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カボチャ頭のランタン  作者: mm
16.Stay Home
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 髪を洗っていると背中に視線を感じて、ランタンは泡を落として振り返った。額に張りつく髪を後ろに撫でつけ、石鹸に染みる目を擦る。

「なに?」

 見つめていたのは緑柱石(エメラルド)の眼差しだった。赤い髪を纏めてレティシアが感心したように言う。

「なんだか、たくましくなったんじゃないか?」

「そう?」

「なった。やはり男子たるもの旅に出るべきだな」

 適当に言っているのか、それとも本当によく見ているのか。

 ランタンはほんの少しだけ身長が伸びた。もしかしたら誤差かもしれないが、ランタンはこれを密かに、そして素直に喜んでいた。

 つまむほどの脂肪もない脇腹を抓み、隠そうともせずに裸身をレティシアに晒した。

「じゃあまた旅に出ようかな」

 ランタンがそんなことを言う湯船で泳いでいたローサがそれを耳敏く聞きつけて、月魚のように湯から飛びだして駆け寄ってくる。

 温まった身体から湯気が立ち、それを濛々とたなびかせる様子はまるで火だるまになって突っ込んでくるようだった。

「ローサもいく!」

「うわっ!」

 足元に溜まった石鹸のぬめりが、ランタンを素っ転ばせた。かろうじて受け身を取ったが、薄い尻の肉は衝撃を吸収せず、腰骨がじんじんと痺れる。

「どこいく? またれべらんど? ローサもいっしょにいくからね」

 ローサは尻餅を突いたランタンの周りをぐるぐると回った。

「いてて、こういうことするやつは留守番だよ」

 腰をさすりながら立ち上がり、ランタンが本気とも冗談ともつかぬように口にする。

「やだやだやだやだ!」

「ええい、尻を揉むな!」

 ローサは慌てて赤くなったランタンの尻を撫でたり、揉んだりする。ローサの指と指の間から、白く柔らかい肉がはみ出した。ランタンはそれをつっけんどんに振り払う。

 ローサは傷ついた顔をした。

 すぐにランタンの隣で、同じように髪を洗っていたリリオンに泣きつく。

「おねーちゃーん! おにーちゃんがいじるわるする! ひどい!」

 ひどい言いがかりだ、とランタンは思う。

 リリオンは長い銀の髪を丁寧に洗っており、頭を白い泡でもこもこにしていた。爆発に巻き込まれて髪の毛が全て縮れてしまったかのようだった。

「え、なに? ちょっとまって」

 リリオンは垂れてくる泡に目を開けることもできず、腕を引っ張って揺らすローサはいかに兄が理不尽でひどい存在であるかを、ランタンが隣にいるのにもかからず告げ口している。

 ランタンは意地悪そうな顔をして、ローサに囁く。

「リリオンを綺麗に磨いてやったら、考え直してやらんでもない」

「ほんと!」

 ローサは甘言に惑わされて、さっそく石鹸を泡立てると抱きつくようにしてリリオンにそれを擦りつけた。

「わ、ローサなに? きゃ、ちょっとくすぐったい――やめ、あはは、こら、やめなさ、いひひひ」

「ローサきれいにするから!」

 なんのことかわからないリリオンはびっくりして、けれどどうすることもできず、ローサに身体中を泡まみれになさながら悶えた。

 洗っているんだかくすぐっているんだかわからないような状況だった。

 ランタンはそんな二人を洗い場に残して、湯船に入った。

「まったく意地悪なことだ。私の勘違いだったかな」

 レティシアが呆れたように言った。

「レティはちょっと痩せた?」

 湯の中でレティシアの腰から生える竜尾がゆったりとのたうっている。

 濃い色の肌が湯を弾いて瑞々しく、皮膚の下の鱗の気配が微かに感じられるような気がした。だがその肌に触れても鱗の硬さはない。柔らかくも張りがあり、指先を押し返してくる。

