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カボチャ頭のランタン  作者: mm
02.Some Day My Prince Will Come
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033

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「そんなに見られると食べづらいんだが……」

 パウンドケーキを片手にテスがリリオンの視線にたじろいている。

 リリオンはそう言われてはっと恥じるように視線を下ろし、それでもやはり気になるのか上目遣いでちらりとテスを盗み見ている。それはその手に持ったケーキをねだっているようにも見えるが、ただ早くテスに食べてもらいたがっているだけである。

 微笑ましさと、鬱陶しさが半分半分と言ったところだが、テスは寛容に口元を緩めた。

 テスは甘いものを積極的に好むと言うわけではないようだったが、まさかお礼として骨付き肉でも渡すのもあまりに失礼な話なので結局ケーキを買ってしまった。司書に渡した物とは違い味見が出来てないので、好みに合うか少し不安である。お礼やお返しと言えば甘い物しか思い浮かばない自らの選択肢の少なさをランタンは恥じていた。

 ランタンも内心テスの反応が気になりながらもそれを面に出さず、そんなリリオンを見て苦笑する。テスも釣られたように笑いその鋭い口を開いた。

「む、美味い」

 リリオンに見つめられながらテスがケーキを囓り、思わず呟いてしまったと言うようにそう漏らした。リリオンは嬉しそうに胸の前で手を叩いた。

「それ、リリオンが選んだんですよ」

「はいっ!」

「へぇ、そうか。ありがとう。うん、おいしいよ」

 テスはそう言ってリリオンを褒めると、残ったケーキをテーブルの真ん中に差し出した。

「二人もお食べ。私ばかりでは、どうにも落ち着かん」

 リリオンはその言葉にぱっと表情を輝かせて、けれどケーキには手を伸ばさずにランタンの顔を窺った。食べたいと言う欲求と、渡した物を貰っても良いのかと言う遠慮がせめぎ合ってなかなか面白い顔になっている。

「では遠慮なくいただきます」

「わたしもっ、いただきます」

 ランタンがケーキに手を伸ばすと、リリオンもそれに続いた。

 一口囓る。生地は濡れたようにしっとりとしていて、芳醇なブランデーの香りが鼻に抜ける。生地に練り込まれた乾燥イチジクはそれほど甘くないけれど優しい酸味がしてなんだか大人の味という感じだった。ちょっと酔っ払いそうだな、とランタンは酒気の香る吐息を漏らした。濃いめに入れた紅茶が欲しい。

 そんなランタンの横で、リリオンははぐはぐと一切れをあっという間に食べてしまった。

 テスは二人を横目に微笑みながらも、ケーキよりもそれを切り分けた狩猟刀(ナイフ)を興味深げに弄っていた。

「いいナイフだな、ケーキを切るのはちょっともったいないぐらいの」

 切り分けたケーキの断面は滑らかで少しも生地の潰れたところがない。グランが指を切ったら骨まで引いてしまうと言ったように、ケーキを通り過ぎて机を両断しそうなほどの切れ味だった。

「うお、グラン工房の親方(マスター)の作か。さすがはランタン……」

 鍔元に刻まれた刻印を見てテスが驚いたように声を上げた。グラン工房の名声についてランタンはよく知らなかったが、だがその製品の質の良さならば身に染みている。なかなか老舗のようであるし名が知られていても不思議なことではない。

「次に剣を新調するときは、グラン工房に頼もうかな」

 テスはそんな風に言ったが彼女の持つ二振りの剣も相当な品であると思われた。鞘に収められていてその剣の輝きを見ることは叶わないが、螺鈿(らでん)細工の施された細身の黒鞘は、それに納められた剣がなまくらであるはずがない、と確信を抱かせるような気品があった。

「その時はご紹介しますよ」

「ああ、ぜひ頼むよ。くふふ、斬るべき奴が多くてな。剣は幾つあっても足らんのだ」

 テスは肩を竦めて笑うと、手の中でくるりと狩猟刀を回転させランタンに柄を差し出した。

 ランタンは深く頷きながら狩猟刀を受け取り、それを腰の鞘に戻した。

 テスがテーブルを指先で叩いた。かちんと中指の爪が硬質な音を立てる。その音にリリオンがびくりと反応したのを見て、テスはテーブルを叩いた指を押さえつけるように腕を組んだ。リリオンはどうやら残っているケーキに気を取られていたようだ。

