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カボチャ頭のランタン  作者: mm
02.Some Day My Prince Will Come
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022

022


 微睡(まどろ)みはなく、ただ眩しさに瞬きをしたかのように目を覚ました。

 指の先まで感覚が行き渡っている。ランタンが寝起きに感じたのは自分のものではない体温と濡れた冷たさだった。

 シーツがぐっしょりと湿っている。

 ランタンは獲物を捕らえた蜘蛛のように絡みつくリリオンの手足を引き剥がして、念のため掛け布団をめくりリリオンの下半身の辺りに世界地図が描かれていないことを確認してベッドから降りた。リリオンが粗相をした、と言うわけではないようだ。

 治癒促進剤の影響で炎天下の中を走り回ったように寝汗を掻いていた。額に張り付く前髪を掻き上げて、濡れた掌を夜着で拭う。その夜着さえも酷く湿って、重たくすらある。

 ランタンは部屋の扉を開けて従業員の小僧を見つけると沐浴用の水桶を持ってくるように頼んだ。小僧が水桶を持ってくると、あられもない姿のリリオンを布団の下に隠して、部屋に通して昨晩の食器類を片付けさせた。

 ランタンはベッドにどさりと座り、小僧の仕事ぶりを眺めた。

 小僧の顔付きは大人びて見えるがランタンよりも年下だろう。おそらく十二、三歳くらいで、ランタンの視線が気になるのか緊張している。これぐらいの年齢ならば、こうして仕事の見習いをするのが普通なのだろう。

 ランタンはベッドの膨らみを振り返った。ぎしりと軋んだベッドの振動に、それこそ糸に絡まった獲物の振動を感知する蜘蛛のように、掛け布団の下から白い腕が腰に絡みついてきた。

「うー……うぅ……」

 リリオンがまだ目蓋の開き切らない眠たげな顔を布団から覗かせた。そして這うように近づき、ランタンの腰に顔を押し付けて呻いている。ランタンは小さく頬を緩め、汗と皮脂でベタベタの髪に指を通した。

 小僧がこちらをチラチラと(うかが)っている。小僧の対応は接客業としては落第点だが、怒るほどのことでもない。大人びた顔が一転して純情な少年のもののようになっていて、その心理はランタンにも理解できる。

 小僧の位置からでは腰に絡みつく艶かしい色白の腕だけが見えて、その腕の持ち主が涎を垂らしていたり睫毛に目ヤニをつけている様などは窺い知ることができないのだ。大方、小僧の頭の中ではこの白い腕の持ち主が、それに相応しい大人の女性の姿で補完されているのだろう。

 ランタンは口元に憐れむような笑みを浮かべながらリリオンの後頭部から項に手を滑らせた。

 小僧の幻想を壊すのも可哀想だ。ランタンは腰を掴む手を擽るように剥がし、リリオンの寝ぼけ顔を掛け布団の下に沈めてベッドから降りた。

 沐浴をして着替えてリリオンを起こして用意をさせて、とランタンは時間を計算し、一時間後に朝食を運ぶように伝えて小僧に多めの心付け(チップ)を握らせた。

 扉の鍵を掛けてランタンは全裸になった。汗を吸って重たく張り付く夜着は床に落とすとびしゃりと音を立て、顕になった身体には部屋に籠った空気でさえ涼やかに感じる。指を固定していたテープを剥がし、傷口に巻いた包帯さえも取り外すとそこに血液が流れこむ痺れがあった。

 ランタンはそっと腕を撫でた。

 腕の裂傷は白い傷跡を残してはいたが、軟膏で張付けた皮膚は収まり良く癒着して傷自体は塞がっている。だが肘や手首を曲げるとギルド医の言っていたように皮膚が引っ張られる感じがした。瞬間的に力が加わると癒着した皮膚が千切れそうだ。

 骨折の方も同じような感じだろう。指の腫れは引いて開くのも握るのも不便はない。だが骨は完全に修復されているわけではなく、言うなれば接着剤がまだ半乾きの状態なのだろう。

