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カボチャ頭のランタン  作者: mm
12.Over The Hypernova
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 それは一塊の砂岩から削り出されたような巨大な戦士像である。

 しかし腋を開き、肘を外旋させ、手首を返して剣を振り上げる様子は、その内側に骨格があるのではないかと疑わせた。

 身体を捩るほどに巨像の表面が剥がれ、それは像の精緻さと相まってぶ厚い垢が落ちてくるようだった。

 右足の踏み込みと連動して、肘が沈み、畳まれる。

 歩く度に起こる地揺れも、もう慣れたものだった。

 その一撃を避けることを容易いとは言わないが、今のリリオンには難しいことではないだろう。

 問題があるとすれば、その戦闘空間は広さが限定されていることだった。

 それは迷宮にある一つの部屋で、その中心に巨像が立つとその攻撃範囲は、部屋の隅々にまで及ぶ。すでに幾度かの回避によって壁は無惨な有様だった。

 天井が落ちてこないのが不思議なほどだが、迷宮には不思議がつきものだ。

 リリオンは右腕を頭上に掲げた。それは陽射しを遮るような動作に似ている。少女の細い右腕は、その肌よりも白い竜骨の腕甲によって守られている。

 戦士像の石の剣は深く黒ずんでいる。砂岩のざらつきとは対照的に、剣だけは硝子質の艶がある。

 沈みながら畳まれる肘は、さながら直下への肘打ちのようでもあった。肘の高さが肩の位置に並び、その瞬間に跳ね返るように肘が伸展する。

 ごう、と石剣が唸った。石剣にむしろ引きずられるように、巨像そのものが前につんのめる。身体全体を叩き付けるような。

 リリオンは少しも避ける気配を見せなかった。肩幅程度に足を開き、やや身体を斜めに向けている。

 かざした腕の向こうを冷静に見つめていた。よく笑う淡褐色の瞳は、切れ上がるほどに鋭く細められていた。

 左手の指が、小指から順に握り込まれる。拳を作った瞬間、石剣は腕甲に触れた。

 並の探索者なら圧殺は確実である。

 触れた時間は、刹那だった。

 リリオンは濡れた手を払うような動作で、肘を支点に腕を振った。

 石剣の行方が大きく逸れた。張りぼての剣を払うがごとく。リリオンによって、そしてリリオンを見失った剣は床を叩いて砕いた。

 砂岩が内側から破裂したみたいに跳ね飛び、砂煙の中にリリオンはいる。

 押し返すような爆風の中を滑るように二歩前進。

 間合いの内に捉えた瞬間に右の銀刀が跳ねて煙を裂いた。

 煙を裂くのとまったく同じ力感で、巨像の手首を落とした。

 もちろん断面に骨格などありはしない。

 更に二歩。巨像の股下近くまで踏み込んで、いつの間にかリリオンは柄を両手で握る。耳のあたりで掲げた銀刀の刃が斜めに傾き、リリオンは頬を膨らませた。

「あ」

 ランタンはつい呟く。

 煙の中で鼻から息を吸った。その痛みを想像して眉を寄せ、しかしリリオンの集中が途切れない。

 だからこそランタンは戦鎚も抜かずに戦闘を眺めている。

 鋭く息を吐いた。吐息の勢いが複雑に蠢く砂煙を更にかき混ぜる。

 銀刀が奔った。遅れて三つ編みの銀髪が回り、剣線をなぞるそれは水面に広がる波紋のようだ。

 銀刀は左膝を断ち、勢いを衰えず右膝に斬り込み、最後の最後だけ力を使って振り抜かれる。

 巨像の両膝がほぼ同時に断たれた。

 両足が床に取り残される。

 巨像は、床を叩いたその勢いをまだ上半身に残していた。

 切り離された膝から上が、勢い余って回転する。首もとを支点にぐるんと一回転し、軸が乱れる。捻れるようにもう半回転して顔面から落下した。

 衝撃に耐えきれず顔面が砕け、首がへし折れた。

 動く巨像は、砂岩と砂煙の塊となって、残心を解いたリリオンは今さら鼻の痛みを思い出したように顔を歪めた。

「あーうっ」

 鼻声の、甘えた叫び声を漏らす。未だ煙る中に取り残されて、迷子の子供のようにランタンの姿を探した。

 ランタンは立っていた場所に巨像が降ってきたので、慌てて場所を変えていた。

