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カボチャ頭のランタン  作者: mm
13.Invitation To The Castle
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 目覚めて窓がないことに気が付く。部屋の中には湿気がこもっていた。人から発せられる湿気だ。

 開いた目蓋が粘着く。

「ああ、……迷宮か」

 ランタンは身体を起こして呟く。

 隙間なく組まれた石の一室だ。これならば形を持たぬ亡霊すら入り込む余地はないだろう。

 男女の交合には退魔の力があると信じる文化も珍しくはない。

 ランタンはそれを信じているわけでもないが、しかし二人の夜が襲われる心配は少しもいらなかった。

 ランタンはまだ夢の中にいるリリオンの寝顔を見下ろす。顔にかかる銀の髪を払い、汗の引いた頬に触れた。唇が紅を引いたように見えるほど頬が白い。

 迷宮とは思えぬほどよく眠っていた。

 この迷宮はどうも変だ。そう感じるのは、濃厚な人工物の気配や、入り込んだ人の多さがその原因だろう。

 道中それなりに戦闘をこなしたが、それでもいまいち感じを掴むことが出来ない。

 ジャックたちには悪いが、護衛されるという状況ももしかしたら裏目に出ているのかもしれない。

 しかし迷宮はそんなものだ。迷宮はそれぞれ唯一無二のものだ。人が多いとか、護衛されているだとか、それさえも迷宮を構成する一つの要素に過ぎない。

 近似するものはあっても同一のものはない。

 これだけがそうだ。地上からも、どの迷宮であっても、あるいは夢の中でさえ同じようにランタンは感じる。

 ランタンは布団を捲る。露わになったのは一糸纏わぬリリオンだった。

「……うん」

 どこにあってもこれは変わらない。その連続性がランタンを安心させた。

 リリオンが赤子のように身震いをした。それを見てランタンも自分が裸であることに気が付く。名残惜しくリリオンの身体を隠し、ランタンはベッドを降りるとあらかじめ用意してあった水で身体を清め、探索服に身を包んだ。

 夜の間に失った分の水分を摂り、書き置きを残し、腰に戦鎚、手に朝食替わりの林檎一つを手に部屋を出た。

 神殿内は静かだった。老人のように早起きをしたせいで、人々はまだ眠りの中にある。

 迷宮内にも朝晩はあった。空があるわけではないし、太陽と月があるわけでもない。しかし雰囲気が変化する。朝には朝の、夜には夜の雰囲気に迷宮は包まれる。

 迷宮中央付近の大鐘楼は一日に三度鳴らされる。

 この迷宮は二十七時間周期で一日が巡っていた。探索者も研究者も、この二十七時間を一日として迷宮で行動していた。

 もっとも迷宮での一日が、地上での一日に変換されるわけではない。迷宮で一日を過ごせば、地上では一日と三時間が過ぎている。そのため迷宮滞在日数は八の倍数で管理されている。

 ランタンは神殿を散策する。昨日は本殿をぐるりと見て回ったが、さして興味を引くものはなかった。強いて言えば人足たちの寝床として用意された地下が死体安置所のようだったことが驚きだった。

 何せ棺桶があり、もう慣れっこなのだろう、その棺桶を椅子にしたりベッドにしたり、棺桶の中で眠るものさえいた。

 この迷宮にかんして言えば、ランタンよりも彼らの方が慣れている。

「あれ、迷子か……?」

 ランタンは振り返って首を傾げた。

 神殿内で転移が起こるとは聞いていない。不意に自分の位置を見失ってしまった。少し寝ぼけているのかもしれない。ランタンは取り敢えず進み、扉があれば開けて通った。

 すると中庭に出た。その奥が、まさしく奥の院だ。神像だか何かが奉られているらしいとは聞いている。炎の気配があった。

 庭は雑草の繁茂した濃い緑があり、噴水があったが水は流れていなかった。噴水の底に藻類の緑がこびり付いて、壁面には水位を感じさせる水垢があった。

「干涸らびてる、……変に作り込まれてるな」

 ランタンは果汁で汚れた指先を舐め、芯だけになった林檎を消し炭にする。

「なんだこれ?」

 庭の片隅に石が積んである。円状に盛り土がしてあり、その盛り土を覆うように丁寧に積んであった。

 よくよく見てみると、それは方々にあり、半分ほどは崩されて、盛り土が掘り返されていた。調べるために研究者がやったのだろう。

 どうやら何かを育てていたようだった。石積みは獣か、それとも鳥か、植えたものを食べられないようにするためだ。

「うちの庭でもやるか」

 そんなことを呟きながら、鬱蒼とした庭をぐるりと回ると変わった形の植物を見つける。それは低い石積みの中心から蔓を伸ばし、地を這っていた。どうやら見逃されていたらしい。