 だが身体を洗うことに不便はない。じゃぶじゃぶと顔を洗って、薄皮のように肌に張り付く汗を濡らしたタオルで拭い、身体を隅々まで清めた。随分とスッキリしたがやはり風呂には入りたい。ランタンは汚れたタオルを脇に捨てて下着だけを身につけると、リリオンを起こそうと振り返った。

「……」

 盛り上がった布団の下から不埒な視線が覗いている。覗き見野郎(ピーピングトム)は小僧ばかりではなかったらしい。ランタンは眉を(ひそ)めて掛け布団を引剥(ひっぺ)がした。

「おはよう」

「……はよう」

 爽やかさのない朝の挨拶を吐き出してランタンはリリオンの顔を冷淡に見つめた。意識的にそうしなければランタンは顔を赤くしていただろう。裸などもう何度も見られているが慣れるものではない。

「見てた?」

「……みてた」

 ランタンは大きくため息を吐いて表情を崩すとリリオンの頭を撫でるように叩いた。

「じゃあどうすればいいか判るね」

「ランタン――」

「手伝わないよ。――おねしょしたなら別だけど」

 昨晩あまりにも手際が悪すぎてランタンが手伝ってやったが、それを踏まえて時間は充分にとってある。ランタンはリリオンの甘えた声を一蹴して、意識的に背を向ける。

「おねしょしてないよっ」

 リリオンがぺたぺたとランタンの背中を叩いて文句を言いった。

「はいはい、わかったから。さっさと済ませて」

 背後から一拍置いて、衣擦れの音が聞こえ、それを背景音にランタンは着替え始めた。

 しかし上着も外套も失っている。ズボンに足を通し、靴下を履き、肌着を身につけ、戦闘靴(ブーツ)に足を突っ込めばそれでお終いだ。

 わざとらしく靴紐を解いたり結び直したりする作業は酷く虚しい。そんなランタンの気も知らず背後からはちゃぷちゃぷと水桶をかき混ぜる音が響いている。

 覗き見野郎の仲間入りは御免だが、すっかり着替えも終えたというのに壁に向かっているというのは馬鹿みたいだ。リリオンの裸体を見たからと言って、何かあるわけではないのだから。

「――ねぇランタン」

「なに?」

 つまり振り向いたのはリリオンに呼ばれたからであって、そこにランタンの意志は介在していない。

 垂れた髪の隙間から肩甲骨の浮き出る白い背中が眩しく、ランタンは目を細めた。背骨を滑るように視線を下げると尾骨の尖った痩せた尻が顕になった。それは平べったい子供の尻だ。昨晩はもう少し丸かったような気もする。

「背中ふいて」

「他は?」

「ちゃんと洗ったわ。指の間も」

 ならば良いか、とランタンは尻から視線を外してタオルを受け取った。リリオンは背に垂れる髪を項から一気に胸の前に引き寄せた。その顕になった背中にタオルを押し当てた。

 リリオンはやはり痩せてしまっている。背中を洗っているのか、それとも肋骨を洗濯板代わりにタオルを洗っているのか分からないような有様だった。

 戦闘どころか睡眠をとっても痩せるとは。

 昨晩はもう少しマシだったのだが、やはり肉を食わせなければダメだな、とランタンはすっかり綺麗になった背中に指を這わせた。肉の厚みを測るように指を押し付けると、骨の硬さに触れた。

「――やん、ランタン、……くすぐったいわ」

 思いがけず聞こえた甘い声に、品定めでもするような目つきになっていたランタンは慌てて指を離してそっぽを向いて目蓋を閉じた。リリオンが何一つ隠さず振り向いて、横目に小首を傾げる姿が映ったのだ。

「ふけた?」

「……うん」

 ランタンは小さく頷き、聞き耳をたててリリオンが服を身につける気配を探った。下着を履き、肌着に袖を通し、ズボンに足を通す。リリオンは立ったまま靴下を履けないので座り、そのベッドの軋みを合図にランタンは目蓋を開けた。

