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カボチャ頭のランタン  作者: mm
02.Some Day My Prince Will Come
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 何時の間にかやってきた武装職員が大声を張り上げて探索者たちを一喝すると、ランタンを取り囲んでいた探索者たちは迷宮探索で培った類まれなる身体能力とその技術を活用して、あっという間に姿を眩ました。

 本来はこんなところで探索者の勧誘をするのはマナー違反であったし、また勧誘とは関係なくとも騒ぎは大きくなりすぎていた。職員に捕まれば厳重注意だけですまないだろう。

 蜘蛛の子を散らすとでも言うようなその光景を、ランタンは強い既視感とともに眺めていた。数ヶ月前と変わらず大勢に囲まれたランタンはどうすることもできなかった。その成長のなさが、この既視感に繋がっていると思うと少し鬱屈とした気持ちになる。

 親を見失った子供のように一人ぽつんと佇むランタンに武装職員は黒い鎧を鳴らしながら近づいて、ぎしりと腕組みをしたかと思うとぐるりと辺りを睥睨(へいげい)した。まるでこびり付いた染みのように残る探索者の気配を払うかのように。

「やはり君か。最近は落ち着いていたと思ったが、……ふむ」

 そして呟くと顔をすっぽりと覆う犬頭の兜がランタンを見下ろした。兜に隠された表情を窺うことは出来ないが、くぐもる声は落ち着いた女性のものだ。それは騒ぎの中心にいた事を叱責するような声ではなく、慰めるような音色を孕んでいる。それもまた耳に懐かしさをもたらした。

 ランタンはじっとその兜を見上げていたが、その奥から瞳が見返していることに気がついて慌てて頭を下げた。

「ありがとうございます、助かりました」

「いや、いい。君が被害者だということは、こちらも理解している。気にする事はない」

 武装職員はランタンの後頭部に柔らかく触れると、災難だったな、と言って踵を返して去っていった。去りぎわに鋼の指先が擽るように旋毛に触れた。数多の不良探索者から鬼のように恐れられ、武力を持ってギルドの平和を維持する武装職員の手は優しさを感じさせる。

 ランタンは遠ざかるその背中を視線で追った。

 過熱した勧誘から武装職員に救い出されたことは、叱責を受けたこともあるが、過去にも何度かあった。掃いて捨てるほどいる探索者の顔は覚えていなかったが、あの珍しい犬頭の兜には見覚えがある。彼女に助けられるのは、これで二度目だ。

 いつか改めて礼を言おう、と考えながらランタンはその頼もしい背中から視線を外した。

 そしてぐるりと視線を巡らせてリリオンを探した。

 リリオンはまだランタンが取り囲まれているかのように距離を空けて佇んでいる。視線が合うと何か言いかけるように口を開いて、駆け寄ろうとしたものの足の裏が床に張り付いたように身体を震わせるだけだった。

「リリオン、ごめん」

 何について謝っているのかランタンは明確にできなかったが、それが口から溢れた。

 ランタンはリリオンに駆け寄ると、足らない言葉を補うかのように手を掴んだ。それは雪の塊のように冷たく、ランタンは溶かすように手の甲をさすった。

 大勢の探索者の集団を見て驚いてしまったのだろうか。ランタンが探索者の集団の中に飲み込まれていく様子は、一つの獲物に群れをなして襲いかかる肉食獣の狩りに似ていた。群れが離れたあとには骨も残らないような凄惨な狩りに。

「ランタン……」

 リリオンが言葉を発すると、乾いてくっついた唇が割れるような音を立てた。

「ランタンは……」

 撫でさすられる手をそっと引き抜くと、白く痩せた指を伸ばしてリリオンはランタンの頬に触れた。爪の先端にまだ冷たさが残っている。薄く削り出した氷のようで、その冷たさは頬に染みこみ、棘が突き刺さるように痺れを感じさせた。

「……大丈夫だった?」

 白くなめらかな頬の感触や体温を、盲人が物の形を見るような手つきで、リリオンは目の前にいるランタンの肉体がそこにあることを確かめているようだった。唇の端をなぞり、頬に触れ、耳の付け根を擽った。

