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ランタンが鋭く舌打ちをすると受付嬢はびくりと肩を震わせた。
「失礼。――しかし、そうですか」
ランタンの眼差しにはまだ火が残っていた。焦げ茶と臙脂の中間色に揺らめいていて、それは些細なことで燃え上がるだろう危うさを匂わせている。
トライフェイスは豊富な資金力と団員を動員して、低難易度迷宮を初めとする攻略しやすい迷宮を片端から契約し、独占しているらしい。そして独占した迷宮を団員に攻略させているのだ
これによってトライフェイスに所属しない未熟な探索者やこれから探索者になる者たちは、身の丈に合わない中難易度以上の迷宮へ一か八かに掛けて挑むか、あるいは低難易度迷宮を求めトライフェイスに膝を折らなければならない。
所属人数を増やすためのこういったやり口に反発はあるが、実際に迷宮を攻略しないことには飯を食ってはいけない。
新人ばかりではなく、中堅や高位の探索者だろうと毎度毎度、適正難易度の迷宮を攻略するわけではない。時に難しい迷宮を攻略することもあるし、時に低難易度の迷宮を攻略することもある。
簡単な迷宮ばかり攻略しても腐ってしまうが、かといって適正難易度以上の迷宮にばかり籠もっていても疲弊してしまう。
反発はあるが迷宮の独占に屈し、トライフェイスの傘下に入った探索者は少なくない。
ランタンが現れるまである種の平和であったように、トライフェイスに面と向かって文句をつける探索者はすでにほとんどいないのだ。
トライフェイスはそれほど大きくなっていたし、渋々傘下に入った探索者も、しばらく経てばすっかり彼らの一員になってしまう。
強引な手法や傲慢な立ち振る舞いはさておき、彼らの迷宮探索は好ましい意味で評判になっていた。彼ら自らが喧伝している迷宮攻略率の高さや、未帰還率の低さは確かに賞賛に値する。
潤沢な資金があり、物資もあり、人数が多いだけではなく、副団長のギデオンを中心に有能な探索者も多数所属し、ゆえに探索のノウハウの蓄積もある。
適切に戦力を整え、迷宮を攻略するための組織立ったやり方がすでに出来上がっていた。
受付嬢に見逃した迷宮でもなかったかと尋ねたが、残念ながら望ましいものは全てトライフェイスに押さえられていた。
あるものの中で選ぶしかない。
ランタンとリリオンは紹介状を机に並べて、二人で悩み合った。もうすでにリリオンが選んで、ランタンが許可を下すという予定していた手順は失われていた。
「ランタンは一番最初は、どうやって選んだの?」
「――適当に? いや、でも受付の人にいろいろ教えてもらったな。ほとんど理解できなかったけど。あれ? あの時の人ですか?」
担当になった受付嬢は目の吊り上がったきつい顔をしていた。
「いえ、ちがいます。初めて担当させて頂きます」
そのきつい顔は緊張からくる厳しさだった。迂闊なことは言えない、とばかりに受付嬢は質問に答えるだけの存在になっている。
「違った」
「もー、ランタンったら」
並べた紹介状をランタンは引き寄せ、並べ替える。
「最終的には勘かな。これだけじゃやっぱりわからないし。リリオンは今のところどれに目をつけてる?」
「んー、これかなあ?」
リリオンが指差したのは低難易度の昆虫系小迷宮だった。低難易度、小迷宮という理由で選んだ迷宮だった。
紹介状には大地図では見られない情報も記されている。
迷宮環境は苔と岩肌。曰く古道のようであると記述してある。やや湿度が高く、気温は低い。霧が出ることもある。日光はなく、発光性の苔により光が提供されているため光源を持ち込む必要はない。
目撃された魔物は甲虫の群。角はなく、ダンゴムシのような形状をしていたとある。数は多いが多すぎるというわけではなく、動作は遅く、毒はなく、おそらく物理攻撃に特化している。
「ダメだな」
「――どうして?」
「まず足場が悪すぎる。でこぼこで、苔。湿度と霧。絶対に滑って転ぶ。しかも岩。痛い」
