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カボチャ頭のランタン  作者: mm
10.The Under Dark
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 まるでこの世の終わりかというようなランタンとは対照的に、当のリリオンはけろりとしている。

 状況を飲み込めていないのか、と思うがそういうわけでもないようだった。

 自分の素性が世に広まることよりも、ただ動揺するランタンを(なだ)めることが重要だというように、怯えや混乱を表情に表さなかった。

 それは少女の幸せの一欠片である。

 体温を分け与えることは喜びだった。

「もう、だいじょうぶ?」

 うっとりしてしまうような優しい声だった。

「うん」

「ほんとうに? もっといいのよ。ずっとここにいて」

「大丈夫」

 このままでは溺れてしまいそうだ。ランタンは名残惜しくリリオンから身を離した。

 頬に触れていた少女の肌は汗ばんでいる。離れる時に薄皮を剥がすようなくすぐったい痛みがあった。

 ランタンは肩で頬の汗を拭う。肌と肌を触れ合わせていると、動いてもいないのに汗を掻いてしまう。

 幼い匂いが、むしろ母性的な感じがする。甘い乳のような匂いがリリオンから香った。

 小さく鋭い顎の先、綺麗に浮いた鎖骨となめらかな胸元。影の落ちない膨らみの谷間には少年のものか、少女のものか、きらきらとした汗が浮かんでいる。

 はだけた寝衣の前を合わせるリリオンから、ランタンは恥ずかしげに視線を逸らした。

 横目に見るリリオンは赤子に乳を与え終わった後の母親のようだと思う。ならば自分は赤子のように見えているだろうか。

 身体を起こしたランタンはひれ伏したい気持ちになる。母性を通り過ぎてリリオンに神聖さすら感じていた。

「ランタン」

 きちんと合わせて、それでもちょっとだけ緩い前の合わせをランタンは整えてやる。

「いつか、そういう日が来るって知っていたのよ、わたし」

 リリオンは微笑んだ。

 ランタンも知っていた。だと言うのにこの差はどういうことだろうか。リリオンはずいぶんとしっかりしている。腹が据わっていた。

 ランタンは悲観的なことばかりが思い浮かんで憂鬱になる。人間の醜さをよく知っていた。その容赦の無さを。

 それは自分自身にも当てはまる。探索者ランタンは、敵に対して容赦をすることはない。叩いて、叩いて、二度と起き上がれなくなるように徹底的に叩く。

 だから探索者ギルド内での発言力を高めるように、ここ最近はそれなりに腐心してきたつもりだった。

 だがその時が実際に訪れるとなると、自分のしてきたことがまったく足りていないように思える。

 リリオンも醜さを知っているだろう。その恐ろしさを。

「幸せな日はいつか終わるの。それはしかたのないことなのよ」

 悟ったような言葉を無垢な瞳のまま呟く。

 少女の淡褐色の瞳には幼さと大人っぽさが同居している。その大人っぽさは本来リリオンが持たなくてもいいものだった。だがリリオンのこれまでが、ただ幼いだけであることを許さなかったのだ。

 リリオンはそれを積極的に口に出すことはなかったが、ずっと自身に流れる巨人族の血のことについて考えてきたのだ。いや、考えざるを得なかったのだろう。

 ランタンがリリオンと出会ってから寝ても覚めてもそれについて思いを巡らせたとしても、まったく足りないほどの時間をリリオンはその血と付き合いながら生きてきたのだから。