 ランタンはこそばゆそうに目を細め、その手に自分の手を重ねた。

「大丈夫だよ」

 慣れたものさ、と続けることのできない自分にランタンは舌打ちをしかけた。経験ばかりが増えてもそれが身にならなければ意味がない。相手が小悪党ならばぶっ飛ばして終わりだが同業者相手ではそういうわけにもいかない。

 問題の解決を腕力に頼ってきたツケがこのざまだ。それに腕力的にも勝てそうにない相手もいる。やっかいなことだ。

 ランタンは頬を揉むリリオンの手をゆっくり剥がして誤魔化すような笑みを浮かべた。

 銀行のロビーは静謐さを取り戻しており先ほどの騒乱が嘘のように落ち着いている。不自然なほどにランタンたちを窺う視線が消えていて、むしろあえて視線を外しているような有様だった。

 見られてはいないが意識はされている。ジロジロと見られるのは好きではないが、意識的に遠巻きにされるのも気分のいいものではない。どちらがマシかといえば今のほうがマシではあるが、けして気にならないわけではない。

 銀行での用も済んだのでさっさと逃げ出そう。

「そう言えば、ちゃんとできたんだね」

「……うん」

 ランタンはそう言って、頷くリリオンの手から空の金貨袋を抜き取った。

 袋は丁寧に三つ折にされていたが、雑布のように絞った皺が寄っている。ランタンはその皺を伸ばして細い長方形に折ると、筒状に小さく丸めた。それをポーチの隙間に後ろ手に押し込んだ。

 ロビーを出て廊下を歩きながらリリオンの顔を見上げる。

「どうだった?」

「簡単だったわ!」

 行く前はあれほどグズっていたのにリリオンはそんな自分を忘れたように薄い胸を張ってみせた。預入(よにゅう)など受付台に硬貨を乗せて受付嬢にお願いしますと言えばそれで終いだと言うのに、一仕事終えたような誇らしげな表情はなんとも愛おしい。

 だがその表情が少し曇った。下唇を突き出してしょぼしょぼと眼差しを伏せる。リリオンは少しだけ迷うような素振りを見せて、おずおずと口を開いた。

「あれは、何だったの?」

「あれ?」

「ランタンが囲まれてた――」

「あれは、まぁ……勧誘だよ」

 ランタンは勿体ぶるように頷いて、できるだけつまらなそうに素っ気なく言う。

 勧誘されるということは探索者として一定の評価を得ているということだったが、ランタンはそれを誇るような気持ちにはなれなかった。

「うちの探索班(パーティ)に入りませんかって」

 ランタンは言い終えると舌打ち代わりに鼻を鳴らして、むっつりと唇を結んだ。

 集団に取り囲まれて、ランタンは揉みくちゃにされた。鍛えあげられた探索者の集団の内部は汗臭くむさ苦しかったし、人混みに紛れてランタンの二の腕や腹や尻を撫でるような不埒な輩もいたのだ。

 その手を折ってやろうと握った指を、(しご)くように撫でられたときは怖気(おぞけ)が走った。次があったら手首から先を消し炭に変えてやる。

 ランタンがその狼藉を思いだしてふんふんと怒っていると、どろりとした声でリリオンが呟いた。

「……やっぱり」

「やっぱり?」

 ランタンは怒りに歪めていた表情を少しだけ緩めて、けれど睨むような雰囲気でリリオンを見上げた。リリオンが眉間に寄ったむすりとした皺にびくりと肩を震わせたので、ランタンはどうにか怒気を飲み込んで眉間を指で擦った。

「ランタンは、――その誘いを、受ける、の?」

「は――」

 リリオンが絞りだすように呟いたぎこちない言葉に、ランタンは肚の中に納めた怒気や思考が一瞬にして白い灰となって消えてゆくのを感じだ。灰はけれども鉛のように重たく消化不良の食べ物のように臓腑に重くもたれて、ランタンは思わず足を止めた。

 リリオンが何を言っているか理解ができず、それを理解した時には怒鳴りたいような気持ちもあった。だが、それよりも脱力感が上回った。ランタンは眉間を擦っていた手をごく自然に、弧を描くように(しな)らせてリリオンの尻を引っ叩いた。

