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カボチャ頭のランタン  作者: mm
13.Invitation To The Castle
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 物凄い雪だった。

 雪が降ることは知っていたが、しかしまさか帰ることが出来なくなるほどだとはまったく思わなかった。

 冬のティルナバンに雪が降ることはそれほど珍しいことではないが、積もってもせいぜい足首ほどの高さにもならない。

 ランタンがこの世界に意識を持って、これほどの雪はお目にかかったことはなかった。

 頼もしい起重機(クレーン)の嘶きが、雪道に苦しむ呻きにさえ聞こえる。

 ミシャは時折、起重機を後退させた。

 前に進み、後ろに戻り、ちょっとずつ進む。雪を押し退け、踏み固めなければこの頼もしい鉄の巨体でさえ立ち往生しかねないのだ。

 ミシャの住み家は引き上げ屋の店舗を兼ねている。迷宮特区の向かい側に引き上げ屋はずらりと軒を連ねていて、そもそもその外観にはさほどの区別はないが今日に限って言えば一切の区別がつかなかった。

 真っ白な雪に埋もれている。風に吹きつけられた雪が、それそのものを建材としたような異様な家の連なりを作りだしていた。

 ランタンは正直、幾度となく通った引き上げ屋蜘蛛の糸(スパイダーズライン)の店舗を見失っていた。ミシャが内側から硝子窓を叩いて雪を落とした。

 ほっとして肩が落ちる。この真っ白な視界の中に、帰るべき家を見つけたのだ。

 ランタンはミシャの視線を追う。

 白い闇とも呼べる雪景色の中に、一つ明かりを灯す店舗があった。

 それは雪に閉ざされている。

「行ってくる」

「もうちょっと近付くわ」

「大丈夫だよ」

 アーニェが今か今かと娘の帰りを待っていたが、さすがに扉を開け放って待つことはできない。

 ランタンはミシャの体温を外套の内に閉じ込めて、起重機の外に飛び出した。布張りの運転席と外気温に差はなかったが、風があるだけで体感温度は劇的に低下する。

 ランタンはさっそく後悔し、その後悔を原動力に戦鎚を振り回しながら十メートル先の灯りを目指した。

 雪はランタンの腰の高さまで積もっていた。雪を蹴立てて、風に抗い、ランタンは見る間に雪の塊になっていく。ミシャの体温は一秒も経たず風に浚われ、一呼吸で肺が凍り付いた。

 閉ざされた車庫の扉を、ランタンは三度叩いた。へばり付いた雪が崩れ、その下で硝子のようになった氷が砕ける。

「ランタンですっ、アーニェさん! もうすぐ到着します!」

 珍しく声を荒らげたのは、そうでもしなければ声が出ないほど寒いからだ。扉の内側から驚きの気配がする。

「――! ランタンくんっ? わかった。今、開けるわっ」

「いや、もう少し待って下さい。合図しますからっ」

 格好付けめ、とランタンは自分を罵倒する。その場で足踏みを繰り返し、起重機に轢かれる寸前まで車体を引きつけた。

「いまですっ」

 扉が開き、車庫の光が雪を白々と照らした。暖かい空気など少しも漏れてこなかった。

 風と雪が車庫の中に雪崩れ込むばかりだ。ランタンは脇に退いた。起重機が追い風を受けながら車庫に入り、ランタンはその後ろに続いた。

「ああ、扉がっ!」

 アーニェの悲鳴だった。風が強すぎて扉が閉められないのだ。扉ごと、女の身体が押し退けられる。

 ランタンは身体の雪を落とすよりも素早く、アーニェの脇から扉に手を添えた。恐るべき力でランタンは扉を閉めた。探索者の力だった。それを用いなければならないほどの吹雪だった。

「はあ、はあ、はあ、はあ、……ありがとう、ランタンくん。私たちだけじゃ、凍死しちゃうところだったわ」

 いつも綺麗にしているアーニェの髪が、たった数十秒で白髪交じりのようになり、風に煽られてぐちゃぐちゃになっている。

「いえ、どうしたしまして」

 アーニェは蜘蛛人族である。それにしても珍しい三対六本の腕があり、それがどれも自由に動く。アーニェは二本の腕で自分の髪を整えながら、残りの四本でランタンに付着した雪を払う。

 ランタンもひどい有様だった。ほとんど雪の塊と言っていい。外套を外すと、体重が半分になるかと思われた。凍り付いた外套をばさばさしていると、ミシャが起重機から飛び降りる。

