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カボチャ頭のランタン  作者: mm
11.Pray For You
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 どこからか響いた声は壮年の男の声であり、しかし幼児のように辿々しい。

「いのりのてはむすばれ、ひはちにおちる」

 その瞬間、何かが変わった。

 何をされたのかランタンは理解が追いつかない。

 伯爵を捉えていた視界が急に切り替わり、目にしているものは絨毯と己の手である。

 なぜ。

 手の不自由さを自覚し、次いで唐突と言うほかない痛みが両手を貫いた。

 攻撃衝動に染まっていた思考に混乱が生じ、それはむしろランタンを冷静にさせた。

 サラス伯爵。

 得体の知れない老人に無策で飛び掛かったのは悪手であった。迷宮の最終目標(フラグ)相手にこのような愚行はきっと行わないだろう。

 怒りが感情を支配する。

 これまで見てきたものが、これから目にするかもしれないものがランタンを駆り立てた。

 肉体から飛び出しかねない感情を内に封じ込め、ランタンは光のような速度で思考を巡らせる。

 自分は今、床に膝を突いている。そして両手を使うことが出来ない。

 なぜか。

 手の中から戦鎚は失われ、両手は掌を合わせ、祈るように指を絡め合っている。そして縫い合わせられていた。針金のような細い金属が右手を貫いて左手へ、そしてまたその逆に骨と骨の隙間を通して両手を雑巾のように縫い付けている。

