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カボチャ頭のランタン  作者: mm
13.Invitation To The Castle
279/518

279

たいへん遅くなりましたが

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

279


 命金という制度が探索者ギルドにできたのは今年の初めのことだ。

 探索者は、迷宮探索において全ての行動を自己の責任でもって行う。もし迷宮で危機に陥ったとしても自らを助けるのは自らと、そして行動を共にする仲間だけである。

 探索者は迷宮内部の摂理に組み込まれている。

 強いものが生き残り、弱いものは淘汰されてゆく。

 人も魔物も等しく、剥き出しの一個の命であった。

 探索者は幾許かの銀貨をギルドに支払えば、誰でも就くことができる職業であり、ティルナバンの一大産業である。

 毎日、多くの人々が銀貨を握り締めて探索者ギルドの受付に並ぶ。

 しかしティルナバンの人口は、確かに増加傾向にはあるものの、探索者を目指して流入する人々の数にはまったく比例していない。街が探索者で飽和することもなければ、探索すべき迷宮の数が足らなくなることも決してない。

 それも淘汰の結果である。

 探索者ギルドは日々大量に訪れる玉石混淆の志願者を選別する気がそもそもないのか、それともその余裕がないのかはわからないが、迷宮それ自体に選別を一任していると言っても間違いではない。

 迷宮では日々多くの命が失われて、それは当たり前のことだった。

 命金は、文字通りに命を(あがな)う金である。

 当たり前に失われる命を助けるべきための積立金だった。

 今、探索者は迷宮で危機に陥った時にギルドに助けを求めることができるようになった。

 だが、その条件は極めて厳しい。

 まず少なくとも一人は迷宮から帰還して、その危機をギルドに伝えなければならない。そして迷宮に残された探索者はその間、命を繋がなければならなかった。それだけでも難事であるのに、その二つの条件が満たされたとしても、確実な救援が保証されるわけではない。

 探索者ギルドに救援が間に合わないと判断された場合、救援要請は容赦なく拒否される。

 間に合うと判断された場合に、ようやくギルドは状況に見合った然るべき探索者を迷宮に送り込むのだ。

 その救援の探索者はごく一部の探索者だけである。最低限、個の力で状況を打開できるだけの実力がなければならない。でなければ要請に応えるどころか、ただ死にに行くようなものだ。

 そして救援の探索者には、積み立てられた命金から報奨が支払われる。

 戦技優秀な甲種探索者ランタンは迷宮を疾走する荷車の上で新人探索者(ルーキー)のように落ち着きなく視線を巡らせる。

 ランタンに救援要請が届いたのは今から十時間近く前のことで、自室でだらだらしているところにギルドから使者がやってきた。これは断ることも可能であるが、ランタンは受けた。

 即時即応が探索者の心構えであるが、少し気が落ち着かない。己が契約していない迷宮は他人の家のようでどこか居心地が悪いというのもあるだろう。

 十時間前の部屋の暖かさを思い出し、ランタンはむしろ背を震わせる。今では我が家のようにくつろげるネイリングの屋敷も当初は居心地が悪かった。

 この迷宮を自分のものと思えるほど長居するつもりはなかった。

 光のない迷宮だった。

 荷車は篝火のごとき光源を積んでおり、辺りを白々と照らしている。もし光源を失えば、己の指さえ定かではない闇に支配されるだろう。

 ランタンもそうだが、多くの探索者はあまり好んで契約をしない迷宮である。闇はそれだけ探索者を不利にする。

 しかし不人気であるが故に契約料が安いので、金欠の探索者や、聴力や夜目に優れる一部亜人族の探索者はむしろこれを好むこともある。

 迷宮の構成物質は火山岩に似た黒々としてごつごつした岩石が大半を占め、その岩間に鏡のような金属結晶が入り交じっている。天井には斧を叩き付けたような亀裂が無数に走っており、そこから湿気を帯びた生温い風が時折、強く吹き込んでくる。

 すでに道中の魔物は一掃されていた。

 救援を待つ探索者は最下層にいるのだ。

 ギルドに一報が届いた時間から逆算をして、探索者が行動不能に陥ってからすでに三十時間近くが経過している。魔物の再出現にはまだ余裕がある。

 もしそうでなかったら警戒しなければならないのはこの亀裂だ。亀裂は深く、真下から照らしても闇は濃い。魔物が身を潜めるのには恰好で、ランタンの視線はどうしても亀裂を警戒する。

