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カボチャ頭のランタン  作者: mm
12.Over The Hypernova
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 風呂上がりの三人はネイリング邸の庭にいた。

 身体をさっぱりさせると不思議と空腹が満たされていた。それは一時的な満足感であるが、食欲が一時的に失せているのも事実である。

 調理場で貰った氷を、飴玉のように舌の上で転がした。

 三人の頬が氷によって右に左にと膨らむ。

 風が冷たく、陽射しは暖かかった。湯上がりの暖かさが芯に居座る身体には少し暑いと感じるほどだ。

「ランタンくんも、してもらえばよかったのに」

 ミシャはぐっと大きく背伸びをしてランタンを振り返った。

 ミシャはリリオンのマッサージにずいぶんと癒されたようで、軽くなった身体を楽しむように伸ばしたり、捻ったりを繰り返す。

 すっかり乾いた髪が揺れて、ふんわりと石鹸の匂いが漂ってくる。

 三人とも同じ匂いに包まれていた。

「こんなにいいものだったなんて」

「でしょ?」

 リリオンが自慢げに胸を反らした。

 こちらは髪が長いので、髪にはまだ少し湿り気が残っている。銀の髪はやや曇りを帯びて、青みがかっているように見えた。編むことも縛ることもせずそのままにしている髪は、しかし光に透かすと途端に淡い桃色を浮かび上がらせる。

 自慢するだけのことはある、と施術の様子を見ていただけのランタンは思う。

 ミシャは風呂場に持ち込まれた長椅子に真っ裸で寝かされると、初めの方こそ大いに恥ずかしがったが、いざ施術が始まってしまうとすぐにランタンの視線を気にする余裕すらなくしてしまった。

 それほどよかったらしい。リリオンの腕が単純に良かったのか、ミシャの身体が酷すぎたのか、その両方か。

 ともあれ指圧されるほどに快楽に身を捩ったり、あられもない声を発したりするミシャの様子は、思わず目を逸らし、ついには湯船の中に頭の先まで沈んでひたすら鼓動の数を数えるという修行僧じみた行動をランタンに取らせるほどだった。

 ランタンは海棲生物のように長い潜水をし、ようやく顔を出す頃にはミシャはすっかり骨抜きになっていた。

 全身にたっぷりの汗を掻いて、長椅子の下には水溜まりができるほどだった。巻き付くように肌を覆う蛇人族の白鱗が透明に思えるほど赤く上気した肌や、荒くたえだえな呼吸はランタンに邪な想像をさせるのに充分だった。

「わたし一生懸命お勉強したのに、ランタンったらやだやだってわがまま言うのよ」

 あんな風にされてしまうのは、ちょっと恐ろしいことだとランタンは思う。我を忘れるとはああいうことを言うのだろう。

「だって変なところ触ろうとするだろ、すぐに」

「ランタンに変なところなんてないわよ! もう、変なこと言わないでよ」

 リリオンは矛盾めいたことを拳まで握って断言した。

 ランタンは形容しがたい曖昧な表情をして、リリオンから間合いを外した。リリオンはもちろん間合いを詰め、一刀一足の距離から更に距離を縮めようとする。ランタンはもちろん逃げ、リリオンはもちろん追いかける。

「もう、もーっ、なんで逃げるの」

 リリオンは犬のようにランタンの背を追い、ランタンは見事な脚捌きでミシャの背後に隠れた。これが立ち木や壁ならば粉砕して構わないが、相手がミシャではそうはいかない。

 リリオンはぴたりと足を止めた。

 肩幅ほどに足を開き、ひゅるう、と鋭く息を吐いた。

 ミシャにしてみれば二人が追いかけっこを始めて自分の周りをぐるぐる回り出したかと思ったら、煙のようにランタンの姿が消失したようにしか見えない。睨まれているのは自分であって背後のランタンでは決してなく、驚くこともできずに立ち尽くす。

