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カボチャ頭のランタン  作者: mm
02.Some Day My Prince Will Come
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031

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「あぁ、良い、匂い――」

 下街の目抜き通りで、それは起こった。

 人目の多い目抜き通りでまさか襲われることもないだろう、と気を抜いていたこともあり、その接近にランタンは気づくことが出来なかった。

 そこには殺意も、悪意もない。花にひらりと羽を休める蝶のように忍び寄った。

 後ろから抱きすくめて(うなじ)のあたりに鼻を寄せるその行動は、ランタンがもう追い払うのも面倒くさくなったリリオンのじゃれつく仕草に似ている。

 後ろから抱きついてきたのがリリオンならば何だかんだで微笑ましくあるが、見知らぬ人物に急にされたらそれはただの痴漢だ。

 リリオンは隣でランタンの手を握ってびっくりとしている。

 それは突如ランタンに覆い被さった人物の登場にであり、そして次の瞬間にはその人物が宙を舞っていたからである。

 ランタンは繋いでいない方の手で乱暴に変質者の衣服を掴むと、お辞儀をするように変質者を投げ飛ばした。やや変則的な背負い投げで変質者を地面に叩きつけ、ランタンはそのまま流れるように変質者の顔に膝を落とそうとして、止めた。

 変質者は女だった。

 だからといって膝を落とすのを止めたわけではない。相手が誰であろうとも、少し躊躇う気持ちがあったとしても、ランタンは必要ならば暴力の行使に躊躇しない。

 ランタンは女に抵抗の意思を感じなかった。

 女は地面に叩きつけたというのに苦しむ様子もなく、ぼんやりと虚ろな表情をしていた。だがそれは麻薬によってトリップしているようではない。

 ぼさりと広がって波打つ緑色の髪から覗く瞳がランタンの顔をぼんやりと捉えており、いっそ眠たげなほどの垂れ目が、何度も大きく(またた)いた。まるで今、眠りから目覚めたとでも言うように。

 一度二度と(まばた)きをすると、女の瞳に焦点が戻ってくる。覗き込むランタンと視線が合うと、夢から覚めたかのようにきょとんとして、すぐに唇に微笑みを湛えた。

 頬まで裂けるような大きな口だが不思議と愛嬌がある。血の気の薄い青みがかった頬が痩せていたけれど丸系の顔は温和そうな柔らかさがあった。年齢はランタンよりも幾つも上のようだったが微笑むと少女のように無邪気だ。

「あらぁ、(わたくし)ったら何を……」

 おっとりとした口調で女はぽつりと呟いた。道端で仰向けに転がされているのに、そんなことなど気にもしていないように、あるいは気づいてもいないように。

 これは変質者というか、変な人だ、とランタンは曖昧に微笑んだ。

 その笑みに何をどう思ったのか、女もランタンに微笑みかけた。視線が絡まり合ってランタンは目を逸らすに逸らせなくなっていよいよ困ったように眉尻を下げる。

「……ランタン」

 女とランタンの間にある謎の雰囲気にリリオンが助け船を出すように手を引いた。ランタンははっとして辺りを見渡した。

 ランタン達を中心にして、目抜き通りを行き交っていた通行人達がぐるりと取り囲んで野次馬と化している。その視線はただの好奇の視線であって、悪意の込められたものではなかったがリリオンが怯えていた。

「――大丈夫ですか?」

「あら、おそれいります」

 とりあえず場を離れるべきだが、だからといって女を転がしたままにしてはいけない。と言うよりもそんなことを考えるまもなく、気がついたら手を差し出していた。

 女は少しだけ驚いたように目を大きくしてランタンの手を掴んだ。

 体温が低く、やや乾燥肌気味だが不思議と吸い付くような柔らかさがある手だ。

 ランタンはすっと目を細めた。ずり下がった袖から覗く女の手首が細く、そこに銀の腕輪が嵌まっていた。探索者だ。そのギルド証は傷ついているが、その傷がリリオン由来の物か、貫衣かどうかは定かではない。ギルド証はランタンの物と同じように大小様々な傷が遍在している。

