025
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上街から下街へと下り、住処に帰る道は夕焼けに赤く染まっている。下街の目抜き通りを外れ、人目を避けるようにランタンとリリオンは道とも言えない道を進んでゆく。
廃墟同然の街並みを通り抜けた風はどこか埃っぽく、奥まった方へと進むにつれて石のような寒々しさを感じさせる。それは崩れた街並みの影に溜まった冷気が染み出してきているようだった。
風が吹いてランタンの外套が巻き上がった。その端をリリオンが指の先でちょんと捕まえた。
リリオンは神妙な顔つきで、恐れるように呆れるように外套の端を縒っている。外套のその一撮みが金貨何枚分に相当するのだろうと考えているのかもしれない。
ランタンはそんなリリオンの様子を気にもせずに新調した衣服に身を包んで満足げに頬を緩めていた。
嵐熊の爪を包んでいた為に換金する事のできなかった頭巾を失った外套を下取りに出して、新しい外套を購入したのだ。それは予定していた予算を大幅に超えてしまったが、それだけの価値のある品に出会えたのでランタンは納得して即決した。
戦闘服は期待に目を輝かせるリリオンのきらきらした重圧に負けて結局またお揃いになってしまったので、それを覆い隠す外套は素知らぬ風を装ってはいたが吟味に吟味を重ねたのだ。
藍を煮詰めたような夜色の生地は昆虫系魔物の繭を製糸した特殊な糸で織り、本来は純白であるそれを物質系魔物の外皮から取った鉱物染料で染め、さらに魔精加工した一品である。
火竜の息吹にだって海大蛇の高圧水砲にだって耐えますよ、と店員は言った。火竜も海大蛇ももしかしたら幼生体のことを言っているのかもしれないが、ランタンにとってはその売り文句が詐欺まがいであっても問題なかった。
ランタンが魅了されたのは防御力なんかではなかった。
ランタンはリリオンの頭を撫でるよりも殊更に優しく外套の表面を撫でた。その手つきは妙に艶めかしく、指先がさわさわと蠢いている。外套は絹よりも柔らかで滑らかだった。
雨の日も安心の超撥水完全防水。暑い日は涼しく寒い日は暖かいと言う防熱防寒性。そしてこの蕩けるような柔らかさ。ランタンは今にも外套に頬ずりしそうなほどだった。
ランタンの目尻がとろんと下がった。着心地の良さというものは何よりも代えがたいものだ。魔精によってどれほど身体が強化されようとも、服を着た時に感じる首筋の毛羽立ちは我慢ならない。骨が折れようとも肉が裂けようとも歩く事ができるが、ランタンは靴擦れになっただけで歩けなくなる。不思議なものだ。
「……うー」
ランタンが薄ら笑いを浮かべて外套を撫でているとリリオンが小さく唸った。
ランタンはリリオンの事などすっかり眼中になく、その肌触りに夢中になっている。以前身につけていた外套も着心地的になかなかいい品だったので、それよりも優れるものを見つける事ができるなどとは思ってもいなかったのだ。ランタンは思いもよらない掘り出し物に心を奪われていた。
リリオンが指先から弾くように外套を放してランタンの手を取った。まるで外套からランタンを奪い返すように。
「わっ、なになに?」
リリオンが自らの胸にランタンの手を当てて、逃げ出さないように押さえつけた。少女らしい慎ましやかな胸は、それだけに心臓に近い。ランタンは足を止めて、そこから響く心臓の鼓動を掌で聞くばかりだった。
ほとんど平らなのに柔らかいものだな、と思わず本能的に動かした指先にリリオンが小さく表情を変えた。恥ずかしがっているのではなく、ちょっとだけ女っぽい顔つきになった。
