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カボチャ頭のランタン  作者: mm
14.Day By Days
324/518

324 迷宮

324


 夏の樹海は蒸し暑かった。

 木漏れ日がまるで赤く燃えた剣かのように肌を炙った。時折湧く霧は蒸気のようで、肌を濡らしたものは汗なのか湿気が結露したものなのか区別がつかない。

 木の根の盛り上がりに足を取られ車輪を取られ、ローサに失った夏を取り戻させてやろうとした兄心を少し後悔しはじめた最初の小休憩である。

 意外な才能を発揮したのはガーランドだった。

 いや、それは才能ではないのかもしれない。それは彼女が海で生存するために必要な能力だった。

 従来の閉鎖環境の迷宮と異なって、開放型迷宮では自分の位置を容易に見失う。

 前者ではそれを知る必要もなかったが、後者で自分の位置を見失えば最悪、永久に迷宮を彷徨うことになる。

 それは魔物に食い殺されて未帰還となるよりも、もしかしたら残酷なことだった。

 開放型迷宮の探索方法はまだ確立されていない。

 多くの探索者が文字通り探り探りこれを探索している。酒場や広場では探索者同士の意見交換が盛んに交わされていた。

 開放型迷宮の探索を行ったことがある探索者は、これは一種の旅であると言う。

 地図無き旅だ。

 山野を駆ける猟師や海原を行く船乗り、また街から街へと移り行く行商人上がりの探索者が黄金のような価値を持って、様々な探索団から請われるのも無理はないことだった。

 ガーランドは海に暮らしていた。名もなき孤島や岩壁の(うろ)を住処とし、軍船を襲撃して生計を立てる海賊生活をしていたのである。そんな生活の中では数日も海原を漂うことは珍しくもなかった。なぜか彼女の肉体はくらげと融合している。

 四方に水平線しか見えぬような海原と比べれば、樹海など目印とするべきものがありすぎるぐらいだった。

 頭上を覆う木々の梢まで登って背後を振り返れば、懐に鍾乳洞を抱える岩壁を確認することもできる。その位置さえ確認していれば、帰還不能になることはまずないだろう。

 しかし進むためにはもっと正確な位置の把握が必要になる。

 樹海の高さは、まるで巨大な鎌で一払いしたかのように一律だった。

 けれど幾つか飛び抜けている巨大樹もあった。ランタンの目にはどれも似たようなものであるが、ガーランドがこれまで目印にしてきた夜空の星々と比べれば、そのどれもが固有の特徴を有していた。

「ふうん」

 ガーランドが樹木に詳しいわけでも、とりわけ目が良いわけでもない。必要な情報の取捨選択が身に染みているだけだ。これは単純に経験値の差なのだろう。

 二人してするすると木から降り、ランタンは白地図への描き込みをガーランドに命じた。

「面倒だ」

 ガーランドは隠そうともせずに嫌がった。自分一人が理解していればそれで充分だろうと思っているのだ。それに地図など描いたことはない。その必要がなかった。何故わざわざ手間をかけるのか、とペンを指の間で器用に回転させている。

 白地図にペン先からインクが跳ねて点々と汚した。

「僕の言うことは絶対服従、――って言っちゃえば楽なんだけどな。地図を描いてもらう理由は、僕らが探索を共にする仲間だからだよ」

 ランタンは額の汗を拭い、水筒から水を一口飲む。口を濯ぐみたいに、口内を充分湿らせてそれを飲み込んだ。

「その半透明の髪の毛みたいに、ガーランドの頭の中を透かしてみられたらいいんだけどそうはいかないからな」

 ランタンはガーランドの弱点である、ローサを振り返った。

「ローサだって自分が今どんなところを歩いていて、どんな道のりを歩いてきたか知りたいだろ?」

「うん、しりたい」

 ローサはよくわかっていなさそうな無邪気な顔で頷いた。

「不安なんだよ。自分の居場所を知らないって言うのは。だから教えて、僕らを助けてくれないか?」

 ランタンがローサに感化されたように素直に言うと、ガーランドは渋々といった様子で白地図に染みたインクを出発点、鍾乳洞の出口として、もう一度するりと木に登った。幾つか目印となる木々の場所を描き込んでいる。

