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カボチャ頭のランタン  作者: mm
13.Invitation To The Castle
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「迷宮でこれだけ水使えるのはありがたい」

 血と吐瀉物にまみれた探索者が神殿の前で水浴びを始める。

 惜しげもなく水精結晶を砕き、あたりは瞬く間に水溜まりとなった。胃液と凄まじい血臭がようやく薄れてゆく。

 ランタンとリリオンの負傷は中々のものだし、最後に最終目標(フラグ)の足止めをしたジャックたちも血溜まりに潜ったようになっているが、周囲を囲んでいただけのように思える探索者もなかなかの負傷具合であった。

 最後の一斉激突は百秒に満たない。

 探索者たちは自らの肉体を用いて最終目標の行動を遅延させた。数がいなければ命まで使わなければならなかっただろう。一合の打ち合いも適わなかった探索者もいる。近付いて、ただ斬られただけだ。

 しかし、その一動作の手数を最終目標に使わせたことに意味があった。

 リリオンら三名による戦型を整えるのに必要な犠牲だった。

 探索者は命の消費は戦闘の手段の一つに過ぎない、と頭では考えている。だが実際にその瞬間になった時、自分がどのような反応をするかを今はまだ知らない。

 しかしあの場では躊躇わなかっただろうという根拠のない確信を皆が抱いていた。

 だからこそ命を繋げたのだとも。

 ただその手段をとらなくて済んだ喜びと安堵感は探索者を開放的にさせた。

 魔精酔いを挟み、頭から冷や水を浴びているのに興奮は冷めない。

 大型魔精鏡を通じて、霧の向こうからランタンとリリオンの戦い振りを観戦していた。

 観測の仕事をしていた魔道ギルドの職員を押し退けて目を皿にしていた。

 手に汗握り、息を呑み、その激烈な戦闘の中に混じりたいと思った衝動は子供のように純粋なものだ。

「はあ、よかった――」

 誰かがうっとり呟く。

「お前、指は?」

「指? そんなまさか。あれ、指ないじゃねえか? しかも二本も」

「おおい、誰か指拾わなかったかあ?」

「――指ならここにあるぞ」

 負傷者の手当も進んでいた。致命的な負傷はほとんどない。槍に身体を貫かせて、それを受け止めた虎の戦士は血を失いすぎて意識が戻らないが、今のところ死んではいない。

 最も高度な技術を有する治癒術士であるヤナはランタンとリリオンにつきっきりであるが、それに文句をつけるものは一人もいない。

 相変わらずランタンは自分を後回しにしようとしたが、あれほどの激戦であったのだ。ランタンの怪我も致命傷に近いものがある。致命傷にどれほど近くても、致命傷でなければそれでよいというのがランタンの考えである。

 自分で自分を治療する探索者は、自らを使い古しの雑巾のように思っているのかもしれない。血止めを塗り付け、太い針と糸でざくざくと傷口を縫い合わせる。

「どっちが中指でどっちが薬指だ?」

「くっつきゃどっちでもいいだろ」

「それもそうだな。おい、でも裏表は間違えねえでくれよ」

 ランタンの目には彼らが薬指に中指を、中指に薬指を繋ごうとしているように見えるが、本人たちが気にしていないようなので口出しをしなかった。

 外科的に指を繋ぐと聖水と呼ばれる不定型生物(スライム)由来の治療薬を用いて傷口を固定する。それはやがて肉に同化する。

 聖水は前王権代行官であるブリューズが広めたものであった。効果が覿面であるためにすぐに探索者に定着したが、戦争に於いて肉体の変異を起こした探索者の多くに聖水の使用歴があり、また使用頻度が高いほどに変異率が高くなった。

 その事を理由に販売の禁止措置が執られたが、今でも裏で積極的な取引が行われているのはその効果の高さゆえのことだ。

 流通している聖水の大半はでたらめな粗悪品で、既に製造が中止している本物の聖水はそれほど多く残っていないとされている。製造元も製造法も不明で総量が減ることはあっても、増えることはないからだ。

 そう当局は発表しているが、それを今も作り続けている個人か、組織がいることは暗黙の了解だった。

 時折、大量の在庫が裏の市場に流れることがある。それは明らかに新しく作られたものである。アシュレイと探索者ギルドが今、追っている問題の一つだった。

 とはいえ迷宮の探索者に、アシュレイの悩みはあまり関係がない。便利なものは何でも使う。

 ランタンとリリオンは真っ当な治療を受けている。

 針は祝福が施された銀の針であるし、縫い糸は蜘蛛の糸よりも細く滑らかで、使用される魔精薬は選別された高級品で、鱗粉は妖精が干涸らびるんじゃないかと言うほど振りかけられた。

 時間をかけて丁寧に治療を施される二人を横目に、探索者たちは失った血を満たすために酒を呑み、傷口を塞ぐために食事を始める。

「僕らの食料を解放していいよ」

 ランタンがそう言うと狂喜乱舞し、遠慮というものを知らない。あっという間に呑めや歌えやの宴会が始まる。ランタンとリリオンはさっそく囲まれてしまって、治療中なので逃げ出すこともできない。

