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カボチャ頭のランタン  作者: mm
02.Some Day My Prince Will Come
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 一寸の虫にも五分の魂などと言うが、五メートルの血色芋虫(ブラッドキャタピラー)から採れる迷宮核が二・五メートルもあるわけではなかった。残念なことに。

 芋虫の心臓はまるで背骨のように芋虫の背中に沿っており、いくつかの節に分かれていた。その節の一つが迷宮核として結晶化していた。リリオンが腹開きに両断してくれたので取り出すのは容易だった。そこに手を突っ込む精神的な苦痛を無視すれば。

 嵐熊(ストームベア)と比べれば一回り以上小さめの結晶だが金銭的な不満は無い。諸事情のあるこの迷宮の賃貸料は安かったために大幅なとは行かないが充分に黒字となりそうだった。

 採取した迷宮核はリリオンに持たせてある。芋虫から取り出した物が気持ち悪いから押しつけたわけではなく、嵐熊の時に続いてただ何となくだ。

 迷宮から引き上げられればもう夕方である。

 ランタンはベルトをミシャに外してもらいながら大きくあくびを漏らした。目をしょぼしょぼとさせて、それから遅れて大口を開いた口を手で隠した。

「今日は怪我、されなかったですね。ずいぶんとお疲れのようですけど」

「そりゃあ、まあね。ん、ありがと」

 喜びから心配へと声音を変えながらミシャが言った。

 今回の探索は言うなれば往復十時間の弾丸探索ツアーだ。最終目標戦の前後に休息を挟んでいるとは言え、さすがに強行軍が過ぎた。

 ランタンは涙の滲む(まなじり)を指で擦りながら、リリオンのベルトを外すミシャの横顔に声を掛けた。

「ミシャも無理聞いてもらって悪かったね」

「ほんとっす、よっと」

 ベルトを外すとミシャは皺が寄ったリリオンの服を伸ばした。

「久しぶりに長く休まれているかと思えば、日帰りで迷宮攻略ってなんなんっすか」

 リリオンは解放されるとぱたぱたと小走りでランタンに並んだ。どうやら一緒にミシャの説教を受けてくれるらしい。ランタンと外套(マント)の端を掴んで神妙な顔をしている。

「それも急に来て、まったくもう」

 ミシャは腰に手を当ててランタンを一睨みして溜め息を吐くと、一纏めにしたベルトを起重機(クレーン)にガシャンと積み込んだ。ランタンが迷宮に降りるためにミシャには随分と無理をさせてしまった。テスの仕事の都合に探索日を合わせるために、引き上げ依頼は急になってしまった。この引き上げは他の探索者の予約の間にねじ込んでもらったのだから、開き直る事も出来ずにランタンは大人しくしていた。

 ミシャには本当に無理をさせてしまったのだ。ランタンは引き上げ屋の仕事内容を熟知しているわけではないが、探索者が引き上げ屋に依頼を入れればすぐに迷宮へ下ろして貰えるわけではないことぐらい知っている。探索者を迷宮に下ろすためにはギルドへの諸々の手続きがある。

 予約しに行ったとき店主のアーニェにも、しかたないわね、と苦笑された。あまり無理をしたらダメよ、とも。

 それに今日の降下は早朝だった。ランタンは起きて食事の一つもすればそれで済む話しだが、ミシャはランタンたちを安全に迷宮に下ろすために安全確認等の前作業を山ほどこなさなければならない。目を覚ましたのは日が出るよりもずっと前だ。

「ごめんね」

 それを思うと自然と頭が下がった。

 しゅんとした様子のランタンにミシャが驚き慌てた。

 さらさらと耳に掛かる髪が流れて、夕日に顔の陰影を深めるランタンが妙に儚げで婀娜(あだ)めいた雰囲気があった。髪を揺らした風に匂い立つような。

 少女二人がその顔を暫し見つめ、粘っぽい唾を音を立てて飲み込んだ。大きく響いたその音にランタンが視線を上げると、少女は気まずそうに視線を逸らして、ミシャが咳払いをして空気をかき混ぜた。

「――大丈夫っすよ、全然! 毎度ありがとうございます!」

「ありがとう、そう言ってもらえると助かるよ」

 ランタンは微笑んで、思い出したようにポーチから代金を取り出してミシャに手渡した。そっと両手で包み込むようにして。ミシャの手は小さく、肌が陶器のようにつるつるしていた。

