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カボチャ頭のランタン  作者: mm
02.Some Day My Prince Will Come
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 リリオンは一文字に切り揃えられた髪を飽きもせず触っている。身体を清める際にランタンがどうしようかと尋ねたら、切って、とリリオンがせがんだのだ。技巧も何もなくただ真っ直ぐに鋏を入れただけだが、満足しているのならそれでいい。

 ランタンは背もたれに重たげに預けた身体を起こして、リリオンの名前を囁くように呼んだ。リリオンは髪から手を離すと、背筋をぴんと伸ばした。

 テーブルの脇に置かれた小型の魔道光源(ランプ)がまるで蝋燭の炎のように不安定な光を放っている。安物なのではなくわざわざそういった風情を楽しむために作られた嗜好品だ。

 ランタンはわざとらしい咳払いを一つ吐き出した。揺れる光に照らされる顔には精神的疲労が色濃く浮かんでいたが、グラスを手に取ると柔らかく綻んだ。

 ママゴトをするような気恥ずかしさがあったが、こういう物はやっておくべきなのだろう。ランタンは黄金の林檎酒(シードル)が満たされたグラスを、対面に座るリリオンに捧げるように掲げた。

「リリオンの初探索と、迷宮の攻略を祝して」

 グラスの細い(ステム)をリリオンは今にも握り砕きそうにしながら、ずいとランタンに差し出している。初舞台にアガっている主役そのものだ。とは言え自分も人のことは言えないな、とランタンは緊張したそのグラスに小鳥の口づけのように軽く自分のグラスを合わせた。

 澄んだ硝子の音色に林檎酒の泡が弾ける。

「――さ、かっこつけるのはこれぐらいにして食べようか」

「うん!」

 ランタンが恥ずかしさを誤魔化すように早口で捲し立て、林檎酒に口をつけた。リリオンは握っていた脚から手を放し、(ボウル)を温めるように両手で持つと一気飲みにした。

「すごぉい……おいしい」

 呆然としたように呟くリリオンにランタンは満足感を覚えながら、自らもまたグラスを空にした。

 幾百もの繊細な泡が立ち上り、それらの一つが弾けるだけで芳醇な林檎の香りは口腔から肺腑を満たした。舌を擽るような炭酸が林檎の酸味をはっきりと感じさせる。それは酸っぱさではなく爽やかさだ。

 戦いに傷ついた内臓(なかみ)が、そして尋問にも似た取引による神経の摩耗が慰撫されるのを感じてランタンはうっとりとした息を漏らした。

 探索者ギルドは探索者に様々な恩恵を与えてくれる。例えば予約必須の宿に無理矢理に部屋を用意させたり、(かまど)の火を落としたのにも拘らず名物料理を作らせたりとかそういった事だ。無料ではなかったが、本来ならば金を払ってもどうにもならないことだ。

 最終目標(フラグ)を撃破し迷宮を攻略した日には、こうして高級宿(ホテル)に泊まるのがランタンのささやかな楽しみだった。怪我に障らなければ広い浴室のある高級宿に泊まっていただろうが、この宿もランタンは気に入っている。

 上街には数多くの宿泊施設が存在し、その内の多くは探索者ギルドと契約を結んでいる。この異様に美味い林檎酒を提供することで有名な黄金の林檎亭はそんな宿泊施設の中でも、人気だの有名だのと冠がつく高級宿だ。

 美味いのは林檎酒だけではない。黄金の林檎亭の名に恥じぬ林檎料理がこの宿の売りだった。

 ランタンは白い皿に鎮座する林檎焼き(アップルステーキ)にナイフを入れた。

 皮を外し厚めに輪切りにされ芯を繰り抜いた林檎はバターでソテーされ黄水晶のように透きとおっている。仕上げに林檎蒸留酒(アップルブランデー)でフランベされており立ち上る香りが(かぐわ)しい。