「なんか、くるしい」

「服が前後逆だよ」

 ノックの音が響き、ランタンはリリオンを扉から見えない所に追いやった。

 扉を開くと今朝の小僧が朝食を載せた台車を押してやってきた。小僧は部屋の中が気になっているようだったが、ランタンは食事のセッティングを断って心付け(チップ)を握らせて部屋の中には入れなかった。涎も拭きとってあるし目ヤニも付いていないが、服の前後を変えるために(へそ)が丸出しだった。

 小僧を追い払い、テーブルの上に料理を並べる。

 朝食は多めに頼んだのだが、もう少し増やしてもらえばよかったのかもしれない。リリオンは失った肉を取り戻そうとするかのような健啖家ぶりを発揮して、ランタンも傷を癒すために消費した熱量(エネルギー)を欲していた。

 卵を五つ使ったオムレツには賽の目に切った炒めた鳥肉と彩りも美しい野菜が混ぜ込まれていた。卵はやや甘く生クリームが混ぜられていてふっくらとして、野菜はシャキシャキと歯ごたえ良く、鳥肉の旨味は卵のまろやかさをよく引き立てた。

 パンは林檎酒(シードル)の酵母で醗酵させた物で生地に林檎の果肉が混ぜられている。酸味があり生地自体はやや固めで素朴な味わいだ。林檎を絞ったジュースにはよく合って、リリオンはこれを気に入ったようだった。だがランタンには少しジュースが甘すぎたので水で割った。

 他にも豆を磨り潰したスープや、キノコとほうれん草のパイ包み、分厚いハムステーキや山盛りのチーズサラダなどでテーブルの上はいっぱいになっていたが、それらを全て胃袋に収めても腹八分目というところだった。上背のあるリリオンはきっと八分目にも達していないのかもしれない。

「足りないね」

 ランタンが言うとリリオンは小さく頷いて、ジュースを飲み干したコップに水を注いでそれを飲んだ。料理を追加してもよかったが、それよりも部屋を引き払って目抜き通りで買い食いでもしたほうがよさそうだった。

 そう決めたら欠食児童二人の行動は早かった。ランタンはリリオンの髪を爪を研ぐように手櫛で大雑把に()いて、首の後で一纏めに縛った。あとはもう背嚢を背負い、外套を羽織り、武器を持てばおしまいだ。五分も掛からなかった。

 目抜き通りに出るまでの繋ぎとして丸ごとの林檎を齧りながら二人は朝の街を歩く。街はもうすっかりと目覚めていて爽やかさと喧騒が()()ぜになっていた。

 ランタンは肌着から剥き出しになった腕を心許なそうに擦りながら良さそうな戦闘服がないかと視線を彷徨わせていた。

 ランタンは防御性能は求めていない。必要な要素は着心地の良さだ。そういう意味では今まで着ていた上着は良かった。古着として売り払わずに袖を仕立て直してもらっても良かったかもしれない。

「ねぇランタン、これはどう?」

 ぺろりと林檎を平らげて今は串焼き肉を手に持ったリリオンがその串で陳列窓(ショーウィンドウ)を指した。陳列窓に飾られたそれは上下一揃いだったし、どう見ても女物だった。リリオンの着ている戦闘服に酷似している。着れないことはないが着たくはなかった。せっかくお揃い(ペアルック)から脱却できるのだから、その機会を逃す手はない。

「うん、まぁ、いいけど。もうちょっと見てからね」

 ランタンは同意する振りをして言葉を濁し、リリオンの手を引いて陳列窓の前から離れた。あまり露骨に拒否をすると面倒くさいことになりそうな気配がしたのだ。あれにすればいいのに、と呟く拗ねるような声は幼気(いたいけ)で少し心が動かされはしたが、今はまだ買うつもりはない。

 ポーチには金貨が詰められていたが、そもそもこの金を戦闘服に当てるつもりはないのだ。まずはグラン武具工房に出向いて武器の整備をしてもらわなければならない。

 素材から厳選して特注した戦鎚(ウォーハンマー)とあり物を仕立て直した方盾を比べるのは可哀想だが、戦鎚は素人目には問題無さそうで盾は素人目にも整備行きだった。剣などは鞘にしまえば人目から隠せるが盾はそういう訳にはいかず、見窄らしい物を衆目に晒しても得られるものは同情と侮りだけだった。