ランタンはその表情を見た瞬間に石のように固まり、その手を更に押しつける事も引く事もできずにいた。眼球だけを動かして、反射的に目を背けた。
「あの、――リリオン?」
ランタンは何も言わぬリリオンを、睫毛の隙間から透かし見るように上目遣いでおっかなびっくり窺った。
咎めるように突き出された唇が柔らかそうだ。
先ほど食べた料理が既に血肉へとなっているかのようだった。閉じられたその唇がゆっくりと解かれる。
濡れた淡い音が唇の隙間に浮かび、その奥から白い歯と赤い舌が見えた。それが小さく震えて何かを告げようとしたが、ランタンがそれを聞く事はなかった。
首筋にちりちりと痺れがあった。
ランタンは胸を鷲掴みにするようにリリオンの胸ぐらを掴んで、自らの胸の中にリリオンの頭を掻き抱いた。心臓に口付けるようにリリオンの吐息が服を貫いて胸を濡らした。ばさりと外套がはためいて二人の身体を隠す。
どこからか複数の矢が飛来したのだ。
ほとんどが外れたが、二本だけがランタンの身体を射線に捉えている。しかし矢は巻き上がった外套の表面を舐めるようにして地面へと逸らされた。服屋の店員の売り文句は嘘ではなかったのかもしれない。矢を逸らした外套の表面はつるりとしていて解れ一つない。
矢は鉄製だった。錆びて汚れている。安物だ。
ランタンはリリオンの耳に唇を寄せた。
「敵だ」
さらに向かってくる二射目の矢は、そのまま外れて地面に刺さった。リリオンはランタンから解放されると鞘から剣を抜き放った。
地面に刺さった矢の数は六本。つまり相手は六人以上だ。
それはランタンを狙っていたようにも思えるし、ただ射手の技量が低く狙いが定まっていないだけのようにも思えた。
ランタンは戦棍を構えながら、拗ねるように眉根を寄せた。
運悪く下街の破落戸に目を付けられただけか、それとも探索帰りだと言う事を知って襲撃者に待ち構えられていたのか
ランタンは乱暴に舌打ちを吐き出して、それから少し苦笑を漏らした。
久しぶりだな、と。
襲ってきたのが何者かは分からないが、幼げで身なりの良いランタンはそんな輩の目には鴨が葱を背負っているように見えるらしい。そのなよやかな肢体に秘められた恐るべき戦闘能力にも気が付かずに。
ランタンは猛禽の如き目付きで、矢の飛んできた方に視線を向けた。相手が何者だとしてもやる事は変わらない。
荒れた太い道がまっすぐと伸びており、その左右に崩れた集合住宅が連なっている。相手は廃墟の影に潜んでいる。
飛んでくる矢はやや山なりでその速度も遅い。左右の建物に分散して、壁に身体を寄せて隠れているが、ちらりと腕や肩が覗いている者が三名確認できる。本気で隠れているのかふざけているのか理解しかねるお粗末さである。
ランタンは視線を集合住宅の下から上と走らせた。おそらく高所は取られていない。馬鹿と煙は何とやらと言うが、高所を陣取らない弓兵など馬鹿以下の何ものでもない。ランタンは相手が何を考えているのかさっぱり分からなかった。
「取り敢えず僕は攻めるよ。リリオンはどうする?」
「ついて行くわ、もちろん」
勇ましく応えたリリオンにランタンは小さく頷く。
ランタンは戦棍の重さを確かめるようにくるんと回した。戦槌に比べて戦棍の柄頭はやや重たいような気がする。そして同時に水袋を振り回しているような不安定さも手の中にあった。おそらく柄頭の重心がほんの僅かにずれているのだろう。
「贅沢に慣れたのかな……?」
ランタンはくつくつと笑いを漏らした。
