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カボチャ頭のランタン  作者: mm
02.Some Day My Prince Will Come
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 市場で食事を取り、武具工房で整備に出した武器を引き取り、狩猟刀(ナイフ)についての諸々の打ち合わせを済ませると、その足で探索者ギルドに向かった。

 リリオンに恐怖は多少あるようだ。だがそれはランタンの手が少し痛くなるぐらいの恐怖であって、目に付いた男を切り刻むほどの恐怖ではない。

 ランタンは強く握られる手を意識しながらも、それを無視するように平気な顔をしていた。いや、痛みに気付かないふりをしようとするあまり表情は硬くなっていたのかもしれない。

 話しかけてきた探索者にランタンが一瞥をくれると、氷のように冴えた瞳に見つめられた男は日が悪かったと言うように肩を竦めて去っていった。

 迷宮探索を終えて四日目。いつもならギルドに寄れば、よさそうな迷宮でもないものかと迷宮情報に目を通しに行くのだが、今日は別の用事である。

 貫衣(ローブ)は探索者だった。ならばギルドにその情報があるのではないかと調べに来たのだ。

 ギルドの一画に黒い部屋がある。

 ランタンはそこを訪れたことがなかったので職員に場所を聞いて、少し迷いながら向かった。一階の右の奥。あまりアクセスの良くない場所にその部屋はあった。

 鉄格子のような扉を開けると図書館に似た、だがそれもよりもずっと濃いむせ返りそうなほどのインクの匂いが鼻腔に飛び込んできた。

 匂いは少しきついが、嫌いな匂いではない。

 その部屋は奥に受付台が一つあるだけで、あとは真っ黒な四方の壁に(おびただ)しい枚数の張り紙がしてある。

 その張り紙は、手配書だ。

 手配書に記される罪状は様々だが、共通していることが一つある。それはその手配書に描かれる人物が全て探索者であるということだ。何らかの罪を犯し、そして裁かれていない犯罪探索者。

 手配書には精緻な似顔絵とともに犯罪者を丸裸にするような情報が描かれたものもあれば、氏名だけで残りは不明(アンノウン)と判を押されただけものもある。

 捕らえられた探索者の手配書は上から黒く塗り潰されるため黒い部屋と呼ばれたり、その塗り潰した上にすぐさま新しい手配書が貼られるので恥の部屋と呼ばれている。

 今までランタンには縁のない部屋だった。

 襲ってきた貫衣のことでも調べられないかと思い寄ってみたが、何分初めて訪れる施設なので勝手が判らない。ランタンは眉根を寄せて辺りを見渡した。

 部屋にはポロポロと人がいる。現役の探索者もいるし、仇討ちを思う犯罪被害者もいるがそれらは少数だ。

 そのほとんどは逃亡中の犯罪者を捕らえることで生計を立てる賞金稼ぎである。

 身内の恥は身内で濯ぐという標語(スローガン)が掲げられ、探索者が自己の仕事に燃えるような矜持を抱えていたのはもう過去の話だ。部屋への立ち入り制限は撤廃され、賞金稼ぎなる職業が確固たるものになってもう何十年にもなるらしい。

 それだけ探索者から犯罪者が出やすいのだろう。

 ランタンとしてはギルド証の発行をもう少し厳格化するだけで随分と状況が変わるのではないかと思うのだが、そんなことを言っていられないほど迷宮は増え、探索者の数は足りないのかもしれない。

 ランタンは適当に壁に貼られた手配書を眺めながら、ふうむ、ともっともらしく呟いてみせた。隣でリリオンがランタンに視線を寄越して、そのすかした横顔を見つめた。

 なんにもわからないなぁ、と思ってもおくびにも出さない。

 貫衣は顔を布でぐるぐる巻きにしていたし、悲鳴の一つを聞けば男と女のどちらかぐらいは判るのだが残念ながらその声すら聞いてはない。調べるにしても手がかりが少なすぎるし、そもそも手配書に書いてある情報の内、身長体重はどうにか読み取れるが、それ以外はほとんどランタンの知らない単語だ。

 聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥とは言ったもののランタンの見栄がリリオンに文字が読めないことを伝えるのを躊躇わせた。

