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今日はわたしの勝ち。
先に目を覚ましたリリオンは少年の寝顔を見つめて声も出さずににんまりと笑った。
ランタンと二人の夜はいつだって短い。
リリオンは長い脚を窮屈そうに抱えて三角に座る。汗に濡れた髪を一纏めにして胸の前に垂らし、長毛種の猫を撫でるように手櫛を梳く。そのまま毛先から滑り落ちたリリオンの手はランタンの黒髪を撫でた。
無防備な寝顔。こうして触れても目を覚まさないことがリリオンには嬉しかった。
ランタンの神経質さ、臆病さとも言い換えることのできるそれをリリオンは知っていた。
館で暮らすようになってからランタンはよく働いている。
もともと探索中毒のような所はあったが、それに増して精力的に活動するようになった。
それは自らが家庭を支えるというランタンの自負心だった。
探索者ランタンとしての迷宮探索だけではなく、救援要請や依頼仕事、アシュレイからの秘密のお願いと忙しく働いている。
傷ついて帰ってくることもあった。それは肉体の傷だけではない。
救援要請から帰ってくると、ランタンは精神的に疲弊している。他者の傷や死というものにランタンは敏感になったのかもしれない。
もちろんその疲れを顔に出すような可愛げがランタンにはない。平気な顔をして帰ってくる。リリオンもあえて今日はどうだったかなどとは聞かない。雰囲気から何となく察するだけだ。
だが肌を合わせると、察するしかできない傷の有無が確信に変わる。
交合によってランタンの心にある生々しい傷が途端に露わになった。無意識的な行動の変化だった。
傷の痛む夜にランタンはリリオンに甘える素振りを見せる。それはある種の必死さをともなっていた。例えば胸に吸い付くその様子さえ健気でもあった。そしてそれは愛おしいものだった。
リリオンはその傷を一晩中かけて癒すのだ。
ランタンの安らかな寝顔がリリオンを誇らしくさせた。
それと同時に少しむらむらする。
まったく無防備に裸身を晒すランタンは女を、少なくともリリオンをそういう気持ちにさせる。引き締まった肉体には昨晩の名残が虫刺されに似た赤い跡になっている。
充分に味わったことを証明するように無数にあるそれは、首筋から胸へ腹へと点々とし、自分がどのように夜を過ごしたかを思い出させる。
快楽というものを少年の形に造ったら、このような造形になるのかもしれない。
誇らしく思った寝顔が、途端に恨めしく思えてきた。これこそが原因であるのにリリオンの煩悩など少しも知らぬと、無関心極まりない寝顔だ。
髪に触れた指で頬をつつき、唇をくすぐる。ランタンの唇が言葉にならぬ寝言を呟く。
指先を甘噛みされたリリオンは一人で赤面した。
「だめよ。いけないわ」
自分に言い聞かせるように小さく囁き、苦労してランタンから視線を逸らす。
ランタンを起こさないようにベッドから下りて、浴室へ行く。一晩経ってぬるくなった湯で汗をすっかり流し、鏡の前で髪を乾かす。
気のせいだとわかっていても日に日に身体が大きくなっているような気がする。しかし目に見えての変化はなくとも、刻一刻とリリオンが成長しているのは事実だった。
それは止めようのないことだと理解していたし、もう受け入れていることだった。けれど時折、どれぐらい大きくなってしまうんだろうと不安になる。
リリオンは無駄と知りつつ頭のてっぺんを押さえてみた。髪の毛が潰れる。ランタンに撫でてもらうのが好きだった。あまり大きくなりすぎたら、ランタンに撫でてもらうのが大変になってしまう。
リリオンは唇を尖らせる。
「こっちが大きくなればいいのに」
