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カボチャ頭のランタン  作者: mm
02.Some Day My Prince Will Come
34/518

034 迷宮

034


 未踏破の迷宮に潜り、最初に行うことはその迷宮について自らの評価を下すことだ。なにも知らない新人と極々一部の幸運な探索者を除く、ほぼ全ての探索者はギルドの評価を毛ほども信用していない。

 なので探索者の初回探索はいっそ臆病なほどに周囲を警戒し、充分な余裕を持ってそれを行い、少しでも危険があればそれを打開するよりは、それがなんであるかを確認して地上へと戻る。

 生きて帰る。初回探索に限らずではあるが、引き上げ料等々の採算が取れずとも、無理をせず無事に帰る。それが最も重要な事なのである。

 初回探索はとても疲れる。だがそれは精神的な疲労であって、肉体的な物ではない。

 それは探索者である弓男も承知していることだろう。

 初回探索から戻った程度の疲労状態では、襲撃を誘い出す餌にするには少しばかり弱い。

 なのでテスの手助けは、規則破りに多少の罪悪感はあるものの、ありがたい話だった。ランタンが再掲載迷宮に潜るぞ、と言うような噂も撒き餌のようにギルド内に流してもらった。

 再掲載された迷宮は、帰還者が持ち帰った詳細な情報が付加されている。帰還者自らが語る生々しい証言とギルド証から読み取った様々な情報は、己の目で見た物よりも客観性があり正確な情報である。特にこの迷宮は最下層にまで踏み込まれている。最終目標(フラグ)の情報が事前に得られることなど稀どころの話ではない。

 丙種探索者六名から成る探索班を死者二名、重傷者一名を出し撤退に追い込んだ迷宮は迷宮特区の〇二六番地にある。

 若草色の苔がビッシリと迷宮内を覆い、むわりとした湿気の籠もる迷宮である。苔を踏むとなんだかふかふかして少し不安定だ。爪先で蹴り飛ばすように掘ると苔の下に黒い土の地面が露出する。

 低難易度昆虫系小迷宮。それがこの迷宮に当初与えられた評価であり、再掲載されても変わらない評価であった。

 道中の魔物は既に殲滅されていて再出現(リポップ)もしてはいない。出現を確認された魔物の危険度はそれほど高いものではない。丙種という最低等級の探索者であっても、気をつけていれば充分に余裕を以て相手を出来る程度の魔物ばかりだ。

 迷宮口直下、出発点から最下層までの距離もそれほどではない。ふかふかした苔の足元は歩くのに少しだけ気を遣ったが、魔物とも戦わずひたすら歩きっぱなしで三時間と少しで最下層直前の魔精の霧まで到達できる。だいたい二〇キロ程度の道のりだろう。

 最下層直前の魔精の白い霧の前でランタンとリリオンは腰を下ろして休憩していた。

 ()()()の迷宮だな、とランタンは首を回した。首を右に倒すと骨が鳴った。戦槌の重みで少し骨格が歪んでいるのかもしれない。ランタンは座ったまま肩甲骨を寄せるように肩を回した。

 魔物も弱く、道中に険しさがない。その距離も短く、おそらく失敗した探索者は気が緩んだのだろう。まるっきり舐めてかかったわけではなく、ただほんの少しだけ、気づかないほどの慢心が残念な結果に繋がった。

 骸を持ち帰ろうとも、失った命は還らない。

 ランタンは気合いを入るように自らの頬を叩いて、よし、と一言吐き出した。

 リリオンは腹ばいに寝転んでやたら真剣に魔精鏡を覗き込んでいた。魔精鏡に何が映っているのかは知らないが、それを覗きながら時折身体を震わせたりしている。それはまるで最終目標から姿を隠しているようで、ランタンの声にビクリと肩を竦め、それをゆっくりと下ろしながら振り返った。

「どうだった?」

「……んー、うぞうぞしてた」

「それは、……なんとも気味が悪いね」

 ランタンは立ち上がり、大きく伸びをした。

 リリオンから魔精鏡を奪い、それを覗き込んで最終目標を確認すると、手を差し伸べてリリオンを起き上がらせてやった。リリオンの腹には薄ぼんやりと光る苔の胞子が付着している。ランタンがそれを払ってやると、リリオンは真似をするようにランタンの尻を払った。