 万が一にも魔物はいない。ランタンはギルドから救援のたった一人であるが、ランタンに先んじて一人の探索者が先に救援に向かっていた。もし再出現があっても、彼が魔物を切り捨てているはずだった。

 その救援者がいなければ、探索者ギルドは助けの声を拒否しただろう。最下層で三十時間はなかなか保たない。

 荷車の物凄い速度に頭上の亀裂は次々に背後へと流れるが、新しい亀裂は次々に頭上に差し掛かる。

 車輪が地面におうとつにどうしようもなく暴れ、あるいは結晶を踏んで空転する。そのたびに荷車の挙動は、意思を持って人を振り落とそうとするかのようになる。

 ランタンは速度重視の軽量荷台の薄い板敷きに尾骨をぶつけて悪態を吐く。舌打ちが背後へと置き去りにされ闇にまぎれ、荷車は更に速度を上げた。

 迷宮は低難易度獣系小迷宮である。

 迷宮の契約者はマレーという若い犬人族の探索者を指揮者とした六人編成の探索班であり、それに運び屋を加えた七人で迷宮探索を行っていた。

 彼らの所属はあのトライフェイスだった。ランタンに先んじて救援に向かったのは、トライフェイスの団長となったギデオンである。

 地上に帰還したのは六人の内で最も若い女の魔道使いと運び屋だった。行きは魔物を討伐しながら三日をかけた距離を二人は二十時間ほどで駆け戻った。

 女は背に酷い火傷を負いながらもギルドに救援要請をし、ついに意識を失い、運び屋は地上に戻るや血を吐いた。比喩ではなく脾腹が裂けるような激走を見せたからだ。

 その二十時間の距離をこの運び屋は、さらに八時間近く縮めようとしていた。

 牛人族であるが、異形でもある。

 牛人族らしい突き出た短角は、しかし額から、こめかみからと無数に突き出ていた。

 ランタン五人分ほどもある尻から生える脚は見事に逞しく、黒々とした蹄は火山岩も結晶も分け隔てなく蹴り砕き、恐るべき推進力を生み出した。

 汗にぬらぬらする背中は広く、盛り上がった肩は彼の手が地面を掻くたびに荒々しく波打つ。

 男は腕と脚の長さがほとんど変わらず、四つん這いになってまさしく猛牛のように駆けている。一度の休憩も入れず、弱音も吐かず、ただひたすらに荒い呼吸があるばかりである。

 彼もまたトライフェイスの一員である。

 トライフェイスはランタンとは浅からぬ因縁がある。

 もしや命金制度を悪用し自分を罠にかけようというのではないか。そんな風に少しも考えなかったかといえば嘘になる。だがおそらくはないだろう。

 それは楽観というよりも、団長ギデオンへの信用とも言えた。

 今の彼に、いやトライフェイスにランタンを害して利することはない。

「――ラ゛ン゛タ゛ン゛ッ」

 運び屋がようやく声を発した。喉を引き裂くような声だった。

「た゛の゛む゛っ!」

「うん」

 運び屋との声の対比は、ランタンを薄情に思わせる。

 だがその声の軽やかさは、救いを求めるものに安心感を与えた。ランタンの探索者としての実力、そして実績は折り紙付きだ。

 運び屋は当初の予定よりも更に二時間も時間を短縮した。ランタンは揺れに揺れるに台上ですっと立ち上がり、尻の汚れを叩いて、眼前に迫る霧を魔精鏡で覗いた。

 最終目標(フラグ)は破裂をばらまき、再生する獣だという。

 魔精鏡で覗き込む最下層は、ばらまかれた破裂の影響だろう魔精が濃すぎていまいち判断に困る。あの辺りだろうか、とランタンは探索者の位置に当たりを付ける。

 破裂の猛攻が凄まじすぎるのかギデオンを含む探索者に動きはないのかもしれない。

 ギデオンでさえ足止めをされるとなると、これはなかなかに厄介な最終目標かもしれない。

 低難易度という当初の査定に誤りがあったのだろう。その誤りは仕方のないもので、命金制度発足の理由の一つだった。

 霧の間近でランタンは荷車からそのまま霧の中へ身を躍らせた。背後で荷車が横倒しに鳴る音が聞こえる。視界を真白に埋め尽くされ、ランタンの耳にこだまする残響は新たな音に掻き消される。