 まさしく恥の部屋だ。ランタンは情けなさを誤魔化すようにして手配書を睨みつけた。

「どうしたの? ランタン」

「んー……いくらなんでも情報が少なすぎた。リリオンはあの貫衣に捕まった時なにか気づいたこととかない?」

 ランタンが尋ねるとリリオンは眉根を寄せて目を瞑り、ううんと唸りながら首を傾げた。

 記憶の糸を辿り、もしかしたら恐怖がフラッシュバックでもするんじゃないかとランタンは少しヒヤヒヤしていたがリリオンは何もなかったようにゆっくりと瞼を持ち上げる。

「……たぶん、男だと思う」

「男?」

「うん」

 なんでそう思ったの、とランタンが聞くとリリオンは急に自分の胸を揉んだ。ちょっと触ってみる、程度ではなく完全に鷲掴みにしている。

「なっ、――こら。やめなさい!」

 突然の奇行にランタンは声を荒らげてリリオンの手を叩き落とした。

 何をしてるんだこの子は、とランタンがその顔を見るときょとんとしている。

「あのね、捕まった時におっぱいが無かったの」

「おっぱい?」

「うん、背中にね。服がもごもごしてたけど、おっぱいの感じがなかったわ」

 じゃあリリオンは男の子なんだ、と言ってやろうかと思ったがランタンはつい何時間か前に触れたその柔らかさを思い出して口を噤んだ。リリオンは女の子だ、間違いなく。

「おっぱいかぁ……」

 それだけでは男と断定することはできない。だが手配書の全てから、男性かあるいは貧乳の女性と絞り込むことができたのは、まぁいい事なのだろう。ランタンはもう一度、おっぱい、と感慨深げに呟いてみた。

 色んな意味で周りに人が居なくて良かった、と呟いてから思った。胸元の慎ましやかな女性が聞いたらリリオンの発言は喧嘩を売っているとしか思えないし、眉間に皺を寄せておっぱいと呟くランタンはシュールを通り越して異様だった。

調べる手配書がほんの幾ばくか減ったが、それでもまだ手配書は膨大な枚数が残っている。これを調べるのか、と思うと索引のない図鑑を前にしているようなげっそりとした気分になった。

「ちょっと受付の人に聞いてみようか」

「うん」

 受付はまるで壁に開いた大鼠の通り道のようだった。壁の奥には司書が座っている。穴からは司書の手元から口元までしか見えないように設計されていて、さらに司書は長袖を着て手袋を嵌め、口元には前掛けのようなマスクを着けている。

 ランタンはその姿に貫衣の姿を重ねた。

「すみません、お尋ねしたいことがあるのですが」

「ご用件は?」

 尋ねたランタンは返って来た不思議な声に目を丸くした。

 男の声と女の声が重なって聞こえてくる。マスクによって声音(こわね)を変えているようだった。職場が職場だけに逆恨みをされることでも恐れているのだろうか。

「人探しです。探索者の、犯罪者の」

 ランタンが声に驚き、少しあたふたしながら伝えても司書は至って冷静だ。冷ややかと言ってもいい。

「掲示されている手配書はご覧になりましたか?」

「見ました。見つけられませんでした」

 壁のほんの一画だけだが見たことには間違いない。ランタンは多少の後ろめたさがあるものの、はっきりと司書に伝えた。

 マスクが揺れる。司書が小さく頷いた。

 司書は椅子に背を預けるように身体を後ろに引くと、受付台の下から分厚い紙の束を取り出してどんと受付の上に置いた。壁に貼られている手配書を剥がしてまとめ直してもこれほど厚くはならないだろうというほど厚い。

「え、と」

「部屋から持ち出しはしないでください」

 戸惑うランタンのことなどお構いなしに司書は更に受付の上に紙の束を追加した。

「破損汚損等ありましたら返却の際に申告してください」

 どうぞ、と差し出されたそれは一冊五百頁はくだらないだろう。それが三冊。ランタンは呆然としながらその手配書の束を見つめた。犯罪探索者のあまりの多さに驚いたということもあるし、こうも突き放されるとも思っていなかったと言うのもある。

 検索サービスのような気の利いたものはないらしい。

「どうするの?」

 手配書に手を伸ばそうともしないランタンをリリオンが揺らした。司書はもう自分の仕事は終わったとでも言うようにゆったりと背を椅子に預けている。

「どうするって……」

 せっかく出してもらったからにはこれを調べない訳にはいかないだろう、とは思う。

 だがこれを、とランタンは再び手配書に視線を落とした。はっきり言って面倒くさい。索引のない図鑑を調べるどころか、砂漠に零した塩の粒を探しだせと言われたような気分だった。

