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カボチャ頭のランタン  作者: mm
09.Not Alone
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 ティルナバン議会はティルナバン北区にある議事堂で開かれている。

 かつては北区こそが都市中央とされており、その名残で教会や裁判所などの行政機関が密集している。多くの貴族はまだ迷宮特区を中央とは認めず、こここそがティルナバンの中央、心臓部であると信じている。

 議事堂は古風な神殿風の造りをしていて、幾つもの柱が立ち並び屋根を支えている風情は王都で見学した王立劇場によく似ていた。

 建物は大まかに三つに分かれており左右を貴族院と庶民院と言い、それぞれの立場の議員の建物となっており、その中央にある建物が議事堂となっている。

 議会自体はすでに終了しているが、未だに議事堂前には馬車が何台も連なっており、ランタンの知らない偉人の立像をぐるりと取り囲んでいる。

 時折ぽつりぽつりと議事堂から議員が出てきて、そのまま馬車に吸い込まれていく。馬車も豪華なものから、貧相なものまで様々だ。貴族だからと言って豪華な馬車に乗っているとは限らず、どこかの商家のお大尽の方が余程にいい馬車に乗っていることもある。

 ランタンとリリララは、議事堂を望める木の上に身を潜めている。枝に葉はなく、春の訪れを感じさせる小さな新芽が幾つも突き出ているだけだ。だが二人は気配を見事に隠して、絡み合う枝の影に落ちる影の一つになっている。

 ランタンは後ろからリリララの腰を抱きかかえ、細い肩に顎を乗せていた。

「うまいな。リリオンもちゃんと飯食ってるかな?」

「第一関門だからね、そこを越えれば一先ずは大丈夫だと思うけど」

「一先ずって?」

「魔物と遭遇するまで。冷静でいられたらいいんだけど」

「そりゃ無理だろ。冷静さなんて元からないし。――おい、予定外のが来たぞ」

 半分笑うように心配していたリリララの声が、急に硬質さを帯びた。ランタンは最後の差し出されたサンドイッチを、リリララの指先ごと頬張り、首を伸ばした。

「サラス伯爵……」

「珍しいな。日頃は代理を立てることが多い。領地経営もあるし、身体も悪くしてるみたいだし」

 丸々と太った禿頭の老人は、ゆるりとした白い法衣を窮屈そうに身に纏っている。

 身長は二分の一、横幅は三分の一、体重は四分の一、年齢は八分の一ぐらいだろうか、まだ幼い小姓二人の肩に手を置いて、のろのろと議事堂から姿を現した。

 小姓の細肩に体重を完全に預けており、二人の肩が大きく沈んでいた。伯爵の重さに頬を赤らめて、額に汗している。吐息の白さがここからでも確認できた。

 護衛の騎士二人は亜人族の男で、ロザリアやシーリアの姿は見られなかった。

 貴族が亜人族を連れているのはかなり珍しい。

 その身体能力の高さから騎士として召し抱えることは珍しくもないし、そこに性的な魅力を感じる亜人趣味というのも一般的といえば一般的だ。だが近衛として亜人族を雇用することはごく珍しいし、亜人趣味だからといってそれを公にすることもまずない。

「悪趣味だ」

 だがランタンの呟きは、亜人族を下に見る貴族的な意見ではない。

「……脱臼した」

 伯爵を馬車に押し上げる際、小姓の肩が大きく下がった。小姓は甘い顔立ちを歪め、赤い頬をさらに赤くして歯を食いしばった。もう一人の小姓は心配気にそれを見つめ、護衛はまるで表情を変えない。

 伯爵は馬車に乗り込む。馬車から伯爵の腕が伸び、それは獰猛な蛞蝓みたいな動きでのっそりと小姓の腕を掴んで中に引き込んだ。

 伯爵と小姓二人。馬車の中で何が行われるのか。下衆の勘ぐりかもしれないが、不愉快な想像をさせるには充分な感情が、引き込まれる小姓の表情に表れていた。痛みによるものではない恐怖と、恍惚と、諦めが入り交じったような。

