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カボチャ頭のランタン  作者: mm
12.Over The Hypernova
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 それは儀式のようなものだったのだろう。

 アシュレイは議事堂の一室を執務室としていた。ブリューズが使用していた領主館はあの戦闘で崩壊してしまったからだ。

 執務室にはもちろんアシュレイと、そしてテスがいた。

 アシュレイが執務机に齧り付いているのに対して、テスは豪奢なソファに身体を横たえている。

 ランタンとリリオンが揃って姿を現すとテスはいきなり、丁度いい、とソファから起き上がった。

 何だ、と思う間もない。テスはずんずんと近付いてきて、ランタンの首根っこを引っ掴んだ。そして問答無用にリリオンから引き離される。

「ああん、何するの!」

 リリオンは抗議の声を上げるがテスは、まあ待て、と取り合わない。

 それどころか、少しも待たせることなくランタンをリリオンへ押しつけるように手渡した。

 さすがのリリオンも目をぱちくりさせて戸惑うばかりだった。ただ無意識に、二度と取り上げられないようにランタンを強く抱きしめる。

「これでよし。くふふ、これでどうにか私の面子は保てたな。よかったよかった。大口叩いてあの様じゃ、格好がつかないからな」

「そんな面子は犬にでも食わせてしまえ」

 テスは、ランタンを無事に返してやる、という約束を生真面目にも気にしていたようだった。その約束を無事果たしたテスは、清々したと言わんばかりの態度で再びソファに身体を預ける。

 そんなテスに対して、アシュレイは冷酷そのものの目付きで睨み、悪態を吐いた。テスは尖った三角の耳を器用にも寝かせ、その悪態を無視した。

 アシュレイはランタンへ視線を滑らせる。

 その冷酷さは疲労の色だ。ずっと書類を睨みつけていたのだろう、難しい表情が呪いの仮面のように剥がれなくなっているのかもしれない。

「――よく帰った。それほど心配はしていなかったが」

「ほんとですか? それはよかった。どうにもあっちこっちを心配させていたみたいですから」

「冗談だ。おおよその話はレティからの手紙で知った。怪我はないか?」

「もちろん」

「なによりだ。あらためて探索者ランタン。ご苦労だった。本来は祝宴をもってその成果に応えるべきなのだろうが、――そんな顔をしなくてもいいだろうに」

 よほど嫌な顔をしていたのだろう、ランタンの表情を見てアシュレイはようやく表情を緩めた。それでも眉間の皺が消えない。

 アシュレイが催す、それも正式な王権代行官となった彼女が催す祝宴ともなれば内々のものでは決して済まないだろう。

 その華やかさを想像しただけで、ランタンはぞっとしてしまう。

「ならば、いずれ別の形で(むく)いることにしよう」

「別にいらないですけど」

「そう言うな、それでは私の気が治まらない」

 しかし正直な話、今のティルナバンに盛大な祝宴を催すような余裕はないのだった。

 アシュレイはまさに戦後処理に忙殺されているという感じだった。彼女の成すべき事は多くあり、本来ならばすでに行われて然るべき代行官の就任式、そしてブリューズの葬儀すら延期になっている。