 一口大に切り取りフォークに刺して持ち上げると金のように重く、舌に乗せるとねっとりと(とろ)けた。果肉のその全てが林檎の蜜そのものであるかのような、喉が渇くほどの濃厚な甘さは、けれどしつこくはない。粘性を持っていた果肉が口内の熱で柔らかく溶けて、喉を通る時にはもいだばかりの林檎を齧ったような瑞々しさを感じさせるのだ。

「おいしい?」

「んっ――すっごく!」

 リリオンはランタンの教えよりややぎこちなく、けれど指を骨折した現状のランタンでは文句を言えない程度にナイフとフォークを操り林檎焼きを口に運んでいた。一口目はランタンの真似をして一口大に切り取ったが、二口目には残った全てを一刺しにして顔を寄せるように食らいついている。頬に蜜が付着してぬらりと光った。

 食事前、宿に水桶を用意させて身体を拭いたというのにまた汚してしまった。ランタンは尻の浮きかけた身体を弛緩させるように椅子へ戻し、どうせまだ汚れるのだからと自らの食事を再開した。

 宿の竈の火を入れさせたとは言え、フルコースを作らせるというようなことはさすがにない。林檎酒と林檎焼きと白パンだけだ。ランタンは空のグラスに林檎酒を注ぎ、千切ったパンに林檎焼きをバターのように伸ばした。

「わたしもやる!」

「……すきにしたらいいよ」

 そんなものは必要ないのに、パンを口に放り込んだランタンの許可を得てリリオンはパンを半分に割いた。リリオンは半分のパンで皿に付着した林檎の蜜を丁寧に拭い取り、残りの半分に林檎焼きを乗せるとサンドイッチにして齧り付いた。

「んーおいしー」

 探索者ギルドの個室に居たときは死んだ魚のような目をして、借りてきた猫のように沈黙していたというのになんとも現金なことである。もっともあの個室ではリリオンは完全な傍観者であったのだから、目の前で繰り広げられるやり取りがつまらないと感じるのは仕方がないといえば仕方がない。やり取りを行う当事者の一人であるランタンさえもが、かったるく思っていたのだから。

 探索者は攻略した迷宮の情報を探索者ギルドに提出しなければならない。迷宮の地形情報や最下層までの所要時間、出現する魔物に最終目標、また先見偵察隊の見立てと実際の難易度の差異に至るまで、探索者の持つ全ての情報を探索者ギルドは望んでいた。

 探索者ギルド曰く、あなた方が持ち帰った金剛石(ダイヤモンド)のように貴重な情報はこちらで充分に精査、考察し、探索者全ての方へと還元されます、との事で、つまるところ情報が正確であればあるほどギルドが探索者に提供するサービスの質が上がるのだから四の五の言わずすべて吐き出せと言うわけだった。

 ランタンは個室のやり取りを思い出して、喉に這い上がる無粋な気分を林檎酒で飲み下した。

 実感できるほどサービスの質が向上するのならもう少し積極的な情報提供が出来るのだが、あるいはそうでなくとも幾らかの金銭的な見返りでもあればいいのだが持ちつ持たれつ(ギブアンドテイク)なのだから情報に値段はつかないと言うのがギルドの言い分だった。積極的に金銭を要求するわけではないが、命がけで持ち帰ったものをさも当然のように要求されるのは面白い話ではない。魔道職員の冴えた瞳を思い出してぶるりと震えた。

「――ランタンどうしたの? おなか痛いの?」

 切り分けた林檎にフォークを刺して動きを止めたランタンにリリオンそっと声を掛けた。その顔には心配気な雰囲気もあるが、視線がチラチラと林檎焼きへと向かっている。

「わたしが食べてあげようか?」

「大丈夫、ちょっと疲れただけだから」

 そう言ってフォークを口に運ぶとリリオンはあからさまに残念な表情を作ってみせた。

 まったくもって薄情なことだが、非常に燃費の悪いリリオンはこれっぽっちの食事では到底満たされないのだろう。すっかり空になった皿に落ちる視線がなんとも哀れであり、ランタンは一口分の林檎を突き刺したフォークをリリオンに向けた。

