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グラン工房へ様子を見に行くと、そこには手付かずの鋼がある。
一つは迷宮に現れたリリオンの母、リディアの残影が所有していた剣の破片。雪に似て白い鋼。
そしてもう一つはリヴェランド王権代行官アラスタより賜った正真正銘の巨人鋼だ。
初め差し出されたときは突き返したのだが、旅立ちの日に使者を通じて再度渡されたものだった。
この二つをグランに託し、リリオンの武器の製作を頼んでいる。
「悪い。もうしばらく待ってくれ」
グランは髭を揉みしだきながら言った。
「難しいですか?」
ランタンが問うと、ううん、と唸った。
熟練の職人であるグランは迷宮探索の活発なこのティルナバンにあってこれまで様々な、そして未知なる迷宮由来の素材を用いて武具を製作してきた。しかしやはり古の巨人が鍛えた巨人鋼は彼にとっても扱いの難しい素材なのかもしれない。
「悪ぃなあリリオン」
グランは改めてリリオンに向けて頭を下げた。リリオンは慌てて首を振った。
「いいんです。だって、わたしも大切にしてほしいから」
白い鋼は母の形見に等しかった。
もしかしたらグランはそちらの方の扱いにこそ困っているのかもしれない。老職人は困ったように口元を歪める。
「そうだよなあ。大切なもんだもんな。長く使いたいよな」
そう言って鋼から視線を逸らした。その視線がランタンの腰の物へと向けられる。
「ん? ……おい、ランタン。お前の戦鎚も見せてみろ」
「この前、お見せしましたよ」
「いいから」
グランのぶ厚い掌に戦鎚を乗せると、職人はそれを厳めしい顔で睨んだ。そのままの視線をランタンへぎろりと向ける。
「迷宮は、行ってないよな」
「そろそろ行く予定ですけど」
「じゃあ喧嘩でもしたのか。これ?」
旅から帰ってすぐにランタンはグランに戦鎚の整備を頼んだ。
その時は微調整程度ですぐに戻ってきた。過酷な戦闘をこなして、しかしそれでも折れず曲がらずの逸品はグランの作だ。
その柄に深々と鋼の削れた後があった。
「それは、喧嘩って言うか、ちゃんばらごっこというか」
それはハーディの大剣によってつけられた傷である。ランタンが言い訳がましくその事を説明すると、グランは呆れるような溜め息を吐いた。
「おっそろしい男だな、あれは」
「そうなんですよ。悪い奴ですね」
ランタンがグランの手から戦鎚を取り返そうとすると、職人はそれを掲げて取られまいとする。
「直しておく」
「時間稼ぎですか?」
「まあ、そうだ」
素直に白状されるとランタンはこれ以上追求できない。リリオンの方へと目を向けると、少女もそれで構わないというようだった。
使う素材も素材なら、完成した武器を使う少女も少女だった。
これまでもグランが丹精込めて製作した剣をリリオンは折りに折っている。
それはこの少女が経験した戦場が過酷であるがゆえのことでもあるが、それ以上に巨人族の血が流れる少女の稀な膂力のためでもあった。
「こんな機会は滅多にない。できる限りやらせてくれ」
そしてグランにとって長年、巨人鋼は追い求めた素材でもあった。
鍛冶職人としてだけではなく、グランという人間そのものの意地がかかっているのだろう。
あたりには手付かずの素材ばかりではなく、様々な資料や技術書が山積みになっており、そういったものの中にはリリオンがこれまでに折ってしまった剣もあった。
破壊されたものから、その原因や理由を探っているのだ。その対処法を。
「お願いします」
ランタンは席を立って腰を折った。
「必要なものがあれば言って下さい。全て用意します」
ランタンの館には武器庫がある。
迷宮に出現する武具を装備した魔物や、武具そのものの形をした魔物を討伐して得たものだった。刀槍矛戟。そこにはあらゆる種類の武器が揃っており、あらためて迷宮の多様性を思い知らされる。
そしてそれだけの数の迷宮を攻略していることの証明でもあった。
「わたし、鉄砲使ってみようかな?」
リリオンは長銃を槍みたいに構えながらランタンに問い掛ける。
「使い方わかるの?」
