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カボチャ頭のランタン  作者: mm
10.The Under Dark
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 リリオンが重ねた手を伝ってランタンの背中に回り込み、後ろから抱きつく。それは寒い冬の日に火鉢を抱え込むのに似ている。

 ランタンはリリオンを背中にくっつけたまま、臭い物に蓋をすると言うように塔の蓋を再び閉めた。

「蓋を再び閉める」

「――ぷっ」

「……?」

 ランタンが呟いた冗談に、ルーが思わず噴き出して顔を背けた。肩を震わせたかと思ったら、急に何度も深呼吸を繰り返した。しかし呼吸が震えている。

 何が何だかわからないリリオンが怪訝な顔をした。動揺した気配が背中越しに伝わってくる。

「どうしたの? 大丈夫?」

「さあ、亡霊に取り憑かれちゃったんじゃない? 除霊しないと」

 ランタンがそう(うそぶ)くと、ルーは思い出し笑いを押さえつけるように口角をひくつかせながらランタンを睨み付ける。

「こんな状況でランタンさまったら、変なことをおっしゃらないでくださいませ。びっくりして、笑ってしまったじゃありませんか」

「こんな状況じゃなかったら言ってないです。後悔してます」

「ねえ、なになに? なんのこと? 仲間外れにしないで」

 リリオンが身体を揺らした。

「えっと、つまり蓋を再びっていう、だから蓋のふたと、再びのふたが――」

 くだらない冗談を言ってしまった後悔に苛まれながらも未だ抜けきらない混乱が、そのくだらない冗談をリリオンに理解させるという作業を経て完全に取り除かれた。

 これほど虚しいこともそうはあるまい。ランタンはうんざりして溜め息を漏らす。

 ランタンはすっかりと冷静さを取り戻した。

「へー、なるほど、ランタンは面白いことを言ったのね」

 追い打ちだった。ランタンは心底嫌な顔をする。

「やめて。――取り敢えず腹ごしらえしながら、まとめましょう。まとまらない気がするけど」

 ランタンはリリオンを背負い投げると背嚢(はいのう)を下ろし、受け身をとったリリオンは腰のポーチを背中から腹側へとぐるりと回した。

 リリオンもすっかりと混乱から回復していた。

 もっとも貧民街のど真ん中、しかも謎の塔の屋上で急に食事を摂るなどという行為は傍目から見れば混乱の極みにあるようだったが。

 ルーが外套の下から携行食糧を取り出す。それはランタンとリリオンが取り出した大量のサンドイッチと比べるとひどく質素だった。

 銀紙を剥きながらリリオンが言う。

「みんなでわけっこしましょ」

 ルーは慌てて首を振った。見比べるまでもなかった。

「そんな、悪いですわ」

「一人だけ違うもん食べられる方が気を使いますよ。多めに持ってきましたし、ルーさんの魔道がないとちょっとどうにもならないので、むしろ食べたくなくても食べてください」

 ルーの携行食糧は探索者ギルドの売店で販売されている悪名高いプレーンビスケットだった。

 プレーンビスケットは木の実や乾燥果物が練り込んであったり、チョコレートで覆われていたりと様々な種類が販売されている携行食の基本形でありながら、最も栄養価が高い。

 これと水さえ摂取していれば、どれほど困難な迷宮探索であっても万全の体調でいられると言われている。

 そしてそれは概ね真実であった。

 このビスケットのみを食べ続けることを我慢することができればであるが。

「なつかしいなあ、おらっ!」

 ランタンはサンドイッチと引き替えに貰ったビスケットを気合いを入れて半分に割った。

 水分が完全に抜けていて、石のような硬さになっている。

 かつてこのビスケットを寸鉄のごとく使用して人を殺め、これを食べることで証拠隠滅を計った暗殺者がいたという。

「わたしはじめて」

「あら、そうなのですか?」

「この子、最初から僕と同じごはん食べてるから」

 ルーが口に手を当てて、あらあ、と呟く。

「それはなんともお羨ましいことで」

 リリオンは子犬のようにビスケットの匂いを嗅いでいる。匂いは決して悪いわけではない。何とも素朴な、干し草のような匂いだ。

 リリオンがそれを一口で食べようとするのを、ランタンは制した。

「あっ、まだ食べちゃだめ」

「どうして?」

「作法がある。まず水を一口飲んで水分補給。それから半分か、三分の一か、素人なら四分の一を食べる。歯を折らないように気をつけながら。で、必要に応じて水を含む」

 見本を見せるようにランタンはごりごりとビスケットを噛み砕いた。石を食べているみたいだ。

 口の中の水分が一瞬で失われて窒息しそうになる。件の暗殺者は結局これを飲み込むことができずに捕らえられた。

 目を白黒させて慌てて水筒に吸い付くリリオンを横目に、ランタンは冷静に水分補給をする。口内でビスケットと水を混ぜ合わせると、口いっぱいにビスケットの風味が広がった。