「わ――んっ、おいひぃ、ねぇらんふぁん」

 フォークをぱくりと口に咥えて唇を窄ませてちゅっと音を立てて引き抜いたリリオンは飲み込むのが勿体無いとばかりに林檎を飴玉のように舌で転がしている。林檎の甘みにより分泌された唾液に溺れるような喋り方だ。

「口にものを入れて話をすんじゃない」

 ランタンがグラスに林檎酒を注ぐとリリオンはそれで口腔を濯ぎ、言いかけた言葉と一緒に喉の奥へと流し込んで頬を緩ませた。リリオンは自分が何か言いかけたことを忘れているのか、次のもう一口を貰おうと雛鳥のように口を開けて阿呆面を晒している。ランタンはその口に余ったパンを捩じ込んだ。

「まったく、食欲があるのはいいことだけどね」

「えへへー」

「今日の換金の時、ちゃんと聞いてた?」

 ランタンが尋ねるとリリオンはあからさまに視線を逸らした。

「……こうりゃくした迷宮のこととか。……でももう終わった迷宮なんてどうするのかしら?」

 リリオンは視線どころか話題も逸らそうとしている。小生意気な、と思いながらもランタンはその話題に乗ってやった。

「攻略済迷宮は新人養成だとか、騎士団や衛兵の実地訓練に使われるらしいよ」

 探索者は探索者ギルドから月単位で迷宮を借受け、これを探索する。迷宮は攻略報告をした日に探索権利がギルドへと返納され、それが一ヶ月に満たない場合は日割り計算した賃料の七割が返却される。過去には問答無用で探索権利を取り返されたらしいが、その時代には攻略報告が月末に集中しそれはもう酷い有様だったらしい。

 ともあれギルドは手元に返って来た攻略済の迷宮を今度は格安で貸し出すのだ。

 迷宮を創りだして維持管理をする源の迷宮核だが、それを失ったからといって迷宮は直ぐに崩壊するわけではない。迷宮内に満ちる魔精は迷宮核から補給されることがなくなるのでやがては底を突くが、それまでは少数だが魔物が再出現(リポップ)するのだ。それも大幅な弱体化を伴って。

「雑魚魔物を刈っても引き上げ(サルベージ)料ととんとんか、下手すれば赤字だからね。僕らは賃料が返ってくる、ギルドは商売ができる、新人とか騎士とかは本番さながらの安全な訓練ができるってわけ」

「へぇー」

「へーじゃなくて。もう、やっぱり聞いてない。この辺のことはあのおじさんが説明してたでしょ」

「うぅ……ごめんなさい」

 感嘆の声を上げたリリオンは、ランタンに叱られて一転してしょんぼりと肩を落とした。ランタンが一つ溜息を吐いて林檎を突き刺したフォークを差し出すと、いじけたような表情のままリリオンがぱくりと食らいついた。

「リリオンもいずれはやる時が来るかもしれないんだから」

 ランタンが言うとリリオンはフォークを口に咥えたまま、もごもごと口を動かした。

 ランタンは口からフォークを引き抜いて(いぶか)しむようにリリオンを見つめた。白い喉が脈動して林檎を嚥下したのが見て取れる。だがリリオンはまだ口をもごもごと動かしていた。それはランタンの言葉をうまく噛み砕けていないようでもあり、また自らの言葉が喉に(つか)えているようでもあった。

「僕がいなかったら、リリオンは自分でやらなきゃいけないんだよ」

 ごくり、と飲み込む音が聞こえた。

「ランタンはいるよ!」

「……」

「ランタンは……ずっといるのよ」

 飲み込んだ何かはリリオンの腹の中で練られ、赫々(かくかく)と燃えるよう溶岩のようになって吐き出された。その言葉は焦げ付くほどに熱く、薄ぼんやりとランタンの足元を照らした。

 ずっと、ね。ランタンは口の中で言葉を転がして浅く唇を舐めた。リリオンの言い分は子供の駄々のように身勝手に聞こえたが、ランタンの心の内に苛立ちはなく、かと言って喜びもなかった。ただ何か、持て余しそうな感情の奔流があった。