細い腰に手を当てて胸を張る。身長の方ばかりに栄養が持って行かれているような気がしてならない。リリオンは身体を捻ったり、横を向いたりして色々な角度から自分の姿を鏡に映した。
そしてふと鏡に映る自分の肉体にランタンと揃いの赤い跡を幾つも見つけて、リリオンはまた赤面した。
それを隠すようにいそいそと生成りの夏衣に身を包み、高い位置で髪を一つに結んだ。
館はまだ眠りの中にある。起きているのはリリオンだけだった。
博物館めいた静寂の広間を横切り食堂へ、椅子にかけてあるエプロンを身につけると厨房を横切って、そしてその奥にある食料庫に足を踏み入れた。
「今日の朝ご飯は何にしようかしら」
夏でも食料庫はひんやりとしている。地上部分と地下があり、地下からの冷気が漏れ伝わっているのだ。
地下食料庫はもともと冷気を発する魔道式が施されていた、古い時代の魔道式だった。絢爛豪華な飾り文字がふんだんに使われ、その分だけ魔精の消耗も大きい。
貴族に魔精結晶を大量購入させるためにあえてそうした魔道式だった。これを刻んだ魔道使いと魔精結晶を取り扱っている商人の間に癒着があったのだろうと想像させる魔道式だった。
食料庫など下働きしか出入りしないので、今日まで残っていた。
アシュレイにそれを伝える、呆れるように笑った。そして後日、公的な建造物にある魔道式の一斉見直しをさっそく命じた。
館の魔道式に手直しをしてくれたのはランタンが魔女と呼んでいる魔道使いの女だった。女は助手に片腕が鱗に覆われた男を従えていた。
地下食料庫は奥に行くにつれて冷気が強くなる。いちばん奥では氷が造られ、牛豚羊、それに魔物の肉が冷凍保存してある。そして一番手前ではローサが枕を抱えて眠っていた。
昨晩は寝苦しい夜だった。段々と過ごしやすい日が増えてきたが、真夏の頃を思い出したような熱帯夜だった。そういう日にローサはひんやりとした食料庫へ下る。
寝顔は少しばかり苦しそうだ。枕だけを頼りに食料庫へ降りた所為で身体がすっかり冷えてしまっている。
色の悪い唇。首筋や背中に鳥肌が立っている。枕は抱きしめるというよりも、それに縋り付いている感じだった。
頬に触れると、氷に触れたようだった。
「ローサ、ローサ起きて」
「うぅん……、うー」
変温動物のようにローサは気怠そうに目蓋を持ち上げた。黄金の虎目が姉の姿を写すがローサはそれを認識していない。再びすぐに瞼を下ろした。
「ローサ起きなさい。風邪引いちゃうわよ」
「……や」
眠ったまま顔を背ける。虎耳を器用にぺたんと折り畳んで耳を塞いだ。
まったくもう、溜め息と一緒に囁くと言葉は白く曇る。リリオンは塞がれた耳の片方をめくった。
「風邪引いたら探索行けないわよ」
「やあー!」
声だけははっきりと響かせて、しかしローサは不機嫌そうな顔を枕に埋めて隠した。ランタンも甘いが、リリオンも大概甘いのは、少女の内にある母性の大きさの表れかもしれなかった。
「しかたないわね。よいしょっ」
リリオンは無理矢理ローサを抱き起こすと、炎虎の身体を横倒しの樽のように抱える。
ローサの肉体の半分を構成する炎虎。その成体は体重が五百キロを超えることもある。ローサはその半分に満たないとは言え、しかし二百キロ近くの体重があった。
リリオンはそれを抱え上げ、まったく苦にせず確かな足取りで階段を上る。そしてローサの自室と迷った末に、ランタンの寝室に妹を運んだ。
まだランタンの目覚めぬベッドにローサを横たえる。ローサは兄という熱源にすぐに引き寄せられた。枕のようにランタンを引き寄せ、強く掻き抱く。流石のランタンも目覚めざるを得ない。
ランタンはエプロン姿のリリオンをぼんやりと見上げる。
「なにこれ、朝飯……?」
冷や飯かな、とランタンが寝ぼけながら呟く。
「食べちゃだめ。かわいい妹よ。身体が冷えちゃってるからあたためてあげて」
「むー……」
