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「のって、のって!」
ローサは背中に人を乗せることに夢中になっている。
屋敷の使用人たちにもそれをせがむが、実際に乗ってくれる人はほとんどいない。ランタンの関係者であるから畏れ多いと思っているのか、それともその特異な姿がやはり恐ろしいのかはわからない。
ランタンがまず背中に跨がった。見た目よりも大きな背中だった。あるいは自分の脚の長さを過信していたのかもしれない。ランタンは股関節に僅な痛みを憶えるほど股を広げて、当然、その爪先が地面に着くことはない。
鞍が欲しい、と思う。
尻に感じる筋肉の隆起や、動く度に捻れる背骨の感触はどうにも不安を憶える。
それはあまりにも生々しい。
ランタンが跨がったことがある他の生き物と言えば、竜種ぐらいのものだが、竜種の鱗の硬さは少しぐらい乱暴にしても壊れないだろうという頼もしさがあった。
手綱の代わりに毛皮を掴む。
かなり強く引っ張っても痛みを感じないほど強靭な毛皮だが、やはり少し遠慮してしまうのはそれに繋がる上半身があまりにも普通の少女だからだ。
そんなランタンを余所にローサはにこにこしている。そしてランタンだけでは飽きたらずリリオンに袖を掴んで引っ張る。
「のって! おねーちゃんものって」
「いいの? でもわた――」
「いーから!」
ローサがリリオンのことをお姉ちゃんと呼ぶようになったのは、友達であるクロエとフルームがランタンとリリオンのことをさま付けで呼ぶのをまねしようとしたからだった。
リリオンがそれを嫌がって、せっかくだからとそう呼ばせるようになった。
リリオンがお姉ちゃんと呼ばれると言うことは、つまりランタンはお兄ちゃんと呼ばれる。
ランタンはそれがどうにも痒くてたまらない。嫌というわけではないのだが、永遠に呼ばれ慣れないような気がしてならない。
リリオンがランタンの後ろに跨がった。
「ぐぇ……」
体重を預けた瞬間、ローサが呻き声を上げた。
リリオンはがっくりと落ち込んだ。慌ててローサから飛び降りて、見るも無惨に項垂れた。たいして肉のついていない腹を擦ったりしている。
ローサはリリオンを振り返り、かける言葉を見つけられずに味のある表情を作った。
「おねーちゃん、おもい?」
「……」
追い打ちだった。
ランタンは必死で笑うのをこらえながら、リリオンを慰める。
「いや、二人だと重いだけだよ。リリオンは、普通か、少し軽いぐらい」
「フーちゃんとクーちゃんは?」
「大きさが違うだろ。あの二人は小さくて軽い」
獣の血が濃い亜人である二人は、見かけよりもずいぶんと細いことを風呂に入って知った。乾いている時はふかふかしておりぬいぐるみのようだが、濡れて毛が肌に張り付くとやはり下街での生活の過酷さを感じさせるほっそりとした輪郭が露わになる。
「おにーちゃんもちいさいよ?」
子供の言うことだ、いちいち怒ることはない。
ランタンは嘘くさい笑みを口元に浮かべながら、小さいことを否定した。
「あの二人よりは大きいだろう?」
「うん」
「じゃあ僕は小さくないな」
「……うん?」
「リリオン一人なら丁度良いんじゃないか?」
ランタンはローサから降りて、ローサは自分の胸元ほどにあるランタンの頭を不思議そうに見下ろす。
リリオンは再び傷つくことを恐れて、ローサの背に乗ることに難色を示したが、ランタンが無理矢理に跨がらせた。
「爪先でずるするな」
「だってえ……」
リリオンの爪先はランタンのそれとは違い床を踏んでいる。ランタンがじろりと睨むと、リリオンは諦めたのかゆっくりと床から爪先を離した。
「リリオンはどう?」
「おもくない! ふつう!」
ローサはきゃっきゃと笑いながら、部屋の中を跳ね回った。