 しかもそれは自己完結することのできない問題だ。自分自身がそれを問題にしなくても、他人が問題にしてしまう。それでいて失うこともない。影のように。

「でも辛い日も、いつか終わりは来るのよ。終わらせるためには始めないといけないのよ」

 リリオンはごろんと寝返りを打って仰向けになると、天井を指差した。天井を突き抜けて、空に向かってぴんと人差し指を立てる。

「だからわたしは旅に出たのよ」

 格好をつけた声だった。ふふん、と自慢げに鼻で笑う。

「――復讐の旅にね」

 ランタンが皮肉を言うと、リリオンは嬉しそうに声を上げた。

「そうよ。探索者になって、強くなって、みんなみんな、やっつけてやろうと思ったのよ」

「もう充分強くなったから、嫌いな人間を皆殺しにでもする?」

「ランタン」

 うんと腕を伸ばすと、寝転がっていてもリリオンの指はランタンの顔に触れる。ちょんと鼻先を突き、頬を撫で、足を振って身体を跳ね起こすと、その勢いで顔を近付ける。

 唇を重ねる。

 二度、三度と小鳥のように(ついば)む。

「おはようのちゅー」

 悪戯が成功したみたいに目も口も糸みたいに細くして笑う。

「また、こんな幸せな日がわたしにおとずれるなんて、ちっとも思わなかったのよ。ランタンと出会ってからずっと幸せ。――だってわたし、恋をしたの。素敵な男の子に」

 リリオンの白い頬が薔薇色に染まる。

「へえ」

 ランタンは誰かに言わされたみたいに呟き、リリオンを直視できずに視線を逸らす。

「へえ、じゃないわよ。もうっ、もおっ」

「だって、なんの話かわかんないよ。急に恥ずかしいこと言い出したりして。なんの話なのさ」

「……?」

 リリオンの視線があらぬ方を向き、少し遅れて首を傾げ、止めとばかりにこめかみに指を当てる。

「あれえ? なんの話だったかしら。わたしがランタンを大好きって言うお話だったっけ?」

「それでもいいけどさ。はじまりは――」

「あ、――そう、それ! はじまりの話をしていたのよ」

「恋の始まり?」

「だめ、むしかえさないで。わからなくなっちゃうから!」

 リリオンはランタンに飛び掛かって掌で口を塞ぐ。あるいはただそうしたかっただけなのかもしれない。リリオンはランタンを押し倒して、二人は再びベッドに寝転がる。

 抱きつかれたランタンは舞い上がった埃が、差し込む光をきらきら反射させるのに目を細めた。

「夢みたいだけど、夢じゃないの。あったかくて、いい匂い。夢にも思わなかったのよ。こんな風になるなんて、旅に出た時には。だってふくしゅうの旅だったのに」

「――いいきっかけだって言うの?」

「いいかどうかは、その時までわからないわ。でも自分からは言えないことよ。いつか知られてしまうって、わかっていても。やっぱり、それはこわいもの」

 例えばブリューズを暗殺し、その事を知っている人間のすべてを排除したとしても、いつかリリオンに巨人族の血が流れているということは知られてしまうだろう。

 身体を重ねると、少女の骨の感触がはっきりと感じられる。一時期はすっかり女らしい丸みに包まれた肉体だが、リリオンに流れる巨人族の血は、少女の身体を引き千切るみたいに成長させる。