「僕も覚えないとなあ。三角測量とかいうのがあるってのは知ってるけど……」

 ランタンはガーランドを見上げ、やや不安げに呟く。誰に教えられたわけでもなくそれらしき知識はあるが、それは不完全なことも多かったし、完全なものだったとしても再現できないものも珍しくはなかった。

「リリオンはどう? 地図とか」

「わたしは、あんまし」

 ローサの汗を拭ってやりながら、リリオンが応える。

「わたしもできた方がいいわよね。お勉強しないとダメね」

「そりゃできた方がいいだろうけど、いや、そうじゃなくて。ほら、リリオンってティルナバンまで歩いてきたわけだろ? だから意外と地図いけるのかなって」

 リリオンは幼いながらに極北の地から迷宮都市ティルナバンを踏破したのである。

 リリオンは懐かしそうに微笑んだ。

「……闇雲に歩いてきた訳じゃないよね」

 ランタンはむしろそうあってほしいというようにリリオンに尋ねた。リリオンは古い記憶を思い出すようにゆっくりと首を傾げる。

「ティルナバンって街に迷宮が沢山あるっていうのは知っていたわ。ティルナバンが東の方にあるっていうことも知っていたし、それにお日様が東から昇るっていうことも知っていたのよ」

「……」

「それで充分じゃないかしら? そうしたらランタンに会えたもの。めでたしめでたしね」

 うふふふふ、とリリオンは口元を隠し、冗談なのか本気なのか自慢げに胸を張って、つんと鼻を上向けた。

 ランタンは改めてリリオンと出会えたことの幸運を思った。

 幸運や偶然を運命と呼び替えたくなる気持ちが理解できた。

 一直線にティルナバンに辿り着いたわけではないのはよく知っている。ランタンが実際目にしたのは、リリオンの旅路の最後の最後だけだった。少女の旅は、あるいはランタンが一人で攻略した迷宮の総延長に匹敵するものだった。

 ランタンは手を伸ばして、高々になっているリリオンの鼻を抓んだ。危ないことをするな、と幼い子供を叱るみたいだった。

「びゃ! なに、なにするのよ!」

 リリオンは目を丸くして鼻声で驚く。

「嬉しくてつい。無事に僕んところに来てくれてよかったよ」

 ランタンがほっと胸を撫で下ろし、リリオンが赤くなった鼻を照れくさそうに撫でる。

 その間でローサが兄姉の顔を不思議そうに見比べた。

 ガーランドが降りてきて、四人で空白だらけの地図を囲んだ。

 とりあえず鍾乳洞から真っ直ぐにつき進んできたつもりだったが、思いがけず斜行している。

 荷車のために木の根や泥濘を避けたりしている内に、方向がずれたのだろう。ずれた分だけ修正しているつもりだったが、やはり路がないというのは大変なことだった。

 四人は再び歩き始める。

 樹海の緑は深く、どことなく原始的な気配が漂っている。周囲を取り囲む木々はどれも大きく太く、苔や蔦がびっしりと絡みついていた。

 何だかべたべたする粘液を出している花や、触れると葉を閉じる食虫植物も存在しており、さっそくローサが尻尾を挟まれていた。

「たべられちゃった」

 するりと引っこ抜く。小動物には危険でも、大型哺乳類には無力な植物である。

 こういう植物系魔物も存在したが、これはただの迷宮植物である。

 葉の内側に生えた突起は葉を閉じるための感覚器であり牙ではない。粘液はもしかしたらかぶれるかもしれないが、それだけだ。触れたそばから肌を溶かすようなことはない。蔦が意思を持って積極的に首を吊りにくることもなかった。

 頭上からぴぴぴぴと鳥の鳴き声が聞こえたり、どこからか草を掻き分けるような足音が聞こえる。気が付けば服に蟻が這っていたり、露出した肌に蛭が吸い付いていたりする。

 生命の気配は濃いが、しかし魔物との遭遇はまだ一度もなかった。それらは魔物と呼ぶには無力すぎた。

 閉鎖型迷宮と開放型迷宮の違いは幾つもあり、魔物の在り方もその一つだ。

 閉鎖型迷宮に出現する魔物は探索者を見ればこれに襲いかかるが、開放型迷宮に出現する魔物はその限りではない。襲ってくることもあれば、ただじっと見つめてくることもあり、逃げ出すこともあった。

