表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カボチャ頭のランタン  作者: mm
09.Not Alone
203/518

203

203


 初回探索は無事に終わった。

 あの燃えるような楓の迷宮での一泊二日に、ランタンは実はほんの少し、リリオンの単独探索が中止になるような危険を期待していたのだが、そんなものは見つからなかった。

 大きな危険がなかったことは本来は喜ばしいことなのだが、素直に喜べない。

 地上に戻り、リリオンは単独探索までの日々を屋敷の中で静かに過ごした。

 どういう訳かリリオンが単独探索に挑むことが、探索者たちに知れ渡っていた。隠していたわけではないが、喧伝したわけでもない。

 探索者の狭い業界のことなのでしかたがないかもしれないが、これにはランタンもリリオンもすっかり困ってしまった。

 ちょっと外に出れば、なにかしら声を掛けられるのである。

 応援してくれる者もいれば、批判してくる者もいる。興味本位にずけずけと理由を聞き出そうとする者もいれば、一心同体とも言える二人が割れたのだと勘違いして、これ幸いと探索班に勧誘する者もいた。

 この探索班の中にはトライフェイスもあり、あるいは反トライフェイスを誘い文句として押し出す探索者もありで二人はすっかり辟易してしまったのだ。

 リリオンは屋敷の中で探索に備えた。

 リリオンは落ち着いていると思う。

 反面ランタンはぴりぴりと神経を研ぎ澄ませている。

 今日がリリオンの単独探索の日だった。

 憎らしいほどに天気はいい。この間のように特区が閉鎖されるほどの豪雨が降ればいいと心の底で念じていたが、ランタンの願いは空に届かなかった。

 初回探索を経てランタンはリリオンの能力にあらためて舌を巻いた。

 リリオンを見る時、ランタンは巨人族の血というものをできるだけ特別視しないようにしていたが、しかし純然たる事実としてそれは特別な要素だった。瞬間的な力の出力と、それを高い位置で継続する能力がずば抜けて高い。

 それにリリオンは粘り強く我慢強かった。これはこれまでの人生を生き抜くために培わざるを得なかったものであり、探索者に必要不可欠な要素だった。

 運命が少女を探索者に仕立て上げたのかもしれない。なるべくして探索者になった。それはランタンの人生に似ている。

 だが。

 だがそれでもランタンは心配で心配で、不安で不安でしょうがない。

 昨晩もリリオンが眠ったという報告を受けたが、ランタンは結局一睡もすることなく朝を迎えた。

 憂鬱な夜であり、憂鬱な朝であった。

 今、リリオンは一人で朝風呂を浴びている。

 探索前に風呂を浴びる。これはランタンから受け継いだ習慣だった。すでにリリオンの習慣にもなっていた。

 ランタンは覗き魔のように脱衣所に潜んでいた。

 すでにリリオンが浴室に入って三十分以上経つ。長風呂をするために水筒を持ち込むのもランタンの習慣だ。

 ランタンは脱衣所でリリオンの脱いだ衣服や下着を少しいじってみたり、浴室への入り口の前をうろうろしたり、座ったり立ち上がったり、鏡を見たり、首を回したり、立ち止まったりする。

 一見すると変質者のそれだが、幼児が同じ行動を繰り返すのにもよく似ていた。

 少しも落ち着くことができなかった。

 ランタンは実際に風呂場を覗き込まなくても、リリオンが何をしているか目蓋の裏に思い浮かべることができる。

 掛け湯をする。肩まで浸かる。脚を伸ばしてばたばたする。汗を拭い、髪をいじる。水を飲む。泳ぎ、潜る。一度、縁に腰掛けて、大きく伸びをする。水を口に含み、ぐちゅぐちゅして吐き出す。浮かぶ。少しのぼせそうになり、水を頭から被る。それでもまた肩まで浸かる。