「動かないで」

 リリオンが言った。

 攻め気に逸るリリオンと向かい合って生物の本能として背筋が震える。

「だってさ、ミシャ。動かないでだって」

 ようやくランタンが背後にいることに気が付き、リリオンの言葉が少年に向けられたものだと理解した。ランタンはすぐ背中にいて、耳を澄ませば小さな呼吸の音さえ聞こえる。

 それどころか動けないことをいいことに、背筋をくすぐってきた。背中と尻の境目まで指が降りてくる。

 子供の悪戯だ。

 この少年はとてもいい匂いがする。体温が近く、それだけで心臓がどきどきしてしまう。

 リリオンがすぐ抱きつきたがるのも理解できる。少し、とても、実は物凄く羨ましい。背中をくすぐられて、変に喜んでいる自分がいた。

 探索者二人に挟まれ、ミシャは大きく息を吐いた。そうやって緊張を身体から抜くように。

 これがこの二人でなかったら、いくら引き上げ屋といえども腰を抜かしていたかもしれない。

 探索者と引き上げ屋の立場は対等だ。だが肉体の頑強さは天と地の差がある。探索者は猛獣に等しい。

 風呂ですっかりと身体を清めたというのに、ランタンからはまだ少し闘争の気配が漂ってくる。

 探索から帰ってきてすぐであっても、探索者が持つあの独特な暴力の雰囲気を感じさせないのがランタンらしさであったというのに。

 この少年がいた戦場は、どのようなものだったんだろうとミシャは考えて、今度は先程とは比べものにならないほどの寒気に全身を震わせた。

「ミシャ?」

 背を這っていた指先が離れ、心配するような声にミシャは振り返る。ミシャはランタンの手を取った。そして今度はリリオンを振り返り、その手を取る。

 そして二人に手を繋がせた。

「はい、仲良くしてね」

 どこか呆然とするランタンと、思わぬ手助けを得た喜びのリリオン。

 リリオンはさっそく繋いだ手を手繰り寄せてランタンに抱きついている。覆い被さるみたいに黒髪に顔を埋めて、洗い髪の匂いをくんくんとしきりに堪能している。

 ランタンの表情がみるみる曇って、非難がましい視線をミシャに向ける。

 ミシャはその二人の姿に何とも言えない満足感を憶えた。

 ランタンは、なんだよ、と言うような顔をして、けれど結局リリオンの頭を撫でてやる。リリオンの目が糸のように細くなった。

「これでいい?」

「ええ、もちろん」

 これほど身長差があるのに、二人揃っている姿はしっくりくる。不思議だ、とミシャは思う。

 好きな人が他の女の子と仲良くしているのだから、もう少しぐらいは嫉妬をしてもよさそうなのに、どうしてか二人仲良くしているのが喜ばしく、割って入ってやろうという気にはならない。

「ランタンくんはもう少し、素直になってもいいと思うけどね」

「素直って言ってもねえ。ううん、素直って、欲望に随うこと?」

 ランタンが渋い顔をした。

 ふと脳裏に思い浮かんだのは領主館地下で見たあの忌まわしく、そして哀れな収蔵品の数々だった。そして己の手で灼いて、地獄の底へと落ちていったあの集合意識体のことだった。

 困ったように眉根を寄せるランタンの、その表情を見たわけでもないのに、リリオンはいっそう深く身を寄せて互いの頬を擦りあわせた。頬に溜めた氷の冷たさが、透けて伝わってくる。