 口元を手で隠し、砂煙の中に踏み込むと三つ編みを掴んで引っ張った。

 煙の中からリリオンを連れ出して、そのまま部屋の外まで出た。部屋の中は濛々(もうもう)たる煙で渦巻いていて、これが収まるまでには今しばらくの時間が必要だった。

「鼻の奥がつんとする……」

「ほら、ちーんって」

 ランタンが鼻にハンカチを当ててやると、リリオンは勢いよく洟をかんだ。勢い余って涙が出るほどだ。

「自分で支えてよ」

「うん」

 リリオンは赤くなった鼻をぐしゅぐしゅさせており、ハンカチの折り目を変えてもう一度洟をかむ。砂まみれの顔を洗い、口をゆすいでそれから腰を下ろして通路の壁に背中を預ける。

 鼻の痛みよりもずいぶんと遅れて、疲労を思い出したように息を吐いた。

 ランタンはぽんと頭を撫でてやり、鋭さをすっかり失った瞳が甘く細められる。

「僕は結晶を掘り出してくる」

「すぐにわたしも行くね」

「休んでていいよ」

「やあよ。わたしだって宝物、見たい」

「独り占めなんかにしないよ」

「一緒に見たいの。だから一人で開けちゃだめだからね」

 ランタンは頷いたんだかわからないような、曖昧な返事をしてまだ砂煙の残る部屋の中に戻った。

 背中に垂れる外套を手繰り寄せて、口元がすっぽり埋まるように首に巻き付けた。無駄とわかりつつ眼前の煙を手で払う。

 巨像は砕けていたが、胸部のあたりは大きく形を残している。ランタンはそこに戦鎚を叩き付けて崩し、削っていった。砂岩は砕けるほどに砂山となり、その砂山を崩して魔精結晶を探した。

 戦鎚を返し、鶴嘴で細かく探りを入れる。先端に硬質の感覚が触れ、ランタンは地中から遺跡を掘り出すような慎重さで結晶を掘り出した。

 それなりの大きさがある結晶だが、大きい分だけ色が薄いように思えた。

 纏わりついた砂を払い、その魔精の力の大半が巨大な無機物を動かすことにだけに使用されていたのだろうと推測する。ランタンはそれを袋の中にしまい込み、酒瓶のように腰から吊った。

 首を巡らせてリリオンがまだ来ていないことを確認すると、瓦礫の中にある宝箱を見なかったことにして、部屋の大きさを測り始めた。

 リリオンが契約をしてきたこの迷宮は、ランタンも初めて攻略する種類のものだった。

 物質系迷宮で、出現する魔物の大半は人型の石像だったが、しばらくは出現しない。その尽くをリリオンが斬ってしまったからだ。

 この迷宮の構造は遺跡を思わせた。

 方形に切り出された砂岩の直線さや、並べ方や積み重ね方には人工物の気配が存分にあった。

 石組みの隙間は剃刀一枚通らぬほどであり、床に使われている砂岩は幾何学的に配置されていた。

 当初は一種の魔道式かと警戒したが、なんということはないただの飾りである。もっともそれはつい先程巨像に砕かれてしまったが。

 ランタンは瓦礫を避けて壁際へゆくと、角から角へと歩幅を揃え、歩数を数えながら移動する。

 ランタンにとって初めてなことは、この迷宮が階層構造をなしていることだった。階段を使って下へ下へと潜ってゆくのだ。そして一つの階層に複数の部屋があることだった。

 部屋は正方形であり、ランタンの歩幅で十一歩だった。これで八メートルと二十センチになる。

 ランタンはそれを地図に書き加えた。

 この迷宮を攻略するに当たって、ランタンは地図をつけていた。

 それは探索者ギルドからの依頼であったし、迷宮内部がいくつかに分岐しており、意識して歩いたとしてもたちまち居場所を見失うような構造になっていたからだった。

 迷宮が多様化かつ複雑化しているのは、もう探索者にとっては周知の事実だった。

 迷宮の分類は魔物の出現傾向と、その規模の二種によるものから、さらに閉鎖型か開放型かを加えた三種によって定められるようになった。

 例えばこの迷宮ならば物質系閉鎖型中迷宮となっている。が、この新分類は暫定的なものでしかない。

 本来ならばこれの頭に、以前ならば二種、現在ならば三種から導き出される難易度が付くのだが、迷宮構造の特殊さから探索者ギルドもこれの難易度を決定することができなかったのだ。