「ランタンくん、無事?」

「どうにか」

「よかった」

 ミシャがほっと胸を撫で下ろす。

「おかえりミシャ。心配したわ」

「ただいま。お母さん、ランタンくん連れて来たの」

「見ればわかるわよ」

「ね、泊めてあげていい?」

「ええ、もちろん。こんな雪の中を帰らせたら常連さんを一人、永遠に失っちゃうわ。うちのお店にとって大きな損失ね」

 アーニェは、うふふ、と自分の冗談に笑った。ミシャは、縁起でもない、と本気のようにも思える口調で憤る。

「すみません。突然、お邪魔をして」

「動かないの」

 頭を下げようとするランタンの頭を、アーニェの手が掴んだ。髪に雪が団子状に固まって連なっている。アーニェは指先でそれを一つ一つ丁寧に崩す。

「あの、大丈夫ですから」

 ランタンは何となく気恥ずかしくて、何気なさを装いながらアーニェの手から逃れた。

 そして髪を乱暴に掻き回して、雪を落とした。何本か髪が抜けたが、痛みがないのは寒さのせいだろう。

「男の子ね」

「これでもう、平気です」

「平気じゃないでしょう。こんなに濡れて。ねえ、ミシャ、あなたの服、ランタンくんに貸してあげいいかしら?」

「好きにして。スカートでもいいわよ」

「あら、そんな女の子らしいもの持っていた? それからあなたも、せめてお湯だけでも飲みなさい」

「これ終わったら。ランタンくん、行ってていいわ」

 ミシャはさっそく起重機に取り付いて、半ば凍りかけている雪の塊を崩している。無限軌道にこびり付いたそれを乱暴にとんかちで叩いたりもしていた。

 ランタンは車庫の中を興味深そうに見回した。

 常連であるが車庫内に立ち入ったことはなかったし、これほどちゃんと見るのも初めてだった。

 起重機の部品や整備道具が所狭しと陳列してあって、巨大な鉄の構造体が鎖で吊られてもいる。それが何のための部品で、何のために吊られているのかわからないが、それそのものがランタンの少年心をくすぐった。

 光源は橙色で、それがまた機械を如何にも古めかしく、無骨なものに映している。

「何か手伝おうか?」

「いいから、着替えてきて。風邪でもひかれたら困っちゃうわ。お客さんが気を使わないの」

「引き上げられた時点でお客さんは終わりだよ」

「そういう意味じゃないでしょ。ほら、いいから行って。秘密のお仕事もあるから。お母さん、ランタンくん連れてっちゃって」

「ごめんなさいね。こっちよ」

 アーニェは笑うのを堪えるように言って、ランタンの腕を引いた。

「狭くて申し訳ないわ。気を使わなくていいからね」

 車庫の奥が、すぐ居間になっている。

 迷宮のようだ、と思う。霧を隔てたこちらと向こうが異なる世界であるように、扉を隔てたこちらと向こうでまるで景色が違う。

 車庫の中は鉄と油の匂いがした。似たような匂いでもグラン工房の荒々しい、熱のある雰囲気とは違う。機械油の匂いは何だかねっとりとして、甘いように思えた。

 その匂いが、扉を越えてふつりと消える。

「あったかい……」

「よかった。どうぞ、駆けつけ一杯ね。火傷に気を付けるのよ」

 居間の奥には小さな台所があった。火に掛けられた鍋が二つあり、一つは雪を溶かして作ったお湯で、もう一つは娘のために作ったスープのようだった。

 ランタンは貰った湯をゆっくりと飲む。胃の中に熱の塊が落ちてゆくのを感じる。老人のような重々しい溜め息を吐き、ランタンはうっとりと目を細めた。

「うまい。――おいしいです、助かります」

「いちいちそんな風に気を使わなくていいの。着替えを持ってくるわ。ほら、座って。靴脱いで。靴下も。ランタンくん探索だったんでしょう。怪我はない?」

「大丈夫です。怪我らしい怪我は少しも」

「素晴らしいわね。さすが探索者ランタン。お湯、好きに使ってちょうだい」

 一般的な家屋に風呂などあるはずがない。アーニェは鍋の湯を桶に移し替え、雪を入れて温度を調節する。半ば無理矢理に座らされたランタンは靴を脱がされ、靴下を脱がされ、桶の中に足を突っ込まれた。