 ブリューズの成そうとしていたことはもちろん闇に葬られ、サラス伯爵に謀殺されたことになっている。

 アシュレイは死人よりも自由がないのではないかと思えた。

 横たわるテスは目を閉じて、眠っているようにも見える。二刀を抱いているが鎧は身につけておらず、しかし護衛としてこれ以上の頼もしさはないだろう。

 アシュレイは兄を喪い、ティルナバンは王権代行官を失った。彼女はブリューズの代わりを務めなければならず、もちろん兄との決戦を覚悟した時からそのつもりでいた。

 しかしティルナバンの現状は、想像よりも遥かにひどいようだった。

 ブリューズの目指していた統治形態は、神となった己による完全管理である。それを成さしめたならば財政など、経済そのものがただの概念に成り下がるだろう。

 しかしブリューズは志半ばで死に、最後の置き土産である下街の再開発費は膨大で、また第二迷宮特区の維持管理費はティルナバンの財政悪化に拍車をかけるのに充分だった

 しかしこのような赤貧の地であるティルナバンであるが、これを手に入れようと狙う野心家は少なからずいる。

 ブリューズに続けてアシュレイまでも失ったら、次の王権代行官派遣までには時間が掛かるだろう。ティルナバンの権力の座は一時的に空白となる。

 上手く立ち回ることができれば迷宮特区を二つも内包するこの地を手中に収めることができるかもしれない。それは野望を持つ者にとってひどく誘惑的な妄想である。

 アシュレイは強権的に議会の主導権を握ったが、その基板はまだまだ盤石からはほど遠い。

 今こうして眠るふりをするテスは、すでに何人か闇に葬っているかもしれなかった。

「まったく、迷宮を()()財宝を生む宝箱か何かと思っているんじゃないか。現実を見せてやりたいものだ」

 アシュレイは現実的な収支報告書を見て憤っている。

 場合によっては第二迷宮特区の探索者ギルドへ無条件譲渡さえも視野に入れなければならないほど迷宮特区の管理費とは膨大なのである。

 実際には探索者ギルドとの共同管理あたりを落としどころとして考えているようだった。

 いくら管理費が膨大であろうとも、無条件譲渡では貴族たちも、そして彼女の親族たちも納得はしないだろう。

 それに迷宮特区が財宝を生む宝箱であるという認識は、大きく間違っているわけでもない。そこから富を取り出すのには相応の対価を支払わなければならないと言うだけで。

 事実に探索者ギルドは迷宮から多くの富を得ることに成功していた。

 初めから成功したわけではなく、幾度もの失敗を忍耐強く辛抱し、地道に経験を蓄積した結果だった。

 彼らから管理法を学ぶことができれば、迷宮特区はまさしく無限の財宝を生む宝箱となるだろう。

 アシュレイと探索者ギルドの関係はそれほど悪くはない。アシュレイは身分を偽り司書として探索者ギルドに一時期身を寄せるほど彼らに興味を抱いていたし、探索者ギルドも友好的な王族の存在は有りがたいものだった。

 ランタンが進言しようとしていた食糧問題への解決法も、すでに二者間で取り組みが進められていた。

「肉を獲ってどうする、肉を。足りていないのは小麦などの穀物だ」

「肉でもお腹は膨れるじゃないですか」

「そして食肉価格が暴落する、と。まあ確かに、一時的には悪い話ではないが、その一時(ひととき)で牛や羊を飼っている者たちはむしろ飢えることになるだろう。もっとも多少は狩猟も計画しているがな」

「じゃあ、どうするんですか?」

「探索者ギルドからの報告では、いくつか収穫が可能な迷宮が存在しているそうだ」

「……植物系、ですか?」

「いや、迷宮環境の話だ。夢のような話だが、内一つは、見渡す限り黄金の小麦畑が広がっているそうだ。……ランタン、迷宮は人の意思に応えてくれると思うか?」

「知らない」

 ランタンは素っ気なく応えた。アシュレイが思わず目を丸くして、眉間にあった皺がふっと失せた。

「けど、そんなに都合よくはないと思う。二つの迷宮特区、その中に幾つの迷宮がありますか? たまたま偶然、そういう迷宮があっただけでしょう。今までもあったかもしれない。ただ必要としていなかったから、見向きもしていなかっただけで」

