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カボチャ頭のランタン  作者: mm
15.Memories
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 それから世話役の女たちが知っていること全て聞かせてもらった。

 しかし彼女たちが知っている事実は長老の独り言によるものでしかない。

 彼がそういったことを口にするのはいつだって狂気の中にある時だけだった。どこまでが真実で、どこまでが妄想なのか。真実を知る術はない。

 正気である彼がリリオンの出生の秘密、つまりは人間たちが巨人族に対して行った非道な実験のことは決して口にしなかった。

 しかし狂気は制御できるものではない。たまたま偶然にその事実を知った巨人族は彼女たち以外にも存在した。

 だが彼らもまたそれを公に口にはしない。

 表面上、この地で人族と巨人族はよく共存している。

 人間たちが住んでいる世界では、巨人族は常に恐れをもって語られる存在だ。それは神だとか悪魔だとか、実体を持たぬ存在に似ている。

 しかし巨人族にとって人間は身近な存在だった。自分たちを管理監視するために常にその傍にいて、言葉を交わすことも、触れ合うこともできた。良い人間も悪い人間もいることを知っていた。

 駐留兵たちは一人残らず巨人への恐れを抱きこの地へやってくるが、それが攻撃性へ転換されることは稀だ。訪れる前には強がって見せても、いざ巨人族を目の前にすれば、その圧倒的な存在感に気持ちも萎える。