 職人街に入ると爽やかさを吹き飛ばす(せわ)しない音が響いている。曰く日の出から日の入りまでこの調子だというのだから頭が下がる。ランタンなら三日ともたず難聴になりそうだ。

 ランタンは道中に買った揚げ芋をほくほくと食らいながらグラン武具工房の鎧戸(シャッター)を開け放った作業場に足を踏み入れた。

「おはようございまーす!」

 工房には多くの職人が鍛冶に勤しんでいた。揃いも揃ってむさ苦しい男たちが焼けた鉄が跳ねるのも気にせずに上半身も剥き出しにして金槌を振り下ろしている。金属を叩き鍛える音色の隙間を子供特有の硬質な声が通り抜けた。

 幾人もの職人の視線が向けられてリリオンがランタンの手を握りしめた。前に来たときは職人たちに休暇を与えていたのかグランとリヒトしかいなかったので驚いているようだ。

 いや、とランタンはリリオンの表情を見上げた。これは怖がっているようだ。武具職人たちは探索者顔負けの獰猛な雰囲気を持っている。

「おはよう」

 リヒトが工房の奥から出てきて笑みを浮かべた。二人揃ってペコリと頭を下げるとリヒトはひょいと手を伸ばして紙器(カップ)に入った揚げ芋を口に運んだ。

「んまい。んで今日は何のようだい――って、あぁ、これはひどいな」

「それもですが、こっちもお願いしたいんです」

 盾を一目見て苦く笑ったリヒトにランタンは腰の戦鎚を叩いてみせた。

最終目標(フラグ)かい?」

 ランタンが頷くとリヒトは頭を掻いた。一度の探索で武具をここまで消耗させるに相手はそうはいない。

「親方呼んでくるよ。戦鎚の方は俺じゃどうにもならん。おーい、これ預かってやってくれ!」

「ういっす!!」

 リヒトが振り返って誰にともなく声を張り上げると職人が二人、威勢の良い返事をしながら寄ってきた。突進するようなその威圧感にリリオンは固まっていて、職人たちは怖がられることに慣れているのか固まったリリオンに一言断りを入れると張り付いた氷でも剥がすように背負った盾を受け取り、紙器から揚げ芋を奪っていった。

「うまい!」

 汗を流す仕事なので塩分に飢えているのかもしれない。職人たちは知らない顔ではないし揚げ芋も高価なものではないので別に怒るようなことではない。まだまだ満腹ではなかったが。

 職人たちが離れていってリリオンは肩を撫で下ろした。工房内は炉の熱が充満しており繋いだ手の中に汗が浮き出ていた。ランタンは工房の奥からグランが出てきたのを見てその手を離し背嚢(はいのう)を下ろした。

「おはようございます」

「おう、最終目標と()ったんだって?」

 ランタンの挨拶にグランは手を上げて応えると、よく帰って来たと言わんばかりに勢いよくランタンの背を叩いた。もう少し下だったらせっかく繋がった骨がずれてしまいそうな一撃にランタンは咳き込んでグランを睨んだ。

 だがグランはそれを無視してリリオンの肩もバンバンと叩いて大きく笑い、ひと通り笑い終えるといつもの様にずいと手を伸ばした。

 ランタンは諦めたように睨むのを止めて、その手に戦鎚を差し出した。

「……ふむ、――象でもふっ飛ばしたか?」

「熊です」

「――熊、か。そらぁ難儀なことだ」

 グランはじっと柄を眺め、槌頭を愛撫するように撫でた。ぼてっとした目蓋の下で黒い瞳が瞬きもせずに戦鎚を調べている。

()がちょい反ってるな。(ヘッド)も熱で少し歪んだか。……三日預かりだな」

「三日ですか」

「あぁ、当日仕上げなら別料金だ」

 良くしてもらっている、という実感はあるが贔屓はされない。それは当たり前のことだし速く仕上げてもらいたければ金を積むのが常識だった。愛用の武器を三日間も手放すのは恐ろしいが、急ぎの探索もないので仕方のない事だ。

