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カボチャ頭のランタン  作者: mm
10.The Under Dark
215/518

215

いつもの半分しかないです。

215


「腹痛は?」

「もう一年はいらない」

「筋肉の張りは?」

「身体動かしてないから緩んでるかも」

「身体を捻る動きに違和感は?」

「特には。あ、腰鳴っちゃった」

「鼻血、口渇、目の霞みは?」

「ぜんぜん」

「不安感、焦燥感、他人の些細な失敗が許せなかったり、突発的に暴力衝動に襲われることは?」

「人並み程度に」

「これを見て」

 シュアが魔道光源を眼前で照らした。瞳孔が収縮するのを感じる。光が外されると数秒間、白い膜が張ったように視界がぼやけた。

「じゃあ服を脱いでベッドの上へ」

「下も?」

「ああ下もだ。下着はそのままでもいいが、脱ぎたいなら止めはしないよ」

 ランタンは下着一枚になって、大きなまな板に布を巻いたような硬いベッドの上に身体を横たえた。

 シュアに補助されながら片方ずつ膝を抱えさせられたり、身体を捩ったり、腕を引っ張られたりした。

 それからシュアは角笛の親戚みたいな器具を取り出してランタンの身体に当てた。それは聴診器だった。象牙を加工して作られたものらしく、素肌に触れる感触は柔らかい。冷たさも金属とは違って不愉快さはなかった。

「息を吸って。呼吸を止める」

 呼吸を止めたランタンは、すぐに心拍数が上がっていくのを自覚した。

 シュアはランタンの内から響く音を真剣に聞いていた。

 心臓の脈打つ音、血の流れる音、筋肉の動く音、内臓の働く音。これら以外の異音が聞こえてこないか調べているのだった。

 例えば脳食いが溶かした肉を啜り、その内を這いずり進む音だとかを。

 いない。

 いるはずがない。ランタンはそう確信しながらも、しかし不安も感じていた。

「――うん、大丈夫。腸の働きが活発なぐらいだ。もう食事も普通に摂ってもいいだろう」

「はあ、よかった」

 ランタンは身体を起こして、ベッドから下りた。ズボンを穿き、ベルトを止め、シャツを肩から羽織った。

 屋敷に備えられた医務室ではなく、シュアに与えられた私室の一つだった。

 壁にはみっしりと資料が収められた本棚と、生物の標本で満たされた地獄みたいな棚が並んでいる。

 天井からは何十本も紐が垂れ下がっていて、これまた地獄みたいに生薬の原料が吊されている。あの二股に分かれているものは植物の根っこか、それとも干した小人の半身かどちらだろうか。

 しかし何よりも地獄のようなものは、机の上に並べられた幾つもの瓶詰めだった。そこにはまだ生きている脳食いが何匹も封印されている。

 ランタンが不安に思ったのはそれを見てしまったからだった。こんなものが身体の内にと考えるだけで吐き気がする。

「ああ、ほんとうによかった。気持ち悪い」

 ランタンは眉根を寄せながら、かつかつと爪で瓶を叩いた。振動に反応して脳食いがうねうねと動いた。瓶の大きさは大小様々で、それは脳食いの大きさによって異なっていた。

 大きさは採取先の違いだった。

 人から採取されたものは小さく、馬から採取されたものは大きかった。

 その中でも馬の脊髄内から採取した個体は成長しきっているらしく、直径は一センチほどもあった。

 大きい個体では、瓶の内側に吸い付いた口吻に鋸状の牙が生えていることが確認できる。

「もし竜種に寄生したら直径十センチぐらいになるってこと?」

「可能性は大いにあるな。が、さすがにこれの調査のために竜種を潰す気にはならないな」

 脊髄内に寄生した個体を採取する際に、寄生元の軍馬は死んでしまった。

 しかしそのおかげで脳食いについてわかったことが幾つかある。

 寄生初期にはまず体重が減少する。これは寄生主の栄養を脳食いが奪うからだ。腸内への侵入を許した場合は特にこれが顕著である。

 そして中期になると身体に麻痺が出るようになる。これは脳食いが分泌する麻酔成分を断続的に、強制的に摂取するためである。全身の倦怠感、末端の痺れ、食欲不振そういった症状が表れた場合には注意しなければならない。完璧に鍛え上げられた軍馬が突如、生まれたばかりの子馬のように立ち上がることもできなくなった。