 過度に抑圧して反抗されれば、負けるのは間違いなく自分たちだ。

 それゆえに駐留兵たちは巨人族たちと友好的に振る舞う道を選んだ。心の中でどう思っていようとも。

 巨人族にとって人間は同じ地に生きる小さな隣人であった。

 定期的に、海の向こうから有用な物資を運んでくる。その中には物だけではなく、人や技術もあった。

 集落ではあらゆるものが不足する。病にかんするものは特にそうだ。

 いくら頑健な巨人族とは言え、疫病でも発生すれば集落は容易く崩壊する。

 閉ざされた集落であるがゆえに住人同士は血が濃くなっており、近交退化の影響もあって最近では病がちな巨人族もいる。

 そういったものの治療は人間たちの仕事だった。

 薬や魔道によって、そしてそれだけでは間に合わない場合、森の中に作られた施設へと連れて行かれる。

 施設へ運ばれる患者は、治癒の見込みの低いものたちばかりだ。女だけではなく男も、年齢も問わず連れて行かれる。

 それゆえに巨人族たちは患者が生きて帰ってこなくても不思議には思わなかった。そこに連れて行かれることを悲しく思っても。

 だがそれでも稀に治癒して生還するものもあり、巨人たちは人間に感謝し、信頼したのだ。

 そういった中でリリオンは生まれた。

 ひどい裏切りだった。

 長老の怒りは計り知れない。

 アラスタ王子がリリオンへ向けた視線の理由はこれだった。

 知らぬところで行われていたとは言え非道な実験を見逃していたことへの罪悪感。そして巨人族からの復讐を怖れる心。

 リリオンの存在が、何かのきっかけになることを危惧していたのだろう。

 ランタンとリリオンは巨人族の集落を離れ、黒壁の森を進んでいた。

 迷宮のある鉱山へ行こうと思ったが、鉱山は人間の足ではかなり遠い。

 向かう先はアラスタ王子の手紙に書かれていた黒い卵の実験施設だった。

 ランタンは黙っていた手紙の存在を、迷った挙げ句に、リリオンに教えたのだ。

 そこはおそらくリリオンが生まれた場所だった。

 この地はリリオンに厳しすぎた。

 その場所にリリオンを連れて行くことが少女を傷つけないとも限らない。だがリリオンは自分の母親のことをもっと知りたがった。

 それにランタンは信じていた。いくつもの苦境をリリオンは乗り越えてきた。どれだけ傷つこうとも、リリオンはやがて立ち上がり歩き出す。

 雪深い森の中を犬雪車(ぞり)に乗って進んでいた。駐留兵から借りたものだ。

 毛深く、ずんぐりとした熊に似た四頭の大型犬が雪車を牽いて猛然と駆けている。

 ランタンはどうしてか獣に嫌われる性質だったが、この犬たちは巨人族をも怖れない勇猛さを持っている。

 (つたな)いランタンの手綱さばきにもよく応えてくれた。

 森の中にあった隔離治療施設で一度休憩をとり、さらに森の奥へと進んだ。

 道中に不自然に砕けた巨石があった。調べると魔道式が刻まれている。

 実験施設を隠すための結界が張られていたのだろう。その巨石を通り過ぎると、雪に埋もれた建物に辿り着く。

 目的の場所に違いなかった。

「リリオン、こいつらと一緒にいて。雪どけてくるから」

 ランタンが伝えるとリリオンは頷いた。走ってくれた犬たちに餌と水をやり、ランタンの代わりのようにその毛むくじゃらの身体を抱きしめる。犬たちもそんなリリオンに纏わりついた。