「食べていいよ、これ」

「――ふぇ?」

「はい口開けて」

 ランタンは残っていた林檎焼きをフォークに突き刺しリリオンに献上した。戸惑うリリオンにランタンはその唇に紅を塗るように林檎を押し付けた。半開きの唇をそっと抉じ開け、歯茎をなぞると溢れでた唾液を飲み込むようにリリオンは齧りついた。

 リリオンが半ば呆然と林檎を口にしそれを咀嚼しているのを横目に、ランタンは林檎酒をグラスになみなみと注ぐ。そしてそれを一気に呷った。

「リリオン」

 ランタンはナプキンで乱暴に唇を拭った。

「――そんなこと言って僕に面倒事丸投げにする気?」

「えぇっ!? ちがうわ、そうじゃなくて」

「さーどうかな、本当かな?」

 そうじゃない、のはわかっている。ランタンはそれでもニヤニヤと意地の悪い笑みを口元にはりつけてリリオンを言葉で突っついた。リリオンは怒ったように頬を膨らませてドンとテーブルを叩いて立ち上がり、身を乗り出して声を張り上げた。

「本当よ!」

「うん、わかってるよ」

 ランタンはずいと寄せられたリリオンの顔に手を伸ばし、汚れた頬や唇を(ぬぐ)った。膨らんだ頬を押すと悪態を付くようにぶぶぶと音を立てて唇から空気が漏れる。リリオンは唇を突き出したままランタンを睨んだ。

「他の客に迷惑だから静かにね」

「むー」

 ランタンは人差し指を立てて唇に当てた。

 日付ももう変わろうかという時刻であり、無理やり用意させた部屋は個室だがそれほど上等な部屋ではなく壁に防音処理は施されていない。よその部屋からの苦情でもきたら申し訳ないし、面倒だ。

 ランタンは食べ終わった食器にナプキンを被せるとリリオンから逃げるように椅子を離れ、尻の置き場所をベッドの上に変えた。ランタンもリリオンも戦闘服を脱いでおり、すでに寝衣に着替えている。ランタンは室内履き(スリッパ)を蹴飛ばすように脱いで、足を揺らした。

「リリオンはさ、探索者になりたいって言ってたよね」

「……うん」

「どうだった今回の探索は?」

 リリオンは林檎酒のボトルを掲げてランタンに飲んでもいいかと尋ねた。ランタンが目を伏せるように頷くとリリオンは林檎酒をグラスに注ぐと唇を湿らせるように口を付けた。

「はじめはちょっと怖かったの、……魔精酔いはきもちわるいし、魔物はどれも大きいし。でもランタンがいっぱい助けて――」

「あっ、そのへん飛ばして」

「なんでよっ!? ランタンのこといっぱいほめたいわ!」

「ありがとう、でもいいから」

 褒められたら照れてしまうし、どれほどリリオンに褒められようとも案内役(ガイド)としても指導教官(インストラクター)としても二流だったことは自覚している。あるいは探索班の指揮者(リーダー)としては生還できたのだから最低ではないが、それに近い部類だともじわじわと実感し始めている。落ち着いて今回の探索を振り返ると、染み出すように反省点が思い出される。

 褒められると照れてしまう。だがそれ以上に情けなさで、自分のことだけでいっぱいになってしまうだろう。非常に不満げな顔のリリオンを見ていると余計にそう思う。リリオンが満足するまで言葉を吐き出せば、その過大評価にランタンは耐えられず愧死(きし)するだろう。恥ずかしくて死ぬなんて、せっかく迷宮から生きて帰って来られたのにそんな死に方は嫌だ。

 ランタンは先を急かすように手を仰いだ。リリオンはちびちびと飲んでいた林檎酒を一口呷り、ランタンが作ってくれた迷宮料理は美味しかったわ、とジャブのように素早く褒めて、してやったりと笑った。