「とりあえず目は通すよ」

 ランタンが腹を括って手配書に手を伸ばした。

「――それを調べるのはなかなか骨だぞ」

 その手に、脇から伸びてきた別の手が重なった。

 爪の鋭い、短い黒毛に覆われた指。亜人種の指だ。ランタンは弾かれるように振り返った。また不躾な勧誘だろうか、と眉間に刻んだ皺が深い。

 それは犬、いや狼だった。

 紫にも見える黒い体毛と、それよりも濃い黒髪が長い。頭の上に生えた尖った耳。突き出した鼻面。微笑の浮かぶ口元から鋭い牙が溢れている。獣の顔がそこにあった。

 野性味溢れる容貌だが、だからこそ眼差しにある知性的な輝きが目立つ。

 狼人族の女性だと認識した時に、ランタンは強い既視感に襲われた。

「――あまり意地悪をしてやるなよ」

「……頼まれた資料を出しただけだ」

 現れた狼女はさっと手を放すとランタン越しに司書と話しはじめた。司書の声は相変わらずマスクによって歪められていたが、そこには親しげな雰囲気があった。

 ランタンは既視感の元を探るように狼女の凛々しい横顔を見つめて、あ、と声を漏らした。

 勧誘で囲まれた時、探索者を追い払った武装職員の犬面の兜。その凛々しさに狼女の横顔が重なった。

 ランタンが見つめていることに気がつくと司書との軽妙なやりとりを切り上げて、狼女はランタンに向き直った。その眼差しは兜の隙間から覗いた眼差しそのままだ。灰青の落ち着いた色の瞳に見つめられて、ランタンは深々と頭を下げた。

「その節はありがとうございました」

「いや、君は本当に、くふふ、探索者らしからぬ礼儀正しさだな。あの時も言ったが、あれが私の仕事だ。気にすることはない」

 狼女はあの時と同じようにランタンの頭を撫でた。あの時との違いは堪えきれぬような笑い声があることだけだ。

 狼女は兜を着けておらず、同様に鎧も身に付けてはいない。鋼に覆われた指に撫でられた時もそうだったが、その掌には肉球などはなかったがやはり柔らかかった。

「それで、君はこんな所になんの用だ?」

「……人の職場をこんな所とは随分な言い草だな」

「自分で何時も言っているだろう」

「自分で言うのと他人(ひと)に言われるのは別だ」

「ああもう、少し黙ってろ」

 狼女はふんと鼻を鳴らしてランタンに向き直った。凛々しかった雰囲気が一気に柔らかくなって、ぴんと尖っていた耳がぴくぴくと照れたように動いている。

 ランタンがその耳を興味深げに眺めていたら、それで何かあったのか、と狼女に問われた。ランタンはバツの悪そうにはっと視線を逸らしてしどろもどろに答えた。

「あの……少し襲われたので、探索者と思わしき奴に、それでちょっと調べに」

「ふむ、襲撃者(レイダー)か?」

「いえ、それが全然情報がなくてですね」

 襲われて、とランタンが言うと狼女の目がすっと細まる。その冷厳さに当てられたようにランタンも自然と背筋が伸びた。狼女は顎に手を当てて、ほんの僅か思案した。

「……よかったら相談に乗ろう。どうだ?」

「ありがたいお話ですけど、ご迷惑では――」

「迷惑に思ったらわざわざこんな提案などしないさ。決まりだ、――おい」

 狼女が司書に視線を投げかけた。

 ランタンはそれでようやく蚊帳の外に置いてしまったリリオンに視線を向けた。

「ごめん、勝手に決めちゃって」

「ううん、いいの。だってランタンのこと助けてくれた人なんでしょう?」

「うん、ほんと助かったよ」

 なんとなく狼女は大人の女性という感じがする。立ち振る舞いに余裕を感じるためか、あるいは助けられたことによる刷り込みだろうか。凛と背筋の伸びた背中が頼もしい。

「なんで黙ってるんだ、――あぁくそ、わかったよ。黙ってろなんてなんて言って悪かったよ」

「――それで?」

「ちょっと部屋貸してくれ」

「部外者は立入禁止だ」

「探索者は全てギルドに所属している。だから部外者ではない。どうだ?」

「……」

「部屋を貸してください」

 ぽいっと受付台に放られた鍵を狼女は引っ手繰るように奪いとった。まるで待てをされた犬が許しを得て餌に飛びつくような素早さで。ランタンは何となく目を瞑ってその姿を見なかったことにした。

「どうかしたか?」

「いえ」

「ならいい。じゃあ着いてこい」

 そう言って部屋を出た狼女の後ろを追う。

 狼女の引き締まった尻からは尾が生えている。皮のズボンに開いた穴から外に出た尻尾は毛並みが長く、毛先に近づくにつれてわずかに銀色を帯びているようだった。尻尾は膝の辺りまで垂れている。

