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カボチャ頭のランタン  作者: mm
09.Not Alone
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 朝目覚めたとき、ランタンは後ろからリリオンに抱きしめられていた。

 首筋にくすぐったい吐息がかかる。背中には柔らかな膨らみが押し当てられ、少女の両手は揉むべき膨らみもない少年の胸元を弄っていた。

 何が面白いのか。

「……ふぁ、仕返しかな」

 欠伸混じりに呟き、ランタンは身を捩った。いつものように絡まる脚を引き抜いて、ぐるんと寝返りを打つ。

 甘く、幸せそうな寝顔がそこにはある。枕に押しつけられて歪む頬が幼く、柔らかい。

 こんな女の子が何で単独探索に行くんだ、と思う。単独探索など愚かな考えだ。ランタンは自嘲するように笑った。

 しかしリリオンは行く。

 ならば愚かだった、いや今も愚かな自分は、その先達として少女を導く必要がある。

「ほら、起きろ」

「……うう」

 ランタンが軽く頭突きをして声を掛けると、リリオンは呻いて寝返りを打った。

 長い銀の髪がマフラーみたいに首に巻き付き、唇にも張り付いた。ランタンは身体を起こし、向こう側へいった寝顔を覗き込む。

 穏やかだった寝顔が、棘を食むみたいに歪んでいた。

「髪食っても腹は膨れないぞ」

 唇の内側へと入り込もうとする髪を払ってやる。

「ううう」

「起きろ起きろ。もう明日から僕はいないよ。時間が来たら一人で起きれるようにするんだよ。ほら、早く早く。早く起きないと魔物に食べられちゃうぞ」

 リリオンは重たそうに身体を捩り、仰向けになった。僅かに目蓋を持ち上げる。

「ランタン、……おはようの、ちゅー、ちょうだい」

「それもなし」

 求め尖った唇を(つね)る。

 朝はまだかなり冷え込む。いつもならばベッドの中でしばらくうだうだと過ごすが、ランタンはリリオンを突き放すみたいに布団から抜け出した。

 ランタンはベッドから下り、爪先に室内履きを探り当て、リリオンから布団を剥ぎ取り、カーテンを開けた。

「うううううう」

 色の薄い陽光にランタンは目を細める。

 リリオンは土の中で春を待つ幼虫のように身体を丸め、浄化される死霊のように恨めしげな呻き声を上げた。強く目を瞑ったかと思うと今度は俯せになり、手脚をばたばたと動かして身体に血を循環せる。

 光の帯に埃の粒がきらきらと浮かび上がった。

 ランタンは水盆で顔を洗い、濡れた手で寝癖を整え、それから鏡を見る。

 鏡写しになったリリオンがようやくのっそりと身体を起こした。大きく背伸びをして、猫のように顔を洗い、顎が外れそうなほどの欠伸をして、崩れ落ちるみたいにベッドから下りた。

 すでに鏡が用済みとなったランタンの後ろから鏡を覗き込む。

「おはよ」

「おはよう。鏡、使っていい?」

「どーぞ」

 ランタンが退くと鏡面の前に座った。顔を洗い、櫛で髪を梳かす。

 髪を短くしたいと言ったのは、朝の準備が面倒だからだろうか。

 リリオンは長い髪を丁寧に梳かし、それでも取れない寝癖ごと大雑把に髪を纏める。寝間着を脱ぎ、寒さに肌を粟立てながら、昨晩の内に用意した着替えを身に着ける。

「起こしてから三十分か。迷宮ではもう少し早い方がいいな」

「――うん」

「ご飯も自分で作らないといけないからね。まあ前日に作っても良いけど、温かい食べ物の方が力が出るし」

「うん」

 屋敷の朝食はいつも用意されている。おかわりだって望むだけ出てくる。ランタンの要望で今では放って置いてもらえるようになったが、それでも求めれば落とした食器を拾ってもらうというような給仕もしてもらえた。