 脱力から生み出された鞭のような平手打ちは、ぱぁんと高く響いてリリオンを飛び上がらせた。信じられないというような顔をしてリリオンが尻を押さえた。

「なになに、なんで!?」

 抗議の声を上げたリリオンをランタンは一睨みして黙らせた。

「なんで、じゃないよ、――まったく」

 むぅと睨み上げるランタンの雰囲気は脱力の影響もあって軽く、怒るというよりは呆れていた。何処かの誰かの探索班に加入するというのならば、今頃ランタンの隣にいるのはリリオンではなく他の誰かだ。

「だって、だって」

 ぐずるように呟くリリオンは、ランタンの腕をとって甘えるようにそれを揺らした。一見すると媚びを感じさせるようなその仕草は、けれどひどく切迫している。それは暗闇の中でほんの小さな光を探すように目を細めているせいだろうか。

 リリオンはよくランタンの服を掴む。ランタンが少しでもリリオンから離れようとすると、外套(マント)の端であったり、服の裾であったりをはっしと掴むのだ。あるいは手を繋いだり、腕を組んだりするのも好んだ。大抵はランタンが手を引くことが多く、時折甘えるように身を寄せて隣を歩いた。

もしかしたらそれは、置いて行かれるのを恐れているのかもしれない。

 ランタンがリリオンを置いて、何処かの誰かの元へ行くのを。

 ランタンは睨み、細く潰れていた目から力を抜いて、そのまま緩めた。

「ほら、ご飯食べに行くよ」

「……うん」

 ランタンは腕を掴むリリオンの手を取るとそれを握った。だがリリオンは手を握り返してはこなかった。指が湖面に揺れる浮草のように力なく漂っているのでランタンは指を絡めて、勢いをつけるように腕を引っ張って歩き出した。

 獣のように空腹だった。朝食はまるで足りず、昼食を取るには出遅れたような時間になっている。ランタンはリリオンを引きずるようにギルドの建物を出ると、手を取ったまま向日葵のように太陽を向いて大きく背伸びをした。太陽は中天から少し傾いている。

 高級な魔導光源(ランプ)の熱のない白い光とは違う、匂いさえありそうな陽の光は暖かい。

 植物のようにそれで腹が膨れるわけではないが、気持ちは良かった。リリオンもつられるように太陽を仰ぎ見て、眩しげに目を細める。白い面差(おもざ)しを照らした陽光はリリオンの顔に薄く張り付いた影を払い、白い髪を銀に輝かせた。

「お腹すいたぁ」

 リリオンが呟いたのでランタンは笑って頷いた。

 武具工房ですっからかんになったポーチの中には今はざらざらと唸るほどの金銀銅貨が補充されている。向こう一週間分の生活費と外套や戦闘服の購入費だが、同時に腹腔で唸りをあげる獣の餌代でもある。

「通りまで出て買い食いしようか」

「うん」

 探索者ギルドの目の前を通る太い道には探索者ばかりがうぞうぞと行き交っている。

 武装職員が去り際に触れた手が悪霊を退ける祝福であったかのように、今まで不思議と探索者に絡まれることはなかったが、通り過ぎざまに向けられる舐めるような視線がその粘度を増し、祝福が残念ながら失われつつあるのを感じさせた。

 リリオンもその視線を感じていたのか、ランタンが手を引いて歩き出すと、リリオンは繋いだ手が解けるのを恐れるように大きく一歩足を踏み出して隣に並んだ。そして羽織った外套の中にランタンを引き込むように身を寄せた。

 リリオンの大股に歩調を合わせると、ランタンは逃げるような雰囲気での小走りになってしまう。

「ちょっと、速いよ」

 身体を寄せているせいで足が引っかかりそうだ。ランタンは手綱を引くようにリリオンを制したが、それでもリリオンは少し歩幅を小さくするだけだった。小走りではなくなったが早足だ。

「ランタンは」

「んっ?」

 リリオンは何気なく呟いたが、ランタンは早足のせいで少し声が上ずった。ちらりとリリオンを見上げて、呼吸を落ち着けるように咳に似た息を吐いた。

「ランタンは人気者なのね――」

「はっ、嬉しくないね」

 ランタンは鼻頭に皺を寄せて吐き捨てるように低い声で言った。

「でも……」

 リリオンが疑い混じりに視線を寄越した。だがランタンの中にある、嬉しくない、を言葉にしたら喉が腐る程の罵詈雑言となりそうだった。ランタンは下品な罵り言葉を飲み込んで、いぃと唇を真横に引き伸ばして牙を剥いた。その疑いを晴らすように。