 ミシャは受け取った代金を集金箱にしまうと、機械油で汚れた手を恥じるように後ろ手に、そっと指先を服で拭った。それを見てリリオンも爪の隙間に入り込んだ青い血を気にするように指先を見つめる。青い血は酸化すると濃い藍色や濃い紫色になる。

 指などは洗えば綺麗になるが服に跳ねた血は中々難しい。黒革の戦闘靴(ブーツ)は目立たないがズボンの裾は青い水玉模様が跳ねていた。ランタンが爪先で地面を蹴ると乾いた血が瘡蓋(かさぶた)のように剥がれ落ちた。

「ああ、もう時間っすね」

 ミシャが時計を見て呟いた。次の引き上げの予約時間が近づいているようだ。

「何か手伝うことはある?」

「大丈夫っすよ」

 ミシャはそう言うと起重機に乗り込んだ。

 起重機は空気を振動させる低い音を吐き出して、その長い首を三つに折り畳み、腹下から生えて地面に突き刺さる支柱をその体内に引っ込めた。ミシャが機上から身体を乗り出した。

「高いところから申し訳ないっす。ではまたよろしくお願いします!」

「うん、今度はちゃんと余裕を持って予約入れるから」

「ありがとうございますミシャさん!」

 起重機はその重みを地面に刻みつけながらゆっくりと遠ざかってゆく。リリオンが大きく手を振ってその後ろ姿を見送った。辺りには起重機が吐き出した喉に張り付くような粘りけのある暖かな空気が漂っている。ランタンは外套(マント)で扇ぐように振り返った。

「じゃあ行こうか、――出来るだけ疲れているふりをして」

「つかれた、つかれた」

「……普通にしてた方がいいかも」

 いかにも言わされている風にリリオンが呟いたのでランタンは肩を竦めて歩き出した。大根役者にも程がある。リリオンが、待ってよう、と小走りで駆け寄ってランタンの肩に手を伸ばした。身体が重たいと言うように外套を掴んで引っ張った。

「歩きづらいんだけど」

「つかれてるんだもの、しかたないわ」

 探索者としてはあまり褒められたものではないが、今回の探索は攻略が本題ではない。

 探索はあくまでも弓男の襲撃を誘い出すための囮行動だ。何時もならば背筋を伸ばして歩く迷宮特区の帰り道も、少しだけ俯くようにしてのろのろと足を進める。それには何だか妙な気恥ずかしさがあった。

 ランタンは外套を引っ張ってリリオンの手を外すと、その手を握ってやりギルドまで歩いた。

 のろのろ歩くのは演技だが、疲労は本物だった。迷宮攻略、それも最終目標(フラグ)を打倒したというのにほぼ無傷であるというのは初めてのことで、戦闘自体もそれほど困難なものではなく肉体的な疲れはあまり感じてはいない。あるのはやはり精神的な疲労だ。

 ランタンはギルドで迷宮攻略の報告をしながらも、そこにある豪奢な椅子に気怠に背を預けて、三人のギルド職員とのやり取りもどことなく無意識的に行っていた。

 そんな様子のおかしいランタンの顔をリリオンが覗き込んだ。ランタンは目の前ににょきりと出てきた顔に微笑みをくれてやると、その頭を職員の目の前でくしゃくしゃに撫でた。職員はその様を見て、仲がよろしいことで、と頬を引きつらせながら言い放ったがランタンはただ少し瞳を動かしてその職員を冷たく一瞥しただけだった。

 迷宮核を換金して、金をギルド銀行に預ける。そして医務局に寄り栄養剤を呷ると、そそくさと予約を入れていた高級宿(ホテル)に向かった。

 ギルドでは司書にもテスにも会いに行かなかった。いつどこで監視をしているかもしれない弓男に余計な警戒心を植え付けるかもしれないという懸念からだ。

 そのため襲撃を呼び寄せるための計画も腰を落ち着けてじっくりと相談し合うことは出来ず、弓男へばらまく餌の量は、全て司書とテスが考え実行してくれた。そして当日は、ランタンたちはほとんど自由裁量の元に動く事になっている。

 事前に細かく計画を立てたとしてもその通りに物事が進むとは限らないし、その通りに物事を進めるだけの能力が自分にあるともランタンは思っていなかった。ランタンも荒事に慣れていないわけではないが、あくまでも本職は()()の相手である。襲撃に対して幾つかの想定はしているものの、出たとこ勝負で好きに動くと言うのが、それを作戦と呼んでいいのかは疑問だが基本的な作戦方針である。