「わたし、怖くなかったの。あのクマにも、大きくてびっくりしたけど、本当よ。わたし怖くなかったわ」

 リリオンはグラスを空にしてテーブルの上に置いた。

 ランタンはすっと目を細めた。強がりなのかもしれないが、あの嵐熊(ストームベア)を怖くないと言い切れるのはいい事だ。ランタンは身体に打ち付けられた嵐熊の攻撃を思い出して首筋が寒くなった。戦闘中は脳内麻薬のせいか高揚してどうにも自制が効かなくなっていけない。だからこんなにも怪我を――

 あぁまた自分のことだ、とランタンは舌打ちをしかけて、けれどそれは音にはならなかった。

「ランタンはわたしの前にいつもいてくれたもの。迷宮を歩くときも、クマと戦う時も、ランタンの背中が目の前にあって、――ランタン」

「なんだい?」

「守ってくれて、ありがとう」

 不意打ちだ。

 だから飛ばせと言ったのに。

「あぁ、――どういたしまして」

 ランタンはどさりとベッドに倒れこみ、真っ赤に羞恥した顔を隠した。林檎酒のアルコール度数はそれほど高くないので酒に酔ったなどという言い訳はできない。つまりは、羞恥に混ざるこの少し嬉しく思ってしまった感情は素面(しらふ)のそれと変わらないわけだ。そのことがさらなる羞恥を呼び寄せ、だというのに喜びの感情は押し流されることもなく浮標(ふひょう)のように変わらずそこにあった。

「うぅ……」

 ランタンはぼんやりと天井を眺めながら、笑っているような泣いているような震える声を出した。

「リリオンは探索者、続ける?」

「どういうこと? ……わたし、足でまといだった?」

「リリオンはよくやってくれたよ」

 ランタンは自らの首に触れて熱が下がったことを確認すると、足を振って身体を起こした。リリオンが直ぐ側に来ていて、勢い余って前のめりになったランタンを支えた。さすがに急制動は折れた肋骨に負担がかかる。

 ランタンはリリオンの手を掴み、そっと隣りに座らせた。ベッドのバネが沈む。

「リリオンは怖くないって言うけど、やっぱり最終目標(フラグ)はどうしたって壁なんだよ」

「かべ?」

「うん、最下層まで到達してもそこから戻ってこれない新人(ルーキー)は多いんだ。それを打倒して生還しても、廃業しちゃう人もね」

 最終目標との戦闘で刻まれる傷は肉体にばかりではなく心まで達することもある。金さえ積み上げれば肉体的な損傷を癒すことはできるかもしれないが、心の傷は万能のように思える魔道であってもなかなかに難しいらしい。

「リリオンは、どうする?」

「わたしはやめないわ」

 握り締められる拳の軋みがランタンにまで聞こえるようだった。ベッドが再び軋む、まるで一回リリオンが重たくなったように。

「やっと探索者になれたんだもの」

 リリオンは即答し、その声はいつもと変わらず甘やかなはずなのに、鋼のような硬質さを持っている。

「そっか、そう言えば僕と出会ったときは探索者になるのが目標だったね」

 懐かしむように呟いて、ランタンは淡褐色(ヘーゼル)の瞳に問いかけた。

「じゃあ、今は?」

 ゆっくりとした瞬きを一つ。瞼の下から現れるリリオンの瞳は色を変えない。

「わたしは強くなりたい」

 探索者になりたい、もそうだった。強くなりたい、は結果ではなく過程だろう。

 迷宮を鍛錬の場と捉える探索者もいる。だがそれは強くなることで武名を高め、貴族に召し抱えられたり、騎士叙勲や、あるいはそこから更に戦果を上げて爵位を賜わることを夢見るなど、上昇志向の表れである。強くなることはそこに至るまでの通過点にすぎない。

 強くなる事自体を目標にする修行僧のような探索者も居ることには居るらしいが純粋にそれのみを求めている探索者をランタンは知らない。もっともランタンが知っていると言える探索者の数などたかが知れていたが。