 こういった迷宮は一部の選ばれた探索者にのみ契約が許される。

 理解が、迷宮の変化に追いついていないのだ。

 そして探索者ギルドは変化の解明に本腰を入れつつあった。

 今までも迷宮の調査、解明はギルドの主立った、そして目立たぬ業務であった。

 探索者もその調査に協力させられていた。

 迷宮探索自体がそれと言えばそうだが、基本的には攻略報告と探索者証による情報の自動収集がそれであった。

 もっとも探索者に調査に協力している意識はあまりない。

 攻略報告は換金ついでの無駄話か自慢話であり、探索者証は肌身離さず身に付けているが、これがどのようなものを記録しているかを知る探索者は一人もいないのだ。

 しかしその二つの情報ではもう足りなくなってしまった。

 探索者ギルドは迷宮の変化を知るために、もっと直接的な手段をとるようになった。

 迷宮の調査を探索者に直接依頼したり、専門家を探索に参加させたりするようになったのだ。

 探索者の反応は多様であるである。

 例えば探索者の中には変化を好むものも多い。

 探索者という仕事を、ただ日銭を稼ぎ為だけではなく、夢や浪漫を叶えるための手段と捉えている探索者は珍しくない。そういった者たちは変化、つまりは新たな挑戦に好奇心を掻き立てられる。

 変化を、こなすべき課題の一つとしか見ていない探索者もいる。迷宮探索はそもそもこういうものだ、と割り切っている。迷宮とはもともと不可思議と困難の塊であり、昨今の変化も、まあそんなこともあるだろう、と受け入れている。諦めかもしれない。

 そしてやはり未知のものを恐れる者たちもいた。

 ランタンはどちらかといえば後ろ向きに考えていた。しかし恐れはそれほど多くはない。迷宮が変化しようとも探索を辞めようとは思わない。

 ただ面倒だなあ、と思わずにはいられない。

 リリオンは騙されるように、この迷宮を契約したわけではなかった。そういった諸々を理解した上でギルドと契約を交わしたのだ。

 巨人族と戦うかどうかというこの時期に、新しい探索に挑戦するというのは一体どういう神経をしているのか。

 ギルドからは用紙と筆記具、迷宮方位計と特殊な深度計を与えられた。

 それで地図を製作しろというのだ。

 地図をつけるなど初めてのことで、ランタンはリリオンにそれを聞かされたときは途方に暮れたものだ。

 もし真っ白な用紙を渡されたら、契約を解除していたかもしれない。

 渡された用紙には一層の、三分の一ほどの地図が記されていた。先遣偵察隊の確認した部分である。ランタンはその記述形式を引き継ぐことで、どうにか探索と平行して地図製作を行うことができた。