 腑抜けになりそうなほど温かかった。

 アーニェは駆け登るように階段を上ってゆく。

 居間に入ったすぐに階段と扉があり、扉の向こうが引き上げ屋の受付だった。階段の上は二人の寝室や物置があるらしい。

 ランタンは一人取り残されて、少し気まずい。湯の中で足指を動かして、じろじろ見回すのも悪い気がして大人しくしている。股の間に両手を挟んでいる様子など、少しも探索者には見えない。

 しゅわしゅわと噴き出る蒸気が鍋蓋をかたかた言わせている。野菜スープの匂いがする。テーブルは小さく、ランタンが座っているものを含めて椅子は二脚しかない。母娘二人で暮らすには足りるが、しかし最低限という感じだった。

 だが悪い雰囲気ではない。

「家だなあ」

 馬鹿みたいなことを呟き、雪風の音を聞き、階段を下る足音に口を噤んだ。

「お待たせ。昔の服だけど、これで入るかしら? 着替え手伝おうか?」

「だ、大丈夫です」

 慌てた様子がおかしかったのかアーニェは微笑み、ランタンは思わず照れる。目を合わすこともなく着替えを受け取り、アーニェの前で着替える勇気が出なかった。

「じゃあ、ミシャを見てくるわね。お湯、足りなかったら――」

「はい、ありがとうございます」

 小鍋に移した湯を片手に車庫に戻ってゆく背中を見送り、ランタンは急いで着替えを始める。さすがに替えの下着はないが、雪はそこまで染みていなかった。

 着替えはズボンとシャツと綿入れだった。男物も女物も明確ではない。最初にミシャからもらった服もこのような感じだった。ランタンはぱっと脱いで、さっと着替えた。

 濡れた服をそのまま畳み、終わりました、と車庫に呼びに行くこともせず、椅子に座り直しもせず、二人を待った。

 テーブルの下に火鉢があることに今さら気付く。

 ちょっと着替えた服の匂いを嗅いだりする。ミシャの匂いは、微かにするだろうか。

「――はあ、終わったわ。あれ? どうして立ってるの?」

 ランタンはびくりとして直立不動になる。ミシャとアーニェが戻ってきた。

「どうして、だろう? 着替えありがとう。ちょうどだよ」

「よかった。ぴったりね。腰が緩いとか言われたらどうしてやろうかと思ったわ」

 言わなくてよかった、とランタンは思う。実際少し腰回りは緩い。ミシャが太いのではなく、ランタンが細いのだ。何だかんだと探索は消耗する。一度探索を終えれば、体重はどうしても減る。

「ぴったり。完璧。ありがとう、ミシャさま」

「どういたしまして」

 ミシャは胡散臭そうにランタンを見つめる。ランタンはあからさまに視線と話題を逸らした。

「そうだ。秘密の仕事って何だったの?」

「秘密なんだから言うわけないじゃない」

 はぐらかされたが、ランタンは思い当たる節があった。起重機の心臓部とも呼べる部品を隠していたのだろう。それは燃料や起動部品を一塊にしたような部品のはずで、そこだけはいかなる引き上げ屋であろうとも貸し出された物を使うしかなかった。

 その秘密を曝こうとするものは探索者であっても命の保証はないとされている。

「ミシャも着替えていらっしゃい。それからみんなで食事にしましょう」

 ランタンは手伝いで、隣の受付から椅子を一脚引っ張ってきた。

 ミシャは二階に駆け上がり、仕事着の上に綿入れを羽織って降りてくる。




 野菜と鶏肉のスープ。そのスープで炊いた麦粥が食事だった。質素であるが、それが普通の家庭の食事だった。通常の探索ならばランタンも食料の余裕があったが、今回ばかりはたいしたものはない。

 塩と砂糖、バター、そして携行食だ。差し出すにしても貧しい。自分の食事をランタンはこれで済ませようとした。

「遠慮しないの。私たちを太らせる気?」

 そんな風に言って、ミシャもアーニェもランタンの器にどさどさと粥を盛った。

 探索という仕事の大変さを彼女たちはよく知っていた。

「そう、全員無事だったの。よかったわねえ」

 食後のお茶を嗜みながら、アーニェはしみじみ呟く。

「ええ、でも、もう少し長い迷宮だったり、魔物が強かったりしたら厳しかったですね。今回は条件がよかった。雪じゃなければもっと」

「そう言えば。大変だったのよ、トライフェイスの人たちが特区を雪かきして」

「雪かき? あれで」

「あれでもよ。もう勝手に、その辺の迷宮口にばんばん雪を捨てて、それだけ必死だったのね。ねえ、ランタンくん。迷宮にも雪積もってた?」

「積もってた」

「それ、きっと捨てた雪よ。大変すぎて訳わかんなくなっちゃったんでしょうね。思わず捨てちゃって、私、つい笑っちゃったわ。でも、それから怒ったんだから。下にランタンくんがいたらどうするのって」

