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カボチャ頭のランタン  作者: mm
14.Day By Days
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 坑道だった。

 一呼吸で肺が黒くなるような闇が敷き詰められている。戦鎚の先に松明のように炎を灯すが、その光は闇に圧されて一メートル先に届かない。

 迷宮だった。

 闇の奥から金属的な音が接近してくる。

 がしゃん、がしゃんと響くそれは、反響して重なり合い、やがて豪雨が地面を打つような断続的な打音となって鼓膜を震えさせた。

 それは足音だった。反響音から察するに、未踏破の向こう側は蛇のようにうねっており、魔物はまったく減速することなく、むしろ速度を増して近付いてくる。

 足音は一つではないが、そちらは金属の音色ではない。

 闇の中にぼやっとした赤い光が浮かんだ。足音が近付くほどに、光ははっきりと赤味を増した。

 高難易度の物質系迷宮だった。

 響くそれは魔物の足音だ。

 その魔物はきっと動く鎧(ムービングメイル)に違いない。だが他の魔物も混じっている。しかし闇の中では動く鎧の赤い単眼を確認することしかできない。

 リリオンは剣を抜いた。鞘鳴りの音色が重く鈍い。

 ランタンは手にした瓶を放り投げ、それを戦鎚で打ち抜いた。中に満たされていたものが辺り一面に飛び散った。

 それは培養した発光菌と、羊を狼に変じる湖の水で作った砂糖水の混合液だ。真空密閉された瓶から解放された発光菌が酸素を得て活性を取り戻し、糖分を餌にして爆発的に増殖する。

 緑光が闇に覆い被さる絨毯のように広がりながら周囲を照らした。

 動く鎧の黒々とした姿がはっきりと照らされた。獅子面の兜、その左目に赤い光が宿っており、不規則に収縮している。

 まだ遠間にあり、視界では握り拳ほどの大きさでしかなかったが、それは見る間に接近して二メートルを超える巨体となった。

 動く鎧は物質系魔物の中でも代表的な種だ。低難易度迷宮では試し切りに用いる案山子も同然と揶揄されることもあるが、高難易度に出現するそれは見るからに強敵だった。

 動く鎧は一体だけだったが、その周囲に無数の岩虫が随伴している。

 岩虫は名の通り大小様々な岩塊に昆虫のような足が生えた魔物だ。駆け、這い、時に跳ぶ固体もいる。

 攻撃方法は至極単純な体当たりの一つだけだが、侮ることはできない。小さくとも拳大の岩である。それがそれなり以上の速度でぶつかってくる。鎧を着込もうとも人体は容易に破壊される。

 リリオンが剣を脇に構え、迫り来る鎧に狙いを定める。岩虫をランタンに任せる。

 鋼の足音が大気を震わせ、肌がびりびりと痺れる。大質量の接近には、それだけで後退りしたくなるような圧力が伴う。

 動く鎧は片刃の段平(だんびら)を装備していた。速度を緩めることなく接近し、強く踏み込む。

 その一歩が指先分だけ深くなるのをリリオンは見逃さなかった。リリオンは小さく踏み出し段平の打点をずらすばかりではなく、出足の脛を蹴り外した。

 しかし動く鎧は後足に粘りを利かせ、段平に速度と自重、そして転倒の勢いさえ乗せて上段から振り下ろす。

 リリオンは肘を畳んだまま、逆袈裟気味の横払いを合わせた。

 発光菌の光を暗ませるほど真白い火花が散った。遅れて生木を折るかのような音が響く。

 打ち勝ったのはリリオンだった。段平が半ばからへし折れる。

 リリオンの剣はグラン工房の作だが、グランが打ったものではなかった。

 それは工房の若い職人がリリオンに捧げたものだ。

 騎士が姫君に剣を捧げることとは、まるで意味合いが異なる。それはリリオンへの挑戦だった。

 あの冬の、巨人族との戦いの経験はリリオンを成長させた。この細腕でも巨人族と斬り合うことができる。その自負心は、リリオンを確固たるものにした。

 ありきたりな剣であるのならば簡単に折ってしまう。腕力にかまけて技術向上を怠っているわけではない。だがやはり、さすがは巨人族の血なのだろう。腕力の加速度的な増大はもはや止めることができないのではないかと思う。