「転ばないように気をつけるわ」
「あと岩の隙間から何か出てきそうな感じがする。最初に出てきた魔物の数も気に入らない。奥に行くにつれて出現数が増えそうな感じがする。あとやっぱり足場だな。寝るのが辛いだろうし」
「寝るのなんて六時間位でしょ?」
「それが一番大事だよ。寝ないことにはやってられない」
ランタンが評価を下すとリリオンは溜め息を吐いてがっくりと肩を落とした。
唇を尖らせる。
「ちょっと指差しただけなのに、そんなに言わなくたっていいじゃない……」
受付嬢が少し哀れっぽくリリオンを見た。
「じゃあ、消去法ね」
しかしリリオンはへこたれず、紹介状を二枚引き寄せた。
「こういう時は消去法なんでしょ? いっせーのーせで指差してね。いっしょによ。行くよ。いっせーのーせっ!」
ランタンとリリオンの細く白い人差し指が同時に紹介状を指差す。探索者にあるまじき、手入れされた艶やかな卵形の爪に受付嬢が少し驚いていた。
そういう風にして数を絞り込んでいく。
二人が合致すれば、選ばれなかった迷宮を受付嬢に戻し、意見が分かれれば互いに選んだ理由を言って納得した上で一つ残す。だが傍目にはリリオンが一方的に言いくるめられたように見える。
ますます受付嬢が哀れっぽい顔をした。
表面上のランタンは神経質で、小うるさく、傲慢な嫌な探索者だった。
「これがわたしの探索する迷宮……」
最後に残ったのは獣系中難易度小迷宮だった。
最後まで残ったもう一つの方は低難易度迷宮だったが、ランタンはこれを避けた。
獣系迷宮ではなかったが、それでも条件は悪くなかった。低難易度と言うことを加味すれば、獣系中難易度迷宮よりも攻略しやすいかもしれない。
だが何となく嫌な感じがした。
ランタンとリリオンは同時に中難易度迷宮を指した。こういう直感はきっと大事だ。
「ほら、リリオンが名前書いて」
リリオンが迷宮の契約者となる。
ペンを持つ手が緊張していた。腰を浮かして前のめりになって、へっぴり腰になっている。
自分もこんなんだったのかなあ、とランタンは思う。
そもそも字を書けなかったから、誤魔化すように適当にペンを走らせたのを憶えている。ミミズがのたうったような字だったはずだ。何と書いてあるのか、と受付に聞かれて顔を赤くしたんだったか、青くしたんだったか。
ランタンは緊張をほぐしてやろうと少女の尻に手を伸ばしたが、結局触らなかった。
緊張したまま、リリオンは名前を書いた。
ずいぶんと躊躇っていたからペン先から滴ったインクが染みになり、筆跡は太く滲んでいる。
ランタンの時よりもずっと立派だ。
リリオンはほっと息を吐き、椅子に腰を下ろした。ぐったりとしている。だがこれで終わりではない。
受付嬢に促されて、慌てて財布を取り出し契約料を支払った。リリオンの個人的なお小遣いの中からだ。
「――はい、確かに。では探索者証をお出しください」
リリオンは掌を上向けて左腕を受付嬢に差し出した。手首に嵌められた探索者用に文字が浮かび上がって発光する。受付嬢がそれを指先で上書きしていく。
契約が刻まれた。
この迷宮はリリオンの責任によって探索、攻略される。
リリオンは光のおさまった探索者証を不思議そうに見つめる。何が変わったわけではない。契約情報に物理的な重さはない。だが少女は明確に、責任の重さを感じている。
一種の儀式だった。
「乙種探索者リリオンさま。無事に迷宮を攻略されることをお祈りしております。――がんばってくださいね」
「――! はい、がんばります!」
受付嬢が型どおりの文言に一言付け加えると、リリオンはそれだけで感動してしまって大げさなほど大きく頷いた。このまま意気込みでも語りだしそうなほどだ。
「ほら、まだまだやることはたくさんあるよ」
ランタンはそんなリリオンの腕を引いて椅子から立ち上がらせる。
次に向かったのは引き上げ屋、蜘蛛の糸だった。
ミシャは仕事で迷宮特区に今日も詰めているので、いつものアーニェの微笑みに迎えられる。