様々な探索者に貸し出される代替え品でしかない戦棍と、世界でただ一つランタンの為だけに作られた戦槌を比べるのはあまりにも酷と言うものだ。ランタンは柄をぐっと握りしめた。この戦棍だって悪い武器ではない。人の頭を砕くには充分すぎるほど硬く、重い。
「さてと、どこに居るかな」
ランタンは自らの身体を囮にするようにゆっくりと歩き出した。その後ろを少し離れて付いてくるようにとリリオンに伝える。どうせならば盾も借りてくればよかったな、とランタンがぼんやりと考えていると相手が姿を現した。
射手が右の建物の影に三人、左の建物に三人。そしてさらに近接武器を持った相手が影の中から這い出るように五人。思ったよりは数が多いが、相手の姿は見窄らしい。
大した相手ではないな、とランタンは唇を歪めて走り出した。
相手は襲撃者ではなさそうだ。
襲撃者は探索者を専門に狙う強盗の事だ。
高給取りである探索者を狙えば見返りは大きい。だがその分だけハイリスクなので、やり手の襲撃者は探索者さながらの装備を調えている。探索者にとっての魔物が、襲撃者にとっての探索者なのだ。
もしかしたら敵の姿はランタンを油断させる為の偽装である可能性もあったが、それにしたって装備は貧弱で足運びから見る練度は低い。おそらくただの破落戸であろうし、破落戸の中でも下の下である。
射手が連続して弓を鳴らした。矢が放たれると同時に近接武器の男たちも走り出した。
矢の雨が降る、と言う表現は少し大げさか、六人の射手が放った矢は二十程度で、その内ランタンの身体を捉えているのはほんの四本だけだった。一射目の一の矢を戦棍で払う。二射目の二の矢、三の矢はほとんど重なっていた。戦棍を切り返して二本の矢を同時に叩き落とした。
三射目の四の矢は、もう目の前にあった。偶然か、それとも狙ってか二射目の矢を目隠しにするようにして最も鋭く、最も速い。真っ直ぐ一直線にランタンの右目を貫こうとしていた。
避ければリリオンに当たる可能性もある。ランタンの右目の位置は、ほとんどリリオンの心臓の高さだ。
「――よっと」
お気楽な声とは裏腹にランタンの左手が閃いたかと思うと、飛来する矢はまさに眼前で掴み取られた。掌の皮が一枚だけ、ほんの薄く摩擦で焼けた。それは鉄の矢ではなく、暗闇に紛れるような焦げ茶をしていた。
一人だけ手練れが居る。一応要注意かな、とランタンは僅かに小首を傾げた。
矢に紛れてて接近した男の一人にランタンは握りしめた矢を突き立てた。まるで短鎗を扱うように力任せに脇腹に押し込み、体勢を崩した相手に戦棍を振るった。戦棍は相手の腕を押し潰して、そのまま肋骨を砕いた。
脇腹に刺した矢が逆側からの圧力で抜け落ちて、傷口から血が吹き出た。男は口からも血を吐き出して崩れ落ちた。
ランタンは舌打ちを一つ。
戦棍が相手を捉えた瞬間に、張り付いたばかりの皮膚に張力が掛かり傷口が再び開きそうだった。あまり無茶をするとギルド医に怒られそうだ。
ランタンは崩れ落ちた男を、更に向かってくる二人の男に向けて蹴り飛ばした。ちょっとした牽制でしかなかったのだが、二人は死体に巻き込まれて盛大に転んだ。男たちの反応は鈍い。雑魚だ。
だと言うのに。
「ああぁぁぁあっ!」
それは鼓膜を裂くような、悲痛な叫び声だった。
ランタンが反射的にそちらに目を向けた。その甲高い声はリリオンのものだ。
そこには肩から脇腹に向かって斜めに両断された男が居た。身体がずるりと滑る。二分割にされた男は確実に絶命している。しかしリリオンはさらに真一文字に男の腰を切り裂いた。上半身と下半身が分かれた。三分割。
闇雲に腕を薙ぎ払った技巧もへったくれもないただの横薙ぎにリリオンの身体が泳ぐ。だがリリオンは身体を力任せに斬り返し、ずれ落ちる男の上半身を斬った。刃の角度が悪く、男の上半身がぶっ飛んでいった。