 石鹸の匂いの奥に、少女のそのもの匂いがある。それは魂の匂いとでも言うべきものかもしれない。

「ランタンくんはきっと――」

 ミシャは言いかけて、言葉を飲み込んだ。

「きっと、なに?」

 不安そうにランタンが尋ね、リリオンは細めた目の左だけを器用に開きミシャに向ける。

「――言うのやめた」

「なんで。気になる。なに? 悪口かなにか?」

「なんで私がランタンくんのこと悪く言うのよ。いいことよ、たぶん。少なくとも私たちにとっては、ね」

 そう言ってミシャはリリオンに笑いかける。リリオンは何のことだかさっぱりわかっていないようだったが、鏡像のように笑い返した。

「……私たちにとっては?」

 不安さから、不可解さに表情を変えてランタンは小さく呟く。

 ランタンの欲望の大きさはどれぐらいの大きさなのだろうか。

 この小さな身体に、どれぐらいの欲望が納められているのかミシャにはまるで見当も付かない。だがランタンがそれを制御することに腐心するのは、少年の持つ潔癖さや恥ずかしがり屋で格好つけな性格のせいばかりではなく、無自覚にその大きさを知っているからに違いないと思うのだ。

 思春期の若い男の頭の中など、これが他の誰かのことであれば想像するだに身の毛のよだつ性の饗宴に違いない。しかしランタンのこととなれば興味は尽きない。

 何だかんだ言っても、ランタンはリリオンの素直さにずいぶんと感化されている。

 でなければ自分の背中をくすぐるなんて、かつてのランタンであればしなかっただろう。他者の肉体に触れる行為への心理的障壁がリリオンによって破壊され、今はもうひょいと跨げるほどに低くなっている。

 ランタンの欲望は、その大きさゆえにいつか自分も眼にする日が来るだろう。そしてそれはきっとベッドの上でのことになるに違いない、とミシャは思う。

 しかし不安になる話を聞いたこともあった。

 性別と世代を同じくする引き上げ屋は少ないが、いないわけではない。命を預けたり、預けられたりすると情も生まれて、探索者と(ねんご)ろな関係になることはよくある話だ。

 探索前の昂ぶりを鎮めるためだとか、探索後の昂ぶりを鎮めるためだとか、ともあれなんにせよ男の昂ぶりを鎮めるためだとかで、迷宮特区の物陰や起重機の座席などで情交に至ったという話をたまに、しかし母数を考えれば極めて多く耳にしたことがある。

 ミシャはまだ高くにある太陽を思い出し、恥じらいの表情を浮かべて、なんでもない、と誤魔化すように手を振った。

「なんでもない、じゃないよ。もう」

「うーん、なにかなあ。わたしにもいいことかあ、ランタンがしてくれるなら何でもうれしいわ」

 リリオンは何を考えているのか、身体を揺らしならが、困っちゃうわ、と呟いた。

「……たしかに困っちゃうわね」

 ミシャは独り言のように囁いた。

 ランタンはまだ気にしている様子だったが、ミシャが変な感じになっているので問い詰めることを諦めた。

 三人は屋敷の裏手に回り、翼を休めている三頭の飛竜の下へとやって来た。

 これらは伯爵領から乗ってきた飛竜であり、無理をさせて休むことなくランタンを運んできたので、まだ疲労が取れていないようだった。馬屋を何倍にもしたような石造りの小屋の中で、畳んだ翼の中に身体を隠して丸まっていた。

 そうしていると緑色の卵のようだ。

 鼻先とちょろりとした尻尾の先だけがはみ出ている。

「寝てるのかな?」

 規則正しい鼻息が聞こえてくる。

 リリオンが一頭の鼻先に手を伸ばした。起こさないようにそっと、つやつやした鼻先に触れてくすぐるように指を動かした。ミシャはそれをはらはらして見ている。

 さすがにランタンたちほど竜種を身近には感じられないようだ。

 大きさで言えばミシャが乗りこなす起重機に羽が生えたという感じで、馬や牛よりも二回りほど大きい。

 くすぐられた飛竜は、ぶしゅん、と盛大にくしゃみをして、その迫力にミシャが叫び声を上げた。

 ランタンはむしろその声の方に驚いた。尻餅をつきそうになるミシャを咄嗟に左手で支え、右手は戦鎚を抜きはなっていた。

 戦鎚はリリオンの肩から、伸ばした少女の腕に寄り添うように突き出され、その先端には炎が巻き取られている。

 それはランタンの起こした炎ではない。

「あやうくまる焦げだな」

 それはくしゃみと一緒に吐き出された炎だった。それを綿菓子のように絡め取ったのだ。

「わあ!」

 リリオンが探索者としては致命的な鈍さで驚きの声を上げる。ほんの小さくなった氷が口から飛び出て、座ったままぴょんと後ろに跳ね、ランタンの右脚とミシャの左脚にもたれかかった。