妹に抱きしめられたランタンは喉を震わせて曖昧な返事をする。
リリオンは食料庫に戻り、身体が温まる料理を作ろうと食材を見繕う。
「……? あれ、おかしいわ」
全てを完璧に把握しているわけではないが、しかし厨房周りはリリオンの縄張りだった。
だから食材の管理もリリオンの責任ある仕事だ。あるべき量に足らない。特にパンは一週間分を纏めて焼いて、それを日々消費していく。数が足らなくなることはまずない。
「ねずみの仕業じゃないわよね」
もしそうならこの館は鼠の巣窟になっているか、あるいは巨大鼠が隠れ潜んでいることになる。
それほど量が足りない。
「つまみぐい……、ありえるわ」
ランタンもローサも育ち盛りだし、もちろんリリオンもそうだ。ガーランドもよく食べる。
ガーランドは最近は料理の手伝いもしてくれるようになった。ローサも一緒にいると、ついつい味見の量が多くなってしまって、それをつまみ食いだと咎められたら何も言い返すことはできない。
「しょうがないわね」
残されるよりはよほどいい。
むしろ料理の作りがいがあるというものだ。
リリオンは小麦粉の袋を肩に担ぐ。朝の仕事が始まる。
しかしまたパンが足りなくなった。果物と塩漬けや腸詰め肉も。
「ねえ、つまみ食いした?」
リリオンが食料庫で頭を悩ませていると、降りてきたランタンがそんな風に声を掛けてくる。
「……ランタンじゃないのね?」
食料庫の冷気に身体を抱きしめながらランタンは首を傾げる。
「変な返しだな。少なくとも僕じゃない。探索用の携行食が足りないんだけど知らない? おやつにあれを食べるぐらいなら泥団子食べた方がましだ」
探索準備室からは携帯食料が失われていた。買ったはいいものの砂を押し固めような食感と味がするので部屋の片隅に放置してあった携行食がすっかりと失われていたのだ。
「わたしじゃないわよ。こっちはパンとか色々足りないんだけど知らない?」
「知らない。こういうことするのはローサだな」
ランタンは腕組みをして顔を顰める。
「ちゃんと量は足りてると思うけど、育ち盛りだからかしら?」
食べ過ぎと言うほど食べるローサが更につまみ食いをしているところを想像して、ランタンは胸焼けを起こしたのか胸をさすった。
「あんまり太られても困るな。抱きかかえられなくなる。僕から注意しておくよ」
「うん、でもまだローサがやったって決まった訳じゃないんだからね。頭ごなしに怒ったりしたらダメよ」
「それとなく聞くよ」
ランタンは食料庫から出ると、身体に纏わり付く冷気を払うように身体を震わせた。
玄関広間に出るとローサがちょうど出かけるところだった。飴色に使い込まれた樫の木槍。革の鎧。お気に入りの肩掛け鞄の他に、探索用に買ってやった背嚢を背負っている。
背嚢はいかにも怪しげに膨らんでいる。
「ローサ」
声を掛けるとローサは驚いたように背筋を伸ばした。背嚢を隠すみたいに身体全部を使って振り返る。
「……おにーちゃん、なに? ローサおでかけするよ」
そわそわとした足踏み。待ち合わせに遅れそうになっているわけでもないだろう。
ランタンはつい笑いそうになるのを我慢した。
つまみ食いをしたと言うよりも、黙ってそれらを持ち出したのはローサで間違いないようだった。
「お出かけの前にちょっと聞きたいことがあるんだけどいいか?」
「なに?」
視線がこれでもかというほどに泳ぐ。後ろめたさはあるらしい。罪、と呼ぶほどではない。悪戯がばれることで迷宮へ行けなくなることを恐れているのかもしれない。
しかしその危険を冒してまで、何故ローサは食料を持ち出したのだろう。
「食料庫からパンが、あっちの部屋からは携行食が持ち出されているんだけど知らない?」
「えーと、ああ、うー……」
