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夜は過ぎ去り、だがまだ地平の間際にその気配を残している。
何かの拍子に夜が戻ってくるんじゃないかと思わせるのは、薄明るい空が奇妙なほど白いからかもしれない。
朝の空気は肌寒さを感じさせる。
ランタンは夜着のまま外に出てきた。突っかけサンダルに足を通して、ぺたんぺたんと踵を鳴らす。春だというのに花の一つも生えていない殺風景な庭を横切り、振り返ると静まりかえった館と隣には寝ぼけ眼のローサが映る。
ローサはしきりに目蓋を擦っている。大きな欠伸をすると喉がごろごろと鳴く。虎の耳をひくひく動かして、片手に天秤棒を杖のように使い、もう片方でランタンの裾を掴み背後を付いてくる。
「起きてるか?」
「むぅー……」
返事をしたのか寝息なのか。
館の南側に井戸がある。覗き込むと水底が透けるほど清涼な水が湧き出ており、水面がゆらゆらと揺れている。ばちゃん。ランタンは鶴瓶を落として水を汲む。
手動で滑車を巻いていく。
黒々とした金属の滑車は不思議なほど滑らかだが、ランタンはそれを機械式の巻き上げ機と交換しようか、それとも手押しポンプを導入しようかと思いを巡らせる。これはこれで風情があるが毎日のことになると面倒だ。
面倒なことを毎日するのが暮らしである。
大きな水瓶二つをたっぷりと満たすと、額に薄く汗が浮いた。
「ローサ、……ローサ?」
振り返ると少女はこくんと船を漕いだ。
ランタンはきんと冷えた水の中に両手を浸し、痛むほどに悴むまで我慢する。そして氷のごとくなった両手でローサの夢に介入した。
わしと頬を挟んでやると、ローサはわっと目を開いて跳び上がった。
ランタンの手を振り解き一足飛びに距離を空けると全身の毛を逆立てる。
「ふーっ、ふーっ! ……あれ?」
幼獣の唸り声を上げて天秤棒を槍のように構える。その姿はそれなりに様になっている。少女の修練がよく見える。
睨んだ瞳にランタンの姿を捉えると、まさしく夢から覚めたように首を傾げる。
「ほら、寝ぼけてないでこっち来い」
腑に落ちぬ顔をしながらローサがとことことやってきて、辺りをきょろきょろしながらランタンに纏わり付く。
「おにーちゃん」
「なに?」
「こわいゆめみた」
「ふうん、どんな夢?」
「わかんない……、けど」
ローサはランタンに頬を寄せ、そのままぴったりとくっつけた。
頬に冷気の感触がありありと残っている。ローサは甘えるというよりは、その冷たさを拭い取るように乱暴に頬を擦りあわせた。
ランタンはローサをあやしながら、炎虎の毛皮で濡れ手を拭って素知らぬ顔で悪夢の証拠を隠滅する。
「ほら、出番だぞ。きびきび働け」
「おてつだいしたらローサもめいきゅういっていい?」
「働きしだいだな」
ローサはぷくりと小鼻を膨らませた。
天秤棒の両端にそれぞれ水瓶をくくりつけると、ローサはそれを肩に担いだ。
「ぐうっ!」
一気に膝と腰を伸ばし、まだ細い肩に天秤棒がしなって浅い弧を描く。
水瓶を倍して足らぬほど重たい荷車を牽くことは容易でも、ローサの表情は苦しげに歪んだ。魔物の強靭さを持つ下肢に比べて、やはり上体は少女のそれだ。
「無理なら言うんだよ」
「だいじょうぶ……っ」
素質はある。
人族に比べて身体能力に勝る亜人族の中でも虎人族は最も優れる種族の一つだ。それに少女の真の姉であるロザリアの戦い振りを思い出せば、ローサの素質は疑いようもない。
ローサは一歩踏み出した。身体の揺れが水瓶に伝わり、中身が波立つ。歩くほどに揺れは大きくなって、中身が零れる。零れるほど揺れる水瓶は、今度は逆にそれ自体がローサを揺すった。
太く強靭な虎の前脚がよたよたと頼りなくランタンの足跡を追ってゆく。
井戸から少し離れた所にこぢんまりとした礼拝所がある。その脇にこんもりとした盛り土が無数にあった。
引っ越したランタンが最初にしたことは、迷宮植物の種を植えることだった。