「あら、いらっしゃい。また探索? 精が出るわね」
リリオンは受付に飛び付いた。
「わたし、一人で探索するの! さっき迷宮を契約してきたのよ」
リリオンは言いたくてうずうずしていたのだろう、満面の笑みでアーニェに契約書を見せびらかした。
一方、報告を受けたアーニェは驚いた顔をする。リリオンから契約書を受け取り、ほとんど無意識的に迷宮の位置情報を書き留め、驚いたままの視線を滑らせてランタンを見つめた。
「どういうこと?」
「そういうことです」
ランタンは肩を竦めた。
「……一人で探索するの? リリオンちゃんが一人で?」
アーニェは疑わしげに歪めた眉を、今度は心配気に下げる。
「喧嘩したわけじゃあ、ないわよね。二人一緒に来ないわよね、喧嘩してたら。一体どういうこと?」
遠慮がちにアーニェは尋ねる。
年齢を感じさせぬ美貌のアーニェは、しかしどうやら長く引き上げ屋を営んでいるらしい。
そんな彼女の引き上げ屋歴の中で、単独で迷宮へ向かう探索者はランタンが現れるまで一人もおらず、ランタンの名が売れてからはそれなりに増えた。
蜘蛛の糸は単独探索者が出た引き上げ屋だから、多くの探索者がそれにあやかるためにやって来たのだ。
だが一人でやって来た探索者が常連になることはなかった。
「ランタンくんもリリオンちゃんも、ちゃんとわかってる? 大丈夫なの?」
「――大丈夫ですよ、たぶん」
ランタンは苦笑交じりに、だが真面目に応える。仕方なしに許可を出したのだと、アーニェはそれだけで理解したようだ。アーニェは眉間を押さえた。
「たぶんって、あなたねえ」
「わたし、がんばるのよ!」
「そりゃあ頑張るわよ。探索者は、みんな頑張ってるわ」
いつもの色気のある言葉遣いではなく、どこか年齢を感じさせる口調だった。
ランタンにあやかろうとも、御利益はない。
迷宮は実力だけがものを言う。
ランタンの真似事をして単独探索に挑んだ探索者は尽くが未帰還となった。今ではもう人っ子一人、単独探索に挑む者はいない。
ランタンの出現は当時の探索者業界にとって衝撃的なものだったが、それは多くの探索者の命を奪う流行病であった。
「こう言うのも何だけど、ランタンくんは自分が成功しているから自分がどういうことをしたのかわかっていないんじゃない? ランタンくんは、本当にすごいことをしたのよ」
アーニェは二本の腕で腕を組み、四本の腕を広げた。
「私も迷宮の中のことはわからないから、偉そうには言えないけど」
リリオンはごくりと唾を飲み込んだ。ランタンは乗り移った悪霊を追い払うみたいに、少女の尻を引っぱたく。
「ご心配ありがとうございます。でもまあ、攻略が目的ではないので。初回探索は僕もついていきますし」
「そうなの?」
「ええ、過保護なんです。僕」
「……本当に過保護なら、二回目でも単独探索なんて許さないわよ。攻略が目的じゃないなら、単独探索なんてしなくてもいいじゃない。行って来いじゃ名誉は得られないわよ」
リリオンは力強く首を横に振った。
「そういうのが欲しいんじゃないんです」
「まあ、リリオンちゃんはそうよね。何が欲しいの?」
「一人で探索して、感じられること。知りたいの、わたし」
リリオンは多くを語らなかったが、淡褐色の瞳に宿る意志の強さにアーニェは溜め息と一緒に頷いた。
「愛を知るって大変なことね。じゃあもう私は止めないわ。契約書を早く作りましょうか。あの子が帰ってきたら、きっと私よりも強く止めるわ」
リリオンはぶるっと肩を震わせた。ランタンはミシャの丸い瞳を思い出す。
「止めますかね」
「止めるわよ」
アーニェは小さく笑みを浮かべた。
「ランタンくんで散々後悔したみたいだからね。あの頃はそれがどういうことかしらなくて、ランタンくんに押し負けちゃったけど。今ならきっと絶対に許さないわよ。単独探索がどんなものか、ランタンくんの次に知っているのがきっとあの子よ」
小さな笑みは誇らしげに色づく。唇が大きく弧を描いた。白い歯が覗く。