 名工グランの作であるのならば、それなりに()つ。だが一つの迷宮を攻略すれば、それなりの消耗は免れない。その度に打ち直して貰うわけにはいかない。グランはリリオンのためだけの職人ではない。腕のいい職人は忙しく、きちんとした物を作るにはそれなりに時間が必要になり、それなりどころではなく金も掛かる。

 一迷宮で一振りではまったく割に合わない。

 見込みのある若い職人が安価でリリオンに剣を用意する。リリオンはある程度要望を伝えるが、その解釈は職人に任せている。自由の少ない雇われ職人、見習い職人にとって自由に腕を振るえる、自分の考えを実践できる機会は貴重だった。

 リリオンは用意された剣を用いて迷宮を攻略する。これが保てば職人の勝ちだ。

 今のところ、用意された剣で一迷宮保ったものは一振りもない。迷宮を攻略するほどにリリオンは強くなった。要求品質は攻略毎に高まっている。

 動く鎧と打ち合ったのは両刃の大剣だ。

 リリオンの最初の一振りに似ている。反りのない素直な刀身、鋒は葉先のように弧を描き鋭く、両刃が鈍銀に研ぎ出されているが、鍔元に刃は付いていない。

 普通の人間ならば両手剣として使うだろうが、リリオンはこれを苦もなく片手で振り回す。

 動く鎧は段平を折られ、そのままリリオンに身体をぶつけた。リリオンは鍔を使って鎧を殴りつける。

 力が拮抗した。

 外套の上からでさえ、リリオンの背筋が膨らむのがわかる。大剣の鍔元を右手で握り締め、諸手突きめいて動く鎧を押し返す。そのまま追い打とうとしたリリオンの眼前に、短くなった段平が放り投げられた。

「しぃっ!」

 食いしばった歯の隙間から呼気が漏れる。大剣でそれを叩き落とす。その鋒を動く鎧が踏み付けて地面に固定する。黒鉄の拳がリリオンの顔面に突き込まれる。

「ふ!」

 リリオンが腰を支点に重心を落とし、梃子の原理でもって踏まれた大剣を振り上げた。文字通りに足をすくわれた動く鎧が後ろにひっくり返る。

 だが右手を突いて逆立ちながら着地し、身体を捻る。

 足を振り下ろす。

 リリオンの踏み込みを牽制する踵落としだった。リリオンはそれを紙一重に躱す。

 右手側に回り込んだ。動く鎧のその手中が発光している。菌に覆われた地面を抉り、握り締めている。正面や逆に回っていたら投げ付けられていただろう。

 一歩後ろに引きながら、流れるように大剣を横振りする。鎧が腕を上げてそれを防ぐ。鎧の厚みは一センチ以上あるだろう。だが動く鎧の前腕と二の腕が一息に切断される。

 あるいは引き千切れたか。

 大剣の刀身は動く鎧に輪を掛けて厚みがある。

 神話の時代に巨人族が用いたという巨人鋼の特徴は、彼らの腕力でもって振り回されて折れず曲がらずの頑丈さにあった。リリオンの求める要素の一つだ。そして折れず曲がらずを単純な方法で実現しようと思えば、どうしても刀身は厚くなる。

