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カボチャ頭のランタン  作者: mm
10.The Under Dark
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 夕焼けに影を伸ばす廃虚群はどこか墓標に似ている。

 下街では多くの人が生活しているが、しかし常に静寂があった。

 どこかで争いがあろうとも、あるいは賑わいを見せる目抜き通りの闇市の中でさえ静寂を感じ取ることができるかもしれない。

 それはどこに目を向けても、物寂しい風景が視界から失われないからだろう。

 しかしその風景も最近はだんだんと削り取られている。

 下街の再開発に先だって、立ち並ぶ廃虚の解体が昼夜を問わず行われていた。

 日雇い人足たちの掛け声と、建造物の崩壊音が遠くから聞こえてくる。けれどそれさえ静寂を際立たせるだけだ。

 それが何か得体の知れない生き物の断末魔のように思えるのは、やはり下街にある独特の雰囲気の所為だろう。

 廃虚が瓦礫の山となり、それを運ぶ人の列が葬送行列のようにさえ思える。

 だが建物を失ってぽっかりと開けた空間には不思議と寂しさはない。

 そこにはむしろ清々しさがあった。

 瓦礫の山は再利用可能なものとそうでないものの選別が行われる。それは孤児院の年長者の新しい働き口ともなっている。

 不要な瓦礫は迷宮へ投棄されるのだが、投棄は探索者の活動が落ち着いてから行われるため、迷宮特区の近くには小さな瓦礫の山が幾つも作られていた。

 そんな変わりゆく風景を横目に見る、孤児院からの帰り道に動く死体がいた。

 しかしそれに驚くようなランタンたちではない。

 悲鳴を上げることもなく、面倒臭そうに立ち止まった。

 動く死体は酔漢のようにうろうろしている。

 前回ランタンとリリオンが遭遇した地点よりも、かなり上街に近い場所だった。そうでなかったら無視していたかもしれない。放置すれば市民に被害が出る可能性が高い。

「おいっ!」

 ベリレが声を上げた。それに反応して死体が振り返った。生命の気配に引き寄せられるように、緩慢な動きで近寄ってくる。

 三人ともまだ武器に手を掛けていなかった。

「立ち止まれっ! 理解できたら反応しろっ!」

 ベリレが念のために警告を発する。

 動く死体のように見えるが、もしかしたら物凄く顔色が悪いだけの人かもしれないからだ。

 死体は音には反応を示したが、言葉には反応を示さなかった。

「立ち止まらなければ、攻撃の意思があるとみなすっ!」

 死体は立ち止まらなかった。

 ベリレが念入りに警告をしたのには理由があった。

 多くの動く死体は爪先を引きずるような歩き方をするが、この個体はきちんと膝が上がっている。極端な猫背でも、反り返ってもいなかった。

 つまり頭部の重さをきちんと支えているのだ。

 顎を突き出すように、首が前に出ている。心臓の鼓動はもうないだろうが、まるでそれに合わせるように指先が痙攣している。

「新しい個体だな」

 ベリレが死体の状態を観察して言った。

 死体は男で、四十代ほどに見えた。髪と髭に白いものが混じっている。腐敗はなく、腹部の膨脹も見られなかった。

 身に付けているものから推測するに上街の住人ではないと思われる。だが浮浪者というほどみすぼらしくもない。

 死因の特定はできない。外傷はなく、争ったのでも事故にあったのでもなさそうだ。

 青い顔は死んでいるのでしかたがないとして、それ以外の肉体の状態は生前はそれなりに健康だったことを告げている。

 下街で何か仕事を得ていたのだろう。

 もしかしたら解体作業に従事していた人足の一人かもしれない。

「どうする?」

 ランタンが爪先で手頃な大きさの石を掘り起こした。厚みはあるが平べった石だ。拾い上げると、それがかつて石畳の一部だったことがわかる。土中の冷たさが、そのまま固まったかのようにひんやりとしていた。

「そりゃ殺すさ」

「もう死んでるけど」

 ははは、とランタンは自分で言って乾いた笑い声を漏らした。

 ベリレが冷たい目をして肩を竦める。リリオンが慰めるように頭を撫でてきた。ランタンは大人しく撫でられならが言う。

「殺したあとの話だよ。取り敢えずガス抜きだけはしておくか」

 腹部の膨脹は見られないが、万が一の場合もある。

 ランタンは石を振りかぶる。

 少しの躊躇いがある。

 腐敗していたり、損傷していたりすれば魔物らしく見えるが、今の姿はほとんど人間らしさが失われていなかった。

 とは言えもう警告はした。

 ランタンは躊躇いを無視して、石を放り投げた。それはちょうど臍の辺りに直撃した。肉体にめり込む。だが服が邪魔をして貫通はしなかった。死体は二、三歩後ろに後退り、再び前進する。