 ランタンはリリオンを焼いてしまわないように戦鎚を釣り竿のように引き上げ、少女は、もうっ、と叱るみたいに、前のめりになって腕を伸ばすと性懲りもなく飛竜の鼻を引っ掻いた。

 嘴のような鱗の表面を爪が滑る。

 飛竜はむずむずと鼻を啜り、リリオンは猫のように警戒する。

 飛竜は大きな欠伸をして、鋭い牙と赤い舌が伸ばされる。すると大人しくしていた他の二頭も、真似するみたいに大きく口を開いた。

 喉奥ががらがらと音を立てて震えた。生臭さと可燃ガスの臭気が漂い、目に染みる。

 眠っているのに欠伸が伝染したようだった。

 そのことにランタンは思わず噴き出してしまった。ランタンの口からも小さくなった氷が飛び出して、地面に小さな染みを作った。

 黒い卵の連中は、魔精をずいぶんと過大に評価していた。魔精による意識の共有なんて、所詮はこんなものとさしたる違いはないはずだ。

「なに笑ってるの?」

「べっつに、なんでもないよ」

 先程はぐらかされたのをやり返すように、ランタンは意味深に笑った。ミシャは支えて貰ったことに対しての礼を言い、ふうん、と興味のない振りをする。かり、と奥歯で小さくなった氷を噛み砕く。

 ランタンは戦鎚の火を消して、それを腰に差し戻した。

「リリオン、あんまりちょっかいをかけてあげるな」

 疲れているだろう三頭の飛竜を労ってやろうかと立ち寄ったが、そもそも疲れ眠っているのならそれを起こすべきではないだろう。

「はあい、――ランタンを連れて帰ってきてくれてありがとう。おやすみ」

 リリオンは飛竜の鼻先をそっと撫でてやった。




 労いたくともやることがないのは困りものだ。気持ちの行き場がない。

 三人はあまり汚れていない小屋の掃除と、大して減ってもいない餌と水を足してやり、もやもやした表情を見合わせて小屋を後にした。

 眠っている飛竜は結局、最後まで起きることがなかった。それほどに疲労は激しい。何せただランタンを運んだわけではない。戦争を戦い抜き、その上、不眠不休でランタンを運んだのである。

 疲れていて当たり前だった。

「しかし、いつか火事になりそうだな。くしゃみの度に火を吹いてたぞ」

 延焼を防ぐための石造りなのだろうが、石であっても燃える時は燃えてしまう。竜種の炎とはそういうものだ。自分も気をつけなければ、とランタンは思う。寝ぼけて爆発でも発動させようものなら目も当てられない。

「ランタンがいれば平気よ。ねえ、さっきのどうやったの?」

「こう、ひょいっと」

 ランタンは戦鎚を抜くこともなく、リリオンと繋いだ左手を下手投げすように揺り動かした。腕の長さがあまりにも違うので、なんだかとてもぎこちない。

 リリオンは、なるほど、とわかったように呟く。ミシャの眼には適当に腕を振ったようにしか見えないが、こう見えてこの二人は歴戦の探索者でもある。もしかしたら達人同士なら理解できる妙技なのかもしれない、と深読みをした。