 ランタンが少しだけ、けれど判りやすく警戒を強めたが女に変わった様子はない。ランタンはいつでもその握った手を爆破できるように意識しながら、女を引き上げる。

 痩せた頬や、痩せた手首の印象とは裏腹に女は重量がある。装備は軽装のようなので見かけよりも筋肉質だと言うことだろう。握り返してきた力は強くやはり探索者のそれだ。

 女を引き上げると、重心が下半身にあることが解った。尻が大きめなのだろうか。立ち上がるとランタンよりも少し背が高い。女は名残惜しげにランタンの手を放して、頭を下げた。

「とんだご無礼をいたしました、――ランタン様」

 女はランタンの名前を悪戯っぽく呼んだ。

 探索者ならば名前を知られていてもおかしいことではないか、と一方で感じながらもランタンはその下げられた頭を警戒したままの視線で見つめた。足を肩幅に開き、戦闘に備えた。そして女が面を上げると、その警戒を瞳の奥に隠して、顔を振った。

「いえ、何事もないようで何よりです」

 それでは、とランタンは話を切り上げてその場から立ち去ろうとした。だが女がそんなランタンを引き留めた。

「何かお詫びが出来ればよろしいのですが、……恥ずかしながら今は持ち合わせがありませんの」

「結構ですので、本当に。気にしないでください」

 ランタンはそう言ったが女はマイペースに、どうしましょう、などと小首を傾げている。まるで泥沼に嵌まったように、そのペースから抜け出すのが難しい。ランタンがもう無視して逃げだそうかと考えていると、女はぽんと胸の前で手を叩いた。

「実は私、傭兵探索者をやっておりますのよ」

「はぁ……」

「探索でお手が必要ならば、不肖の身ですがお安くお手伝いさせていただきますわ」

 安くね、とランタンは口の中で言葉を転がした。

 傭兵探索者を雇うための平均的な相場を知らないが、傭兵探索者は人材不足に悩む探索班(チーム)の弱みに付け込んで法外な賃金を請求する守銭奴だと風の噂で聞いている。

「ご用の際はぜひ飾り棚(ショーケース)にいらっしゃってくださいな」

 飾り棚とは、ギルドの二階にある第三休憩室(ラウンジ)の俗称だ。

 本来は探索者のみならず一般に開放されている休憩室だがその第三休憩室は、過去の傭兵探索者が余程上手い仕事にありついたのか、傭兵優位に交渉を進めることが出来る、交渉を行うと好条件で雇われるなどという迷信が広まって以来、傭兵探索者が好んで(たむろ)し、気がつけば傭兵探索者とそれを求める探索者しか寄りつかなくなくなったという、憩いを求める者は誰一人として寄りつかない曰く付きの休憩所だ。

 ランタンはその休憩室を覗き込んだことすらないが、きっと鬼の住処なのだろうと勝手に思っている。

 この女もふわふわした雰囲気があるが、そこに住む鬼の一人なのか。

 ランタンは引きつった頬を無理矢理に笑って誤魔化した。そんなランタンの笑みを好意的に受け取ったのか女は、一緒に戦える日をお待ちしておりますわ、とランタンの手をさっと掴んで握手をすると、それではごきげんよう、と微笑んで去って行った。

 取り囲む野次馬を、まるでそれらが不出来な案山子であるかのように、完全に無視して。

「なん、だったの、かしら……?」

 リリオンの呟きは、ここに居る全員の代弁だった。

 リリオンは名状しがたい不可解な現象に襲われたかのように小難しい顔をして女を見送っていた。八の字になった眉がそのままくるりと一回転しそうなほどに。

 リリオンばかりではなく取り囲んでいる野次馬達も似通った顔をしている。彼らはおそらく刃傷沙汰でも見物しようと集まったのだろうが、そのようなことは一つも起こらなかった。狸に化かされたようにぽかんと拍子抜けしている。

「は」

 そんな中でいち早く正気に戻ったランタンはリリオンの手を引っ張って野次馬の群れを抜けた。野次馬たちの意識は女の背中を追っていたので、そこから抜け出すことは容易かった。