「そうか?」

 首を傾げたレティシアをランタンはそのまま抱きしめ、過去の記憶とすりあわせる。自分の感覚に間違いはなかった。

「やっぱり痩せたよ。――お疲れさま」

 腰に回した手を、ランタンはそのまま柔らかいところへと伸ばした。レティシアは恥ずかしがるでも嫌がでるでもなく、そのままランタンの好きにさせる。

「大変だった?」

「いっぱい食わされたわけだからな。大変というか、――くやしい」

 ランタンたちが旅に出ている間、レティシアはティルナバン及びその周辺領の治安維持に奔走していた。冬が近くなると、獣が冬眠のために餌を求めるように、匪賊の活動が活発になる。

 冬になり街道が雪で閉ざされると彼らの主な獲物である行商人たちの往来はなくなる。

 冬を前にした匪賊たちは集落や荘園を襲うことがあった。そこの住人を皆殺しにして、食料から家から全てを奪い、冬が過ぎ去るのを待つのである。

 そして春が来て残されるのは無人の集落であり、殺された人々の無念だった。

 そのため冬前には大規模な匪賊狩りが行われる。

 今年は特に念入りだった。

 これまではティルナバンの下街で暮らしていた悪党たちは、下街が再開発されるとその多くが住み慣れた土地を去り、新たな居場所を求めた。それは清すぎる水に魚が住まぬようなものなのかもしれない。