「芋、かな?」

 地面に転がるそれは開く前の松ぼっくりに似ている。松ぼっくりよりも二回りほど大きく、鱗に似た硬質な皮で覆われている。よく見てみると更に棘も生えている。肥大化した葉っぱなのだろうか。葉脈のような筋が走っており、その筋上に棘が並んでいた。

 ランタンは懐から手帳を取り出し、石積みと含めてそれを描いてゆく。

 四方を壁に覆われているのに不思議と風が心地良く、ランタンは描くのに集中していたが背後の気配に気が付かぬほど間抜けではなかった。

「一人で迷宮探索か、画家じゃなくて探索者でも目指したらどう?」

 それはアダムスだった。

 ランタンが部屋を出てから、ずっと後を追ってきたのだ。もっとも途中でランタンの姿を見失ったが、幸運にも、あるいは何かに導かれたのか、ここに辿り着いた。

 アダムスは眠たげな目つきをしていた。昨晩は眠れなかったようだ。アダムスは雑草に一瞬怯んだ様子だったが、それを掻き分けてランタンに駆け寄った。

「お前が一人でどこかに行くから……!」

「あんたの許可が必要だとは思わなかったからね」

「ここは、いったい?」

 ランタンは肩を竦める。

「さあ、僕は迷子だから」

「なっ――! おい、大丈夫なのか! はっ! ああ、冗談か。冗談だよなっ、なっ!」

 意地悪なランタンは答えず、意味深な微笑だけを浮かべる。

 アダムスの顔が強張った。

「おい!」

「まあ、迷宮だって事がわかってたら充分だろう」

「充分なものか! 迷子になって何をそんな暢気に――」

「武器一つ持ってない奴に言われたくはないな」

「――こんな所で何をやってたんだ! うろうろしたかと思えば座り込んで! 本当に迷子なのか」

 アダムスはその場で足踏みをして、そのせいでがさがさと音を鳴らした茂みに存在しない魔物の姿を幻視し、猫のように跳び上がって怯えだした。

 元気だなあ、とランタンは思う。

「何って、絵を描いてたんだ」

 蹲り頭を抱えるアダムスにランタンがそう言うと、男は少年が手にしている道具をまじまじと見つめた。

 子供らしい少年の手にちょうど収まる手帳と、その手に似つかわしくない軍用の鉄ペン。

「……ふん、俺への当てつけか?」

「そんな下らないことなんかするか。馬鹿」

 ランタンは軽蔑を隠そうともせず言い放ち、アダムスは言葉に詰まる。ランタンは再び描画をはじめ、アダムスはそれを後ろから覗き込んだ。

「下手だな」

「はあー!?」

 なかなか上手く描けていると思ったランタンは思わず立ち上がった。いざという時に寸鉄と化し、相手の頭蓋を穿つ鉄ペンが握り絞めすぎて悲鳴を上げる。

「ちゃんと描けてるだろ」

「ちゃんと?」

「うわ、むかつく。どこが変なんだ」

「――まず単純に角度が違う。こっちの石の塊はそれなりだが、こっちはずいぶん上から見てる。影の入れ方も変だ。それから、これは記録だろう。なら正確に描くべきだ。この植物はもっと楕円だし、先端は尖ってる。鱗の数も違うし、棘の数が多すぎる。印象で描きすぎだ。それから――」

 ずいぶんと口が滑らかだ。

 ランタンは、ふうん、とつまらなさそうに鼻を鳴らした。

「そこまで言うんなら、手本見せて」

 そう言って手帳とペンを描けなくなった画家に押しつける。

 心音が跳ねたのがランタンに聞こえる。アダムスはそれを受け取った。手が震える。

「ダメか」

 アダムスが嘔吐した。

 庭の向こう、奥の院の扉が突如、音を立てて開いた。




 湿気たような熱が雑草を揺らし、繁茂していたそれらがみるみる立ち枯れた。

 扉の向こうは朱塗りになっており、その内部で燃やされていた炎はそこになかった。ランタンが目にすることが出来たのは、一握りの火の粉だけで、しかしそれも幻のように消え失せた。