 その表情はあまりに子供じみていて、リリオンが目を丸くして驚き、言いかけた言葉を忘れたようだった。ランタンははっと我に返って仏頂面になり、今度こそ本当に言葉を地面に吐き捨てた。

「どこかの探索班(チーム)に入る気はないよ。面倒なだけだ」

「ほんとう?」

「本当だよ。 ――それともどこかの探索班に入って欲しい?」

 しつこく聞いてくるリリオンにランタンは思わず意地悪なことを言い、どうする、と挑発的なランタンの眼差しで問いかけた。リリオンの答えなど決まっているというのに。

 リリオンは慌てて(かぶり)を振って、そして痛いほど手を握ると立ち止まった。

「やだ!」

「うん、――僕も嫌だね。今更知らない人間の勧誘に乗るなんて」

 口付ける程に顔を寄せたリリオンをさっと躱し、ランタンは再び手を引いた。顔を覗き込むリリオンの瞳に浮かぶ不安の色に、ランタンは罪悪感を覚えて目を逸らしたのだ。

 空腹は人を不安にさせ、また苛立たせる。なんでも良いから腹を満たそう。

 探索者の多い道を遡上(そじょう)して行くと次第にその比率は下がっていき、探索者の中にあるとランタンの小さい容姿は目に付いたが、目抜き通りまで出るとランタンは雑踏に紛れるただの子供のようになってしまう。もう鬱陶しい視線に晒されることもない。

 ランタンは屋台で売っている果実水(ジュース)を二つ買い、一つをリリオンに渡した。底に砂糖漬けのミントを敷き詰め、カップに水滴が浮くほどの冷たい水を注ぎ柑橘系の果物を絞ったものだ。ランタンは唇を湿らせるようにコップを傾けた。

「リリオン」

「なに?」

「これからはリリオンにも迷惑をかけると思う」

 勧誘者はランタンの事をまだ単独探索者だと思っていた。どんな心の変化があったのかは知らないがあのランタンが見知らぬ女に雇われたぞ、と。それは二人という人数が探索班を連想させるのには人数が少なすぎるということもあるだろうし、リリオンを運び屋(ポーター)として見るにはランタンがリリオンのことを大事に扱い過ぎていた。

 ゆえに勧誘者の目に映る二人の立場は雇用主(リリオン)被雇用者(ランタン)というものだったのだろう。

 ランタンに向かっていっても埒が明かないと思った勧誘者はきっとリリオンに近づく。どれほどの金を積んでランタンを雇ったのか、どのような手管を使ってランタンを籠絡したのか、あるいはもっと直接的にランタンとの仲介を望むのかもしれない。

 ランタンがそう言うとリリオンは、大丈夫よ、と短く呟いて果実水を飲んだ。

「わたし、そんなことしてない、って言うわ。ちゃんとできるよ」

「うん、――ありがとう」

 気を使われたのだ、とランタンは思った。

 ランタンは勧誘を上手くあしらうことはできない。今日のように誰かに助けられるか、それとも逃げ出すか、耳をふさいで無視するか。そういったことしか出来なかった。その過去がきっと表情に出てしまった。

 それに情報屋だって動き出すだろう。奴らはそれを望む人間が一人でもいれば、こそこそと影を這いまわるのだ。後をつけ、耳をそばだて、ゴミだって漁る。探索者のようにあからさまではないだけに、いっそうたちが悪い。

 ランタンには探られて痛む腹はないが、リリオンには巨人族の血(ウィークポイント)がある。ランタンはきつく奥歯を噛んだ。それは悪意をもって狙えば容易くリリオンを斬り裂くだろう。ランタンはその刃からリリオンを守る術を知らない。

 リリオンが、大丈夫だからね、と再び呟いた。

 ランタンは何かを言いかけ、しかし言い淀んだ。何かを言うべきだと思ったのに、何を言っていいか分からなかった。ランタンが口をつぐんでいると、リリオンが立ち止まって指を差した。