「こうでしょ」
意外なものを選んだと思いながらランタンが聞くと、リリオンはいきなり引き金を引いた。
弾もなければ火薬もない。かちゃり、と空撃ちの音が銃口から虚しく零れ落ちる。
しかしランタンは肝を冷やした。そんなランタンの内心を知らず、リリオンは自らに向けて、うんともすんとも言わない銃口を覗き込んだ。引き金に指をかけたまま。
「こら!」
ランタンは慌てて長銃を取り上げる。
これも迷宮で見つかったものだ。銃という武器はまだそれほど普及していない。
最初はどちらだったのか。
この世界には迷宮からもたらされた技術もあれば、迷宮に人が発見した技術が現れることもある。
そして後者の場合、時に技術は進化し、また祝福か呪いか、思いもよらぬ効果が付与されていることもあった。
たとえば銃なら狙った獲物に必中するだとか、絶対に当たらないだとか、弾も火薬も装填していないのに何かが発射されるとか、そういうことがある。
この銃身の内部には螺旋が刻まれていた。それは迷宮由来の銃に稀に見られる特徴であり、その螺旋は発射された弾の直進性や威力を向上させる魔道式の一つだと認識されていた。
ランタンはそれをただの工夫だと知っている。しかしだからといって突如、隠された祝福や呪いが発動しないとも限らない。迷宮由来品とはそういうものだ。
「危ないことはしない」
ランタンに叱られて、リリオンはむしろ頬を緩めた。
えへへ、とまったく子供っぽく微笑むと、ごめんなさいと呟いて、ぶつかるみたいに後ろから抱きついた。黒髪に顎を乗せてもう一度、ごめんなさいと繰り返す。
体重を預けてくるリリオンを支えながら、ランタンは長銃を元の位置に戻した。
「今度、ローサが取れない位置に飾っておこう。いやもう売り払うか。こんなの使っても宝の持ち腐れだし」
「そう?」
「そうだよ。これの威力は弾の重さとか硬さとか、結局は火薬の量で決まるんだから」
引き金さえ引ければ、当たる外れるはあるにせよ、誰が使っても同等の殺傷力が約束されている。
類い稀な力の持ち主であるリリオンが銃という武器を使う理由はまだなかった。
この長銃にせよ、まだ原始的なものだ。この銃の必中距離はリリオンはおろか、ランタンであっても一足一刀の間合いの内である。
探索者の身体能力をまだ上回っていないのだ。
「弾の重さや硬さが剣?」
「そう。で火薬は、これかな」
ランタンはリリオンの二の腕をつまんだ。リリオンはくすぐったそうにする。ぷくぷくした柔らかい腕だった。しかし力を込めれば鋼のように硬くなる。
「なるほど、これが火薬なのね」
リリオンはやり返すみたいにランタンの脇腹を揉んだ。ランタンが力を込めるとたちまちに硬く引き締まり、皮一枚抓めぬようになる。リリオンはでこぼことした腹筋を撫で回した。
「まあ、使いたいんなら別に良いけど。散歩みたいな探索だし」
ティルナバンに戻ってから最初の迷宮探索を明日に控えていた。
様子見の偵察探索だから、気軽なものだった。もっとも気を抜きすぎればあっという間に死んでしまうのが迷宮探索であったが。
「うーん」
リリオンはランタンにくっついたまま、唸りつつ棚を見上げている。
「……たよー。――でたよー!」
そうしていると武器庫にローサが飛び込んできた。
くっつく兄姉を見つけると、ぱっと満面の笑みを浮かべて二人に混ざろうとするように飛び付いてくる。
「なんで裸なんだよ!」
ローサは風呂上がりだった。濡れた髪もそのままに、肩に寝衣を羽織るばかりだった。ローサは大きな声を出す兄を不思議そうに見つめる。
「だってからだ、ぽかぽかしてるよ」
ローサは汗ばんでいる。その身体はのぼせたように赤く、その言い分もわからないわけではない。だが夏ならまだしも季節は冬だった。
「濡れたままじゃだめよ。せっかくぽかぽかしてるんだから」
リリオンは先程までとは打って変わって、大人びた口調でローサに言い聞かせ、濡れた髪や肌を拭ってやった。ローサは身体を大の字に開いて、満足気に目を細める。
「こんなものね」
「ほら、いつまでも裸じゃダメだ」
「や」
「やだじゃない」
「やー」