 体重は増えても、身長比では今日より明日が痩せている。

「それに、あのね、やっぱり変なのよ。そういうことを自分で言うのは。考えると、なんだかまぬけなんだもの」

「まぬけって、そんな――……」

 想像する。リリオンが人通りの多い通りで、演説でもするように自分が何者であるかを宣伝するところを。

 箱馬に乗って、背中に旗竿を背負って、手を振っている。その周りで自分や、レティシアや、リリララやベリレがびらを配ったり、花びらを撒いたりする。ちんどん屋みたいに。

 行き交う人の目は冷ややかだ、憎しみや嫌悪の視線ではない、なに言ってるんだこいつ、と頭のおかしい人間を見る目だ。

「ね」

「……――哀れだ」

 自分も含めて。

「あわれだなんて、それはちょっと言い過ぎよ。わたしは傷つきました。なぐさめて」

「めんどうくせえな」

 そう言いながらもリリオンの頭を撫でてやる。

「もっとちゃんと、いい子いい子して」

「はいはい」

 大型の獣をあやすみたいにがしがしと乱暴に撫でると、リリオンは声を上げて笑い、お返しとばかりにランタンの身体を撫で回した。くすぐったり、ひっかいたりもしている。

 幼い獣がじゃれ合っているみたいだった。

 どたばたともみ合っていると、リリオンの銀の髪がランタンの首に絡まった。

「あ、ちょっと待って」

 ランタンが休戦を申し出るが、攻め込んでいるリリオンはそれを無視した。髪を捻って縄状にすると。首輪のようにランタンの首にかけてしまう。そしてちょっと強引にランタンを引き寄せる。