 断続的な破裂音。白い視界があっという間に赤く染まり、うっと呼吸を止めるほどの熱量が肺に流れ込んでくる。

 いっそ一面の満開の花畑のようだった。

 破裂をばらまくという表現はまさしくその通りで、右に左に身体の置き場もないほどの破裂が絶え間なく発生している。

 三十時間もいたら気が狂いかねない。

 それは身体を打ち付けるような衝撃と、人を飲み込む大きさに膨らむ一瞬の炎を、そして視覚聴覚の二つ奪い去る光と熱を撒き散らした。

 ランタンの感覚が一瞬にして研ぎ澄まされる。一秒を百万分の一に分割し、破裂の発生する瞬間を見極めてその隙間を縫って前進する。

 まず芥子粒ほどの光があり、それが膨らんで破裂となる。光を発生させるものは、それよりもなお小さな何かだ。

 一つ一つの破壊力は、ランタンから言わせるとさほどでもない。地面に罅を入れる程度で、地形を大きく変形させるほどではなかった。一撃ぐらいならばまともに直撃しても根性で耐えられる。助けを求めた魔道使いがまさしくその根性を出した。

 ランタンは破裂に警戒しながら探索者と、最終目標たる獣の姿を探した。

 それはすぐに見つかった。

 広い最下層の、ほとんど中心部に六人の探索者はいた。戻るに戻れず、一人をどうにか外に逃がして今までそうしていたのだろう。

 マレー率いる探索者五人は円形を組んでいる。一人を内側に隠して、四人が四方からの破裂に耐えるようにして身を固めていた。防御姿勢だ。どうやら発狂はしていないようだった。

 それは傍目に見ても火傷の塊である。じゅくじゅくとした血が身体を濡らしている。周囲に瓦礫が散らばっているのは、土の魔道で構築した掩体の残骸だろう。彼らをどうにか生き長らえさせ、役目を果たして破壊された。

 そしてギデオンはというと、彼らの周囲で大剣を振るっていた。

 ランタンのように破裂を避けるということをギデオンはしなかった。

 大剣の一振りで破裂もそれ以外も問答無用に斬り払われた。刃から逃れたそれをギデオンは肉体そのものの頑強さで突き破った。

 迷宮で鍛え上げられた甲種探索者の肉体はそういう無茶を可能にする。だがさすがに傷ついている。

 ギデオンが破裂と一緒くたに斬り払っているのは、まさしく獣だった。

 一頭ではない。それは狼であり、豚であり、獅子であり、あらゆる四つ足の生物だった。形はたしかに獣だが、のっぺりとした造形で無機物のようにも見える。

 獣系迷宮であるが、その性質が必ずしも最下層まで引き継がれるわけではない。

 獣は無から湧くように発生して彼らを取り囲み、次々と襲いかかってはギデオンに切り捨てられていた。

 それはもろもろと崩れ、爆風にちりぢりとなって、またどこからか姿を現す。

「ギデオンっ!」

 ランタンが鋭く声を掛けると、さすがに驚いたようでギデオンは一瞬目を見開く。

「五秒!」

 ランタンはそれだけ叫んだ。頭の中で数字を数え始める。いち。

 ギデオンの目が細められる、視界の外から飛び掛かってきた獣を一刀両断。に。

 彼は一目散に仲間の下へと駆け寄る。さん。

 どうやらランタンの言いたいことは伝わったようだった。よん。

 ランタンは人外めく身のこなしで破裂を避けに避け、最大限に威力を発揮できるように宙に飛び出した。

 ご。

 爆発は地上一メートルほどの所で、ほとんどが発生していた。

 ふうん、とランタンは思う。ランタンのほぼ直下で、探索者たちが防御姿勢を取っている。ギデオンがその一番上で大剣も使って、亀の甲羅のように五人に覆い被さっていた。

 ランタンは力を解放する。

 小躯から紅蓮の炎が放射さる。

 最終目標の破裂など児戯に等しい。

 獣と破裂の一切合切を蹂躙した爆発の衝撃は最下層の端に到達するや、薄氷を踏み抜くように壁を微塵に砕いた。

 断続的な破裂はそれが幻だったように音の一切を残さず失せて、ギデオンに尻を叩かれた探索者たちが最後の力を振り絞って霧の方へ駆けてゆく。一人は担がれている。もしかしたら死んでいるのかもしれず、ぴくりとも動かない。