「ちゃんと前見ないと転ぶよ」

 もう女の背中どころか野次馬さえも見えないのだが、リリオンは何度も後ろを振り返った。ランタンが叱ると慌てて前を向いて、大きく一歩踏み出してランタンの隣に並んだ。

「ねぇ、あれなに?」

「なんだったんだろうね、……新手の営業かな」

 あの場にあった不可解な雰囲気を取り払い、そこに残ったものだけを思い出せば女のやったことは傭兵としての営業である。無警戒で襲撃されるよりましだが、空回りは少し恥ずかしい。ランタンは一人で盛り上がっていた自分を思い出し、表情に出さずに照れていた。

「でも名前も言わなかったしなぁ」

 むしろそれこそが狙いだったのか。不可解な行動のその全てが、ランタンに自分を意識させるための計算の元によって行われたものだったのかもしれない。もしそうだったとしたらランタンは完全に術中に嵌まっている。

「ランタンが良い匂いだから、がまんできなかったのかも」

「絶対無いね――って言うかリリオンも同じ石鹸使ってんだから、同じ匂いがするでしょ」

 同じ石鹸どころか同じベッドで寝起きし、ほとんど同じ物を食べて、同じように生活している。

 リリオンは服の胸元を引っ張って、くんくんと自分の体臭を確かめていた。

「やめなさい、人前でそんなこと」

「……おんなじ匂いしないよ」

 顔を上げたリリオンは唇を突き出してそう言って、繋いだ手を引っ張るとその甲に鼻を擦りつけた。

「ランタンは良い匂いがするわ。どうして?」

「――リリオン、途中で肉串買い食いしてたからじゃない?」

 食事の様子を思い出せば、今のところリリオンに嫌いな食べ物はなさそうだが、好みよりも食事バランスを重視するランタンとは違い欲望に走りがちだ。ランタンもある程度気にして野菜や果物も食べるように仕向けているが、リリオンは肉食の傾向が強くある。その所為か、少しだけ体臭が濃い。さっきも香辛料を利かせた串焼き肉を買うためにランタンにおこづかいを求めた。

「うー、そうなのかな……じゃあ、もう食べない」

「ふぅん、僕は食べるけどね」

「……ずるい」

 膨らませてイジイジとしながらリリオンは、やっぱり食べる、とあっさりと前言を撤回した。それからこそっとランタンを窺い、ランタンが意地悪そうに笑っているのを見つけると唇を突き出してぶぅと鳴いた。

「これ旨い」

「ねー」

 それを聞いた所為かランタンは屋台で豚肉の串焼きを購入した。塩胡椒の利いたばら肉は柔らかく脂が舌の上でとろりと溶けた。付け合わせに突き刺さった玉葱も甘い。リリオンも不満げな顔など無かったようにニコニコしながら肉を咀嚼している。

 それを食べ歩きながら職人街へまでやって来た。

 グラン武具工房の何時も訪れる作業場ではなく、看板の掲げてある正面だ。

 むさ苦しい職人が汗水流して働いてる様をランタンは嫌いではなかったが、今のリリオンにとってみればそれは悪夢そのものだろう。先日いつものように裏口を訪れたときに、リリオンは職人達をあからさまに恐れて、工房の職人達も少女に恐れられて心を少し傷つけるという誰もが不幸になる出来事があった。

 その不幸を繰り返してはいけない。

 交差する剣と鎚の意匠の看板が、通りに響く金属音に揺れている。煉瓦の赤とその繋ぎの白い店構えはグランの容貌には不釣り合いな可愛らしさがあり、だが黒ずんだ分厚い木製の扉には老舗らしい重みがあった。

 ランタンは豚串を食べ終えるとその木串をばきばきと折りたたんで手の中に納め、掌に付着した油汚れごと爆発によって灰に変えた。

「あっちっち」

 ランタンはその灰を吹く風に任せるようにぽいっと捨てて、掌をズボンで払った。

「おじゃまします」

「いらっしゃい、あ。ランタンか」

 そこに居たのはランタンとそう年の変わらないまだ年若い職人だ。つまらなそうに片肘を突いていたのが、扉を開けるとびくんと反応して、それがランタンだと判ると驚いて損をしたというように胸をなで下ろした。