ローサは嘘をつかなかった。しかし知っているとも言わずに口籠もった。ランタンはじっと、辛抱強く待った。
「おい」
そんなランタンに背後から声がかかる。声だけならばランタンは慌てなかっただろう。
項をひんやりしたものが触った。
「んなっ!」
あまりにも妙な感触がしてランタンは跳び上がった。
ガーランドの触手だった。ランタンに負けず劣らずの手練れである。気配は完全に殺し、声は背後から掛け、触手はランタンの右手側から声かけに間髪入れずにぬるりと触れた。
「びっくりした。急に触るな。何か用かガーランド、今ローサと話してたんだけど」
ランタンは背後を振り返ってまだ驚いた。声は背後、階段の上から聞こえてきたと思ったが、ガーランドはすぐ後ろにいた。足音もなく降りてきた。
「ローサ?」
ガーランドは感情を感じさせない声で囁く。
「ローサなんてどこにいるんだ?」
ランタンがローサを振り返ると、そこには閉ざされた扉があるだけだった。ガーランドに気を取られている間に逃げたらしい。
「……お前もグルか」
「さあ、なんのことかわからんな」
ガーランドの薄い唇がほんの僅かににやついた。
それからそのにやつきを掻き消して、真面目な顔になった。
「ローサをいじめるなよ」
「いじめてないだろ。ったく表情豊かになりやがって。ガーランドは何か知ってる? あの子、どっかで野良犬の餌付けでもしてるのか」
ランタンがぶつくさ言うとガーランドは鋭い視線を広げた。その表情にランタンは、ははん、と頷く。ガーランドは表情を正した。
「当たらずとも遠からずだな。ったく、しょうがない。ガーランド、もう少しヒントを寄越せ」
「……――私はおそらく幸運だったのだろう、貴様に拾われて。腹一杯に飯も食えるからな」
「充分だ。ローサに危険はないんだな?」
「危険は常にある。が、まあ、大丈夫だろうと思う」
「わかった」
「怒らないでやってくれるか?」
「ダメなことをしたら叱るよ」
ランタンはそれだけ言って、ローサを追いかけて館を出た。
ローサの後を追うことはそれほど難しいことではない。あれほど目立つ姿は他に存在しないからだ。道行く人にローサを見なかったかと尋ねれば、その足取りを掴むことは容易だった。
スイカ売りの露天商はローサにスイカを売ったようだ。まるまると大きなスイカを二玉も購入したらしい。
「身銭も切ってるのか」
ランタンはスイカを一玉購入し、屋台の親父に切り分けてもらう。瑞々しい果肉に齧りつき、ほんの一切れを食べてしまうと残りをその辺をうろついている子供にくれてやった。
夏の陽射しの下で真っ黒に日焼けしながら、街中に放置されている空の器を集めている子供たちはひゃあひゃあいいながらそれを貪った。
商人ギルドに所属している食い物屋台では共通の器や串を用いる。子供たちがそれを集めて然るべき場所へ持って行くと、いくらかの小遣いがもらうことができた。彼らは自らの食い扶持を自分で稼いでいる。
ガーランドはランタンに拾われて幸運だと言った。
そして世の中に不幸な人間は掃いて捨てるほどいた。
ローサは旧下街の方に足を進めているようだった。
ブリューズによって急激な開発が行われた旧下街には歪みがある。
建物は新しいが、住む人々は元々貧民街の住人が多かった。移民も大勢おり、失業者だらけだった。政府の管理も上街に比べて行き届いてはおらず、貧民街時代ほどではないが犯罪の発生率は相変わらず高い。
特定の区画では探索者を中心にした経済が定着しつつあるが、それが広がってゆくにはまだ時間がかかりそうだった。
路地裏に入れば死んでいるんだか、酔いつぶれているんだかわからないような肉体が横たわっている。ランタンはそれを跨いだ。
夏の陽射しさえ入らぬ常影の小路だった。もうローサのことを尋ねられるような人の姿はない。