 実験施設は雪の中にあり、屋根が見えているだけだった。

 ランタンは戦鎚で雪上に魔道式を書き込んだ。建物を取り囲むように円を描き、その内側に意匠化された文字や模様を書き込んでいく。

 雪の中から掘り起こすべきかと、この場に来てもまだランタンは迷っていた。

 この地はリリオンを傷つけてばかりいる。そしてランタンはその手助けをしているも同然だった。

「さてと、――やるか」

 ランタンは円の中心に立ち、こちらを見ているリリオンに戦鎚を振って合図をした。

 足元に戦鎚を打ちつけると、火花が散った。

 それは瞬く間に膨らむ。

 足元の炎がランタンを包み込み、そして少年が焼け溶けて流れ出したように魔道式に炎が伝っていった。

 それは見る間に積もった雪を水に、水を蒸気に変えた。立ち上る蒸気の白煙が風に吹かれてきらきらとした氷の粒に変わった。

 雪は溶け、施設が露わになった。

 石積みの遺跡のような建物だった。巨人族用の建物だけあって巨大だが、ランタンの立っている屋根は低い。施設の大半は地下へ作られているようだった。

 ランタンは屋根から飛び降りた。じとりと湿った地面が足元を汚した。

「ここで待っていてね」

 リリオンは犬たちにそう言い聞かせて、しっかりとした足取りでランタンに近寄る。ランタンの方からリリオンの手を取った。

「もう放棄された場所だけど、一応油断はしないで」

「うん」

 洞窟の中に入るように地中の施設へと入っていった。

 施設内はひんやりとしているが、地上よりはかなりましだった。巨人族でも移動できるかなり巨大な通路が掘り進められている。

 岩盤の剥き出しになった天井には氷柱がぶら下がっていた。

 主を失った施設内は蝙蝠や虫たちが棲みついており、獣の足跡や骨も残されていた。寒さや雪を避ける安住の地を探して捕食者と被捕食者がかち合ったのかもしれない。

 二人の足音が響くと、驚いた蝙蝠たちがきぃきぃなきながら羽ばたく。

 ランタンは右手にリリオンの手を取り、左手に松明代わりの戦鎚を握っていた。リリオンは剣を腰にしたまま、きょろきょろとしながら歩いている。

 ランタンが立ち止まると、影のように立ち止まった。

「足元気をつけて。崩れてる」

 崩れた岩盤が足元に散乱していた。もしかしたら崩落したのかもしれない。

 リリオンを傷つけるなにもかもが埋まっていたらいいのにと思う。

 ランタンはかつてサラス伯爵の邪悪な蒐集品を見たことがある。集められた品々、人々自体が邪悪なのではない。その行為と欲望こそが邪悪だった。

 それらは普段は目にすることのない、意識することもない世界の暗闇を実感させる。

「……うん」

 リリオンは頷いて、しかし気持ちは逸るようだった。ランタンが手を繋いでいなければ途端に駆けだしていたかもしれない。

 進んでいくと広く開けた空間に辿り着く。実験室、あるいは施術室なのだろう。

 しかし見る影もない。

「これは、一体……?」

 ランタンは戦鎚を高く掲げた。炎は明るく、しかし全体を照らすにはあまりにも小さい。

 そこは崩れていた。だが自然の崩壊ではなかった。それはまぎれもない破壊の痕跡だった。

 リリオンがランタンの手を解き、ふらふらとその中に踏み込んでいった。

 壁に打ちつけられた巨大な鎖は巨人を繋ぐものだろう。奇妙なほど整った石の台座は寝台か、もしかしたら分娩台なのかもしれない。

 瓦礫に混じって人骨がある。巨人族の巨大な骨ではなく、人間の骨だ。

 それは原形を保っていない。ばらばらに散らばっている。寒さのせいだろう、多くはまだ肉が残っていた。水分を失って真っ黒になっているが臭いはなかった。

 壁や地面に煤汚れのような黒い血の染みが広がっている。

「これはママがやったの……?」

 リリオンが独り言のように呟いた。

 ランタンは答えることができなかったが、きっとそうだった。

 破壊の痕跡を見るに、それをやったのは人型の巨大な生き物に違いなかった。そしてそれは素手で行われている。

 ランタンは壁の染みを見た。人ひとりを力任せに壁に叩きつければこういう染みになるに違いない。

 そこには強烈な怒りや憎しみといった感情がその痕跡にありありと残っている。

 理性ある戦いではない。

 破裂するような感情にまかせた、目につく全てに向けられた一方的な破壊だったに違いない。

 ランタンでさえ圧倒される光景の前にリリオンは立ち止まった。

 この破壊はリリオンの誕生後に行われたものだ。母リディアは施設を完膚なきまでに破壊し、リリオンを連れて集落に戻った。

 それはやはりリリオンにとって辛い現実を連想させるものだった。

 少女の誕生は望まれたものではなかったかもしれない。

 実験により人の子を身ごもり、出産した。

「ママはわたしのこと……」

 邪悪の結実とも言える赤子を抱いたとき、リディアはその子を憎んだのだろうか。

 この破壊の向けられる先は、もしかしたらリリオンだったかもしれない。

「ちがう!」

 ランタンはリリオンの背中に声をかけた。

「違うよ、リリオン!」

 リリオンを包み込もうとする暗闇を晴らそうとランタンは全力でそれを否定した。

「お母さんがリリオンのことを大切に思わないはずがないだろう!」

 気軽に嘯く迷宮生まれであるという自分の言葉が、今は自らの言葉を虚しくさせるような気がした。

「そんなこと、あるわけないよ」

 それでもランタンは何度も繰り返した。