 剣を鋒の方から見るとよくわかる。

 刀身は楕円に膨らんでいる。さながらよく肥えた魚のように肉厚だった。

 腕を両断した大剣の鋒が胸部装甲を引っ掻いた。火花が糸を引いた。

 物質系魔物は痛覚を持たない。腕を落とされた動く鎧はそのまま前進した。剣が胸部に押し返される。

 リリオンは肘を畳み、そのまま動く鎧を引き込んだ。

 そして畳んだ腕を一気に開き、剣を突き出した。

 破城鎚(ラム)のような刺突だった。

 胸部装甲を一気に刺し貫き、鋒は背から抜ける。リリオンは鎧の腹に靴底を押し当てて蹴り放した。動く鎧は止まりかけの独楽のように、歪に回転する。

 高速戦闘の束の間にリリオンは呼吸を取り戻す。

 鎧の回転が、不思議と速度を増した。回転の歪みが正され、失った右腕を肩から自切し、リリオンの一足一刀の間合いから外れ、残った左腕には何かが握られている。

 どこに隠していたのか。

 それは長銃だった。

 あまりの意外さにリリオンの行動が一歩遅れる。ぱん、と思いの外間抜けな銃声が迷宮に響き、音を知覚した時には既に銃口から溢れた火は消えている。

 銃弾はあらぬ方へと放たれた。迷宮の壁を削り、跳弾はどこかへと転がった。

 動く鎧が後ろに仰け反っていた。辺りには岩虫の残骸が散らばっている。

 人頭大ほどもある岩虫をランタンがぶつけたのだった。

 砕けた岩虫の破片の中に魔精結晶が顕現した。生きたままの岩虫を投げ付けたのだった。

 リリオンは行動を再開していた。もう間合いの内側にいた。自らが最大限力を発揮できる位置を自覚し、地を蹴って吸い上げた反発力を背骨に通して増幅する。滑らかな肩肘手首の連動が縄のように腕をしならせる。

 今ならば放れた銃弾さえ斬れた。

 動く鎧の右肩から左肩へ、真一文字に大剣が振り抜かれた。それはなまくらな斧で無理矢理に鉄を引き千切ったような破壊をもたらした。

 切断とはほど遠い、衝突による破壊だ。

 獅子面の兜だけが破壊から逃れるように吹っ飛び、動く鎧は肩どころか上半身が消失している。大剣はもちろん半ばから失われていた。硝子のように砕けている。

 もう慣れたものだった。

 リリオンは小さく溜め息を吐き、転がった獅子面を素早く拾い上げる。

 下肢のみとなった動く鎧は横たわるや発光菌の絨毯に呑み込まれている。まだ鎧に残っている魔精の残滓に群がっているのだ。硬い表面がもこもことした黴に覆われる。

 リリオンは兜を振った。からんからんと音がする。叱るみたいに獅子面の頭部を叩くと、ころりんと魔精結晶化した単眼が転がり出てきた。

 青い結晶の中央に放電現象や、あるいは毛細血管に似た赤い筋が放射状に広がっている。リリオンはそれをひとしきり眺めると袋にしまい、思い出したように長銃を探した。

 半ばまで発光菌に埋もれていたそれを見つけると掌で黴を払い、銃口を覗き込む。それがどれほど危ないことかを知らなかった。銃という武器は存在していても、まだ広まってはいない。そしてそれが迷宮由来であるならなおのことだった。

 銃口の中に潜り込んだ黴を取るために指を突っ込もうとする。

「ばん!」

「わあ!」

 ランタンがこちらも見ずに笑っていた。リリオンが悔しくて睨みつけるが、わざとらしく背中を向ける。そしてそのまま、手伝え、と命令をする。

 リリオンは剣のように銃を腰に差した。

 どれほどいただろうか岩虫は、もう一匹も残さずに全滅させられていた。岩虫は(くじ)虫と言う異名を持つ。

 その内側に魔精結晶だけでなく、宝石を隠していることがあるからだ。ランタンは戦鎚で岩虫を一匹一匹丁寧に砕いていた。

 リリオンは岩虫の破片を両手に持ち、それをぶつけることでこれを砕く。外れだった。

「残念」

 辺り一面には破片ばかりではなく、ランタンの光る足跡が至る所にあった。それは地面だけではなく壁や天井にもある。ランタンの戦いの足運びだった。

 やりたい放題ね、とリリオンは思う。リリオンは動く鎧にだけ集中した。ランタンは岩虫と戦いながら、リリオンに注意を払っていた。

「これも外れ。ねえ、なにか出た?」

「さあ、どうかな」

 もう最後の一匹だった。一際大きい岩虫だ。バッタのような足が生えている。ランタンはそれを蹴り動かして、半回転させて据わりをよくすると戦鎚を叩き付けた、縦横に亀裂が入り、それは測ったように六等分された。