「――揉むんじゃないよ」

「えへへ」

 ぺちんとリリオンの手を叩くと、リリオンはその手をぷらぷらと揺らした。

「リリオン用意はいいかい?」

「うん」

「前もって教えた情報が全てじゃないから、まずは様子見ね」

「だいじょうぶよ」

 そう言ってリリオンは目を瞑って口に気付け薬を含み、舌先で丸薬を奥歯の隅に押しやっている。嫌いな野菜を皿の端に寄せるように。

 大丈夫な表情ではないなと笑いながら、ランタンもまたそれを口に含んだ。戦槌を抜き、くるりとそれを手の中で回す。

 リリオンも方盾から大剣を抜き、一度大きく振り下ろした。剣風が苔の胞子を乱暴に撫でて、光が蝋燭の炎のように揺らめいた。

「さあ行こう」

 ランタンはリリオンの肩を優しく叩いて霧へと足を進めた。

 最終目標の情報は判っているから多少気は楽であり、そして同時に重くもある。ランタンは腹の中にある軽視と重圧を吐き出すように、短く息を吐いた。

 霧を抜けたその先も、隙間なく苔生(こけむ)した緑も鮮やかな広間だった。そして美しい緑の中央にそれが居る。ランタンは口をへの字に曲げた。

 濡れたような暗赤色。液体が詰まったようなぶよぶよと柔らかそうな円筒形の巨躯。歯の隙間から息を吐いたような耳障りな擦過音はもしかしたら威嚇しているのかもしれない。

 それは血色芋虫(ブラッドキャタピラー)と呼称される魔物だ。ランタンは鎌首を持ち上げたそれの姿に、疣足(いぼあし)の生えた薄いピンク色の腹部を目の当たりにしてひっそりと苦い顔を作った。

 なんとも生理的嫌悪感のある造形をしている。掌サイズのそれでもあまり好ましくないのに、この芋虫ときたら体高は一メートル程であり、体長で言えば五メートルは下らない。大きくなるとその気持ちの悪さは比例的に増大してゆく。ソーセージが食べられなくなりそうだ。丸ごとのボンレスハムも。

 ランタンは強敵と対峙する時とはまた別の寒気を覚えていた。ギルドの情報で赤くぶよぶよで巨大だとは聞いていたが、聞くと見るとでは別である。

 ランタンの嫌悪から来る怖気に感づいたのか芋虫はランタンへと顔を向けた。

 芋虫の頭部、その中央には巨大な血豆のような出っ張りがあり、柔らかそうな身体の中でそこだけは目に見えて硬質化している。ギルドから得た情報ではそれは嘴であるらしい。放射状に六つに裂けるように開閉し、内側に牙はないものの、それ自体が刃物のように鋭く肉を抉り取るのだという。

 情報ではそのすぐ上に六つの瞳があるらしいが、皮膚と同色なのだろう、ランタンには確認できない。

「ランタンっ!」

「はいよ」

 芋虫が頭部を突き出すように身体を倒しランタンへと一直線に駆ける。

 十二の節が連なるような胴体を蠕動(ぜんどう)させて、そして疣足をわさわさと動かして苔の上を滑るように突っ込んくる。だが速度はそれほどではない。

 ランタンは大きく距離を取りたい衝動に襲われながらも芋虫の突進を軽く横に避ける。ランタンの影を芋虫が咬んで、嘴がじゃきんと(はさみ)のような音を立てる。骨ごと抉り食われそうだ。

 ランタンは胴体に戦槌を叩きつけた。

「うぇ」

 奇妙な手応えだ。強いて言えばゴム製の水袋を叩いた感触だろうか。ランタンは小さく舌打ちを吐いた。

 芋虫の胴体が波打ち波紋が広がった。皮膚の下には半液体状の肉があり、それが打撃の衝撃を吸収して散らしている。芋虫はランタンの戦槌を意に介した様子もなく、くの字に折れ曲がるようにして胴の後端でランタンを薙いだ。鈍重そうな見た目に反して反応もいい。この反撃の半分ほども痛みへの反応も良ければいいのだが芋虫の表情を変えることも悲鳴を上げることもない。