 集落に戻り、ランタンはリリオンに鎮静剤を与えた。

 今は夢も見ずにぐっすりと眠っている。その方がよかった。ランタンはベッドの傍に椅子を寄せて、その寝顔を見つめていた。

「そんなはず、ないじゃん」

 やるせなく呟いた。

 リリオンは母親からの愛を疑った。

 その事がランタンには哀しかったし、疑わせるような全てが腹立たしかった。

 リリオンはいつだって母親との思い出を幸せそうに語った。その行く末に悲劇が待ち受けていようとも、二人っきりの暮らしは幸福だったはずだ。

 その事実は変わらない。

 しかし死者は語らず、思い出が増えることもない。ただ触れえぬ遠い過去になっていくだけだ。

 ランタンは無力さに苛まれるように身体を折った。

 横たわるリリオンの腹に額を乗せる。呼吸によって単調に上下する腹が小さく鳴った。

 夜が迫っていた。リリオンは起きないだろう。せめて朝食を大目に用意しようとランタンは思った。ランタンもまた食欲があまりなかった。

 携行食をもそもそと齧っているとハーディが帰ってきた。

 そのまま下階で食事を摂り、それから二人の部屋を訪ねてきた。その手にシチューをよそった深皿を持っている。

「飯を食っていないそうじゃないか? まだ余ってるぞ」

「持ってきてくれたんじゃないの?」

「そのつもりだったが、顔を見てやめた。食わん奴にやってもしかたがないからな」

 そう言って手近な椅子を足先に引っ掛けて寄せ、腰を据えるとそれを食べ始めた。

 ランタンは聞かれる前に、こちらから尋ねた。

「どうだった?」

 今日一日中ハーディは巨人たちの仕事、森林の伐採を手伝っていた。

「まず伐採地が人の足には遠い。帰りは彼らに運んでもらった」

「ふうん」

「あと木が堅い。竜種の首どころじゃないな」

 髭を汚したシチューを乱暴に拭い取ると、ハーディは半分笑いながら言う。無尽蔵な体力を誇る彼ですら疲れた様子だった。

「手伝いにはならんかった。せいぜい枝を打つ程度か、飯の調達ぐらいだな」

 ハーディの力と技術を持ってしても、黒壁の森の巨木は手強いようだった。

 木々の樹高は優に百メートルを、樹幹の直径は十メートルを、樹皮の厚さでさえ一メートルを超える。何もかもを大きくすることで寒さに耐えているのだ。

 ハーディが打ったという枝でさえ、普通の大木ほどの大きさがある。

 そのため伐採作業は諦めて、森の獣を狩猟することで手伝いとしたようだ。それが彼の今日の昼食だった。

「明日からは剣で挑むことにした。動かない相手でこれほど手強いものは初めてだ」

 そう言ってシチューを掻き込んだ。

 空の皿にスプーンを放り込み、ちらりと眠るリリオンに視線を向けた。しかしそれだけでランタンたちがなにをしていたかを聞かなかった。

「明日はどうするつもりだ?」

 一緒に来るか、とハーディは尋ねる。

「迷宮に行こうと思ってるんだ」

「そうか。探索者だものな。そろそろ迷宮が恋しいか」

 鳥が空を求むように、魚が水を求むようにハーディはもっともらしく頷く。

「そっちこそ一緒には来ない? 大好きな戦いがあるよ」

「はっはっ、戦いならば何でもいいわけではないさ。それに巨人たちがもう目の前にいるんだ。目移りしたら彼らに悪い」

「ずいぶんな言い方だ。戦える算段でもついたの?」

「いいや」

「ふ、巨人たちも大変な奴に目をつけられたな」

 ランタンが呆れた様子で呟くと、ハーディはしたり顔になった。

「まるで俺が無理強いしているような口ぶりだな」

「違うの?」

「お前も男ならわかるだろ。男に生まれたからには棒っきれを振り回す以上に楽しいことなどそうない」

 思い当たる節のあるランタンはそれ以上の反論をしなかった。けれど拗ねたように唇を曲げるものだから、ハーディは大笑いした。

 それでもリリオンは目覚めなかった。

「さて、女が眠っているところにいつまでも邪魔をしてはいかんな」

 ハーディはそう言って部屋を出て行った。

 ランタンがリリオンの寝顔を見ていると、程なく兵士が扉をノックした。

「帰ってきたようだぞ」

「ありがとう」

 鉱山からシーギスが帰ってきたら知らせてもらえるように頼んでいたのだ。

 ランタンはリリオンの寝顔を撫でて兵舎を出た。

 シーギスやその仲間たちは夜の海で身体の汚れを流していた。この地で真水は貴重だった。

 それは二足歩行の鯨が水遊びをしているような光景だった。

 彼らが海中で身体を擦る度に大きな波が海岸に打ち寄せた。砂浜にはそんな波に掠われた魚が打ち上げられている。白いはずの波泡が濁っているのは鉱山労働の汚れと魔物の血のためだろう。

 ランタンは彼らに近付いた。

「シーギス!」

 大きい声で呼びかけたが、彼らの耳には届かなかった。ランタンは大きく息を吸い込んで、怒鳴るような声を上げた。

「シーギス!!」

 それでようやくシーギスが振り返った。濡れた髪を掻き上げて、髭を絞る。吐いた息が白く、濡れたからだからはゆらゆらと湯気が立ち上っていた。

 彼は一瞬ランタンの姿を見つけられず、さらにもう一度呼ぶことでようやく視線が下がった。

 シーギスは砂浜に立つランタンに戸惑いの表情を向けた。

 闇の中で姿を見失ったわけではない。人の中にあって小さなランタンは、巨人族から見れば一様に小さい人間の一人でしかない。彼らからすれば男女の区別はついても、大人と子供の区別はそれほどつかないのだろう。