 まるで肉体の一部のように、しかし一度身体を動かすとそれが異物であることを認識させられた。

 灼熱の痛みが心音に合わせてずきん、ずきんと繰り返され、縫い目から血が染み出し、額には脂汗が浮く。

 針金は千切れない。力任せに両手を開こうとすれば、肉の方が引き千切れるだろう。

 ランタンは無表情だった。

 何かをされた。

 肉体への強制的な干渉。それとも同座標への物質の創出か。

 それ以上は考えても無駄だ。

 両手に爆発を巻き起こした。針金はやはり千切れない。衝撃を受ける面積が狭すぎる。針金を通り抜けた衝撃は床に跳ね返りランタンはその勢いで身を起こす。

「しゃっ!」

 背後のシーリアが動揺する。

 ランタンは再び攻撃に移っていた。

 床を転がる戦鎚を伯爵へ蹴り出し、自身は回り込むように伯爵に肉薄する。

 何をされたのか理解をしない。

 だが今この現状が、それをされても死にはしないことを示している。

 矢のように蹴り出された戦鎚が伯爵を襲う。しかし股ぐらの少年が異様な身のこなしで身体を起こした。白い粘土を練ったようなつるりとした肉体は黒い戦鎚がより黒く見える。

 唇だけがいやに赤く、溢れた涎で胸元までがぬらぬらと濡れている。

 少年は献身的と言うほかない大胆さで戦鎚の前に身を投げ出した。

 両手を広げて伯爵を守る。戦鎚は胸骨と鎖骨を同時に破壊し、吹き飛んでもおかしくない少年の肉体は戦鎚に覆い被さって俯せに倒れた。

 なぜ。

 そいつは守る価値などまるでないのに。

 少年の肉体から何かが湧き出した。

 死肉を喰らった幾百の蛆が一斉に蝿と化したように、それは奇妙な音を立てて飛び回る。

 亡霊(レイス)、と呼んでいいものか。それは少年の魂かもしれない。容れ物が破壊され、行き場なく彷徨っている。

 向かっては来ない。

 祈るように結ばれた手の形を振りかぶれば、それは鉄鎚そのものである。

 伯爵の視界の外、ランタンは側頭に鉄鎚を振り下ろす。

 冷気。ランタンと伯爵の間に氷の壁が生成された。ランタンは構わずそれに鉄鎚を叩き付ける。

 シーリアが動いたということは、この腕を拘束した何らかの方法は一回きりのものだった可能性が高い。

 ならば押し通す。

 縫い目から血が噴き出し、たちどころに両手は赤く染まる。透明な氷は罅で真白く染まり、発生した爆発はそれを粉砕する。

「邪魔をするなっ!」

 意識的に封じていた感情が、堪えきれず暴発する。

 氷の壁の奥にまた氷の壁。二重、三重に伯爵への攻撃を阻む。

「それは無理というものだよ。この子たちは私の護衛なのだから、私に攻撃をすれば自動的にそう動くように仕込んであるんだ」

 氷の奥からうきうきとした声が聞こえてくる。青白い氷の向こうにいる伯爵が楽しげな視線を投げかけてくる。

「奴隷の首輪。あれも元々は我々が生み出したものだからね。最新版は君が知っているものよりももっと高性能だ。命令への嫌悪感の抑制や、細かい命令への対応もするんだよ。肉の内に埋め込んである。君にもいずれプレゼントしてあげようじゃあないか」

「黙れっ」

「いい声で鳴く。だが今は、口を縫い付けるべきだったかな。ゆっくりとお話も出来ない」

 ランタンは自らが保存容器の中に閉じ込められ、そして観察されているような悪寒を感じた。

「シーリア。最悪、四肢を落としてもよい。手足程度なら復元も出来る。だが出来れば原型を保持したままが望ましいな。ロザリアも手伝ってあげなさい。このままこの場を壊されては、妹が失われてしまうよ。目覚めはもうすぐなのだから」

 気配はまるでない。

 しかしそれでも初めて魔物に出会った時のような、とびきりの恐怖心がランタンに回避行動を取らせた。

 まさかベッドの下にでもひそんでいたのか。いや影の中から現れたと言われた方がまだ納得がゆく。

 それほど唐突に、いつの間にか虎人族の女騎士、ロザリアがランタンの足元に身体を沈めて存在していた。

 必中必殺の間合い。

 手が先に動き、身体が後から付いてくる。風切り音はそれよりも更に遅く、刃筋は何よりも速く。

 腰が砕けたように後ろに倒れ込むランタンの額がぱっと割れた。黒髪が幾筋も散り、右眉の上から血が流れ出して視界を奪う。

 近寄らせるべきではない。

 どうと腰を打ち付けたランタンの肉体が破裂し炎と衝撃波を撒き散らす。

 接近してきたのはロザリアだけではない。足止めにばらまかれたシーリアの氷柱がランタンに届くことなく昇華し、水蒸気による二次爆発を巻き起こす。

 背中に冷気を感じる。床を潜った魔道がランタンを絡め取ろうとした。

 ランタンは寝たまま床を蹴り、爆発の勢いを利用してそれから逃れた。空中で身を捩る。

 眩い赤光の炎は、虎の毛皮の色に似ている。衝撃波を切り裂き、炎を突っ切ってロザリアが距離を詰めた。鋸のような刀身が炎に踊った。

 紙一重に躱す。それが許されたのは命を取ることが目的ではないからだ。

 炎の中から転げだし、シーリアの魔道から身を守る。彼女の魔道は氷が主体であるが、それだけが唯一ではなかった。雷火地風のいずれも同様に高威力であった。

 躱すことを諦め、身を縮めてシーリアに接近した。身体の端々が焼け焦げ、切れ、凍り付くがそれはさしたる問題にはならない。

 それは葛藤か。シーリアに近付くと、心が透けるように思える。自我を残したまま行動を強制される不愉快さのようなものが、肌をむず痒くさせる。

 ふとランタンはシーリアに背を向けた。挟撃されている。ロザリアが獣のように近付いてくる。

 妹。ロザリアはねことの融合を待つ、あの少女の姉である。それがきっと伯爵との取引なのだろう。その願いの成就が、すぐそこにあるというのに女の目には精気がほとんどない。ただ肉体が恐るべき暴力を顕現させている。

 シーリアごと斬ろうというのか。

 手足どころか首を薙ぐような一刀をランタンは屈んでやり過ごし、独楽のように回転しながら脚を跳ね上げた。

 後ろ回し蹴りがシーリアの兜を捉える。踵が鏡面に罅を入れ、追加の爆発が華奢な女の肉体を吹き飛ばす。しかしシーリアは悲鳴すら上げず、戦士のような身のこなしで身体を起こした。