「まったく、ほら僕の食べて良いよ」

「わぁありがとう」

 ランタンが摘まんでいたケーキを差し出すと、リリオンはまるで魚のようにぱくりと食いついた。指の先っぽを食べられたランタンがじろりとリリオンを睨むと、リリオンは口内の指先を舌先でちろりと擽って、ちゅと音を立てて引き抜いた。

「あんまり下品なことをするんじゃないよ」

「お塩の味がする」

 ランタンが涎の付いた指を向けて注意すると、リリオンは頷いたもののその視線は涎でてかる指先に向けられていた。反省しちゃいない、とランタンが目を細めると、それでようやくリリオンは外套(マント)の端を掴んでランタンの指を拭いた。

「なるほどランタンは塩味か。私も一口囓って良いか?」

「――ちょっとだけですよ」

「テスさんだめっ」

 ぎらりと牙を剥いて冗談を言ったテスにランタンが乗っかって軽口を叩くと、リリオンは慌ててそれを阻止した。腕を引いて、ランタンを自らの胸の中に抱え込んだ。ブランデーの匂いがするのは、おそらくケーキくずが胸元に零れているからだろう。

「あっはっは、それは残念だ。ランタンを囓ることはまた今度にしよう」

「ええ、次に会う日には胡椒をご用意しておきます」

 ランタンはリリオンの胸の中から抜け出して、ランタンの食べかけの、さらにリリオンの食べかけとなった一欠片のケーキを口に放り込んだ。

「さてと、では少し真面目な話をしようか」

 ランタンがケーキを飲み込んだのを見計らって、テスがテーブルの上で指を組んだ。少しだけ空気がぴりりと引き締まって、リリオンがもぞもぞと座り直し、拳一つ程度だがランタンの側に寄った。ランタンが落ち着かせるようにリリオンの太ももに手を置いてやると、リリオンはすぐに手を重ねた。指の先が少し冷たくなっている。

「君らを襲った奴らについてだ」

 テスは至極簡単にそう言った。まるで夕飯の献立でも告げるように。ランタンは驚いて目を見開き、リリオンに至ってはきょとんとしている。

「え、じゃあ、え? 今から()りに行きますか?」

「くふふ、それはなかなか魅力的な提案だが、まぁ聞け。探索者たる者、事前情報はちゃんと得ておくべきだ。そうだろう?」

 驚いたランタンがまるで破落戸の下っ端のような物騒なことを呟いたが、テスは笑いながらそれを諫める。ランタンは驚きの余韻と恥ずかしさでコクコクと頷いた。

 テスは一枚の手配書をランタンに差し出した。

 そこに描かれているのは牛人族の男だ。

 顎の四角いごつい赤ら顔に、黒く横広の牛鼻が付いている。赤褐色の短い髪に覆われた頭には黒い角が二本迫り出していた。四十がらみの老けた顔をしているが、手配書に書かれた年齢を見れば三十一歳となっていた。名前はなんと読むのだろうか。ランタンがほんの少しだけ小首を傾げると、横から手配書を覗き込んでいたリリオンがそれを読み上げた。

「フィデル・カルレオ?」

「おしい、カルレロだ。フィデル・カルレロ。元乙種探索者」

 乙種と言うことはランタンと同格である。ランタンはふむと一つ鼻息を鳴らした。

 フィデル・カルレロと言う男は手配書で見る限りではいかにも武闘派と言った感じの男だった。

 身長は角を含めずとも二メートルを超えて、体重もそれに見合った一二〇キロ。全身図には巨大な筋肉の鎧を纏った巨躯の姿が描かれている。太股の半ば辺りから毛深く、その足は蹄になっていた。罪状の欄はただ一つ、殺人、と書かれていた。

「貫衣でも、弓男でもないですよね」

 貫衣は相対したときランタンよりも少し背が高い程度だった。背の低い人間が高く見せることは可能だが、背の高い人間が低く偽装することは難しい。特にこのカルレロは縦にも横にも大きいので外科的に肉を削ぎ骨を詰めなければあの貫衣の姿には成ることは不可能だ。それとも超高額の魔道具でも使ったか。