 ランタンは後ろに跳んでそれを躱す。芋虫の打撃への耐性は二重丸だ。これも情報通り。ランタンは一瞬だけ視線を横に投げた。リリオンが反対側から駆け寄ってくる。芋虫がうねり、身を縮めた。

「たぁっ!」

 踏み込みは充分。振り下ろされた剣の鋒が芋虫の肌を舐めた。斬れたが浅い、とランタンは冷静にそれを観察していた。それは間合いの所為ではなく、皮膚が直撃の瞬間に縮んで厚みを増したのだ。内側まで届いていない。斬撃耐性も充分、と。

 確認は出来ないがやはり報告の通り六つの瞳も健在のようだ。驚くほど視野が広い。

「どうよ?」

「ふさがっちゃったわ」

 そして浅い傷は染み出した体液によって修復される。大剣の鋒は身体の色とは違い、やはり青い血が付着している。となると傷跡は色が混ざって紫色になるのだろうか、ギルドの情報にそれは記載されていなかった。ランタンは自分の目で確かめるか、と戦槌を握り直した。

 突進と噛み付き、そして胴での薙ぎ払い。シンプルな造りの身体をしているので近接攻撃の手段は他にないだろう。死者二名を出した攻撃は、むしろ距離を取ってからの。

「きたっ!」

 芋虫が糸を吐いた。口からではなく、嘴を取り囲むようにある四から十二ほどと推測される射出口からだ。

 白い糸がまるで空を切るような鋭さで向かってくる。死亡した探索者の一人はこの糸に絡め取られたらしい。ランタンもリリオンも事前に知識があるので避けるのは容易だが、予測していなければ少し危険な速度だ。予覚動作も見当たらない。左右に分かれるように距離を取った。

 吐き出された糸は強い粘着力があり、また恐ろしく弾性が高いらしい。死亡した探索者はこの糸に絡め取られ、芋虫の嘴まで一気に引き寄せられ胴に穴が開いた。粘り気のある糸は生半可な斬撃ではその剣が絡まってしまう。リリオンの居た場所へ糸がべたりと張り付いた。

 リリオンが盾を地面に突き立てるように構える。

 芋虫が、跳んだ。

 きりきりと引っ張られた糸が緩むと、高速で引き戻される糸によって自らの巨躯をスリングショットの如く発射したのだ。突進の速度は先ほどの地を這う突進とは比べものにならない。芋虫は自らの身体を限界まで縮めて、ほぼ球形の塊となってリリオンへと突進した。

 激突。苔の胞子が吹き飛び辺りに煌めいた。

「ぐっ!」

 リリオンが押し負けた。突き刺した盾と両足が苔を削り取りながらリリオンが大きく吹き飛ばされて後退する。芋虫はすでに糸を切り離して追撃するべくその顔をリリオンに向けている。

「っ!」

 芋虫が鬱陶しげに胴を振るわせる。ランタンはそれを飛び越えて、鎌首を持ち上げた芋虫の懐に入り込んだ。色の薄い腹部は多少防御力が落ちる。鋭く息を吐いて逆袈裟に振り上げた戦槌が陽炎を纏った。芋虫が身体を(よじ)る。爆発。

「ちっ」

 芋虫は打撃を腹ではなく背で受け止めた。打撃の衝撃はほぼ無効、だが爆発の熱は殺せなかったようだ。芋虫が痛みに暴れると、焦げた皮膚がひび割れてぼろぼろと零れた。追撃は出来ない。芋虫がその場で大きく回転して、血が噴き出すのも厭わず辺りを薙いだ。

 細長く、胴が伸びる。ランタンは跳んで躱す。

「きゃあ!」

 体長がほぼ倍、瞬間的にだが十メートルほどに伸びた。胴の後端がリリオンを打って、少女を吹き飛ばした。防御は間に合っているが、踏ん張ることが出来なかったようだ。ランタンは思わずそちらに目を向ける。