 彼らは野蛮で混沌とした世界になれ過ぎていた。

 下街では喧嘩や、強盗や、かつあげ、時に探索者を狙い返り討ちに遭っていた彼らは野で匪賊となっていた。

 そしてまた匪賊の中には変異者の姿も散見した。

 旧サラス伯爵領戦で肉体に変異をきたした戦士たちの中には、異形であるがゆえに迫害を受け、街から逃げ出す、あるいは追い出されてしまった者たちがいる。

 ティルナバンはある程度彼らの存在に寛容だったが、しかしやはりある程度でしかない。

 そんな彼らは匪賊に身を落とす結果となった。

 そしてそれは戦士ばかりではない。

 旧サラス伯爵領の住人も、伯爵領から逃げ出した先で戦士たちと同じように迫害を受け、同じように匪賊となる事例が多くあった。

 迫害からの自衛が、先鋭化した結果ともいえる。

 レティシアの仕事は匪賊の討伐だけでなく、その保護もあった。酌量すべき点があるのは事実だった。

 そんな大忙しのレティシアに、更なる問題が積み重なった。

 それは前ティルナバン王権代行官ブリューズ派貴族による反乱の鎮圧である。

 結果としてそれはレティシアをティルナバンの外へ釣り出すため罠であった。

 その目的はローサに対する護衛を減らすことだ。

 自分でも言うようにレティシアはまんまといっぱい食わされたのだった。

 ランタンはレティシアを慰めるように身体を撫でてやる。

 撫でる手が自然と膨らみを揉んでいるあたり、やはりローサと彼は兄妹だった。

 ランタンに影が覆い被さる。顎先まで湯に沈んでいた顔を持ち上げて見上げる。

「ランタン」

 名を呼んだのはリリオンだった。

 ランタンはぎくりとして振り返る。

 そこにはぴかぴかに磨かれたリリオンと、姉を味方につけたローサがいた。

「やあ、リリオン。ぴかぴかになったね」

「ごまかされないんだから。ローサ、わるいランタンをやっておしまい!」

「がおー!」

 ランタンは吠えて飛び掛かってくるローサから逃げ出そうとするが、湯の中で足に絡むものがあった。それはレティシアの竜尾だった。

「な、レティ!」

「強いものにつくのが勝利の鉄則だからな」

「裏切り者!」

「骨は拾ってやろう」

 ランタンは恨み言を言うと、ローサに湯の中に沈められた。

 湯の中から天井を見上げると不定型生物のブロブがへばりついている。




「え! ランタンいないの!?」

 ディラは大げさに驚いて、がっかりと肩を落とした。役者生活で、大げさな身振りがくせになっているのかもしれない。

「おにーちゃん、いない。おねーちゃんも……」

 ローサも大きく肩を落とした。

 彼女は旅芸人の一座の一人である。役者だが、軽業もする。

 一座で各地を巡り、その土地その土地の貴族の催しに招かれることもあるが、大抵は街頭に舞台を設営し、道行く人々を相手に芸を見せている。

 冬になると王都や八大都市といった大きな街に腰を落ち着け、冬が過ぎるのを待った。

 今年の越冬地は迷宮都市と名高いティルナバンだった。

 ティルナバンは迷宮都市と言われるだけあって、探索者が多く住んでいる。

 演劇のような芸事はあまり受けがよくないと芸人たちの間では噂になっている。奇術や軽業も、なかなか彼らを驚かせることは難しい。

 魔道や迷宮で鍛えた肉体と技で、芸人よりもすごいことを彼らはする。

 しかし彼らを沸かすことができれば、かなりの稼ぎになる。

 探索者は刹那的で享楽主義で、金銭感覚が少しずれている。一度財布の紐を緩めると、舞台に金銀財宝が雨あられのように降るらしい。

 らしい、とあくまでも噂話だった。

 王都の大きな劇場で活躍する劇団が、一晩でいくら稼いだというような話が神話のように語られているのである。

 それでもティルナバンにやってきたのは、それなりに自信があるからだった。

 なにせ今回の演目は、ティルナバンで活躍する探索者が主役なのだ。きっと盛り上がるだろう。しかしまだ舞台内容は煮詰まっていない。

 主役はランタンという探索者だ。小柄で黒髪、炎を操り、単独での迷宮踏破を達成している。

 彼の迷宮譚はじわりじわりと各地に広がりつつあるが、その話のほとんどは創作、それも事実に基づかない創作だと思われた。

 彼の迷宮譚で共通しているのは、小柄、黒髪、炎、単独探索者の四点ほどで、それはつまりそれだけランタンという探索者が謎に包まれていることを意味する。

 もっと深く役を突き詰めなければならない。

 まだ主役を張れると決まったわけではなかった。

 同じ軽業師の男もランタン役を狙っている。背が低いわけではないが、骨格が華奢で時に女形もする優男だ。身体を小さく見せる技は心得ていた。総合的な表現力はディラが優るが、探索者の力強さを表現するのはやはり彼の方が上手かもしれない。

 ディラはランタンに似せようとして染めて黒くした髪を捻った。

 ティルナバンに至るまでの旅路は、なかなか大変なものだった。

 普通は大都市に近付くほど治安は良くなるものだが、ティルナバンまでもう少しという所で二度も匪賊に狙われることがあった。

 旅はディラの一座と二組の隊商の大所帯だった。その三組で金を出し合って護衛を雇った。

 一度目は早々に気がつき逃げ出すことができたが、二度目はひどく追いかけられて隊商の一組は馬車を一つ失ってしまった。

 そんな目に合いながらやってきたというのに、目的のランタンに会えないのは痛恨ごとである。

 しかし彼に最も近しい人物の一人であるローサと出会えたことは驚くべき幸運だった。

 ディラは気を持ち直したように顔を上げた。

 いないものはしかたがない。

 それにランタンを探し求め歩いている間に、ディラは少しばかり役者としての自信をつけていた。

 道行く人が、おそらく探索者らしき雰囲気の男たちが自分を見ては、おっ、というような顔をする。

 残念ながら女らしい膨らみには欠ける身体である。軽業のためと、金銭的事情による節制は如実にその成果を身体に現している。

 ティルナバンの男はそういう身体付きが好みなのかと思ったが、そうではないと気がついたのは、少し経ってからだった。

 彼らが自分を見て驚くのは、自分がランタンに似ているからだ。

 自分の役作りは間違っていなかったのだ。

 ローサの語り口は幼く、兄贔屓な所は多分にあったが、それでもランタンを直接知る人から話を聞いて、ディラはますます自信を深める。

「ティルナバンってやっぱり少し治安が悪いなって思ってたけど、ランタンのせいだったのね。意外ね、単独探索者だからもっと求道的かと思ってたけど、ずいぶんとやんちゃなのね。恨みもかってるみたいだし」