 護衛が御者台に着き、馬を走らせた。

「レティも色々やってはいるんだよ。色んな問題を取り上げて審問にかけようとしたりな。だがなかなか上手くはいかない。王権代理官は伯爵寄りだ」

「なんで。レティの方が若くて綺麗なのに」

 ランタンの冗談にリリララがちょっと笑った。

「代理官殿はあまりそこに興味がない」

「そういう趣味? にしても伯爵はちょっと。趣味嗜好は個人の自由だけども」

「ばっか違えよ。うわあ、おぞましい想像しちゃったよ。げえ」

 リリララは顔を歪めて、舌を出した。

「代行官殿は自分が大好きなのさ。誰よりもな」

「アシュレイさまもそんな感じのこと言ってたな。王さまになりたいんだっけ?」

「たいそうな夢だよ。あたしにゃ縁もゆかりもない、と言いたいところだけど。お嬢の忠実な僕にして、レティの姉貴分だからそうも言ってられん」

「関係は悪い?」

「悪いな。もともと家の立場を利用して独断専行しまくったからな。自分の思い通りに動かない奴はあんまり好きじゃないみたいだ」

「それ、ほとんど僕のせいじゃん」

「安心しろ、とどめはこの間アシュレイ姫寄りの立場を明確にしたからだ。特にそれが気にいらんらしい」

「んー。レティはそのあたりを僕に教えてくれないからな。政治的な相談はしてくれても」

「相談して欲しいのか?」

「できることはないけど、話ぐらいは聞くよ」

「へえ、レティに伝えといてやるよ」

「どうも」

「自分で言う、とかそれぐらいのことは言えよ。今から行くか?」

「……やめとく。邪魔になるだろうし、そのせいでレティが悪く言われるのは嫌だ。男連れ込むとか、すぐ言う奴が出てくる」

「レティは気にはしないけどな。ある意味事実だし」

 それからしばらく待っていると目的の男が姿を現した。

 商業ギルド長にして、ブラックウッド商会長エリック・ブラックウッドだ。傘下の店々ぐるりと回ったが見つからず、もしかしたらと待っていたらようやく姿を現した。彼も普段は議会には出席しない。商人ギルドの利益代表者はまた別にいる。

 エリックは五十がらみの白髪交じりの短髪の男で、上背はなく突き出た腹を見ると太っているように見えるが肩幅が広いので全体的にはがっしりとした印象があった。

「ひい、ふう、みい、よ……八人が護衛か。多いな」

「やましいことがあるからじゃない?」

「前後に騎馬が三つ」

 馬車は御者が二人に、もとから馬車に詰めていた護衛が二人、乗り込んだ護衛が二人。

「やるのは少し面倒だな」

「ちょっとお話しするだけだよ。リリララは待機」

「はいよ」

「拗ねないでよ。女の子連れじゃ格好つかないからしかたないじゃん」

 ランタンは最後に一度、強くリリララを抱きしめる。リリララは満足気に肩を揺らす。

 二人はするりと木から飛び下りると、動き出した馬車に猛然と接近した。リリララは左側から小さな礫を放って御者の注意を引く、それで彼女の仕事は終わりだった。ランタンはその隙に馬車の右側に取り付いた。騎馬は無視する。

 鍵の掛かった扉をこじ開け、馬車の中に押し入った。

 護衛はそれなりの実力があるようで、ランタンを蹴り出そうとしたがその脚を掴まれてそのまま中に押し込まれた。向けられた室内用の短剣の先をランタンは指先に掴み、そのままぱきんと折った。

「ちょっと眠ってろ」

 ランタンは物理的な手段を用い、三秒と掛からず男たちを昏倒させた。握り締めていた鋒が掌に傷を作る。ランタンはそれを馬車の外に投げ捨て、馬からこちらに飛び移ろうとする騎士を一瞥して、鍵が馬鹿になった扉を閉める。