「家に帰るまでが探索だからな」

「帰る家なんてねえよ、乾杯!」

「乾杯!」

 もう何度目かの乾杯が行われ、ランタンは渋々それに付き合う。あっちに混ざりたいな、とランタンはリリオンの方を見る。

 そちらでは女ばかりが集まって何か楽しげにしていた。きゃあきゃあと黄色い声を上げて盛り上がっており、たまに自分の名前が出ているのが耳に届いて、そわそわしてしまう。

 向こうの華やぎに比べてこちらは筋肉と髭と包帯の集まりだ。しかも全員酔っ払っている。悪夢に等しい。

「じゃあどこに帰るんだよ」

「常宿よ。戻りゃ飯も出るし、酒も出る。飯炊き女もいる」

「ご飯が出るなら作ってくれる人もそりゃいるでしょ」

 ランタンが呆れるように言うと、車座になった男たちはにやにやと顔を見合わせた。

 ランタンはその表情から、それが何であるかを敏感に察知した。

 宿には給仕を兼ねた娼婦がいるのも珍しいことではない。

 からかいの言葉を口にしようとするが、ランタンは無言で骨付き肉の骨を噛み砕く。ばきばきとした咀嚼音は、先程に耳にしたばかりである杖の魔物が奏でた恐ろしい咀嚼音を容易に思い出させた。