 ディラはティルナバンで何度か危ない目に合っていた。

 金持ちそうには見えないし、強姦するにももう少し肉がついていた方がいいだろう。

 因縁を吹っ掛けられる理由は考えつかなかったが、ローサの話を聞くにランタンに似ていることがその理由のようだった。

「どうかしら? ランタンに見える?」

 ディラは自分なりにランタンらしい姿勢を取る。背を伸ばし、ポケットに手を突っ込んで、顎を引いて冷ややかに相手を見つめる。口元に微笑。

 きまった。

「みえない」

 自信を持っていたディラはローサに掴みかかった。

「どうして? なにか変?」

「おにーちゃんは、うしろにとばないよ。あーゆーときは、まえにとぶの」

 一体なにを言っているのか。

 ディラは首を傾げる。

「ディラさん()()やって」

 ローサはそう言ってディラと距離を取った。

 隣を歩けば少女であるが、こうして距離を取れば半身の炎虎が嫌でも目につく。ディラが少しばかり竦んでいると、ローサは手を振った。

「かまえて、かまえて」

 言われるがままに、戦うランタンを想像した立ち姿を作る。彼は戦鎚を使うらしいが、舞台では剣の方が映えるだろう。

 舞台の上で、張りぼての魔物と対峙して見得を切るのだ。

 その瞬間にローサの巨体が消えた。

 跳んだのだ。

 自分の軽業などこの跳躍に比べれば児戯だろう。

 跳躍に気が付き頭上にその巨体を見上げ、だが重力に引かれるよりも素早く、ローサはディラの足元に伏せていた。

 伏せた身体を起こし、ローサはディラを抱擁する。もしローサが虎ならば、その爪は身体を引き裂き、その牙は首を食い破っただろう。その力強さが伝わってくる。

「おにーちゃんはこうだよ。まえにとぶの」

 耳元で言われてディラは腰が砕けそうになった。

「だいじょうぶ?」

 ローサに身体を支えられ、ディラは何とか頷いた。

「――ローサはすごいのね。ローサは迷宮にも行くの?」

「うん! ローサ、探索者みならい! にもつをはこぶよ!」

「へえ、見習い」

 頷きながら内心で、こんなに強いのに見習い、と恐怖心を抱いていた。ならば本物の探索者はどれほど強いのだろう。

 迷宮都市である。もう何人も、何十人もの探索者とすれ違っているが、その強さを街中で触れることはない。

「ローサ、本当に大丈夫?」

「だいじょうぶ。ローサわかるよ。こっち」

 ローサに腕を引かれてやってきたのは迷宮特区だった。

 起重機(クレーン)が大型動物のように行き交っている。

 それらを避けるように探索者が壁際を歩いていた。これから迷宮に行く者たち、ようやく地上へ戻ってきた者たち。その二つが交差している。

 それは生と死の交差のようだった。

 すれ違った探索者の集団は疲れ果てた表情をしている。

 荷車には迷宮資源が積まれ、布で覆われているのは転落防止だろうか。車輪の轍が伸びている。それは赤い血で泥になっている。ディラは振り返った。荷車の底から、血が滴っている。