 弓男はその一切が不明だが、人相書きの中ですら武闘派然とした男があの小胆な弓男とであるとは思えなかった。

「うむ、違う。まぁ順を追っていこう」

 カルレロは探索者であった頃、探索班の主宰者(リーダー)を務めていた。指揮自体は別の人間に託し、自らは先陣を切って魔物に突っ込んでいく見たままの印象そのものの探索者だったらしい。勇猛果敢なその姿は中々の男振りだったようで、探索仲間(パーティメンバー)には慕われていたそうだ。

 カルレロは手配が掛けられて裏社会へ追いやられてもその持ち前の剛毅さと、探索で培った腕っ節を以て破落戸共をまとめ上げ、カルレロ・ファミリーなるものを組織し、護衛業のような物をしのぎとしていた。

「護衛ですか?」

「言わんとすることは判る。実態は傭兵のような物だからな。カルレロ・ファミリーは構成員は五十名を超えて、確認が取れている限り七名ほどが探索者。もっともそいつらは殆どが名許(なばか)りだが、置物にするにはそれで充分に効果があると言うことだろう」

 破落戸が箔を付けるために探索者登録をすると言うことは珍しい話ではない。ギルド証を嵌めたからと言って探索者の強さを得られるわけではないが、それは外見からでは判別できない。これ見よがしに手首にギルド証が嵌まっていれば、それだけで抑止力となるのだろう。高をくくって手を出してそれが本物の探索者だったら、と言うのはランタンはうんざりするほど実証済みだ。

「えっと、弓男が、カルレロらを雇って僕らに差し向けた、と言うことですか?」

「残念ながらハズレだ。仕事はどうやら鞍替えしたらしい。いや事業拡大かな」

 テスは言って、それはカルレロに向けられた物であろう、呆れと侮蔑(ぶべつ)を含んだ大きな溜め息を吐き出した。

「薬物?」

「――それと女衒(ぜげん)だ」

 それを聞いてランタンが眉間に皺を寄せると、リリオンがランタンの肩を揺らした、

「わたしそれ覚えてるよ」

「――それは偉いね、でも忘れても良いよ」

 ランタンが褒めるとリリオンは喜んで、けれど次の言葉に首を傾げる。さらさらと髪が頬を流れたので、ランタンは頬を撫でるように髪を払ってやった。

「護衛業から薬物売人(ドラッグディーラー)ですか。急転換ですね」

「うむ、急転換過ぎてやり口が雑らしい。捌いている品もな。衛士隊(ガード)に友人がいるが愚痴っていた。ゴミをばらまく馬鹿が増えた、と」

 薬物売買のノウハウがないせいかカルレロ・ファミリーの手口は古典的な物らしい。

 まず最初に安価で薬物をばらまいて中毒者を生み出し、抜け出せなくなってから値段を上げる。金が稼げるうちはカモとして、そしていよいよとなったら男は使い捨ての兵隊として、女は娼館へ、と言う具合に全てを搾り取るのだという。

 ランタンは少し俯いて眉間に皺を寄せた。

 襲撃してきた薬物中毒者達は、絞り滓を体現したような痩せて汚らわしく見窄(みすぼ)らしい風体で、まさしく使い捨ての兵隊だった。

 薬物中毒者など物の数ではないが、それらが今こうしている間にも生み出され続けているのかと思うとうんざりする。ランタンは脳内に蜘蛛の子のように無数に蠢く薬物中毒者を想像して、げっそりと表情を歪めた。

「やっぱり今から()りに行きましょう」

「ランタン……私をそんなに誘惑するんじゃない。こう見えて欲望には割と素直なタイプなんだ」

 テスはちろりと唇を舐めて色っぽく目を細めた。

「それに本命はカルレロではない。狙うべきは弓男だ」

「ああ、やはりそれですか」

 カルレロファミリーの仕事の転換はまるで脳みそが入れ替わったかのような急激な物だ。ファミリー内で突然変異のような意識の転換があったと考えるよりは、外部から別の意思が流れ込んできたと考えるのが妥当だろう。