誰が見てもやり過ぎたった。
上半身を失って立ち竦む男の姿にランタンは苦い表情を作った。風が吹いてそれが倒れる。
リリオンは目を剥いて血だまりに沈む肉の塊を睨んでいる。大きく肩で息をして、次の獲物を探すように視線を上げた。その様子はおかしい。目が血走っていた。
リリオンの様子は気になるが、ただ転んだ男たちも起き上がって向かってくる。リリオンに声をかけている暇はない。乱戦になって誤射を恐れたのか射手も弓を近接武器に持ち替えて向かってきていた。数は六、全員だ。距離の利を自ら捨てるとは、突撃思考の馬鹿ばかりだ。
さっさと終わらせてやる。
「下がってろ!」
それはリリオンに向けた言葉でもあったし、剣を振り下ろそうとする男に向けた言葉でもあった。
ランタンは振り下ろされた剣を踏み込んで避けて、左腕を折り畳むとそのまま肘を振り抜いた。肘打ちは男の胸骨を砕いて胸を陥没させた。折れた肋骨が皮膚を突き破り、また心臓に突き刺さった。男の服が一瞬で赤く染まった。
視界の脇をリリオンが駆けていった。
「待てっ!」
ランタンが叫び、男も手を伸ばしていた。捕まえようとする男の伸びた腕を肘から切断し、リリオンは脇目を振らずに射手であった六人へ向かっていった。あの中にはおそらく、要注意と定めた一人が居る。
それの近接戦闘の実力がどれほどのかは分からないが、戦闘能力だけを見ればリリオンをこのまま向かわせる事に心配はない。だがリリオンの精神状況は、本来持っている戦闘能力を阻害するほどに悪いように見えた。
腕を切られた男は痛みに喚くでもなく無表情を晒していて、血の滴る腕を覗き込んでいた。ランタンは硝子の小枝を折るように男の首を砕き、リリオンを追走した。先鋒の最後の一人もリリオンを追っていた。
ぼっ、とランタンの足の裏で爆発が起こり一瞬で高速に加速する。あっという間に男の背中に肉薄した。ランタンは追い抜かし際に男に飛びかかり、後頭部を鷲掴みにすると男の顔面を地面に叩きつけて鮮血の花を咲かせた。
先鋒の五人はこれで終いだ。
だが仲間を半数失ったというのに破落戸は逃げだそうとはしなかった。
リリオンが向かっていったので仕方がなく迎え撃っているのか、仲間を殺されて怒っているのか、それとも自らの保全よりも優先すべき別の理由があるのか。破落戸の思考を想像する事はできない。
一人ぐらいは生かして捕らえた方がいいのかもしれない、がそれも難しそうだ。
視線の先で血風が舞った。生臭さがここまで漂ってくる。
背中まで振りかぶった長剣をリリオンが振り回した。反りのないはずの長剣が三日月のような円弧を描き、それを縁取るように鋒が空に血を迸らせた。まるで墨をたっぷり吸った筆を振り回したようだ。
リリオンが剣を振るうと男たちが一気に二人両断された。耳から顎に抜けた剣が、隣の男の二の腕から胸部を通り抜けた。まるで熱した刃物でバターでも切るように、あっさりと。
斬られた男たちの身体は突っ立ったままで、傷口に身体の部品を乗せたままでいた。じわりと染み出して滴る血が、そこを刃が通っていった事を教えてくれる。
「やあぁぁあっ!」
リリオンが更に剣を振り回すと、取り囲もうとしていた破落戸たちもさすがに二の足を踏み、大きく後退した。剣圧に気圧されたのかもしれないし、あるいはリリオンの叫び声に驚いたのかもしれない。少なくともランタンは驚いた。
恐慌、だろうか。
リリオンの叫びは人を不安にさせる声だ。そんな声を出す魔物がいたなと、ふと思った。女の泣き声を出して、恐怖を伝播させる魔物。だがあれは地上では確認されていない。迷宮の、ランタンの与り知らぬ所で攻撃を食らったと言うような事もないはずだ。