「ランタン、わたしあれが食べたいわ」

 気がつけば食べ物屋台が立ち並ぶ一角に足を踏み入れていた。そこかしこから良い香りが漂ってくる。

「――僕の分もお願い」

 指差したリリオンに(ハーフ)銀貨を握らせて、指差した屋台が何を売っているのかも確かめずに背中を押して買いに行かせた。思考がマイナス方向へずるずると引きずられるのは空腹のせいだ。気にしすぎだ、とランタンはリリオンの背中を見送った。

 その薄い背中を眺めながら、リリオンを傍らに置いて自らが得たものはなんだろう、とふと思った。

 例えば手を繋いだ時の体温。自分のものではない体温は、たまに鬱陶しいが、思いのほか悪くはない。迷宮の奥底で眠る時の、なんとも落ち着かない不思議な気持ちを思い出した。

 例えばどうしようかとリリオンを見上げる視線。一人で好き勝手に過ごしてきた日々には無縁だったものだ。まだ自己主張の少ないリリオンだが、だからこそランタンは彼女を(おもんばか)ってしまう。自分のためではない選択というものに、不便さや煩わしさを感じることは確かにある。

 まだ一週間ほどしか経っていない。だと言うのに生活は随分と様変わりしてしまった。だがそれをいい拾い物をしたと喜ぶことも、まるで悪夢のようだと嘆くこともしたくはなかった。まだ戸惑っているのだ、自分は。

 ランタンの唇が歪んだ。

 つまり戸惑いを得た、のか。

 歪みは糸を解くように緩み、ランタンは小さく笑った。妙な答えだ。自分は確かに戸惑っている。

「おまたせっ、――どうしたの?」

「お使いできてえらいね、って思ってたんだよ」

「……わたし、それぐらいできるよ!」

 リリオンが買ってきた料理は、鳥肉を骨ごと、内臓ごとぶつ切りにして油で素揚げにした物だ。塩胡椒で味付けしてあり、レモンを絞ってある。油紙の器にどんと一羽分が山盛りにされて、脂に濡れたフライドエッグが脇に転がされて、木串が二本突き刺さっている。

 卵はリリオンに譲り、ランタンは肉をもりもり食べた。皮はパリっとしていて噛み締めると脂があふれた。肉は弾力があり肉汁があふれる、だが内臓は少し苦い。下処理の甘さを大量の胡椒で誤魔化している。ランタンは口の中で骨から肉をはずし、骨をぺっと地面に吐いた。

「ちょっと辛いね」

 胡椒辛さで舌がぴりぴりと痺れた。リリオンが脂で濡れた唇を舐めて頷いたので、ランタンは目に付いた屋台でヌードルを買った。木の器には米から練った細い麺が野菜で出汁をとった黄金色のスープに浸っている。屋台では使い捨ての油紙の器が普及していたが、さすがに汁物をそれによそうわけにはいかなかった。

 ランタンはリリオンに果実水を預けると、舌を濯ぐように麺をちゅるちゅると啜って、こくこくとスープを飲んだ。スープは癖がなくてさっぱりしていて、もちっとした甘い麺によく絡んだ。

「ぷはぁ」

 ランタンは満足気に息を漏らし、名残惜しむようにもう一度スープを飲んだ。

「わたしも、わたしも!」

 リリオンは空になった油紙の器を握りつぶして捨てて、ランタンの腕を引いた。ランタンがヌードルの器を差し出すと、リリオンは受け取ることはせずにそのまま少し屈んで器に口をつけてスープを啜った。ランタンは、しかたないなぁ、とフォークに麺を巻きつけて食べさせてやった。

 ランタンはヌードルをその場で食べ終えると屋台の脇に置いてある水の張った桶に器を沈めた。屋台の親父がそれを見て、ちらりとランタンの姿を捉えると、すぐに視線を外した。

 返還される器は銅貨と交換されるが、それは貧しい子供たちがポイ捨てされた器を集めた時だけだ。ここでランタンが銅貨を要求するのはマナー違反だし、そもそも器一つ程度では四半銅貨にもなりはしない。貧者のことを思えば、目の前にゴミ箱があったとしても脇に投げ捨てた方が良いのかもしれない。