一定の間隔を空けて植え付けてある。
昨日の水やりでまだ土は少し湿り気を残して黒々としていた。
水瓶を下ろすと、中身は四分の一ほど零れてしまっている。息の上がったローサは、しかし呼吸を整えることもなく水やりを開始する。一つ一つの種に柄杓で水を与える。土が流れ出ないように、丁寧な仕事ぶりだった。
「まだでてこない?」
「まだだよ」
「どれくらいにでてくる?」
「さあ、どれぐらいだろう。一ヶ月か二ヶ月か、それぐらいじゃないかな。夏までにはきっと」
ふうんとローサは盛り土を覗き込む。夏までに出てこなかったら永久に出てこないかもしれない、
「なつまだ?」
「まだ」
しかし植物を育てるなど初めてのことである。
果たして本当に発芽するかどうか、それすら不明だった。ランタンが迷宮から採取したものの大半は果実だ。植えたのはその種子である。
ネイリングに出入りしている庭師に話を聞いたりもしたが、草花ならまだしも樹木を育てるのはそれなりに難しいらしい。土の状態、水の量、日当たりに気温。気を付けなければならないことは沢山あるが、迷宮植物の育成条件は結果としてこういう条件だったと後々に知ることがほとんどだ。
数を植えて、後は何が芽を出すか。三十以上の盛り土があるが、芽を出すのは一つか二つでも御の字かもしれない。自然の任せるままにするしかない。
残りの水やりをローサに任せて、ランタンは礼拝堂に近付く。
礼拝堂の扉に温度計がぶら下げられていた。ランタンは気温を確かめると扉を開き、その内側にぶら下げられた紙に日付と天気と気温を書き記す。
まだ三日分の書き込みしかない。
大したことはしていないのに一人前の研究者になった気分だった。
神像すら運び去られた礼拝堂はがらんとしている。ここは温室にしてしまおうか。
そんな空想をするランタンの背後にローサが忍び足でそっと近付く。
水やりはすでに終えたらしい。その手には柄杓ではなく天秤棒が握られている。
柔らかな肉球が完全に足音を殺していた。呼吸はごく静かでありながら、内息の巡りは及第点。その瞳に映るランタンの背中は無防備だった。
ランタンは扉を閉め、振り返ったそこには天秤棒を振り下ろすローサの姿がある。
「えいっ」
掛け声付きの奇襲をランタンは右回りに楽々躱す。
うおんと風を切り裂き、ローサは櫂を漕ぐように天秤棒を操作する。螺旋を描くように先端と後端がいれ替わりランタンを追撃した。
ランタンは踏み込んだ。ローサは槍術、棍術の使い手であるベリレに師事しているが、まだ間合いの内側に踏み込まれた時の対処ができるほどではない。
べたりと身体に張り付くほどに接近してしまえば、ランタンの姿は視界から外れる。
ローサは背後に跳躍した。相手を見失ってからの行動としては最善だろう。距離を空けて視界を取ろうというのだ。悪くない判断だった。
だがランタンは気配を殺し、影のごとくローサに追従している。
「どこーっ? ――あ!」
完全に姿を見失ったローサから天秤棒を奪うのは容易だった。ランタンは身長よりも一回り長い天秤棒を器用に回転させる。びゅんびゅんと風切り音が鋭い。
「あまいあまい。迷宮まではまだちょっと遠いな」
「ううう、かえして!」
槍のように先端をローサの喉元に突き付ける。ローサは口をへの字に曲げて、悔しさを隠そうともしない。天秤棒を奪い返そうとするがランタンはそれを巧みに躱し、一方的に打ち据えられる距離を保ち続ける。
埒が明かぬローサが大きく息を吸った。すぼめた口から火球を放たれる。
「あまい!」
火球を両断する。
左右に割れた火球は地に落ちるより速く霧散した。
むわっとした熱だけが後に残る。
ローサの心を折るには充分だった。
「はい、僕の勝ちね」
「ローサのまけ」
ローサに天秤棒を渡すが、少女が再び打ちかかってくることはなかった。首を捻りながら、ランタンの幻影相手に素振りを繰り返す。
ランタンが迷宮に行っていない日は、少なくとも一日一度はこういうやり取りをする。