「弓男は現役の探索者だ。名はエイン・バラクロフ。乙種探索者、使用武器は弓と小剣(ショートソード)。二年ほど前から迷宮には降りていない。一年半ほど前からギルドの施設の使用履歴もない。理由は不明、……ん、どうした?」

 捜していた弓男の名が明かされたと言うのに、ランタンもリリオンも二人揃って戸惑うような反応を見せた。なんとなくランタンはリリオンを見ると、リリオンも同じようにして顔を見合わせて小首を傾げた。

 ランタンはリリオンの淡褐色(ヘーゼル)の瞳に映る自分と目が合ったので、どぎまぎと視線を逸らしてテスへと向けた。テスはニヤリと笑っている。

「え、それって、あの疑うようでごめんなさい、ええっと、確実な情報なんですか?」

 弓男についての情報は貫衣よりも少なく、はっきり言って本人へ辿り着けるなどとは微塵も思っていなかった。それをこの短期間でとなると、驚きよりも疑いの方が強く表に出てしまう。

「ああ、確実だ。まず間違いはない。捜査法は秘密、――と言っても私が調べたんじゃないんだけどな」

「どういう……?」

「実は今日の私は伝書鳩なんだ、――あいつ、司書からキミらへね」

 司書さまの、とランタンは口の中で呟いた。司書は先ほど会った時は全くそんな素振りも見せなかった。ランタンは驚きから疑いへ、そしてまた疑いから驚きへと表情を変えた。リリオンが胸の前で祈るように手を組んで、うっとりと呟いた。

「おねえさま、……すごい!」

「――お姉さま!? え、あれのことそう呼んでるのか?」

 ランタンが驚いたのと同じ程にテスが目を見開いて声を上げた。

「嫌がっていましたけどね」

「へぇ、なるほど。それは良いことを聞いた。今度会ったらお姉さまって呼んでやろう、くふふふ」

「……何か僕が怒られそうな気がするのでやめてください」

 悪戯っぽく笑うテスにランタンが言ったが、テスはすでにそれを言うことを楽しみとしていて、司書におねえさまと呼びかけることを予定に組み込んだようだった。司書にはまた礼を言わねばならないが、少し気が重たい、とランタンは諦めの溜め息を吐いた。

「しかし、お姉さまか。リリオン、私のこともそうだな。お姉ちゃんって呼んでも良いぞ」

「――わぁ、えへへ。お姉ちゃんが二人も!」

 ランタンは何を戯れ言をとテスを見つめたが、当のリリオンは嬉しそうに頬を染めてはにかんだ。そしてちょっと遠慮するように、テスお姉ちゃん、とテスを呼んだ。

「リリオンは素直で可愛いな。ちょっと持って帰っても良いか?」

「ダメです」

「……弟も昔は可愛かったんだけどなぁ、私の後ろをちょこまかくっついてきて」

 テスはリリオンに呼ばれて感慨深げに頬を緩め、それから昔を懐かしむようにぽつりと呟いた。

「弟さんいらっしゃるんですか?」

「ああ、探索者やってる弟がいる。もうずいぶんと生意気になった奴がね。今度機会があったら紹介するよ」

 ランタンはぎこちなく頷いた。テスの弟と会ったら、リリオンは彼のことをお兄ちゃんと呼ぶのだろうか。それを想像したら少しもやっとした気分になって、ランタンはその感情を持て余して表情を歪めた。

「僕のことお兄ちゃんって呼んでも良いよ」

「もう、なあにランタン。そう呼んで欲しいの?」

 リリオンはランタンの目をまっすぐと見つめて問いかけた。

「いや、別に。呼ばなくて良いです」

 ランタンは思わず目を逸らしてそう返した。それは偽らざる本心で、お兄ちゃんと呼ばれることには欠片ほどの未練も無かった。ただ何か妙な罪悪感のような物があって、まともにリリオンの顔を見ることが出来なかった。

「呼ばないよ。ランタンは、ランタンなの。ね、ランタン」

 ちょっと拗ねたような顔になったランタンの頬をリリオンが面白がるように突いた。そんな二人のやりとりを見たテスが笑いを噛み殺し、砕けた笑い声が口元からわずかに零れた。