 まず鏡面の罅を氷で覆った。

 その優先順位は、伯爵の命令よりも先立つ。

 蹴った勢いで転回し、ロザリアと向かい合った。刃が視界のいずれにもない。驚くべき技術でロザリアは刃の気配を肉の内に溶け込ませていた。

 シーリアよりもいっそう深く、意識を喪失しているのだろうか。

 目線や表情から攻撃を読むことは出来ない。

 命を取るわけにはいかず、すでに腕は拘束され、ならば攻撃目標はおのずと限られる。

 足首が薙がれた。竜革戦闘靴(ブーツ)の表面を削ぎ落とし、捉えきれぬと理解した瞬間、天地を貫く雷のように跳ね上がる。

 ランタンは命を差し出すほどに無防備になった。ある一つのことだけに集中する。シーリアへの違和感や、ロザリアへの恐怖心や、伯爵への怒りさえもその時ばかりは意識の外へ放り出す。

「あ、っ」

 ついにランタンの口から苦痛の声が漏れる。

 跳ね上がった剣線が肉を削ぎながら、ランタンの掌の間を斬り上がった。

 剣線を予想し、両手を差し出したのだ。僅かにずれるだけで両手とも失いかねない大胆さだった。

 鋸刃が針金を引っ掛けて、ぶちりぶちりと一つずつ、そして一気に両断する。

 ロザリアの眼差しに一瞬の生気が滲み、顎を切り跳ばし鼻先を掠めた抜けた刃の内にランタンは潜り込む。

 胴巻き。鋼の鎧に掌打を打ち込む。その勢いで、手に埋まったままの針金が押し出される。手の甲から飛び出して、ランタンの顔や身体に跳ね返った。

 べったりと小さい手の形が鎧に張り付き、生み出したばかりの亀裂の隙間に染み込む。

 物理的な肉体を有するものならば内臓が破裂し、苦悶の内に死を待つばかりの一撃だった。

 しかし打ち込んだランタンはその空虚な感触にぞっとした。衝撃がロザリアを通り抜けて背を抜ける。

 戦闘技術云々とは違う、ような。

「ひ――ぅっ」

 ロザリアは一歩も退かずに前に出た。膝がランタンの腹部にめり込み、胃液が逆流する。

 右足に血が通っていない。それほどの冷たさを感じる。

 シーリアを蹴った踵から、脹ら脛までがいつの間にか凍り付いていた。氷が根を伸ばし、左の足までも凍り付かせる。

 爆発で逃れなければ。

 そう思っても炎の一欠片さえ出ない。亡霊がランタンに纏わり付いている。死体に集る蝿のように、魔精を啜っている。

「よくやった」

「あああ゛っ」

 全身が冷たくなる。灼熱の痛みが再び起こる。倒れたランタンの左手を、ロザリアの刃が貫いて床に縫い止める。肉ごと、神経ごと、骨ごと。

「どうだい。素晴らしいだろう。私の蒐集物(コレクション)は」

 伯爵を守っていた氷の壁は忽然と姿を消していた。

「――――っ」

 ロザリアがランタンの背中に膝を突き、発言を制限した。肺が圧迫され、呼吸をするだけで精一杯だった。

「命の輝きというのは、素晴らしいな。例えば最初に君を捕らえたのはこれの力だ」

 悪趣味な天蓋付きのベッド。その華奢な支柱に鎖が結ばれていた。伯爵はその鎖を解き、何かを手繰り寄せた。ずるずると絨毯の上を引きずるような音がする。

 鎖の先には一匹の魔物が繋がれている。

「名をクダンと言う。異界の魔物だよ。ロザリア、顔を上げてあげなさい」

 ランタンは髪を掴まれ、ぐいと顔を持ち上げられた。背骨が反り、ロザリアの膝が深く食い込む。

 髪からロザリアの体温が伝わってくる。氷漬けにされたランタンよりも、女は冷たい。

「君は知っているかもしれないね、だが目にしたことはきっとないだろう。君ほどの探索者でも、これは珍しいぞ。君ほどではないが」

 それは人面牛体の魔物だった。牛の首をそっくり人間のものと取り替えたような姿は、あの人魔融合の標本を思わせたが、これはこういう姿で生まれた魔物だった。