 じわりと黒ずんだ血が服に染み出す。

「痛そう」

 リリオンが思わず呟いた。そして大剣を肩に担ぐ。

 動く体がびくんと痙攣した。指先の痙攣が全身に広がったみたいだった。

 ランタンとベリレも顔を歪めていたが、それは痛そうだからではない。流血量が多いからだった。

 心臓が止まった動く死体は、傷つけても出血はほとんど見られない。動くことによって血管内の血が押し出されるというのもあるだろうが、しかし半日もすれば血液そのものの流動性はほとんど失われるはずだ。内部が液化するほど腐敗していればまた別だが、しかしこの個体はそうではない。

「俺がやる」

 ベリレがランタンを押し退けて一歩前に出た。

 その強引さにランタンはちょっと訝しげにベリレを見る。誰かがやらなければならないことだが、進んでやるようなことでもない。

「お前らがやると形が残らないだろ」

「残す必要があって?」

「……ちょっと調べたいことがある」

「気にしすぎだと思うけど」

 ランタンは小さく呟く。

 リリオンは首を傾げて、せっかく肩に担いだのにという顔をした。よっこいしょと担いだ大剣を下ろす。

 どしん、と鋒が地面に埋まった。

 リリオンはこの大剣を目標に叩き付けることはできても、斬ることはまだできないだろう。もちろん手加減するものも。

 動く死体など一撃で粉砕されてしまう。

「使うか?」

 ランタンは腰に差した狩猟刀を叩いた。

「それなら自分のがあるからいい。貸してくれるんなら、戦鎚貸してくれよ」

「いやだ」

「じゃあ、こっち使わせてもらうぞ」

 ベリレは担いでいた斧槍を揺らした。リリオンが、どうぞ、と頷く。


 ベリレは斧槍を構えた。

 大剣と同じく、斧槍も巨大で重たそうだ。装備するベリレが小さく見える。

 しかしエドガーの薫陶を受けてきただけのことはある。

ベリレは重さを感じさせない足取りで無造作に動く死体に近寄ると、これまた無造作に死体の股ぐらに斧頭を差し込んで、内股を払って投げ飛ばした。

 動く死体が背中から地面に叩き付けられる。衝撃で腹部から石が抜けた。絞り出すみたいに血が噴き出した。

 ベリレは斧槍を重石わりに、死体を地面に張り付ける。

 そしてじたばたと藻掻く腕を警戒しながら、頸動脈に手を添えて脈を測った。

 ランタンが孤児院で寄生虫に注意を促したように、ベリレも寄生虫のことが頭から離れなかったようだ。

 この動く死体の挙動に寄生虫の幻影を見ているのだ。

 ランタンはこの後に及んで、という目でベリレを見る。

 もし生きていたらどうするんだ。もし動く死体でなかったら、自分は寄生虫に冒されて苦しんでいる人に石を投げ付けたことになる。

「――死んでる」

 ランタンはあからさまにほっとした。

 人を殺すことと、敵を殺すことはランタンにとってその意味合いが大きく異なった。

 死体がじたばたと腕を振り回した。危うくベリレが引っ掻かれそうになって、ランタンは慌ててその手を蹴り飛ばした。手首が異様な角度で折れ曲がる。

「悪い」

「考え事は家に帰ってからして」

 ランタンは戦鎚を抜いた。

「消すぞ」

 そして冷たい声で言う。

「待ってくれ。もしかしたら、もしかするかもしれないだろ。なんか嫌な予感がするんだ」

「じゃあどうするんだよ。ばらすのか? これを?」

「……ばらす」

 ランタンは嫌そうな顔をした。

 気分の乗る提案ではなかった。ベリレも嫌そうな顔をしている。

「俺がやるから」

「あたりまえだろ」

 だがベリレは頑なだった。実際に寄生された分、ランタンよりも警戒心が大きいのだろう。

 ランタンは大きく溜め息を吐いた。

「リリオン、回れ右」

「わたしもお手伝いできるよ」

「人が来ないか見張ってて。こんな開けた場所で解体するなんて、見つかったらいいわけが思いつかない」

 半分は本気だったが、半分はやはり見せたくなかったからだ。今さらだという気もするが、今の状況は探索中でも戦闘中でもなかった。ただ家に帰る途中の出来事だ。