 露出した魔精結晶が発光菌の光を浴びて青白く光る。

「望み薄かな」

 徒労に小さく笑いながら、ランタンはそれを何度か捻って岩肌から外した。

「ま、魔精結晶で充分か」

「……あ」

 リリオンが残された岩を手に取り、顔を近づけた。

「ほら見て!」

 力任せに岩を割った。ビスケットのように。

 岩の中から宝石が転がり出した。

 紫と緑の二色が同居する水晶だった。

「あたりね」

 親指程度の大きさの柱状結晶だった。

 当たりとは言い難い。おまけ程度の大きさだ。が、リリオンが嬉しそうに微笑むとランタンも嬉しくなる。




 探索にローサは付いてきていなかった。

 さすがに初探索に高難易度迷宮を選ぶほど、ランタンは無謀でも意地悪でもない。

 ランタンたちは地上に戻ると、壁により掛かりながらミシャが次の現場へ行く準備をしているのを眺める。

 リリオンは心配そうにそわそわしており、ランタンもあまり落ち着きがない。

 ミシャの仕事ぶりが心配なわけではなかった。

「ついたー!」

 明るい声とともにローサがやってきた。額に汗をし、空の荷車にガーランドを乗せている。

 リリオンはほっとする。ランタンはもっとほっとした。

 ミシャが起重機の上から声を掛ける。

「こんにちは」

「こんにちは!」

「お手伝い?」

「ローサ、はこびやさん! の、みならいの、たんさくしゃ!」

 ミシャは曖昧に微笑み、頭の中で言葉を並べ替える。

「なるほどね。探索者見習いの仕事と言えば運び屋だものね」

「そう!」

「お仕事頑張ってね」

「うん! ばいばーい!」

 去って行くミシャの背中に長く手を振っていたローサは、ようやく思い出したようにランタンたちに駆け寄る。ランタンの言いつけを守って、迷宮口からは距離を取り、壁際を大回りする。がりがりと荷車の側面を擦っていた。

「きたよ!」

「よろしい。でも次はもうちょっと早くな」

「迷子になっちゃった?」

「ちょっとだけ」

「ガーランドも道案内ご苦労」

 荷台に仁王立ちになって頷くガーランドは迷宮特区を興味深そうに観察していた。荷台から飛び降りて迷宮口を覗き込む。ローサがそれを羨ましそうにするので、ランタンは頭を撫でながら視線を誘導する。