 数を数える。

 ほらね、とランタンは思う。

 ランタンは浴室からリリオンの声が聞こえたので、再び物陰に隠れた。息を潜める。

 リリオンは一から百までをだらだらと数える。数えきったら風呂から上がる。

 そんな風に少しの苦労もなくリリオンの姿を思い浮かべることはできるが、単独探索をするリリオンはこうあって欲しいと想像することはできても、こうあるはずだと思い浮かべることはできない。

 脱衣所に戻ってきたリリオンは、全身からほかほかと湯気を立ち上らせていた。肌を赤く染めていて、小さく引き締まった尻や、脇腹や、二の腕なんかの柔らかいところは熟れたみたいに色が濃かった。

 身体には滴が張り付き、髪が重たく濡れている。

 リリオンはまずタオルで髪を包むと身体を拭う。長い身体を折り曲げて、上から下にごしごしと擦る。そして下着だけを身につけて今度は髪をしっかりと乾かし、髪油を馴染ませる。

 手に残った髪油を肘や膝に塗り込んで、それから衣服を身につけた。

 鏡を覗き込む表情に感情の色はない。怯えてもいなければ、興奮もしていない。ランタンに見られているとも露知らず、どこかきょとんとしたような子供の顔をしていた。

 落ち着いていることに、ランタンは少しだけ安心する。

 それからリリオンは食堂に向かい、朝食を摂った。

 今日の朝食は豪華だったし、いつもは忙しく今の時間にはすでに仕事で屋敷を空けているレティシアも席に着いていた。

 リリオンが席に着くと、リリララが食前酒を注いだ。

 単独探索のことはほとんど話さなかった。天気がいいだとか、気温が寒いだとか当たり障りのないことを話して、それからランタンのたわいもない話で盛り上がっていた。

 リリオンはぺろりと朝食を平らげ、おかわりもした。酒は食前酒の一杯だけで、その代わりかスープを三杯も飲んだ。食欲があるのは素晴らしいことだ。

 リリオンはデザートを食べながら、レティシアに髪を結んでもらい、リリララに具足をつけてもらった。

 グランに拵えてもらった脛当てに革の篭手。背嚢の中を再び確かめ、腰には銀刀と竜牙刀。それに狩猟刀に、エドガーから餞別にもらった鎧通し。腿に結晶発動用の銀帯を巻き、何種類もの魔道結晶をベルトに差す。首から深度計と、純水精結晶の首飾りを下げ、深度計だけを服の中にしまう。