「……ああ、リリオンの連れだな」

「そう。ランタン、と言う」

「そんな名だったか。それでランタン――」

 シーギスの視線はリリオンを探した。だが夜の闇に少女の姿はない。

「――何か用か?」

「うん。頼み事があってきたんだ。シーギスは戦士だったんだろう? 今でもそうか?」

「ああ、そうさ」

 シーギスは誇らしげに頷いた。それは巨人族の中でも選りすぐりのものだけが許される職業だった。

「周りのみんなも?」

 水浴びをしている巨人族はシーギスを含めて七名いた。誰もが長髪で髭を生やしており、その中でシーギスは最も背が低かった。彼らは胸を張って頷いた。

 浜辺に脱ぎ出された衣服が大型船の帆のようで、濡れた肉体は力の塊も同然だった。

「明日も、迷宮に行く?」

「そりゃあ行くとも。それが仕事だ。毎日、毎日欠かさずな。魔物なんて屁でもないが、野放しにしたら森が荒れる」

 そうか、とランタンは頷いた。

 それから先程のようにもう一度大きく息を吸った。

「頼みがある。明日、僕とリリオンを仕事に同行させてもらえないだろうか?」

 ランタンの言葉にシーギスは困惑した。

 周りの巨人たちは思わず笑い出した。

 彼らは自分たちの危険な仕事に誇りを持っていた。そしてこんな小さな人間がそこに連れて行けと言うのは、無謀を通り越して笑えてしまう。

 シーギスは言葉を選んだ。

「お前が知っているかどうかわからんが、魔物というのは人間にとっては危険な存在なんだ」

 諭すような言葉だった。邪魔だ、とははっきり言わなかった。

「知っている。僕の仕事もそれだ。いつも迷宮で魔物と戦っている」

 ランタンは腰の戦鎚を叩いた。

 巨人たちは呆気にとられたようだった。

「そんなに小さくて、そりゃあ立派なことだな」

 笑い話かどうかの区別もつかず、顔を見合わせた。確かめるようにランタンへ視線を向けると、唇を結んで黙り込んだ。

 赤く燃えるランタンの眼差しがどうしようもなく真剣だったからだろう。

 だが、それでもなおシーギスは難色を示した。

「迷宮へ行ってどうする?」

「探索する。リリオンのお母さんのことを、もっと知りたいんだ」

 ランタンは頭を下げた。

「頼む。どうか」

 首を差し出すような少年の姿にシーギスは呻き、それから遂に押しきられて同行を承諾した。




「ちゃんと食べるんだよ」

「うん」

「おいしい?」

「おいしい」

 ランタンはリリオンと一緒に食事を摂る。

 リリオンはいつも通りしっかりと食事を摂った。食欲があるようで何よりだった。

 ランタンはつい思わず、自分の分の料理をリリオンに分けたりもする。

 そのお返しがリリオンの皿からやってきて、ランタンはそれを食べて笑いあった。

 食事を摂りながら昨晩シーギスから聞き出した迷宮の情報を伝えていた。

 しかし巨人たちはあまり迷宮そのものに関心はないようだった。ランタンがしつこく聞くのを不思議がった。用心深いと感心もしたが、それを臆病さだと取る巨人もいた。

 リディアを失ってから迷宮攻略はほとんど行われていない。

 魔物の討伐が主な仕事だった。

 だから得られた情報のほとんどは出現する魔物のことだ。この地に出現する魔物の多くは獣系の魔物だった。

 食事を終え、二人は探索用の装備に身を包んだ。その上から防寒着を羽織り、食料や野営具を詰め込んだ背嚢を背負った。

 兵舎を出て、リリオンは自分の頬を強く叩いた。白い頬にさっと赤みが増す。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