「さぼり? 狩猟刀(ナイフ)取りに来たんだけど」

「さぼってねーよ、店番してんじゃんよ」

 そうと言った若い職人は、見りゃ判んだろ、と顎を突き出した。

「……そうだね。さぼってなくてよかったよ。じゃあさぼってないついでに狩猟刀持ってきてもらおうかな」

「いっちいち面倒くせー言い方するなよ。……まぁ、親方呼んでくるわ。ちょっと待ってろ」

 商品の引き渡しにグラン自らが出向くとは何とも豪勢なことだ。

 若い職人はがたんと椅子を蹴って店の奥へと引っ込んでいった。そばかすの散る頬の片方に、見れば片肘突いていたことが一発で判る拳の痕をくっきりとつけながら。

「……おともだち?」

「いや、顔見知り。名前も知らないし」

 ランタンの背中に隠れていたリリオンが、職人が扉の奥に消えてようやくちょこんと横に並んだ。作業場で働く職人達に比べれば、若い職人はまだ少年っぽい身体の細さをしていたがそれでもダメのようだ。

 若い職人に少しやんちゃっぽい雰囲気があるせいかもしれない。ランタンも昔ならば軽口を叩くどころか、目を合わせようと思わなかっただろう。

「おう、待たせたな。ランタンに嬢ちゃん」

 ほどなく扉から現れたのは若い職人ではなくグラン本人だった。その分厚い身体の奥に若い職人は控えているようだ。グランがのそりと前に出ると、ヒヨコのように若い職人も出てきた。心なしかしゅんとしているのは叱られたからだろう。

「――店番ってのは店の顔だからな」

「はい!」

 グランは職人の尻を叩いて受付に行くように促すと、髭の奥の唇を歪めて笑い。ランタン達を応接室に通した。

 グランがソファに腰掛けると、まるで潰れたようになる。ランタンは少し笑いながら腕を組んで着いてきたリリオンをソファに座らせて、その隣に腰掛けた。真ん中のテーブルに二振りの狩猟刀が置いてある。

 特注の狩猟刀だ。

 内反りで大振りの狩猟刀は黒革の鞘に納められてなお凶悪な雰囲気があった。グランの太い指がそれを掴むとそれぞれをランタンとリリオンの前に差し出した。

「それぞれ握りを調整してあるから、間違えないようにな」

 鞘も柄も注文をつければ望み通りに出来るので、本来ならば各々の好みに合わせればよいのだが、案の定リリオンはランタンとお揃いを希望したのでこのようになった。鞘は黒、柄は臙脂に染めた革の柄糸を巻いている。握ると掌に吸い付くようだ。

「どうだ?」

「いいです、すごく」

「嬢ちゃんも手に取って良いんだぞ。そいつは嬢ちゃんの物なんだからな」

「は、はい」

「まだ支払いが済んでないですよ」

「坊主の金払いの良さは知ってるよ」

 そう言ってグランは喉を揺さぶるように笑った。狩猟刀の握りを確かめていたリリオンがその笑い声に驚いたように震えた。それでも取り落とさなかったのはやはり握りが確かだからだろうか。

「気をつけてね」

「うん」

 狩猟刀を鞘から抜き放つと刀身は黒曜石のような輝きを持っていた。元が熊の鉤爪であるので大きく内に反っていてくの字型をしている。

「前の狩猟刀よりは重めだな」

 峰が厚く、くの字の刀身の上側が葉っぱのように丸みを帯びて少し幅広になっている。

「熊の爪は硬度は一級品だが、すこし靱性に欠けたからな」

 刀身を指で弾くと硝子をのように澄んだ音がした。

「鉤爪を魔道処理で金属質に転成させてある」

「へぇ」

「ああ、そいつをこう重ね合わせてな、間に粘りけのある軟鉄を挟み込むんだ。それで峰となる部分にもうちっと硬めの棟鉄(むねがね)ってのを被せて鍛えるんだ」

「そうなんですか、すごいですね」

 よくわからないけど、とランタンは心の中で思いながらそれを少しもおくびに出さずに相づちを打った。よくわからないけれど、グランが言うのだから何か必要なことだったのだろう。

 グランはそんなランタンの内心に気づかないようで、狩猟刀の性質についてあれやこれやと語り始めた。無口で昔気質(むかしかたぎ)な職人の一面と同時に、研究者と言うべきかオタク的な気質も持っている。