 半人半魔の姿をした魔物は、それほど珍しいものではない。

 高位迷宮の最終目標には人を思わせる姿の魔物がよく出現するからだ。

 クダン。

 ランタンにとってその不思議な響きはどこか懐かしさを感じさせる。

 呪符によって目隠しをされた顔は痩せた中年男のそれである。ありありと肋の浮かんだ牛の身体は痩せ犬のように見窄らしく、横倒しになってぴくりとも動かない。

 鼻から流れ、無精髭を濡らした血は黒々としており、それは魔物にあるまじき魔精に染まらぬ酸化した赤黒い血の色だ。

 死んでいる。魔精の枯渇によって。

「これは予言をする珍しい牛なんだ。一つ予言をすると死んでしまうが、その確実性は折り紙付きだよ。私が言わずとも、君は理解しているだろうがね」

 ランタンは全身に張り付く苦痛と屈辱を表情から一切消し去った。

 伯爵は好奇の視線をランタンに向ける。

 喉奥に流れ込んでくる血の混じった胃液をランタンは吐き出した。

「君が私のものとなるのは、絶対の未来なんだよ」

 予言。

 手を結ばれ膝を突いたあれが、未来の予言であるはずがなかった。クダンの言葉通りの状況に陥ったとしても、それは予言された未来がやってきたと言うことにはならない。

 現象は起こり、しかし過程が存在しない。

「まどう、だ」

 再現された状況の複雑さや、他者の肉体そのものにまで干渉する力の異常さはさておき、あれは化学的な反応を経ずに炎が巻き起こったり、氷が発生したりするのと同じことだ。

「――すばらしい」

 伯爵は低い声で言った。ひどく冷静さのある声だった。

「そうだとも、クダンの言葉が未来になる。人生でたった一度だけ、命を賭して発動出来る魔道だよ。素晴らしいと思わないかね」

「それを、僕に聞かせてど、うする」

 どういう訳か伯爵は会話を楽しもうとしている。それは好都合だった。少しでも体力の回復を図ろうと、会話混じりに呼吸を深める。

「知ってほしいのだよ。魔精の可能性を。それを知った時、君は比類無き存在になれるはずだ」

 伯爵はぶるりと震えた。

「我々は、ああそうだ、――わざわざ名を名乗るようなことは滅多になくて忘れてしまっていた。申し訳ない。我々は黒い卵(ブラックエッグ)という。知っているかな? 人々が魔道を戦いのためだけに用いた遙か昔から、我々はこれの可能性を探ってきた学者の集団だよ。魔精の可能性とはつまり人の可能性だ」

「魔精の可能性だと、死を、恐れるだけのくせに」

 にやり、と伯爵が笑う。

「おそれ、なるほど確かに探求はそこから始まったのかもしれない。我々は知識を積み重ねてきたが、暗黒時代に一部を喪失してしまったのでね。確かに今もそれをおそれるがゆえに長命の研究をするものもいるが、我々にとって死はすでに未知のものではない。体験しうる一つの状態に過ぎないのだ。怪我や病、あるいは喜びや悲しみといったような。我々が真におそれるのは知識の喪失、連続が途絶えることだよ」

 死は生命の状態の一つにして、未だに不可逆なものである。それを体験しうるとは一体どういうことだろうか。

 ランタンは己に纏わり付く亡霊を振り払おうと身を捩った。

「亡霊(レイス)などという大それた名で呼んだとしても、それは一つの寄生生物に過ぎない。陽光を嫌い、死肉を住処とし、腐敗を遅らせる。群れを成し一個体となり、一つ一つの個体は極小さく細胞の隙間から肉体への寄生を可能にする。身体の隅々にいながら意思の疎通を可能にするのは腐敗臭に紛れ込ませた匂いのやり取りと魔精による意識交換の賜だ。それは変種だがね。意思のない肉体に宿り、電気的に転写した行動様式を再現する。どうだ。なかなか啜るのが上手いだろう」