 彼らの足跡に、彼らが流した血が溜まる。

 ギデオンは残った。

「すまん、助かった」

「付き添ってあげればいいのに」

「そうもいくまい」

 ギデオンの真面目さにランタンは無駄口をやめた。

「植物系、たぶん菌類みたいなやつ、キノコとか黴とか。破裂は胞子、獣はキノコの部分、本体はどっかにいる」

 最後の破裂は、壁際で発生した。ランタンは爆発の行使の最中にそれを見ていた。ランタンの爆発、それによって生じた爆風によって胞子が壁際に追いやられたのを。獣は斬られた後、破裂の糧となっていた。

 この見極めの速さが新人探索者と、甲種探索者の違いであり。そして甲種探索者と、かつて単独探索者だったものとの違いでもある。

 二人の視線が交わることなく最下層の全てを見回した。一周丸ごと崩壊し、露わになった壁面に菌糸体らしい姿はなく、地下にもおそらくそれはなかった。

 最終目標の意図したことか、マレーらはおそらく誘い込まれた。

 獣の数は最初は少ない。獣の一体一体は、さしたる強さではない。戦っている内に深入りして、次第に獣が数を増やし、戦力は気付かぬ内に逆転される。

 そして危ないと思った頃には破裂が咲き乱れる死地である。

 地獄を生み出すためには、それなりに時間が必要だった。胞子を地上付近に蓄積するための。

 ぽつぽつと再び発生し始めた獣を排除するのはランタンの役目になった。ただ斬るだけではむやみに胞子の蓄積を加速させるだけだからだ。戦鎚に炎を纏わせて叩き付ける。

「見つけたぞっ!」

 声。

 ギデオンの跳躍に合わせて、ランタンは下から上に戦鎚を振り上げる。彼の靴底を粉砕するような勢いの戦鎚は、しかしギデオンの跳躍を助けるだけだった。

 ギデオンは天井に身の丈ほどもある大剣を根元まで突き刺した。

 悲鳴はない。

 だが最下層がびりびりと震動した。

 ランタンは頭上を見上げたまま後退する。

 ギデオンは大剣を捻る。天井に稲妻が走ったような罅が広がり、半径五メートルほどが一気にはがれ落ちた。黒々とした瓦礫がしかし一塊のままであるのは、大蛸に似た菌糸体に絡め取られているからだ。

 まだ生きている。

「とどめ、どうぞ」

 ランタンはさっさと戦鎚を腰に戻し、ギデオンは大剣一閃、最終目標の核を破壊する。




 帰りもまた急ぎである。

 防御姿勢を取れた四人の探索者はしばらく休業すれば探索者に復帰できるが、その内に守られていたもう一人はどうなるかわからない。

 彼は探索班の二人目の魔道使いであり、マレーらを持ち堪えさせた掩体を構築した本人である。

 外見上は最も軽傷であるが破裂によって破壊され続ける掩体を、ひたすらに再構築し続けたために精神が擦り切れてしまった。その頑張りなくては、荷台には死体を積むことになっただろう。

 兎人族の男だ。兎人族の長い耳は力無く萎れている。彼らの耳は毛細血管が走っており、耳の内側はいつだって血色が鮮やかなのをランタンは知っていた。それが顔色と同じく白蝋のように色を失っている。

 まだ若いはずだが、老人のような弱さを思わせる。

 鼓動も、呼吸もか弱い。

 ギデオンがすぐ傍に付き従っている。

 帰路の雰囲気は暗かった。生き延びた喜びを実感するのは地上に戻ってからだ。

「脱出が無理だって判断して、一人外に逃がした決断はそれなりによかったんじゃない? その人選も悪くないよ。前衛職を逃がして、残ったのが魔道使いだったら敵の攻撃を耐えられなかったでしょ。まあ最初の状況判断がそもそもだめなんだけど、それでも死者がないんだから、運がよかったね」

 ランタンは本心から慰めようとしているのだが、あまり効果はないらしい。

 疲弊しきっている彼らの返事を期待しているわけではないが、それでも彼らの無言の理由がただ疲れているだけではないことぐらいは理解できる。

 しかしそれにしても荷台に横たわっている五人は、まるで死者のようである。

 何がだめだったんだろう、とランタンは首を捻った。

 畢竟(ひっきょう)、彼らが打ちのめされているのは残酷なまでの実力差だ。三十時間助けを待ち続けるしかできなかった自分たちと、ものの十数分で状況を打開したランタンとの。