 この迷宮は六層からなる。

 一、二、三層と下るにつれて広がり、四、五層はまた狭まった。六層目は最下層であり、そこに至る階段をランタンたちはすでに見つけていた。

 これを無視したのは、五層目をまだ踏破していないからだった。

 そして今し方、五層目がようやく踏破された。

 ようやく完成した地図を見て、迷宮攻略が済んでいないのに、ランタンは結構な満足感を憶えた。

 ここが最後の一部屋だった。五層の部屋数は四十二部屋であり、その内の八部屋に合計で二十一の魔物が出現した。それはかなりの出現頻度だ。

 高難易度迷宮と言ってよいだろう。

 ランタンは宝箱に腰掛けて、自作の地図を眺める。

 尻の下にあるものに想像を巡らせながら、無意識に呟く。

「ほんとうに迷宮探索だなあ……」

 呟いた声がこもり、ランタンは外套を背中に垂らした。砂煙はすでに収まっている。

「なあに?」

「なんでもないよ」

 部屋に入ってきたリリオンが、好奇心旺盛な顔をする。

 念のため口元を隠しているが、それはアシュレイから賜った気配隠しのベールである。それをただ砂除けのためだけに使用している。

 口元が隠れていても目がきらきらと輝いて、いっそ鼠をいたぶる猫のようにも思えた。

 遮るように広げた地図の上から顔を寄せて、なになになになに、としつこい。ランタンが露骨な舌打ちをしても少しもめげなかった。更に顔を寄せる。

 びり、と。

「あ、あーっ! 破れたじゃないか」

「ほんのちょっとだけじゃない。ごはん粒でくっつければいいでしょ」

「もー、せっかく出来たのに。書き直しだよ」

「しんけいしつ」

「……」

「しかたないわね。じゃあわたしが書き直してあげるわ」

「はあ? それじゃあ迷子になっちゃうよ」

「もうっ、それどういう意味! ひどいわっ」

 リリオンはわざとらしく頬を膨らませたが、目はまだ笑ったままだった。

 リリオンに戦闘に集中させるために地図製作をランタンが請け負ったというのは真実であり、建前だった。

 最初は魔物とも戦いたがり、地図も作りたがったが、後者の才能は前者の才能の十分の一もないことは探索初日に証明されていた。

 ランタンは地図を畳んでしまいこんだ。破れはほんの少し。それでも書き直したいが、それは探索が終わってからにしよう。

 ランタンは宝箱からぴょんと飛び降りた。

 部屋の中には時折、財宝や遺物が隠されていた。これ見よがしな宝箱の中や、時には床下や壁の向こうに埋め込まれていることもある。それらは大抵、戦闘の余波によって部屋が破壊されることで見つかった。