「わわわっ、ローサちょっと! もー、きゅうに動かないで!」
「やーん、おねーちゃんがおこった!」
「怒ったらもっと怖いよ」
「ランタン!」
「ほら」
「こわーい!」
ローサはやはり背中に何かを乗せている時の方が動きがよかった。ランタンとリリオンの体重から考えると、百キロ超程度が今のローサの所持重量の限界だろう。
ランタンはリリオンに荷物を手渡して加重してゆき、ローサの反応を確かめる。探索の荷物がつまったままの背嚢二人分程度ならばまったく意に介さないようだった。更に銀刀を加えても問題はない。
走り出そうとするローサを宥めながら庭に出た。
洗濯日和の晴天だった。
探索から三日も経っているが、荷解きすらしていなかった。背嚢の中で洗い物がどうなっているかを考えると、うんざりしてしまう。
「ぎゃあっ! ふー、ふーっ!」
乱暴に背嚢をひっくり返して、荷物を取り出すとローサが悲鳴を轟かせた。
毎日なにかしらに驚いて、叫んだり泣いたりするのでそれほど慌てるようなことではない。
荷物の中に小さな魔物が入り込んでいた、と言うような話もあるが、三日も大人しくしている魔物ならばさしたる害もないだろう。
縞模様の毛並みを逆立てて、その背からはゆらゆらと陽炎さえ揺らめいている。ローサは空の背嚢を胸に抱いて、いっぱいの涙を溜めた目で荷物の一つを睨んでいた。
それは巨大な白い塊だ。背嚢の中から出てきたが、背嚢の中にはとても収まりきらないほど大きい。
それは最終目標から刈り取った妖毛だった。
圧縮して詰め込んでいたものが、飛び出した途端に膨らんだのだ。三日も圧縮したままにしていたのに、まったく潰れが見られないのはさすが最終目標と言うほかない。
「大丈夫よ、ローサ。ただの綿よ」
リリオンが声を掛けると、ローサは警戒した足取りでリリオンの背中側に移動する。
獣の本能が勝る時、ローサは背に何を乗せていなくとも確かな足取りをした。
音のない、獲物に忍び寄る虎の歩き方だった。
「でもまだ棘があるから触っちゃダメよ」
「とげ?」
「ちくちく。痛い痛いだからね」
ローサは得体の知れないふわふわに警戒しながら、リリオンに習って広げられた荷物を整頓してゆく。
食器や野営具、余った食料と薬品、収穫品の迷宮資源、それに着替え。
迷宮資源には独特の雰囲気があるが、それよりも三日も放置された着替えの濃い臭気は目立っていた。ランタンがさも嫌そうに抓む横で、リリオンがこっそりランタンのシャツの匂いを嗅ごうとしている。
「ばっちいことするな」
「ばっちくないよ。ああん!」
リリオンの手から奪い取って、ランタンは少女を睨み付ける。
「ランタンいい匂いよ。ねえ」
「おにーちゃんいいにおいする」
「……悪い影響だぞ、それ。こっちは僕がやるから洗い桶貰ってきて、あと水、洗剤、他に必要そうなもの」
ランタンが嫌な顔をして指差しすると、二人は顔を見合わせてきょとんとする。
「はよいけ」
「はーい」
しっしっと追い払うと、楽しげな笑い声を上げて二人して駆けてゆく。どたどたとしたローサと、それに寄り添うリリオンの後ろ姿を見送ってランタンは洗い物を干すためのロープを張った。
リリオンはお姉ちゃん、と呼ばれるたびにどこか誇らしげな顔をする。
「面倒見はいいんだよな」
だがその面倒見のよさが恥ずかしいと思う時もランタンにはあった。
ランタンは自分を大人だとは思っていないが、それでも子供扱いされるのは堪らない。たまにその包容力に溺れてしまう時もあったが、大抵ランタンはその後に後悔する。
ランタンにとって頼ることは甘えることで、甘えることはみっともないことだった。
そうやってなかなか隙を作らないランタンとは逆に、ローサはすっかりリリオンに懐いているので甘やかし甲斐があるのだろう。
自分にとってはみっともないことでも、あの二人であれば微笑ましい。