「なるほどな。一理ある」

「収穫ができるとしても、必要な分でいいでしょう。市場価格を適正に保つ程度に、でなきゃ農民が首を括る羽目になる」

「ああ、そうだな。いや、以外と探索者に転職するやもしれんぞ」

「農民が?」

「ああ、小麦畑には元農民の探索者を連れて行く。田畑を耕すのがいやになって逃げ出した連中だが、ふっふっふっ、なかなかどうして巡り合わせとは不思議なものだな」

「人は、そう簡単には変われないということでしょうか?」

「さて、どうかな? ランタン風に言えば、知らない、だ」

 アシュレイは笑いながら、深く頷いた。

「それでこれからの予定は? 探索者が二人、引き上げ屋が一人。まさか迷宮に行くわけでもないだろう」

 アシュレイが墨の滴るペン先を三人に向ける。

「あ、迷宮に行きます」

「行くのか、もう」

 アシュレイも、さすがに寝たふりをするテスも呆れたようだった。

「さっきの答えを訂正しよう。どうにも人は簡単には変われんようだ」

「まあ、それも良し悪しでしょう」

「行ってきます!」

「――気をつけてな」

「はい、おねえさま、気をつけます」

 リリオンが宣言し、アシュレイは今度こそ微笑む。

 リリオンはやる気を出して拳を握った。

「迷宮で、ごちそうを捕まえるの」

 だって歓迎会をしなくちゃいけないんだもの、と少女は言う。




 翌日、太陽が顔を出さぬ内からランタンとリリオンは迷宮にいた。

 獣系中難易度小迷宮である。

 なじみ深い一本道の構造をした迷宮であるが、その地形は少しばかり珍しいものだった。

 峻険な岩山、その谷間の荒れ道である。

 左右の壁は鋭角に切り立った崖であり、いつ落石があっても不思議ではない。上の方には雲がかかっており、物凄い速さで探索者の進むべき方向へと流れている。

 雲の中から時折甲高い鳥の鳴き声が聞こえるが、もしかしたらそれは岩肌に切り裂かれる風の悲鳴かもしれない。

 足場は大ぶりな岩石がごろごろとしており、極めて不安定だった。

 ランタンは器用に、岩と岩を跳ねるように乗り継いでいたが、リリオンの方は少しよたよたとしていた。

 脚が長いのも考えものだな、と高い位置にある重心を見て思う。それに比較的軽装備なランタンと比べて、リリオンは重装備だ。

 鎧こそ身につけていないが、その腰にある銀刀は重心を崩すには充分であるし、いつもは逆側に帯びて重心の均衡を保っている竜牙刀はグランのところに預けてある。

 竜牙刀の代わりに、背に斧槍(ハルバート)を背負っていた。いつぞやリリオンが単独探索に挑んだ迷宮の最終目標が装備していた斧槍である。

 最初は大剣大盾、次に二刀で、今度は斧槍。

 リリオンは色々と自分の可能性を確かめようとしているのかもしれない。それとも女の子のおしゃれの一環だろうか。ランタンは着心地がよければ百年だって同じ服を着ていられるが、少女リリオンはきっとそうではないはずだった。

 髪を纏める髪紐の色は青で、昨日は確か赤だった。

 今日はたまたま斧槍の気分なのかもしれない。

「ほら、やっぱりそれ杖にしなよ。置いてっちゃうよ」

「待って、待って」

 ランタンが先で手招きをすると、リリオンは背中にある斧槍をうんしょうんしょと引き抜こうとするが、長大なそれは途中で(つか)えてなかなか抜けない。あげく転びそうになっているので、ランタンはリリオンの下へ戻った。

 ランタンはまずリリオンを立ち上がらせてやり、それから斧槍を抜いてやった。かなりの重量がある。先端は槍、斧は鋭い三日月で、その逆側に備えられた鉤はほとんど鎌である。

「こっちを背中にやるか」

 背嚢(バックパック)を下ろし、銀刀をリリオンに背負わせる。斜めに掛けた背負い紐が肩に食い込み痛そうなので、畳んだ布を挟んでやる。そしてその上から再び背嚢を背負わせた。これで銀刀がずれることもないだろう。

「いけそう?」

「うん、ありがとう」

 ランタンは前に回り込んで、背負い紐を一度引っ張って位置を直した。胸の間を斜めに通るそれは、少女のまだ小さなそれを少し大きく見せる。

 ランタンはそこにも布を挟んでやった。歩いているうちに擦れて痛み出しそうだったというのもあるが、少女が裸になった時、白く柔らかな膨らみに傷があるのが嫌だった。

 こういう時、運び屋がいれば荷物が減る。

 この迷宮は探索者からは敬遠される類いの迷宮であるため、契約料はすこぶる安かった。

 これほど足場がごろごろしていては荷車を持ち込むことはできない。それでも運び屋はその背に多くの荷物を背負うだろうが、荷車がある時と比べれば所持重量は五分の一ほど、これほど足場が不安定ならばさらに十分の一ほどにまで落ち込むかもしれない。

 それでは探索するほどに赤字になってしまう。

 リリオンが斧槍を杖にしてからは、進行速度は安定して早まった。がつ、がつと岩肌を削る音が一定の間隔で響き、ギルドからの報告では最初の魔物の出現位置がそろそろ近いはずだった。

