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カボチャ頭のランタン  作者: mm
13.Invitation To The Castle
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 朝早くランタンとリリオンの二人が迷宮に入ると、迷宮はすでに真昼だった。

 群青の空に目を灼くほど白い太陽。赤い大地に落ちる影が濃い。わっと吹き上げた風がからからに乾いていている。

 砂漠迷宮だが、それほどざらついてはいない。

 赤々とした岩盤の露出する岩石砂漠だった。柱状に切り立った岩が生み出す複雑な地形。岩柱には横縞がくっきりと走っている。

 緑の葉を付ける低木と、細く鋭い葉先をした淡い黄色の藪が日照りに蹲る獣のように点々としている。

 この迷宮は未攻略だが、すでに人が入っていた。

 迷宮の契約主はある商人であり、彼から委託を受けた探索者と石工が先んじて迷宮を切り拓いている。

 迷宮口直下にはいくつかの天幕が張られ、探索用の資材や迷宮から切り出した石材が並べられていた。この赤い大地のどこかに埋まっているのだろう。乳白色の石材は陽の光を反射して眩しい。

 この岩石砂漠の迷宮は一本道の閉鎖型迷宮ではなく、四方へと空間の広がる開放型迷宮だ。こういう迷宮ではまず迷宮口直下周辺の安全を確保しなければならないが、それは既に済んでいるようだった。

 日影には長椅子が並べられ、休憩中の探索者がたむろしている。酒をやっているものこそいないが、ある者は熱さにうなされながら眠り、ある者たちは契約金を賭けてカード遊びに興じている。

「今日はよろしくお願いします」

 迷宮に降りて早々にランタンとリリオンが挨拶をすると、出迎えてくれた責任者が意表を突かれたような顔になった。それは探索者らしい振る舞いではないからだ。探索者はもっと横柄なものだし、そもそも降下直後は魔精酔いで苦しむものだ。

 リリオンは苦い顔をしている。降下途中に気付け薬を噛んだからだ。口の中で忙しなく舌を動かしている。

 気付け薬を服用したのはランタンも同じだったが、ランタンの外面はその程度の苦みでは剥がせない。

「いえ、こちらこそ。今日はどうぞよろしくお願いします。ささ、こちらへどうぞ」

 責任者は商人ギルドの関係者で、浅黒く日焼けをした痩せた男だった。

 天幕に案内され、促されるままにテーブルに着くや否や、責任者と同じ肌色をした女が水を出してくれる。

 テーブルには地図が広げられており。コップの結露に紙がふやけた。

 リリオンが十日も砂漠を彷徨ったみたいに一息でコップを空ける。かなり冷たいらしくこめかみを押さえる。ランタンは唇を湿らせる程度にとどめながら、地図に視線を下ろした。

「攻略は順調なようですね」

「探索者たちが頑張ってくれておりますので」

 それはこの迷宮の地図だった。事前にランタンにも写しが渡されていたが、それよりも二割ほど更新されている。

「けれど正直頑張りだけではどうにもならないのが迷宮でございますから、ぜひともランタンさまのお力をお借りできればと思った次第でございまして」

 長広舌を遮りたいのを堪えながら、ランタンは右から左に聞き流して更新された地図情報を頭に叩き込む。

 現在地を中心に西側への書き込みが多く、東側はほとんど手付かずだった。

 白地図は半分ほど埋められており、すでに最下層までの到達している。最下層はここから西に位置している。

 最下層は直線的に進めばさしたる距離ではないが、踏破困難な荒れ地と魔物を避けるため、一度南下し、それから回り込むように北西に進んでいかなければならない。

 だが今回の依頼は最終目標の討伐、つまり迷宮攻略ではない。

「お二人への依頼は二つになります。蛇蜥蜴(スネークテイル)の討伐と、熊の群の討伐です」

 蛇蜥蜴の出現地は現在地と最下層のちょうど中間ほどだ。この魔物を討伐すれば最下層までの道のりがぐっと短くなるし、西側に点在する採石現場へも行きやすくなる。

 もう一つ、熊の群は東側に出現する。これが東側の攻略が進まない一因であり、また有望な石材が露出しているのだがちょうどそこに巣くっているので近付くこともできず困っている。

