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カボチャ頭のランタン  作者: mm
14.Day By Days
325/518

325 迷宮

325


 猿を追って西へ西へと進む内に陽は沈んだ。

 樹海が燃えるかのような真っ赤な夕焼けはほんの一瞬のことで、あっという間に夜が来た。

 夜空が明るいのは星々が数えきれぬほどにあるからだ。

 見上げた空は砂金を敷き詰めたかのようだった。

 しかし地上は不思議と暗い。

 樹木の全てが影となってのし掛かってくる。

 空が赤らんでから開始した野営の準備はまったく終わっていない。

 焚き火は一握り残された夕焼けのようで、忙しなく動き回る三人の姿を照らしている。

 黄金の夜空に圧倒されてローサが無防備に喉を晒していた。

 半開きにした口からは驚きの声もなく、野営の準備を手伝うことも忘れて立ち竦んでいた。綺麗な虎目の瞳は、星空と同じ色をしていた。

 リリオンが苦笑し、声を出さずローサを指差した。

 ランタンは笑いそうになるのを堪えて、こっそりとローサに忍び寄った。小脇に挟んでいる天幕を抜き取った。乱暴に剥ぎ取ったとしてもローサは気付かなかったのではないだろうか。

 しばらくはこの夜空に、迷宮というものに浸らせてやろう。

 地上には存在しえぬような光景を迷宮は見せてくれることがある。どれほど恐ろしい目にあっても、再び探索者が迷宮へと向かう理由の一つだった。

 迷宮には掛け値なしに素晴らしいものがある。迷宮にも掛け値なしに素晴らしいものがあるのだ。

 猿を追いかけた先にそれはあるだろうか。

 猿は夕焼けの中に消えてしまった。獣系の魔物ではなく、木の精霊か何かだったのかもしれない。

「……背が足らないな」

 ランタンは日除け雨除けの布を抱えながら小さく、ほんの小さく呟いた。

 リリオンさえ聞いてない声をガーランドが聞いている。

 ローサからランタンへ、ランタンからガーランドへと天幕は移り、ガーランドは触手を器用に使って四辺に渡したロープで巨木に結びつける。この天幕ならリリオンでも腰を屈める必要はないだろう。

 見上げて眠るには星が明るすぎる。

 手隙になったランタンは戦鎚の先を焚き火の中に突っ込んだ。

 糸を巻き取るように三度回し、戦鎚を引き抜くと先端には炎が絡んでいる。ランタンは足元を照らしながら野営地の外周を見て回った。

 昼中は生命の気配に溢れていたが、夜の樹海は不気味なほどに静まりかえっている。鳥の囀り一つ、虫の鳴き声一つ耳に届かない。

 結局、魔物とは遭遇しなかった。しかしそれは魔物が存在しないことにはならない。

 弱く吹いた風が木の枝を微かに揺らす。遥か頭上に覆い被さる枝葉の影が足元で蠢く。

 念のための鳴子と虫除けの香を焚いた小鉢を五つで野営地を囲んだ

 ぼうっとした赤い火種が呼吸をするように明るくなったり暗くなったりする。

 流れ出る紫煙が風の向きを可視化した。木々の合間をすり抜ける風は複雑な動きをしている。

 ランタンは足元の石を拾い、闇の濃いところへと投げ付けた。何がいるわけでもない。

 ランタンはリリオンのもとへと戻った。闇の中を這う木の根に脚をとられそうになる。そのつもりは勿論ないが、夜の迷宮を進むことは諦めた方がいいだろう。

 焚き火に鍋が掛けてある。二人だけの迷宮探索ではとても持ってくる気にならなかった大きな鍋だ。丸い鍋底に焚き火の炎が押し潰される。

 星空に心を奪われていたローサを現実に引き戻したのは、食欲をそそる香りだった。

「カレーのにおい!」

 ほんの数歩の距離を全速で駆けて、ローサは顔を洗うかのように鍋を覗き込んだ。

 鮮やかな山吹色のカレーだった。どろどろとよく煮込まれていて、溶岩のようにぽこぽこと沸騰している。刺激的な香りの湯気を胸に吸い込んだローサはさっそく額に汗を浮かべた。