「……ランタン、調子悪いの?」

「んー、そんなことはないと思うけど」

 高級宿の一室に入り、もう演技をする必要もないにも関わらず精彩を欠いたままのランタンにリリオンが心配そうに声を掛けた。ランタンはベッドに腰掛けて、どこを見るでもなくゆらゆらと足を揺らしている。

 リリオンは今にも落としそうになっているランタンの手の中にあるコップをそっと抜き取りテーブルに戻した。そしてランタンの隣に腰掛け、太ももに手を置いた。それでようやくランタンは視線を動かして、リリオンの手を見つめた。掌が太ももにあり、爪の間に入った青い汚れを落とした指先が膝に掛かっている。揺れに合わせて爪が膝を引っ掻いた。

「くすぐったいよ」

「でも、ランタン笑ってないわ」

「……これでどう?」

「だめ」

 ランタンは指で口角を釣り上げて見せたがリリオンはそれをばっさりと切り捨てた。

「あっそ」

 自らの頬を弾くように指を外し、ランタンは肩を竦めた。リリオンはじっとランタンを見つめる。ランタンは淡褐色(ヘーゼル)の瞳に自分の表情を映し、それが酷く仏頂面をしていることに気がついた。そしてようやく笑った。自嘲するような皮肉気な笑みだ。

 その昏い笑みに太ももを撫でていたリリオンが、そこにある肉を掴んだ。

「痛いよ」

 ランタンが言ってその手をゆっくりと剥がすと、リリオンは指を絡めるようにランタンの手を握る。

「わたし、何かした?」

「え」

「わたし何か失敗した? 迷宮で、わたし……」

 リリオンはそう呟くと握ったランタンの手を胸の前まで引き寄せて、もう片方の手を縋るように添えた。リリオンの不安を感じ取ると、その指先はすぐに冷たくなる。ランタンは慌ててその手を掴んだ。

「違うよ」

 はっきりとした口調でリリオンに告げた。

「違う。探索は完璧だったよ。ほら、怪我一つない。僕もリリオンも」

「……うん」

 ランタンはそう言って心配げな表情のリリオンにしっかりと微笑みかけた。その笑みにリリオンは少しだけだが安堵したように頷く。しかし依然として不安そうな眼差しは残っており、それがランタンを窺っていた。

 ランタンは舌先で唇を濡らした。

「僕、疲れているみたいに見えた?」

「うん」

「本当に?」

 ランタンがリリオンに訊くと、リリオンは少し迷うような素振りを見せておずおずと口を開いた。

「本当はね、不機嫌そうに見えた」

 それを聞いて、ああやっぱり、とランタンは思った。リリオンの手を放し、爪を立てて頭を掻いた。

 大根役者はリリオンではなく自分だった。疲れた演技をしていると思い込み、ただ自らの中にある不満をありありと表情に浮かべていたようだ。それもリリオンに心配させるほどにはっきりと。ランタンは自分に向けて呆れた溜め息を吐いた。

「リリオンはさ、今日の探索どうだった? まぁ探索って言うか戦闘なんだけど」

 そう尋ねるとリリオンが途端に不安そうな表情を浮かべる。それはありもしない自分の失態を絞りだそうとしているようで、ランタンは再び慌てた。

「言い方が悪かったよ、ごめん。ええっと前の熊と戦ったときと比べてどうだった? っていう話。強かったとか弱かったとか、怖かったとか普通だったとか」

「前と……」

 リリオンは片手を頬に当てて、上目遣いになった。天井に光る魔道光源(ランプ)の明かりの中に過去を見るように。ランタンは首筋に薄く浮き出る緑の血管をなんとなしに見つめる。血管の這う首が唾を飲み込んで一度上下に動いた。

「弱かった、のかしら?」

 リリオンは自信なさげに、ランタンの顔色を窺いながら呟いた。ランタンが微笑んで同意すると、自らの呟いたそれがただ唯一の正解であったように安堵した。

「熊より強かった、でも良いんだよ」

 血色芋虫の純粋な戦闘能力は嵐熊よりも格下であることは間違いないなかったが、どうしたって相性という物がある。

 優れた物理攻撃耐性を持つ芋虫を翻弄することが出来たのはランタンが爆発能力を持っていたからに他ならず、もしリリオンも居らず爆発能力も無かったらランタンは鶴嘴と狩猟刀(ナイフ)を駆使して地道に戦うことしか出来なかっただろう。そうなるともしかしたら嵐熊よりも苦戦したかもしれない。あるいは天井に張り付いた芋虫を落とすことが出来なかったら、それが繭になり羽を有し空を飛んだら、と思うとげんなりする。