 強い探索者が、迷宮では死んでしまう。

 どこかで爆発音が響き、歓声が湧いた。崩壊した迷宮から魔物が出現し、誰かがそれを仕留めたのだろう。そんなことを知らないディラは身を竦ませる。

「本当に、本当に大丈夫なの?」

「だいじょうぶ。ローサがまもってあげる」

 ローサは慣れた様子で迷宮特区を進む。

「ほら、いた!」

 そして迷宮口を一つ抱く区画に辿り着き、起重機を指差した。そこには今まさに探索者を地上へと引き上げている、引き上げ屋がいた。まだ若い女だった。

「じゃましちゃダメだから、すこしまって」

 壁にへばりつき、ローサは彼女の仕事が一通りすむまで大人しくしていた。きらきらした視線と、待ち遠しそうに揺れる身体。

 帰還した探索者は五人の男たちで、一人の運び屋を連れている。探索者は髪に白いものが混じっている。老人ではないが、中年は少し過ぎているだろうか。かなり年のいった探索者集団だった。

 引き上げ屋に料金を支払う様子は子や、孫に駄賃をやるように見えた。

 ああいう探索者もいるんだ、とディラは思う。

 探索者たちは区画を離れ、その去り際に引き上げ屋に何事か伝えた。その途端、引き上げ屋がこちらを見た。

 ローサの毛皮がぶわっと膨らんだ。

「ミシャさん!」

 ローサは放たれた矢のように飛び出して起重機に座る引き上げ屋、ミシャの膝の上に乗っかった。

「うわ、ローサちゃん。どうしたの?」

 ローサは猫のようにミシャに甘える。ミシャは驚きながらも慣れた手つきでローサを座席から追い出していた。ローサを起重機から下ろし、自分もその後に続く。

「ローサごあんないしてきたよ」

 ディラはローサに指さされ、ミシャの前に姿を現した。

 ローサの相手をしていたときは柔和だった表情が、途端に警戒心を露わにした。

「ローサちゃん、どちらさま?」

「ディラさん。ディラさんはー、やくしゃさん。おにーちゃんのことしりたいんだって!」

 まだ警戒しているミシャに、ディラは友好的な笑顔を向けた。これでも役者だ。表情を作るのには慣れている。

「こんばんは、いきいなりすみません。あやしいものではありません。私はディラ、旅芸人をやっています」

「芸人さん? そんな人がどうしてランタンくんのことを」

 ディラはかくかくしかじかを説明した。

「ランタンくんの話が舞台に?」

 ミシャの反応は驚きと納得が半分半分だった。

「そうなんです。ですけど彼ってほら、謎めいていて、下手な芝居したら失礼でしょ? だから色々聞いて回っているんだけど。あなたなら間違いないってローサが」

 ミシャは腕組みをして、まだ少し警戒心を解いていない。

 組んだ腕につなぎ越しにもわかる大きな膨らみが乗っかっていた。ディラは少し悔しくなった。

「本当に間違いなかったわ」

 ディラは悔しさを隠して、思い切って一歩踏み込んだ。ミシャの手を取って握った。冷たい手だった。

 振り払われない。警戒心は強いが、押しには弱いのかもしれない。ディラは捲し立てた。

「だってあなたミシャでしょ! ランタンの専属の引き上げ屋! あなたのことも噂になってるわ」

 ディラがそう言うとミシャは目を白黒させた。

 噂になっているというのは半分嘘で、半分真実だった。

 優れた探索者のそばに優れた引き上げ屋あり。それは探索譚のお決まりのようなものだった。

 ランタンの探索譚にも優れた引き上げ屋は出てくる。しかし劇の場面の大半は迷宮で、引き上げ屋は端役に過ぎない。

 ミシャの名を知ったのはローサがそう呼んだからだったし、大抵の探索者は馴染みの引き上げ屋を作っているものだ。

「ねえ、あなたから見たランタンの話、お願いっ! 聞かせてくれない?」

 だが探索者と引き上げ屋が特別な関係であることは確かだった。

 今回の公演が上手く行ったら、引き上げ屋との恋物語もいいかもしれない。基本形は探索者が未帰還になり、引き上げ屋がいつまでも待ち続けるという悲恋物になるのだが、これがまた受けがいいのだった。