 そしてその違いは、探索者にとるべき行動の選択を迫った。

 閉鎖型迷宮では探索者は魔物と遭遇すればこれと戦うか、迷宮から撤退するかの二択となる。そして撤退の選択は、戦いの回避を意味しなかった。

 探索者が魔物を発見した時、魔物も探索者を発見していることは珍しくなかった。

 撤退戦である。全滅を回避するために、一人二人が犠牲になることは珍しくない。隠れる場所のない閉鎖型迷宮の摂理だった。もともと勝てないと判断したからこそ犠牲を覚悟して撤退を選択する。

 しかし開放型迷宮では取れる選択肢が増える。

 魔物を発見しても、戦いを避けることができた。うろうろする魔物をやり過ごしたり、これを迂回して先に進んだりすることができる。追われたとしても隠れる場所も沢山あった。

 けれど魔物という脅威を排除しないという選択を、探索者はなかなか取れない。戦うことは当たり前のことだった。

 倒してしまえば一先ずの脅威は排除される。見逃してしまえば、もしかしたら背後から襲われるかもしれない恐怖がずっとついて回る。しかし戦闘は探索において最も探索者を消耗させる。実際に死の危険もある。

 悩ましいところである。

 現実の旅において魔物となる存在は野盗の類いだった。そして野盗に積極的に喧嘩を売りに行く行商はいない。護衛を雇うのは野盗を排除するためではなく、実際に危険に遭遇した際の備えだった。

 危険からはできるだけ遠ざかることが旅の肝要だ。

 それは開放型迷宮に通じる教えである。

 閉鎖型と違い、開放型迷宮には遠ざかるための空間(よゆう)があるのだから。

 そしてそのためにはまず魔物がこちらに気付くよりも先に、こちらが魔物に気付くことが必要だった。

 この四人の内、もっとも索敵能力に優れているのはローサだった。

 少女の頭上に突き出た虎の耳は樹海内の様々な音をよく集めた。しかしその集音能力も上手く運用できなければ意味がない。

 ローサはまだ探索者としてはよちよち歩きの赤ん坊に等しい。探索者見習いの運び屋である。それらの音のどれを無視してよくて、どれに気をつけるべきかをまだ知らなかった。様々な音に興味を示すことでむしろ気がそぞろになっている。

「あっちからあしおとがきこえるよ」

「それはどんな足音?」

「どどどどどって」

「近付いてくる?」

「――ううん」

「じゃあ無視していい」

「うん」

 その足音は猪のような魔物だろうか。しかし近付いてこないのならば放っておいてよいだろう。

 以前の迷宮での出来事はローサの心の傷になっている。まだかさぶたの状態だった。興味と怯えは半分半分。音のする方を、それからもきょろきょろと振り返った。

 ぴぃ、と笛を吹いたように鳥が鳴いた。頭上を木々の深緑よりも鮮やかな、宝石のような緑色をした小鳥が群れをなして西へ向かった。

 ランタンたちも西へ進んでいる。

 そちらに何があるとわかっているわけではない。探索者の勘の赴くままに進んでいるだけだった。

 今はまだ。

 開放型迷宮でもそれが迷宮である以上、最終目標を内包する最下層が存在する。

 そしてそこは探索者を常に招くのだった。

 もちろん勘が空振りすることはある。だが迷宮内にある違和感を辿っていけば、最下層に着く可能性が高いというのが現時点での探索者たちの共通見解だった。

 例えばこのような迷宮であれば謎の遺跡があればだいたい最終目標が存在している、あるいは他の木々を圧倒するような超巨大樹や、逆に雑草一つ生えない開けた土地などもその可能性が高かった。

 迷宮はあるいはやはり探索者に、人間に探索されるために存在しているのかもしれない、とランタンは思う。都合のいい思い込みかもしれない。探索者はみな、大なり小なりそのようなことを思っている。

「変なの()ってるな」

「くだもの、かしら?」

 幹の表面に濃い赤紫の実がびっしりと実っている。胡桃(くるみ)ほどの大きさで、葡萄とすももの中間のような見た目をしている。

 リリオンがその一つをもいだ。親人中の三指でつまみ、くるりと捻る。表面には天然の酵母だろう白い粉が付着しており、もいだ断面からは紫色の汁が、幹の方からは白い樹液が滴っている。