ランタンが寝衣を突き付けると生意気に首を振った。そしてリリオンの後ろに隠れべえと舌を出した。
しかしリリオンはそんなローサを掴まえて、ランタンの前に差し出した。ローサは裏切られたような表情をする。
「な、なんで」
「裸んぼだと風邪引いちゃうでしょ。風邪引いたら迷宮にはいけないわよ。ランタンの言うこと聞きなさい」
ローサは最後の抵抗をするようにじたばた暴れたが、リリオンに敵うはずもない。ランタンは慣れた手つきでローサに寝衣を着せてやると、前のボタンをきっちり首まで閉じてやった。
「手こずらせて」
「ううー、あつい」
ローサはふくれて、最後の抵抗だろう閉められたボタンの上二つを外し、腕まくりをする。
「おにーちゃんたちはなにしてたの?」
「明日の武器を選んでたんだよ」
「ローサもいっしょにえらんでいい?」
「いいよ」
「やったー!」
ふくれ面もどこへやら、ローサは明るい声を上げる。
さっそくお気に入りの斧槍に手を伸ばし、しかしそれまだ装備の許可は下りなかった。だがローサは拗ねることもなく、めげずに次の武器を選び始める。
久し振りに兄姉と一緒に迷宮へ行けることが楽しみなのだろう。
ランタンとリリオンはどれを選ぶか尋ね、兄とお揃いにするか、姉とお揃いにするか唸りながら悩む。悩みすぎて夜更かしをした。
翌朝、ローサは顔を真っ赤にして目を覚ました。
風邪を引いたのだ。
「ミシャん所、行ってくるわ」
「……ローサもいく」
「お前は寝てろ。探索は中止だ」
「やだ」
「リリオン、あとよろしく」
「うん。いってらっしゃい」
「ローサもいくぅぅぅ……」
ローサは焦点の合わぬ目をしている。ベッドから下りようとしてリリオンに押し止められる。
「ほら、寝てましょうね。いい子だから」
泣き声のような呻き声のような声を背中に受け止めながらランタンは夜の明けきらぬ街を走った。
風呂上がりに薄着でうろうろしていたせいか、それとも夜更かしのせいか、昨晩はずっと楽しそうにしていたから可哀想ではある。
しかし散歩のような探索とはいえ、病人を迷宮に連れて行くわけにはいかない。
迷宮特区の向かい側には何軒もの引き上げ屋が軒を連ねている。そのどれもがこんな朝早くから車庫を開いており、まさに出発する直前の起重機もあれば、すでにもぬけの空の車庫もある。
朝一番の迷宮探索組はもう迷宮へ送り出されているだろう。しかし本格的に忙しくなるのは、もう一時間ほど後だった。
「ミシャ」
「――ランタンくん?」
開かれた車庫で、起重機の最終確認をしているミシャに声をかけると、引き上げ屋の少女は驚いたように振り向いた。
ここまで駆けてきたランタンは鼻や頬が赤くなっている。
「入って入って。寒かったでしょう。こんな朝早くに、どうしたの?」
車庫の中は起重機の排気でほのかに温かくなっている。ランタンは手を擦りあわせながら車庫に入り、ほっと一息つくなり頭を下げる。
「ごめんミシャ。今日の探索は中止」
「中止? なにかあったの?」
「ローサが熱出した。風呂上がりに裸でうろうろしてたせいだと思うけど」
ミシャは哀れみながらも苦笑した。肩に羽織った炎虎の毛皮を抱き寄せるようにして、わかったわ、と頷いた。
起重機の操縦席へ上ると、鍵を捻って停止させる。車庫に満ちていた起重機の低い唸り声がぴたりと止む。
「ローサちゃん落ち込んでたでしょ」
「あの子、泣き虫だから」
「かわいそうに。楽しみにしてたものね」
引き上げの予約をするときに一緒についてきて、ミシャはその時の楽しげな様子を店主であり母であるアーニェから聞かされていた。
「ランタンくんの予約がばらしになると、少しゆっくりできるわね」
「う、悪い」
「嫌味じゃないわよ。いいのよ。違約金もいらないからね」
「でも」
「いいの。ランタンくん、――ランタンさんは特別なお客さまっすからね」
ミシャは起重機から降りると、手袋を外してまだ赤いランタンの頬に触れた。
「懐かしい口調だ」
「だって特別だもの。ランタンくんだけよ」
ミシャは丸い瞳を潤ませ、顎を持ち上げた。唇は薄く、漏れる息が微かに白んでいる。まだ仕事前の汚れぬ立ち襟のつなぎから覗く首筋は無防備だった。