 エリックは抵抗の素振りを見せない。それもそうだろう。護衛四人が一瞬で無力化されてしまったのだから。

「なにもなかった! そのまま進め!」

 エリックは馬車の中から御者に命令をする。

「素晴らしい実力だ。ぜひうちの装備を使用してもらいたいものだ」

 さすがは商人ギルド長と言ったところだろう。生半な探索者よりも修羅場を潜り抜けているのかもしれない。こんな状況にあっても冷静さを保っていた。

「悠長だな」

「この状況で慌ててもしかたあるまい。探索者ランタン。何の用だ。何か用があったのだろう?」

 口では敵わない。ランタンはこの時点で悟った。経験の差が天と地ほどもある。商人ギルドの頂点に上り詰めたのは、家柄だけが理由ではない。当たり前の競争原理を思い出す。

 リリオン襲撃の口を割らせるのは無理だ。それどころかこちらが、いやレティシアを不利にしかねない情報を盗られそうだ。痛覚を使えば何かを聞き出すこともできるかもしれないが、気乗りはしなかった。

 本来叩くべきはトライフェイスだ。ブラックウッド商会はあくまでも仲介に過ぎない。エリックを脅して依頼者を吐かせる。依頼者も襲撃の主導者ではないだろう。トライフェイスも一枚岩ではない。おそらくギデオンの手筈ではない。依頼者から主導者を辿る。そのためにはやはりここで情報を得るべきか。

 ランタンはむっつりと黙った。色々と考えを巡らせながらも内心、本当にちょっと話をするだけになってしまった、と思う。

 幾ら何でも無鉄砲すぎた。なにも準備をしていないことに今さら気が付く。だが動かずにはいられなかった。何かできることを、何ができるのかわからなくてもしなくてはならないような気がしていた。

 感情を心の底まで沈める。

「黙っていてはわからない。どうしたんだ? 俺の護衛をこんなにまでして」

 ランタンはエリックの目を見つめた。ランタンの目はあくまでも焦茶色のままで、だが凍りついたように冷たい。

 エリックはしばらくランタンに話しかけたが、やがて諦めたのか溜め息を吐いて、馬車の背もたれに身体を預けた。

 馬車は走り続ける。

 それでもランタンは瞬きも少なく、見つめ続ける。

 エリックはおもむろに首もとのボタンを外し、汗を拭った。馬車の内部はそれほど暑くはない。視線を左右に動かし、一向に目を覚まさない護衛を見下ろし、貧乏揺すりはじめる。

 エリックは一度つぐんだ口を再び開いた。

「なあ、何をしに来たんだ。本当に。何か言いたいことでもあったんじゃないのか」

 エリックは魔物と二人っきりになっていた。

 馬車という檻の中で、ランタンはあまりにも得体が知れなさすぎた。商人エリックに対し、なにも語らない人間はこれまで一人もいなかった。誰も彼もが彼に取引を持ちかけた。エリックと面会するために、金子を用意する者だっている。探索者とだって取引はあった。友好的なこともあれば、脅しを掛けるような者いる。エリックは百戦錬磨の商人だった。

 そんな彼にとってランタンの沈黙はまったく不気味だった。

「おい、いい加減にしないか! 私を誰だと思っている!」

 単純な沈黙ならば、何時間でも耐えられたかもしれない。だが目の前にいるのはランタンだった。子供のような姿は、その本性ではないことをエリックは知っていた。

 ランタンに付きまとう名声と悪名は、その全てがこの小さな身体一つによって生み出されたものである。暴力の化身と言ってよい存在だった。

 エリックは馬車の中で立ち上がり、ランタンを怒鳴りつける。

 だがランタンはどこ吹く風といった様子だ。何を怒っているんだろう、何を恐怖しているんだろうと思う。ちらと視線を動かすと、意気消沈して膝から崩れるように座った。

 ついに表情にあからさまに恐怖が浮かんだ。ランタンがそれを見て微笑むと、エリックは心を読まれたかのようにさらに怖がった。

 ランタンはどうすべきか考えていたが、結局考えがまとまらなかったので溜め息を吐いた。エリックがびくつく。

 何だかよくわからないが、まあいいとしよう。

 ランタンは馬車の扉を無言のまま蹴り外すと、ちらりとエリックを一瞥して馬車から飛び下りた。騎馬は何度も振り返るが、結局は止まることも引き返してくることもしなかった。