 この二つの討伐がランタンたちへの依頼だった。

「なるほど。じゃあまずこの蛇蜥蜴から仕留めてきます。先行しますので運び屋はどうぞのんびり来てください。あまりのんびりすぎると死体が腐りそうですが」

「こちらでも戦えるものを用意しておりますが」

 さっさと天幕から出る二人を追いかけながら商人が言った。ランタンが日影の方に目を向けると商人は頷いた。

「あれでも腕は立ちます。連れていけば役に立つかと」

 だが彼らだけでは討伐に至らなかった。

「お気持ちだけ頂きます。開放型迷宮はまだ謎が多い。拠点を空にすべきではないでしょう」

 食料を背嚢に詰め込み、二人は日よけのフードをかぶると真っ直ぐ西を目指した。

 その道は一抱えもあるような岩がごろごろして、今にも崩れそうな岩柱が林立している。なるほど迂回した理由がよくわかる。けれどたった二人の探索者ならばそれほど困難な道ではなかった。

 二人は辺りを警戒しながら、日陰を選んで進んだ。

 出現する魔物は砂漠に相応しく蠍や昆虫といった多脚類、蛇や蜥蜴などの爬虫類、犬とも狐ともつかぬ四足獣や翼のあるものと豊富だが、その多くが魔物らしからぬ行動を見せるようだった。

 視界内に入っても攻撃意思を見せぬどころか、逃げることを選ぶようだった。もちろんまったく襲われる危険がないわけではない。不用意に近付いたり、こちらからちょっかいをかけたりすれば痛い目を見ることもある。

 だがそれはどんな生き物でもそうだ。野生動物然り、人間然り。

 流れる血の青さだけが魔物の特徴を示しており、それ以外は地上の生物とさしたる区別がない。

「しましま」

 リリオンが岩柱に入った横縞をいちいち指でなぞる。白い指先が赤茶けて汚れる。岩は一括りに赤いといっても、その縞ごとに色の濃さや明るさ、性質が異なった。

 ある縞は薄紅の砂を押し固めたようにざらつき、ある縞は黒い粘土質で、またある縞は遠目に見れば赤くとも、近付いてみれば色取り取りの砂利が混在していることに気が付く。

「地層っていうんだよ」

「ちそう」

「百年とか千年とか、長い時間をかけて土や砂が積もってできるんだよ」

「へえー、その土はどこから来るの?」

「えっと、火山の噴火とか、風が運んできたりとか……?」

 自慢げだったのが一転して曖昧に告げる。

 ランタンがふと岩柱に手を掛けると、途端に柱が傾く。比較的小さい、それでも二メートルはあろうかという柱が根元からぽっきりと折れて横倒しになった。

 ばらばらに砕け、その衝撃が波及して何本もの柱が連鎖的に崩れていく。

 濛々とした砂埃が汗ばんだ肌に付着して泥になる。

「ああ、やってしまった」

「六万年分ぐらい?」

「いや、もっと」

 崩れた柱の隙間から小さな生き物が這い出てくる。それは爪ほどの大きさの昆虫であり、細長い蛇であり、不機嫌そうな蜥蜴であり、寝不足の砂鼠だった。柱が崩れたのはそれらがきっと内部を食い荒らしていた所為だろう。

「中がすかすかになっていたのか」

 言い訳がましく呟いたランタンの爪先に慌てふためく昆虫が登ってくる。ランタンはそれを蹴っ飛ばすように追い払う。

 普通の魔物ならば硬い脛だろうが、柔らかな腿だろうが構わず食い破ろうとするが、その虫は蹴り飛ばされた先にある岩の影に潜って出てこなくなった。他のどんな魔物もそうだった。