「つまかえた」

「つかまりました。降参」

 ランタンが手をあげて無抵抗を示す。リリオンはそれでも髪を解かない。

「んー、んふふ。汗、かいてるね」

「リリオンだって。マフラー巻いてるみたいなもんだよ、これ。女の子って暑くないの?」

「暑いけど、ランタンが切っちゃダメって言ったんでしょ」

「だって綺麗なんだもん。でも切りたいなら切ってもいいよ」

「涼しいより、ランタンがほめてくれる方がいいからもうちょっと切らない」

 どうしてかリリオンは頬を膨らませる。ランタンは首に回された銀の髪を撫でた。

 自分以外の男だってこの髪を綺麗だと思うだろうし、女ならば羨むだろう。

 きっと切るのが惜しいと思うだろう。

 悲観的な考えばかりの中に、僅かに楽観的な考えが混じる。

「ランタンの匂い」

 リリオンが蜜に誘われるみたいに顔を近付ける。

 唇に甘い息がかかる。啄むだけでは済まないだろう。吐息だけでそれがわかる。

 甘く、熱っぽい。

 ランタンが差し出すように顎を持ち上げた時、扉がノックされた。二人して固まる。

 視線だけで扉の方を向くと、返事を待たず扉は開かれた。

「入るぞ」

 レティシアだった。心配そうに、遠慮がちに入ってくる。

 だが、そういう一個の生き物のようにくっついている二人に、レティシアの眼差しは何とも言えないものとなり、呟いた言葉は無感情だった。

「……心配をして損をしたな」

 後ろ手に扉を閉め、溜め息を吐く。

「死にそうな顔でふらふらと出ていったから、どうしているかと思ったら。なんだ元気そうじゃないか」

 ランタンは物凄く気まずい気分になったが、平静を装う。

 リリオンに捕らえられたままでは少しも格好はつかないが、死にそうな顔を見られたのだから、そもそもつけるべき格好のよさなどないのかもしれない。

 ランタンは開き直る。

「この子といるとどうしてもね」

 口付けこそしなかったが、むぎゅっとリリオンと頬を合わせる。

 唇同士は近付いたが、さすがのリリオンもその先のことをする気を失ったのか、頬をすりすりと擦りあわせるだけに止めた。

 思い出したように首に巻いた髪を解く。毛先を握っていた手を離すと、捻った髪はするりと解ける。

「私に遠慮などせず、元気になったところをよく、よおく見せてごらん」

「――悪趣味だよ。ごめん。心配かけて」

「なに、元気な姿を見たいと思うのは当然だろう。それに勉強熱心だと言ってほしいな。見送るしかなかった私に、どうか君を元気にさせる方法を教えてくれないだろうか」

 ただからかっているだけか、それともレティシアはもしかしたら嫉妬しているのかもしれなかった。

 身体を投げ出すみたいにベッドに腰掛ける。

 抱きかかえられていたランタンは取り敢えずリリオンから離れて呟く。

「男って単純なんだよ。かなしいことに」

「ほう、事実ならば喜ばしい情報だな。どう思う? リリオン」

「んー、ランタンしか知らないけど、ランタンは複雑だと思う」

「だよな」

「僕のこと、女の子だとでも思ってるの?」

「思ってないわ。だってわたしにこれないもん。しっぽ」

「……私にもないな」

 リリオンが蛇のように手を伸ばし、ランタンのズボンをずり下げた。

 辱めを受けたランタンはリリオンの手を遠慮なしに叩き、ベッドの端に飛んで逃げる。

 大慌てで股下が食い込むほどズボンを上げて、ついでに上着の裾までしまいこみ、がるるるる、と獣のように唸った。

「リリオン! それにレティも! ごめんって言ってるのに!」

「なるほど、こうすれば元気になるのか。勉強になるな」

「間違った知識だよ!」

 ランタンが元気いっぱいに怒鳴り散らすと、レティシアはようやく表情を崩してリリオンと笑いあった。

 ひとしきり笑い終えると、ふと表情を引き締める。

「さて、それでリリオン、話は聞いたか?」

「うん」

「どうするか決めたのか?」

 レティシアが問い掛けると、リリオンは少し困ったように首を傾げてはにかむ。

「悪い。難しいことだからな、そんな簡単に決められることじゃ――」

「ううん。ちがうの。どうもしない、をするの」

「どうもしない?」

「うん、どうにもならないことだもの。なるようになるのよ」

 レティシアは面食らったように何度か瞬きをする。

「それは、ちょっとすごいな。なにもしないか。思いもよらなかった。なるほど、そういうこともあるか」

 波打つ赤毛を指に巻き、ぽりぽりと頭を掻いた。

「知った者たちの反応が読めないから、なんなら状況が落ち着くまでネイリング領(うち)で過ごしてくれても構わないが」

「レティの所で? うーん、それはいや」

「余計な世話だったな」

「あっ、ちがうのよ。レティのお家がいやなわけじゃないの。でもティルナバンからはなれるのは、なんだか、それは――」

 女の子ってすごいな、と思う。

 人のことを辱めておいて、急に真面目話をし出した。探索者の中でも切り替えの早い方なのだが、それでもランタンは話に口を挟むことができなかった。

 ――見られたのは別に初めてのことではない。

 ランタンはどうにか気持ちを落ち着かせると、言葉を探すリリオンの心を代弁する。

「――逃げるみたいで嫌なんだろ」

「うん。たぶん、そう」

 リリオンが頷くと、レティシアも納得したように頷く。

「ランタンに毒されているな」

「好ましい影響だとは言わないけどさ。毒って」

「だって、逃げないランタンは格好いいんだもの」

「そりゃどうも。リリオンも格好いいよ」

「ありがとう。でもランタンにはかなわないわ」

「そんなことないよ。リリオンだって」

 二人のやり取りに、レティシアはどうしようもなく頬が緩んでしまう。

「否定しないのが二人のいいところだな。二人とも格好いいよ。うん、周囲が変わったからといって、自分も変わらなければならない道理はないよな」

「――レティも格好いいよ」

「うんうん、格好いい。格好いいわ」

 ランタンとリリオンが二人して褒め囃すと、レティシアは驚いた顔をした。

「おい、なんだ。やめろ」

「格好いいね。それに美人だし」

「うん、美人ね。おっぱいも大きいし」

「ね、それなのにお腹は引き締まってるしね」

「すごいわ」

「すごい、すごい」

 二人は狩りの練習をする幼獣のようにのそのそとレティシアに近づく。

「や、やめ、ああ、あ――」

 二人はレティシアに飛び掛かって、ベッドの上に引き倒した。

 がぶり、とレティシアの首筋を甘噛みする。

「レティは格好いいね」

「美人でおっぱい大きいね」

「――――だろう」

 毒牙にかけられたレティシアはそう言って、二人をはね除けて立ち上がった。

 短く鋭い溜め息を吐き出す。

「あーもう、恥ずかしい真似をさせるんじゃない。まったく。これで満足か。もうしないからな」

 けたけた笑う二人を見下ろし、もう一度溜め息を吐く。子供の遊びに付き合って疲弊した大人の溜め息だ。

「あまり元気なのも考えものだな」


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