろうか、とランタンは眉根を寄せた。雇い主と接点はリリオンを攫うことの邪魔をした、その一つしか思い浮かばない。例えばその目的にランタンが邪魔なので排除しろと言うのは判るが、どうにも男たちの言い様を聞くと殺害命令には私怨が混じっている気がしてならない。戦闘中にこの塔から放射された殺意には執念のようなものすら感じさせた。
一体何故、と男たちに尋ねても無駄なのは判りきっている。なのでランタンは自分の話はお終いにするようにテスに目線を送った。余計な口を挟んでしまった、とランタンがこっそり恥じているとリリオンがこっそりと慰めてくれた。もしかしたら手持ちぶさたなので構って欲しいのかもしれない。
「――それでこの子を狙った理由は」
と言っても女性を生け捕りにする理由などそれほど多くはなかった。大方の予想通りに奴隷として売るのだと、男たちはそう聞かされていた。
「それだけか? 他に何か言ってはいなかったか? 忘れてしまったんじゃないだろうな」
テスが男たちから情報を絞りだそうとするように低い声で尋ねる。男たちは喘ぐように口を開閉させ、左右に視線をきょろきょろと動かして、まるで自らの脳を中を隅々まで探しているかのようだった。
「――貴族だっ!」
獣亜人の方が叫ぶように言った。
「貴族に売ると言っていた! だがそれだけしか知らん! 本当なんだ!」
テスは人族に視線を向けた。人族は絞り出すように呟いた。
「……俺は、知らない。そんな話は聞いていない……、ただ奴隷として売るとしか」
「――嘘じゃないっ! 本当だ! オレはこいつより耳が良いんだっ!」
「へえ。他には何か、そのご自慢の耳で聞いてはいないのか?」
獣亜人の表情が歪んだ。
「本当なんだ……! もうあいつは雇い主じゃない! オレたちを殺そうとした! 庇う必要がどこにある!」
それもそうだな、とランタンは僅かばかりの哀れみを感じながら男たちを見つめていた。口封じに殺されそうになって尚、その依頼を守るような気概があるのならば悪党に使い捨てにされる傭兵になどなってはいないだろう。男たちはもう何も、本当に情報を持ってはいないのだ。
「あいつらの拠点にも案内する! だから頼む!」
「ああそれならば必要ない。ここに籠もっていた雇い主とやらにはもう鈴を付けてある」
提案を一蹴したテスに男たちは驚いたが、ランタンはそれ以上に驚いていた。驚嘆の声すら漏らすことなくただ静かに目を見開いた。リリオンがそんなランタンと涼しげなテスを戸惑うように見比べていた。
「ふむ、もう言うべきことはないようだな。では死ぬといい」
テスはあっさりとそう言って剣を一振り抜いた。反りの無い細身の刀身が濡れるような輝きを放っている。ランタンには美しく見えるその剣も、男たちにはこの世の何よりも不吉でおぞましく感じたのかもしれない。毛皮に覆われた獣亜人は零れそうな程に瞼を見開いて、人族は顔色を失った。
「そんな! 正直に話したじゃないか、なんで……!」
「何故、か。ふ、ふ、ふ。私の方が聞きたいね。――悪を生かしておく理由が、何かあるのか?」
男たちは答えられなかった。
一閃。
それは銀線ですらなく、ただ一瞬テスの手が揺らめいただけのように思えた。男たちは吊っていた糸が切られたかのように崩れ落ち沈黙し、ランタンが壊した男さえも痛みに身悶えることもなくなった。恐るべき早業だった。
ランタンはそれでようやく驚きから正気に引き戻された。テスが剣を鞘に収めた。血を払うような仕草も見せずに、涼やかな鍔鳴りを響かせて。
「殺してない……?」
「まあな、殺したいところだが、……残念ながらこれも衛士隊行きだ」
テスがふんと鼻を鳴らした。残念ながら、と言った声音には心底悔しがるような拗ねた響きがあった。
「ふぁぁ、すごい……」
リリオンがテスの妙技の感嘆に声を漏らした。他事に意識を取られていたランタンには見えなかったテスの手捌きをリリオンは捉えたのかもしれない。少女は瞼の裏にそれを繰り返すように、そっと目を閉じて頬を押さえた。
そんなリリオンはよそにランタンは聞いた。
「先ほど仰っていた鈴とは……?」
「ああ、追わせてるんだバラクロフらしき弓の男を。そう言えば言っていなかったな。攻め込むにしろ、そうでないにしろ拠点を割るに越したことはないからな」
何でも無いようにそう答えたテスに、ランタンはリリオンのような感嘆の声を漏らした。その間抜けな響きと、テスの用意周到さの対比として強く自覚した己の無策さにランタンは恥じるように頬ごと口を押さえた。
その様子を見てテスは腹を抱えて大笑いしたのでランタンは真っ赤になって目を伏せた。
「あっ顔赤い! なになに、なにがあったの?」
陶酔から帰還したリリオンが赤くなったランタンを見て興味津々に顔を近づけた。ランタンは顔の赤いままにそっぽを向いた。リリオンはその頬を指で突いた。まるで爆ぜる寸前の熟れたトマトに触れるように、そっと。
「ねぇねぇ!」
「……なんでもないよ」
ランタンは呻くように、どうにかそれだけを呟いた。