「わあ、いいにおい!」

「こら、よだれよだれ!」

 ランタンはローサの襟首を引っ張って、垂れる涎を乱暴に拭う。

「変な隠し味を入れるんじゃない。まったく」

「うふふ、隠し味はもう入れてあるわよ」

「……なに入れたの?」

「あら、教えちゃったら隠し味にならないじゃない。ほら、ローサは食器並べなさい。お手伝いしてくれるんでしょう?」

 ローサはようやくきょろきょろと星空以外に目を向けて、自分がやるべき仕事を兄姉やガーランドが代わりにやってくれたことに気が付いた。

 慌てて荷台から食器を取り出して、焚き火の回りに並べた。

「ほかにおてつだいある? ローサがあじみしようか」

「味見したいだけでしょ。火傷しないようにね」

 リリオンにふうふうと冷ましてもらった味見の一匙をローサは舐めるように口に含んだ。

「んー!」

 目を丸く見開いて、口角を吊り上げる。

 リリオンは仕上げにバターを一欠片溶かし入れ、あらかじめ湯で戻した芋餅をカレー鍋の中に入れた。

 焚き火の灰の中に埋めておいたパンを引っ張り出し、皆に配った。出来上がったカレーを焚き火から外し、一瓶の蜂蜜酒を四人で均等に分ける。焚き火の縁に串に刺した塩漬け肉を並べる。

 リリオンとローサがランタンを見た。

「食事中も気を抜かないように。――いただきます」

 迷宮の食事が始まった。

 カレーを一口食べると汗が噴き出した。唐辛子の辛さと言うよりは、生姜のようなひりりとくる辛さが刺激的なカレーだった。柑橘系の酸味があって、樹海の蒸し暑さとは異なる爽やかな汗が噴き出す。汗と一緒に探索の疲労が流れ出すようだ。

「美味い」

 ランタンが口にするとリリオンは喜ぶ。

 最後に入れた芋餅は表面がぬるりと溶け出しカレーとよく絡み、噛むともちもちとして中にはチーズが隠されていた。

 甘い灰パンと蜂蜜酒で痺れる口を癒し、遠火に炙られた串焼きにかぶりつく。

 嵐のような食事である。ガーランドは皿に肉の串を常に一本分確保していたし、ローサは口いっぱいにカレーを掻き込むやそれを呑み込まぬうちにおかわりを遠慮なくよそってゆく。

 大鍋があっという間に空になる。

 リリオンは鍋に水を入れ、こびり付いたカレーを丁寧に溶いてゆく。再び火にかけ、一握りの生米を四人分鍋に入れた。カレー粥だった。塩で味を調える。

「はやく食べてもおかわりはないわ。ゆっくり食べなさい」

 大鍋を空にした時間と同じだけの時間をかけて、少量の粥を味わった。

「ローサのおかげで、飯には困らないな」

「そうね。前は小っちゃいお鍋で作るしかなかったものね」

 荷車のおかげで持ち運べる荷物の量は圧倒的に増えた。今までほとんど最低限しか持ち込まなかった食料は、しばらく迷宮で暮らせるほどある。やや過分であると自覚はあるが足らなくなるよりもましだ。

 荷車有りの探索はほとんど経験がない。これから迷宮探索をしながら、適正量を探っていくことになるだろう。

 満腹でごろりと横になっていたローサがのっそりと起き上がった。

「ローサおやくにたててる?」

「立ってるよ。ローサのおかげで腹一杯だ」

 ランタンが言うとローサは目を糸みたいに細めてにんまりと笑った。細めた目が眠たげに瞬く。

「寝る前に汗だけ拭いておけ、風邪引くから。――ガーランドやってあげて」

 樹海の夜は冷えた。

 湿度が夜の冷気に染まり、影だ影だと思っていたのはもしかしたら黒い靄なのかもしれない。

 カレーのおかげでまだの芯はまだぽかぽかしているが、汗に濡れた肌着はやがて体温を奪っていくだろう。

 ガーランドがローサを裸に剥いて汗を拭ってやる。ローサは半分眠りながら礼を言い、今度は自分がガーランドを脱がせにかかった。そしてランタンの身体はリリオンが、リリオンの身体はランタンが互いに拭い合う。