 そんな姿にギデオンが苦笑し、改めてランタンに頭を下げた。

「ありがとう、助かった」

「いいえ、どういたしまして」

 年上の素直な態度に、ランタンは居心地悪そうにする。

 手の中の小瓶に視線を落とす。

 そこには最終目標から採取した菌糸の一欠片と、魔精結晶の破片が収められている。ランタンは死にかけの虫をどうにか動かそうとする子供のように、小瓶をからから揺すった。

 ギデオンという男はもともとこういう剛毅な男だった。探索団トライフェイスは、ギデオンを先頭に再建している最中だった。

 ブリューズが死に、後ろ盾を失ったノーマンはトライフェイスを見限った。と、言うよりも手放さざるを得ない状況に陥った。

 大人数を要したトライフェイスはもともと自らの巨大さ故に身動きが取れなくなった巨獣である。その結果としてヘイリー子爵家の支援を受けることになった。

 有り体に言えば身売りであり、支援の見返りが子爵家の三男坊であるノーマンの団長就任、決定権の譲渡である。

 ともあれトライフェイスは金食い虫なのだった。

 子爵家がトライフェイスの支援を行っていたのは偏にブリューズの覚えをよくするためであり、探索者ギルドを公営化しようとしていたのも、結局はやがて誕生するはずだった完全管理社会で管理する側に回るためだった。

 ブリューズが死んだ今。子爵家がトライフェイスに行った投資はまったくの無駄になった。最低限回収しようとしたようだが、荒くれ者である探索者相手である。

 回収の手間を考えると、より金が嵩む可能性すらあった。

 ティルナバンの財務の要職であったヘイリー子爵はアシュレイ政権となって、さっそく閑職に飛ばされた。国庫から税をつまむことも、特定商人を優遇することで私腹を肥やすこともできなくなった。

 それどころかかつての不正蓄財をいつ咎められるかと気が気ではないようで、父子共々に根回しに奔走しているという。

 トライフェイスはと言えば、子爵家の支援を失って再び瓦解の危機に直面するかに見えたが、どうにか踏み留まっている。

 未だに亜人族からのギデオンへの人望は厚かった。さまざまな理由から去って行った探索者も多いが、ギデオンへの失望を理由にするものは少ない。

 そして残った探索者たちは、やはりギデオンを担いだ。再び団長へと戻ることは、請われたとしても恥ずべき事だった。だがギデオンはその恥を呑んで、期待に報いようとした。

 ギデオンは単純に高潔な人間ではないが、それでも責任感が強い男であることは間違いない。子爵家への身売りも、それが唯一トライフェイスを存続させる道だったからだ。

 それを存続させなければならない理由は何だろう。

 トライフェイスはかつて虐げられた亜人族のための探索団だった。今でもそうだ。より一層、そういった側面が強くなったかもしれない。

 トライフェイスは変異した帰還兵を積極的に受け入れている。

 四つ足で駆ける牛人族の運び屋は、傍目に見れば動物扱いされているように映るかもしれない。だが彼は自らの能力を十全に発揮できる場を与えられて、その使命に燃えているようだった。満足を得ている。あるいは安心を。

 帰る場所があるというのはいい。

 居場所を失うことは辛い。

 だからこそトライフェイスの存続にギデオンは人生を賭しているのかもしれなかった。

「足手まといを抱える理由って何?」

 明け透けなランタンの言葉には嫌味がない。

 トライフェイスでは探索者登録をしたものの、探索するだけの実力が無いものであってもきちんと給料が支払われている。

 それが赤字体質の理由の一つだ。

「だれでも最初から上手くいくわけではないだろう。ギルドの命金も、おそらくそんな理由からだろうさ」

「でもあなたが支えなければならない理由にはならないと思うけど」

 すみません、すみません、と五人の内の誰かが寝言のように謝った。

 ランタンは誰の声かわからなかったが、ギデオンは視線をマレーに真っ直ぐと向けた。

 寝てろ、とまず言う。

「生きていてくれてよかったさ。――他の誰でもいい、なら俺でいかんと言うことはない。違うか」

 ランタンを真正面に捉えてから、ふ、とギデオンは笑う。

 ばつが悪そうに頭を掻く。狼の耳に小指を突っ込んで、耳くそだかそれとも胞子だかわからない白いふわふわを掘り起こす。ふっと息を吹きかけると、綿毛のように吹き飛んだ。

「教主に説法。お前に言うことじゃないなかったな。――命金の救援者登録、あれも強制ではないじゃないか」

 ギデオンは含み笑いながら尋ねる。

「聞いたか? ギルドは甲種探索者全員に登録を促し、それに応えたのは三割に満たなかったそうだ。多くの場合、救援が無駄足になることを甲種探索者(おれたち)は知っている。それに報奨金などたかが知れているからな。他人のために命をかけるには安すぎる」