「あっ、ほら白い花よ」

 リリオンが壁を指差した。

 これまでの道中にはほとんど植物は生えておらず、所々に苔だか黴だかわからない緑や茶のふさふさしたものが疎らにへばり付いているぐらいだった。

 しかし指差した先にあるのはまぎれもなく蕾を開いた花だった。

 細く鋭い緑の葉が密生しており、それは鳥の巣に似ている。その中に蕾を開いた小さな花が無数に咲き乱れていた。それは吹き荒ぶ風に揺さぶられながら、花びらを散らすことがない。

 この花が見えたとなると、いよいよ敵は近い。

 リリオンは杖に使っていた斧槍を脇に構える。斧の重さで先端が地面に近く、槍の穂先は岩肌を掠めている。ランタンも少女と対になるように戦鎚を構えた。

 最初に出現する魔物は兎のはずだ。

 しかしそれは迷宮兎ではない。このような地形であの増殖する魔物が出現したら、ランタンですら手を焼くかもしれない。落石覚悟で爆発を使い一網打尽にするしかない。

 慎重に足を進め、頭上に花を頂き、それを背後に見送ると岩壁にいくつか穴が空いていることに気が付く。

 それに二人が目を向けた瞬間だった。

 岩とまったく同色をした兎が十数匹、足元の岩陰から姿を現して飛び掛かってきた。

 (さか)しい。

 話ではあの巣穴から姿を現したそうだ。ギルドの偵察隊に確認されたのを逆手に取ったのかもしれない。

 そう考えてしまうのは、その兎が二足歩行だからだ。

 大きさはランタンの腰ほど、全身を岩色のくすんだ毛皮で覆い、額には一本の角と二つの長い耳がある。その耳はぴんと尖っており、それが角に見えることから三角兎と呼ばれている。

 三角兎は手に手に武器を握り締めている。それは岩を削って作った短剣や棍棒であり、奴らの狙いは探索者の脚だった。

 三角兎の行動は恐ろしく素早かった。岩場をねぐらにしているだけのことはある。この不安定な足場をものともしない。

 ぎゃぎゃ、と三角兎が鳴き声でなにかしらの合図を送り合った。黒目がちな愛らしい兎の顔に似合わず、小鬼のように恐ろしい鳴き声だ。

 ランタンは手首を撓らせた。

 跳ね上がった戦鎚が先駆けの三角兎の顎を真下から打ち抜き、高く吹き飛ばす。それは合図を出した三角兎だった。しかし指揮個体という訳ではないだろう。

 戦鎚の下をくぐって三角兎が殺到する。

 肘を外旋させ、戦鎚を振り下ろす。二匹を纏めて打ち据え、三撃目はまさか避けられた。

 岩と岩の隙間に、ランタンよりも小さなその身体を活かして潜り込んだのだ。ランタンの意識が岩の下へと向けられる。

「しゃがんで!」

 背後からリリオンの声が飛んできた。

 しゃがんだら対処が難しくなるじゃないか、とランタンは思うが斧槍がすでに動き出しているので身を沈めた。

 三角兎の狙いは、ランタンの意識を岩間に沈めることにあった。先駆けは死兵、二陣は誘導の深化、そして本命は岩壁を蹴って頭上から飛び掛かる七匹にあった。

 そしてリリオンの斧槍はそれらを横様に殴りつける。

「てやあっ!」

 脇といわず、ほとんど背後から円を描くように繰り出された斧槍は恐るべき暴力の化身だった。

 その長柄は谷間にあって手狭に思える。だがリリオンの臂力には、岩壁など濡れ紙も同然だった。岩壁を抉り取り、その長大な間合いはもっとも遠くにいる一匹を除いた、六匹の三角兎を一瞬の内に挽肉に変えた。

 兎の動揺は、しかし一瞬の内に殺意に変換される。石剣を逆手に持ち替え、重力に引かれるままランタンに突っ込んでくる。

 仲間の死を知ってか足元からも殺意が這い上ってきた。

「ふっ」

 ランタンはまったく頭上に注意を払わなかった。

 七匹目は、リリオンの斬り返しによって仕留められた。長物によるあれほどの打ち込みを即座に斬り返すなど、鍛え上げた探索者でもこうはいかないだろう。

 そしてランタンは、自らの足元を砕いた。掌打の打ち込み、岩と掌の間に瞬間発生した爆発は放射状に岩を砕いた。隙間に潜んでいた三角兎が身体を挟まれてぎゃっと悲鳴を上げる。