 そしてまじないのように繰り返すリリオンに、昨日の犬たちがまとわりついてきた。

 餌をもらえると思っているのか尻尾を振って、長い足に身体を擦りつけ、背嚢の匂いを嗅ぐように立ち上がった。

 リリオンは頬を緩め、一頭一頭たっぷり撫でてやった。

 ランタンもそんな犬たちを感謝を込めて撫でてやろうとしたが、犬たちは危険を察知したみたいに逃げていった。

「なんだよ、もう」

 ランタンはわざとらしく悪態をつき、行き場を失った手でリリオンの手を取った。

 シーギスたちは既に用意を済ませて、二人が来るのを待っていた。

「おはよう」

 ランタンが駆け寄ると、シーギスが手を上げて応えた。

 彼らの仲間が近付いてきて、リリオンを見下ろした。

「ああ、これがリディアの娘か。小さいがよく似ている」

 そんなようなことを口々にした。よろしくお願いします、とリリオンが頭を下げた。すると、礼儀正しいな、そうだな、とひそひそと話す。

「よし、じゃあ行こうか。乗れ」

 シーギスは食料や水が積まれた雪車を指差した。

 遠慮しようとしたランタンたちに先んじて、二人を軽々摘まみ上げると雪車の上に放り落とした。

「お前たちの短い足じゃあ、夜になっても辿り着かない」

 そう言われてしまっては遠慮もただのわがままになってしまう。

「短い足だって」

 きっと初めてそんなことを言われたのだろうリリオンにランタンは囁いた。

 シーギスたちの歩みは確かにランタンたちとは比べものにならなかった。

 もっとも小柄なシーギスでさえ六メートル以上の身長がある。単純に考えて、リリオンの三倍の歩幅があった。ただ歩いているだけなのに、景色はぐんぐんと背後にすっ飛んでいく。

 彼らの仕事場である鉱山は集落の北西に位置した。森の中を三時間も進み続けると、木々が消失してぽっかりと穴が空く。

 それは長い年月をかけて山を掘り返し、すり鉢状に露天掘りした奈落のような穴だった。掘り返した土や岩が、(うずたか)い山になっていくつも凍り付いていた。

 穴の直径は数キロにもなるだろうか。坑夫の巨人たちでさえ、斜面にへばりつく虫のように思える大きさだった。

 岩肌には地層が何層にも剥き出しになって、そこにいくつも穴が空いている。それらのほとんどは坑道の入り口であるが、迷宮口も存在した。

 それは迷宮特区にある垂直の迷宮口ではなく、坑道入り口と同じように口を開いている。

「千年がかりさ」

 シーギスが言った。

 それがあながち冗談とも思えぬ光景だった。リリオンもその光景に圧倒されていた。

「俺たちの仕事は、ここで待つことだ。あそこや、あそこが迷宮だ。魔物が出てきたら、ようやく出番さ」

 少し離れた場所には鉱石の一時保管庫と坑夫たちの宿舎が、近くには穴全体を見下ろせる粗末な監視所が備えられていた。武器庫もあり、この場所でだけ彼らは武装を許された。

 だがランタンが見るに、ここ以外にも武器を隠してあるようだった。巨人の視線には隠れているのかもしれないが、人の視線には隠し通せていない。もっともランタンほど目敏くなければ見つけられもしないだろうが。

 掘り返した鉱石も全てを人間たちに渡しているわけではないようだ。もしかしたら本当に反抗を企てるものがいるのかもしれない。

 それもしかたのないことだ、と今のランタンは思う。

 彼らにはその権利がある。復讐の権利が。

 シーギスは鉈のような剣を手にしている。防具はなにもない。その肉体こそが防具だった。

「ママは、ここで働いていたの?」

 リリオンが尋ねた。シーギスが頷く。

「ああ、そうだ。リディアが生きていた頃は、迷宮にも入ったけどな。今じゃあ、俺でもちょっと頭を擦るかな。彼女は人の血が混じっていたんだろう。当時は知らなかった。病気をしていたから、成長が遅いだけだと思っていた」