「単独探索者なんて語られもしない夢物語だったのに。男の子って、そういうのがすごく好きで困るわ。勇者とか、英雄とか――」
アーニェは契約書を二枚取り出し、ランタンとリリオンにそれぞれ渡した。
「こっちが初回、こっちは二回目以降ね。――リリオンちゃんもよ。これまでは男を待つ女の身にもなってみなさいよ、なんて言えたのに。元気がよすぎるのも困りものね」
初回探索は一泊二日。これの引き上げはランタンが契約者となる。この探索は攻略が目的ではなく、調査目的だ。紹介状だけではわからない、契約した迷宮の雰囲気を知るためのものだった。
もしこの探索で何かあれば、ランタンは単独探索を許可しない。
二回目の探索は三泊四日。こちらはリリオン一人で完結する契約だ。初回探索の如何によって二度目以降の迷宮滞在日数が変動するので、仮予約という形になる。
三泊四日、小迷宮の探索としては平均的な日数だった。本当は日帰り、あるいは一泊二日で攻略できるような極小迷宮がよかったのだが、迷宮の契約は早い者勝ちだ。トライフェイスのやり方は気に入らないが、しかたあるまい。
ランタンの眼差しはすっかりと焦茶色に落ち着いている。あの猫人族の探索者の目付きを思い出し、少し口が過ぎたかなと反省する。しばらくは夜道は気をつけた方がいいかもしれない。
先に書き終えたランタンは契約書に齧り付くリリオンを見ながら、迷宮を一人で歩く少女を想像した。
二人で歩く時は、互いに互いの歩調に合わせている。リリオンは少しゆっくりと、ランタンは少し早歩きになる。一人で歩く時、その歩調はどのようになるだろうか。
孤独に急かされて早くなるか、それとも不安に怯えて遅くなるか。
戦う時は落ち着いていられるだろうか。食事はちゃんと取れるだろうか。寝る時に泣き出さないだろうか。
考えると落ち込む。
だが落ち込むからといってリリオンのことを考えずにはいられない。
迷宮と引き上げ屋の契約を終えたから次は、とランタンは予定を思い出す。
二度目の署名は迷宮契約の時よりも、滑らかだった。ランタンが覗き込むと、女の子っぽい丸い字で名前を書いている。
リリオンは恥ずかしそうに名前を隠した。
「なによぅ」
「ちょっと見ただけじゃん」
「ちょっと見ないで」
「はいはい」
ランタンは腕を広げて、大げさに視線を逸らし、そのまま後ろを向いた。窓硝子に映るリリオンは、そうやって見られているとも知らずにランタンにべえと舌を出した。それから後ろ髪をちょっとだけ引っ張った。
アーニェが苦笑している。
リリオンは促されて、アーニェに支払いを済ませた。少女の財布はもうぺったんこになっている。
「はい、確かに。気が変わったらいつでも言ってちょうだいね。キャンセル料も、追加料もいらないわよ」
ランタンはくるっと振り返った。
「よろしくお願いします」
「します!」
「――あと、ミシャにうまいこと言っておいてください」
ランタンは再び、お願いします、と深く腰を折った。
「まったく、しょうがないわね。小言で済ませるように言い聞かせておくわ。探索前に体力を奪うようなことを引き上げ屋がしてたら、それこそしょうがないものね」
アーニェは悪戯っぽい顔を浮かべる。
「私がきちんと止めたことも、あの子に言っておいてね。あなたたちのことになるとあの子はむきになるから。娘の成長は嬉しくも哀しくもあるわね」
年をとるって嫌だわ、とアーニェは言う。
「まだまだお若いじゃないですか」
「ふふ、ありがとう。でも、まだまだ、まだまだ、まーだまだお若いランタンくんに言われてもねえ。嫌味よ、それって」
いつもならば空気を読まず知的欲求の赴くままに、アーニェさんは何歳なんですか、と聞くはずのリリオンは借りてきた猫のように静かに微笑んでいた。
単独探索に必要な危機察知能力だった。
次に訪れたのはグラン工房だった。
単独探索に限らず、探索前には装備品の整備を欠かしてはならない。いざとなれば五体を武器に魔物と戦うこともやぶさかではないが、準備不足でいざという時を呼び寄せてしまっては意味がない。