 もちろんランタンは適当に手を動かしただけである。

 何をどうやってと説明はできない。魚が泳ぐように、ランタンは炎を扱うことができる。それだけだ。

 三人はだらだらとした足取りを屋敷の正門でぴたりと止めた。

 屋敷の外へ出る。

 たかだかその程度のことが、リリオンには久々のことだった。

 ランタンが姿を消してからは、ランタンとの約束を守ってずっと帰りを待ち続けていたし、それ以前では人々の前に容易に姿を現せるような状況ではなかった。

 一度姿を現せば、罵声や礫が飛んでくるような有様だったからだ。ランタンが野外闘技場で猛威を振るってから多少はましになったが、この過保護な少年が多少のまし程度で外出を許すはずがない。

 門を潜ってリリオンは、ぎゅうとランタンの手を握った。

 それが不安からくるものではないことはすぐにわかった。体温が高く、指先に強張りがない。

 うきうきとさえしている。炎を拾い上げるように腕を前後に揺らすので、ランタンはその度に身体を前に後ろに引っ張られる。肩から骨の擦れる音が聞こえて、下手をするとリリオンのマッサージが必要になりそうだった。

「ちょっと、それだと歩けない」

 ランタンはリリオンを引っ張って、少女は腕を揺らす代わりに身体を揺らした。

「だって久し振りなんだもの」

 強がっている感じではなかった。

 屋敷の外に人はいない。皮肉なもので戦争は少女一人にかまけている余裕を人々から奪っていったのだ。

 しかしランタンとミシャの視線は気遣わしげで、特にランタンは平然としているように見えて探索者としての索敵能力を目一杯に広げている。竜種のくしゃみは元より、鼠が咳をしたとて聞き逃すことはないだろう。

 リリオンはにっと笑った。

「大丈夫よ。わたし、気がついちゃったんだから」

「なにに?」

「わたしね、これからもランタンと一緒に色んなところにお出かけをしたいの。お散歩したり、お買い物したり、食べ歩きをしたり、馬に乗って遠乗りにだって行きたいのよ。春にはお花で冠を作ってあげるの」

 リリオンが歩き出し、自然と二人も歩き出した。

「だからね、いちいちくよくよしないことにしたの」

 リリオンはランタンと繋いでいない方の手をぐっと握り締める。

「それにね。わたしはきっと、もっと強くなるわ」

 リリオンは預言者みたいな確信を込めて宣言をした。

 それはかつて強くなりたいと探索者を志した時の顔とはずいぶんと違う。

 宿命と呼ぶものかもしれない。

 少女の内に流れる巨人族の血は、リリオンが弱者でいることを許さない。

「わたしの邪魔をする人は、いちげきひっさつよ」

 リリオンは笑いながら言った。

 ランタンは思わず立ち止まり、ミシャはもう一歩を踏み出してから振り返り、少女から少年へと視線を滑らせる。

「……ちょっと」

「なんで僕を見るんだよ」

 言って、再び歩き出す。

 ミシャが非難がましくランタンを()めつける。

「どう考えたって、ランタンくんの影響じゃない」

「……そうかなあ」

「そうよ、絶対。絶対にそう」

「――ねえ、私の話まだ途中よ」

 ああごめん、と声が揃った。

 リリオンは握った拳を解くこともできず、拗ねるような困ったような顔をしている。尖った唇に、氷を口に含んだみたいに左の頬だけが膨らんでいた。

「……いちげきひっさつは冗談よ」

 リリオンは言いたくなさそうに言った。

「言うのが遅いよ。そのせいであらぬ疑いをかけられたじゃないか」

「どちらにしろランタンくんの悪影響よ。そういう()()()()冗談は」

「今の追い打ちは酷いと思う」

「あ、ごめん、リリオンちゃん」

「ねえ!」

「はい、ごめんって。続きをどーぞ」

 リリオンは握り疲れた拳を開いて、溜め息と呼ぶには勢いのありすぎる嘆息を漏らした。

「何を言おうと思ったのか忘れちゃったじゃないの。あのね、えっと、つまりこういうことよ」

 前から歩いてくる二人組は距離が近付くにつれてリリオンの姿に気付き、大げさに身を躱した。

「こんにちは」

 失礼な奴らめ、と半眼になるランタンとは対照的に、リリオンはすれ違い様に挨拶をして微笑む。

 二人組は驚いたように身を竦ませ、ランタンは振り返ることもしなかったが、小走りで走り去っていくのが足音を聞かずともわかった。手近な角を曲がって、ほっと胸を撫で下ろすのも。