 ランタンはグランの言っていることの半分も理解は出来なかったが、とりあえずすごい狩猟刀だと言うことは理解できた。

 刀身が肉厚なのは爪を二つ、金属を二種類重ねているせいなのだろうか。けれど峰の厚さとは裏腹に、その刃は二本の鉤爪を重ね合わせたとは思えないほどに薄い。それこそ薄墨の如く透けるほどに。

「ま、いわゆる鉈の重さに剃刀の切れ味ってやつだな」

 そう言ったグランは少し誇らしげだ。何時もよりも口数が多く、口調が柔らかなのはこの仕事がそれだけ満足のゆく物だったと言うことだろう。

「下手に触ると骨まで引いちまうぞ」

 その言葉に吸い込まれるようにして刃に指を這わせようとしていたリリオンが慌てて指を引っ込めた。ランタンは顔に苦笑を表しながら、実のところ心の中で冷や汗を掻いていた。リリオンの手前我慢していたが、少しその刃に触れたい欲求は確かにあった。

「そう言うのは先に言ってください」

「刃物を触りゃ切れるってのは子供だって知ってるぞ」

「う……まぁ、そうですが」

 それを忘れるほど綺麗な刀身だった。リリオンは狩猟刀を恐れるようにしながらも、眼前にそれを掲げてうっとりと眺めている。その内にまた忘れた頃に刃を触りそうだ。少し気を付けておこう。

「まぁ、怪我してく内に馴染むだろう。探索者は怪我して成長していく()(もん)だからな」

「そんなものですかね?」

 ランタンはぽつりと呟きながら狩猟刀を鞘に戻した。

 探索の度に、最終目標(フラグ)を始めとする強敵と戦う度に怪我をしているように思うが、成長しているという実感は無い。それどころか毎度毎度怪我をしているのに懲りもせず力任せに突っ込んでしまうものだ。犬猫だって痛みによって躾けられるというのに。

 首を傾げるランタンにグランは呆れたように、まぁ人それぞれだよな、と年相応の老いた声を漏らした。

「何か気になるところはあるか?」

「いいえ、とても気に入りました」

 リリオンに視線を向けると飽きもせずに刀身を眺めていて、ぽけっと半開きになった口元が少し間抜けだ。ランタンとグランが見つめているのにも気づいていないので、ランタンはその無防備な脇腹を指で突いた。

「ひゃっ! ――もう、なによう」

「くくく、気に入って貰えたようで何よりだ」

 狩猟刀を奪われまいとするように身体を捩ったリリオンをグランが穏やかな瞳で見つめている。ランタンが呆れながら鞘を差し出してやると、リリオンはまるで硝子の剣でも納めるようにそっとした手つきでそこに納めた。

「……大切にしてくれるのはありがたいがな、やっぱりそれの本質は見て楽しむためのもんじゃなくて、物をぶった切るためにある。欠けたりなまくらになったりしたら研ぎ直してやるから、がんがん使ってくれ」

「――はい」

 リリオンは鞘に収まった狩猟刀を胸に抱いてグランの瞳をまっすぐ見つめて素直に頷いた。

「整備代はしっかりと取られますけどね」

「ぐあっはっは、そりゃあそうよ。そうじゃなきゃうちの奴ら食わせてやれねぇからな」

「食べ過ぎで臨時休業になってもしらないですよ」

 グランは、うちの奴らは大食いだからな、と腹をぽんぽんと叩いて大笑いしている。その奴らと言うのは職人のことでもあるだろうし、また工房に幾つも並んでいる炉のことでもあるのだろう。