 焚き火の横で腹ばいになって、ローサは自覚するよりも疲れているのだろうさっそく寝息を立てている。

「じゃあ予定通りに」

 夜番は三人で順番に行う。

 最初はガーランド、次にランタン、そしてリリオンの順である。

 ガーランドとリリオンは二時間ずつ、そして間のランタンは三時間の夜番となる。

 ガーランドは剥き出しのまま傍らに並べた二振りの曲刀の一つを手にすると、探索中に拾い集めた枯れ木を削り、焚き火の中にくべてゆく。枯れ木の内に潜んでいた丸々とした太い幼虫を見つけると、それも問答無用に火の中に放り込んだ。

 時計を見て頷く。

「よろしく。僕を起こす時、リリオンとローサを起こさないようにね」

「わかっている」

 ランタンとリリオンはローサを枕にした。

 背中を向けたランタンにリリオンがしっかりと抱きつく。

 それを見たガーランドが、焚き火に向かって呟く。

「起こさないように、か」

 欠伸のような、溜め息のような呟きである。




 朝になり再び猿が現れた。

 明らかに誘っている。捕まえるには遠いが、見失うほどではない。微妙な距離に己の姿を晒していた。

 樹上から降りてきたガーランドがランタンに伝える。

「どうする?」

「飯が優先だな。それほど気にしなくていい」

 二時間、二時間のぶつ切りの睡眠にランタンは大きな欠伸をした。疲れはほとんどないがやはり眠い。

 野営地の撤収はもうほとんど済んでいる。ランタンはスープが煮えるのを待っているだけで、起きた時にはリリオンたちが準備を済ませてくれていた。

 スープはリリオンが見張りをしている間から煮込まれたものだ。ぶつ切りにした老鶏の干物はすでに骨から肉が離れていた。昨日は煮た芋餅を平べったく潰し、たっぷりのバターで揚げ焼きにする。

 焦げ付かぬようにランタンは時折、思い出したようにひっくり返した。

 綺麗な焦げ目が付いている。ランタンはこっそり一つ食べた。外はカリカリになって、中のチーズが長く糸を引く。

「ん、うまい」

「あー、つまみぐいした!」

「味見だよ。手伝いだ」

 ローサが羨ましそうに叫んだ。ローサも元気だった。昨日は戦闘がなかったので、もっとも重労働だったのは実は運び屋のローサである。

 今にもランタンの方へと駆け寄りたそうにするが、リリオンの表情を窺う。ローサはきっちりと畳んだ天幕を荷車に積んだ。手伝いの途中である。

 リリオンが塩だけでスープの味を調え、朝食を摂りながら行動方針を決める。

「今日も追うのか?」

「おさる?」

「うんそう。――ああ、上から見て、他に気になるものはあった?」

「……多少の違和感はあった。景色が違うかもしれんが、どこが違うとは言えない」

「上から見たのはほとんど夜だったからな。しょうがないな」

「だが、多いというよりは足らん感じがした」

 ランタンは鶏の軟骨を朝の樹海に向かって吐き出した。猿が寄ってくるかと思ったがそんなことはない。

「今日の夜までになにもなかったら帰還だな。日没は七時半ぐらいだったか。行動猶予はあと十三時間。休憩は戦闘なしなら午前午後で一度ずつ、昼飯は十二時、いけそうなら速度を上げる。行動終了予定は七時。いいだろうか?」

 尋ねたのは形だけだった。ほとんど有無を言わぬ口ぶりでランタンが告げた。

 迷宮での行動の正しさを裏付けるものは、迷宮内に存在しない。

 正しさは常に地上に戻った探索者の姿にだけ存在した。指揮者は経験と感覚を頼りにするしかない。そしてそのような不確実なものだけを頼りに、他者の命に責任を持たなければならないのは大変なことだった。もちろん他人の命だからこそ、そんなものは知ったことではないという指揮者もいる。