「ああ、まずい。なつかしい、まずい」

 干し草味ならばまだよかった。こうなったビスケットは水に濡らしてふやかした紙や、色の薄い泥を食べているようだ。

 どろどろして、もそもそして、ざらざらして淡泊な味がする。

 いや、探索者はこの味をこのように表現する。

 惨めな味。

 これに頼らなければならなかった新米探索者時代を思い出すからだ。

「うーん、うう」

「もっといる?」

「――うー、もういらない」

 どんなものでもおいしく食べるリリオンが、哲学的とも言える不可解な表情のままひたすら顎を動かしている。まだ最初の一口が口内から失せないのだ。飲み込もうと思っても、飲み込めるものではない。

 惨めさを味わい尽くすようにしっかりと噛み砕かなければ喉を通らない。

 しかしこれも探索食として完成している点の一つだ。

 よく噛むことで早く満腹になるし、それに加えて顎が疲れ、惨めな気持ちになることで無駄な食料の消費を抑えられる。

 ただ一つの欠点は、探索者のやる気を根こそぎ奪っていくことだろう。

「なんでこんなの持ってきたんですか」

「たまに食べたくなりませんか?」

 ばりぼりとビスケットを囓るルーを、修行僧でも見るようにランタンは見つめる。

「……そう言う話は聞きますけど、ただの噂だと思ってた。僕はもう二度と食べることがなくても困りません。ほら、リリオン」

 残ったビスケットを口に運ぼうか躊躇っているリリオンから、ランタンはそれを受け取って口に運んだ。

 無心で顎を動かす。

「うん。まずい」

 包装を剥いた分のビスケットを食べ尽くすと、三人は口直しにサンドイッチを頬張り始めた。

 ランタンはサンドイッチを包んでいた銀紙を丁寧に広げて伸ばす。

「また魔道式?」

「いや、地図。ここの」

 ランタンは爪を押しつけて貧民街の地図を描いていく。

 貧民街の外枠を描き、線を引いて二分する。上街側、つまり貧民街北部と、今ランタンたちがいる貧民街南部に。

「入ってきたのはここら辺かな」

 銀紙に穴を開けた。

 そしてまた別の銀紙を折って三角柱を造り、それを南部の真ん中辺りに乗せた。

「こっからこっちが僕らが知ってる貧民街。不潔で、混沌としていて、暴力的で、解体中の。僕らはここから入ってきて、途中はよくわからないけど、この辺りをこの塔と仮定する」

 山鳥のハムサンドを口に詰め込み、ランタンはそのまま続ける。

 揚げパンに肉厚のハムが挟んである。ビスケットで疲れた顎にはなかなかの噛み応えだが、段違いの味だった。

「まず最初の認識として、南部は、こっち側の、発展系だと、思ってた。けど、どうしてか、人がいなかった。んぐ」

「はい、お水」

「――ありがと」

「お口にパン屑がついておりますわ」

「どうも。――で、だけど外周部には人が住んでいた形跡があった」

「ありましたわね」

「でも内部に進むにつれて、人が住んでいた気配とか、それどころかそもそも人が住める部屋自体がなくなった。ただ通路が無数に枝分かれしているだけで」

「迷路みたいだった」

「うん。まあ壁をぶっ壊して進んだから、僕らにはあまり関係のないものだったけど。なぜ外側には部屋があって、内側にはなかったか」

「はい」

「はい、リリオン」

「中には怖い犬がいっぱいいるし、不定型生物(どろどろ)が出てくるし、食べ物もないし、迷子になっちゃうから」

「よろしいですか?」

「はい、ルーさん」

「――そもそも人が住むことを想定していないから、でしょうか」

「僕もルーさんの意見に賛成」

「わたしの意見は?」

「悪くはないよ。貧民街って色んな人間がいて、自分勝手にしてるから混沌としてるでしょ。でもこっち側は統一感がある。街のあり方に目的を感じる。人目に付くところをいかにも貧民街らしくするのは、貧民街に変わりはないから注目するなよって、変わりなく危ないから入ってくるなよって宣伝の意味もあるんじゃないかな。あの迷路はそれでも入ってきた奴をこの場所に辿り着かせないために作られてる――」