戦績は勝ったり負けたりだが、今のところややランタンの方が勝率がいい。実力差から言って当然の成り行きであり、もちろんランタンは全ての試合の勝敗を意のままにしている。
ランタンがいない日はどうやらリリオンが相手をしているらしい。もちろんリリオンの全戦全勝である。
勝利の喜びと、敗戦の悔しさ。そして目の前にある高い目標は少女を著しく成長させる。
まだ遠いまだ遠い、と迷宮から遠ざけているが、その距離はランタンが考えているよりも早く近付いている。
「ほら、ローサ行くぞ」
「まって、まって」
空になった水瓶を再び担ぎ、井戸で再びそれを満たして、今度は厨房へ。裏口から食料庫を通って、厨房に入るとリリオンとガーランドが朝食の支度をしていた。
忙しくしているが、それでも外からは屋敷が静まりかえって見える。四人で暮らすのにはあまりにも大きい。
奥にあるかまどでパンが焼かれている。
やはり厨房も広すぎる。本来は大勢の客人を相手に料理を作るための施設である。四人分の食事を作る程度ならば、半分ほどの大きさでも余るだろう。
片や野菜を切っており、片や肉を切り分けている。リリオンは料理をしているが、ガーランドのそれは解体という言葉がよく似合う。先日もらった仔牛の残り、左の前脚の骨から肉を外している。
「水持ってきたよ」
「ありがとう。すぐできるから待っていてね」
「ローサがもってきた」
「ありがとう。じゃあローサは引き続きお手伝いしてくれる?」
「うん!」
厨房から出たすぐのところが食堂になっている。
近所の大工に作らせた間に合わせのテーブルは晩餐会を開ける広い食堂にあって酷く小さく見える。手持ち無沙汰のランタンはたいして汚れてもいないテーブルを拭いて、茶の用意だけをして椅子に掛ける。
脚をぶらぶらさせて待っていると、程なくして食欲をそそる香りが漂ってきた。
「はい、おまちどうさま」
三人がそれぞれ料理を手に手に現れる。
焼きたてのパン。バターと手作りのジャム。赤蕪と豆のスープ。春野菜のサラダ。茹で卵は一人三つ。塩胡椒だけで味付けされた仔牛の前脚のステーキ。表面は焦げているが、火の入りは七分通りといった感じだった。
それらがテーブルの上に並べられるとなかなか迫力があるが、ランタンもリリオンもローサも食べ盛りであり、ガーランドも大食漢だ。
皿が見えないほど盛られた料理が瞬く間に減ってゆく。ランタンがパンを千切って、溢れ出た肉汁を拭うのを皆が次々にそれを真似して皿は洗ったように綺麗になる。
一番最後まで残っているのはサラダであり、ガーランドなんかは一口もそれを食べない。
「残ってるぞ」
ランタンが指摘すると小さく溜め息を吐いて、サラダを頬張り茶で一気に流し込んだ。
「リリオンどう? 厨房の使い勝手は」
「やっぱりちょっと低いかしら。でもこれ以上高くしたらランタンが困っちゃう? それから水を汲みにいくのが少し面倒よね」
「水道管引いてもらおうか。風呂の方も改造したいからなあ」
小さいテーブルしかないのには理由がある。
住み始めれば不満が出るのは当たり前のことで、この館そのものがそもそも普通ではない。もともとアシュレイのものである。王家由縁の不動産であり、そのため一つの建物の中に公私が入り交じっているのだ。
例えばこの食堂は客を招くためにある。食堂ならばまだよいが謁見の間などランタンにとっては不要の長物だった。
そしてさらに言えばランタンの築く家庭も、きっと生半なものではない。
今も成長し続けるリリオンの身長はきっと三メートルを超えるだろうし、ローサに至ってはどうなることかわからない。炎虎の成獣は時として牛のように巨大になり、最終目標として出現した際には竜種のように巨大だったという事実が毛皮と一緒に残っている。
天井は充分に高いがもっと高い方がいいだろうし、廊下や扉の横幅は倍あってもいいだろう。
部屋数を減らして、一つ一つにゆとりを持たせようと思う。