「ぜんぜん理解できないんだけど」

「うんとね、つまり、あんまり気にしないことにしたのよ。人を好きになったり、嫌いになったりするのはしかたのないことだもの。どうすることもできないの。ね」

「たしかにそうね。厄介なことだわ」

「でも、うれしいこともいっぱいあるのよ」

「ええ、本当にそう」

 明け透けな二人の言葉に、言葉を挟めずにいるランタンの方が照れてしまう。耳が熱いな、と思うが、それを確かめようと触るのは悪目立ちにすぎないので我慢をする。

「どうすることもできないから、気にしない。普通にするの」

「普通ね」

 それは悪意のある言葉や態度を無視したり、我慢したり、媚びを売ったり、開き直ったり、好かれようと努力したりすることではない。どれか一つではなく、ただその時その時の感情に素直になることだった。

 くよくよしないと決意をして、だが先程のように受け流すこともあれば、悲しんだり、怒ったりすることもある。

 それが人間の普通だ。

「だから、わたしがかなしい時はやさしくしてね」

「どうかなあ、まずそうした奴を燃やしに行くかもしれない。いや、行くね。そして燃やす、爆発四散させる」

「ほら、そういう冗談のことよ」

 ランタンは照れ隠しに肩を竦める。

「僕はいつだって優しくするよ。かなしくない時だって」

「うん、ランタンはいつもやさしい。たまにいじわるだけど、そこも好きよ」

 耳だけではなく、手も熱い。

 ランタンは照れが隠せなくなったことを自覚して、それがいっそう体温を上昇させた。リリオンはそれを逃すまいと、指を絡めるように手を繋ぎ直した。

「素直って、こういうことよね」

 自分に言い聞かせているのか、ランタンに言い聞かせているのか、ミシャは軽い口調で言い、ほんの少しランタンと距離を詰めた。

 三人はそのまま目抜き通りに向かった。

 そこに辿り着くまで多くはないが、様々な人の反応とすれ違った。大半は一瞬だけ気にして、そのまま通り過ぎていった。

 集団の中であれば悪意を剥き出しに声を荒らげることもあったかもしれないが、個人や少数でいる時にはリリオンに対して、ちょっと目立つ長身の女、程度の反応しか示さなかった。

 少なくとも石を投げ付けてくるような奴は一人もいなかった。

 悪いことではないが、ランタンは自分が不在の間に、街中の人が入れ替わってしまったのではないかと思った。

 道すがらミシャに不在の間のティルナバンの様子を尋ねる。

 ブリューズ死後の混乱と、ほぼ同時に発生した脳食い感染者による無差別殺人事件と、そして突如勃発した戦争。

 その陣頭に立ったのはアシュレイだった。

 お飾りであった王権代行官補佐の権力を縦横に振るって、ブリューズ派内部で発生した主導権争いを横合いから殴りつけて議会を掌握、戦争への遠征と混乱の極みにある都市治安維持を民兵と探索者ギルドの軍事力を借りてしてどうにかこうにか両立させて、ともあれティルナバンは活気こそ失われているものの致命的な状況には陥らなかったようだ。

 しかし経済活動の縮小だけはどうにもならない。

 外出禁止令はすでに解かれており、戦争の終結もみなの知るところにあったが、目抜き通りにランタンの知っている騒々しさはまだ戻っていなかった。ランタンのように誰もが飛竜で帰ってくるわけではないのだ。