「リヒトぉ! そっちはどうだ!」

「盾はまぁいいんですが、剣の方は研ぎだけじゃ無理ですね。打ち直しますよ」

 盾から引き抜かれた剣は半ば辺りで刃が(ひしゃ)げ潰れている。その様子を見たグランの眉がぐわりと震えて、ゴツゴツとした手がランタンの頭を鷲掴みにした。

「おい、あれ」

「……」

「どうみてもお前の仕業だよな」

「……熊の腕を落とすのに必要だったんです」

「ちっ……だからってなぁ(のみ)じゃないんだぞ。いっそ片刃の剣でも拵えるか?」

 なぁ、とグランはランタンの頭を揺すりながらリリオンに問いかけた。

 リリオンはぐらぐらと揺れるランタンの視線と目が合わないので眉を八の字にして、困ったようにグランとランタンの顔を何度も見比べた。

「えっ、あの、あの。わたし、今のままで、いいです」

「嬢ちゃんも顧客(クライアント)なんだから好き勝手言ってくれていんだぞ。盾が重いだの剣が軽いだのとな。――小僧なんかそりゃもう」

 金も常識も持ち合わせていなかった過去を晒されそうになったランタンは、グランの手の中から逃げ出して慌てて話題を変えた。

「――実は整備(メンテ)以外にもお願いがありまして」

「なんだ?」

 ランタンは背嚢をがさごそと漁り丸めた外套を取り出すと、その中に包んだ嵐熊の爪を露わにした。グランはその爪を見て、ふんと鼻を鳴らした。

「どうせなら熊の手、丸ごと持ってこい。ありゃあ珍味だぞ」

「それは気が利かなくて申し訳ないです」

「冗談だよ、でこれどうするんだ?」 

 嵐熊の鉤爪は鋭く湾曲して二十センチ強ほどの長さでランタンの戦鎚と打ち合っても欠けぬ程硬く、そして軽金属のように軽かった。狩猟刀(ナイフ)の代わりにならないかな、と思ったので持って帰って来たのだ。

 グランは爪を一本手に取るとがじりと口に咥えた。そして干し肉でも噛むように何度か咀嚼すると少し難しい顔をして吐き出した。

「硬度は充分に有りそうだな、靱性も悪くない。素材の特性を見るために一本潰しちまってもいいか?」

「構いません、と言うかナイフ二本出来ればいいので。余るんなら好きにしていいです」

「そらなんとも太っ腹だな。太っ腹ついでに言うが、素材持ち込みとはいえ特別注文(オーダーメイド)だからな結構高く付くぞ?」

「全額前払いでもいいですよ」

 試すようなグランの言葉にランタンは余裕綽々で答えた。

 何だかんだと言ってランタンは高給取りで、懐は温かい。

 どのようなナイフが出来上がるかは判らないがグランの腕ならば下手なものは出来上がらないだろうと思っていた。ランタンはグランの仕事に信頼を寄せているし、粗悪品に値段を吹っかけるような真似をしないことを知っていた。グランは一つの工房を取り仕切る商人でもあったが、それ以上に誇りある職人だ。

(つか)はこれ使えませんか?」

 ランタンの握りの形にすり減った柄をグランに差し出した。グランはそれを受け取り一撫ですると呟いた。

「――使えないな。ここに罅がある。補強してもいいが新しく拵えたものよりはどうしても強度は落ちる、ママゴトに使うんじゃねぇからな。まぁ握りの参考にはするさ」

 爆発させた衝撃も手伝ったのだろうが、嵐熊の身体に無理やり捩じ込んだ際に割れてしまったのだ。愛着はあるが、それに引きずられてはいけない。ランタンは、お願いします、とだけ言って頭を下げた。

「あぁ、うちで処理しとくよ。でだ、二本ってことはお前のと嬢ちゃんのだよな」

「ええ」

「えっ?」

 ランタンはグランの言葉を肯定すると、蚊帳の外だったリリオンが驚いたように声を上げた。

「あれ? 言ってなかったけ?」

「きいてない」

 狩猟刀はあって困るものではないし、リリオンも持っていればランタンの狩猟刀が壊れてしまった時の予備にもなる。魔精結晶の採取も二人で同時に行えれば効率は上がる。だがそれらとは別の理由も合った。