「ありがと。でも、あんまり無茶なことしないでよ。探索者相手に喧嘩売るとか」

「大丈夫よ。みんな雪かきでへろへろだったんだから」

 今も雪は降り続き、風の所為かとも思ったが、どうやら家そのものが雪の重みで軋んでいるようだった。

「心配してるかなあ」

 ランタンは誰がとは言わなかった。

「してるに決まっているわよ」

「待っている女はいつだって心配で心配でしょうがないのよ。帰ってこなくたってそうそう諦められないわ」

 ミシャに続いた、アーニェの言葉には説得力があった。

 それは待った末に、帰ってこなかったことを経験しているからだ。引き上げ屋としてだけではなく、女としてもそうだった。

 六本腕の蜘蛛人族の女が、こんなに立派な引き上げ屋を構えられるのはそれを遺した男がいたからだった。

 それを遺した男がいつか帰ってくるかもしれないという思いがぬぐい去れないからこそ、もう十年以上も女の細腕でこの店を切り盛りしているのかもしれなかった。

「さあ、こんな日は早く寝てしまいましょう」

 こんな日でなくとも夜更かしはそうしない。引き上げ屋の朝は早いからだ。

「朝起きたら、きっともう雪はやんでいるわ」

 アーニェはほとんど冷めたお茶を飲み干して、一度に三つの拍子を打った。今さら思いだしたようにランタンに視線をやって、少女めいて小首を傾げる。

「ランタンくんは――」

「僕はここで大丈夫です。ここで寝ます。外でなければ、車庫でも、どこでも」

「――そんなわけにはいかないでしょう」

「いえ、はい、いえ。大丈夫なので、お気になさらずに。なんなら外でも大丈夫です。迷宮よりは大抵どこでもましなので」

 しかし今日の雪は大抵の迷宮よりも酷かった。容易に人の命を奪っていく雪だ。

 ランタンは捲し立て、有無を言わせぬ決意を込めた視線をアーニェに向けた。アーニェは困った顔をする。

「じゃあ、ありったけの毛布を用意するわ。ね、お母さんも、ランタンくんが良いって言っているんだから」

 ミシャは強い口調でそう言って、アーニェは渋々それに納得した。

 室内は寒い。

 懐かしい寒さだった。

 冬はいつだって死の季節であり、下街の廃墟で過ごしていた頃には凍死しかけたこともあった。壁と屋根があっても室温は外気温と変わらない。

 扉の隙間を通じて、車庫の方から冷気が忍び寄ってくる。食事をしていた時や、食後のお茶をしていた時は温かかった。あれは三人分の体温が生み出す暖かさだ。

 テーブルを壁際に寄せて、ランタンは居間で一人毛布に包まる。目を開いていても、閉じていても暗さが変わらなかった。股の間に手を挟み込む。指先が冷たい。

 生命の暖かさが、すでに恋しい。

 ぎっ、ぎっ、ぎっ、と階段が軋む音。

「……ランタンくん」

 階段の半ばあたりから声だけが降りてくる。ミシャの声だった。

「起きているんでしょう? おいで、一緒に寝ましょう」

「でも」

「いいから、風邪でも引かれたら困っちゃうわ」

 独り寝は久し振りで、それは寂しさかもしれない。ランタンはもぞもぞと毛布から抜け出し、上に掛けていたそれを胸に抱えた。

「いいの?」

「よくなかったら誘わないわ」

 闇の中にあるミシャの背について、ランタンは階段を上った。二階は車庫の方に半分迫り出している。しかしそれでも狭かった。

 奥にアーニェの寝室があり、手前にミシャの部屋がある。ミシャの部屋は輪を掛けて狭かった。

 ベッドがあり、小さな机がある。それしかないとも言えた。椅子はなく、机はベッドに腰掛けて使うようだった。

 ミシャはベッドに入り、布団を捲り上げてランタンを招き入れた。

 温かかった。ベッドに残されていた温もりもそうだし、ミシャの身体も温かい。ランタンは自然とミシャの身体にくっついた。ミシャが振り返って、ランタンと向かい合う。額がくっつくような距離だ。