 露天屋台は一つも出ていないし、店も大半は閉まっている。

 しかたのないこととは言え戦争遠征のためにアシュレイが物資を買い上げたためだった。

 特に食料品は戦地が大穀倉地帯である伯爵領と言うこともあって、価格の高騰を狙ってか商人ギルドが出し惜しみをしているらしい。

「だめだめ、帰った帰った!」

 いくつかある開いている店の前で何人かの子供が店主に追い返されている。小さな手に握っているのは四半銅貨だろうか。戦争前なら安い黒パンが一つ購入することができたはずだ。

 子供は悔しそうな顔をして店主を見上げていた。

「前までこれで一つ買えたじゃないか。おかしいよ!」

「おかしくない。物の値段は変わるものだ。どうしてもほしいなら、金を出し合って、それでパンを分け合えばいい」

「でもそしたら、ほんのちょっとになっちゃうよ。もっといっぱいいるんだ」

 そこにいるのは五人ほどだが、兄弟姉妹か、それに近いものたちがパンを買って帰ってくるのを待っているのだろう。子供は無力さを噛み締めるみたいに肩を落とした。

「いくつほしいの?」

 リリオンが背後から子供に語りかけた。先に気が付いた店主は目を剥いており、振り返った子供たちは思いがけず目を輝かせた。

「リリオンさまだ。あっ、ランタンさまもいる。すげーほんものだ。大きいし小さい」

 シスタークレアのとこの孤児たちらしかった。

「いくつ?」

「あの、五個、です」

「何人で?」

「えっと」

 子供はいち、にい、さんと指を立てていくが、片方の手には銅貨を握っているので五まで数えると二人目が、十まで数えると三人目が出てきた。

「わかったわ。おじさん、パンを十四個くださいな」

 リリオンは自分の小遣いから四半銀貨一枚と銅貨一枚を取り出す。

 店主は金を受け取ろうとはしなかった。動揺するみたいに眼を泳がしている。

「誰からもらっても、お金はお金よ」

 リリオンにそう言われて、ようやく金を受け取った。

 いやいやという風ではなく、戸惑っているという感じだった。

 リリオンは人間を頭からばりばり食べてしまう悪い巨人である、というような噂も流れていたからその所為かもしれない。噂はほんの少しだけ真実だ。リリオンはよくランタンに噛み付く。

 子供たちは礼を言うと小さな身体にパンを抱えて走り去っていった。昼もずいぶんすぎているので、売れ残り黒パンは石のように硬く、しかし水分が抜けているので見かけよりもだいぶ軽い。

「ついでにわたしたちにも一つずつくださいな」

「悪いね。もうあと一つしか残っていないんだ」

 三人で一つの黒パンを分け合うことにした。

 それは物凄く硬く、探索者の力でなければ三等分に千切れなかった。

「美味くはないな」

「砂みたいな味がする」

「小麦は挽けば挽くほど量が目減りするからね。誤魔化すために灰を混ぜるって話も聞いたことあるわ」

「こんなんじゃぜんぜん腹が膨れないな」

「そうだ! 迷宮でお肉つかまえましょ!」

「肉を捕まえるってすごい言い回しだな。そういえば今は選びたい放題なんだっけ。迷宮」

「まあ、そうね。中断してるだけって言うのも多いけど。新規迷宮はほとんど手付かずなはず、――っす」

「ミシャさんも一緒に行く?」

「穴の前までならね。お土産期待してるわ」

 もうたぶん知っているだろうが、アシュレイにも帰ってきた挨拶をしに行こう。そのついでに一つ提案もしてみよう、とランタンは思った。

 迷宮は資源が豊富だ。探索者は持ち帰りやすく換金しやすいものばかりを戦利品に選びがちだが、食べられる魔物や植物に報奨金でも出すようにすれば、食糧事情もいくらかましになるのではないだろうか。

「あーあ、戦いから帰ったばかりだって言うのに」

「大丈夫よ、わたしがぜんぶいちげきひっさつにするから」

「ちょっと」

「そのくだりはもうやっただろ」

「今度は冗談じゃないからね」

 もういいよ、とランタンはリリオンの尻を引っぱたいた。


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