 この部屋には宝箱があった。装飾や彫刻が施された石の箱であり、二人はそれを宝箱だと思っていたが、見るものが見ればそれが石棺であることがわかる。

 リリオンが蓋の隙間に銀刀を突き込み、梃子の原理でそれを開いた。細心の、もちろん素人かつ、好奇心旺盛な子供にとっての細心の注意を払って中身を確かめる。

「なーにっかな?」

 二人揃って覗き込んだ中身は、がっかりするような有様だった。

 黒ずんだ銀の杯が二脚、固まりきらぬ泥人形と、何処の国のものでもない陶器の貨幣があるばかりだった。

 道中に宝箱は幾つもあったが、めぼしいものは何もなかった。金銀財宝も、伝説の武具もなければ、罠さえしかけられていなかった。

 いちばん驚いたものは生きた鼠が二匹、跳び出てきたことだ。

 その二匹は迷宮を彷徨った挙げ句、未探索部屋で巨像に踏み潰されてぺしゃんこになって発見された。赤い血を見て、更に驚いたものだ。それは魔物ではなかった。

「なあんだ」

 リリオンがつまらなそうに呟く。ランタンも同じ気分だった。骨折り損だというように、リリオンはランタンの背中に身体を預け、旋毛に顎を乗せる。

 迷宮というものの存在を初めて知った時、ランタンはこういった迷宮を思い描いたものだった。

 魔物の跋扈する未踏の遺跡、危険な戦いと驚くような発見。そういった冒険を夢想したこともある。

 それが実際には戦いばかりの空間で、ちょっとがっかりしたのを憶えている。

 この迷宮でその夢想が現実になったかと、ほんのちょっとわくわくする気持ちもあったが、現実はいつだって残酷だ。

「こんなもんだよね、あーあ」

 ランタンは陶器の貨幣を一枚摘まみ上げ、指で弾いた。

 くるくると回るそれには舌の赤い白い蛇の模様が描かれている。

 ぴん、と安っぽい音がする。




 最下層へと続く階段の前で充分な休憩をとった。

 行くか戻るかの決断はもう済ませてあった。

 階段はほんの五段ほど下りた所からすでに霧に包まれている。その角度は急で、魔精鏡を使って最終目標を確認することはできなかった。

 戦う相手の情報を事前に収得できないことは稀にあったが、これほどどうしようもないことは珍しかった。

 もしかしたらこの先は予想される最下層ではなく、ただの七層目で迷宮はもっと深くまで続いているかもしれない。

 この戦いでひどい怪我を負えば、新年までに治らない可能性もある。最終目標戦とは、もちろんこれまでの道中もだが、そういった可能性が大いにあるものだった。

 死なない程度の、だが巨人との戦いには間に合わないほどの怪我をしてしまえばいい、とは思わなかった。

 巨人族とどちらが戦うかという話は、もうしていない。

 荷物の整理をする。

 ここに至るまでに集めた魔精結晶や野営具を一纏めにして階段前に置いていくことに決めた。持っていくのは戦闘に必要なものと、探索に最低限必要な食料ぐらいのものだった。

 あれだけ丁寧に製作した地図は置いていくことにした。

 どのような最終目標かわからない以上、身軽になるにこしたことはない。だが迷宮がこの先も続いて、尚且つ戻れなかったときのことも考えないといけない。

 魔精鏡はどうしようか、としまいかけたそれを手に悩む。最終目標観察には役立たなかったが、これまでの道中には役立った。石像がただの石像か、それとも魔物かを判別できるのだ。

 魔精鏡を通して見ると、魔物は薄青く色づく。ランタンはそれをリリオンのベルトに差し込んだ。

「よし」

 準備を済ませたランタンは戦鎚の振りを確かめる。ここまではリリオンの独壇場だった。

 鈍っているとは言わないが、少しだけ気持ちが浮ついている。

 リリオンは銀刀を立てて、刃の様子を確かめている。石を斬って刃毀れを起こさない。グランは相変わらずいい仕事をする。リリオンの技も劣らずに磨かれている。

 わたしがするから、とはさすがのリリオンも言わなかった。でもそういう気持ちが胸の中にあるのだろうというのを、ランタンは薄々感じていた。あえて指摘はしない。

「じゃあ行こうか」

 気楽な様子でランタンが言うと、リリオンは頷いて同じ調子で言葉を呟く。

「宝箱あるかしら?」

「期待しても、どうせだめだ」

 拗ねたようなランタンの呟きにリリオンは一つ笑って、砂に汚れた少年の頬を突いた。

 二人して、転げ落ちるように階段を下った。

 視界を奪われた状態で、急な階段を駆け下りるのは探索者であっても恐怖心の湧くものだった。

 その恐怖に思わず少し笑う。

 鬼が出るか蛇が出るかというこの状況で、階段が怖いなどとは。

 かくんと膝が抜けて、ランタンとリリオンは同時に転んで、同時に素早く立ち上がった。

 まだある、まだあると思っていた階段がふとなくなったのだ。

 転げ落ちた先は冷えた砂が一面に広がっている。粒子が細かく、転んでも痛みはなく、立ち上がった拍子にぶわりと巻き上がった。

 砂岩の床ではない。だが遺跡のような気配は連続している。

 半球状の天井に所々に穴がいており、細い滝のように砂が流れ込んでいた。

 今までが直線的だったのに対して、その空間は丸みを帯びている。楕円だろうか。壁にはずらりと巨像が並んでおり、それは雌雄で対になっている。

 交合像だった。

 例えば男は女を抱き寄せて背から回した手が胸を揉んでおり、女は男の性器に手を寄せているというような。そういったものはまだ序の口で、あからさまに交わっているものもある。むしろそちらの方が多く、中にはなにがどうなっているのかランタンの知識では理解できないものもある。

 これが動き出したら嫌だな、とランタンは思う。

 襲いかかってくるのか、それとも表現されている行動の続きをするのかがわからないからだ。

 魔物は普通、襲いかかってくる。だが迷宮の多様化は、そういった(ことわり)さえも変化させるかもしれない。

 ランタンは油断無く巨像を観察し、リリオンは空間に目を向けていた。言葉は交わさず役割が分担されている。

 ランタンはリリオンに預けた魔精鏡を抜き取ろうと。

「下よ!」

 リリオンが叫んで、砂の一部が波打って盛り上がった。

 砂中になにかが潜んでいたわけではない。砂そのものが盛り上がって人型を作った。

 みるみる巨大化して、ゆるりと腕を伸ばしてくる。石像の精緻な作りとは対照的な、目も鼻も口もない砂の巨人だ。泥人形のような。

 二人の頭上に影が差したかと思うと、指のない巨大な掌が打ち下ろされている。

 左に横っ飛びしたリリオンは、すぐさま振り返って銀刀を横振った。

 間合いの内にある前腕を切り裂いた。手が形を失って砂に還り、それは砂岩よりも容易く断たれたように見えた。だが、次の瞬間には断面から押し出されるようにして再生していた。