 だが単独探索ならば、怪我をしていようと何だろうと一人で全てのことをしなければならない。

 今朝は焼きたての白パン、野菜とベーコがごろごろ入ったのスープ、燻製した七面鳥入りのオムレツ、生野菜のサラダにたっぷりの果物が食堂には用意されている。

「今日はギルドに行って迷宮選びをするから」

「ランタンが選んでくれるの?」

「リリオンが選んで、僕が許可を出す。いい感じの小迷宮に空きがあればいいんだけど」

「ちゃんと選べるかなぁ?」

「無謀な迷宮選んだら差し戻すから安心して」

 ランタンはパンを千切り、たっぷりとバターを塗った。固形のバターが、パンの熱で溶け染み込んでいく。それを頬張ると溶けたバターが肉汁みたいにじゅわっと染み出す。

「まずは自分がどんな魔物が得意か考えてみて」

「得意な魔物」

「そう」

「得意な、……魔物……?」

「ぱっと思い浮かばないなら消去法」

「消去法……?」

 リリオンは記憶喪失になったような、困った顔をした。

「リリオンは剣士だよね。じゃあ相手は硬いのと柔らかいのどっちがいい?」

 ランタンはオムレツに銀のナイフを突き立て、抵抗もなく半分に切った。

「やらかいの」

「じゃあ硬い物質系は消す。リリオンは純粋な剣士だ。魔道攻撃は使えない。なら物理攻撃が効かない、効きづらいのは除外しよう」

「えっと、不定型と、……死霊系?」

「そうそう。そんな感じで不得手なものを消していく。最後に残ったのが最も得意な魔物だよ」

 リリオンは不安げな顔をして、答えるというよりは半ば尋ねるという感じで、ランタンの誘導に従って自らの得意魔物を導き出していく。

 ランタンはオムレツにトマトソースをかける。もうちょっと甘みを抑えて欲しいな、とランタンは思う。レモンを一絞り、トマトソースの中に混ぜた。燻製の渋い風味とよく合う。

 リリオンはうんうんと考えていて、珍しく食事の手が止まっていた。

「ほら、食べながら考える。時間は貴重だよ。同時にできることは同時にする」

 すでに単独探索のための訓練は始まっていた。

 ランタンにせっつかれて、リリオンは急いで料理を口の中に放り込んだ。パンをスープの中に浸し、サラダを頬張り、オムレツで押し込む。パンが充分にふやけると、雑炊のようにそれを掻き込んだ。口直しに果物を齧る。

 並列作業は難しい。だが一人で全てをするというのは、それが必要になる。

 リリオンは一つ一つを素早く終わらせることを選んだ。この場ならまだそれでも良いだろう。食事を一足先に終えたリリオンはまた考え始めた。

 ランタンはそれから十分以上、ゆっくりと時間をかけて優雅に食事を終える。

「さ、ギルドに行くよ」

 身支度をして、しかしランタンはリリオンの髪を結局綺麗に編み直した。

 緩く纏めた髪もそれはそれで良いのだが、ちょっとだけみっともないというか、無防備な感じがして気になったのだ。

 考えた分のご褒美とばかりに、銀細工のように見事な三つ編みを揺らしながら、リリオンは太陽に向かって背伸びをする。

「じゃあ、わたしは獣系小迷宮を探索するのね」

「うん、そう」

「どうして植物系や昆虫系じゃだめなの? お魚とかも。柔らかいのに」

「水棲系はそもそも数が少ないから除外。この前、酷い目にあったし。植物系と昆虫系は、どちらも毒持ちが多いから。毒は一人だと致命的な状況に陥りやすい」

「そっか」

「もちろん獣系に毒持ちがいないわけじゃないけどね。あと植物系と昆虫系には、それとは別に厄介な点がある」

「厄介?」

「まず植物系は待ち伏せ型の魔物が多い」

「待ち伏せ」

「探索者が通るのを見越してあらかじめ毒の花粉が散布してあったり、地面から急に根が伸びてきたり、天井から蔦が下がってきたり。迷宮の環境が植物系と合致すると、迷宮構成物質なのか魔物なのかの区別がつきづらい」

 迷宮環境と出現する魔物に相関関係が見られなかったこれまでなら、例えばあたり一面が岩肌なのに急に青々と葉を茂らせる樹木が突っ立ている、というような不自然な光景もまま見られた。