 リリララがすぐに駆け寄ってくる。

「おい、なにやったんだよ。お前の声は聞こえないし、あのおっさんはぶるってるし」

「なにもしてないよ」

 ランタンは嘘を言っていなかったが、リリララは疑わしげな視線を向ける。

「いやほんとに」




 思えばネイリング邸に忍び込んでランタンの寝首を掻こうなどと考えるような無鉄砲な暗殺者は存在するのだろうか。白昼堂々商人ギルド長の馬車に乗り込む馬鹿がいるのだから、可能性はまったくの零ではないだろう。だが零に近いはずだ。

 ランタンはリリオンのいない寂しい夜の暇つぶしに、いつかそこの窓をぶち破って黒装束の暗殺者が飛び込んでくる瞬間を何度も何度も夢想しては、これをあらゆる方法で撃退していた。

 ほとんどリリオンの専用になっている鏡台の鏡は月明かりと少女の部屋から持ってきた人形の背中を反射するばかりで、暗殺者の影も形も映すことはない。

 明るい夜だった。こんな明るい夜に忍び来むもへったくれもあるまい。

 ランタンは何だか馬鹿らしくなって寝たふりをやめて、布団の下に隠していた戦鎚をベッドの脇に立てかけた。何を期待していたんだ、と自嘲する。

「……寝れているかな」

 ランタンは小さく呟き、リリオンに思いを馳せた。

 きっと寝られてはいないだろう。初めての単独探索、その初めての夜は寝付けない。寝ようと思って寝付けるものではない。

 身動きが取れなくなるぐらいに傷つくか、疲労するか、それとも酩酊するか。

 自分の意思ではなく、もうどうしようもなくなって、落っこちるみたいに眠るのだ。そんな風に初めてを体験し、目覚めた時にようやく実感する。ああ生きている、魔物は襲ってこなかった、眠っても大丈夫なのだ。

 これからも人生は続いていくのだと。

 ランタンはベッドから下り、鏡台の前に座り、人形を手に取った。

 櫛で髪を梳かす。ランタンがそれをせずとも最初から人形の髪は綺麗に手入れをされており、さらさらしていた。ランタンはそれでもしっかりと髪を梳かし、それからリリオンにするように三つ編みのお下げに結った。

「はあ」

 ランタンは空しさを感じて溜め息を吐いた。

 今から迷宮特区に行こうか、とどこか真剣に考える。

 不安だ。ミシャやリリララには大丈夫だと伝えたが、迷宮探索に絶対はない。単独探索ならば特に。

 もしかしたら、と縁起でもないことを想像する。ランタンはもう一度ベッドに横になったが、結局寝付けず、部屋の中をうろうろと歩き回り、カーテンを開けたり閉めたりを繰り返す。

 ずっとそうだ。

 日中から変だった。ブラックウッド、確証もないのにあんな乱暴なことをするなんて。

 不安は人を苛立たせ、疑心暗鬼にし、攻撃的にさせる。

 猫のように歩き回るランタンが、ふと足を止めた。本当に猫のように足音を立てずそっと扉に近付く。

 扉の向こう側に人の気配がある。

 ようやく暗殺者が来たのかと思う。

 屋敷の警備をかいくぐったとなるとかなり凄腕の暗殺者なのかもしれない。いや、だがこの気配の半端な消し方は素人同然だ。緊張感さえ伝わってくる。

 ランタンがドアノブに視線を落とすと、それがゆっくりと音を殺しながら回されるのが確認できる。ランタンは壁に張り付き、扉が開かれるのを待った。

 しまった。戦鎚はベッドの脇に置きっ放しだ。しかし、どうしようもない。

 扉がゆるりと押し広げられる。隙間が広がる。廊下側のドアノブ、それを握る手が見える。色の濃い肌。手首の角度から身長を予測する。

 レティシアと同じぐらいか。

 ランタンは隙間に手を突っ込み、侵入者の手首を掴むと部屋に引きずり込んだ。壁に押しつけ、目線の高さにある侵入者の口を塞ぐ。

「何の用?」

 掌に伝わる顎の輪郭と唇の厚みは、侵入者が女であることをランタンに教える。清潔感のある体臭。薄い衣服と盛り上がった胸元。闇に溶ける濃い肌の色と、身長差はやはりレティシアと同じぐらいだ。