 シーギスはそう言って、リリオンにリディアとの思い出を語った。

 彼女が迷宮でいかに勇猛に戦ったかを。

 ここで魔物の出現を待つ間、ちまちまと木を削って小さな食器を作っていたことを。

 食事の際に料理の取り合いをしたことを。

 よけていた料理を横取りされて怒り狂ったことを。

 それはリリオンのために残しておいたのだと、今になってわかった。

 リリオンはシーギスの言葉を噛み締めるように聞いていた。

 シーギスはリディアのことを思い出すように穴をぼんやりと見下ろし、深々と息を吐いた。

「……リディアが最後に挑んだ迷宮は、まだ残っている」

「え――!」

 その言葉にリリオンが立ち上がって、シーギスに掴みかかった。

「ほんとうに! ママの迷宮が、まだあるの!?」

 リリオンが集落を出て、もう五年以上の歳月が流れていた。

 数は極限られるがそれだけ長く保っている迷宮もないわけではない。だがそう言った迷宮はどれもが大迷宮、それも攻略に一年以上をかけなければならぬような極大迷宮とも呼ぶようなものだった。

 しかしここにある迷宮がそうだとは限らない。

 この地では迷宮さえもきっと凍り付いて、崩壊さえも許されぬとしても驚きはない。

「ランタン!」

 リリオンが振り返った。

 切羽詰まったような感情が顔いっぱいに広がっている。

 リリオンが求めるものは、ランタンが求めるものだった。

「ああ、行こう」

 ランタンが立ち上がると、シーギスも立ち上がって手を広げる。

「やはり言うべきではなかった。その迷宮は封印したんだ。リディアでさえ命を落とした。危険すぎる」

 シーギスは厳しい表情で二人の前に立ちはだかった。

 そして諭すように繰り返す。

「本当に、危険なんだ。リリオン、お前はリディアが命がけで残した娘だ。それを目の前で死に追いやっては、リディアになんと言っていいかわからない」

「――リリオンは死なないよ。僕がいる」

 ランタンは強い口調でシーギスに告げた。巨人が今度は憤る様にランタンを見下ろした。

「いいか。お前らの住んでいるところと、ここは違うんだ。その小さな身体で何ができる!」

「魔物を倒すこと。リリオンを守ることができる」

 ランタンは穴を振り返った。

 おい、とシーギスが手を伸ばす。

「証明する」

 ランタンは振り返りもせずそう言って、シーギスの手を躱した。

 彼らよりもランタンは迷宮を熟知していた。ランタンが露天掘りの穴に身を躍らせると、それに呼応するかのように一頭の魔物が迷宮口から姿を現した。

 狭い迷宮口を内側から押し破るようにして。

「魔物だ!」

 それに気がついた戦士たちが警鐘を鳴らし、それぞれの武器を手に持ち、迎え撃つべく魔物を睨みつけた。

 熊のような獅子のような四つ足の巨獣だった。

 彼らにしてみれば大きさはそれほどでもないが素早く、強靭な顎の力で噛み付かれると死ぬまで離さない厄介な相手だった。

 しかしその性質を利用して、一人に噛み付かせその隙に攻撃を入れることができる。討伐することはできるが、無傷では済まない。

 出血を覚悟した一人が、腕にぐるぐると毛皮を巻いた。これで噛み千切られることはないが、それでも下手をすれば骨に達する。

 そんな恐るべき魔物の頭部が突如、爆炎に包まれて消失した。

 頭部を失った魔物は青い血を流しながら、四肢を痙攣させ、断末魔もなく穴の底へ滑り落ちていく。

 それは有無を言わせぬ証明だった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白かったです。 ランタンかっこよ!!!
[一言] この武威こそランタンよ。待っておりました! 巨人ですら肉を切らせて~になる魔物さんか……
[良い点] リリオンかわいい ローサかわいい 鈍器は至高 [気になる点] ランタンもげろ [一言] やっと最新話に追いつきました。 続きを楽しみにまっています。
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