「つぎはなに食べる?」

「歩きながら食べれるものにしよう」

 せっかく目抜き通りに来たのだから、ついでに服も見たい。ランタンは果実水を一気に呷ると、空のカップを道の脇に飾るように捨てた。

 少し歩くと空になった手はいつの間にか埋まっている。ランタンはバゲットを齧り、リリオンは串焼き肉に食らいついていた。バゲットには新鮮な野菜が敷かれその上に炒り卵を伸ばしステーキのように分厚いベーコンがでんと乗っかっていて、串焼き肉は若い羊の肉を厚く切ったものだ。

「前もそれ食べてたよね」

「うん、これすごく美味しい」

 リリオンはニコニコと笑い脂の滴る肉を噛みちぎった。まだ芯に赤みの残る焼き方はランタンの好みではなかったが、少し悔しくなるぐらい美味しそうだ。ランタンは負け惜しみのように大口を開けてバゲットに食らいついた。

 食品屋台の多く並ぶ通りから少し離れると、通りは雑多な商店街のような雰囲気を醸しだした。お土産物から、生活必需品、それに武器や防具、魔道の品さえも売っている。

 ずらりと外套(マント)を吊るした店先にランタンが足を止めると、リリオンが手を引っ張って店の中に連れ込んだ。新品の布と、染料の匂いが満ちている。

「リリオン、汚さないでよ」

 脂に濡れた手で商品を触ろうとしたリリオンをランタンは(たしな)めた。

 リリオンが見ているのは安物の外套で、ランタンの収入からしてみれば雑巾代わりにしても問題ない程度の値段でしかなかったが要らないものに金を払いたくはない。

 ランタンが残りのバゲットを口の中に放り込むのを見て、リリオンも同じように羊の肉を口の中に収めた。肉はまだ随分と残っていたのでリリオンはほっぺたを丸く膨らませ、顎を軋ませながらそれを咀嚼(そしゃく)している。そしてもごもごと言いながらランタンに手を差し出した。

「まったく……」

 ランタンは呆れながらもポーチから端布を引きぬいて汚れた指先を清め、ついでに脂でてらつく唇も拭いてやった。

「よし、綺麗になった」

 ランタンが満足げに頷くと、リリオンは石を飲み込むようにごくりと喉を震わせて肉を飲み込んだ。ランタンの指の跡を追うように舌なめずりすると、その場でちょこんとしゃがみこんでランタンの足元から何かを拾った。

「これ落ちたよ」

「僕の?」

「うん、ポーチから」

 リリオンが拾い上げたのは折りたたんだがメモ書きのようなものだった。開いて中に目を通すがランタンには読めない。どうにか日付や時間が書いてあるということだけは理解できたので、ランタンは嘆息するとビリビリに破いてそれを捨てた。

「なんだったの?」

「ラブレターだね」

 ランタンは嘲るように唇を歪めて肩を竦めた。文章の内容を正確には読み取れないが、おそらく勧誘者の一人があの騒乱に紛れてポーチに押し込んだ誘いの手紙だ。

「……破っていいの?」

「いいの」

「なら、いいけど」

 リリオンはホッとしたようにポツリと呟くと、仕切り直すように先ほど目をつけていた外套をあらためて手に取るとランタンの胸元に合わせた。

「これはどう?」

「安物のカーテンって感じ」

 生地が薄いくせに、肌触りがぼてっとしている。首に巻きつけたらざらざらとして痒くなってしまいそうだった。

「むー、じゃあこれは?」

 ランタンの装備の選ぶ基準は防御力ではなく着心地の良さだ。ランタンは背嚢から頭巾(フード)が切られた外套を取り出した。嵐熊(ストームベア)の爪を包むための風呂敷代わりにしてしまったので、探索者ギルドで換金しそこねたのだ。使用されている生地自体はいいので下取りに出してもいいし、頭巾をくっつけられるのならば仕立て直してもいい。

「とりあえず最低限、これと同等のものがほしい」

 リリオンは懐かしむようにランタンが広げた外套を撫で回した。犬が臭いを嗅いで獲物を追いかけるように、リリオンはその肌触りを手に馴染ませると店の奥へとランタンを引っ張っていった。商品を探すのは店員に聞くのが速いのだろうが、リリオンは商品を探すのを楽しんでいるようだった。

 まるで旅先でのお土産を探すように。

 家に帰るまでが探索か、とランタンは小さく呟いた。

 まだもう少し、探索は終わりそうになかった。


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