 それならば狙う位置にすればよい。

 だが木を隠すなら森とばかりに迷宮環境と出現魔物の傾向が一致しつつある昨今、リリオンの単独探索に植物系は避けた方が無難だろう。

「普通はリリララみたいに察知能力を高い人を斥候に出してこれを見破る」

「いなかったら?」

「頑丈な人を先頭に置く。それで罠を踏んでいく。っていうか踏み潰していく」

 もちろんこれは仲間の助けがあってこそとれる戦法だった。自分一人でこの戦法をとるのはただの自殺でしかない。

 頑丈な人もいない、あるいはいても囮になってくれない場合は、探索班内で最も地位の低いものが先頭を行く。

 この場合は探索者見習いの運び屋がそれをさせられることが多い。ほとんど死んでこい、と命令されるのと同じだが、これを拒否することはできない。探索者見習いになるというのは、そういうことだからだ。

 見習いはこのような命令をこなすことで、死なない攻撃の受け方に始まり、攻撃を受けないための罠の見破り方だとか、あるいは命令を回避するための処世術などを学び、一人前の探索者へと成長していく。

 その過程において命を落とさなければ。

「昆虫系の場合は数の問題。個体の能力は獣系よりも下がるのが多いけど、大群で出てくる。仲間がいればそれだけ分散させられたり、魔道があればそれで一掃できるけど、純粋戦士一人だときつい」

「ランタンは爆発があるから平気なのね」

「平気ってほどじゃないけど」

 今では戦鎚の先など、身体の一部を爆発させることができるが、かつては身体全部を使って爆発を発生させていた。

 つまり四方八方から取り囲まれていなければならず、もっとも効果を期待できるのは肉を食われている最中だった。あれは嫌な感覚だ。

「あ、そうだ。獣系でも迷宮兎が出たら全力で殺しに掛かること。あれは物量の極みだから、確実に全滅させるように。むしろ絶滅させるように」

「絶滅」

「一匹でも逃がしたら、全力で逃げてくること。信号弾の赤を打ち上げて、速攻で回収してもらって」

 耳にたこができそうな小うるさいランタンの小言を、リリオンは真剣に聞いて頷いた。

「そんなに危険なのに、それでも獣系なのね」

「迷宮はどこも危険だからね。その中でも獣系は多少ましだよ。食える奴も多いし、あと迷宮の発生数が多いからね。三分の一ぐらいは獣系じゃないかな」

「ランタンもいっぱい探索した?」

「かなり稼がせてもらったよ」

 ランタンは少し誇らしげに笑みを浮かべた。

 リリオンは大きく胸を膨らませる。

 あらゆる希望を夢見る新人探索者のごとく、もう幾度も通った探索者ギルドに背筋を伸ばして入っていく。




 探索受付の迷宮特区の巨大な地図にはいつものことながら探索者が群がっており、いつものごとく喧噪が満ちていた。

 だがどこか雰囲気が妙だ。

 今日のギルドにある喧噪は探索者特有の無遠慮な大声ではなく、低いひそひそ話の集合のような、なんとも気持ちの悪いものだった。

 なんだろうか。迷宮崩壊事件の時のような、探索者を探索に集中させない何か面倒事でもあったのだろうか。

 ランタンは視線を左右に動かす。これもやはりいつものことだが、ランタンには視線が集まっている。

 リリオンがランタンに身を寄せた。外套を掴む。リリオンも違和感を感じ取っているようだった。

 地図をぐるりと取り囲む探索者と、距離を取ってそれを見つめる探索者の群。

 探索受付はいつも混雑している。入ってくる者と出ていく者、地図を見る者と受付を済ます者、相談をする者など様々な探索者が入り交じる。

 だがこの地図を見る探索者を囲む探索者はなんだろうか。なにか会話をするでもなく、不機嫌そうな顔をしている。

 地図を見る者たちには亜人族が多いが、人族がいないわけではない。

 囲む者たちは人族が多いが、亜人族がいないわけではない。

 年齢、性別、体型、目の色、髪の有無、探索者としての役割。

 そういったもので分けられているようではない。

 ジャックやルーでもいれば話を聞くのだが、これだけ多くの探索者がいるのにもかかわらず知り合いの探索者はいない。

「さっさと選んで帰るか」

「うん」

 ランタンは地図に近付いた。

「あっ」

 囲む者たちの方から声が聞こえたが、呼び止める声というよりは、驚きのそれのようだった。リリオンは振り返ったが、ランタンは無視した。

「ちょっと失礼」

 地図を隙間なく囲む探索者たちの間に小躯をねじ込み、退かし、リリオンと二人分の場所を確保する。不作法に見えるが、これがここの作法である。いつまでも遠慮をしていたら永遠に地図を見ることはできない。