 前者にしろ後者にしろ、あるいはまた別の理由にしろ目標があるのはいいことだ、とランタンは思った。

「ランタンは、どうして探索者をしているの?」

「――お金のためだよ」

 ランタンは言ってから、これも過程だな、と喉の奥で呟いた。

 生きるためには金がいる。いやこの世界、無一文で生きていく者も居る。鼠の肉を喰らい泥水を啜る生活を営む者はここからちょっと壁を越えて下街に行けば見かけることができる。

 だが生きるためには金がいるのだ。少なくともランタンが耐えられる程度の生活水準を維持するためには、満足できる生活水準まで引き上げるためには。

 最初の志はどうであれ、何度か迷宮に潜った探索者なんてそんなものだ。探索業には様々な可能性が秘められているが、結局は生活のための仕事に成り下がってしまった。探索者ギルドで石を投げれば高確率でそういった者に当たるだろう。

 生きるために、あのような死地に赴くなど馬鹿げている。だが探索者が馬鹿なのは己で実感済みだ。迷宮は食虫植物に例えられることがあり、もしかしたら探索者を惹きつける妙な誘引物質(フェロモン)でも放っているのかもしれない。馬鹿なのでそういった誘惑に弱いのだろう。

 くくく、と頬が引きつった。

「ランタン、ランタン」

「ん?」

「その顔ヤだ」

 肩を揺すったリリオンは手を肩からランタンの頬に伸ばして、唇の形を変えるように指で頬を押したり捏ねたりした。どんな顔をしていたかわからないがランタンは鬱陶しげな表情を作ってから、ランタンはその頬の手をよいしょとどかして、ベッドの上に放した。

 放たれた手は蜘蛛のように動いてランタンの太腿に乗ると、五本の脚を動かしてそれを撫でた。

「くすぐったいよ」

 ぱちんと叩いて(たしな)める。

「リリオン」

 窘めるついでにランタンは言った。

「お金は大切だよ」

 いらない、とリリオンは迷宮特区からギルドに向かう道すがらに言った。

 それはあまりに唐突だったし場所が場所だけに腰を据えて話をするわけにも、それどころか脳に糖分(エネルギー)も足りていなかったので、あんな不本意な方法をとるしかなったが、命令だからもらうのではなくその理由をきちんと知るべきだった。例え十歳の子供であろうとも。

「あの発言はよくない」

「……だって」

「探索をするにはお金がかかるんだよ」

 口答えしようとしたリリオンを遮ってランタンはわざとらしく深刻そうな声を出した。ベッドに腰掛けていたランタンはリリオンに向き直り胡座(あぐら)をかいた。それを受けてリリオンもベッドに上がってぺたんと座った。

「例えばね」

 例えば今この状態からリリオンが次の探索を行おうとする場合、金銭を必要とすることは多くある。

 ランタンは壁に立てかけてある方盾を指さした。

 それは嵐熊の突進を何度も受け止めたのでへこみ歪んでいる。そこに収められた剣は刃が潰れ脂で曇り、こう言っては何だが鉄板でしかない。ただの魔物相手ならば鈍器として使用すれば良いが、最終目標に叩きつけるには不安が残る。

「で、探索食や、水筒用の水精結晶も買うでしょ。あと傷薬も。それで終わりじゃないよ。用意が済んだらギルドで迷宮も借りなきゃならないし、迷宮を借りたら引き上げ屋に降ろしてもらわなきゃならない」

「うー……」

「うー、じゃないよ」

 ランタンは膝立ちになっていまいちピンときていない顔をしたリリオンの頬を優しく撫でた。肉の下の平らな頬骨が指先に触れる。少し肥えたかと思ったが、一度の探索でまた痩せてしまった。

 頬ばかりではない。水桶で身体を清めた際に晒され、そしてランタンが洗ってやったその身体はせっかく隠れた骨がまた浮き出そうとしていた。

「リリオンは強くなりたいんでしょ?」

「……うん」

「その為にはご飯もいっぱい食べなきゃだめだよ」

「ごはん?」

「そうだよ」

 ぱくりと食いつくような反応見せたリリオンにランタンは未だかつて使用した記憶のない知識を脳の奥からひきずり出し、けれど三大栄養素がどうのと言っても理解はされないだろうと思い直して、また奥底へしまった。