 ランタンとリリオンは柱を壊さぬように注意しながら再び歩き出した。

「色順が整列してるだろ? あっちも、こっちも同じように」

「じゃあこことここが同じ時代? でも高さが違うわ」

「僕とリリオンがこうやって並んで、同時に頭から土が被っても高さが違うだろ」

「あ、そっか。はじめから平らじゃないのね」

「そう。で、これは断層」

 しばらく岩林を進むと、やがて柱が一つの塊になり、そして左手側に頭上に迫り出すような岩壁となる。

「何かをきっかけに盛り上がったり沈んだりするとこうなるんだよ。地震が起きたりすると」

「ふえぇ」

 大きなずれだった。リリオンの足元にある層と連続するはずの層が、リリオンが手を伸ばしても届かないところにある。

 一つ二つ三つ、とリリオンが層の数を数え始めた。

 ランタンの数え方では十七、リリオンの数え方では十四の層だ。縞の曖昧な部分を一つとするか、二つとするかの違いだった。

「どれが百年で、どれが千年?」

「さあ、手のひらの厚さで百年ぐらいじゃないの?」

「てのひらで……、じゃあ、じゃあ、この迷宮はええっと」

 指折り数えるリリオンの横顔にランタンは白々とした視線を向ける。汗ばんだ頬に赤く焼けた鼻先。リリオンはあからさまにランタンの視線を無視した。細く美しい指をしっかり折ってこぶしを作ると、顔を上げて青い空なり赤い大地なりを見る。

「百万歳ね、この迷宮は」

「数えてないだろ」

「指が足らないんだものしょうがないでしょ」

 開き直ったリリオンはつんと唇を尖らせる。

 地層は思いがけず複雑な模様を描くことがあった。縞模様だけかと思っていたら時にはぎざぎざと斜めに入り交じったり、炎が渦巻くような模様が浮き出ていたりする。

「これは実際にもあるものなのかな? それとも迷宮が適当に作った構造かな……」

 ランタンはそれらを書き写す。顎先から滴った汗が文字を滲ませた。

 日影を選んでも歩くほどにじわじわと汗が噴き出してくる。岩林の隙間を縫って吹きつける風は熱風であり、肌では汗が塩の結晶に変わりつつある。

 洞窟の入り口みたいに窪んだ崖下で休憩をとることにした。そこは一日中影になっているのだろう。腰を下ろすと濡れているのかというほどひんやりしている。

 こまめに水分補給はしていたが、唾液はすでに粘着(ねばつ)いている。しっかりと水分を取り、とうもろこしの粒のような塩の結晶を口に含んで溶かす。

 裾から手を突っ込んで汗を拭い、それから互いの背中を拭き合った。

「ランタンほっぺ赤いよ」

「ひりひりする。リリオンも鼻が赤いな」

 少女は照れくさそうに鼻先を擦った。そのせいで余計に赤らむ。時間が経ったら皮が剥けてしまうかもしれない。

 軽食を摂りながら地図を確認する。

 魔物の出現位置までもうすぐだったが、蛇蜥蜴は一所に留まっているわけではない。時計回りに縄張りを巡回しているという。侵入者が縄張りに入ると遠く離れていても敏感に察知しこれに襲いかかることもあるし、まったく無視をして巡回を続けることもある。