 リリオンが頷いて回れ右をすると、ランタンはベリレの腕を叩いた。

「ちゃっちゃっと済ますぞ」

「やってくれるのか?」

「手伝うだけだよ」

 ベリレが一度斧槍を持ち上げ、ランタンは死体を蹴り転がして俯せにした。再び斧槍で動きを封じる。

 もし脳食いに寄生されているとしたら、症状から推測するにもう終期だろう。寄生場所は脊髄か。あるいは頭蓋骨内だ。

「やるぞ」

「うん」

 ランタンは耳を塞ぐみたいに死体の頭部を掴むと、手前に引っ張りながら慣れた手つきで首を捻った。頸部を脱臼させる。

 ランタンが広げた頸椎間に、ベリレが素早く刃を差し込み、首を掻き取った。

 悪い予感は良く当たる。

「げえ」

 ランタンは顔を背け、舌を出して空嘔吐(からえず)きをした。ベリレも顔を青くする。

 脊椎側と、頸椎側の二カ所から寄生虫が這い出てきた。

 それは水浴びをするみたいに、血溜まりをうねうねと転がった。




 下街でこれを発見したという報告をレティシアに上げるために、執務室に来ていた。遅れてベリレがやってくる。

「お待たせしました、レティシアさま」

 ランタンは焼き払うことを提案したが、ベリレは寄生虫を持ち帰ってシュアに提出することを選んだ

 真面目なのはベリレの好ましいところだが、それにも程度があるだろうと思う。

 死体に寄生していた脳食いは二匹ではなく、頸部切断の際に一緒に斬ってしまっただけだった。わかったことはそれぐらいだ。

「手、洗ってきたか?」

「直接は触ってないぞ」

「洗ったのか?」

「洗ったよ。百回。ほら見ろ」

「がっさがさだな」

「――ベリレ」

 名前を呼ばれ、ベリレはランタンとの不毛な言い争いを打ち切った。

「場所はどこだ?」

 レティシアは机の上に下街の地図を広げた。

 なかなか珍しい代物だった。下街の地図はほとんど白地図と言っていい。書き込むべき建物もなければ、道らしい道もないからだ。

 僅かにある書き込みは、迷宮特区から真っ直ぐと伸びる目抜き通りと、その先にある貧民街の塗りつぶしぐらいだ。

 他には幾つか、書き込みか汚れか不明の黒点があった。それが何を示しているのかはわからない。貧民街を塗り潰す際に、ペン先から滴ったインクの染みのようにも見える。

 ランタンがまず指差した。

「孤児院がこの辺。だからこの辺だよね。門まで三十分ぐらいだったし」

「ちがうわよ。もっとこっちよ」

 負けじとリリオンが指を差す。ランタンはじろりと睨んだ。リリオンが負けんと睨み返してくる。

「何を根拠に」

「わたしわかるもん」

「ふうん。でもこっちだよ」

「なにをこんきょに言うのよ」

「ワタシワカルモン」

「今のわたしのまね? ひっどーい! わたしそんなのじゃないもん!」

 ランタンとリリオンがじゃれ合っていると、ベリレが横から手を出してペンで書き込みを加えた。

「この辺りだと思います」

「うん、そうか。かなり都市部に近いな。よく食い止めてくれた」

 ペン先と二人の指先は重なり合わなかった。ベリレの示した位置と指先の距離は、二人とも近からず遠からずと言ったところだ。

 二人は見つめ合うと同時に指を引っ込めた。

「まあ、勘違いは誰にでもある」

「ええ、そうよね」

 レティシアは腕組みをして地図を見下ろす。

 ランタンも同じように腕を組む。するとリリオンも真似をするように腕を組んだ。

「レティシアさま、これらは」

 汚れのように見えた書き込みは、どうやら動く死体の目撃場所らしい。

 ざっと数えると四十カ所ぐらいだろうか。

「教会から掃討作戦時の情報を寄越してもらったんだ」

 四十という数はそれだけでかなり多く思えるが、しかし市民からの目撃情報、そしてそもそも報告されず自然消滅したり、探索者によって倒された数が抜けていることを考えると、動く死体の実数は四十を倍にして足らないかもしれない。