 足元にあるこの砂の全てが、砂像そのものと言っていいのかもしれない。

 この手の魔物は、どこかに核が隠されていることが常だった。

 足元に広がる砂中の可能性は低い。人型の中、だが石像と違って、砂の身体の中を核は動いているかもしれない。あれだけの巨体、見つけるのは苦労しそうだった。

 砂に足が取られる。ランタンは爆発によって跳躍する。姿勢の制御。弾丸に似た螺旋を描き、ランタンは砂像に肉薄する。戦鎚が胴体に触れた。構成する砂をごっそりと削ぎ取り、爆発によって更に抉った。

 上下が分かれると言うほどの破壊だった。実際にそれは一度、形を失った。だがそれは砂の滝を浴びて、再び元通りになった。

 なんだろうか、この違和感は。

「リリ、確認!」

 砂像は腕を伸ばしてリリオンを追った。

 その腕の間にランタンは潜り込む。両腕を断った。注意を引きつける。やはり脆い。濡らした砂をぎゅっと握った程度の硬度しかない。いくら再生するとはいえ、あまりに脆すぎる。

 リリオンは魔精鏡を引き抜いてそれを覗いた。

 その瞬間、リリオンは完全に無防備だった。そしてランタンは砂像の注意を完全に引きつけていた。

 離れた位置で、静かに砂面の一部が盛り上がりを見せる。それは布を絞るように尖って槍となった。音もなく、気付いたときにはリリオンを貫かんとしている。

 リリオンの脇腹が抉れ、血が流れた。それだけで済んだのは、無防備なはずのリリオンがそれを辛うじて避けたからだった。

 リリオンは悲鳴の一つも上げない。

 二の槍を銀刀で払い、ランタンに伝える。

「ないわ!」

 もう一度よく探せ、とは言わない。

 リリオンがないというのなら砂像の中に核はないだろう。ランタンはリリオンに近付いた。これだけ近くにあれば、先程のような失態はもうないだろう。ただ捌くのが少し難しくなる。

 リリオンは再び魔精鏡を目元にやり、今度は周囲を見回した。ランタンは砂像も、砂面から発生して襲いかかる無数の攻撃の一つもリリオンに通さなかった。

「あっち!」

 リリオンは顔を左に向けた。

 交合像の一つだった。その像には蛇が絡みついている。

 ランタンは咄嗟に狩猟刀を引き抜いてそちらに投擲した。その蛇が動いた。それこそが最終目標だった。今の今までまったく気配を隠していた。

 頭部が膨らみ、尾が細い。いっそ頼りない姿をしている。

 砂像はそれによって構築され、操られる人形にすぎない。

 蛇は狩猟刀をするりと躱して、砂の中に潜った。それほど深くはない。水面近くを魚が泳ぐように、波が立って煙る。

 リリオンの背後。少女は砂像の一撃を躱し、背中に目があるように振り返って砂面を薙いだ。

 硬質な音色。蛇が飛び出す。表面が剥離し、それが陶器の蛇であることがわかる。だが無傷だ。剥がれ落ちたのは砂の膜だった。リリオンがもう一度、銀刀を振るう。

 蛇の頭部に直撃して、それは罅の一つも入らなかった。

 手応えがあったのだろう、さすがにリリオンが驚いた。行動が一拍遅れ、砂像の攻撃を転げるように躱す。血が砂を固める。転がった先に砂の槍が。

 ランタンがそれを踏み折った。打って変わって硬い。殺意が固まったように。

 「氷の用意」

 ランタンの低い囁きに、リリオンは全てを悟った。

 ランタンの身体にしがみつき、己の全てを一時(ひととき)少年に預ける。

 リリオンの血が流れた。怪我は迷宮につきもので、命が流出しないなら儲けものだ。だが赤いその血の色は、ランタンの瞳の色そのものとなった。

 濃く、深く、そして揺らめく。

 怒りとともに発生した爆発は、炎ではなく光りと超高熱の放射に他ならなかった。

 高熱に曝された砂面が一瞬にして溶融して、一度呼吸をすれば肺が焼けただれるほどだった。炙られた大気の揺らめきは砂漠のそれよりもひどく、交合像がどれもこれもねじ曲がって見える。