 亡霊はランタンの魔精を啜っている。

 ランタンの爆発は魔精によるものだ。体内にある魔精が体表面を覆い、それが爆発へと変化する。

「迷宮は様々な生命を創出する。だが不思議と知的な生命というものを生み出すことはなかったんだよ。これは我々にとって長年の謎でね。先のクダンにしてもそうだ。あれに言葉を憶えさせるのは大変なことだったよ。言葉の意味を理解するどころか、九官鳥よりも物覚えが悪かったからね」

 ゆえにもっと確実性のある未来を予言しなかったのだろう。

 氷漬けにされた足の感覚がなくなってきた。もぞもぞと足指を動かしていたが、今それが動いているかどうかがわからない。

「魂と呼ぶものははたして存在するのか。精神とは何か。目に見えぬものを創り出すのは困難だ。物質ありき、という考え方が今は主流でね。生命それ自体を作り出すことで、自動的に魂や精神と呼ばれるものが体内に生成される。それは我々にでさえ手を加えることができないものだ。そうやって自動的に生まれたそれは」

 でっぷりと太った指が亡霊を指差す。

「大抵は虫や獣程度の知能しか持たない。竜種でさえも、多少賢い犬程度の知能でしかないし、人の形を持っていたとしてもたかが知れている」

「だから、肉体を、弄んだのか」

「健全な肉体に健全な精神が宿ったならばどれだけいいだろうか」

 うふっ、うふっ、うふっ、と気味悪く笑った。どこか学者然とした雰囲気すらあった話し口調が、人が変わったようにうきうきとして声が少し高くなる。

「それは私の趣味によるところが大きい。肉体の形が精神にどのような影響をもたらすかをね、知りたいというのもあったが、みな揃って発狂してしまったよ。美しいと私は思うんだがね、変化に耐えられないみたいなんだ。どの段階でそうなるのかの実験もしたがね、大して面白いことにはならなくてそちらは標本化すらせず廃棄したよ」

「しねっ!」

「言われずとも、遠からずこの肉体は死を迎えるだろうね。老衰はすでに経験済みだから新鮮みはない。しかしこの箱庭も充分な知識と喜びを私にもたらしてくれた。実った果実を収穫しているところだよ」

「戦争さえもっ、お前らの実験の一つか!」

「これにかんしても私の趣味だよ。魔精は現象を発現させるだけではなく、人々の意識を同化させる。同化によって急激に理解を深め合った人々は、更に同化を強めまたそれが理解を深める。並列化だ。それには充分な魔精の濃度と激しい感情の昂ぶりが必要で、広範囲かつ大規模な戦闘はこの状況を再現するのにもってこいでね。――人は誰もが変身願望を持ち合わせているとは思わないか? 例えば探索者は超人願望を持つがゆえに迷宮で理想の姿へと近付く。ブリューズ王子は神に、もし上手くいったら是非一目見たかったのだが残念だった。そして私の箱庭の住人たちは普通の姿を得ようとしている。私の提供した戦いの中で、生と死が入り交じった魔精の渦の中で彼らはそれを得られるんじゃないかな。統治を放棄する私の最後の置き土産だよ」

「嘘だっ!」

 クレイグの話では領民たちは皆、獣の血を肉体に色濃く発現していた。普通の姿から遠ざかるように。

「ああ、嘘だよ。持てる者への妬ましさに、どのように変化をするか見物じゃあないか」

「どうして、こんなことをっ!」

 叫ばなければ、嗚咽さえ混じりそうだった。

 感情の制御がまったく覚束ない。これほどの悪意をランタンは今まで知らなかった。

「私はね、人間が好きなんだよ。ちまたでは獣姦趣味があるだの何だの言われるがね。人間が大好きなんだ。ほら、人には好みというものがあるだろう? 君にあるように、私にもそれがある。私はどうしてか、珍しい姿にどうしようもなく惹かれてしまうんだ。肉体にしろ、あるいは精神にしろ。だから知りたかったんだよ。知りたかったら集めたんだよ。それで足りなかったから生み出したんだよ」