「ここを隠すためですか」

「――……んじゃないかなあ、と思う。今までの状況を整頓して、それらしい理由をつけると」

 断定するようだったランタンは一転して弱気になり、サンドイッチのパンをめくって中のハムだけを口に運んだ。残った野菜サンドをリリオンとルーが文句も言わずに半分こにする。

「そうやって変わらない日常を見せるための、外周部の住人はどこへ行き、なぜ姿を消したのか」

「この下で暮らしているんじゃないの?」

 リリオンが言った。サンドイッチに挟まれたきゅうりがぱりぱり音を立てる。

「かもしれない。じゃあ、何のために? 人がいないって事がわかれば、興味を持つ人間が出てくるよ」

「きっと亡霊(おばけ)が出たから、怖くなってびっくりして逃げ込んだのよ。それでみんなここで幸せに暮らしているの。めでたし、めでたし」

「だったらいいけどね」

 それはリリオンの願望だった。

 こういう不可思議な状況に出会った時、ランタンとリリオンは常に想像する最悪よりも碌でもない光景を見てきた。

 ならばせめてこの塔の内部で営まれる生活が、好ましいものであると願わずにはいられないのだった。

「この塔は、かつての軍施設の名残なのかもしれませんわね」

 ルーが床を叩いた。硬質な音色が反射する。

「貧民街の成り立ちを考えれば、リリオンさまの考えもあながち否定はできないかもしれませんわよ」

 貧民街は浮浪者たちが雨風を凌ぐため、放棄された軍施設に住み着き始めたことから発展した集落だ。

 ならばリリオンの言うとおり、雨風よりも酷いものから逃げるためにこの塔に安らぎを求めたという可能性もまったくないとは言い切れない。

 塔の中にある街。それは現実の光景だ。

 そしてそこで営まれていた生活は、遥か眼下にありながらも一瞥するだけで活気に満ちていることがわかった。

 貧民街らしい暴力の活気ではない。街の規模は塔内に納まる程度だが、しかしそれでも上街の目抜き通りを思わせるような明るい活気だった。

 危険から切り離されたような。

 楽園じみた。

「軍施設だとしたら、その施設を使って何かの研究をしているって可能性の方が高いように思うけど」

 しかしランタンは貧民街そのものの危険から断絶しているのではなく、やはり貧民街を隠れ蓑にして外の世界から断絶している空間なのではないかと思う。

「ランタンさまのお考えでは、誰かがこの塔での研究を邪魔されないために、貧民街の三分の一から半分を、かなりの長期間に渡って危険な場所であると偽装し、そしてそれを今日まで秘匿し続けた、と言うことでよろしいでしょうか」

 自分の考えでも他人の口から聞くと、それはずいぶんと大がかりで壮大な計画のように思えた。

 それほどの労力を掛ける価値があることを、果たしてこの塔の中で行われているのかとランタンは自分の考えに自信がなくなってきた。

 しかしその自信のすべてを失わないだけのものを、これまで見てきた。

 例えば王都の地下下水道。国家の中枢と目と鼻の先で、彼らは研究を進めていた。

 例えば不帰の森の研究施設。彼らは迷宮そのものを一時的に造り出し、悪夢と言えるような巨人の魔物を顕現させた。

 ランタンはじっとルーを見つめる。

 白い肌に刻まれた魔道式の刺青は、どうして生まれたときから身体にある模様のように彼女に馴染んでいる。

黒い卵(ブラックエッグ)を僕はすごく評価しているんだと思う。良くも、物凄く悪くも」

 黒い卵とは、もともと高濃度の魔精結晶のことを指す。

 本来青い魔精結晶の、その青の果ての果てにある、光を飲み込む黒い結晶。あらゆる力を秘めており、不可能を可能にすると信じられている探索者の御伽噺。

 彼らはそれに最も近い存在だ。

 奴らならきっと何かをする。

 それはある意味、信用だった。

 最後のサンドイッチの具は燻製した川魚だった。ランタンはそれを三等分して、三人で分けて食べた。

 腹ごしらえは済んだ。

「これがあるとわかっただけで収穫だと思う」

 ランタンは叩き売りするみたいに塔を叩く。どのように作ったのか。巨大な金属の塊を彫ったような、継ぎ目のない構造をしている。

「ええ、そうですわね」

「けど今のままじゃ、かもしれない、が過ぎるとも思う」

「迷宮の霧の前に来たみたいな?」

「うん。だけどリリオンの言うとおり楽園だったらいいけど、そうではない可能性もある。敵地のど真ん中に入り込む可能性が。それに行くも帰るもルーさんに頼らないといけないから」