 レティシアに目一杯に抱きしめてもらい、そうしてリリオンは屋敷を出た。

 ランタンは一部始終を陰から見守っていた。顔は合わせなかった。

「声を掛けてやればいいじゃないか。一声だけでも、勇気づけられるぞ」

 当日は会わないことが、二人の約束だった。

「その一声で引き止めちゃうから」

 そしてその一声でリリオンは引き止められてしまう。

 それがランタンとリリオンの出した結論だった。今日という日が近付くにつれて、後悔とも違う、憂うような気持ちが二人の中に育っていた。

「引き止めたっていいと思うんだがな。まあいいさ」

 レティシアはリリオンの髪を結った指を、ランタンの黒髪に通した。

 リリオンは振り返らず特区への道を真っ直ぐに歩いている。足取りは重くも軽くもない。

 リリララがメイド服から、平服に着替えて二人の傍にやってきた。

「待たせたな。――怖い顔してるぞ」

 そしてランタンの顔を見るなりそう言った。ランタンは自らの頬を撫でる。少し頬の筋肉が硬いか。

「レティの撫で方が悪いんじゃないか?」

「犬猫じゃあるまいし、――大丈夫だよな?」

「普通」

「普通か」

 レティシアはランタンに言われてがっくりと肩を落とした。

 ランタンはリリララが言うほど怖い顔はしていなかった。無表情に近いが、ぴりぴりとした雰囲気がその表情のない顔を怖いものに錯覚させていた。

 髪を梳くレティシアの指はあくまでも優しく、それは並の男なら一発で骨抜きにされてしまうような指使いだったが、ランタンの心をほぐすことはなかった。

 ランタンは目に見えぬぶ厚い膜で包まれているように、内側に閉じこもっている。

 レティシアは無理矢理それをこじ開けようとはしなかった。

「しかたがない。他の所で挽回するか」

 レティシアは頭部から指を滑らせて、ランタンの肩に腕を回した。

「尻は私が拭ってやる。好きに動きなさい。リリララも好きに使っていい」

「ありがとう、レティ」

 ランタンはようやくレティシアに視線を向けた。リリオンはネイリング邸を囲む長い塀の角をようやく曲がった。

 レティシアはランタンを膜の外側から、強く抱きしめた。リリオンを送り出した時と同じように。

 ランタンはレティシアの体臭の中に、少女の残り香を探した。

「――行くよ。リリ、ララ」

 ランタンは口をつきそうになる少女の名前をどうにか飲み込む。

 辿々しく名を呼ばれたリリララは、けれど不満そうな顔を見せず赤錆の目を細め、唇をちらりと舐めた。

 悪党の顔つきをしている。

「望みのままに、ご主人さま」

 にやりと笑う。

「邪魔する奴らをぶっ殺してやろうぜ」

 ランタンはリリララを連れだって屋敷を離れ、すぐにリリオンを追い越した。




 リリオンの単独探索を肯定的に捉える者もいれば、否定的に捉える者もいる。

 肯定と否定は半分半分ぐらいだが、その内容は多種多様である、他人事であるがゆえの囃し立てるような肯定もあれば、心配するがゆえの否定もある。

 だがやはり否定的な意見は、リリオンの振る舞いそのものが気にくわないというのが多かった。

 血に根付いた生理的嫌悪感に後押しされる者。そして集団の総意に基づく者たち。

 トライフェイスはリリオンを全面的に否定し、これを売名行為であると明に暗に糾弾していた。

 トライフェイスのがつがつとした勧誘活動は一定の効果を上げているが、同時に反作用をもたらしている。リリオンを肯定する者の内の一定数がトライフェイスに対する当てつけのようなものだった。

 ギルド内で一定以上の地位をトライフェイスは築いているが、それではまだ足りないようだ。

 その障害となるのがどこにも属さないランタンの求心力であり、リリオンの行動はランタンの存在を容易に想起させる。つまりリリオンが単独探索を成功させれば、自然とランタンの評価が上がるのである。

 大地図前での出来事は反トライフェイス熱を高めるものだった。そしてその恨みはランタンに向かう。

 もっと穏便にするべきだったと、今さらながら反省がある。

 だがそれ以上に怒りがあった。

 その怒りを明確に表に出すことはしなかった。言葉に対して暴力を用いることは時に必要だと思っているが、容易にそれを用いるべきではないと考えていた。

 街中でいきなり殴りかかるわけにはいかない。それはレティシアに迷惑を掛けるし、リリオンの探索にも影響がある。精神の安定は単独探索に最も重要な物の一つだった。

 だが怒りは、ランタンの眼差しに透けた。

 ぐらぐらと揺らめく怒りの炎に見つめられた否定者は慌てて自室に逃げ込み、頭から毛布を被ってがたがたと震えることになった。いつかカボチャ頭の幽鬼が目の前に現れて、己の頭をかち割る妄想に怯えて眠れぬ夜を過ごしたという。

 ランタンはそのように怯えて引きこもっている者の部屋には現れなかったが。とある路地に音もなく出現した。

 言葉に対して暴力を用いることを好まない。

 だが暴力に対して暴力で応えることを躊躇うほど優しくはない。

 その路地には四人の男がたむろしていた。路地の先にある道は迷宮特区に続いているが、やや大回りになるため人通りはあまりない。あと五分もすれば、人混みをあえて避けたリリオンが通り過ぎるだろう。