 月光を反射する鮮やかな緑柱石(エメラルド)の眼差しも。

 掌の中で唇が笑みを作った。その笑みもレティシアそのものだ。

「――レティ?」

 まさに侵入者はレティシアだった。これがとびっきりの変装名人でもない限り。

 ランタンが口を塞ぎ続けていると、日中につけた傷を確かめるみたいにレティシアの舌が動いた。ランタンはびっくりして手をどける。

「舐めないでよ」

「噛むわけにはいかないだろう」

「噛まなくていいじゃん」

「何の用かと聞いたのは君だろう。あのままでは答えられないよ」

「それは、そうだけども……」

 ランタンはぬめっとした感触を寝衣の裾で拭う。レティシアはちらりと唇を湿らせて、あらためて微笑んだ。

「こんばんは、ランタン。夜這いをしに来たよ」

「こんばんは、レティ。お部屋にお戻りください」

「まあまあそう言わずに。どうせ眠れないんだろう。どれ、私が添い寝をしてやろうじゃないか」

「いらない」

「遠慮するな」

 レティシアは部屋の主のように、実際に彼女はこの屋敷の所有者であるのだが、ランタンの肩を抱くと強引にベッドへ連れ込んだ。ランタンは多少の抵抗を見せたが、レティシアの強引さの前ではまったくの無駄だった。

 ランタンをベッドに横たえると、すっかりと体温を失った布団を被せる。レティシアは滑り込むようにその隣に寄り添い、向かい合った。

 ふふふ、とレティシアが含み笑いを漏らした。

「いつもは、二人でどんな風に寝ているんだ?」

「そんなこと聞かないでよ」

「まあ、いつもリリオンから嬉しそうに聞かされてはいるんだがな。なかなか照れくさいな、これは」

「……夜這いしにきたくせに」

 レティシアは控えめに、拳一つ分ぐらい身体を寄せた。それだけではっきりとわかるぐらい体温が感じられた。

 ランタンからも、レティシアに身を寄せた。リリオンの時のように一塊になるほどではなかったが、それでもほとんど距離はなくなった。

 ランタンは落ち着きなくもぞもぞと身を動かす。胸の膨らみの分だけリリオンよりも遠いのに、胸の膨らみの分だけ近くもあった。

 レティシアの視線が左右に振れた。綺麗な色をしている。月光を反射させると宝石の色になるが、窓を背にしてランタンの方を向くと深い森の中にある湖面のようだった。

「本当に夜這いしに来たの?」

 ランタンは大真面目な顔をしてレティシアに尋ねた。

 レティシアの焦点がぴたりと定まる。

「本当だ」

 レティシアは頷く。

「だが、もう少し満足してしまっている自分もいる。それにちょっと怖じけずいているのかもしれない」

「僕が怖いの?」

「嫌われるのが怖い。それにリリオンがいない時を見計らってきたわけだからな。つまりそういう自覚があったと言うことなのだろう。自分が情けなくなる」

 レティシアは僅かに自嘲する。

「……レティ、のこと、ちょっと触っていい?」

 ランタンが尋ねると、ああ、とレティシアは言った。

 ランタンは布団の中で手を滑らせて、レティシアの曲線的な身体の輪郭を確かめて、はっきりとその豊かな胸に触れた。

 リリオンのそれに触れるみたいに、なし崩しにではなく。

「ん」

「……やわらかい」

 同時に押し返してくるような弾力があった。ランタンはどきどきして、しかし頸動脈のあたりがさっと冷たくなるのを感じた。

 興奮と罪悪感が入り交じっている。

 そしてどこか懐かしさも。

 この女の膨らみというものは一体何なのだろう。脂肪の塊と呼ぶには、あまりにも特別のように思える。

「リリオンが、迷宮に一人でいる時に、こんな風にするのはよくない気がする」

 ランタンは思考を垂れ流すみたいに呟き、それでも手を離せなかった。

「私も兄が、ううん、ランタンとリリオンが探索に行く度にいつも落ち着かないよ。きっと大丈夫だと思いながら、どうか無事でいてくれと祈らずにはいられない。なにもしてやれないからこそ、なにかせずにはいられない。……ちょっと、待ってくれ」