 リリオンは苔の上をぐるりと転がって受け身を取ると立ち上がった。ダメージらしいダメージはない。だが目が回ったのか芋虫を見失っている。気付け薬を噛んでいない。それに気が回らないのか、ただあの味が嫌なだけか。たぶん後者だ。

 ランタンは芋虫とリリオンの間に立ちはだかった。

 糸が吐き出される。ランタンはそれを掬い上げるように戦槌に絡めた。糸は濡れたように白く、引っ張ると響くように震えた。高強度、高弾性。力任せに引き千切ることは難しそうで、引き寄せる力も強く苔の足場も相まって厄介だ。ランタンは戦槌を爆発させた。

「……熱には弱い、と」

 白い糸は一瞬で灰となってはらはらと零れた。

 灰が巻き上がる。復活したリリオンがランタンの脇を駆け抜けていった。元気なことでなによりだ、とランタンは水面蹴りを放った。リリオンに。

「ふぇあ?」

 ランタンはすっ転んだリリオンを抱いて後ろに大きく跳んだ。

「なにするのよぅ……?」

「落ち着け」

 この探索の戦いの目的はいかにダメージを少なく、最終目標を撃破するかにある。一発ぶちかまされて頭に血が上る気持ちはわからないではないが、無策で突っ込むことは許可できない。ランタンは芋虫に目を向けながら、リリオンの背中をわしわしと撫でた。

 リリオンは擽ったそうに身体を震わせて、素直に頷いた。

「うん」

 青い血が、赤い身体を汚す。色が混ざって紫色にはならないのか、と既に薄く皮膜の張った芋虫の傷口を見つめる。赤と青のコントラストが気持ちの悪さを倍増させている。ダメージがゼロというわけではないだろうが、なかなか厄介な防御力だ。

「もう一種類の糸も見てみたいな、()るのはそれから」

「――わかった」

「適当に距離を取って様子見。攻撃してもいいけど単発のみ。糸は落ち着けば躱せるから、その後の突進だけ注意」

 行くぞ、とランタンはリリオンの尻を引っ叩いて左右に挟み込むように駆けた。

 芋虫の糸には二種類ある。粘性がありしなやかで、敵を絡め取るための捕縛糸ともう一つ。撤退する探索者を絶命させ、また重傷を負わせた攻撃性の糸。

 距離を取って芋虫を翻弄する。

 芋虫はランタンとリリオンの二人を相手にして頭部を左右に揺らしている。胴体を伸ばしての薙ぎ払いは攻撃範囲が広いが、きちんと距離を取っていれば薙ぎ払いの直前に身体を丸める予覚動作が丸見えだ。突進も旋回性が低く直線的なので、それほど脅威ではない。

 失敗した探索者とランタンとの違いは事前情報と爆発能力、文字通り火力の有無だ。

 ランタンは芋虫の眼前をふらふらと彷徨(うろつ)いてその注意を引いている。リリオンはそんなランタンの作り出した隙に遠い間合いから(きっさき)で芋虫を突いている。いい嫌がらせだ。

 芋虫が糸を吐いた。粘着糸だ。ランタンはそれを躱す。着弾は遠い。突進は、けれど攻撃ではなくリリオンから距離を取るためのものだ。遠目から芋虫が鋭く振り向いた。

「うわおっ」

 白点が一つ、二つ、四つ。攻撃性の糸だ。

 ランタンは数えるのをやめて、自らを射線に捉えた三つだけを見つめた。

 ランタンは半身になり二つを躱して、一つに戦槌を振るった。糸と呼んでいいのだろうか、吐き出され硬質化したそれは氷柱(つらら)のようだ。空気抵抗に成型されるように鋭く引き延ばされて、白い尾を引いて向かってくる。先端が尖って、表面は岩肌のようで、歪な円錐形をしている。戦槌で叩き落とすと石のように割れた。粘性はない。

 背後でリリオンが盾によってそれを受け止めていた。破裂音は重なっていたが、おそらく三つ。リリオンはびくともしない。地面に刺さっている氷柱糸は避けた物を合わせて四つあった。氷柱糸は地面に半ば程まで埋まっている。貫通力は中々のようだ。