 しかし今はその登録が五割を超えた。

 急増したきっかけはランタンだった。

 今回はランタン一人に救援要請があったが、本来ならば複数人に頼む。救援とは、もう一つの探索である。そして探索は複数人でするのが鉄則だった。

 救援者登録は、あのランタンと迷宮をともにするまたとない機会だった。かつて数多の勧誘を袖にし続けたランタンである。その希少価値たるや金で購えるものではない。

「お前ほどの探索者ならば報奨金に目が眩むと言うこともないだろう。それでも登録をしたのはなぜだ。求めたのが我々だと知って、断ることもできただろう」

「そんなことはないよ。金は稼がなきゃ、明日のご飯も食べられないかもしれない。お腹ぺこぺこ、――ってあなたに言うことじゃなかったな。トライフェイス団長殿」

 あっはっはっ、とランタンは露悪的に笑う。

 三割未満の甲種探索者が救援者登録に応えたのと、ランタンの理由はきっと変わらないはずだった。

 困っている人間を助けるのは、それほど不思議なことではない。

「相変わらず生意気なことだ。ともあれ感謝を。お前が救援を求めた時には、トライフェイス一同で応えよう」

「数はいいから厳選して」

 ランタンは小瓶をしまい、携行食を取り出した。つい癖で二つ出してしまい、しまうのも何なのでランタンは無言でギデオンに投げ渡した。

 頭上の亀裂に視線を向けながら、焼き固めた小麦のバーを囓った。

 初めて購入した携行食だ。一辺が二センチほどの四角柱であり、見た目は素っ気ない。砂を圧し固めたかのように見える。そして見た目通り、唾液でふやかさないと歯が欠けるほど硬い。

 狼人族のギデオンは強靭な咬筋力を発揮して、ばりぼりと物凄い音を立てて咀嚼していた。石でも食べているのかと思う。牙の隙間から溢れる屑は、小石そのものだ。

「まあ、色んなことに挑戦したくなったのかもしれない。やって初めてわかることもある。これは失敗だけど、いいこともある。これは大失敗だけど。歯が立たない。最終目標より厄介だな」

 独り言じみてランタンは呟く。

 それはちょっとした思春期の男の子の見栄のようなものだったのかもしれない。具体的にそうと言わずとも、ほんの僅かに匂わせるものがあったのかもしれない。狼人族はもしかしたら咬筋力ばかりではなく嗅覚にも優れているのかもしれない。それは精神的な匂いを嗅ぎつけるのかもしれない。

「なるほど女を知ったというわけか」

「うーわ、お、じ、さ、ん」

 ランタンは軽蔑も露わに吐き捨てたが、ギデオンは首を傾げ、唇の片方を吊り上げて笑う。わざとらしく指を折るのは、ランタンとリリオンが同時観測され始めてからの日々を数えているのかもしれない。

「ほう、奥手だったんだな、お前は。はあーん、そうかそうか。ならば俺の仲間を救ってくれた礼だ。今度、花代を奢ってやろう。探索と同じだ。数をこなせば上手くなるぞ」

 ランタンは黙って小麦バーを噛み砕いた。ばりぼりと音をさせて、まだ塊が残っているのにも構わず飲み込む。

 冷気が近付いてきていた。

 迷宮口直下が近かった。

 ランタンが迷宮に降りた時はまだ保っていたが、その時にはすでに雪雲がティルナバンに差し掛かっていた。

 地上と迷宮は霧によって隔てられている。夏の熱気も、冬の冷気も迷宮には影響を与えない。多少の雨雪では、迷宮を濡らすこともできない。

 だというのに迷宮に雪が積もっていた。迷宮口の形に丸く、ふわふわとした雪だった。それがふと菌糸を思わせるのは、最終目標討伐から十二時間も経っていないからだった。

 どうやらティルナバンは大雪のようだ。


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