 そして後期には一転してこの麻痺がなくなる。その代わりに精神的に不安定になる。軍馬は野生動物のように命令を聞かなくなった。

 そして終期には魔物のように暴れるようになる。まさしく脳食いという魔物と一体化しているのだろう。

 実験のために人工的にこれを寄生させた鼠は、同じ檻に入れた鼠に次々と襲いかかった。これは食べるためではなく、ただ殺すために殺したという感じであったらしい。

「終期には脊髄と脳が一体化したような存在になるのだろうな」

 成体となった個体は瓶を叩いても他の個体ほど激しい反応は見せなかった。うねうねと動くことには動くが、直径よりも一回り大きい球を丸呑みにしたみたいに先端から後端へ、後端から先端へ膨らみが行ったり来たりするだけだ。粘液の分泌も少ないように見える。

骸骨兵(スケルトン)に寄生していたっていう話はどうなんですか?」

 しかし脳食いが脊髄と脳の代わりを務めていたとしても、そこからの命令を受け取る神経や筋肉が骸骨兵には存在しない。

 骸骨兵は死霊の目に見えぬ謎の力によって動いていることはどうしてかすんなりと納得できるが、目に見えるものにこそ納得ができないというもの不思議な感じだった。

「レティシアさまが手を回してくださっているが、検体が融通してもらえなくてな。しょうがないからわざわざ出向いてやったというのに詳しくは見せてはもらえなかった。まあたいしたものが残ってはいなかったのだろうが」

 シュアの言うことももっともだった。

 骸骨軍団と戦ったあの夜のランタンは物凄く張り切ってしまったのだ。

 貧民街の一角には今も戦闘の爪跡が燻っているらしい。

 有象無象の骸骨兵を粉砕した爆発はもちろん、大骸骨を粉砕した大爆発は、土木工兵をうんざりさせるほどの窪みを大地に刻み、骸骨兵も大骸骨もみな等しく灰となって吹き散らされ、どこかで草木の栄養源になっているだろう。

 骸骨兵の残骸から脳食いの焼死体らしきものが見つかったのは奇跡に近く、レティシアが手を回しても検体が手に入らないのは必然だった。

 しかしこんな奴ら一個体も残さず灰になった方が世のためだろう。

 ランタンは嫌がらせのように瓶を叩き続ける。





 ランタンがシュアの部屋でぐだぐだとしていると、レティシアが訪ねてきた。

「ランタン、いるか?」

 しかもシュアではなく、ランタンに用事があるらしい。

「いないよー」

「おかしいな。これは幻覚かな。どうにも疲れているようだ」

 レティシアがランタンの頭を掻き回す。ランタンは脳食いを観察していた視線を面倒臭そうにレティシアに向けた。

「ではとびきりのお茶をご用意いたしましょう」

「ああ、頼む」

 シュアが席を立った。その空いた席にではなく、レティシアは尻をねじ込むようにランタンの隣に座った。

 レティシアの色の濃い肌は疲れによる顔色の悪さを隠すが、白目に滲む充血をむしろ深刻なもののように見せた。かなり疲れがあるようだった。

「何しに来たの?」

「ん、ああちょっとな」

「ちょっとって?」

「ひみつ」

 レティシアはランタンの追求から逃れるように曖昧な微笑を浮かべた。それでランタンは何となくわかってしまった。男には男の苦労があるように、女には女の苦労があると言うことなのだろう。

「無理はしないでね」

「優しいなあ、ランタンは。薬がいらなくなってしまうよ。しかし薬も過ぎれば毒になる。まったく目に毒だぞ、その格好は」

 レティシアは開かれたままのランタンのシャツの前を合わせると、一つ一つボタンを留めた。

 普段はそのようなことをされる側の人間であるが、その甲斐甲斐しさがどういう訳か似合っている。

 しかしシュアが戻ってくる気配を感じると、レティシアは親密が過ぎる距離から、ただ親密なだけの距離までに身体を離した。最後に軽く、たいして乱れてもいないランタンの襟元をただした。

「お待たせしました。どうぞ。ランタンもどうだ?」

「頂戴します」

 言ってから後悔した。

 地獄のような色をしたお茶だった。まったく透明感はない。黒ではなく濃い茶色か、もしかしたら濃い緑色なのかもしれない。少なくとも食欲をそそる色はしていない。それがむしろ不安を煽った。匂いが普通なものより警戒心をかき立てる。

 レティシアはそれを一息に飲んだ。ランタンは猫みたいに、ちょっと舌先を触れさせる。

「うむ、眠気が飛ぶな」

「…………っ」

 ランタンは顔中に皺を寄せて、恐ろしいものを見るような顔でレティシアを見る。飲み慣れているのかレティシアは美しい顔のままだった。ランタンはコップを机の端によけた。

 地獄みたいな味がした、としか形容できない。

「それでシュア、経過はどうだ?」

「そうですね。口に入れるものはしっかりと火を通すこと。身体を洗う際は湯船を利用せず流水を用いること。地面に直接座るときは敷物をすること。寄生予防としてはこれぐらいでしょうか。あとは服の繊維が焦げるように溶けている場合は寄生の可能性が高いですね」