しかしグラン工房を訪れたのはそれだけが理由ではなかった。
ランタンはリリオンをグランに預け、工房二階にあるグランの妻であるカーリナの仕事場を訪れた。
カーリナは凄腕の付与魔道使いであり、ランタンの戦鎚に重力の魔道を刻んだのも彼女だった。
彼女の仕事場もまた、グランの仕事場と同じく金属の匂いがした。グランの作った武器や防具に魔道式を彫金するのだ。床にはきらきらとした金属屑が散らばっている。
娘であるエーリカと同じ金色の髪を邪魔にならないようにひっつめにして、目の保護も兼ねた眼鏡を掛けていた。
かなりの集中力を要する作業をしていたのだろう、目が充血していて、その集中を邪魔されたものだから険のある目付きをしていた。
溜め息を吐く。唇の中に覗いた舌先が黒い。下書きのためペン先を舐めているせいだろう。
「はあ、しかたないわね。工房の上客の依頼は断れないわ。娘も世話になっているみたいだし」
「物は用意してきたんですけど、使えますか?」
ランタンは背嚢を下ろし、特殊な金属布で作られた袋をとりだした。それはたっぷりと膨らんでいる。
カーリナにそれを渡すと、中を覗き込んだ彼女は目を丸くした。
「ずいぶん上質な魔精結晶ね。これ使ってしまっていいの?」
「構いません。使い物になるのなら」
「なるわよ。ギルドから流してもらうものよりずいぶん質がいいわね。これは自分で?」
「漁師はわざわざ魚を買ったりしないでしょう」
「なるほど、生意気ね」
カーリナは袋の口をきっちりと閉じて、それを机の上に置いた。
「それでどのような魔道をお望み?」
ランタンはその場から二歩下がり、右の腕を突き出して、掌を上向けにした。集中する。
単純に爆発させるのではない。いつもは握り込んで発動する爆発を掌に乗せるように。
それは一瞬の小さな光だった。芥子粒ほどの真っ白い光の塊が、だが急速に成長するみたいに膨脹して掌から溢れそうになる。焦げ付くような熱量が漏れ出ていた。ランタンは慌ててそれを握り締め、力任せに握り潰す。
どおん、とカーリナの仕事場に衝撃が炸裂した。
「……このようなものを」
「噂には聞いていたけれど、本当に頭がおかしいのね」
カーリナはずれた眼鏡をなおした。一階からグランが、どうした、と胴間声を張り上げる。
「爆発を維持しようとしたのかしら。相克ね。爆発は崩壊と同意だわ。それを維持しようなんて」
「――なんでもないです! すみません!」
カーリナが応えないので、ランタンが代わりにグランに返事をする。ランタンも大概だがそんなことは棚に上げて、魔道ギルドの連中はやはりどこかおかしいと一人頷く。
「何を納得しているのよ。それで私は今のものを再現すればいいの? それとも」
「いえ、爆発の魔道式を結晶に刻んで頂ければ」
「使えるのに?」
「使えない子に持たせるんです」
工房に来た目的がこれだった。魔道を使えないリリオンのために、迷宮での攻撃の手段を少しでも増やそうというのだ。攻撃系の魔道結晶は市販品もあるが、爆発の魔道結晶は見たことがなかった。大抵は火の魔道結晶で事足りる。
「物騒なことね。わかったわ。依頼を受けましょう。この全てに同じ魔道式を記せばいいのね。ちょっと時間が掛かるわよ」
「いえ、半分で結構です。残りの半分は依頼料ということで。現金がよければ用意しますが」
ランタンがいうとカーリナは眉を動かした。
「結晶で構わないわ。気っ風がいいわね。贔屓にしたくなるのがわかるわ。責任を持って仕事をしましょう。出来上がり次第、娘に届けさせるわ。ネイリングのお屋敷でいいのよね」
「はい、構いません。お願いします」
カーリナは何度かランタンに魔道を使わせると、何を理解したのか早速仕事に取り掛かってくれた。ランタンはその背中に、お願いします。と声を掛けて一階の工房に降りる。
工房ではリリオンが身体を大の字に両手両足を広げて突っ立っていた。
腕には革の手甲、両脚には金属製の膝当てと脛当てを着けている。
「どう? ランタン」