 吐き出された氷柱糸の数は全部で十、つまりそれが射出口の数だ。撤退した探索者はこれをばらまかれて一人は肺腑を貫かれ死亡し、もう一人は脇腹を内臓ごと抉られた。一人が重傷で済んだのは、ここから迷宮口までが近かったからだろう。

 二射目の射出まで二秒弱。先ほどは振り向きざまに吐き出したので集弾性は悪かったが、十の氷柱糸が一纏めに向かってくるとなかなか威圧感がある。叩き落とすには少しばかり分が悪い。ランタンは斜めに踏み出してそれをやり過ごし、そのまま芋虫に向かった。

 ギルドから得た情報はこれで全て確認が取れた。まだ隠し球がないとも限らないが、敵戦力の確認は終いだ。さっさとこの不快害虫を駆除してしまおう。

 ランタンが凶悪に笑みを浮かべた。焦茶色の瞳が橙色の光を灯した。

 瞬間ランタンの身体が爆発によって押し出される。一瞬で芋虫に肉薄したランタンは地を這うほどに身をかがめて、戦槌が地面を舐めるようして振り上げられた。鶴嘴の鋭い先端が芋虫と地面の間に滑り込んで、疣足の付け根に突き刺さった。肉が収縮して戦槌に絡みつく。抜けないが好都合だ。

 爆発。疣足の一つがびちゃりと引き千切れる。芋虫が声無き声で(いなな)いた。ランタンをその身で抱き潰そうとするように身体を捩る。だがランタンは芋虫の巨躯を跨ぐように飛び越えた。その背中を戦槌で擦る。まるで燐寸(マッチ)の火を付けるように。

 赤い皮膚が火膨れを起こし、そして炭化した。青い血がじゅくりと染み出した。ランタンは唇を舐めて、リリオンの傍らに着地した。陽炎を纏う戦槌を冷ますようにそれをくるりと回転させる。

「リリオン、攻めるよ」

「うん!」

「僕があれを剥き身にするから、折を見て刻んでやれ。刺突は禁止」

「まかせて!」

 リリオンは待ってましたとばかりに大剣を握り直した。いい返事だ。ランタンは再び芋虫へと駆けた。芋虫は怒り狂っている。だが戦槌の届く距離は、糸攻撃には近すぎる。捕縛糸で距離を取ろうとしても、爆炎がそれを焼き払った。ランタンは縦横無尽に戦槌を振るう。それはまるで燃えさかる炎の塊が、気まぐれに火の粉を吐き出す様に似ていた。すれ違いざまに芋虫の皮膚を炭化させて、そのゴム質の皮膚を剥がしていった。

「中々つぶらな瞳じゃないか」

 ランタンが芋虫の薙ぎ払いを躱し、ぽつりと呟いた。

 芋虫の顔を青い血が濡らすと、赤い皮膚に隠れていた紅い瞳が六つ浮かび上がった。嘴の上に一対、頭部の側面に二対。ランタンの姿を常に捕らえて、そして反撃を試みようとする。傷ついても反応は変わらず良いが、それに芋虫の肉体は追いついていない。

 ランタンと入れ替わるようにリリオンが突っ込む。無防備な側面に剣を振るった。

 ランタンが皮膚を剥ぎ、露わになった肉に鋒が突き刺さる。リリオンは力任せにぞるりと切り裂く。

「くぅっ」

 振り抜くことが出来ず、途中で止まった。残った皮膚に引っかかったのだろう。芋虫が自ら身体を捻ってそれを引き抜き、その勢いで振り回された胴薙ぎがリリオンを襲った。

 びちゃり、と嫌な音が響いた。リリオンは盾でそれを受け止めた。青い血がペンキをぶちまけたように盾に散った。リリオンが盾を振り回し、張り付くようにそこにあった胴を振り払った。踏み込んで切り落とし。ちょうど節の継ぎ目を裂いた。