ランタンはさすがに顔を顰めた。
あまりにも人目がなさ過ぎる。ローサの肉体は、その価値を知るものたちにとっては垂涎の品だ。人魔の融合。伯爵領の破壊によって日の目を見ることなく失われた技術の一つ。
しかしガーランドが、たぶん大丈夫だと言った。館の中で最もローサに過保護なのは彼女かもしれない。
幸運な生活の中で、彼女は鋭さを鈍らせただろうか。
ランタンは影を進む。
声が聞こえる。
この影の中でローサの姿は黄金に輝いて見えた。
「――こんどめいきゅうにいくんだ。たんさくしゃになるんだよ!」
ローサは影に向かって楽しげに語りかけている。
「ほら、かっこういいでしょ! おにーちゃんにもらった!」
狩猟刀でざくざくと大玉の西瓜を切り分ける。
「はい、どうぞ。あんましもってこられなかったから、でもきっとあまくておいしい!」
パンに携行食、塩漬け肉と西瓜の一切れ。そういったものをローサは影に配り歩いている。
「……お前の分は?」
影の中から声がした。金属が掠れるような声だ。
「おうちでたべてきた。おねーちゃんのりょうりおいしいよ! そのパン、おねーちゃんがやいたんだよ。どう、おいしい?」
「ああ」
ああ。ああ。ああ。
声が幾つも重なった。影の中には何人もの人間が潜んでいる。
「よかった。ローサがたんさくしゃになったら、めいきゅうからおにくをたくさんもってきてあげるからね」
ローサの声が無邪気だったせいもあり、影の声は酷く疲れた声のように思えた。
こういう声の持ち主をランタンはたくさん知っていた。
野良犬の餌付けのようなものだ。
ランタンが小さく溜め息を漏らすと、影が敏感にそれを察知した。闇の中で針が逆立つような気配を感じた。
「食事をありがとう」
「どーいたしまして!」
「もう帰るといい。ここは危険だ」
「へーきだよ。ローサたんさくしゃになるんだもん。それにおにーちゃんがまもってくれるって」
ローサはそう言って、あ、と声を上げた。
「おにーちゃん、おこってるかも。ううう、どーしよう」
ローサはその場でぐるぐる回り、それから猫の唐突さで、もう帰るね、というや否や影から去って行った。
ランタンはその後を追わず、入れ替わるように影の中に踏み込んだ。
攻撃的な気配。
影の中から打ち込まれた打突をランタンは躱し、その相手を壁に押しつける。
「動けば命はないぞ」
悪党のようにランタンは宣言した。死神の予言めいた強制力がある。影がざわめく。
「ぐっ! あの子に何の用だ!」
「冗談だよ。ふうん、なるほどガーランドの言葉も頷ける」
ランタンをこそローサを狙う悪党だと彼らは思っているようだった。そしてローサのために戦おうとしていた。
ランタンは一人納得しながら拘束していた相手を解放し、距離を取って炎を発生させた。
辺りを照らす光に影の中にいた人々が一斉に身を竦ませ、眩しさに目を瞑る。
炙り出されたようだった。
そこにいたのは変異者たちだった。
そして変異者たちもランタンの姿をようやく見た。
「ラ、……ランタン」
「何の用かといわれたら、妹の心配をして見に来たんだよ、悪いか?」
光に照らされるとよくわかった。偶然にも開発を逃れた裏路地の空白地帯だった。
そしてこの変異者たちはただの変異者ではない。
多くの変異者はその肉体に亜人族の特徴を発現させている。角や牙、毛皮や尾の獲得だった。そしてもともと亜人族であった場合は、そういった特徴が鋭くなったり、肥大化したりしていた。
ランタンに見つめられて変異者たちは一斉に目を伏せ、所在なさげに佇んだ。
彼らの変異は他と違った。一人の女は腕から棘を生やしていた。それは薔薇や山査子のような植物の茨である。またある男は青銅色の肌をしている。それは紛れもなく金属に違いなかった。