「ううん、やっはり熊の方が強かったわ。……でも芋虫の方が、気持ち悪かったかな」

「リリオンも虫嫌い?」

「も?」

 リリオンは口を丸く開いてランタンの鼻先まで顔を近づけた。開いた口と同じほど目をまん丸にして驚いている。

「ランタンは虫嫌いなの?」 

「……まぁね。リリオンは?」

「わたしは別に大丈夫よ。今回のは少し大きかったし、色がちょっと……」

 大丈夫と聞いてランタンは、すごい、と思わず漏らした。虫に出くわしたからと言って悲鳴を上げたり泣き出したりはしないが、ランタンはどうしてもそれを、大丈夫、とは言えない。強がってみせても言う気にすらなれない。

「ランタンって虫嫌いなの!?」

「嫌いって言うか、苦手って言うか、嫌いって言うか、何と言うかアレだよ」

「どれなの?」

「……まぁ、少しだけ、あー、怖いよね。ああ、ほら見てよ肌ぶつぶつになっちゃった」

 ランタンは血色芋虫の醜悪異様な姿を思い返して顔をしかめた。腕捲りをすると、肌が(あわ)立っていた。リリオンははっきりと怖いと断言したランタンに驚きながらも、その粟立った腕を覗き込んだ。目に見えぬほど薄い産毛が一斉に逆立っている。

 リリオンがマッサージをするようにその腕を(さす)り、そのまま指を捲った袖の中まで撫で上げ二の腕を揉みしだいた。肌の粟立ちを消してくれようとしているのか、それともその柔らかさを堪能しているだけか。リリオンは目尻を下げて、息を漏らすように笑った。

「ぷよぷよしてる」

「……じゃあリリオンはどうか、な!」

 ランタンはえいやとリリオンの脇腹を指先でがっしりと掴んだ。リリオンは悲鳴を上げて飛び退こうとしたが、掴まえるランタンの指先から逃れることが出来ずにベッドの上に倒れ込んだ。

「やっ、あはは、あん、やあだぁ」

 良い反応だな、とランタンは仰向けに倒れたリリオンに馬乗りになって、肉の付いていない薄い脇腹を揉みしだいた。それは先ほど、怖い、と吐き出してしまった言葉を恥じて誤魔化すように。

 リリオンが身体を捩ると肋骨の軋みが聞こえ、笑うと筋肉が痙攣するように収縮した。

「リリオンは、もうちょっと肉を付けなきゃね」

 これ以上やると呼吸困難になりそうだな、とランタンは擽る指先を脇腹から引き剥がした。裾が捲れ上がって露わになった白い腹が、悶えるように震えている。ランタンはそっと裾を戻してその腹を隠した。

「はぁっ、ふぅ、ふぅ、もうっ、ランタンいじわる。やめてって言ったのに」

 リリオンは荒くなった息を整えると、薄紅の頬を膨らませてランタンを睨み付けた。そして、でもいいわ、と頬の空気を抜きながら呟いて寝転んだまま両腕を広げた。まるで今し方の意地悪を全て許すとでも言うように、慈しむような表情を浮かべて。

 ランタンは戸惑いリリオンを見つめた。

「ランタン、天井に芋虫がいるわ」

 リリオンはランタンを見つめ返し、全く視線を逸らさずにそう呟いた。リリオンの瞳には天井の芋虫など映っておらず、仏頂面から少しはマシになった表情のランタンだけが映っていた。

「それは怖いね」

「わたし、守ってあげる」

 抗いがたい誘惑だった。だがどうにかランタンは、その慎ましやかな胸に身体を預けるのを堪えた。ランタンはリリオンの手を掴んで隣に並ぶように身体を横たえた。

「ありがとう」

「……どういたしまして」

 リリオンは拗ねたようにそう呟いた。ランタンがリリオンの方へ身体を向けると、リリオンも同じように身体を転がした。向かい合うとリリオンが頬を膨らませているのが判った。ランタンを迎え入れようとしていた胸が、いかにも寒いというようにわざとらしく襟首を整えて見せた。

 そして空いている手を伸ばしランタンを抱き寄せる。まるで甘え下手の子供でもあやすように強引に。ランタンはそれが免罪符であるかのように、抵抗せずにリリオンに引き寄せられた。リリオンがランタンの背中を撫でた。

「ランタンもお肉付けないとね」

 リリオンはそう言ってランタンの背中を撫でていた手を下に伸ばして尻をさわった。甘やかされていると言うことがランタンの抵抗力を奪い、ランタンは肉付きを確かめられる家畜のようにされるがままにしていた。