 そしてその両者のどちらにも、優れた指揮官とそうでない指揮官が存在するのだった。

 最後の芋餅をローサにゆずって出発である。

 猿を追えばやや蛇行するものの、やはり進行方向は西だった。

 昨日との違いは生命の気配の稀薄さである。朝昼は賑やかで夜は静か。そういうものかと思っていたがそうではない。今日は朝から静かだった。

「ねえ、あめふるかもしれない」

 昼休憩を終え。再び進み出すと最後尾のローサがふいにそう言った。ランタンは立ち止まり振り返る。

「雨?」

「うん、あめのひのにおいがする」

 ランタンとリリオンが同時に鼻をひくつかせた。じめっとした、むしむしした、夏の緑の匂いが濃いばかりだ。しかしローサの嗅覚は馬鹿にできない。

 リリオンはそれから空を見上げる。頭上を覆う枝葉の隙間から覗く空は抜けるように青い。雨など降りそうもない晴天だった。

「雨の日の匂いか。土っぽい匂いってことか?」

「うん、うーん、うん……? うーん……?」

 ローサはうまく言語化できないようで、右に左に首を捻る。ローサに寄りそうガーランドは腰を屈め、足元の土を掘り返した。堆積した腐葉土のその下にある土は湿っているが、濡れていると言うほどではない。握っても塊にならず、もろもろと崩れる。

「この匂いか?」

「にてる。でももっとべちゃべちゃしたにおいだよ。どろみたいな」

「泥か。リリオン、ガーランド、猿の位置を確認。僕は上に行く」

 迷宮探索の指針が猿一匹しかない今、ローサの意見は貴重だった。他の誰にも感じられぬ水の気配をローサは察している。迷宮の魔精に当てられて、幻臭を嗅いでいるわけでもないだろう。

 ランタンは握力にものを言わせて、ほとんど腕の力だけで巨木を登った。

「さて、なんかあるか。雨雲はなし、川の位置に変化もなし、――鳥の群れ。あれは逃げてるのか?」

 朱色の鳥が無数に、遠くの樹上から空に飛び立った。まるで樹海が血を吹いたようだった。忙しない羽ばたきと、行く先の知れぬ旋回を繰り返している。鳥たちが羽根を休めていたのだろう辺りの木々が、前触れもなく一斉に傾ぎ、樹海の内に呑み込まれる。

「切り倒された……、にしては変だ」

 がさがさと枝葉の揺れる音だけが、はっきりと聞こえる。倒れると言うよりは沈むような。

 目を皿にそれを見ていると、混乱していた鳥たちがこちらに向かっていることに気が付いた。鶴と鴨の合いの子のような鳥だった。もう目の前に数十もいる。ランタンは咄嗟に腕を交差させる。羽ばたきの巻き起こす風が巨木を揺らし、翼の先がランタンの身体をくすぐるように打つ。