 ランタンがごとりごとりと金貨を机の上に積み上げていく。一山二山と増えていくと、リリオンが黙って見つめている。

 グランが言っていた鉤爪を金属質へと転成させた魔道処理は、それがどのような物であるか説明されてもこれっぽちも理解できなかったが、中々の金食い虫らしい。

「おう、確かに」

 グランは重なった金貨を十枚組にしてざらっと数えた。数えながらグランが言った。

「坊主は支払いがよくて良いな」

「そうですか?」

「金属転成しても良いか、なんて客に聞いても頷く奴は少ねぇんだよ」

 せいぜい硬化処理だな、とグランはうんざりしたように呟く。

「……もしかして僕カモにされてます?」

「まさか。さっき言ったみたいに金属を重ねることで強度を上げることも容易いし、整備だってしやすくなる。その分長く使うことが出来るぜ。……費用が掛かるからあんまさせて貰えねぇのは確かだが、悪ぃこっちゃねぇよ。硬化処理は靱性が低くなりがちだしな。まぁ色々出来てこっちも楽しく仕事できるからな」

 楽しんで作った物はそれだけ良いものが出来るんだ、とグランはもっともらしく結んだ。己の職人的欲求を満たしている部分もないわけではないのだろうが、ただ他人(ランタン)の金で色々と試している訳ではなさそうだ。

「ま、いいですけど。リリオンも気に入ったみたいだし」

「またなんか入り用になったら言ってくれ。最近よう、超硬合金ってのがあってな、それをちょっと使ってみたいんだよ。まぁ坊主の稼ぎならそんな高いもんじゃないから――」

「じゃあリリオン行こうか」

「え、え?」

「それではありがとうございました」

 グランの話をぶつ切りにしてソファを立ち、リリオンに呼びかけた。リリオンは困ったようにランタンとグランを見比べて、ランタンが手を差し伸べるとそれを掴んでようやく立ち上がった。

「ちょっとした冗談だよ、まったく。おう、毎度あり。戦槌(ウォーハンマー)がぶっ壊れたら、また考えといてくれ」

「グラン印の武器はなかなか壊れないですよ」

「よく解ってるじゃねぇか」

 グランは気分を良くしたようにどんとランタンの肩を叩いて、そのまま肩を抱くようにして応接室を出た。さぼらずに前を向いて店番をしている若い職人が席を立って振り返った。

「おい、坊主のお帰りだ。じゃあなまた贔屓に頼むぜ」

「えぇ何かあったら頼らせて貰います」

「嬢ちゃんもな狩猟刀、気に入って貰えて何よりだ。取り回しには気をつけるんだぞ」

「はい、大切にします」

「ああ、そうしてくれるとありがたい」

 グランがそう言ってランタン達を送り出し若い職人が、ありがとうございましたぁ、と声を張って頭を下げた。ランタンが扉を潜るまでそうやって頭を下げ続けているので、ランタンは追い立てられるような足取りで工房を出た。

「どんだけ怒ったんだよ……」

「機嫌良さそうだっけど」

 ぽつりと呟いたランタンにリリオンが小首を傾げた。ランタンはそれに肩を竦め、新しい狩猟刀を腰の後ろに差した。だが独特の形状が邪魔をしてかいまいちしっくりこない。ただ前の狩猟刀の感覚が残っているせいかもしれない。

「ほらリリオン貸して、やってあげる」

「うん、お願い」

 ランタンはリリオンから狩猟刀を受け取った。こうやって持ち比べてみると、ほんの僅かだがリリオンの狩猟刀の方が大振りに作ってある事が判る。

 リリオンは外套(マント)をめくり上げて、小振りな尻をランタンに晒した。ランタンは何となく黙ってそれを見て、それから中腰になるとリリオンのベルトを引っ張って狩猟刀を差し込んだ。

「どう?」

「ちょっと痛い、かも」

 腰骨に鞘が当たって痛いようだ。そう言えば自分も昔はそうだったな、とランタンは少し考え込んで腰のポーチから端布を取り出すと、それを四角く折りたたみ何枚か重ねて腰と狩猟刀の間に挟み込んだ。

「これでどうよ」

「うん、痛くないわ。ありがとう」

 ランタンは一つ頷いて仕上げとばかりにぱちんとリリオンの尻を叩いた。リリオンが外套を放して、カーテンが引かれるようにさっと尻が隠された。リリオンが振り返って微笑む。

「ランタンとお揃いね」

「んー、そうだね」

 ランタンは伸びをするように立ち上がった。

 風が駆け抜けると外套が巻き上がって同じように腰に差された狩猟刀がちらりと覗く。臙脂色の柄はまるで木陰に咲く赤い花のように見えた。


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