ロープに毛布を掛けて、ランタンは戦鎚を使って叩いた。探索の汚れが煙となって吐き出される。
ランタンは鼻と口をハンカチで覆って、破ってしまわないように気を付けながら戦鎚を乱打した。
煙の中にきらきらしたものが反射して見えるのは、毛布の中に妖毛を包んだからだった。
妖毛の毛針は刈り取って力を失ったが、完全に喪失したわけではなかった。
毒は無視できる程度に分解されている。肌に刺さっても痛みと呼ぶほどではない。だが吸い込めばしばらくの間、激しい咳が止まらなくなる。
しばらく叩き続けていると煙もきらきらも収まって、ランタンは毛布の皺を伸ばすとそのまま天日に干した。
風は冷たいが額に汗が浮かぶ。
「おまたせー!」
振り返るとローサが荷車を牽いていた。
ネイリングの屋敷には竜種が牽くものから人が引くものまで大小様々な荷車が備えてあったが、ローサが牽くそれは馬には少し小さく、人には少し大きい。
だがローサにはあつらえたような大きさだった。
満面の笑みを浮かべて、がらがらと音を立てて駆け寄ってくる。ランタンの目の前でローサは止まったが、そのまま後ろの荷車が突っ込んでくることには気付いていない。
ランタンは咄嗟に戦鎚をつきだして、荷車を押さえた。
みしみしと悲鳴を上げる。
「みてー!」
「どうしたの、それ?」
ランタンは戦鎚を腰に戻しながら、ほっと息を吐いたのを隠した、
「えへー、もらった!」
木で出来ていてやや古ぼけているが、作りは頑丈そうだった。
荷台の上にはランタンが命じた洗濯用品と、大きな大釜がどんと鎮座しており、さらにはリリオンが乗り込んでそれを支えていた。
人も煮れらる大釜の重さはランタンと同等かそれ以上だろう。
「重くなかった?」
「へーき! ローサちからもち!」
むんと力こぶを作った腕は少女なりである。骨盤で支えるように腰に太いベルトを巻いて、そこから伸びたロープが荷車に繋がっている。荷車は探索用かとも思ったが、四つ足の動物用である。
「車輪の力は凄いな」
ランタンがぽつりと呟くと、ローサは不満気に頬を膨らませる。
「うそうそ、ローサは力持ちだね」
「やったー!」
無邪気に万歳する後ろでリリオンが荷台から物を下ろしていた。洗い桶に洗剤、櫂のようなもの、そして大釜に腕を回して抱き上げると、軽々とはゆかぬもののよいしょと荷台から飛び降りた。
釜の中にはたっぷりの水が溜められている。釜だけならランタンと同等でも、水が張ってるとなるとそれだけで百キロは優に超えるだろう。
「リリオンはもっと力持ちだね」
「やったー!」
リリオンがローサの真似をすると、それをまた更にローサが真似をする。
「はいはい、やったね。それでその釜はなに? 水瓶にしちゃあ物々しいけど」
「おばあさまが持っていけって。せっかくだから妖毛使えるようにするんですって」
リリオンが妖毛を指差し、ランタンは、ふうん、と気のない返事をする。
「よくわからないけど、水は使っていいんだよね」
「うん」
「また! またとりいく! これにのせるの!」
「でもそれをつけたままじゃお洗濯できないわよ。お手伝いしてくれないの?」
「え、えー……」
困惑するローサを無視して、ランタンは問答無用でベルトを外した。移動距離はたいしたものではないが、さすがに下腹部が赤く擦れている。汗の浮いた腹部を撫でてやると、ローサはくすぐったそうに身を捩った。
「意外と腹筋あるな。リリオンもね、ったくいちいち張り合わない。どうしようもないおねーちゃんだな」
裾をめくり上げるリリオンの腹を同じように撫でてやって、ランタンは釜の水を桶に移した。
そんなランタンの腹を二人が後ろから狙った。
ランタンはするりと身を躱して、桶の中に洗い物と洗剤を放り込んだ。
「ほら洗濯するぞ」
洗濯というのは大変な仕事だ。