 リリオンが腕甲の内から氷精結晶を取りだして、内に秘められた力を解放する。

 冷気が一斉に広がった。

 辺り一面が硝子になった。黒ずんだ被膜に、沸騰した(あぶく)が皮膚病のようですらある。急激な冷却に表面がひび割れ、あちらこちらでびきびきと悲鳴のような色が響く。内部はまだ溶けたままだろう。

 硝子化していないのは、ランタンの直下だけだった。

 そこだけが唯一、陶器の蛇が出入りできる穴だった。

 リリオンが構えて待ち構えた。

 斬れなかった不安は、すでに表情から失せている。ただぽつりと呟いた。

「ランタン、おうえんして」

「がんばれ」

「うん」

「がんばれ、リリオン」

 熱に炙られたせいでなく、冷気に曝されたせいでもなく、リリオンの頬が赤らんだ。

 硝子の足元に振動が伝わってくる。それは真っ直ぐに近付いてくる。蓋する硝子をきりきりと引っ掻きながら。

 蛇は砂を鎧のように纏って飛び出した。

 逆袈裟が閃く。

 砂の鎧を引き裂いて、頭部を刃が滑った。斬り返しの横払い。それは再び頭部の硬さに弾かれる。異常なほどの硬さだった。

 迷宮、そして魔物そのもの性質の変化のように。そこへの攻撃が無意味だと決定しているみたいに。

 条件がなにかあるのか。しかしリリオンは無心で刃を振るう。

 袈裟懸け。頭部が割れた。だが、それはリリオンの斬撃によるものではない。口を開いたのだ。牙のないつるりとして、歪んだ口腔。蛇の赤い舌は、やはり陶器であり、しゅるりとうねって伸ばされる。

 鋭くリリオンに迫った。

 切り上げ。鋒が下顎の先に触れ、滑り、舌を弾いた。

 切り落とし。

 それは五芒星を描く、超高速の五連撃だった。意識したわけではないだろう。だが竜殺しの英雄エドガーが振るう剣筋に酷似していた。

 だがその一撃はやはり頭部を滑ったように見えた。ランタンの目にすら、霞むような速度で。

 弾かれた五つの音色は、たった一音にしか聞こえない。

 兜割りに失敗したように、だがその一撃は、それでも真っ直ぐに振り抜かれた。

 鋒が蛇の尾の先に触れた。鋭く尖った針のような、糸のようなそれに。

 それは頭部の硬さとは裏腹に、陶器なりの硬度であった。

 瞬間、蛇が破裂した。

 何が起きたのかわからなかった。突如、粉々になった。どうやっても切れなかった蛇のその頭部さえも跡形もない。

 リリオンが驚きのあまり身を竦ませ、ランタンすら何が起こったのか理解しなかった。

 破片から身を守るためにリリオンを引き倒すのがやっとだった。少女が破片を浴びぬように、小さな身体の下に押し込んだ。

 陶器の蛇を討伐したと知ったのは、迷宮核顕現に伴う強烈な魔精酔いを浴びてからだった。

 酔いから醒めたリリオンは、見事に落ち込んでいた。

「きれなかった。おうえんしてもらったのに」

「まあ、そんなこともあるよ」

 どこかもやもやとしたものが残る迷宮攻略だったが、これが今年最後の迷宮探索だった。

 探索の疲れも抜けぬ間に、二人は機上の人となって王都に向かわなければならないのだ。

 飛行船はもうすでにティルナバンに到着していた。

 攻略された迷宮の調査は探索者ギルドが引き継ぎ、程なく調査員たちは最下層に足を踏み入れた。

 硝子の大地を見て、驚くやら呆れるやら。

 そして彼らは最終目標の破片を可能な限り回収し、数ヶ月もかけてそれを復元した。その理由をランタンたちは知らない。

 復元された構造は極めて特殊で、魔物としての性質や魔精の影響を取り除いて再現したただの硝子細工ですら、金槌による打撃に耐えるほどだった。

 ただ限定された部分を破壊すると、その破壊が瞬間的に全体に広がる。そういった脆さも持っていた。

 破壊の伝播速度は音よりも更に速い。

 だがそう言ったことがランタンたちに伝えられることはない。

 だから、復元されたその頭部に斬裂の形跡が確かにあったことも二人は知らないままだ。


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