 ランタンが大人しくしているとリリオンは不意にランタンを抱きしめる力を強め、耳元で囁いた。

「ランタンは本当に虫が嫌いなのね」

「……嫌いって言うか、苦手って言うか」

 ランタンは強がらない代わりに、リリオンの腕の中でぐちぐちと言葉を濁した。リリオンが面白がるように笑う。

「意外だわ」

「何がよ?」

「ランタンにも怖いものがあるのね」

「そらそうだよ」

 ランタンは尻を触り続けているリリオンの手を、いい加減鬱陶しいと持ち上げて、ぽいっと背中の方に投げ飛ばした。ランタンがされるがままにしていたように、リリオンもそれに抵抗する事はなく、ただぽんぽんと背中を撫でた。

「嫌いな物も、苦手な物も、怖い物も何でもあるよ」

 たくさんね、とリリオンへ告げると、リリオンは信じられないとでも言うようにランタンを見つめた。ずいぶんと買いかぶって貰っている。今まで見栄を張ってきた甲斐があったな、とランタンはほくそ笑んだ。

「虫だけじゃないの?」

「情けないでしょ」

 ランタンが言うとリリオンは首を横に振った。そしてそっとランタンを窺う。言葉は無くとも、虫以外に何が嫌いなの、とその瞳が雄弁に問いかけていた。

 ランタンはさてどうしたものか、と一つ思案した。古びた塗装のように剥がれ落ちつつある見栄を、今更塗り直すのも何だか馬鹿らしく、恥の上塗りであるように思った。だが同時にこのままリリオンに甘えて、我が儘な子供のようにあれも嫌いこれも嫌いと喚くことはランタンの混沌とした矜恃(きょうじ)が許さなかった。嘘を吐いて煙に巻くと言うのは、守ってくれると言ったリリオンへの侮辱だろう。

「そうだね、例えば――男の人もあんまり好きじゃないかな」

 ランタンの言葉に翻弄されるように、リリオンは一度ランタンから視線を逸らしてきょろきょろと辺りを見渡して再びランタンを見つめた。もしかしたらリリオンはまだ自分が男性に対して恐怖を抱いていると言うことを隠し通せていると思っているのかもしれない。

 ランタンはテスのように、くふ、と笑った。

「だってさ――」

 背が高くて、と言うとリリオンを傷つけてしまうかもしれないので言葉は言葉は選んだが、筋骨隆々で強面の探索者はランタンでも恐ろしく、それどころか探索者に限らず、体格の良さに関わらず男性に対して少しばかり抵抗感はあった。

 リリオンがランタンの身体を撫で回すのは子供じみた接触欲求なのかもしれないが、例えばテスが自然とランタンの頭を撫でたように、勧誘者に取り囲まれたときに色々触られたように、ランタンは妙に他人(ひと)に身体を触られる傾向があった。

 いつでも身綺麗にしているためか、身体の大きさがちょうどいいのか、それとも隙が多いのか、侮られているのか。考えたくもないが、或いは何かそういった変態を集める誘引物質(フェロモン)も発しているのか。

 すれ違いざまに、そして人混みに紛れて、場所を問わず尻と言わず身体を(まさぐ)られた経験は枚挙に暇が無い。骨に肉を巻き付け、肉を皮膚で覆い、先端に爪の生えた指は、その構成物質に男女の区別などない。だが女の指なら許されるわけではないが、どうしたって男の指に触れられた方が不快指数は高い。

 と言うようなことを一部誇張したりぼやかしたりしながらランタンはリリオンに語った。それは恐怖と言うよりは苦手意識だったが、似たようなものなので嘘ではない。

「ひどい! ランタンにそんなことするなんて」

「リリオン、背中撫でるのやめて。くすぐったいから」

 リリオンはランタンの話を聞きながら憤るように服を掴み、次第に捲れ上がった裾から手を忍び込ませて生の背中に手を這わせていた。リリオンは本当に気がついていなかったのか驚いた様子で背中を撫でるのをやめた。相変わらず服の中に手を入れたままであったが、ランタンもリリオンに寄りかかったままなので、あまり強くは言えずにそのままにさせた。

「ランタンは、そんな時……どうしたの?」

 リリオンは真面目な顔になって聞いた。まるで自分の恐怖と向かうように。

 か弱かった頃のランタンはただ恐怖に震えて耐えるしかなかった。抗うようになったのは一体いつだっただろうか。今ではその不届き者の指や腕を逆方向へ折り曲げたりしているが、最初からそれを出来たわけではない。