 人には誰しも変身願望がある。

「もしこの世の過半数が普通でなくなったら、私は普通と呼ばれた人間を愛せるんじゃあないかとね」

 人には、誰しも変身願望がある。

 それは己の力で状況を変えようとする意思の表れだ。探索者は自らを強化することで困難な迷宮に挑み続け、ブリューズは己を贄に捧げ神の依り代にならんとし、だがこの老人は他者を弄ぶことに終始している。

「だがそんな私にも出会いがあったわけだよ。ごらん。久しく萎えた我が逸物の喜びを。君が人であることの証だ。そして特別な存在であることの。――迷宮より生まれた人の子。あらゆるを可能とする魔精の性質を帯びた子供よ。意思を持つ魔精、王子などよりもよほど神に近い、その可能性を私に見せておくれ。強く望めば、君の望みはすべて叶うぞ」

 もはや伯爵が何を言っているのかランタンには理解が出来ない。

 もうぐちゃぐちゃだった。感情が言葉にならない。癇癪を起こした子供のように身を捩った。

「ううっ、ああああっ!」

「まだ足らないか。そうだな。君は孤独を恐れた、ゆえにあの少女と出会った。君を愛することになる孤独な少女に。少女を孤独にするために、世界が働いたのかもしれない。安心したまえ、離ればなれにはさせないよ。つがいにしてあげようじゃないか。何しろ私たちは人と巨人の交配に成功しているぐらいだからね。その成功例の子供とつがわせることぐらいは訳ない話だよ。もし君が子をなせるなら、半凍結状態になっている魔物と人の交配実験も再稼働するかもしれないしね」

 身体が砕けそうだった。

 ランタンは闇雲に身体を動かす。ロザリアを振り落とそうとする。

「どけえっ! どうして、こんな奴にいいようにされるんだ!」

「おや、シーリアに連れられて見たんじゃなかったか? それは妹が大切だからだろう。何しろ内臓の大半をくれてやるぐらいだからね。命をくれてやるに等しい。素晴らしい姉妹愛じゃないか、ロザリア。シーリアもたった一人のお友達のためによく働いてくれたよ。自我を存分に残していた甲斐があるというものだ。思いやりというのは素晴らしいね。特段の働きを見せてくれる」

 猛烈な殺戮衝動と悲しさと、苦しみと、ランタンは自分の中で暴れる感情が複雑に入り交じり、自我を塗り潰していくのを感じた。そしてそれが加速度的に進行し、止める術がないのを。

 様々な色の感情が交じり合い、黒く染まってゆく。

 それは人間への絶望なのかもしれない。

 悪意と、それによって弄ばれる哀れな存在への。

 ランタンの魔精を啜っていた亡霊が、その靄のような身体を一回りも小さくする。

「おお、おおっ、素晴らしい。卵の殻が割れるかもしれない。ロザリア、シーリア、よくやった。もう充分だとも。立ち上がりなさい」

 ランタンの背からロザリアが立ち上がる。ランタンの手から刃が抜かれた。ランタンは一度大きく痙攣し、しかし呻き声も上げない。氷が溶け、失禁したように水溜まりが生まれる。

 しかし拘束するものがなくなり、ランタンは俯せに倒れたままだった。

「その働きには答えなければならないね。褒美をやろうじゃないか。なにきっと上手くいったさ。なにせあの子は鏡を見たこともなければ、自分の名前さえ持っていないのだろう。異形の姿とて耐えられるだろうよ」

 ぱん。

 ぱん。

 手を打ち鳴らす音が二度響く。

「ほら、感動の対面だ。喜びたまえ」

 懐かしいような、温かい匂いがする。

 絶叫が迸った。誰の。

 懐かしいような、少女の泣き声がする。

 泣き声。誰の。

 真っ黒く塗り潰されたランタンの真ん中に、染まらずにいた白い光がある。

 それは陽光を反射するように輝き、あたりの闇を払う光をもたらす存在だった。

 殻が割れるように、ランタンの肉体から炎が迸った。炎は亡霊を焼き、炎はそのままランタンを包み込んだ。

 ――泣いているあの子を、泣き止ませなければ。

 僕はそのためにいる。

 そのためだけの存在でいい。


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