「さ、荷物はいっぱいだよ。重いけど大丈夫か?」

「へーき!」

 すっかりお気に入りとなった革鎧の上からつける幅のある革のベルトは腰痛防止と荷車の荷重分散のためだった。強固に、それでいて簡単に荷車との連結を可能にする。

 ローサは五秒とかからず連結を外すと、足元に積まれた物質系魔物の残骸を荷車に積み込む。

 早い。だが無造作に積むわけではない。荷物そのものが、そして牽引する時の重心が崩れぬような丁寧な積み込みだった。

 白布にくるまれた棒を持ち上げて、ローサは首を傾げる。布がはらりとほどけて見慣れぬ何かが顔を覗かせた。

「これなに?」

「鉄砲。危ないものだから気を付けて」

「覗き込んじゃダメよ」

 もっともらしくリリオンが注意を促す。ローサは布をしっかりと包み直して、それを荷台の脇の隙間に差し込んだ。獅子面の兜と目があって、わあ、と声を上げる。

 ローサは指さしをして、積み残しがないかを確認する。

「のってのって!」

 そしてランタンとリリオンを荷台へと追い立てるように急かした。そうすれば迷宮に早く行けるのではないかというように。

 ランタンとリリオンは荷台の前方に位置取る。

「人にぶつからないように注意な」

「うん」

「右見て」

「みたよ」

「左見て」

「みた。もっかいみぎ!」

「進んでよし」

「よし!」

 最初の推力を得るためにガーランドが荷台の尻を押す。順調に滑り出したのを確認して荷台に乗り込んだ。

 ローサは力強い足取りで迷宮特区を駆け抜ける。

 細かく動く虎の耳は周囲の情報を探っている。ぴんと伸ばされた背筋は視界の位置を高くするためであり曲がり角に物陰といった死角、動体と地面の状況に気を配っている。

 ローサは二人が探索に行く時は荷台に乗せてこれを送り、帰りは荷物を満載にして探索者ギルド、そして必要な探索道具の補給をするために店々を巡った。

 二人が探索に行かない日もそうだ。荷車を身体の一部とするように、これを後ろに従えることがローサの日常になっていた。

 ある日はティルナバンの外まで足を伸ばす。

 リリオンと弁当を作って、友人のクロエとフルームと一緒に草原を全速力で疾走する。

「だぁあぁあぁ!」

 駆けるローサの脇でランタンが軍馬の手綱を引いていた。ローサが牽引の練習をするのと同じように、ランタンも乗馬の練習をしていた。その馬は軍役を引退した老馬である。

 人によく慣れ、落ち着いているはずだがランタンはやはり動物にあまり好まれない。

 馬の首元に緊張の形跡が見られ、これを落ち着けようと撫でたのが運の尽きだった。

 馬は前肢を高く上げたかと思うと、悲鳴に似て(いなな)いて全速力で走り出した。ローサがそれに負けじと速度を上げる。

「きょうそうね! まけないんだから!」

 街道を外れている。夏草に覆われた草原は地面の状態がまるでわからない。泥濘んでいるかもしれないし、窪んでいるかもしれない。大穴が空いている可能性だってある。それが迷宮口の可能性も。

「おう、落ち着け落ち着け。大丈夫だから」

 ランタンとローサを追い抜かして、青ざめた毛並みの魔馬ブルースに跨がるベリレが落ち着いた声で老馬に語りかける。

 真横に並ぶとランタンの手から手綱を奪い、馬同士が触れ合うほどに接近する。

「降りてもらっていいか?」

「はいよ」

 ランタンは駆ける馬の背から飛び降りて、ローサの荷台に飛び移った。

「おっと、跳ねるな。大丈夫か?」

 地面のせいで荷車はそれ自体が乗客を振り落とそうとするかのようだった。

「へいきです、ランタンさま」

 クロエが舌を噛みそうになりながら言う。クロエはリリオンに、フルームはガーランドに抱きかかえられていた。跳ねる荷車に怖がってはいないようだった。ただしがみつくだけの腕力がないだけで。

「だってローちゃんに乗せて貰うと、いつもこうなんだもん。ひゃー!」

 フルームが楽しげな悲鳴を上げる。なかなか肝が据わっている。ランタンは抱きかかえるものがないので、弁当を抱きかかえた。いい匂いがする。

 ベリレが老馬を宥め、速度は緩やかになる。

「こっちであってる?」

 息を荒らげながらローサが問い掛ける。フルームが辺りを確認して、あってる、と叫んだ。

 向かう先には小川が流れているらしい。

 男の子たちが遊びに出かけた時にこれを見つけて自慢されたそうだ。冷たくて気持ちいい。そして川海老も捕れる。蛙も捕れる。秘密の遊び場だ。

 危ないからティルナバンの外には出るなとシスターは言い聞かせているが、もともと危険地帯の下街で暮らしていた彼らに危ないという脅し文句は効果が少ない。

「でも気を付けないとダメだぞ。最近は魔物も多いから」

 ティルナバン郊外に発生した管理外迷宮はレティシアの号令の下、騎士団によって発見、攻略が続けられている。

 騎士団の精力的な活動はティルナバンの住人に受け入れられつつあった。わざわざ討伐した魔物をこれ見よがしに荷台に乗せて街へ凱旋するのである。それは絵物語の中の騎士の姿だ。単純な方法だが、それゆえに効果は高い。凱旋の先頭にレティシアがいれば拝むものも出るほどだ。