「じゃあ言うね。リリオンの初探索のお祝いにプレゼントしてあげる」

 リリオンは目を大きく瞬かせ喜ぶよりも、貰ってばかりで恐縮しているようだった。しかしお祝いと言えば受け取らざるをえない。ランタンは困り顔のリリオンを見てほくそ笑んだ。

「――ありがとう」

 結局は嬉しそうな顔をしたリリオンは頬を緩めた。

「ランタンとおそろいね」

「あ――!」

「なぁに嫌なの!?」

「いやべつに」

「うう゛ん――いいとこで悪いが、嬢ちゃんの手のサイズ測らせてくれ」

 グランは判りやすく咳払いをすると、リリオンに手を差し出すように伝えた。ランタンたちと駄弁ることばかりがグランの仕事ではないのだ。背後ではグランの弟子たちが働き蟻のように働いている。

「ほらリリオン」

「う、うん……」

 何かマゴマゴとしているリリオンの腕をランタンは引っ掴んでグランに差し出した。リリオンは指が反るほどに手を開いている。腕をつかむランタンの掌に筋の強張りが伝わってくる。

 別に指を切り落としたりするわけではなく、指矩(さしがね)で手に関する様々な長さを計るだけだ。戦鎚を作る際にランタンもデータを取られている。何も怖がることはないが、それなのに随分と緊張している。

「おう、もういいぞ」

 リリオンの掌が砂金を(まぶ)したようにキラキラとしていた。それは汗だ。リリオンは浮いた汗を隠すようにズボンで拭い、そっとランタンの背に隠れるように足を動かした。

 ランタンはリリオンの脇腹を擽るように一揉みした。

「もうっ――」

「もう、終わるから」

 こそりと小さく呟いてランタンは尻を叩いた。リリオンは尻を擦りながら小さく頷いた。

「ナイフの方は七日後だな。どうする? ナイフの出来上がりに武器の整備も合わせるか?」

「いえ、三日後に武器だけ頂きに来ます」

「わかった。じゃあ整備間の代替品だけもってけ」

 整備している間の代替品となる武器をリヒトが持ってきた。

 ランタンには戦棍(ウォーメイス)を、リリオンには長剣(ロングソード)だ。戦棍は八角柱の柄頭に肉叩きのようなぎざぎざの突起が刻まれていて、長剣は一メートル強の諸刃の刀身をしたシンプルな作りのものだ。

 振り回しただけで戦棍の(つか)が折れそうな気がしてしまうのは戦鎚と比較しているからだろうが、それを差し引いても装備の質としては随分と下がる。低品質の品だということでは、グラン武具工房の名誉にかけて、決してないがランタンは少し心許な気な表情になった。

 ランタンは腰に戦棍を吊るして、リリオンはベルトに鞘を縛り付けた。

 整備代自体は全額前払いできたが、狩猟刀の制作費は手付金と言うこととなった。

 一流職人の手製(ハンドメイド)なのだから高額になることは予想済みだったが、さすがに少し驚いた。少し前に、全額前払いでもいいですよ、と口ずさんだ喉を引き裂いて余裕の表情を叩き潰してなかったことにしてやりたい。

 ランタンはすっからかんになったポーチの軽さに小さく嘆息した。

 支払いの詳細は三日後に武器を引き取る際に詰めるようだから、その時にはちゃんと食事を取り頭を働くようにしておこう。

 毎度あり、と歌うように告げられた挨拶を背中に受けて武具工房を後にした。

 支払った金貨の分だけ軽くなったが、足取りはどこか重たげだ。

 探索者ギルドまでの道すがら何も買うことができない。手元に残ったすっかり冷めた揚げ芋だけが口寂しさを紛らわせるための最後の砦だった。

 その揚げ芋を二人でもそもそと分け合って探索者ギルドへと向かった。

「……パサパサしてるね」

「リリオン」

「なに?」

「これが――」

 ランタンは紙器をぐしゃりと握りつぶして搾り出すように呟いた。

「お金がないってことだよ」


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