「なんだ……?」

 奥の院から何かが飛び出した、と思う。しかし実際にランタンに触れたのは熱だけだった。

 だが、探索者の勘がそれだけではないと言っている。

 あれは火の粉だったのだろうか。血飛沫ではなかったかと今は思える。

 遅れて院内からヤナとアデルが姿を現した。他にも何人かの研究者が、見えない何かを追うように。

「――ランタンさま、どうしてこちらに!」

「迷子。そっちは? ずいぶんと慌てているようだけど」

「いえ――」

「いえ、じゃない」

 ランタンが目を鋭くすると、二人揃って息を呑んだ。

「あれは何かよくないものだ。違うか」

 問い掛けると、二人の後ろから壮年の学者が出てきた。怪我をしている。額から出血があり、だがそれは焦げ付くように固まっている。

 学者はそんなことを気にせぬような、慌てた口調で捲し立てる。

「あれはこの神殿に奉じられていたものだ」

「魔物か。討伐されたと聞いたが」

「再出現した」

「ふん、その瞬間の観察か? まったくここは安全じゃなかったのか」

 ランタンはそう言ってから、少しだけ安心をしている自分がいた。

 迷宮に安全なところなどあるものか。

 なるほど迷宮に似つかわしくない平穏な空気がランタンには違和感だったのかもしれない。

「倒した方がいいな」

「いえ、ランタンさまには最終目標(フラグ)の討伐という使命が」

「それもするよ。前哨戦には充分だ、まあまあ強い魔物なんだろう。のんびりしてたら寝起きを襲われて地獄絵図だ」

 ランタンはすんすんと鼻を鳴らす。

 炎の匂い、魔精の匂い、血の匂い。それを辿るのは容易なことだ。

「お供します!」

 歩き出したランタンに二人が付きそう。

「好きにしな」

 ランタンはそう言い放ち、速度を速めた。ヤナとアデルの二人が、裾を翻して追うがすぐに引き離された。

 魔物の気配は濃厚だった。

 魔物が発生する瞬間を見たものはいないとされているが、公に報告されていないだけで、目にしたことがあるものはいるのかもしれない。

 あの研究者の言葉を信じるのなら、この魔物はつい先程再出現したということになる。

 気配だけが先んじ、そして肉体を得るのか。

「まあ、いい」

 もう匂いを嗅ぐ必要はなかった。耳に悲鳴が届いた。襲われているのは雑魚寝の探索者たちだ。

 ランタンは扉を蹴破り、それが何であるかを知るより早く、その魔物に突っ込んだ。

 血染めの法衣は黒々とし、裾は床を引きずりぼろぼろで、しかし脚はなく浮揚している。人の上半身を持ち、頭部まですっかり骨が剥き出して、眼窩に暗い炎を宿している。手には大鎌。

「死神!」

 寝起きにはなかなか見たくない手合いだ。夢の続きを見ているのか、それとも眠っている間に地獄へ落ちたかと勘違いしかねない。

 ランタンは突っ込んだ勢いで死神に殴りかかった。死神の脊椎がぐるんと半回転し鎌が戦鎚と交差する。

 ぱっと血飛沫のような火花が散った。

「う――っ、骨だけなのにずいぶんと重いじゃないか」

 浮いている所為かと思ったが、死神はかなり巨大である。巨人族の骸骨のようだ。

「――怪我人回収!」

 さすがに寝込みを襲われてはどうにもならない。何人かが血溜まりに沈んでいる。死んでいるものもいるかもしれない。バロータたちはその中にいない。

 一喝されて、ランタンの強襲に呆気に取られていた探索者たちが慌ただしく動き出す。

「行くなっ!」

 それを狙おうとした死神の裾を踏み付ける。煩わしい羽虫でも払うかのように大振りされた鎌を戦鎚で受け、力比べは浮く死神よりも、地を踏むランタンに利があった。

 がくん、と死神の顎が外れた。眼窩の炎が喉奥に流れる。

 それが膨らみ、死神は炎を吐いた。視界が一瞬で赤く染まる。ランタンは爆風で身を守り、むしろ炎の中に身を隠して肉薄する。相手の姿は見えない。大鎌の柄を伝ってゆく。

 柄を握る骨の指に触れた。

 瞬間にランタンはその指をへし折った。折ったくせに動いている。引っ掻かれたランタンの掌に薄く血が滲んだ。

「喰らいな」

 ランタンはその指を飛鏢のように投げ打った。

 白い骨の指にランタンの血が付着している。それが死神の口内に飛び込み、ランタンの意によって炸裂した。隙間だらけの骸骨が、その圧力を逃がしきれず内側から四散した。

 歓声が上がった。だがランタンはまだ油断していない。

 折れた指が動くのならば、頭部が砕けようとも動く。それが不死系の魔物だ。眼窩の炎は流れ落ちて蛇のように脊椎に絡み、目が霞むように大鎌が二重に見えたかと思えば、現実にそれは二つになっている。