 ランタンはじゅるじゅると骨髄を啜った。悪魔のように。

「――お、ジャック。もう、いいのか?」

「おかげさんで」

 重傷者の一人であるジャックが酒席に並ぶ。ぐるぐるに巻かれた包帯には血が染みているが、足取りはしっかりしており、渡された酒杯を一息で空にする。

「ああ、美味い。いい酒があるのになんか盛り下がってるな」

「いやあ、ランタンが飯炊き女を知らねえって言うから」

「そりゃランタンには必要ないだろ。おい、こっちにも肉回してくれ。血が足らん」

 ジャックが言うと、それもそうかと皆が納得する。

「俺らも嫁さん探さねえとなあ」

「迷宮探索してる場合じゃねえやな」

「ちげえねぇ」

「なあ、ランタン、お姫さん紹介してく――」

「しない」

 あっはっはっ、と男たちはやけくそに笑いだし、立ち上がって肩を組んだかと思うと勇ましく歌い出した。

「――ああ、いつか迷宮で死んだら、仲間よ伝えてくれ。女には愛していたと、子らに俺の踏み跡が迷宮に残っていると」

 初めて聞く歌だった。

 食器をがちゃがちゃと叩き鳴らし、調子外れの拍子を奏でる。内容は死んだ探索者の遺言のようなものだったが、それをずいぶんと陽気に歌っている。

 女たちが呆れた様子でこちらを指差し、それから仕方がないといった様子で手拍子を刻む。

 迷宮の夜は更ける。




 翌日、ようやく帰路についた。

 負傷しているランタンとリリオンとジャックが荷車に乗り、アダムスは自発的に荷車から降りて自らの足で迷宮を歩くことにした。

 荷車には食料こそ減ったものの、行きよりも遥かに大量の荷物が積まれている。

「あの大釜と迷宮核は買取で。武器類はこちらの総取り。迷宮核の分は全員に分配してください」

「よろしいのですか?」

 荷車に随伴するアデルがランタンを見上げて尋ねる。ランタンは頷いた。

「こんだけ怪我して貰ってただ働きじゃ悪いし」

 ランタンが言うとジャックが鷹揚に身体を起こした。怪我のせいと言うよりも寝不足と二日酔いのせいだった。重たげに頭を抱える。

「――悪かねえよ。それに、そう言うのは全員揃ってるところで言えよな。その方が感謝されるぜ。探索者なんて単純だから」

「感謝なんていりませんよ。同じように戦ったんだから」

 ランタンの言葉に、ジャックはお手上げというように両手を挙げて肩を竦める。

 アデルが深く頷く。

「かしこまりました。ではお言葉の通りに」

「うん、よろしくお願いします。ちゃんと全員にですよ」

「はい、全員ですね」

「そう。僕とリリオンも、あなたとヤナさんも入れて全員」

 アデルは驚いたように眼を丸くする。

「なんなら杖の分余計に抜いてもいいよ。あと――下着代も」

 ランタンがいたずらに囁くと女は赤面する。

「ランタンさまは、意地悪な方なんですね」

「そうかな。そんなことはないよね。リリオンだって最初の――」

「ランタンはいじわるよ」

 リリオンがランタンの口を塞いで、そのまま身動きが取れないように後ろから抱きかかえる。耳元に口を寄せる。小さな声で噛み付くみたいにはっきり言う。

「お漏らしのことはみんなの前で言わないで」

 ランタンは口を塞がれたまま頷いた。リリオンは、本当よ、と念を押してようやくランタンを解放する。

 荷車には死神の大鎌に騎士王の馬上槍と魔剣、迷宮核、それから神殿内で発見した酒と織物、棚や机も乗せられている。

 そのせいで運び屋の足取りは行きよりも遅く、それに合わせるので全体の進行速度が低下していた。それを急かすことはない。

 バロータたちも怪我をしており、何よりも自らの実力を倍しても足らない戦場にその身を投じたことによる衝撃から彼らは抜け出せていない。

 彼らはあの戦場に於いて最も経験の浅い探索者だった。

 今でも夢を見ていたのではないかと思う。それほど現実感が稀薄だった。やがて正気に戻った時、隔絶した実力差に打ちのめされるのか、それとも奮起するのかは彼ら次第である。

「魔精鏡越しでも二人はよく見えたぞ」

「ふうん。あれって相当魔精が濃くないと見えないようになってるはずなのに」

「感度を高くしておりますので」

「なあんだ」

 リリオンがつまらなさそうに言う。

「ランタンと同じぐらいになれたと思ったのに」

 唇を尖らせる。

「魔精鏡での見え方は、強さを計る指針の一つにはなりますけど絶対ではないのですよ。保有する魔精の量を透かして見ることができるとされておりますが、透かさないものもおります。たとえば魔精結晶をしまうための袋を魔精鏡で見ても、中の結晶を見ることができないように。魔道を不得手とする人はこの傾向が高いと言えます。リリオンさまは」

「練習してもぜんぜんできないです。ぜんぜん」

 お見通しというようにアデルは頷く。

「けれどそう言う方は非常に身体能力が高くなることが多いので、一概に悪いというわけではありません。あの」

 リリオンは唇を尖らせたままで、アデルは一瞬言い淀んだ。

「とは言え、成長するにつれて性質が変わることはありますので。二次性徴を、男子ならば精通が、女子ならば生理を迎えることによって――」

 アデルが捲し立てるように言うと、リリオンは少し気圧されたようだった。

 そんなリリオンに気付いた様子がなくアデルが続けるが、話がどんどん専門的になっていくので誰も理解できない。リリオンを落ち込ませまいとしているのだけがわかる。

「――どぅわっ!」

 それを断ち切ったのは盛大な悲鳴だった。

 先頭を歩いていたカールが盛大に転んだようだった。

 ジャックがこれ幸いと声を掛ける。

「どうした? 大丈夫か?」

「はい、すいません! 大丈夫です! なんだこれ、油が撒かれてます!」

 普段ならそんなこともなかっただろうに、上の空で歩いているせいでしこたま尻をぶつけたらしい。尻と尻尾が油にまみれて、遠目にも表情を歪めているのがわかる。

 三人もさすがに荷車から降りた。

 道幅一杯に油が撒かれており、車輪が空転する荷車を力任せに後ろから押し進める。

「ったく誰だよこんなことしたやつ」

「まったく。迷宮か、迷宮が油を流したのか。嫌がらせで」

 ランタンとジャックが兄弟みたいに腕組みをして不満を口にする。

 リリオンとコリンが目配せを交わし、互いに口を噤んだ。鉄馬の群を殲滅するのに、油を流す案を授けたのが二人だった。ケールが何かを思い出したようで口を開きかけるが、コリンに脇腹を痛打されて言葉を失った。バロータは運び屋と協力して車輪の油を拭き取ってみて見ぬ振りをする。

 油を抜けた先では、道の舗装が割れたり削れたりしている。金属片が転がっていたりもする。鉄馬が駆け抜けて一網打尽にされたのは、ほんの数時間前のことのようだった。

 三人が再び荷車に乗って進み始めると、ほどなく背後から接近する足音が聞こえた。

「なんだ?」

 振り返ると一頭の馬が駆け寄ってくる。

「魔物だな」

 それは鉄馬のようで鉄馬ではない。

 それは陶器でできた仔馬だった。乳白色の馬体で跳ねるように駆けてくる。

 群れをなして駆ける鉄馬から置いてけぼりをくらったのか、それともただ一頭そのように生まれたはぐれ魔物か。

 騎士王の跨がっていた八つ足鉄馬と比べるとおもちゃのように見える。

「ああ!」

 リリオンが悲鳴に似た声を上げる。

 視線の先で仔馬が油で滑って転んだのだ。

 かちゃん、と陶器のぶつかる音は妙に不安を煽る。

 仔馬はよたよた立ち上がり、それから再び滑って転んだ。

 がちゃん、と今度こそはっきりと割れる音がした。

 それっきり仔馬は動かなくなった。

「ねえ、ランタン」

 リリオンの声は明らかに哀れみを含んでいる。

「いいよ、拾っておいで。ローサの土産は多い方がいいし」

 リリオンが荷台から飛び降りる。

「滑って転ぶなよ」

「だいじょうぶ!」

 走りながら振り返ったリリオンは転んで、仔馬をさらに粉砕した。


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