 四人の男はそれを待っていた。

 壁に預けていた背を起こし、苛々した様子で吹かしていた煙草を踏み消した。鞘から剣を払い、その造作を確かめ、壁に立てかける。

 それらはある大商会の傘下の傘下の、また傘下のある商店店主が商売上の伝手を使って雇った破落戸(ごろつき)である。元探索者という触れ込みの表の仕事もすれば裏の仕事もする何でも屋だった。

 その店主は上からの命令を聞いただけであり、破落戸たちは店主からの命令を聞いただけである。何のためにそれをするのかは一切知らされていなかった。

 ただ命令に従い、この道を通るリリオンを襲うことになっている。

 殺してもいいし、殺さなくてもいい。追い剥ぎをしてもいいし、しなくてもいい。犯してもいいし、犯さなくてもいい。

 ただ探索はできないようにしろと命じられていた。

 成功報酬は一人辺り金貨十枚。

 その辺の破落戸ならばついでに尻を掘らせてやってもいいと言うほどの大金である。手付けとして金貨一枚、報酬とは別に準備金としてそれぞれ金貨二枚が渡されていた。

 四人の男は準備金の半分を娼館で溶かしていたが、しかしそれでも女一人を襲うには過分な準備を済ませていた。

 金貨一枚もする魔精薬をそれぞれ服用し、ついでに自前の麻薬をキメる。それぞれが剣を手にし、一人の男は金貨二枚と半分を使った虎の子の魔道結晶を握り締め、残りの三人は火炎瓶を用意していた。

 路地からの奇襲。魔道と火炎瓶による面での波状攻撃。魔精薬での肉体の強化。

 探索者といえども危うい攻撃だった。命は無事でも、探索は中止せざるをえない傷を負うだろう。特にこれから単独探索に挑もうと、その事ばかりに集中している探索者ならば不意を突くのは容易なはずだ。

「まだか」

「もうすぐだ」

「ちっ、あとどれぐらろう?」

「もうすぐさ」

「ああ、来ないかな。早く来いよ」

「薬がきれちまうよ。ああ、金貨九枚か。もう一回キメちまうか」

「我慢しろ。仕事がすみゃラリっぱなしでいられるぞ」

「まだか、くそ、ちんたらしやがって」

「どれぐらいだ。あと」

「もうすぐだよ。ほらすぐそこだ、もう見えた、もう見えるぞ」

 四人は苛々と身体を揺らした。薬がキマって神経が昂ぶっているのだ。瞬きの回数が極端に減少し、額に青い血管が浮かんでいる。会話は辛うじて成立しているが、同様のことを繰り返していることには気が付いていない。

 彼らは刹那に生きている。目の前にあることが全てだった。

「おい、あとどれぐらいだ。おい!」

 一人の男がさらに苛々と身体を揺らした。

「おい、どれぐらいだって――」

 男は振り返った。仲間の三人はすでにどこにも居なかった。火の消えた火炎瓶が三本、からからと地面を転がっている。

 そこにはただ一人、黒髪の少年が居た。

 魔精薬と麻薬で冴えに冴えた脳みそが、命令を復唱する。

 銀髪の女を襲え。邪魔する奴は消せ。だがもし、銀髪の女と一緒に黒髪の少年がいた場合は手を出すな。

 黒髪の少年は一人である。銀髪の女は道を歩いている。ここは路地だ。銀髪の女と一緒にはいない。

 ならば手を出して問題ないはずだった。

 脳からの命令は、光と等速に男の体内を駆け巡った。肉体はそれに遅れることなく反応した。

 男は殺戮のために存在している。金貨十枚。百人殺してもお釣りがくる。

 だが男は何もできず、ランタンに膝を踏み折られた。痛みは感じない。そういう麻薬だった。やる気が漲っている。探索者だろうと相手ではない。髪を鷲掴みにされ、そのまま手加減なく顔面を壁に叩き付けられた。鼻がへこみ、前歯が壁に突き刺さって抜けた。