 ランタンはその場から跳んで離れた。

「リリオン、下がって。もっと!」

 ランタンの声に、リリオンは大慌てに後退する。

 低く、破滅的な震動が音となって聞こえてくる。それは落石の音だった。

 リリオンが抉った方の岩壁の一部が大きく剥離し、一気に滑り落ちて岩間で身動きの取れない三角兎を生き埋めにした。

「――ランタああああああンっ!」

 山と積み上がった瓦礫の向こうから呼ぶ声が聞こえて、ランタンは口元を手で隠したままそれに応えた。

「無事かっ!?」

「ぶじーっ!」

 リリオンの返事の後に、激しい咳込みが聞こえてくる。あたりには砕けた岩の粉塵が立ちこめている。

 無駄な戦闘だった。

 魔精結晶どころか、肉の一欠片さえ手に入れられなかった。

 ランタンは念のため半分以下になった巣穴に警戒をしながら、ざくざくと瓦礫の山を登り、その頂からリリオンを待った。少女は無傷で、這うようにして山を登っている。

「おおい」

「あ、ランタンっ!」

 リリオンは汚れた顔に大きく笑みを浮かべる。

「それ、こっちに伸ばしな」

 差し出された斧槍をランタンは小脇に抱える。リリオンはそれを手繰り寄せるように一歩一歩進んだ。

「ふう」

 リリオンは一息吐いて額の汗を拭った。

「おまたせ」

「うん。――あーあ、これじゃあ、帰り道が大変だな」

 瓦礫の山を登ったおかげで、花が手を伸ばせば届きそうな位置にあった。葉の緑は濃く、柔らかさと丈夫さを兼ね備えている。茎は細竹のようで、花びらは陶器に似ていた。

「兎も捕まえられなかったし」

 ランタンは言いながらも、しかし二足歩行の魔物はあまり食べたいとは思わなかった。

「あんな小物じゃだめよ。もっと大きい、お腹がいっぱいで苦しくなるぐらいの、それで美味しそうなごちそうじゃないと」

「そんな魔物都合よく出るかな。もっと草原みたいな迷宮にすればよかったかな」

「大丈夫よ、きっと」

 リリオンは何の根拠もないくせに断言した。

「だと、いいけど」

 ランタンは肩を竦めながらも、しかし大丈夫な気がしてくるから不思議だった。

 見晴らしがいいという理由で瓦礫の頂で小休憩をし、二人して斜面を駆け下りて危うく転びそうになった。

 リリオンはけたけたと笑っている。子供ってのは走りたがるものだからな、と同じように笑っていることに気付かずランタンは思う。

 それから慎重に、だが迅速に進んだ。リリオンも不安定な足場にも次第に慣れていった。

 それからもう一度、三角兎との戦闘があり、ここでは更に数が多かったこともあり意図的に爆発を使って落石を引き起こし全滅させた。手に入ったのは、ほんの数個の魔精結晶だけだった。普通の探索者ならば、割に合わないと嘆くだろう。