 怒られたみたいにランタンはレティシアの胸から手を外すと、彼女は布団の下で何か身体を動かした。

「うん、これでいい。このほうが、いい」

 レティシアがランタンの手を再び胸元に導いた。レティシアは前をはだけていた。たった布一枚がなくなっただけで、感触がまったく違っている。すべすべした柔らかい感触が、爪の先にまで感じられるほどだった。

 自分の指は冷たく、レティシアは温かい。

「ランタン、もっと乱暴にしていい」

「しないよ」

 ランタンはちょっとびっくりする。

「していいんだよ。計画立案は別かもしれない。だがブラックウッドは金を出し、人を雇った。結果として撃退したが、そうじゃない可能性もあった。物的証拠はないが、状況証拠はある。ならばこれは万死に値する」

「そっちの話?」

「両方」

「レティって、過激だね」

「夜這いに来たわけだからな。なにもせず罪悪感を感じるだけじゃ、割に合わない。ほら、撫でるだけじゃなくて」

「痛くない?」

「気持ちいいよ。こんなに幸せなことが、ん、あるなんて、しらなかった。毎晩毎晩、リリオンが、羨ましい。この夜を諦めて、迷宮へ行くなんて」

 嫉妬と興奮と憧憬。

 レティシアは瞳を潤ませていた。吐息が熱い。

「こんな夜更けにエリック・ブラックウッドから手紙が届いた。礼儀もなにもあったものじゃない。間違いの多い、ずいぶん焦った様子の手紙だ」

「僕への抗議?」

「言い訳だ。自分は何も知らないし、関与していないと。あっ、はあ、それで、だが内部でかかわった者がいるなら、処分する、と。いったい、何をしたんだ君は」

「なにもしてないよ」

「怖い子だ。――ブラックウッド商会への、対処はまかせてくれ」

「大丈夫?」

 レティシアは一方では首を横に振り、一方では縦に振った。何かを堪えるみたいにシーツを握る。鼻から息を抜いた。

「――私はそのために議員になった」

「でも王子さまと敵対してるんでしょ?」

「平気だ、から、もっと」

 レティシアは胸を突き出すみたいに、背筋を逸らした。細い呼吸によく鍛えられた腹筋が震える。女の爪先が、ランタンの足の間に滑り込んで絡められる。脹ら脛が、ぴんと痙攣した。

「ブリューズ王子は商人ギルドの味方じゃない。王子はおそらく、全てを手中に収めたいのだ。探索者ギルドだけではなく。絶対的な王政の復活が。そのために敵味方と言うよりも、ご自身の主義と利害によって行動を」

 レティシアはいつもは心配をかけまいと取り繕う、政治の内情を漏らしていた。取り繕う余裕を失っているらしかった。

「ふうん」

 ランタンは気のない返事を漏らす。

「脱税、横領。叩きようはある。長年続いた随意契約も、商人にいいようにされていると理解して頂ければ、王子とも連携できる、はず、――だっ」

 意識の大半は自らの手中に収まりきらない、レティシアの肉体に注がれていた。

 己の指の動かし方一つで、レティシアの体温は一、二度も上昇し、肌はしっとりと汗ばみ、呼吸は荒くなった。

「ランタンっ――」

 レティシアはびくんと身体全体で震えると、押さえつけるみたいにランタンの頭を掻き抱いた。ランタンの腕が自然と背中に回り、深く脚が絡みついた。

「――ランタン?」

 汗ばんだ胸の谷間でランタンはどこか穏やかな顔をしていた。

 安心したような、甘やかな顔だった。それは退行薬を服用した時とよく似ていた。

 レティシアは思わず苦笑する。

 そのままランタンの背中を撫でると、少年はうっとりと目を細め、ほどなく寝息を立て始めた。昨晩はリリオンが心配で一睡もしていないのだ。

 しかたがないと言えばしかたがなかった。

「いけずだ。君は」

 しかしレティシアはそう言わずにはいられない。

「なんと我が儘な子だろう。これじゃあ私は寝られないじゃないか」

 満更でもなくそう言って、火照った身体を持て余していた。


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