「話は後で聞く。充分に後悔しろ」

 それが男の最後に聞いた言葉だった。

 ランタンの指が開くと、男の身体は真下に落下する。

 石畳が液状化したように男の身体を飲み込み、完全に沈めてしまうと、すぐに硬化して元通りになった。

 ランタンの背後で、リリララが祈りを捧げるように地面に手をついていた。彼女の魔道だった。よっこいしょ、と壁に手をついて身体を起こす。表裏がひっくり返るように壁に散った血飛沫と前歯が失せた。

「ここは四か。回収が大変だな」

「沈めたままでもいいよ。どうせ碌な話は聞けないだろうし、情報は充分に運んでもらったし」

 リリオン襲撃計画を掴んだのはリリララであり、そしてきっかけはルー・ルゥであった。

 ルー・ルゥは傭兵探索者として様々な探索班と行動を共にしており、トライフェイスとの面識も持っている。大地図前での出来事はトライフェイスに強硬な手段を執らせるほどの屈辱だったようだ。

 特にあの青年の猫人族は怒り心頭に発しており、ランタンばかりではなく、あの場で引いたトライフェイスの選択を軟弱といって憚らないという。

 ならばこのリリオン襲撃は彼の計画によるものだろうか。いや違うだろう。彼にこれほどの大金や人を動かせるほどの権力はない。

 リリララでさえ根っこの部分の情報にまでは辿り着けていない。

 二人が黙ると、路地には最初から何もなかったような静寂が満ちる。

 光の中をリリオンが通り過ぎた、自分が狙われていたことなど知らず淡々と特区を目指して歩いている。一瞬だけ、ちらりと路地に視線を向けた。

 だがそこにはすでに何もなかった。

 ランタンとリリララは屋根に上っていた。二人はリリオンの背中を見下ろす。

 これが望みだった。探索以外の何にも、心を悩ませて欲しくはなかった。

 特区に入ってしまえばあからさまな危険はなくなるはずだった。

 迷宮崩壊事件があって以来、特区への立ち入りは検査が強化されていた。探索者は目に見える位置に探索者証をつけていなければならなかったし、特区内でもぐりの商売はできなくなっている。許可証が必要だった。

 その所為で最近はゴミが増えるという問題もあった。これまでは孤児たちがうろちょろしてそういったものを拾い集めてくれていたのだが、それがなくなったからだ。

「取り敢えず、あと一つ。さっさと潰そう」

 屋根を伝って目的の場所へ行くと、これまでで最大の戦力が集結していた。

 ある一軒の家の中に潜んでいる。高い位置にある換気用の格子窓から、中がのぞき込めた。のぞき込めることはすでにリリララから知らされていた。

 それが迷宮解放同盟であることも。

 件の大商会は秘密裏に彼らへ武器を売りつけている、という噂があるがそれは真実であるのかもしれない。彼らがこちらに気が付いた様子はまだなかった。

 先の破落戸と違って秩序だっていた。装備はそれぞれが好き勝手に武装をしているが、浮ついた雰囲気はない。装備は長物と飛び道具が主体だ。機械弓と銃だった。それに投網に火炎瓶も用意してある。武器にはきっと毒が塗ってあるだろう。

 解放同盟の主要な活動の中に、有名探索者の暗殺がある。

 対探索者戦闘はお手の物だ。彼らの装備は純粋戦士殺しに特化している。

 そうして殺した探索者を晒すのだ。

 これが迷宮を蹂躙する者の末路である、と警告文を添えて。

 そういう意味ではリリオンの価値は高かった。ランタンも何度か狙われたことはあるが、もちろんこれを撃退している。その復讐もあるのかもしれない。

 ランタンの目に冷え冷えとした炎が宿った。殺気を完全に身の内に隠す。

「ランタン」

 リリララが小声で呼びかける。

 目線と最小限の指の動きで何かを示した。道にはすでに人が大勢行き交っている。ここが彼らの選んだ戦場だった。行き交う何人かが死んだとしても解放同盟にとっては些末な犠牲である。