「散開!」

 ランタンの声には強制力がある。

 探索者たちが全員距離を取った。死神は大鎌を振り回した。目に見える範囲よりも一回り大きく、あらゆるものが切断された。

 ランタンの動きが途端に慎重なものになる。死神の間合いに片脚を踏み込み、攻撃を誘ってそれを大きく躱す。

 死神の間合いを計っていた。

 相性は少し悪いかもしれない。ランタンが炎に耐性があるように、死神にも同じように耐性があるかもしれなかった。

 骨を壊すことは出来ても、動力源たるあの炎を消すことは出来るだろうか。

 ランタンは右の大振りを誘い、爆発の突進力を利用して一気に踏み込んだ。ランタンの影が両断されて、残りの左を戦鎚で受ける。死神が引く。大鎌の利点だ。その内に入ったものを引くだけで両断できる。

 思いの外、引き足が早い。背に刃の気配が迫っている。

 ランタンは戦鎚を伸ばす。死神の肋骨に鶴嘴を引っ掛け、己の身体を振り回すようにして背後を取った。

 血染めの法衣が裂ける。大鎌二本どころではない。腕が四本ある。

 白骨の指がランタンの喉を鷲掴みにした。

「ぐっ」

 喉笛を潰されるより早く、その手首を砕く。指はまだ喉を潰そうとするが、本体から離れれば力が落ちる。

 問題は、腕が八本になったことだ。

 首と言わず、腕と言わず、脚と言わず、死神の胴体から無数に生えた腕がランタンに掴みかかる。もう八本腕どころではない。十六か、三十二か、さらに増殖する。

「邪魔ぁ!」

 一瞬で白骨に覆われたランタンが、爆発によってその全てを砕き姿を現す。

 しかしもはや死神は腕のみの存在と言ってもいいかもしれない。数百の腕が一塊になったような異様な姿だった。

 死神はランタンのみを狙っている。

 そこにいる探索者の誰もが手出しを出来ないでいた。

 ランタンは絡み合って大蛇のように襲いかかってくる腕塊に突っ込む。取り敢えずあの炎を探し当てぬことにはどうにもならない。

「これかっ!」

 肋骨の向こう側、ランタンは背骨を見つける。

 引っこ抜いてやる。そう意気込むが、相手は浮いている。

「ランタン!」

 見守るしかない探索者を押し退けて、遅れてやってきた探索者が躊躇うことなく駆け寄ってくる。

 身体にシーツを巻き付けただけのリリオンだった。

「恰好!」

 思わずランタンが叫ぶ。

 リリオンははっとする。

「武器っ、武器が――よこして!」

 相手を見ていなかったのだろう。リリオンは手近にあるそれをもぎ取った。

 死神の大鎌である。

 リリオンは鍬を振り下ろすみたいに、大鎌を腕塊に振り下ろした。ランタンの身体の大きさを間違えることはない。骨の中に埋まるランタンの腕、すれすれを刃が通った。

 ランタンはしっかりと背骨を握りしめたまま、それ以外の骨を振り解くように身体を回した。ばらばらと骨が散乱する。

「ランタンさま、リリオンさま!」

 いつ追いついたのだろうヤナが声を上げた。彼女の杖が光を放った。機を窺って準備をしていたのだろう。

 付与魔道。リリオンの手にする大鎌に何かしらの力が宿った。

「やれっ!」

 ランタンは背骨に絡む炎の、その両端を握り締め、一気に引き伸ばした。さすがに掌が焦げる。

 リリオンが振り下ろした大鎌がランタンの鼻先を危うく掠め、そして炎を両断する。

 炎が水をかけられた灰のようにぐずぐずと崩れてゆく。

 リリオンがほっと胸を撫で下ろす。

 ランタンは少しも安心できない。

 背中が露わになっているリリオンにぐるぐるとシーツを巻き直す。

「見るな!」

 ランタンは探索者たちに命令する。


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