 だが視界に入れば確実に襲われる。

「この窪みがここだろ? で縄張りがだいたいここらぐらい」

「崖の途切れ目ね」

「うん、そこまで行ったら逆時計回りに進もう。そうすれば追いかけっこすることもないだろうし、襲われても正面を確保できる」

 立ち上がると地面に尻の形に汗が染みている。

 武器を携えながら再び行動を開始すると、やがて頭上にぽつりぽつりと黒穴が穿たれていることに気が付く。蛇蜥蜴の縄張りではない。

「あれ、なにかしら」

「何かの巣穴、……かな? 蟻にしちゃ大きいけど」

「蛇蜥蜴の巣穴じゃない?」

「あんな小さかったらやっつけるのが楽でいいけど」

「でも数が多いわ」

 穴はランタンが腕を突っ込めるかどうかというほどの大きさだ。百以上は余裕であるだろう。

「ここ崩れるんじゃないだろうな」

 ランタンは不安がり、ふと黙り込んだ。身振りでリリオンを停止させ、無言のまま後退させる。

「……どうしたの? くずれる?」

 岩柱の影に隠れて、リリオンが耳も緒に唇を寄せて囁く。

「なにかいる。ちょっとでかい」

 今まで目撃した生き物は最も大きいものでも片手で捕まえられるほどの大きさだった。

 だがこれは違う。

「蛇、……蛇蜥蜴か」

 大型犬ほどの大きさ。

 蜥蜴の頭に蛇の尻尾。しかしただの尻尾ではない。先端には蛇の頭があり、紫色の舌をちろちろしている。この魔物は胴体の前後に二つの頭があるのだ。蛇の方を前にしてのそのそ歩いている。

「やっつける?」

「いや、ちょっと観察」

 蛇蜥蜴は崖肌をよじよじと登る。逆立ちの練習をするみたいに蜥蜴頭を下にしている。鼠返しのようなせり出しまでゆくと脚の動きを止めて、尻尾がぐんと伸びた。

「かなり伸びるな……」

 蛇の頭が天井の穴に突っ込まれる。程なくびゃあびゃあとした悲鳴が響いた。蛇が穴から顔を出す。口に鳥を咥えており、生きたままのそれを丸呑みにするや否や再び別の巣穴に顔を突っ込む。

「鳥の巣か」

 だが丸呑みにして膨らんだ胴体が邪魔をして、なかなか奥に進めないようだった。尻尾が蠕動(ぜんどう)して膨らみが蜥蜴の胴体の方へとゆっくりと動いてゆく。

「やるか。でも尻尾を自切する可能性がある。蛇の方に穴へ逃げられたらやっかいかもしれない」

「尻尾なのに?」

「尻尾に噛まれたらそれこそ馬鹿らしい」

「それもそうね。じゃあこうだわ」

 リリオンは剣を鞘にしまった。

 ランタンが合図を出し、同時に岩陰から飛び出る。

 ランタンは戦鎚の鶴嘴を思い切り蜥蜴の頭に叩き込んだ。頭蓋骨を貫通し、下顎から飛び出した先端が蜥蜴を地面に縫い付ける。それとほぼ同時に、狩猟刀の一閃で蛇尾を切断した。青い血が溢れる。まだ息のある雛鳥も。

 その断面から少し離れたところをリリオンが鷲掴みにすると、勢いよく蛇を巣穴から引きずり出した。一緒に引きずり出された小鳥が毒牙から逃れたものの地面をのたうつ。

 リリオンは引きずり出した勢いのまま振り回し、鞭打つように蛇を地面に叩き付ける。

 蛇はぐったりとして動かなくなった。ランタンは念のため蜥蜴の心臓を貫き、蛇の頭を落とした。地面から戦鎚を抜く。

「よし。……リリオン?」

 リリオンは小鳥を拾い上げ、傷の様子を確認したり、胃液を拭ったりしている。

 魔物であるが、たしかにそうしたくなるのはわからないではない。まったく無害そうな、ふわふわとした小さい生き物だ。嘴も柔らかく、それがぴいぴい鳴いている。ローサのように。

 それに比べて、とランタンは蛇蜥蜴を観察する。

 事前情報では竜種ほど大きいと伝えられていた。そういった情報は恐怖から過大になる。話半分だとしても大型犬程度では小さすぎるし、この程度強さならばランタンたちに契約料を払った意味がない。

 それならば小型犬ほどとのたまった方が契約料が抑えられていい。

 ランタンはしゃがみ込み死体をいじる。

 三角形の蛇の頭。口は目元辺りまで裂け、上顎に二本の牙がある。鱗は蛇の鱗が優位で、蜥蜴の胴体まで細かな鱗で覆われている。生臭いような独特の臭気がある。背中は硬く腹は柔らかい。後脚が逆関節になっている。足指は太く柔らかい。首の付け根に総排泄口がある。蜥蜴の頭に古傷がない。