だがリリオンは何かに恐怖している。
リリオンは剣を振り回している。
その場から動く事ができない死体だけが更に切り刻まれ、両断された上半身が臓腑を撒き散らしながら吹き飛んだ。赤錆のような血と、零れ出た黄土色の臓腑が風に乗って生臭く臭う。
ランタンはリリオンに駆け寄りながら、その背中を見つめた。痩せて、小さく、細い。身長的はずっと大きいはずのリリオンの背中が、ランタンには自分の物よりも小さく見えた。
横顔が強張っている。ランタンの頭が考え込むように小さく傾いた。リリオンは何を怖がっているのだろう。
下街に住んでいると暴力沙汰は日常茶飯事なのでいまいち気が回らなかったが、もしかしたら対人戦闘は初めてなのかもしれない。そう言えばリリオンはランタンと対峙した時も、攻撃する事なくただ足止めばかりに専念していたことを思い出した。
ランタンも暴力が好きだというわけではない。だがだからこそ暴力を振るう事に、一つ覚悟を決めている。やるからには徹底的に、人間だろうと魔物だろうと区別はしない。
ランタンは淡く乾いた唇を湿らせる。
暴風のような剣風がそこにあった。リリオンが闇雲に振り回す剣の軌跡をランタンは目で追った。無秩序に見える剣風に飛び込んでいくのはなかなかに恐ろしいが、いつまでも二の足を踏んでいては破落戸共と変わらない。
「ふっ」
ランタンは閃いた剣線に僅かな間隙を見出すと、そこに滑り込むように飛び込んだ。一瞬で剣を握ったその手首を捕らえ、リリオンの動きを力尽くで止めた。抵抗は一瞬だけ、すぐに大人しくなった。
細い手首から震えが伝わってくる。それはやはり戦闘に興奮しているのではない。手首には金属を掴んだような冷たさがあった。掌に感じる脈拍が異様に速い。リリオンは掌に食い込むほどにきつく柄を握りしめている。
「リリオン、あとは任せて」
「わたし、だいじょうぶ、だから!」
リリオンは瞬きを忘れたように大きく目を見開いて、過呼吸にも似た掠れて震える声で叫んだ。視線がまるで蛇のようにランタンの瞳に飛び込んできた。リリオンの中にある恐れが眼球を食らい、脳へと這いずったような気がした。
気がしただけだ。視線を交えただけでは、リリオンの頭の中の事など分からない。
「ダメ」
ランタンは一言だけ、強くリリオンに言った。
リリオンはランタンを振り払おうとしたが、ランタンはそれを許さなかった。手首を潰すかの如く強く握りしめて剣を手放させると、リリオンのベルトを引っ掴んで後ろに放り投げた。
「わたしは――」
リリオンは何かを喚いていたが、ランタンは一瞬、視線を向けるだけでそれを無視した。
恐れを成して逃げ出してくれればよかったのだが、リリオンの剣を逃れた男たちが向かってきたのだ。リリオンの話し相手をしている暇はなかった。
残った人数は四人。全員が手に剣を持って、今までの相手と同じように貧相だと言う事だけが類同している防具を装備している。ランタンは右から舐めるように四人を一瞥して、ふんと鼻を鳴らした。
どれも似たり寄ったりの装備品に格を付けるならば、剣は右端、防具は左端の男がマシな部類だ。要注意人物は、このどちらかだろう。
男たちは四人一遍に連携もなにもなく突っ込んでくる。
男たちの顔は一様に痩せていて、目が落ち窪んでいた。影の差す暗い目が血走っており、猿のように吠える大きく開いた口の中に、痩せた歯茎に生える疎らの歯が見えた。
その容姿は食い詰めの破落戸のものだと思える。だがはっきりとはしない違和感もある。
こいつらもどこかおかしい。