 今度は出来すぎだ。芋虫の肉体を抵抗なく裂いた鋒が地面に突き刺さった。踏ん張ろうとしたリリオンは血に濡れた苔に足を取られている。芋虫がリリオンに顔を向けた。

「どっらぁ!」

 糸を吐き出す直前にランタンがその横っ面を、その嘴を引っぱたいた。澄んだ金属音が響く。芋虫はてんであらぬ方向に捕縛糸を吐き出した。体液を撒き散らしながら、その場から逃げ出した。ランタンは追わずに、一つ息を吐いた。

 血色芋虫(ブラッドキャタピラー)はその不吉な名前とは裏腹に、今はもうまさに()()と言う様な有様だ。今や赤色よりも青色の方が身体の大部分を占めている。

 ランタンの付けた傷口から青い血が湧くように染み出て、リリオンの斬撃により切り裂かれた傷口からは血よりももっと粘性のある体液がどぼどぼと溢れ出していた。身体の修復が追いついていない。青息吐息だ。

「さあて最後まで気を抜かずに行こうか」

「うん!」

 リリオンが靴底を苔で拭い、大剣を払って付着した血を吹き飛ばして気合いを入れた。

 だというのに。芋虫は遠吠えをするように大きく上を向いたかと思うと天井に向かって糸を吐き出した。まるで釣り上げられるようにシュルシュルと天井へ上り、そこにぺたりと張り付いた。

「……芋虫だもんね」

「おりてこないね」

 芋虫は休憩でもしているのか天井に張り付いたまま、もぞもぞと蠕動するものの降りてくる気配も、氷柱糸で攻撃してくる気配もなかった。天井までの高さは二〇メートルはあり、ちょっとばかり手が届かない。

「どうするの?」

「どうしようか」

 芋虫の傷口が少しずつ癒えている。芋虫が震えると瘡蓋(かさぶた)のようになった青い血がはらはらと剥がれ落ちて、その下に薄い皮膜が浮かび上がっている。さすがにリリオンが付けた切り傷は塞がることはないが血は既に止まっていた。

 昆虫系の魔物は変態する。芋虫が(さなぎ)へ、そして蝶になるように。それは基本的には充分な時間を掛けて行われるが、中には手品のようにあっという間に姿を変えるものもいる。血色芋虫がそうでないという確証はない。

 ランタンはその場で一回屈伸をして、ちょっと行ってくる、とリリオンに一言伝えて猛然と走り出した。壁に向かって加速し、冗談のように七歩ほど壁を駆け上った。その姿にリリオンが驚いたように口を開いた。

「うぐっ」

 そして失速する寸前に足場に爆発を巻き起こして、勢いよく芋虫に向かって突っ込んだ。あまりの急加速にランタンは小さく嗚咽を漏らした。内臓が圧迫される。それでも芋虫に届くかギリギリだ。ランタンは目一杯腕を伸ばせるように戦槌を構える。爆発能力は爆発を巻き起こすのであって、空を飛ぶ事は出来ない。

「ひ」

 そんなランタンに芋虫が顔を向けた。ランタンの頬が盛大に引きつり、目一杯腕を伸ばしても届かない距離で戦槌を振り抜いた。芋虫が盛大に氷柱糸をばらまいたのだ。氷柱糸の先端が戦槌に到達した瞬間にランタンはそこに瞳を焼くような爆発を巻き起こした。熱波がランタンの頬を打ち、地上のリリオンの髪を撫でた。

 その爆風に煽られて、ランタンは錐もみするように失速して、地面に叩きつけられる瞬間に猫のように四肢を立てて着地した。全身の骨が痺れて、むち打ちになりそうな衝撃が首を襲った。慌ててリリオンが駆け寄り方盾を(かざ)す。追撃の氷柱糸がその表面で爆発するように弾けた。

「ありがとう、助かったよ」

 氷柱糸が止んで、ランタンはうんざりしたような顔つきでリリオンに言った。

「おしかった、ね?」

 リリオンの慰めにランタンは乾いた笑いを漏らした。そして盾の傘から出て再び芋虫を忌々しげに睨み上げた。幸いな事に蛹になる様子はない。だが降りてくる様子もない。

 ランタンはリリオンに向き直って、その腰に刺さった狩猟刀(ナイフ)に目を留めた。攻撃力があり、投げられる物と言ったらこれぐらいか。ブーメランのような形状をしているし投げやすそうだ。