「男どもにも言っておけよ。あんまりシスターを困らせるなって」

 ランタンが言うと二人の少女は困った顔をする。

「どうしたの? 喧嘩でもしているの?」

「んー、だってねー」

「ねー」

 意味ありげに頷き合う。

「探索者ごっこをしたの。男の子たちと、ローちゃんで。そしたら男の子が意地悪して、ローちゃんに魔物役を押しつけたの」

「そしたらね。ローちゃん張り切っちゃって、男の子をぜんめつさせちゃったのよ」

「へえ、全滅か。なかなかやるじゃないか」

 ランタンはあっけらかんと笑った。それから何気なく尋ねる。

「怪我させなかったか?」

「たぶん大丈夫。でも男の子が怒っちゃったの」

「ふうん。じゃあやっぱり喧嘩してるのね」

「ちがうわ、リリオンさま。男の子が勝手に怒っているだけよ。ね」

「ねー。いじわるだし、乱暴なんだもん。ランタンさまやベリレさまみたいに優しかったらいいのに」

 それは夏の間だけ姿を現す川だった。この間、大雨が降ったばかりなのでそれなりに水量があり、川のせせらぎが耳の心地良い。

 なるほどそこは確かに男の子の遊び場だった。

 真っ裸になった少年が数人、枝を削って作った自作の銛や釣り竿を手に川の中で遊んでいた。

「あ、お前っ!」

 ローサの姿に気が付いて、一人の少年が声を上げる。潜っていた少年が手に蛙を捕らえて顔を出す。

「なんでこの場所知ってるんだよ。あ! さては盗み聞きしたな。きったねー」

「これだから女は!」

 声変わりをしていないけれど心底嫌そうな声が、幼いながらに侮蔑さえ感じて微笑ましい。

「どっか行けよ!」

「どうしてそういうこというの?」

 ローサが無垢に尋ねると、鼻に皺を寄せる。

 リリオンが荷台から降りると、ようやく他にも人がいることに気が付いたようだった。

「お弁当もあるわよ。よかったら一緒に食べない?」

 リリオンが微笑みながら言う。リリオンは彼らとさして年齢は変わらないかもしれないし、中にはかつては遊びでリリオンを追いかけて石をぶつけようとしたことがあるのもいるかもしれない。

 しかしリリオンがすっかり大人びた表情を浮かべると、彼らはまったく大人の女性と対峙したかのようにしどろもどろになる。

 だが荷台からランタンが降りて姿を現すと、正気を取り戻す。

「へ、そんなもん食わねえよ。女と遊ぶやつは女になるんだぞ」

 威嚇する猿のように歯を剥いて精一杯に睨むような表情を浮かべた。

 ランタンはひと言も発していないのに、少年たちの敵意はどうしてかランタンに向かってくる。子供なりに女相手に喧嘩はしないと言うことかもしれない。

 男であるランタンは振り上げた拳の落としどころとしては都合がよい。

「なんだ、喧嘩はダメだぞ」

 しかし同じ男であるベリレが言うと、少年たちはすっかり縮こまった。悪態を呑み込んで、大人しく説教が過ぎるのをやり過ごそうとする。

「ま、無理にとは言わんさ。――いいか、川水は浅くとも溺れることがある。充分に気を付けるんだぞ。あと蛙はよく火を通して食え。腹を壊すから。いいな」

 はい、と、へい、の入り交じったばらばらの返事が返ってくる。ベリレは苦笑した。

「それから穴があっても近付くな。迷宮かもしれないから。魔物が出たら隠れようとせず一目散に逃げろ。あとは、まあこれぐらいか。――俺たちが後乗りだからな。場所を変えようか。ああ、そうだ。日が暮れる前に帰れよ。夏だからって夜が来ない訳じゃないぞ。それからシスターを悲しませるな」

「はいはい。じゃああっち行くよ。水差して悪かったな」

 ランタンの指示で、上流へと移動する。

「女の子と遊ぶと女の子になるんだって。新説だな」

「おにーちゃんおねーちゃんになるの?」

 ローサはゆっくりと歩く。荷台ではなく、その背中にクロエとフルームがしがみついている。少年たちの罵倒の矢面に立ったローサを慰めているのかもしれない。

「もしなったらどう?」

「――おねーちゃんとおねーちゃんだから、よぶときこんがらがる」

「はははは、そりゃ困るな。ならないから安心しろ。でも、なんでだろ。僕とベリレで態度がずいぶん違うけど。やっぱり馬に乗ってるからか?」

 ランタンは腕組みをして、鼻を鳴らした。慰めるみたいにリリオンがランタンの髪に触れる。

「そう言えばどうして上流なんだ? 下流の方が流れは緩やかそうだったが」

 ベリレが尋ねる。

「こういうのは上取った方が勝ちだろ。地政学的にも」

「……そういうところだぞ」


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