「……まあそう言うことなら構わないけど、まだ次の現場があるから今日は無理」

「つまりいいのね? ありがとう!」

「明日、朝一でうちのお店を尋ねてくれたら、少しぐらいは時間は作れるわ」

 ディラはミシャの手をぶんぶんと上下に振って、それからローサの手を取って同じように上下させた。

「ありがとう、ローサ! あなたのおかげよ! これでまた一歩、主役の座が近付いたわ! ねえミシャさん、私ランタンに見えるかしら?」

「……うーん、どうかしらね」

 ミシャは苦笑した。自分はディラをランタンと見間違えることはない。

「見えなくも、ないかしら?」

 反応はいまいちだったがローサから、見えない、と断言されたときよりはましになったのだろう。明日ミシャから話を聞けば、見えなくもない、から、見える、に変わるだろう。

 変えてみせる。

 そうディラは決心した。

 ミシャを見送って、ローサにあらためて礼を言おうとした時、ディラは地面に組み伏されていた。

「――ゆーれー! なにするの!?」

 それはガーランドだった。

 ローサが連れていった馬だけが屋敷に帰ってきて、その瞬間にガーランドはローサを探しに街へ飛び出したのである。ローサにもし何かあったら。そう考えたとき、ガーランドは自分でも思いもよらないほど動揺した。

「ローサ、無事か!」

 ディラは何が起こったのかわからない。

 今まで感じたことのないような物凄い力で地面に押しつけられている。地面が冷たい。土の臭いがつんと鼻につく。首筋に冷気が入り込んでくる。秋風だろうか。いや違う。それは添えられた剣の冷たさだ。

「何者だ? なんのためにローサに近付いた?」

 歯の根が噛み合わない。ディラは答えようとしたが、喉が引きつって言葉にならない。殺意というものが背中に乗っているのだと思った。背中へ捻られた腕が、ようやく痛みを発した。これ以上やられると肩が外れる。

「ゆーれーダメ!」




「ははん、鍵もかけずに留守にしたから荒らされたんだ。泥棒の仕業だな」

 揺り椅子に座るランタンはローサの話を聞き、納得して頷いた。

「ちがうよ」

 ランタンの足元に寝そべるローサは首を振った。

「違うのかよ。じゃああれだ。そのディラって人をガーランドが殺しちゃって、芸人一座がお礼参りに来たんだ。最近の旅芸人は気合い入ってるな」

「ころしてないよ。ゆーれー、ちゃんとやめてくれたよ」

「ううん、じゃあ一体誰がやったんだ」

 ランタンがもどかしげに呟くと、リリオンと一緒にソファに腰掛けるレティシアが何気なく口を開いた。

「やったのは、魔物――」

「だめ! ローサがいうの!」

 ローサはレティシアに飛び掛かって口を塞いだ。

 自分の留守番の話をするのが、このところローサの日課だった。ローサの話が終われば、今度は兄たちの旅の話を聞かせてもらえる約束になっている。

 はやく旅の話を聞きたいが、自分の話も聞いてほしい。

「ははは、すまないな。言わない、言わないよ」

「もー」

「ローサ、あんまりガーランドさんを心配させちゃダメよ」

「はあい」

「それで、その後、ディラさんはどうしたの?」

 頬を膨らませるローサを宥めるようにリリオンが先を促した。

 ローサはレティシアとリリオン、二人の膝を独り占めにして乗っかかった。

「おうちにごしょうたいして、いっしょにごはんたべたよ。ゆーれーもいっしょ。でもディラさんあんまりたべなかった」

 ローサは残念そうに呟く。自分を殺そうとした相手との相席である。味など感じなかっただろう。

 ランタンは首を傾げ、魔物、と呟く。

「魔物がやったの?」

「ちがうよ」

 ローサはまた首を振った。

「魔物はたすけてくれたんだよ」


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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白かったです。 ランタン裏山けしからんですな。
[一言] おむねのないディラさんはランタンの事を知るにつれてコイツスケベだなって思いそう ランタンの切れたナイフ時代とリリオンの親犬時代はどっちが劇映えするのやら
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