「嫌よ!」

 無言の視線に何か不吉な物を感じ取ったのかリリオンは狩猟刀を隠すようにして身体を引いた。宝物を守る番犬のようにランタンを睨んでいる。

「……さすがにそんな勿体ないことはしないよ」

 ランタンは肩を竦めてそれから目を逸らし、辺りを見回した。

「あれ使おうか」

 指を差したその先は地面に突き刺さった氷柱糸だ。リリオンは指差した先に駆け寄って、次々に四本全てを回収して戻ってきた。そしてその内の一本を生け贄を捧げるようにランタンに献上した。

「軽いよ、これ」

「そうだね」

 氷柱糸は五〇センチほどで、強度は充分だが少しばかり軽く、割って投石として使うことは難しそうだ。この形のまま投げるのか、とランタンは眉根を寄せた。槍投げなんてしたことがない。

「取り敢えずやってみようか」

 ランタンは戦槌を地面に突き立てて、氷柱糸の中程をしっかり掴む。小走りから次第に大股に助走をつける。身体を捻り、肩を内に入れるように、手首の(しな)りを利かせて芋虫目がけて投擲した。指の掛かりはいい感じだ。

「あらま」

 だが氷柱糸は後端が先端を追い越すように途中でぐるりと回転して体勢を崩す。芋虫よりだいぶ右側にぶち当たって割れて砕けた。芋虫は驚いたようにもぞもぞと場所を変えたが、降りてはこない。ただ氷柱糸の欠片がばらばらと降ってくるだけで。

「次わたしね!」

 リリオンがぴょんと飛び跳ねて手を上げた。まるでランタンの敵を取ると言わんばかりに目を輝かせている。リリオンは盾と大剣を手放して、ランタンに二本の氷柱糸を渡すと、ぐるりと肩を回した。やる気充分で、芋虫を見据える瞳には集中力が宿っている。

「いくよ」

 背を反らすほどに伸びをしたリリオンはすらりとしてしなやかだ。大きく深呼吸して胸が膨らむ。助走をつける歩幅がランタンの倍近い。踏み込みに苔が沈み込む。その力が淀みなく上半身へと駆け、鞭のように腕が撓り、白い三つ編みが腕の振りに棚引(たなび)いた。

「えぇいっ!」

 甲高い叫び声。ランタンは目を見開いた。その瞳に氷柱糸が白い傘を生み出して、それを突き破ってゆく様が映った。大気を裂くその音が耳鳴りのよう響いている。そして破裂音がその耳鳴りを打ち消した。

 リリオンの投擲した氷柱糸は惜しくも芋虫を掠めて天井を穿(うが)った。再び欠片が降ってくる。

「惜しかったね」

「ね」

 リリオンがちょっと頬を膨らませて拗ねるように呟く。二人揃って天井を見つめていると、またばらばらと欠片が降ってくる。天井の、欠片が。

「あ――」

 芋虫ごと、天井が落ちる。

 ランタンとリリオンは表情を一瞬で凍り付かせて、その手に持った残った氷柱糸を慌てて放り投げると、武器を引っ掴んで全力で後退した。

 リリオンの穿った穴からひび割れが広がり、それが芋虫の重みに耐えかねたのだ。一抱え、それも巨大な血色芋虫の一抱えほどもある巨大な岩の塊が地面で弾けた。

 リリオンが盾を構えランタンはその内側に抱え込まれた。地面の苔を一斉に裏返し、胞子の煌めきと破砕された細かな(つぶて)の混じる土煙が吹き荒れた。まるで豪雨に見舞われたように盾の表面でばちばちと礫が弾けた。

「死んだのかな」

 ランタンとリリオンが二人して盾の脇から顔を出して芋虫がいる辺りを覗き込んでいる。

「――死んでないみたいだね」

 リリオンが後ろで呟いた声に、ランタンが応えた。盾のすぐ脇を土埃を切り裂いて捕縛糸が走った。土埃の奥に迫り来る巨大な影が見える。

「来るよっ!」

 リリオンが答えるより先に衝撃があった。なるほどこれはきつい、とランタンもまた盾を支えてその衝撃を二人して受け止めた。苔の上で足が滑る。だがリリオンは滑りながらも、何度も地面を掻くようにして足を前に進めた。