「くくく、兄妹(きょうだい)になったら、ま、色んな問題があるからな。――きっとね」

 意味深に呟いたテスにランタンが尋ねるような視線を向けたが、テスはただ笑うだけで答えなかった。

「でだ、可愛いリリオンが狙われた理由は残念ながら不明だ。お姉さまの、くふふ、慧眼(けいがん)に掛かってもな」

「……それはリリオンが可愛いからじゃないですか?」

「うむ、その可能性は大いにあるな」

 ランタンが至極真面目そうに言うとテスも同じようにして頷いた。リリオンは急に大人しくなって照れてもじもじとしている。ランタンは先ほど頬を突かれたお返しとばかりに、リリオンの脇腹をちょこんと突いた。

「ま、カルレロとバラクロフが繋がっているのは確実だ。バラクロフが糸を引いている、と言うのは予想でしかないが」

「では弓男を潰せばお終いですか?」

 バラクロフが言い辛そうだったので、ランタンは相変わらずそれを弓男と呼んだ。テスは頷く。

「さらに黒幕がいなければ、ね。だがバラクロフは手配はされていないんだ。それ自体の犯罪行為も確認が取れていない。貫衣の情報もないしな。カルレロ・ファミリーの誰か、それとも別の助っ人か」

 元探索者の伝でもあるのかカルレロ・ファミリーの顧客には探索者も居るらしい。

「それは、面倒ですね」

 探索者同士の私闘はギルド規定により禁止されていたはずだ。それが殆ど形骸化しているとはいえ職員であるテスが、ランタンと共に手配されていない探索者(バラクロフ)を殺害すると言うのはさすがに問題がある。そもそもギルド職員が特定の探索者を贔屓することも本来はあまり褒められたものではない、と言うのをランタンは今更ながら思い出した。

「そんな顔をするんじゃないよ、これは私が好きでやっていることだ。服務規程に趣味を制限するような文言はないしな」

 それに、とテスは獰猛に笑みを作る。

「現行犯の場合、私は私の裁量で自由に動けるんだ。これでも結構偉いんだよ、私」

「テスさんすごい!」

「くふふ、そうだろう。――お姉ちゃん、とは呼んでくれないのかい?」

 両手を叩いたリリオンにテスが誇らしげに笑い、誘惑するようにそっとリリオンに囁きかけた。リリオンはただ照れたように微笑み、ちらりとランタンを窺った。

「……」

「呼ばないからね」

「何にも言ってないよ」

 まるで釘を刺すようにリリオンが言うので、ランタンは憮然としながら冷たく返した。

「さてランタン」

「はい」

「そんなすごい私に、その隠している物があるだろう? 見せてごらん、ソファの脇に置いてあるそれを」

 凄味のある表情のままテスが指先で二度テーブルを叩いた。ランタンはぎくりとして、けれど観念したようにその用紙をテーブルの上に差し出した。それはまるで世話焼きの姉に赤点のテストを見せる弟のように。

 テスはその用紙、迷宮情報の記載されたそれを引き寄せて目を通した。

 探索者が探索をすることは当然のことだ。だがテスと司書が骨を折ってくれている間に、心の赴くままに探索の用意をすることはやはり少しばつが悪い。ランタンは用紙に目を通しているテスに言い訳をするように口を開いた。

「……実は、それで弓男を誘い出せるかと思いまして」

 前回の襲撃は探索後の疲労状態を狙われた。それならば探索を行えば、また再び襲撃があるのではないかとそう考えたのだ。今。

「私は自分の安全を最優先するように、と言ったはずなんだがな」

「いずれ襲撃はまたあるでしょう。それならば後手に回るよりは自分から仕掛けた方が気が楽です。――あまり後手に回るのは好きではないですし」

「やられる前にやる。私(ごの)みだよ。ランタンとは気があっていかんな」

 テスは用紙を脇にやって片肘を突いて拳に頬を乗せた。どうぞ、と促すようにランタンの申し開きを聞いている。ランタンは適当に言い訳をでっち上げそれを吐き出しながら、急速に唇が乾いてゆくのを感じた。嘘を吐いているわけではないが、状況としては似たもので、しかもそれはおそらく全てばれているという有様だ。