「汚れじゃないんだ」

「ね」

 ランタンが呟くとリリオンが頷く。

「偏りがかなりあるな」

「ああ」

 印の分布は貧民街近辺に密集し、上街に近付くにつれてばらけている。ベリレの打った印がもっとも貧民街から離れたところにあった。

「貧民街近辺では大抵が複数体での遭遇だったそうだ。一カ所で発生したものが移動するにつれてばらけたのだろう。しかしもう少し正確な情報が欲しいな」

「竜種を使って上から観測すれば?」

「できればいいが、飛行許可が下りない」

「なんで」

「その必要性が認められなかった」

 レティシアは何でもないように言ったが、ランタンはその奥に苛立ちや失望があるのを感じた。無理解な、あるいは非協力的な議会へ、そして無力な己への。

 ランタンの視線に気が付いたのだろう、レティシアはふと顔を上げると微笑んだ。だがすぐに笑みを消して、真面目な顔になった。

「やはり貧民が発生源なのだろうな」

「そうじゃない? 動く死体、っていうか、死霊も寄生虫も自然発生したものじゃないよ。たぶん」

 ランタンは組んだ腕を解き、首を揉んだ。

 溜め息交じりに吐き出す。

「意識を乗っ取る、死体を動かすなんて、それこそ連中が好きそうなことじゃん」

「黒い卵か」

「ゴキブリかって言うぐらいどこにでもいるね。ああ、やだやだ」

 ランタンがうんざりした顔をする。

 黒い卵の予感は、あの大量の骸骨兵の存在からずっと疑い続けていたものだ。

 大雨による死者の増加、貧民街という特殊環境とその閉鎖性などの状況を加味しても、あの数の骸骨兵が自然発生するとはなかなか考えられなかった。

 あれは人為的に用意されたものだった。

 そしてあの量を用意できる組織など一つしかない。

 単純な実験のためか、それとも死者の軍団を用いて戦争でも仕掛けようとしたのかわからないが、きっとそうだと思う。

「貧民街の捜索は進んでいるの?」

「あれ以来、驚くほど進んでいない。――だが計画はある」

「必要なら手を貸すからね」

「うん、助かる。しかしな」

 レティシアは髪を掻き上げた。髪が少し重たそうだ。

「しかし違和感もある。奴らは肉体の永遠よりも、意識の連続を重視しているだろう。死霊はわかる。あれは意識そのものだから。だが脳食いは奴らの目的から外れているように思う」

「考えるだけ無駄だよ」

 不帰の森で行われていた実験を目の当たりにしたランタンは事実としてそう言った。

「それを知るためには寄生された場合の長期的な観察が必要だろうね」

 シュアが寄生終期だと考えている状態が、もしかしたらそうではない可能性もある。

 しかしレティシアは確証を欲していた。

 そういったものを積み上げて、王権代理官なり議会なりを説得しようとしているのだ。

 ランタンの意見はもっともだったが、レティシアはそれでは遅すぎると考えているようだった。

 レティシアは焦っている。ランタンの言葉も話半分に、地図を睨みつけて悩んでいた。

 ぱん、とランタンは大きく手を叩いた。

「これ以上考えても答えは出ないよ。必要なら僕が貧民街に行って探りを入れてくるから。個人副官だし」

「――ランタン」

「はいはいはいっ! わたしも!」

「俺も必要ならば使ってください!」

「――ありがとう」

 レティシアは嬉しそうに微笑んだが、しかしまだ意識の半分は地図に、貧民街に、そこにいるかもしれない黒い卵に向いているようだった。

 ランタンは大きく溜め息を吐いた。

「リリオン」

 ランタンが名前を呼ぶと、レティシアとベリレの視線がリリオンへと注がれた。そういう意味深な声音だった。リリオンだけが、その声の意味を正確に理解していた。

 ランタンはレティシアの足を払った。まったく無防備なレティシアは、素早くリリオンに抱きかかえられた。

「ランタン、お前っ!」

 怒鳴りつけるベリレを無視する。

「何を」

 レティシアが目を白黒させて呟いた。これも無視する。

「リリオン、レティを風呂にぶち込んできて」

「おまかせあれ!」

「私はまだ仕事が」

「だめよ」

 暴れるレティシアをリリオンは肩に担いだ。細い肩が横隔膜に突き刺さり、レティシアは無様に呻き、言葉を詰まらせた。

 ランタンとベリレはレティシアの名誉のためにその呻き声を聞かなかったことにする。

 レティシアは言葉を発せなかったが、それでも諦め悪く、その度に肩がより深く食い込むのもかまわず藻掻いた。

 ランタンはレティシアに顔を寄せて甘い声で耳打ちをする。

 それだけでレティシアは大人しくなった。

「よし、じゃあ行って来い。ぴかぴかにしてあげて」

 ランタンが扉を開けて、少女の尻を引っぱたく。リリオンは鞭を入れられた馬のように廊下を駆けていった。レティシアを担いだまま。

「誘拐犯に間違われないかな、まあいいか。人質がレティだし、そうそう手出しはできないだろう」

「おい、レティシアさまに何を言ったんだ」

 二人の背中を見送ると、残ったベリレが怖々と尋ねた。

 ランタンは地図を丸めながら答えた。

「ひみつ」

 レティシアの名誉のために、それを言うわけにはいかない。

 耳打ちした言葉はたった一言、一緒に寝よう、それだけだった。



来月は3回更新かもしれません。

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