「美味しそうな匂いがしてるわ」

「ローサもみたい、ローサもみたい! ねえ、たべられる? たべていい?」

「ダメよ。ねえ?」

「いけそうだけど、やめておいた方が無難だな」

 甘い匂いは、いかにも瑞々しくて美味そうだった。

 探索者の勘としては、たぶん食べられないことはないだろうと思う。だがそれをしてローサに迷宮探索を勘違いさせては意味がない。食料は充分に持ってきているのだ。

 半分に切断すると小さな種が幾つも埋まっている。見た目はやはり葡萄のようだ。瑞々しい。狩猟刀を汚した果汁を拭うと、刃が黒ずんでいるのがわかった。

「匂いは甘いけど、これは渋いかもしれない。どっちにしろ食わない方がいい」

 それを見たランタンがそう教える。

「ふうん」

 ローサはつまんないと言った感じに頷く。

 種をほじくり返して小瓶に納め、実の方は捨てた。それにはやがて蟻などの昆虫が群がるかもしれないが、しかしそれは食用になることを意味しなかった。

「さあ、進むぞ」

 迷宮にはそういう幹に実を付ける植物が幾つもあった。この迷宮樹海の植物がそうであるだけかもしれないし、現実世界においても幹に実のなる植物はランタンが知らないだけで存在するのかもしれなかった。

 それから昼食のための大休憩と小休憩を二度取った。

 しかたのないこととは言え閉鎖型迷宮と比べると時間に対する進行距離は少ない。開放型迷宮には大中小の区分がなかった。進んだ距離を知ることが、探索それ自体の進行度と結びつかなかった。

 それに何よりも魔物との遭遇がないことが気がかりだ。

「いいことじゃない、戦わなく済むのなら」

 リリオンが探索食の焼き固めたビスケットを囓りながら言う。

「まあ、そりゃそうなんだけど。どうしても違和感が」

 ランタンは軽く握った拳で、己の頭を二度叩いた。どうにも頭が硬いのだろう。開放型迷宮はそういうものだとわかっていても、これほどの時間を迷宮で過ごしながら魔物と遭遇しないことがどうにも気になる。

「ガーランド」

「なんだ?」

「海ではどうだった? 魔物」

 不味そうに探索食をばりばりと噛み砕いていたガーランドは眉間に皺を寄せる。

「海は広い」

「知ってるよ。広くて大きいんでしょ」

「魔物は出るが、出会うことは稀だ。軍船だって、そこを通ることを知らなければ襲うこともできなかっただろう」

 海底にも迷宮は発生する。しかし発生した瞬間に大量の海水が迷宮口から流れ込んで、海は迷宮を窒息させてしまう。

 だがその迷宮が水棲系迷宮や物質系迷宮である場合は、海水を通じて魔物が迷宮外へと進出する。年間どれほどの迷宮が海底に発生し、どれほどの魔物が海中に放たれているのかを知らないが、既に海中に魔物は根付いていた。

 海中の生態系は魔物を取り込んで成立している。

 水竜や大海蛇は鯨さえ餌にしているし、魚人は漁師と縄張り争いをすることもあるし、不死系魔物である幽霊船に商船が襲われることもあった。

 美しい魚人の娘と若い漁師が恋に落ちる物語もあれば、間違って幽霊船に乗り込んだ船乗りが幽霊の真似をしてどうにか船旅をやり過ごす滑稽話もあった。

「じゃあこれは普通か」

「まだ半日も経っていないだろう。一日中海を泳いで、魔物にも軍船にも出会わぬことは珍しくない。戦いに飢えているのか?」

「人を魔物みたいに」

 ランタンはもっと不味そうに探索食を噛み砕いた。まるでひとつまみの塩を混ぜただけの砂の塊である。

 このような粗食をせずに済む程度には稼いでいるが、どうしてかランタンに限らず探索者はこれを購入してしまうのである。

 新人の頃、金が無くしかたなしに購入する最も安価な探索食は探索者たちの憎悪の対象だった。これを食わずに済むようになるために探索を頑張るのである。しかし稼げるようになってからも、まあ一個ぐらいは、と手が伸びるのだ。そして後悔する。

 ローサはそれを美味いでも不味いでもなく、小難しい顔をして咀嚼している。まったく水分がないので、いつ飲み込んでいいのかわからない。そのタイミングを図っているのかもしれないし、何故自分はこのようなものを頬張っているのかと哲学的なことを考えているのかもしれない。