 別の個体だ。本命には探索者が付けた目印のような傷がある。

「これは……?」

「やっ、あばれないの。どうしたの?」

 リリオンの手の中で小鳥が暴れる。それに共鳴するように巣穴からけたたましい鳴き声が響き始めた。

 足音はまったくなかった。臭気は身体を砂や泥で汚すことで隠している。

 話半分。だがそれは象ほどの大きさがある。

 こちらこそ本命の蛇蜥蜴だった。

 大きく開かれた紫色の口腔。まるで壁が迫って来るようだった。

 リリオンを素通りして、一直線にランタンを狙ってくる。横っ飛びにランタンが避けると、それは崖肌を抉るように噛み砕いた。恐るべき咬筋力だ。

 小鳥を胸元に隠し、リリオンが剣を振るった。蛇の鱗の上を刃が滑る。蜥蜴蛇は意に介さず、蜥蜴の部分を棍棒のように振り回した。ほとんど目立たぬが古傷もある。

 間違いない。

 岩林が激しく粉砕される。

 縄張りまではまだ距離があるはずだった。縄張りから外れた子を追ってきたのか、それとも絶命のその時何かしらの信号を子が発したのか。

 ともあれ蛇蜥蜴は怒り狂っていた。

 ランタンとリリオンは日向に飛び出す。そのままでは崖崩れに巻き込まれてしまいかねないからだ。

「リリオン、蜥蜴を痛めつけろ! でも切り離すな!」

「はい!」

 砂塵と岩林の影を縫って蛇が襲いかってくる。

 そう、これは蛇だ。蜥蜴ではない。蛇の頭部に蜥蜴の尾を持つ魔物だった。

 ランタンが蛇を引きつける。牙からだらだと毒液が滴り、つんとした刺激臭が鼻を突く。時に丸呑みにしようと、時に牙で串刺しにしようと、右に右に回り込むのはそういう習性だからだろうか。

 気が付けばランタンはぐるりと囲まれている。縄を縮めるように一気に蛇が収縮し、ランタンを絡め取った。力十全ならば一瞬の内に骨を砕いただろう。

 だがランタンが引きつけている間に、リリオンが蜥蜴を痛めつけている。蛇の部分は筋肉の塊であり、蜥蜴の部分に重要な臓器を全て詰め込んである。

 リリオンは肩甲骨を寄せるように剣を引き、一気に突きだした。

 剣は鱗を割って臓腑を刺突した。一息に三連突し、振り回される蜥蜴の尾を力でもって押し返し、再び突く。穴が増えるほど出血は激しくなり、どろどろとした血で辺りは泥濘むほどだった。

 拘束されたランタンはそのまま四方に力を解放した。迷宮の熱波を凌ぐ熱の放射が蛇をずたずたに引き千切った。血に泥濘んだ大地が渇きを取り戻しひび割れ、ランタンは身体に付着した蛇の臭気に嫌な顔をする。