 黒い部屋を出て、もう少し奥へと進むと扉がある。扉に掛かったプレートには関係者以外立入禁止とでも言うようなことが書かれているのだろう。

 狼女は解錠して扉を開けると、ランタンたちを先に部屋へと通した。

「おじゃまします」

「――します」

 背後で再び鍵を閉める音が響いた。その音に振り返ったランタンの視線を横切り、狼女は薄暗い部屋の奥へと足を進めた。

 黒い部屋、そこに開いた受付口の先にある空間。

「棚ばっかり……」

 通された部屋は黒い部屋よりも広いが、沢山の棚のせいで圧迫感がある。様々な書類を詰め込んだ棚がずらりと立ち並んでいる。それは湖底に堆積する泥のような探索者ギルドの恥の歴史なのかもしれない。

 古い紙特有の黴っぽいの乾いた臭いにランタンはすんすんと鼻を鳴らした。

「あまりいい臭いじゃないだろう」

「いえ、結構好きですよ。なんとなく落ち着きます」

「へぇ」

 ランタンが言うと狼女は物珍しがるような、気のないような曖昧な相槌を打った。鍵をちゃりちゃりと手の中で弄んでいたかと思うと、不意にそれを放り投げた。その先にはマスクの司書が居た。

 椅子に座ったまま振り返りもせずに鍵を捕った。狼女はその背に声を掛けた。

「悪いな」

「……あまりうるさくしたら追い出すぞ」

「解ってるよ。――奥のソファに」

 ランタンは促されて、先にリリオンを座らせる。そして自らもソファに腰を下ろしながら、そっとリリオンの耳元に口を寄せた。

「――という訳で、大きい声は出しちゃダメだよ」

「ん」

 リリオンは唇を結んで硬い表情でこくりと頷いた。リリオンは司書の独特の雰囲気にか、それとも紙の束に音を吸われているのか静謐な部屋の雰囲気に戸惑っているようだった。

「改めて自己紹介をしようか。テス・マーカムだ。探索者ギルドの職員をやってる。まぁギルド内の治安維持の仕事だね、――おい、なんだ文句あるか」

 狼女、武装職員テスがランタンの頭の上を通り越して椅子に座る司書に声を飛ばした。

 ランタンとリリオンが揃って振り向いて見ても、司書は背を向けたままだった。見ていないところで何かちょっかいをかけたようだ。あのマスクの下にはもしかしたら子供がいるのかもしれない。

 ごほん、と咳払いに慌てて振り返った。

「あ、すみません。自己紹介ですよね、えっと――」

「くふふ、その必要はないよ。乙種探索者ランタン。私と違って君は有名人だ」

 その言葉にランタンは苦い表情を作りそうになったが、どうにか曖昧に微笑んで誤魔化した。テスはその表情を面白がるように笑い、そしてその隣に視線を移した。

「それと丙種探索者リリオンだろう。あの数多の勧誘を袖にしたランタンを落としたっていう」

 だがその言葉にランタンの微笑ははっきりと凍りついた。瞳だけがするりと動いてテスの表情を窺う。それは睨みつけているようにも見える。だがテスはその視線に気を悪くした様子もなく、柔らかく肩を竦めるだけだった。

「ランタンは有名人、なんですか?」

「え?」

 むっとしたランタンを余所にリリオンは興味津々といった様子でテスに尋ねた。ランタンに睨まれても平気でいたテスがその言葉に驚いたような表情を作った。

「知らないのか。へぇ、だからこそ、なのかな?」

 テスはランタンに視線を寄越したがランタンは表情も変えず、さぁどうでしょう、と素っ気なく返した。

「ふふふ……それはもう有名だよ。単独探索者なんて天然記念物どころの話じゃないからな。彗星の如く現れ、次から次に迷宮を踏破し、ただ一人、孤高をゆく。探索者ギルドのポープ!」

「すごいすごい!」

 テスが煽り立てるように(うた)うとリリオンはキャッキャと喜んだ。尾鰭背鰭どころか魚がまるまる一匹生まれそうなほど誇張されたテスの煽り文句と、それを無邪気に喜ぶリリオンにランタンの表情はみるみると羞恥に染まり、暴走する二人を止めるタイミングも逸してしまった。