「ランタンさまがお決め下さい。わたくしはランタンさまに従います。この力もどうぞご自由に使って下さって構いませんわ」

「リリオンは、いい?」

「聞かないで。わたしはいつだって、ランタンのしたいことがしたいのよ」

「じゃあ、行く」

 ランタンは頷き、近所に買い物でも行くみたいに軽く言った。

「ルーさん消耗は可能な限り避ける。理想的には行きと帰りだけその力を使ってもらう。あとはお姫さまみたいにしていて。戦闘があった場合は僕とリリオンがどうにかする。第一優先は逃走、無理なら殲滅。だけど、そもそも戦闘の発生事態を回避したいから大人しく行動する」

「……」

「……」

「なに」

 リリオンとルーはじっとランタンを見つめた。

 一見、思慮深いこの少年が、極めて喧嘩っ早いことはもう周知の事実だった。

「口答えがないなら、行動を開始するけど」

「ありません」

「わたしも」

 空々しい二人にふんと鼻を鳴らして、ランタンは立ち上がった。

 塔の蓋を外して、少し迷ったがこれを屋上から放り投げた。ここ以外の出入り口を見つけられていないので、塔内に閉じ込められる可能性を減らすためだった。塔の下ではまだ不定型生物が蠢いているのか、衝突音は聞こえなかった。

 蓋の代わりに銀紙を細工して侵入後これを被せることにする。

 塔の内壁は銀とも白とも灰ともつかぬ色をしている。

「侵入して早々見つかるのは上手くはありませんわね」

「白い裏地の外套にすればよかった」

「ランタンのこれが一番目立つわよ」

 リリオンは少年の黒髪に指を通した。

「なんか白いのあったかな」

 ハンカチや小袋やらが出てくるが、身体を覆うどころか髪を隠せるほどの大きさのものはなかった。

「ないなあ、隠れられるぐらいのが」

「困りましたわね。どうしましょうか」

「んー、坊主にでもしようかな、ってなに?」

 リリオンがランタンを胸に抱え上げた。

「ダメ、せっかくさらさらな髪なんだから。だからこうするのは?」

 リリオンの身体の影に、ランタンはすっぽりと収まる。

「あら、いいですわね。潜入には大胆さも必要ですからね」

「え、なに? なんのこと?」

 塔内の底はすり鉢状になって、段々に街が作られていた。壁沿いには緑が植えられているところもあり、ちょうど人気もなさそうなので、三人はまずはそこを目指すことにした。

 ルーの背中にランタンはしがみつき、正しくはそれを強制され、そのランタンを包むようにリリオンが抱きつく。リリオンとルーでランタンを挟み込んだ。

 生足のルーは蛙人族らしい特性である壁歩きと、重力の魔道の相乗効果で両手両足をぴたりと壁にくっ付けて、静かに素早く目的の場所へと降り立った。

 三人は壁色と同化することができたので、誰にも見つからず辿り着くことができた。

 ランタンもリリオンもルーも裸だった。

 三人の肌は、一度探索を開始すればしばらくの間、太陽光に当たることのできない探索者らしくいい具合に白かった。

 この降下作戦は賛成二、反対一で実行が決定されたのは言うまでもない。

「もし見つからず帰れるのでしたら、帰りも同じようにいたしましょう。安全性が実証されたことですし」

「さんせーい」

「……おかしいよ。僕のしたいことをするんじゃなかったの」

 ランタンは憮然として呟く。

 しかしおかげで上手いこと塔内に侵入することができたのは事実だった。

 いつまでも微妙な気分になっていないで、捜索を始めなければならない。

「ランタンを真ん中にしてよかったわ」

「背中まで真っ赤ですものね」

 しかしその前に服を身に纏わなければならない。


下着まで脱いだかは不明です。

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