男たちは叫ぶばかりで獣のようだ。破落戸共にありがちな恫喝の台詞の一つも吐きはしない。空腹過ぎて気が狂ったのか、それとも薬物中毒の末期症状か、とそこでランタンは思考を切った。
ごちゃごちゃと考えすぎた。優先順位の一番はリリオンだ。男たちの都合など知った事ではない。
ランタンは足元に転がる剣を男たちに向かって蹴り飛ばした。回転する剣はさながら刈り取り機械のようだったが男たちは止まらなかった。牽制でしかない事を見抜いている、と言うよりはそもそもそれが眼中に無いようだった。
男の一人に剣が当たったが、そのまま転げるように突っ込んでくる。
ランタンは中二人から振り下ろされた二つの剣を左に避けて、避けながら防具男の刺突を戦棍で優しく逸らした。逸らされた鋒が隣の男を刺した。ランタンは右足を振り抜いて防具男の胴に爪先を蹴り込んだ。防具男は金属鎧を身につけていたが、探索者の脚力で蹴り込まれる鋼鉄補強の戦闘靴の前では紙同然だった。
砕けた鎧がそのまま防具男の胴を切り裂き、また衝撃は肋骨ごと内臓を破裂させた。防具男が悲鳴と血の混じった物を吐き出しながら、中二人を巻き込んで吹き飛んだ。
弱い。消去法で要注意人物を右端の剣男だと断定した。だが右端にいない。
男はどこだ、とランタンの瞳が上下左右に鋭く振れた。すぐに夕日を反射する銀を見つけた。
吹き飛ぶ防具男の下に潜り込んでいる。その影から浮かび上がるように、剣を突き上げた。
ほとんど地を這うような低い体勢から、身体ごと伸びて放たれた突きが空を裂いて首を狙ってきている。剣男の口元に牙を剥くような表情が張り付いていた。涎が溢れている。獲物を前にした飢えた獣の笑みだ。
ランタンはその笑みを鼻で笑って一蹴した。
弓の技術と剣の技術は別物か。薄皮一枚、その表面を切れぬ程度だけ舐めさせるように首を傾けてそれを避ける。ランタンは一直線に伸びた剣男の腕を掴みドアノブのように捻った。
その瞬間、男の手首と肘と肩が皮膚の下で同時に捩じ切れた。
剣男は叫び声を上げたが、しかし剣を手を手放さなかった。剣を握る男の拳は石膏で固めたかのようだ。ランタンが男の手首を放すと、男の腕は剣の重みに耐えかねるようにだらりと垂れた。だがやはり男の手が開かれる事も、剣が滑り落ちる事もなかった。異常な握力で握りしめ続けている。
ランタンも怪訝な顔つきになると、考える暇も無く殺したと思っていた防具男がいつの何か這い寄り足に組み付いてきた。
力の無い指先が、まるで自らの身体を砕いた戦闘靴を愛撫しているようだった。血泡を吐き出す血で戦闘靴に噛み付いてくる。それは動死体を思わせる不気味な様相だった。
そして剣男も無事な腕でランタンに組み付き、垂れ下がる腕を身体ごと振り回してロープのように巻き付けようとした。
怖気が走った。
それは動死体の如き防具男の様相に恐れたわけでも、剣男の執念を恐ろしく思ったわけでもない。
ただそこにある不浄さが肉体に絡みつく事を嫌がったのだ。
ランタンの爪先が熱を発した。どん、とその周囲の大気が猛烈な勢いで沸騰して爆ぜた。戦闘靴を汚した血が焼け焦げて、防具男の噛み付いた口元と一緒に燃え落ちた。
それと同時にランタンは巻き付かんとする剣男の腕を戦棍で払い、高速の斬り返しで剣男の胴体を薙ぎ払った。掛かった張力に耐えきれなくなったランタンの皮膚がぱちんと一枚剥がれた。
「ちっ」
剣男は打撃によって大きく退けられたが、それによってランタンの身体もまた引きずられた。
剣男の身体は骨の可動域を超えて深くくの字に折れ曲がった。だが服を掴んだ指が外れる事はなかった。剣男の意識は既に無く、ただ指の先が引っ掛かっているだけだが、外れない。