「ランタン。無事?」

「無事じゃない。くさい」

「無事ってことね――、ランタンあぶないっ!」

 瓦礫に混じって転がる蛇の頭部がそれだけになって突如襲いかかってくる。

 どういう力かランタンに向かって跳ね飛ぶ。鱗は焼けて弾け、怒りに染まっていた瞳は白く煮え、残った一本の牙が未だ鋭く、毒に濡れる。

 影。

 太陽の中から一羽の鳥が急降下してきた。それこそ竜種かと見紛う巨大な鳥である。短くも鋭い嘴。腹は白、背は黒の羽毛。長い尾羽は白と黒の縞模様があった。

 鷲か鷹か。いずれにせよ猛禽である。

 鉤爪が異様に鋭い。

 小鳥が一斉に鳴き出した。リリオンの胸の中からさえ。

 親鳥だった。

 それは蛇の頭を地面に叩き付けるように着地をして、しばらく大きく羽ばたいたかと思ったら静かになった。蛇はもう完全に沈黙している。額に嘴で穴を開けられていた。

 ランタンは戦鎚を構えたまま、親鳥と睨みあう。

 わかりやすい敵意ではない。警戒心、あるいは見定めるような。

 親鳥はぴぃと甲高い鳴き声を放った。すると巣穴に潜んでいた雛が一斉に飛び出してくる。一羽一羽は小さいが、それが数百ともなると猛烈な風が吹く。

 外套がはためき、砂が目に入り、それでもランタンは視線を切らない。

 雛鳥が親鳥の身体に潜り込む。羽毛の中に身体を隠すと、親鳥の巨体がいよいよ膨らむ。

「リリオン、いいよ。でも気を付けて」

 ランタンが言うと、リリオンは親鳥に近付く。両手に傷ついた雛を二匹乗せて掲げると、親鳥はようやくランタンから視線を外し、嘴のほんの先っぽでそれを拾い上げ自らの羽毛の中に隠した。

 リリオンは振り返らず、そのまま後ろ歩きにランタンの下へ。

 親鳥は大きく羽ばたく。先程の比ではない。遠くで蛇蜥蜴の破壊を免れた岩柱が風圧に倒壊する。

 ランタンは戦鎚を向け、その先端を爆発させた。爆風を翼に孕み、親鳥が一気に飛び立つ。

「……ふぅ」

 ランタンが気を抜いた瞬間に急降下。一番食いでのありそうな蜥蜴の部分を鷲掴みにすると、雛とそれの重さをまったく感じさせぬ勢いで、今度こそどこかへ飛び去って行った。

 もう羽音も聞こえない。矢羽根にするのも羽ペンにするのも躊躇うような大きな羽根が太陽の中から落ちてくる。その重みだけで深々と地面に突き刺さった。

「もう見えない。なんだったのかしら」

「僕が聞きたい。これってこいつの結晶? それともあいつが埋めていった?」

 残された蛇の頭。そこに穿たれた穴に魔精結晶がぬらりと輝いている。

「わたしやろうか?」

「いい」

 ランタンは袖を捲り、リリオンが笑ってしまうほどあからさまに嫌な顔をしながらそれを取りだした。




「手がくさい気がする」

「どれ?」

 迷宮口直下の拠点に戻り、死ぬほど手を洗ったのにランタンはまだ足りないらしい。顔を近付けるリリオンに手を差し出すと、少女は舐めるみたいな仕草でたっぷり匂いを嗅ぐ。

「大丈夫」

「信用ならないな」

「どうして?」

「日頃の行いか」

 ランタンは言うが、リリオンは小首を傾げるばかりだ。手を引っ込めるとそのままリリオンは付いてきて、汗ばんだランタンの胸元に顔を押しつけてうっとりと陶酔する。

「こういうところ」

 天幕から出て次の現場に行こうかと言う時、運び屋が戻ってきた。彼が積んでいるのは子供の蜥蜴蛇(リザードテイル)と親蛇の頭部と、引き千切れた胴体から剥いだ皮である。どれどれと見に行った探索者が感心し、そういうものを見慣れぬ職人が顔を青くする。鞣し職人ならまだしも、石工であるなら仕方がない。