屋敷で働く女たちはもれなく手荒れを起こしている。季節が冬に近付くにつれて、水の冷たさは指先を切り裂くほど厳しくなる。
ローサは身体の構造上、腰を屈めるという行為が苦手だった。
四苦八苦しながら洗濯を手伝おうとしてくれるが、それよりもローサにはローサなりのやり方がある。
「よし、いけ!」
「きゃほー!」
「ちょっと」
ローサはランタンに命じられるがままに桶に飛び込んだ。リリオンが止める間もない。
泡立った水飛沫が上がり、ランタンとリリオンは慌てて避難する。
桶はローサの下肢に比べて小さいが、少女は四つ足を器用にその中に納めて楽しげに足踏みしている。
足踏みするほどにもこもこと泡立ち、泡立つほどにローサは興奮してゆく。目に泡が入って泣き、それでも泡まみれになって笑った。
リリオンが泡の塊の中から必死になって洗い物を取りだして、すすぎをしては、絞ってロープに吊してゆく。
ランタンは早々に距離を取って、様子見を決め込んでいた。
「――ランタンさん、あなたがついていながらこれは一体どういうことですか?」
気が付けばダニエラがやってきて、ランタンは小言を言われる。
ローサは泡まみれで炎虎の身体が羊のようになっており、リリオンはその煽りを喰らいながらも健気に洗濯に精を出している。なるほどランタンは小言を言われて当然だろう。
「ローサ、終わり」
「やだー!」
「やだじゃない。リリオンを見なさい」
「あー……」
大きな身体を小さく折り畳んで、せっせと泡を洗い流すリリオンの姿は何とも哀愁がある。
「おねーちゃん、ごめんなさい」
「いいのよ、ローサはお手伝いしてくれたんだから。でももうちょっとまわりを見ようね」
じゃばじゃばと桶から上がったローサに水をぶっ掛けて泡を流し、ダニエラが風の魔道を使った。
「まったく、これでは何が洗濯物かもわかったものではありませんね」
リリオンとローサを乱流で包み込み、水気を吹き飛ばす。髪も毛並みもばさばさだがこれで風邪を引くことはないだろう。
「それでダニエラさまは何をしに? お叱りにきただけではないんでしょう?」
「ええ、そうです。せっかくですから、こちらを使えるようにしてみませんか?」
ダニエラの若かりし頃、探索者は今の探索者よりも多くの技術を有していた。それは不便さゆえに、必要かつ足らないものを自分たちで補わなければならなかったからだ。
今の探索者のどれだけが自分の装備品の整備を出来るだろうか。迷宮食は今でこそ気軽に買うことが出来るが、かつては肉を干したり燻製にしたり、そう言うことさえ自分たちで行わなければならない時代があった。
今いる職人たちの源流を辿ってゆくと、探索者に辿り着くことも珍しくはない。いや、かつては職人や商人と探索者の区別は今ほど明確ではなかったのだろう。
「さて、ランタンさん。さぼっていたぶん働いて貰いますよ。まず湯を沸かしてください」
洗濯に使ったとは言え大釜の水は半分以上残っている。
ランタンは戦鎚を抜き、力を込める。先端が熱を帯び、それは見る間に白熱して肌を炙った。水の中に沈めると、鎚頭が水蒸気の膜に包まれた。戦鎚を動かすと、途端それは崩壊して小規模な水蒸気爆発を起こす。
ぐらぐらと湯が沸いた。
「ではこの中に綿を入れましょう。リリオンさん、できますか?」
リリオンは鞘に納めたままの銀刀で妖毛を持ち上げると、そっと湯の中に沈める。
ローサはわくわくしながら自分の出番を待っていた。釜の中を覗き込み、まともに湯気を浴びて目を瞬かせる。
「ではローサさんはこちらを」
荷台に積まれていた櫂を渡され、ローサは武器のようにそれを構える。リリオンの真似かもしれない。
「それで綿をよく揉んでください。湯が跳ねないように気を付けて」