「目印は花じゃなくて巣穴だな」

「でも花もあるよ。ほら、薄桃色」

「あ、ほんとだ。色違い。こいつらが育ててるのかな」

「だったら、おしゃれな兎ね」

「食うためじゃない、兎って草食だし」

「じゃあなんでおそってくるの?」

「そりゃ魔物だもん」

「そっかあ」

「向こうからしたら、あいつらなんで襲ってくるんだよって思ってるかもね」

 それが約束事になっているみたいに瓦礫の山を駆け下りる。今度は転びそうにはならなかった。

 リリオンはむふっと満足気に笑った。

 三度目の戦闘は、ついに御馳走との遭遇だった。

「美味しそう!」

 リリオンが歓声を上げる。それは三頭の山羊だった。

「山羊って癖あるんだよなあ……」

 重力を無視するように跳ねるように岩壁を駆けてくる。その姿は重力魔道を操るルーを想像させた。軽やかな壁走りだ。

 魔道かと思ったがそうではない。岩壁のオウトツ、時には小指の先程もない僅かな起伏に体重を預けているのだ。

 大きさはそれほどではない。角はうねりながら前に突き出し、顎髭が仙人のように長かった。

 三頭が一斉に突進してくる。ランタンはその内の一頭を戦鎚で迎え撃ったが、打ち合わせた瞬間に山羊が首を捻った。

「おおっ!」

 達人のように体軸を前に崩される。なれば、と戦鎚に爆発を起こした。殺すほどの威力はない。白い獣毛が焼け、一瞬、目が眩んだようだった。

 充分。

 山羊の引く力と自分の前に崩れる力を、そのまま相手を圧する力に変換する。

 処刑人のように、ランタンは山羊の首を地面に押しつけた。ぐにゃりとしたその感覚は、ランタンに咄嗟に刃物を抜かせる。

 ランタンは狩猟刀で頸を裂いた。心臓が動いたままなので傷口を押し広げるような勢いで血を噴いた。まだ生きているが、時間の問題であった。

 反転、ランタンは立ち上がると同時に血に濡れた狩猟刀を投擲する。

 二頭がリリオンへと向かった。狩猟刀は一頭の尻に突き刺さり、山羊の連携を崩す。

 めええ、と悲鳴が上がる。その首を斧槍が刎ねた。

 首無しの山羊は、それでもしばらく動き回ったが崖を駆けたあの走りは失われ、なんてことのない岩間の隙間に足を取られて転び、二度と起き上がることはなかった。

 最後の一頭は、首を刎ねた斧槍の柄で打ち据えられていた。

 普通の山羊ならば、いや普通の魔物ならば首の骨がへし折れて然るべき一撃だ。

 だがその首は異様に柔らかかった。

 ぐにゃりと殴打の衝撃を吸収し、鋭い角でもってリリオンを串刺しにしようとする。

 山羊と肉薄し、すでに斧槍が役に立たないと見たリリオンはそれを躊躇なく手放した。

 しかし銀刀どころか、狩猟刀を抜く隙さえない。

「むんっ!」

 リリオンが白刃取りのように山羊の角を掴んだ。

 力はリリオンの方が上だった。だが山羊は押すばかりではなく、巧みにリリオンの体勢を崩そうとした。リリオンも負けじと山羊の頸部をねじ切ろうとするが、一回転程度ではまるで意に介した様子がない。

 リリオンの足が滑る。押し込まれるかと思った時、少女は片脚で踏み切った。角を押さえつけ、山羊の背に跨がる。

 山羊に裸締めを仕掛けていた。

「むーっ!」

 頬を膨らませて、自分も息を止めている。角度を使って首を絞めると言うよりは、腕を縄のように絞り力任せに圧迫していた。角が前向きに付いているので、山羊は背に跨がられると無力だった。

「むうっ!!」

 今一度リリオンが唸る。

 山羊は四つ足をぴんと伸ばしたかと思うと、不意に力を失った。失神したのである。リリオンが離れるのと同時に、ランタンは山羊の頸部を裂いて血を抜いた。

「あー、びっくりした」

「こっちの台詞だよ」

「ぐにゃぐにゃ山羊と名付けましょ」

「名付けません」

 ランタンは結晶化した山羊角を回収し、リリオンは血がよく流れるように岩肌の斜面に頭を下にして山羊を干す。放血が済むと、手際よく内臓を抜いて処理していく。

「三頭もいらなくない?」

「ごちそうが多くて困ることはないわ」

「持って帰るのが大変だよ」

「これぐらいへっちゃらよ。あの子の苦しみに比べたら」

 リリオンは額の汗を拭い、血で顔を汚した。

 ランタンは手拭いを濡らして、少女の顔を綺麗にしてやった。

「わたし、ランタンにお腹いっぱいにしてもらえて、とってもうれしかったんだから。お腹いっぱいは、苦しくても幸せなのよ。今度はわたしがそれをしてあげるの」

「……そっか。うん、そうしてやるといい」

 血と内臓を抜いたとは言え、三頭の総重量は百キロを下るまい。

 二人は山羊を斧槍にくくりつけると、それを駕籠のように担いだ。リリオンは軽そうだが、身長的に下にならざるをえないランタンの肩には相当な負担である。

 でもまあしょうがない、とランタンは不満の一つも口にしなかった。

 任せろ、と啖呵を切ったのは自分なのである。

 かつてねこと呼ばれた炎虎、そして名もなき少女がほどなく運ばれてくると言う報せがあったのだ。


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