 ランタンは風に煽られて木から落下した。

 見上げていた三人が、あ、と口を丸くする。ランタンは猫のように着地した。

「――なんか、よくないものがある」

 ランタンが言うやいやな、ガーランドが木に登った。ローサは空から降ってきた赤い鳥の羽を拾い集める。

「なにがあったの?」

「木が急に倒れた。範囲的には半径百メートル以上。魔物の仕業だとしたらかなりの大物だ」

「雨の匂いの魔物かしら?」

「雨の匂いの元である可能性は高い。ローサ」

 ローサは拾った鳥の羽の匂いを嗅いでいる。鼻をむずむずさせて、くしゃみをした。

「雨の匂いは、――それか?」

「んーん、ちがう」

 ローサは鼻を擦りながら言う。

「ちかづいてくるよ」

「ほんと? ローサ」

「ほんとだよ、おねーちゃん」

 預言者のように確信めいて呟いた妹の言葉にランタンは顔を顰める。数十メートルはあろうという樹木が沈んだ。その原因が近付いてくる。

 ガーランドがランタンの横に降り立った。

「どうだ?」

「穴はある。だが静かなものだ」

「近付いてくるそうだ。ローサがそう言っている」

「お猿さんは私たちを、それと引き合わせようとしたのかしら?」

 なんのために、と言う言葉をランタンは呑み込んだ。

 選択肢は四つ。

 ここに留まり、何かが来るのを待つ。

 進んで自ら会いに行く。

 来た道を戻る。

 北か南へ進路をずらし、それとすれ違う。

「……確かに雨の匂いね」

 リリオンがローサと同じものを感じ取ったようだった。あまり考え込む時間はないようだ。

「――ローサ、走れるか?」

 ランタンが尋ねると、ローサは頼もしく頷いた。

「進路を南西に取る。すれ違うにしても、それがなにかは見たい。ガーランド、これ持って」

 ランタンは遠話結晶を渡した。迷宮内での感度は低いが、樹高程度の距離ならば問題はない。

「観測しながら僕らに指示をくれ。邪魔なものは僕が蹴散らす。最短距離で進む。ローサは僕の後ろを付いてこい。リリオンは荷台に」

 ランタンは樹海を先行した。

 邪魔になる枝を打ち払い、瘤のように盛り上がった木の根を叩き潰す。荷車の車幅の道を的確に選び、幅の足らないところは戦鎚の一振りで幹を抉った。

 ローサは十メートルほど遅れてランタンの背中を追っていた。犬のように速い呼吸を繰り返す。最低限の障害物を排除しただけなので、荷車は段差に大きく跳ねる。

 ともすれば横転しかねないそれを、リリオンが全身を使って抑え込んだ。

 遠話結晶が声を発する。

「出たぞ。何かはわからんが、お前の言う通り木を呑み込む。進路はもっと南寄りにしろ。でなければ我々も危うい。東に下っているが、突如現れ突如消えるという感じだ」

「魔物か? 現象か?」

「わからん」

 かなりの速度で樹海を南進しているというのに、ランタンの鼻にも雨の日の匂いが感じられるようになった。近付いている。かなり足が早い。

「ランタンっ!」

 背後からリリオンの叫びが聞こえる。ランタンは振り返る。どうにもならぬほど荷車が跳ねていた。このようになるような障害物は砕いているはずだった。

 猿がいた。ランタンが通り過ぎた進路上に丸太を滑り込ませたのだ。

「速度落とせっ、でも止まるな!」

 相反するようなランタンの命令をローサは実行した。

 速過ぎれば浮いた荷車が引っ張られローサに突っ込む。しかし止まればやはり浮いた荷車がローサに降ってくるだろう。ランタンは荷車の下に滑り込み、その後端に戦鎚を引っ掛けて逆方向に引っ張った。

 進もうとするローサが逆に引きずられるほどの力である。

「――ローサ、止まっていいわ」

 ランタンは猿を探したが、既に姿を隠している。

「どうした?」

「邪魔が入った。この位置はやばいか?」

 ガーランドが返事の代わりに降りてくる。そしてそのまま地面に耳を付けた。

「動くな。十秒でいい」

 その十秒をランタンたちは呼吸も止めた。

「ここではだめだ。付いてこい」

 根拠を尋ねなかった。ランタンとリリオンが荷台に乗り、猿を警戒する。先程よりも速度を落として、ガーランドの背中をローサが追った。南東に進んでいる。

「この辺りならいいはずだ」

 それが目印というわけでもないだろう。隙間なく苔に覆われた巨岩の麓でガーランドは立ち止まった。

「念のため上にあがるか?」

「そのほうがいいかもしれない」

 ランタンが戦鎚で木をへし折って、巨岩に立てかける。斜めのそれを伝って巨岩の上に荷車ごと上がった。

 一息付いてようやく尋ねる。

「なんでここは大丈夫なんだ?」

「水脈から外れている。あれは水脈上を移動しているように思う」

 雨の匂いが濃くなった。いや、これは濡れた土の匂いだ。

 いや、もっとどろどろとした。

「……おねーちゃん」

「大丈夫よ」

 ローサが本能的にリリオンに縋り付いた。

 ほんの数十メートル先で突如、木々が傾ぎ沼に沈んだ。

 それは沼だった。

 巨岩の間近まで、気付けば沼地になっている。

 どろどろの深緑の中に、樹高数十メートルはあろうかという木々が呑み込まれる。底なし沼なのかもしれない。

「移動する沼地? なんだこれ、魔物か?」

 さすがにランタンもちょっかいをかけようと言う気が起きない。

「ランタン、あれ――」

 リリオンが苦々しく呟き、沼の縁外ぎりぎりに残った木々を指差した。

 そこには猿がいる。一匹ではない。数えきれぬほどの猿が樹上におり、それらが一斉に沼に向かって岩や折った枝を投げ付け始めた。

「ローサ、大人しく見てな。約束できるか」

「やくそくする」

 ランタンの言葉にローサは頷いた。

「よし、――戦闘用意!」

 リリオンが大剣を、ガーランドが曲刀を抜く。

 ランタンは手にした戦鎚をくるりと回した。

 沼地がぶくぶくと泡立つ。

 沼の深緑がゆっくりと迫り上がる。

「さあ、やるか」



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