 針の(むしろ)だ。

「――うるさいぞ。無駄話するなら出て行け」

 騒ぐ二人を背後から投げかけられた静かな声が諌めた。

 毅然とした態度だ。きっとあのマスクの下には立派な大人の姿があるのだろう。ランタンはしゅんとした二人を見ながら、振り向きもしない司書に心の中で感謝を捧げた。つい先ほど思った失礼な想像など忘れたように。

 テスはバツが悪そうに頬を掻いて、今までのやりとりをなかったこととして場を仕切りなおした。

「あー、で、襲撃されたんだったな。話してもらっていいか?」

 テスが尻の下に潰していた尾を引っ張りだして、膝の上で撫でながらそう促した。

「そうですね、えっと」

 何をどう話したらいいか、と。ランタンはたどたどしく貫衣(ローブ)のことをテスに伝えた。

 テスは鋭い顔つきになって真剣にその内容を聞いている。そこには妙な圧迫感があった。

 まるで取り調べを受けているようだ。武装職員の主な仕事は不良探索者を武力によって制圧するだけかと思っていたが、その後の調書なども取るのかもしれない。

 ランタンは緊張していた。その自分に気がついたら、言葉に詰まってしまった。

「あ、の――」

「おっぱい!」

 沈黙が訪れるその寸前に、ランタンの言葉の先をリリオンが繋いだ。ランタンが言おうと思ったこととは全く別の言葉であったが、恥ずかしげもなく言い切ったリリオンにランタンは心が軽くなるのを感じた。

「おっぱいがなかったから、男の人です!」

「おい、そんだけの情報で調べさせようとしたのか……」

「あぅ、……ごめんなさい」

 背後から飛び込んできた呆れ声に、リリオンは立ち上がりそうだったほどの勢いを一気に萎えさせて肩を落として小さくなった。ランタンはそんなリリオンの手を握って慰め、そしてそれ以上に感謝を込めた。

「すみません、要領を得なくて」

 ランタンはテスに頭を下げた。テスは気にするな、と軽い口調で答えた。

「あんまり難しく考えなくていい。ギルドに迷宮の情報を伝える時と同じように考えてくれればいいさ。それは慣れたものだろう?」

「……なるほど」

「何時、どこで、誰が、どのようにってね。できれば時系列順に」

「はい」

 ランタンは返事をしてゆっくりと息を整えた。それを見るテスの目は優しい。迷宮探索を終えて、その情報を聞き取る職員のそれとは違う。

「襲われたのは四日前、下街でです。探索を終えて、上街で一晩泊ったその帰りですね」

「探索帰り、ね」

 テスの相槌に促されてランタンは更に続けた。

 薬物中毒者らしき集団。最後まで姿を現さなかった弓男。ギルド証を身に付けていた貫衣。ランタンは脳中にある襲撃の記録を全て吐き出した。

 リリオンが狙われたのかもしれないという、その憶測さえも。

 リリオンは何も言わなかった。ただ重ねた手が強く握りしめられた。ランタンはリリオンの横顔を盗み見た。リリオンはむすっとして下唇を突き出していた。小憎らしい顔をしている。

 予想していた表情と違う、とランタンは新鮮な気持ちになった。

 驚くか、申し訳なさそうな顔をするかと思っていたがリリオンは少し怒っているようだ。握られた手に痛みがある。それは無自覚に縋りついたあの痛みではなく、明確な抗議の意志があるような気がした。

「んー、そうだな」

 ランタンの話を聞いて沈黙していたテスが格好良く足を組んで、ソファにどかりと背を預けた。それに合わせてリリオンが手を離し、ランタンもリリオンの横顔から視線を外した。

「探索帰りを襲ったっていうのは襲撃者(レイダー)っぽいな。でもわざわざ待ち伏せた割にやってることがお粗末だ。薬中(ジャンキー)なんて百人集めたって物の数じゃないだろう?」

「まぁ、そうですね」

 薬物中毒者の群れは気味が悪いとは思うかもしれないが、それを手強いとは思わない。

「けど薬中の意志を統率するのは、そこらの悪党には難しいだろう。薬物の売人か、でも狙いがリリオンなら奴隷商や女衒(ぜげん)の線もある」

 テスはそこで一度言葉を切って、にたりとランタンに微笑んだ。

「ま、ランタンもだいぶ可愛らしくは、ふふっ、あるけど、生け捕りは無理だと判断したのかもしれないね。くふふ――まぁランタンに恨みを持ってる粘着野郎ってこともあるだろうし、リリオンに一目惚れしたストーカー野郎って可能性もある」