「ほら、お水飲みなさい。無理に飲み込もうとすると窒息しちゃうわよ」

 リリオンの手ずから、乳を吸うみたいにローサが水筒に口を付ける。

「魔物は」

「ん?」

「魔物はたたかいにうえているの?」

 ローサはひどく真面目な顔をしてランタンに尋ねた。

「うーん、飢えているかはどうかはわからないけど、好戦的ではあると思う。それなりに。ローサだって穴だらけにされただろ?」

「……うん」

 魔物と他の動物の区別として血が青いこと以外に、人間に対する攻撃性があげられた。

 魔物とはそういうものだ、と誰もが思っているし、概ねその通りだった。しかしどのような理由で襲いかかってくるのかは、誰も知らない。

「ローサは今回は見てるだけ。魔物と戦いたいか?」

 ローサが掌の皮をやぶり、たこを作り、素振りをし続けたのは魔物と戦うためだろうか。そこには憧れの存在があった。巨人族との一戦。あの日あの時のリリオンである。

 戦いを求めたわけではなかった。

 しかしローサは頷くでも首を横に振るでもなかった。応えあぐねて首を傾げる。

 ランタンは小さく微笑んだ。頭を撫でてやる。

「それでいいよ。でも必要な時に戦えるようにはなっておこうな。なんせ探索者だ」

「うん」

「よし、じゃあ探索者なんだからもう一個食べようか」

 探索食をランタンが手渡すと、ローサは困ったように眉を八の字にした。

「ローサ、もうおなかいっぱいだから」

「ランタン。意地悪しないの。なんでこんなに買ったのよ。ほらローサ、こっちにしなさい。これはランタンが食べるから」

 リリオンに叱られ、ガーランドに睨まれる。

 ランタンは肩を竦めた。

「それは僕が聞きたいぐらいだ。なんでこんなに買ったんだよ」

 開き直りである。

 ランタンはローサに押しつけ損ねた携行食を三分の二ほど食べ、顎が疲れてしまったので残りの分を樹海に投げ捨てた。

 それはまるで霧のようにどこからともなく湧いた。

「……!」

 それは猿だった。

 魔物である。この四人相手に、それまでまったく気付かせなかった。

 ランタンの半分ほどもない大きさで、手足と尻尾が長かった。

 全身を覆う毛の色は焦茶色だが、腹から顔にかけては真っ白で、毛の中に目鼻口が隠れてしまって無貌のようだった。奇妙な姿だったが、不思議と愛らしくも見えるのはふわふわの豊かな体毛の内に牙や爪をすっかり隠しているからだろう。

 ランタンが投げ捨てた探索食を拾い、そして追う気も起きぬ機敏さで逃げていった。あっという間の出来事だった。

「今の見た?」

 三人が頷く。

「魔物だよね?」

 頷いたり、首を傾げたりする。最初から最後まで、探索食を拾った瞬間以外は、まったく気配というものがなかった。獣系の魔物ではなく、不死系や精霊系の魔物なのかもしれない。あるいは夏の暑さに幻でも視たのか。

「ビスケット、もってった」

 ローサが呆然と呟く。

「魔物もビスケットたべる?」

「さあ、持ってったってことは食べるんじゃないか? 物好きな魔物だな」

 じゃあじゃあ、とローサは繰り返した後、五秒ほどたっぷり黙った。

「じゃあ、――いまのはたんさくしゃの魔物?」

「いや、それは違う」

 ローサはまた首を傾げる。

 探索者は探索食を食べる。猿は探索食を食べる。ならば猿は探索者ではないのか。どうやら違うらしい。

 迷宮には不思議が沢山あった。

「じゃあ、あの猿追いかけるか」

 猿は西へ逃げていった。

「追いかけるも何も、もともとそっちに進んでいただろ」

 ガーランドが地図を見ながら言う。

「中々やるでしょ?」

 ランタンが自慢げに言い返したが、猿を追ったからといって最下層に辿り着けるとは限らない。

「罠だったらどうするの? 待ち伏せされてたら」

 リリオンが遠慮がちに至極真っ当な意見を述べる。

「蹴散らす」

 ランタンは当たり前のように答えた。

 ローサはまだ首を傾げたままだ。


迷宮探索は主題であると同時に日常回でもある。

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