「じゃあ行くかあ」

 そんな彼らを他所にランタンたちは再び出発した。今度は東側である。

 西側は岩林地帯だった。東側も似たようなものだが柱は高くてもランタンの背ほどしかなく、それよりも草木が豊富だった。低木や藪、多肉植物がちらほらと生えている。

「それ、棘だから気を付けな」

 花を咲かす藪に不用意に近付くリリオンに注意を促す。枝に毛のようなものが生えているがそれは棘だ。

「とげとげがいっぱいね」

 背の高いサボテンを呆れるような目つきで見上げる。釘のような針を一本折って、ちくちくと手の甲で鋭さを確かめる。

 二人は背中に日を浴びながらゆく。

 日影がほとんどなく緩やかな登り勾配が延々と続いており、日が傾き始めたとは言えかなり体力を消耗する。

 また西側の魔物がほとんど無害だったのに比べ、こちらに出てくる魔物は好戦的だ。

 群れなす砂鼠、毛の短い痩せた魔犬、砂中に潜む毒蠍。最も厄介なのは蠍だった。気が付かず踏んでしまうと痛い目を見る。こちら側の攻略が遅い原因の一つだろう。

 リリオンの剣を探査針のように使って、行き先の地面を斬りながら進む。

 しばらく行くと下り坂になる。登りと下りを隔てる稜線の手前側に貧相な基地が作られていた。

 一人の探索者が警戒に当たっている。

「来たか! おおい、ランタンが来たぞ」

 ランタンを見つけるや否や犬人族の若い探索者が天幕を揺すった。

 天幕の内には一人の職人と一人の探索者が待機している。魔物が来たぞと言われたみたいに飛び出してきた。そしてもう一人、稜線間近で腹ばいになっていた探索者も駆け寄ってくる。

 職人以外が犬人族だった。似た顔立ちをしているので兄弟かもしれない。

「状況は?」

 ランタンが尋ねると三人は堰を切ったように説明し始める。

 探索者の本隊は熊の群を見るやこの場の攻略を困難として、若い三人の探索者を残して迷宮口直下の拠点に戻ってしまった。周囲には熊以外の魔物も出現し三人だけではとても不安だった。割り当てられた水と食料が少ないので困っている。長毛種の亜人族にこの熱さは辛すぎる、と言うようなことが説明の七割を占めていた。

 問題の魔物、熊の群は稜線の向こう側を縄張りにしている。下った先には赤々とした大地が広がる中で、はっきりと異質な巨大な岩塊がある。

 それは赤砂に塗れてなお西日を照り返す光沢があった。黒か褐色か、あるいは紺か暗緑色かもしれない。不思議な色合いをしている。

 そしてその周辺に十を超える数の熊がうろうろとしていた。それほど巨大ではないと感じるのは距離があるからかだろうか。

「あれがそう?」

 ランタンの言葉に反応したのは職人だった。日焼けで肌を真っ赤にした若者だ。

「そうです。硬く、滑らかできっと気に入ると思います。それに濡らすとほら」

 職人はポケットからあの岩塊の欠片を取り出して、ぺろりと舐めた。

 濡らすと色味が複雑さを増す。

 べっ甲のような、螺鈿(らでん)のような。

 話に聞いた通りだった。ランタンはこの石材が欲しくて、この依頼を受けたのだ。僕の城に相応しい、と思う。

「いいじゃないか。やる気出てきたよ」

 魔物それ自体ではなく石質に興味を持ったランタンを頼もしく思ったり、大丈夫かこいつと言うような目になったり、ランタンに寄り添うリリオンに目を奪われていたりと探索者の反応は三者三様だった。

 熊の魔物は青灰色の毛皮を有している。五指の先端に見事な鉤爪を持ち、それを使って岩塊を削っていた。巣穴を掘っているのかもしれないし、爪を整えているのかもしれない。

 しかし早く討伐しなければ、この見事な石材はどんどん量を減らしてゆくだろう。

「我々が調べた情報をお伝えします」

「はい」

「ぜんぶで十四頭おります」

「なるほど」

「以上です」

「……」

「我々も一緒に戦います」

 犬人族はぐっとこぶしを握ったが、しんなりしている尻尾からあまり乗り気ではないことが読み取れる。

「リリオン、――リリオンも気付いた?」

「うん、ランタンあれって」

 頷いたリリオンはいやに真剣に目を凝らしている。

最終目標(フラグ)じゃないとずいぶんちっこいな。さて注意点は?」

「――動きが速い。それから近付くと爪と体当たりと噛み付き倒れ込み、離れると真空刃、首の裏が硬い、危険が迫ると全身から突風」

「よし、憶えてるな」

「忘れないわ」

「あれからどれぐらい強くなったか。試すにはちょうどいいな」

 その熊を嵐熊(ストームベア)という。

 かつてリリオンが初めて攻略した迷宮の最下層に出現した魔物だった。

「よおし、がんばらなくっちゃ!」

 リリオンは獰猛な笑みを浮かべる。

 それを見てランタンは嵐熊が逃げだした時の対処法を考えはじめた。


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