 リリオンはたとえそれが錯乱であっても、本能は逃げることを選ばず、立ち向かうことを選んだ。ランタンはその魂を眩しく思う。

「怖いのはさ、まぁ怖いで良いんだよ。大丈夫、出来るって言い聞かせてもそれは何の足しにもならないし」

 ランタンはふと身体を起こして、柔らかな表情でリリオンを見下ろした。

「必要な物は自信かな。恐怖を打ち倒した経験。出来ない事が出来るようになった経験。そういった物を積み重ねれば、怖くたって立ち向かう事ができるし、出来ない事も少しずつ上手くなれる、はず」

 静かに語るランタンに、リリオンは不安そうな瞳を向けている。

「そこに至るまではさダメでいいんだよ。怖いのが嫌なら逃げれば良い、それも嫌なら立ち向かえば良い。どうしようもなくなったら助けてあげる。――リリオンが僕のことを守ってくれるみたいにね」

 ランタンがリリオンの頭を撫でる。リリオンは目を細めた。

「もう芋虫はいなくなった?」

 悪戯っぽく尋ねるとリリオンは小さく頷いた。ランタンはくしゃりと撫で回した髪を一度手櫛で梳いた。

「ほら、おいで」

 ランタンがベッドの上に座った足の、その太股を叩くとリリオンは腰に抱きつくようにして頭を乗せた。リリオンはベッドの上でぱたぱたとバタ足をして、ランタンが頭を撫でるのに合わせて船を漕ぐように揺れた。

 僕の立ち位置はこっち側、とランタンは大人びた表情でリリオンの後頭部を見つめていた。

 このまま寝てしまうかな、と思っていたらリリオンは、あ、と声を上げた。ランタンは大人びた表情を仮面のように固めて、そのまま顔に貼り付けた。

「あれ、ランタンは……」

 リリオンは一度そこで言葉を切って、顔をランタンの腹に押しつけて、何かを思い出そうとするように呻き声を漏らした。ランタンは頭を撫で続ける。まるで浮上しつつある記憶を、渦の中に沈めてしまおうとするように。

「――ランタンは、虫が嫌いだから、機嫌が悪かったの?」

「……そう言えば、そんな話だったね」

 ランタンは白々しく呟いて、ことさら優しくリリオンを寝かしつけるように頭や背中を撫でた。だがリリオンは眠らずに、ねぇねぇ、とランタンの腹を探るように鼻頭を(へそ)に押しつけて抱きついた。

 ランタンは諦めたように溜め息を一つ吐き出した。仮面にひびが入った。

「戦い方が不満だったんだよ、リリオンじゃなくて僕自身の」

 リリオンはきょとんと瞬きした。

 無傷で最終目標に勝つという作戦目標は完遂した。それについてはケチを付けるべき所はない。

 だがランタンは不満だった。リリオンに映る仏頂面の己を見るまで気がつくことが出来なかったが、ランタンは酷く欲求不満だった。

「これはきっと(へき)だね」

「へき?」

 自分自身で今まで気づくことの出来なかった。それどころか、自分がそうであるなどとは思っていなかった。意思と本能が、まるで別の方向を向いているような奇妙な燻りが腹の中にあった。

「物足りなかったんだ」

 眼差しを伏せて呟いたランタンにリリオンが困惑したように固まり、強くランタンの腰にしがみついた。まるでランタンがふらりとどこかに行ってしまうのを恐れるように。

 伏せた眼差しの中に妖しげな光があり、リリオンは目を逸らせなくなった。

「まったく嫌になるね。自分がそんな人間だとは思ってもみなかったよ」

「……あの、ランタン?」

 肩を落としたランタンに、けれどどう声を掛けて良いか判らないリリオンが探るように名前を呼んだ。ランタンは頷いて、自らの腹に顔を隠すリリオンの目を覗き込んだ。

「――ランタン」

 リリオンはその瞳の奥にある、燻る火種に気がついた。幽玄に揺らめく、心臓の鼓動を思わせるように明滅する昏い光。リリオンは思わず目を細めてランタンの顔を仰ぎ見た。

「僕はね、きっと」

 ランタンはそして穏やかに呟いた。

「暴れ足りなかったんだ」

 恥じらうような微笑みの、その瞳の中で火種が荒れ狂う業火となる様をリリオンは確かに見た。


栄養剤を呷り少女をホテルに連れ込む欲求不満のランタン

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