「ねえ、ランタンくん」

 闇の中にミシャの瞳が浮かび上がった。

「ランタンくんって、私のお母さんのこと好きなの?」

「なに、急に」

「だって、少し変だったから」

 妙に真面目に言うものだから、ランタンは少し笑う。

 アーニェに緊張していたのは事実だった。

 これほどミシャと近くにあって、ようやく凍風に冷え切ったランタンは芯までほぐれたのかもしれなかった

「アーニェさんのこと好きだよ。嫌われたくない」

 ランタンは妙に真面目くさっていった。ミシャが、そう、と呟く。感情のわからない声だった。

「だってミシャのお母さんだもん。ミシャのお母さんに嫌われたり、だらしないなって思われたくないよ。ミシャって僕のこと結構、節操無しだって思ってたんだね」

 ミシャが寝返りを打って背中を向けた。ミシャはその勢いのまま布団を巻き込み、ランタンから布団を剥ぎ取る。

「寒い。ミシャ、ミシャさま、寒いですけど」

「知らない」

「じゃあ知って」

 ランタンは後ろからミシャに抱きつく。そのまま寝間着の中に手を入れてやった。ランタンの指先はまだ氷のように冷たい。ミシャは叫びそうになって、危うくそれを飲み込む。

「これぐらい寒い」

「お母さんに気付かれたらどうするの……!」

「誘ったのはミシャだよ」

「誘われて、誰にでもついていくなら節操無しよ」

「誰でもじゃない。でも好きな子に誘われたらついてくよ」

 ミシャが再び寝返りを打ってランタンの方を向いた。身体に巻き付けていた布団を解く。

 ランタンはその中に入った。

「ランタンくん、変わったね」

「うん。僕はたぶん、だいぶ違う」

 例えば愛らしきものを知って、その力の凄まじさを知った。あるいはその片鱗を。

 しかし、たったそれだけでもランタンは変えられてしまった。それほど凄まじい力を秘めている。これは人の内から生まれるものだが、人の尺度で計れるものではない。

 この衝動は抑え込めるものではない。抵抗など虚しい。

「自覚あるんだ」

「ある」

 ランタンはミシャを抱きすくめる。

「ミシャ、僕は、僕が欲しいものが全て欲しい」

 柔らかい身体だった。鍛えられた身体ではないが、緩んでいるわけでもない。肉付きがいい。胸の膨らみはたっぷりとして、重たい感じすらする。

「探索者さんみたいなこと言うのね」

 ランタンの言葉は、どこにでもよくいる探索者の言葉だった。

 力が欲しい、金が欲しい、名誉が欲しい、女が欲しい。誰もが口にして、誰もが笑い飛ばすような言葉だった。

 引き上げ屋であるミシャもそういった言葉を良く耳にしている。笑いこそしないが、内心呆れることもある。

 だがランタンがそれを言うと、それが真なることであると思えてしまった。

 傲慢さではなく、無邪気さが言葉に伴っている。

 この少年ならば、この男ならば、この探索者ならば、ランタンならば、それが可能であると信じてしまった。

 そして欲しいものの中に自分が入っていることが、嬉しく思えてしまった。

「――今日は、でも、だめ」

 どうにか抵抗できたのは、まだ頼りないランタンを知っているミシャだからこそだ。

 雪の夜闇の中でランタンは絶対的な、支配的とも呼べる存在だった。どうして、と闇の中にある目が語りかけてくる。

「だめなの。今日は、ちゃんとできてないから」

 女心だった。ランタンとそうなるのならば、もっときちんと身体を綺麗にしておきたかった。

 労働の匂いはぬぐい去れず、身体にあった。機械油の匂いよりも、もっと石鹸とかの匂いがする方がいいに決まっている。

「ランタンくんも、そうでしょ」

 腰の緩いズボンを穿いているせいで、ランタンの下着がちょっと見えている。替えていないそれをミシャは布団の下で引っ張ると、ランタンはしゅんと萎んでしまう。

 ランタンの性格をミシャはよく知っていた。

 ミシャは腕を回し、ランタンの服の裾をズボンの内にしまい込んだ。

 ランタンはだいぶ変わってしまったが、変わっていないところもある。

「おやすみ、ランタンくん。お母さんが起きる前に起こすから、下で寝たふりするのよ」

「おやすみ、ミシャ」

 ランタンは当たり前にミシャの身体を抱きしめて、胸に顔を埋めて、丁度いい位置を見つけるとそのまますぐに寝息を立て始めた。

 探索の疲れのせいだろう。一目見てわかるほどの深い眠りだった。

 だが寝過ごすことはない。

 ミシャは朝になっても寝付けるはずがないのだから。


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