 ランタンは指の先を追った。そこには雑踏に埋没する、一度視線を外したら見失ってしまいそうなほどありふれた姿の中年がいた。

 リリララはっきりと警戒を促した。

「暗殺者だ」

「普通の人に見えるけど」

「あたしを信じろ。袖口から金属音がする。針だな。まあまあの腕っこきだ、解放同盟の騒乱に紛れて殺す気だ。よーく見てろ。何か用があるようにも見えないのに、ここから離れない。いい歳したおっさんがこの時間に働きもせず何してるんだよ」

「日向ぼっこ」

「馬鹿。これが奴らの仕事さ。職業暗殺者だ。暗殺者ギルドに幾ら積んだのか。まあたいした額じゃねえな。一流半だ。あれは()っちまっていい。口は割れねえだろうし」

「あれは僕がやる。こっちは丸ごと無力化して」

「はいよ。上手くいったらご褒美くれよ」

「首は絞めないよ」

「抱きしめてくれるだけでいいさ。足場はいるか?」

「平気」

 ランタンは音もなく屋根から地面に降り立った。リリオンが来る前に済ませておかなければならない。ランタンはフードも被らず男の前に姿を晒した。

 いかにもうだつの上がらなそうな痩せた親父だった。

「坊や。何か用かい?」

 己の前で立ち止まったランタンに少しの驚きの表情を浮かべ、まるで迷子の子供に語りかけるように優しく語りかけてくる。

 ランタンはあからさまに男の袖を覗き込んだ。針が仕込んであるかはよくわからない。だが男の手は戦う者の手ではない。ささくれ立った労働者の手だった。

 もしかしたら暗殺者ではないのかもしれない。男はまったくの無防備のように見えた。

「まあ、いいか」

 ランタンは言うと大勢の人が行き交う中でおもむろに戦鎚を抜き打った。雑踏は一度も滞ることなく流れていく。男はぐらりと傾いだ。ランタンはすでに戦鎚を外套の下に隠している。閃光のごとき一撃だった。

「大丈夫? しっかりしてよ」

 ランタンは白々しく言いながら、酔いつぶれた親父を連れて帰る健気な息子のような素朴さで向かいの解放同盟が潜む家に入っていった。

 そこでは完全武装の十何名かが一人残らず昏倒していた。つい先程まで高濃度の二酸化炭素が充満していたはずだ。高圧を掛けて液化したそれを容器に密閉し、喚起窓から投げ込んだのだ。窓が全て開け放たれているが、室温は外気よりも遥かに低かった。

「殺してないのか」

「これ、ほんとに暗殺者?」

「そうだよ」

 リリララは慣れた手つきで服を剥く。肉体はやはり労働者のそれだ。だが確かに袖口に針が仕込んであった。ばねで飛び出るようになっている。また喉を圧迫すると含み針を吐き出した。

「見る目があるんだよ、あたしは」

 リリララは自慢げに言って、あっという間に襲撃者たちを簀巻きにしてしまった。訓練を積んだ暗殺者ですら抜け出せない特殊な縛法だった。

「ご褒美は後で」

「わかってるよ」

 二人は裏口から家を出てランタンは迷宮特区に先回りし、リリララはリリオンの後をつけるために一旦別れた。

 ランタンはミシャと落ち合う。ミシャは少し硬い表情をしていた。

 心配と憤りが同居している。ランタンの顔を見ると少し表情を和らげ、また強張らせた。

「おはよう」

「おはようございます」

「予定通りに進んで。邪魔なのは排除するから」

「了解っす」

 迷宮特区に暴力的な妨害はなかったが、それでもリリオンの探索を妨害する罠は張られている。

「ミシャやアーニェさんには何もなかった?」

「大丈夫っす」

「何かあったらすぐ言って」

 探索者は引き上げ屋がいなければ、迷宮を探索できない。探索の邪魔はなにも探索者自身をどうこうしなければならないわけではない。引き上げ屋を押さえてしまえばよかった。

「曲がります」

「うん」

 ミシャは特区の迷路状の道をすいすいと進んでいく。特区の道は渋滞が起きないように幾つも分岐しており、引き上げ屋ならばどこをどう進めばいいか、道の先が詰まっている場合どちら逃げればいいかを熟知していた。