そうなるとランタンは自身の力に引っ張られているも同然だった。
体勢を崩したランタンに、転倒から起き上がった二人の男が腰だめに剣を構えて突っ込んできた。
一人は防具男の剣に身体を刺されていたが、その口元に涎を垂らしたヘラヘラとした笑みがあった。勝利を確信したような不敵な笑みではなく、ただ筋肉が弛緩しているだけの無責任な表情だとランタンは思った。
その男たちはランタンを見ているのか、その更に後ろにいる少女を見ているのか分からなかった。
ランタンは地面に突き立てるように足を踏ん張って、剣男の身体を引き寄せると男の首を鷲掴みにした。
剣男は既に絶命していた。首が頭部を支えきれずにぐらぐらと揺れていた。男の皮膚には水分がなくカサついており、軽く力を入れただけで骨は砕けた。剣男の身体は軽い。まるで内部を昆虫に食い荒らされた朽ち木のようだった。
ランタンは剣男の身体を盾として、突き出される剣へとぐいと差し出した。ようやく剣男の指先がランタンの服から外れた。枯れ枝のような指先からぶちぶちと爪が剥がれた。
突き出された二本の剣は剣男の身体に突き刺さった。
肋骨でも残っていれば多少は盾としての役目も果たしたのかもしれないが、それはランタンが全て砕いてしまった。突き出されたのはいかにもナマクラな剣だったが、それは薄い脂肪と筋肉をあっさり押し貫いた。
この男たちは、痩せているくせに妙に力がある。
箍の外れたような馬鹿力が剣男の背中から抜けた鋒を更に加速させた。血と脂に濡れた鋒がランタンへと肉薄し、けれどランタンはそれを冷静に見据えていた。
「よっと!」
風車でも回すかのように、ランタンは剣男の首を弾いた。剣男は腹部に突き立った剣を支点にしてぐるりと空転して、二本の支点を一纏めにするように胴の中に捕らえた刀身を絡げ取った。その勢いに男たちは剣を失った。
「あ――」
その時、リリオンが白い髪を靡かせて男たちに飛びかかった。しなやかな獣の如き跳躍がランタンの頭上を飛び越えた。白い髪が夕日を乱反射させて、それは燃えさかる炎のように赤く染まる。
引き止めるように伸ばしたランタンの指を、靡いた髪が触れてすり抜けていった。炎のような色合いとは裏腹に、冷たく。
「あああっ!」
リリオンが跳躍したまま打ち落とすような跳び蹴りを、宙に浮いて回転途中の剣男に放った。剣男は身体から剣を生やしたままに吹き飛んで。その裏側にいた男たちが露わになった。
男たちの手から血が零れていた。剣を失う際に、柄ごと皮膚と肉を引き千切られたのだ。
「止まれっ!」
ランタンがリリオンに向かって叫んだが、その時にはリリオンの細い足が空を踏むように振り上げられて、一気に男の頭部へと叩き込まれた。男の首が引き千切れて、頭部と胴体が点でばらばらの方向へとすっ飛んでいった。リリオンの足が血で汚れた。
ランタンの言葉は、まるで届いていない。
リリオンは血に濡れた足を地面に下ろすと、茫洋とした視線を己に向ける男に手を伸ばした。五本の指が強張っていて、それはまるで短剣のように男の顔を抉り取ろうとしていた。
声をかけるだけ無駄だ。
ランタンは爆風を巻き上げて疾走し、リリオンの伸ばした腕の下を潜り込んで、男の腹部を靴底で遠くに押しのけるように蹴り飛ばした。
目標を失い手を彷徨わせるリリオンにランタンは向き直った。その顔は今にも泣き出しそうだった。
「わたし、できるから。こわくない、から」
リリオンは何度も繰り返した。ランタンと、そして自分に言い聞かせるように。
震える声で、何度も。
ランタンは空を掻くリリオンの手を取った。