ダニエラは釜の中に、草木灰を山盛り一掴み投入した。ランタンは湯の温度が下がらないように定期的に熱を加え、リリオンはローサと一緒になって櫂で綿を揉んでいる。脱落した毛針が灰に吸着されて、ダニエラは浮かんだそれを網で掬って、また山盛りの灰を湯の中に入れた。
それを何度も繰り返す。
「楽しい? ローサ」
「うん!」
リリオンが尋ねると、ローサは大きく頷いた。熱に当てられて頬は赤く、汗かきなリリオンよりもたくさん汗をかいていた。頷いた拍子に大粒の汗がぼたぼたとこぼれる。
「さて、もういいでしょう」
ローサはすっかりくたびれた様子で、額の汗を拭う腕が震えていた。自慢げに赤くなった掌を見せびらかしてくる。
リリオンがたっぷり湯を含んだ綿を取り出し、ダニエラが魔道でしっかりと絞る。冷たい水にさらして灰を落とし、また絞って、水にさらす。
それをまた何度も繰り返すと、深雪のように真白が姿を現した。
迷宮の匂いはすっかりなくなり、さらした水の冷たさを孕んでひんやりしている。湿っているが柔らかさがある。あとは一昼夜、風にさらしたのちに、製糸するのだそうだ。
「製糸と紡績の違いって何ですか?」
「製糸は一本の長い繊維を複数、縒って糸にすることです。絹糸がそれですね、紡績は綿や羊毛など短い繊維を寄り合わせて糸にすることを言います」
「これは、これで一本ですか?」
ランタンは湿ってなお巨大なそれを見て、
「さすがに一本と言うことはないでしょうが、立派な長繊維ですよ。さすがは最終目標と言ったところでしょうか、あの程度では千切れませんね。これからが大変ですよ。繊維の端を見つけて一本一本引き出さなければならないのですから」
「めんどうですね」
ランタンはすっかり疲れてしまってやる気を失っていたが、ローサとリリオンは疲れてもまだやる気十分だった。
ダニエラから色取り取りの墨と筆を渡され、繊維の端に目印の色づけをする作業を任されていた。見ているだけで目が疲れてくるような細かな作業だが、二人は思いがけず熱中している。
「大変だなあ、働くって」
今の探索者はこのようなことをしないが、これを仕事にしている人たちは今もどこかにいるのだ。
「探索者が何を言っているんですか」
「命張るのに技術も根気も要らないですもん」
ダニエラは年寄りらしく苦笑して、雄弁な視線を向けてくる。
ランタンはそれが気まずくて、出しっ放しにしてある探索用品を洗いに立った。狩猟刀の血脂を拭い、食器にこびり付いた食べ残しを爪でこそげ取る。
リリオンは墨壺を並べて、一つ一つ筆に色を取った。
「――これはレティの肌の色、こっちの濃いのは髪の色で、雷びりびり。薄いのはリリララさんの目の色、リリララさんは耳がこーんなの。それでこれはベリレくんの毛色かな。ベリレくんは大きいよ、ローサのこと肩車してくれるかもしれないわ」
飯盒の蓋がなかなか取れなかった。中で蜂蜜が固まっているようだ。しかし振るとちゃぽちゃぽと水音がする。蜜と水分が分離しているようだった。
「大丈夫よ、みんないい人だから。みんなお姉ちゃんだしお兄ちゃんなのよ」
「ほんと?」
「ええ、そうよ。みんなびっくりするぐらい優しいんだから。ねー、ランタン。ランタンなにやってるの?」
「や、蓋が取れなくて。力任せに開けるとこぼれそうだし、こぼれてもいいんだけど……」
「おにーちゃんもいっしょにやろー?」
ローサは筆を持ったまま手招きして、跳ねた筆先から黒い雫が飛んで頬を汚した。ローサは反射的に顔を拭い、汚れはよりいっそう広がる。鏡を見せたら泣くかもしれない。
「楽しいか?」
「たのしぃ!」
「そりゃよかった。楽しいのを横取りしたら悪いから、ローサが全部やっていいよ」
「ほんと? わーい! ぜんぶしていいって!」
もの言いたげなリリオンに目配せをして、ランタンはローサの顔を綺麗にしてやり、その背中に腰掛けた。