「……――えーっと、米とかパンとかの主食、それと肉と野菜を好き嫌いなくバランスよくいっぱい食べるんだよ。そうすると強くなれるんだよ。たしか、――たぶん、ね」

「わたし好き嫌いないよ!」

「うん、それはいいね。でもお金がないと、何も食べられないよ」

 ランタンが囁くように言うとリリオンは雷に打たれたような顔をした。リリオンは首を支える力を失ったかのように頬に触れるランタンの掌にもたれて、そのまま健気な瞳をランタンに寄越した。

「お腹が空くと力がでないでしょ?」

「うん」

「リリオン、……お金どうする?」

「ほしい」

 食事は強くなるために必要な要素だ。ランタンはゆっくりと深く頷いて、するりとリリオンの頭を支える手を引きぬいた。リリオンは頭の重みに引きずられてごろんとベッドに寝転がった。

「明日の朝ごはんは期待してていいよ」

 ランタンはそろりとリリオンの頭を撫ででてベッドを降りた。リリオンの手が伸びてランタンの寝衣を掴もうとしたが振り向きもせずそれを躱した。

 ランタンはテーブルの上のボトルを揺らして林檎酒の残りを確かめるとそれで処方された治癒促進剤を飲み込んだ。魔道光源を(つつ)いて灯りを消すと、部屋に一つしかないベッドに身体を横たえる。

 さすがにツインルームもダブルルームも用意させることはできなかった。エキストラベッドなんて気の利いたものも存在しない。だが小躯のランタンと痩躯のリリオンならば充分だった。ランタンはもぞもぞと身体を寄せてくるリリオンを押し返した。

「……そっち行っても良い?」

 暗闇の中で声が響く。

「やだ」

「なんで!」

「リリオンおねしょするもん」

「い――いじわる言わないで!」

 治癒促進剤に誘発された眠気がそろそろと這い上がってきている。

 ランタンは薄目を開いて部屋の隅に干した三角形の布切れを眺めた。あれが汚れたのはたぶん嵐熊に吠えられた時だ。リリオン曰く、ちょっとだけ、らしいので忙しくしている間に乾いたようだが、痒くなる前に綺麗にできてよかった。怖くなかった、と言ったリリオンを思い出してランタンは小さく笑った。

「無視しないでよ!」

「あー……はい。リリオンはさぁ」

 眠く、声が間延びしている。身体が傷を癒やそうとランタンの意識を落とそうとしている。ランタンは自分の声が他人の物のように思えた。

「なんで、強くなりたいの?」

 林檎によって補充された糖質さえも傷を癒すためのエネルギーとなって消費されてゆく。自分で何を言っているのか、ランタンはあまり認識していなかった。それはもう寝言のようなものだった。

「……」

 リリオンは答えなかった。

 布団の下でランタンに絡み付こうとする手が力を失い、訪れた静寂に眠気が深まってランタンの肉体が赤子のように暖かくなった。防御していたランタンの手もすっかりと弛緩しベッドに横たわった。

 その隙を見てリリオンがランタンに遠慮がちに近づいて、爪先でちょっかいを掛けるようにそっとランタンの脛を突っついた。ランタンは無抵抗で、少し身動(みじろ)ぎしただけだった。

 リリオンは更に、閉じられたランタンの膝を割るように足を絡めると大胆にもベッドの隅の小さい身体を自らの方へと抱き寄せた。そして髪を食むかのように、ランタンの顔を胸に導くと唇を動かした。

「……わたしは、強くなって――」

 リリオンの呟きは引きずり込まれるように意識を失いつつあるランタンには届かなかった。抱きつかれた骨の痛みさえも眠気を吹き飛ばすには物足りず、ランタンにはその呟きの、声の硬ささえ聞こえていない。

 ただ次第に大きくなるような心臓の鼓動がうるさくて、ランタンは無意識に痩せた背中を撫で、そのまま眠りに落ちた。


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