 ゆえにどこを塞げばいいかもわかっていた。

 ミシャの顔が歪んだ。道の先に起重機が斜めに停車していた。これではすれ違うこともできない。運転手の男が起重機から降りてミシャに止まるように手を振っている。

「いやあ、悪い悪い。原動機(エンジン)が急に止まってしまって」

 それは見え透いた嘘である。起重機からランタンが飛び降りると、顔をぎょっとさせた。

「大丈夫。どかすから」

「いや、これは動かなくて」

「大丈夫」

 ランタンは戦鎚に意思を通す。自らを重く、起重機の重量に負けぬように。

 その起重機は車輪と無限軌道(キャタピラ)の合いの子だった。車体に手をついて、ランタンは起重機を押した。

 重い。十数トンはあるだろう。だが車輪付きだ。それは人類の発明だった。

 初動は爆発を使ってやった。

 ばきばきと音を立てて車輪が回転し、起重機が動き出した。一度動き出してしまえば、こちらのものだった。ランタンは呼吸を止めて、そのまま起重機を数十メートルも押し動かした。

 両腕の感覚はない。視界は半分黒く染まり。額の血管が音を立てて脈打っている。荒立つ息を、無理矢理抑える。

 呆気にとられる運転手の肩をランタンは叩いた。

「若旦那に伝えておいて」

 その引き上げ屋はミシャに縁談を申し込んでいた引き上げ屋だった。廃業せずに済んだのはある商家からの融資を受けたからだ。色々と断り切れないこともあるのだろう。

「次はない」

 男は腰を抜かした。

 ランタンは起重機に戻る。

「行ける?」

「ちょっと動かしてくれるだけで充分でしたよ」

 そこから先はもう邪魔はなかった。邪魔があっても、同じように排除するだけだった。

 ミシャは迷宮口に辿り着き、リリオンが来るのを待つ。

「声かけてあげればいいのに」

「僕の分までお願い」

 ずっと無表情だったランタンの表情が少し動いた。女をどうしようもなくならせる顔だ。

 ミシャはランタンの顔を掴んで、自分の胸に招き入れた。

 つなぎに染みついた機械油の臭いと、汗の匂い。体温と柔らかさ。

「ここにリリオンちゃんを抱きしめてあげる。どう、安心する?」

「うん」

 ランタンが名残惜しくミシャから離れて身を潜めると、ほどなくリリオンはやって来た。

 それと同時にリリララがランタンの隣に並ぶ。

「なーんもなかったよ。さすがにちょっと声かけられたりしてたけど、まあ日常会話だ」

「ならいい」

 リリオンは挨拶をして、柔軟体操をして、時計を確かめ、ミシャに抱きしめてもらった。

 豊かな胸に顔を埋めると、目に見えて身体から力が抜けた。ミシャは完全装備の重たい身体をどうにか支える。

 予定時間が過ぎてしまうのではないかと言うほど、リリオンはそのままだった。

 乳を吸う赤ん坊のように、そのまま眠ってしまう赤ん坊のように。

 だが降下三分前に、リリオンの方から身を離した。何か言葉を交わし、ベルトにフックをつけてもらい、単独用の足を掛けるだけのロープに掴まった。

 リリオンはにっこりと笑い、大きく手を振った。

「いってきまーす!」

 まるでランタンが潜んでいるのを知っているかのように、壁の向こうにいるランタンに届く大きな声で叫んだ。

「行ってらっしゃい。どうか、どうか無事で」

 ランタンはありったけの祈りを込める。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 匂いで確信に変わったのかな?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