 芋虫を押し返す。ランタンは盾の外に出た。

 無残な姿だ。

 分厚いゴムのような皮膚は大半が失われ、今は頼りない薄皮に包まれている。血を大量に流したのにもかかわらず身体が一回り大きくなったのは、皮膚によって押さえつけていた半液状の肉を薄皮が支えきれないのだ。今にも爆発しそうに丸く、薄皮の下で流動する肉体が透けて見えて、気持ちの悪さが倍増している。

 ランタンは戦槌を掌で回し、鶴嘴を芋虫に向けた。振り下ろすとぱんぱんに膨らんだ水袋に針を刺したように薄皮が裂けて、鶴嘴が芋虫の肉の中に埋まった。吹き出した青い血がランタンに降りかかろうとして、次の瞬間に巻き起こった爆炎によって吹き散らされて蒸発した。辺りに異臭が漂う。

 芋虫の肉がごっそっりと炭化して、ぐずぐずと潜れ落ちた。

 芋虫が嘴を限界まで開き音の無い絶叫を吐き出した。苦しむようにその顔を振り回した。射出口が細かく痙攣して、白い、まるで魂のような白い糸を吐き出した。遠心力で無理矢理に絞り出すように吐き出された氷柱糸は、それは引き延ばされ、まるで剣牙(けんき)のよう鋭く射出口から生えていた。奥の手か。いや氷柱糸を切り離し、射出するほどの内圧を高められないのだ。

 ランタンは振り回された糸の牙を戦槌で受け止めた。

 衝撃。

 氷柱糸は砕けて氷の破片のように降り注いだ。ランタンは咄嗟に顔を覆い、後退を余儀なくされた。その腕の隙間から覗くランタンの瞳に芋虫がさらにもう一度、勢いを付けるように振り返るのが見える。

 また別の射出口から先ほどよりも太い氷柱糸が歪な棍棒のように伸びて、リリオンを打ち払う。リリオンはそれを盾で受け止める。だがリリオンもひたひたと足を濡らす青い血に滑るように後退した。牙は根元から折れた。

「リリオン!」

「平気――」

 離れたリリオンへ芋虫が捕縛糸を吐いた。鋭さはなくやや山なりに、だがそれはリリオンの剣に巻き付くには充分だった。声を上げたランタンにリリオンが大きな声で応えた。

 リリオンが足を地面に突き立てるように腰を下ろして踏ん張った。まさか、とランタンが思ったら、それはまさにそうだった。

「――ぃいいいあああっ!」

 まるで一本釣りのようにリリオンが芋虫を引っこ抜いた。巨躯の芋虫が中空を舞う様子にランタンは頬を引きつらせる。空中でぐねぐねと身悶える様は異様としか言いようがなく、それは精神的な攻撃そのものだった。夢に出そうだ、とランタンの身体が震えた。

 それを釣り上げたリリオンのその姿は今まさに大剣を振り下ろそうとする上段の構えに酷似している。身体を弓なりに反らし地面を始発点とした鋒が、大きく正円を描く。

「せあぁっ!!」

 リリオンは芋虫に大剣を叩きつけた。

 絶命の叫びは無く、ただ水音を迸らせて芋虫は両断されて地に落ちた。まるで悪夢を切り払ったように、辺りにぶちまけられた芋虫の内容物がまるで青い波のように辺りに広がった。どれほどの液状肉を押さえ込んでいたのか。リリオンが大慌てでそれを避けてランタンに駆け寄った。

 すぐに訪れる魔精の奔流に巻き込まれれば、魔精酔いによって青い血の海に沈むことは目に見えていた。ランタンは奥歯で気付け薬を噛み砕いて、とどめを刺したリリオンを労うように駆け寄ってくる少女の手を掴まえた。

 そして背後から氷柱糸が飛んでくる危険性はもうないので、一目散に血の波から逃げだすのだった。


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