亜人族にも紛れられぬ姿の変異者たちが影に寄り集まって暮らしていた。
「あの子、こんなことしてたのか」
ランタンは腕組みをして溜め息を吐く。
ローサの施しは優しさに違いない。しかしローサの持つ献身性は、どうしても下肢を司る炎虎の献身を思い出す。ローサのために己の命を肉体ごと差し出した炎虎を。
そういう献身性をローサも受け継いでいるのかもしれない。
それはランタンを少し心配にさせる。
「……そのスイカ、ローサが自分の小遣いで買ったんだ。知ってた? 毎日健気にお手伝いしてさ、ちょっとずつ貯めてたの」
「いや、――いや、知らない」
青銅の男が苦しげに呟いた。
「でも今、知っただろ?」
「ああ――」
頷き俯いた。木目に似た模様の入った金属製の打棍を杖のようにしている。誰も彼もがやつれていた。社会に出ることなく、光も食事も断って緩やかな死に向かっていたのかもしれない。
しかしローサに見つかってしまった。そして差し出された食事を断ることができないのは、生命としての本能だろう。
「よかった」
ランタンは下からその顔を覗き込んだ。
ランタンの言葉にびっくりしたように男が唾を飲み込む。
「こんな暗がりにいるのは、その姿を他人に見られるのが恥ずかしいからだ」
ランタンは男の腕に触れた。金属の硬さと、人肌の温かさがある。そしてその腕には探索者証が嵌められていた。
「それってつまり恥知らずじゃないってことだろ? なあ、ゼイン・クーパー」
ランタンが一人の男の名を口にすると、青銅の男は零れ落ちんばかりに目を見開いた。
「なっ、んで俺の名を」
「お、当たった。前に自己紹介してくれただろ」
「……憶えて、くれていたのか」
「今、思いだした。肌の色は違うけど、顔はあんまり変わってない気がする」
ゼインはふつりと眼に涙を浮かべた。変異する以前と以後、ランタンの記憶はそれを繋げるものだった。まるきり変わった姿は、自分自身さえ疑わせる。
「性格は臆病になったか」
ランタンは言って、容赦なく戦鎚を抜きはなった。
頭部を狙ったそれをゼインは素手で受け止める。色は青銅だが、それよりもよほど硬い。
「でも実力はある。良い皮膚だな。鎧代が浮くじゃないか」
「お前、今、本当に――!」
「僕もさっき顔狙われたし。これで僕とあんたらは貸し借り無しでいいよ。でもローサに借りはあるだろ。あの子は平気な面して陽の下を歩いてるよ」
異形の肉体を恥じることは、ローサのその肉体さえを恥と思うことに等しい。
彼らは一様に呻いた。その呻きを呑み込むようにローサに手渡されたスイカに食らいついた。緑の皮さえも残さずにばりばりと噛み砕いて飲み込んだ。
「――あの子に、ローサに伝言を頼めるか」
「貸し無しで受けてやろう」
ゼインは仲間の異形を見回した。
「――俺たちはここから消える。だからもう食事はいらない。自分で稼いで、食ってくって。だから心配は要らない。美味いパンをありがとう」
「最後のそれはリリオンに伝えておく。じゃあな、――と、こんな暗がりに引きこもってるぐらいだから知らないかもしれないけど、ギデオンっておっさんが主宰している探索団は変異者を受け入れてる。困ったら頼ると良い。あと国立病院でも三食飯付きで実験台を募集してるよ。こっちはアシュレイさまのお墨付き。治るとかどうとか言って変に声かけてくる奴はもぐりだから騎士団に突き出すように。あとは、――あとはなんかあるか」
「ふっ、――確かに兄妹だな」
「ああそうだ。その携行食、水なしだとかなり辛いから気をつけて」
「知ってるよ。探索者だった、――探索者だからな」
ランタンは言うことをすっかり言い切ると、もう振り向きもせず再びローサを追いかけた。
とりあえず捕まえたら撫でてやろう。
「それからスイカでも買ってやるか」
ランタンは日向に飛び出る。