ランタンの存在に気が付いた少女は首だけで振り返った。
「結構良い感じだね。膝の可動はどう?」
「正座はできない感じ」
「顔面に膝蹴りがたたき込めない感じ?」
「そう、そんな感じ」
物騒な会話をする二人に、リリオンの膝に取り付いていたグランが顔を上げた。
木製の小さな鎚で肩を叩く。締め付けを調整していたらしい。
「もうちょっと緩くしたらどうなります?」
「それだと膝の支えにならん。可動範囲をとるか、補助としての役割をとるかだな。一応、今は七対三ってとこだ。これ以上はちょっとな」
ランタンがカーリナに仕事の依頼をしている間に、リリオンは単独探索にあたって防御力を向上させることと同時に、成長痛を補うためにグランに防具を見繕ってもらっていたのだ。
防具はあり物を調整してもらっただけだが、グランの手に掛かるとあつらえたようにぴったりになる。
「こんなもんかな。動いてみな。伸ばす方には苦がないはずだ」
「はい」
リリオンはまず見えない魔物を殴りつけ、裏拳、肘打ち。崩れたところに膝、足払い、上段蹴り。顎下を突き上げるような膝蹴りは、屈伸角度が足りない。
「どうだ?」
「これなら問題ないかな」
「嬢ちゃんに聞いたんだよ」
「大丈夫です。ちょっと擦れる感じがあるけど」
「裏に鞣し革打つか。今日中に必要ってわけじゃねえんだろ?」
「ええ」
「だから坊主に聞いたんじゃねえよ。じゃあ明後日までに仕上げるからまた来な」
リリオンがもたもたと防具を脱ぐのを見ながら、グランは腕組みをした。
「しかし嬢ちゃんも単独探索ね。お前に相当毒されてるな」
「だから防御力上げるんですよ。お金に糸目はつけないので、一番柔らかくて、全部の攻撃撥ね返す革を裏打ちして下さい。あと蒸れなくて、防臭効果のあるやつ」
「俺がお前に忠告した時は、ぜんっぜん防具つけなかった癖にな」
「男なんか野垂れ死んだっていいんですよ。魔物に食べられても、ぼろくそになっても」
「それもそうか。だが子供がってのはうまくはねえからな。お揃いで用意してやろうか?」
「結構です。どうせ擦れたり、かぶれたりするし」
「つくづく探索者に不向きな体質だな」
リリオンがたっぷり時間をかけて防具を脱いだ。迷宮ではつけっぱなしになるだろうか。しかしそれでは窮屈だろう。
「着脱も改良して下さい」
「うるせえ客だな。わかったよ。どうする茶でも飲んでくか?」
「いえ、まだやることがあるので」
「大変だな」
「死ぬよりマシです」
そりゃそうか、とグランは髭を揉んだ。
リリオンは着け慣れぬ防具の感触が残っているのか、ごしごしと腕をこすっている。
「じゃあよろしくお願いします」
今日、何度目にもなる言葉を口にして工房を後にした。
「次はどこに行くの?」
「薬屋。その後に食料、道具関係」
「色々なものが必要なのね」
「今までもしてきただろ」
「だってわたし、ランタンの後ろにくっついていただけだもの」
リリオンは思い出すように一つ一つ指を折る。
「ギルド、引き上げ屋、武器、お薬、食べ物、道具――他にはないの?」
「ぐっすり眠って初回探索、それで足りない物を買い足して、またぐっすり眠って、本格的に探索」
「お薬はどんなの買うの?」
「さて獣系迷宮なら何が必要でしょう?」
「血止めと、痛み止めと、毒消し。他にもいる?」
「痒み止め」
「痒み? どうして?」
「たまに蚤飼ってる魔物がいるから。あと噛まれたりした時、涎でかぶれるから」
「……」
「風呂に入れなくて汗疹できるかもしれないし」
「……ランタンって、よく探索者しているわよね」
痒み止めの大切さを力説するランタンに、リリオンは心配げな視線を向けた。
「噛まれたら痒いよりも痛いわ」
「いや、痒み止めは大切だよ。ほんとに。痛いのって我慢できるけど、痒いのって我慢できないし」
二人は独特の匂いがする薬屋の暖簾をくぐった。
一歩一歩、単独探索に近付いていた。
探索の前に固められるだけ足場を固めなければならない。
それがどんな些細なことであったとしても。