 上唇の右端がぱきりと音を立てて割れた。ランタンは滲んだ血をちろりと舐める。

「――それに探索者は、迷宮に降りてこそですし」

「ふむ、確かにそうだな。探索者に迷宮に行くなと言う方が野暮か、だが――この中難易度迷宮はさすがにどうかな」

「あ、それはリリオンが選んだ奴です」

「しー、ランタン。言っちゃダメよ」

 リリオンが目を付けた中難易度迷宮の用紙をテスはひらりと揺らした。それについてはランタンが既にリリオンに苦言を呈している。中難易度迷宮は攻略可能だが時と場合を選べ、と自分のことをすっかり棚に上げて。

 リリオンはテスからさらに説教されるのではないかと怯えて、抱きつくようにランタンの口を塞いだ。

「くふふ、その様子じゃ随分と叱られたみたいだな」

 ランタンの口を塞いだままリリオンはこくりと頷く。叱ったのは随分とではなく、少し、だったがリリオンはしっかりと反省していた。

 ランタンはいい加減苦しくなってリリオンの抱擁から抜け出した。今度は生命活動に酸素が必要であることを滔々(とうとう)と教えてやらなければならない。

「しかし、そうか。迷宮なら、いい物件があるぞ」

「ふぅ、探索していいんですか?」

「それが探索者なんだろ? それを私に止める権利はないよ。ただ、その後の戦闘に参加する権利は貰いたいがね」

 ここまで来たら遠慮する方が失礼だろう。ランタンは、ぜひよろしくお願いします、と頭を下げた。

「それで、その迷宮って」

「ああ、某探索班が探索に失敗してな。探索権が返された」

 返された、と言うことは自主返納であり、つまり探索に失敗しても未帰還にはならなかったと言うことだ。探索者が全員未帰還の場合には引き上げ屋(サベージャー)からギルドに報告が行き、そののち探索権が強制返納となる。探索権の返納された探索途中の迷宮は、大地図に再掲載される。

「最下層まで探索済み、最終目標(フラグ)も確認済みだ」

 探索権が自主返納されて再掲載された迷宮はある程度魔物が排除してあり、迷宮の地図もある。こうやって最終目標(フラグ)の情報まであることは稀ではあるが、けれど迷宮の情報が充実していることは探索者にとっては非常にありがたいことである。

「最下層から撤退ですか、それはそれですごいですね」

 それは最終目標、あの嵐熊(ストームベア)に尻を向けると言うことに他ならない。ランタンにはなかなか恐ろしくてそんなことは出来ない。

「ああ、全員帰還だよ。六名中死亡二、重傷一だがね」

「それは、立派ですね」

 ランタンは一瞬言葉に詰まって、吐き出すように呟いた。

 死亡した探索者を荷物になる、とそのまま迷宮に置いていくのは珍しい話ではない。場合によってはそうしなければ残った探索者を危険にさらすことになる可能性もあるからだ。

 だがやはり苦楽をともにした戦友を、たとえ骸となっていたとしても連れて帰りたいと思うのは人として当然のことで、その決断はどちらを取ったとしても間違いではないとランタンは思う。

 ランタンは今までその決断とは無縁だった。だが今はそれが無関係ではないのだと再認識させられて、思わずリリオンの手を握ってしまった。リリオンがまるで安心させるかのように手を握り返してくれる。

「でも、そんな迷宮ならもう借りられているんじゃないんですか?」

 再掲載された迷宮は、縁起が悪いと見向きもしない探索者もいるが、大抵はすぐに予約が入るほど探索者には好まれる。それは前述のように迷宮に対する情報が充実していると言うこともあるし、その失敗した探索者よりも実力が上だと喧伝するためだとか、またはそれを亡くなった探索者への弔いだという考えもある。

「まだ再掲載されてないからな」

「……それって教えちゃダメなやつですよね」

「事情が事情だからな、これぐらいは平気だろう」

 二人が黙っていればな、とテスは肩を竦めた。

「それでやるのか、やらないのか。どうする?」

 ランタンはリリオンに視線を向けた。リリオンはランタンに任せる、とでも言うように深く頷いた。ランタンは少し呻きながら、ソファの背もたれに背中を預けて伸びをするように天井を見つめた。天井に点在する埋め込まれた魔道光源に目を細めて、太く息を吐いた。

「やります、その迷宮を教えてください」

「くふふ、ああ、その迷宮はな――」


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