「それって」

「ま、この街には悪が多すぎるってことだな」

 テスは片頬を歪めるように笑った。テスは先の見えない状況を楽しんでいるようにも見える。不謹慎な、とランタンは眉を顰めていると、ちょこんとリリオンが袖を引いた。

「ねぇ、ぜげんってなに?」

「――……あー、女の人専門の奴隷商みたいな?」

「そうなの、ですか?」

「……そう! うん、それであってるよ」

 リリオンの無垢な眼に見つめられて二人はしどろもどろになった。そんな二人を余所にリリオンは新しく知った言葉を繰り返す。

 リリオンが余計な言葉を覚えてしまったじゃないですか、とランタンが抗議するように睨みつけると、テスは頬を引き攣らせて視線を逸らした。立派な大人だと思った最初の印象がどんどんと崩れてしまう。だがまぁ悪い人ではないし、親しみのある人物だと言い換えることも出来る。

 ランタンがむぅと睨み続けているとテスは開き直ったように、で、と一つ声を張って強引に話を続けた。

「探るべきは、その探索者の貫衣(ローブ)と弓男だろう。弓使いは男かどうかも判らんがね。――なぁ貫衣っぽい手配書に心当たりはないか?」

 テスはランタンから視線を外して、その奥に声を掛けた。

「――ないね。情報が少なすぎる。徒手格闘なんて探索者なら誰でもある程度は使えるし、そもそも手配されてる奴は大抵ギルド証を外してるだろ。ギルド証をつけてるならまだ現役なんじゃないか? ま、探索者であることを売りにする馬鹿も居るが、そんな馬鹿はさっさと捕まるし、捕まってない奴は顔を隠すような三下みたいな真似はせんだろ」

 マスクによって歪められた声だが、そこには確かに憎々しげな響きがあった。そして舌打ちが響く。

「――咄嗟にギルド証で防御するような奴は中堅以上の探索者だ。爬虫類系亜人、かどうかは情報が少なすぎて不明だが、まだまっとうに探索者やってて、中堅以上。それで最近変になってる奴が狙いどころだろう。個人的には弓使いのほうが探りやすそうな気がするけどな」

「なんでですか?」

 いつの間にか振り返ったリリオンがソファの上に膝立ちになっていた。推理劇を眺めるように尊敬の瞳を司書に向けていた。その視線の先を追うと振り向いていた司書がリリオンの視線を受けてたじろいていた。

「……なんとなくだよ。ほら、一応の手配書だ。主要武器が弓の探索者だけまとめたから、暇なときに目を通しとけ」

「ありがとうございます」

「ありがとうございます!」

「お優しいことだね司書様は」

「うるさいよ。ちっ、――仕事だからな、これが」

 抜き出されまとめられた手配書を受け取ったランタンとリリオンが揃って礼を言い、テスが司書を茶化した。

 司書は受付口に向き直ると、もう黙って何も言わず、その背中には棘のような拒絶の意思がはっきりとあった。ランタンはその背に目を伏せて、リリオンをちゃんと座るように促した。

 テスはまだ口元にくつくつと微笑を残している。けれどその笑みを吹き飛ばすように大きく息を吐くと、途端に真剣な顔つきになった。何だかんだとテスの印象は変わったが、彼女はやっぱり凛々しい。

「襲撃はまだあるかもしれないから気をつけるんだよ」

「はい」

「無理に情報を得ようとはせずに。まず第一に自分たちの安全、余裕があれば情報。優先順位は間違えないように」

 次に襲撃されたらひっ捕まえてやると思っていたランタンは、その子供っぽい意気込みを見ぬかれたようで恥ずかしげに微笑んだ。それを見てテスが目尻を下げた。

「情報は私も調べておくよ。もし敵のアジトが判ったとしても二人だけで行かず、私に相談してくれ」

「ありがとうございます。……でも、どうしてそこまでしてくれるんですか?」

 これは、それこそ賞金稼ぎや衛士の仕事であって武装職員の仕事ではない。武装職員が守るのは探索者ギルドの、もっと言えばこの建物内の秩序であって、探索者そのものではないのだ。

 ご迷惑ではありませんか、とランタンが尋ねるとテスは鷹揚に首を振った

「くふふ、気にすることはないさ。いわゆる趣味と実益ってやつだからね」

「趣味ですか」

 どんな趣味なのだろう、とランタンが思っているとそのランタンの思考をそのままリリオンが口に出した。

「どんな趣味なんですか?」

 テスは不敵に笑い、ただ一言答えた。

「正義だ」


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