「――ミシャ、まだ出発なくていいの?」
「え、わ! お母さん!」
「あら、ランタンくん」
ランタンは慌てるミシャの顔をじっと見て、心を落ち着けてから振り返った。ミシャの母であるアーニェが三対六腕で寒そうに身体を抱きしめていた。
「おはようございます。アーニェさん。朝早くからお邪魔してます」
ランタンは外面よく挨拶をして事の次第を説明すると、血の繋がらぬ娘と同じように母はローサを哀れみ苦笑した。
「かわいそうに」
「まあ、迷宮なんて崩壊するほどありますからね。一度機会を逃がしたぐらい、どうと言うことはないですよ」
「それはそうなんだけど心配ね。探索者がかかる風邪ってたちが悪いって言うから。でもありがとう。こんな寒い日に待ち惚けだったら、うちの子も風邪を引いてしまうところだったわ」
突然の探索中止は珍しいことではないが、引き上げ屋が事前にそれを知らされるのは珍しいことだった。
今日のランタンのように探索仲間に急病があったのか、それとも土壇場で怖じ気づいたのか。指定された迷宮口にいつまで経っても探索者が現れないことはそれなりにある。
だからこそほとんどの引き上げ屋が前金制を取っており、引き上げ料の三割から五割程度が手付金となっている。
しかし現場に探索者が現れない場合、欠けるのは大抵一人で、残された仲間たちの雰囲気が心配から苛立ち、嫌悪から諦めへと移り変わってゆく一部始終を引き上げ屋はそばで見続けなければならない。
そして探索の決行、あるいは中止の選択を迫らなければならないのだ。
引き上げ屋には次の仕事が詰まっている。それは引き上げ屋にとってもっとも嫌な仕事の一つだった。
「ミシャ、時間に余裕ができたなら朝ご飯しっかり食べていきなさい。せっかくだからランタンくんも朝食食べていって。ランタンくんにもらったお魚の干物、まだあるわよ」
「ありがとうございます。ご厚意に甘えさせてもらいたい所なんですけど、でも、ローサが心配なので。今日の探索は中止ですけど、またすぐにお願いすると思います」
「あら、そう? 急がなくてもいいのよ。迷宮なんてそこら中で崩壊するほどあるんだから」
「はい。――と言うわけでミシャ、また次頼むよ」
「うん」
ミシャが少し物足りずに頷くと、背後にアーニェが笑う気配があった。
「スープ温めておくから」
そう言ってアーニェは奥へと引っ込んでいく。アーニェの気配がすっかりなくなって、ランタンはミシャをいきなり引き寄せた。ミシャは抵抗の素振りも見せない。
「あー、ミシャの身体あったかい。このまま帰ると凍えるから少し温まらせて」
「もう、――しょうがないなあ」
「僕だけに特別?」
腕の中で力を抜くミシャに、ランタンはいたずらに尋ねた。ミシャは身体を揺らして笑った。
「リリオンちゃんにもローサちゃんにもしてあげるわよ」
「なんだ」
「ランタンくんだけの特別は、また今度」
「――よし、あったまった」
名残惜しくミシャを解放して、ランタンは車庫を飛び出した。
灰色の空から雪がちらちらと降り始めている。
薄く積もった雪の、まだ踏み汚されていないものをせっせと集めて丸めた。それをローサの額に乗せてやると、妹は薄ぼんやりと目蓋を開いた。
「ちゅめたい」
舌足らずに呟くが、むしろ気持ちよさそうだった。熱で白い雪が溶けて透明な雫になった。
「ははは、ちゅめたいでちゅか」
ベッド脇のテーブルに夏に採れた桃を砂糖漬けにして保存していたものを煮戻した病人食があった。スプーンで突き崩してあるが、食べ残されている。
「まだ熱が下がらないな。薬は飲んだか?」
「にがいからもうのまない。ローサおきる」
ローサはいかにも重たげに身体を起こして、額から転がり落ちた雪の塊を拾い上げた。
「こおり」
「雪だよ。外は雪だ」
「おそとみたい」
「うん。でもその前に着替えようか。すごく汗かいてるから」
ローサを脱がせて、汗ばんだ身体を拭ってやり、新しい寝衣を着せてやる。それから肩に綿入れを羽織らせてやって、ようやくランタンはカーテンを引いて窓を開いた。