「うむ」

「しかし寄生された場合、特に寄生初期ならば湯船に浸かることは有効です。この脳食いどもは恐らく寄生主の体温上昇を嫌うようです。ベリレに寄生した個体が浅い部分に出てきていたのは、もしかしたら逃げ出そうとしていたのかもしれません。寄生痕の確認もしやすくなります」

 単純に湯船に浸かっていただけではなく、そこで暴れたのも脳食い排出に一役買ったのかもしれない。

「じゃあベリレは僕に感謝しないとね」

「ああ、そうだな」

 ランタンがしれっとした顔で会話に参加すると、レティシアは机の端によけられたコップを少年の真正面に引き戻した。ランタンはまた端へよける。

「そういえば、レティは僕に用事じゃないの?」

 ランタンはあからさまに話題を逸らした。

「部屋の前でリリオンが膝を抱えていたぞ」

「ふうん」

 ランタンはほとんど無表情のまま相槌を打った。

「ふうんじゃないだろう。冷たいんじゃないか」

 リリオンはリリララと共謀して、あるいは唆されてランタンを辱めた。

 ちょっと調子に乗ってしまっただけなのだと思う。ランタンもそれは理解している。それにリリオンはあの後にランタンに謝り倒した。そしてランタンは寛大な心をもってリリオンを許した。

 だがランタンに、嫌い、と言われたのがリリオンは余程に答えたらしく、数日経っても落ち込んでいる。ランタンとしては終わったことなので少し鬱陶しい。それに一度許した以上、これ以上することもない。

「そんなに落ち込むならしなきゃいいのに」

「酷いことを言う。後悔が先に立ったら人生苦労はない」

 まったくだな、と思う。

 こんなことになるなら、嫌い、なんて言わなければよかった。

「後悔するとわかっていてもせざるをえないことはあるからな」

「例えば?」

「そうだな。弱っているランタンに悪戯をすることかな」

「向こうに行って。近寄らないで」

「そう言うな。ちょっとした冗談じゃないか」

「……冗談じゃなかったじゃん」

 ランタンが小声で呟くと、レティシアはランタンにだけ判るように目を動かした。

 リリオンが単独探索をしているときのランタンは、ある意味では弱っていた。そしてそんなランタンに、レティシアは衝動を抑えることができなかったのだ。

「どうせ、ランタンのことだから――」

 レティシアはつんとした表情を作った。

「――いいよべつに、もう気にしてないから。とかなんとか言って突き放したんだろう。悪い癖だぞ。自己完結が過ぎるのは」

「それ僕のまね? そんなんじゃないよ」

 レティシアは悪戯っぽく肩を竦める。

「怒られる方は一発がつんと怒られた方がすっきりする。リリララのことは私の方から叱っておいたからな」

「電気責めでもした?」

「まあそんなところだ。あの不良メイドめ。私からの仕事をほっぽり出していったんだぞ」

「……シュアさんが忙しいかったからじゃないの?」

 ランタンがシュアに視線を向けると、会話を邪魔せぬように黙っていたシュアが控えめに笑った。

 ランタンは大きく溜め息を吐いた。

「……リリオン、どうしてた?」

 ランタンはあらためて聞いたが、レティシアもまた控えめに笑うだけだった。

「気になるなら見てくればいいだろう」

「……」

「それに実は私はシュアに体調を見てもらいに来たんだが、ランタンが出ていってくれないと恥ずかしくて困る」

 レティシアは一番上のボタンを何気なく外した。

「それとも見ていくかい?」

「……ちょっとリリオンを見てくる」

「ちゃんと怒ってやるんだぞ」

「わかった。怒鳴り散らしてくる」

 ランタンはすくっと立ち上がった。

「シュアさんもお世話かけました。――ちょっと聞きますけど、これって十一歳の女の子が飲んでも大丈夫ですか?」

 ランタンはテーブルの端によけたコップを手に取る。

「味の保証はしないが、効果のほどは保証済みだ」

「わかりました。じゃあレティ、忙しいのもほどほどにね。手伝えることは手伝うから、休むときは休むんだよ」

「ありがとう。ちゃんと仲直りするんだぞ」

 ランタンは部屋を後にした。

 そしてシュアの部屋の前の壁に背中を預けて、リリオンが膝を抱えていた。

 扉からランタンが出てくると膝の間に挟んでいた顔をぱっと上げる。

「わたしのこと、ぶって」

 先手を取られたランタンは、思わずコップを落としそうになった。


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