食後のお茶を飲みながらリリオンと相談を続ける。その間にガーランドはメイドらしく食器を片付けて、ローサはその手伝いをする。
僕は僕の欲しいものが全部欲しい、と言い切れるほどの強欲さを持つランタンであるがそれでも部屋数は多すぎる。
改築案を紙に書き出す。
字面だけ見ると館の原型は残るかどうかと思うし、そもそもこのような改築ができるのか疑問もある。
だが魔道という技術は、それを可能にする。もっとも全てを思い通りにはできないし、家具などを揃えてしまえばそれを一度全て退かさなければならないという面倒くささもある。
それゆえの小さいテーブルだった。家具らしい家具は一つも揃えていない。引っ越し初日に拠点とした玄関広間にはまだ荷物が山積みで、四人はそこで並んで寝ている。
「ベッドで寝られるようになるのと、種から芽が出るのとどっちが早いかな? 下手したら芽が出る方が早いんじゃないかと思うよ」
「じゃあ育った木でベッドを作るのはどう?」
「気の長い話だ」
「うふ、十年後が楽しみね」
「それだけ経ったらきっと愛着が湧いて切りたくなくなるんじゃないか」
まずは改築、家具はそれから。
「毎日の水やりもあるし、色々やることがあるなあ。探索も行かないといけないし、どうしようかなあ」
書き出したメモに優先順位を付け、ランタンは手癖でペンを回した。先端のインクが跳ねて、ランタンの頬に小さなホクロができる。
「ほら、ランタンじっとして」
「なに?」
「――楽しそうにしてるわ」
「そう? ちょっと面倒だなって思ってるよ」
「うふふ」
意味ありげに微笑みながらリリオンは指の腹でそっと拭った。黒く汚れたリリオンの指を見て、ランタンはようやく気が付く。
乱暴に頬を擦った。
「ああ、だめよ。もう、広がっちゃったじゃない」
「顔洗ってくる」
「わたしも」
ローサとガーランドが食器を洗う横で、ランタンは顔を、リリオンは手を洗う。
「とりあえずの生活物資を買うから、必要なものがあったら言って」
ランタンは夜着の裾で顔を拭う。
とりあえずタオル掛けだな、と思う。
「うちは案内所じゃねえぞ」
グランは髭を揉みながら言う。
「もちろん重々承知してます」
ランタンは腰に提げた戦鎚を見せつけながら返した。
炉の炎と働く男たちに圧倒されたローサは工房の片隅で丸くなっていたが、今はリリオンに連れられて店内に並べられている武器に興味を示している。
ガーランドに習っている二刀流も捨て難いが、やはり師であるベリレの使用武器、そしてさらにその師であるエドガーに褒められた長柄武器がこのところのお気に入りのようだ。
「上客も紹介したじゃないですか」
「――あの虎のお嬢ちゃんか」
「脚が四本だから防具は二人分ですよ」
「坊主も悪い奴だな。何もわかっちゃいねえような娘ばかりを迷宮に送り込んで」
「まだ送り込んじゃないです」
「まだってことはいずれだろ。同じようなもんだよ。死んだら地獄送りだな」
「地獄って攻略できるんですかね。その時はよろしくお願いしますね」
「考えとくよ」
グランは呆れるように言いながら、紹介状を書いてくれた。
グランは職人ギルドに所属している親方職人であり、当然その中で横の繋がりもあった。職人ギルドにはさまざまな業種の職人が所属しており、その中には大工も家具屋もいる。何ならパン焼き職人もいる。
店構えはいかにも古く、完全な木造建築物だった。店内には木の酸い匂いがあり、しかし不快ではなく、爽やかさがある。
グランに教えてもらった大工の棟梁は、グランと同年齢ぐらいの矍鑠とした老人だった。
類は友を呼ぶと言うべきかいかにも偏屈で頑固そうで、腕がよさそうだった。
しかし紹介状を見せる前にランタンが彼の前に通されたのは、少年がティルナバンにおいて有名だからだった。
それは探索者としての有名さだけではない。ランタンのきっぷのよさは商人、職人ともによく知られている。値切ることをまずしない。支払いが遅れることもない。