部屋そのものが風邪を引いたみたいに湿っぽく熱のこもった空気が逃げ出すみたいに外へ流れ出して行く。
入れ替わりに入り込んできた冬風は冷たく、しかしローサは心地よさそうに風を浴びた。
「ゆき、つもる?」
「さあ、もうずっと降ってるけど、あんまり積もってないなあ。ローサは雪積もってほしい?」
「うん」
「そうか。あんまり冷えるのもよくないから、もう閉めるぞ」
「おねーちゃんは?」
「昼飯作ってる。ローサは、……あんまり食欲無いのか? これ、続き食べる?」
「たべる」
いつもなら一口で食べられる桃の一欠片をさらに小さくスプーンですくってローサの口に運ぶ。なんだか口そのものが小さくなったみたいに、ローサはそれをぱくりと啄んだ。小さな欠片を丁寧に咀嚼して、ようやく飲み込む。
ぱっと口を開けた。
「はいはい、もう一口な」
時間はかかったが残った桃を全部平らげたので、ランタンは少しほっとする。
ローサは特別だ。特別な身体をしている。
もしかしたらなにか、人類がかからぬ未知の病にかかるかもしれない。そんな風に大げさに思うのは真実ローサがランタンの妹だからだろう。
手ずから水を飲ませてやり、もう一度横になったローサに布団を掛けてやる。その際にローサがふと首を伸ばして、ランタンの胸元に鼻を寄せる。
「ミシャさんのにおいする」
「ふふ、いいだろ。元気になったら抱きついてやろうな。ミシャも残念がってたよ」
「ローサ、迷宮いきたかった」
「風邪が治ったらいけるよ。今は寝て、ゆっくりお休み」
ローサはしょんぼりとして熱で潤んだ瞳をランタンへ向けた。
「おにーちゃんは、迷宮いけなくて、ざんねん?」
「残念だよ。ローサと迷宮行くの楽しみだったから」
ランタンがそう言うと、ローサはくすんくすんと洟を啜った。
「ごめんなさい。ローサがおねつだしちゃったから」
「ローサのせいじゃないよ」
熱のせいで思考が混乱し、不安になっているのだろう。涙を拭ってやり、ランタンは雪を一度握って手を冷やすと、その冷たい手でローサの視界を塞いでやった。
「おにーちゃん、さきに、迷宮にいってて。ローサ、あとから、おいかけるよ」
「うん」
譫言の呟きは、やがて穏やかな寝息に変わった。ランタンは額の濡れタオルを取り替えてやり、しばらくその赤らんだ寝顔を見つめた。
「ランタン、ローサ起きてる?」
「さっきまで起きてたよ。今、寝たところ」
「あら、そうなの? お粥作ったけど、起こすのは可哀想ね。あ、桃食べてる。よかった」
リリオンの背後から、盆に粥を載せたガーランドが背後霊のように顔を覗かせた。
「その粥は僕が貰うよ。ガーランド、ローサ見てて」
「ああ」
ガーランドはローサのすぐ側まで来ると、先程取り替えたばかりの濡れタオルをまた取り替えた。
ランタンは盆を受け取ると、リリオンと一緒に部屋を出た。
「そんなこと言ったの?」
「ちょっとびっくりしちゃった。先に迷宮に行っててなんて。ううん、なんだろ。気ぃ使われたのかな。病人に。ローサに」
薄味の粥を二人で分け合いながら、ランタンは唸った。リリオンはくわえていたスプーンを口から引き抜き、淡褐色の瞳が窺うような上目遣いになる。
「それで、どうするの?」
「どうするのって?」
「迷宮、行くの?」
「行かないよ。ローサだって、本気で言っちゃいないよ」
「それはわからないじゃない。迷宮、行ってみたらどうかしら?」
ランタンはリリオンが冗談を言っているのだと思ったが、どうやら少女は本気らしい。
「迷宮、僕一人で行くの?」
ランタンが意気地なしのように躊躇うと、リリオンは肩を竦めた。
「慣れてるでしょ?」
突き放すように言い方をされて、ランタンは唇をへの字に曲げる。そんなランタンにリリオンは苦笑した。
「それに誘えば一緒に迷宮に行ってくれる人、沢山いるじゃない」
「じゃあリリオン一緒に来てよ」
「わたしはローサと一緒にいるわよ」
「あーあ、ローサにリリオン取られちゃった」
ランタンはスプーンを口に咥えながら、沢山いたかな、と知り合いの顔を思い浮かべる。
意地になってマスクを外さなかったら目が回った。
熱中症には注意しましょう。