それに今ではレティシアが後ろにいることも知られている。万に一つランタンが迷宮で果てたとしても取りっぱぐれることは決してないのである。
「あいつの紹介か。グラン工房の設計はうちだ。あの新しい物好きの紹介ってだけのことはあるな。なかなか無茶なことを言う」
ランタンが書き出してきた改築案のメモに目を通しながら、これはなんだあれはどうだと質問を投げかけてくる。ランタンの思いつきばかりが先走った曖昧な説明でも、それなりに形を思い描けるのは経験によるところが大きい。
「なるほどな、まあある程度は可能だろう。魔道使いはどうする」
「知り合いにいますけど、こちらには」
ランタンが言うと皺だらけの顔にさらに皺を寄せ、蝿でも追い払うかのように大きく手を振った。
「魔道使い食わせる余裕なんざないよ」
そもそも大工仕事に魔道使いが必要になることはめったにない。
大規模な土木工事などの公的事業、アシュレイの新居や教会などの大型建築の時などに駆り出されるぐらいらしい。基本的には工期短縮のために使われることがほとんどだ。
なので必要になった時には職人ギルドそのものが雇っている魔道使いや、魔道ギルドなどから派遣してもらうことになる。
なんだか傭兵探索者のようだと思う。
「どれぐらいの腕かは見させてもらう。足りなかったらうちで応援を掛けていいか?」
「それはもちろん」
「一人当たり予算はこんなもんだな」
「はい」
平気な顔して頷くランタンに、さしもの棟梁も感心した様子だった。話しているとどうしても忘れがちだが、これは探索者ランタンなのだと改めて納得する。
「……とりあえずはいっぺん現場を見させてもらおか。それで実際に可能か、どれぐらい人がいるか、どれぐらい時間がかかるか、どれぐらい金がかかるか見てみる。図面の引き直しはそれからだな」
それから棟梁に腕のいい木工職人を紹介してもらい家具の、また木工職人に紹介してもらった毛織職人に絨毯の相談をし、館中のそれを織るとなると何年もかかってしまうので彼からは絨毯商人を紹介してもらう。
そうやってさまざまな職人商人に会うために、何日にも渡ってランタンたちは職人街を流離うと、その話は次第に知れ渡ってゆく。
まるでランタンたちが幸運をもたらす妖精かのように行く先々で呼び込みの声を掛けられ、歓迎される。
噂に違わぬ金払いのよさなのである。
絨毯商人に紹介してもらった陶器商人にリリオンが懐から割れた皿の一部を取り出してそれを見せる。
「誰が作ったかわかりますか?」
半欠けのそれだけではさすがの商人も首を捻るばかりだが、大量注文を見込める上客である。時間を頂ければ、と肌つやのよい壮年の男は頭を下げた。
「お預かりしてもよろしいでしょうか?」
「なくさないでくださいね」
リリオンは頷き、強く念を押した。
ランタンはひそひそリリオンに尋ねる。商人は聴覚に全神経を集中させる。
「大切なものなの?」
「ローサの宝物よ」
「そりゃ大変だ」
生まれたばかりの赤ん坊でも扱うかのような仕草で、商人は陶器の破片を何重にも布で包んだ。二階から落としても割れることはないだろう。呼びつけた部下にそれを調べるようにと渡した。
「これを、決して壊したりなくしたりしないように。もしなにかあったら、いいね。……他に何かご入り用なものはございませんか?」
ランタンはメモ書きを取り出して目を通す。
ほとんどが斜線で消されている。ハタキ、箒、ブラシ、バケツ、たらい、洗濯板、洗濯紐、洗濯挟み、そういった道具類はガーランドからの要望だった。
「ああ、あとは調理道具か。鍋とか蒸し器とか、包丁も幾つか」
「それならば、腕のいい職人をご紹介しますよ。魔物の骨であっても一刀両断、決してがっかりはさせません」
商人は自信満々に胸を張る。
「グラン工房というのですがご存じでしょうか?」
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