「ああん! なんだ――」

 押し退けられた左右の二人が荒っぽく声を上げたが、ランタンの姿を見て驚き、声を詰まらせた。真剣に地図を見ていて気が付かなかったのだろう。

 ランタンはそちらを一瞥して、すぐに視線を地図に戻した。

「リリオン、ごらん」

 ランタンは意識的に視線を無視できるが、リリオンは怖々といった様子だった。

 左右の二人だけではなく、地図をぐるりと取り囲む全ての探索者がこちらを見ていた。

 怒気、不快感、困惑、侮り、興味。視線の中には様々な感情はあるが、少なくとも歓迎されているという感じではない。

 だが地図を見るのに歓迎されるも、するもない。

「あんまりいいのが残ってないな」

「……どれ?」

「あそことか、あそことか。獣系がないな。あれは小迷宮だけど死霊系だな。相変わらず大迷宮の人気のないこと」

「――んんっ」

「あ、あれは? 獣系よ。小迷宮」

「難易度が中だからな。もうちょっと細分化してくれりゃいいのに」

「――ん゛ん゛っ!」

 地図の向こう側からわざとらしい咳払いが聞こえてきた。一度目は無視することに成功したが、二度目のそれはリリオンが反応してしまった。

 ランタンもしかたなく咳払いの方に視線をやる。

「風邪ですか。辛いようなら家に帰って寝てたらどうです? 人に移したら迷惑ですよ。ただでさえ探索者の風邪は厄介なのに」

 それは男の猫人族だった。頭上に猫耳があり、鼻の雰囲気もどこかしら猫っぽく、頬から半透明のぴんとした髭が数本飛び出ている。ランタンよりもずいぶん年上で四十前後だと思われる。なかなか立派な顔立ちだ。

「人の迷惑を気にするなら。君こそ少しは周りを見たらどうかね」

 中年猫人族は表面上は穏やかに見えたが、静かに威圧するような雰囲気を醸し出していた。

 ランタンは周りを一瞥する。

 地図を囲む探索者の装備には、これ見よがしに、あるいはそれとなく三つ首の紋章をつけていた。

「今は我々の時間だ。遠慮してもらおうか」

「――我々とは?」

 当たり前のように言われたので、ランタンはいかにも無知をよそおって首を傾げた。

「トライフェイスだ」

 地図を囲む彼らは、全てが大探索団トライフェイスの一員のようであった。今は彼らの会議中というわけだ。だが探索受付はみんなの場所だ。会議をするための施設もギルドには用意されている。

「ふうん」

 ランタンが気のない返事をすると、空気がぴりりと張り詰めた。

 こういう感じは久しぶりだな、とランタンは思う。

 単独探索者の頃にはよくあったことだ。しかし自分もなかなか図太くなったものだと思う。昔ならばすっかり怖がって虚勢を張るのに精一杯だったが、今ではただただ懐かしく、鬱陶しいだけだ。

「知らないな」

 ぴきりと青筋を立てたのは半分だけだったが、全員の目に鈍い光が宿った。

「なにフェイスだって? ファニーフェイスか?」

「――ざっけんなよてめえ! ここがどこだかわかってんのか!?」

 最も若い一人、猫人族の青年が声を荒らげた。まだ頬にニキビの跡が残っているがランタンの自称する年齢よりも二つ三つ年上だろう。

 彼の声に反応して、周囲の気配が統一された。敵意だ。

「――探索受付の大地図でしょ? ちがうの?」

「あってるよ」

 ただ見られるだけの曖昧な雰囲気には戸惑っていたが、状況を理解してリリオンは冷静になった。

「あの人、何を言っているの? 風邪がうつったのかしら? あたま、大丈夫?」

 ランタンのそれとは違い、小首を傾げたリリオンのそれは本当に不思議がっていて、そして気遣っている言葉だった。

 ランタンは思わずぷっと噴き出してしまう。

 青年猫人族は、羞恥と怒りでかっと表情を赤くした。中年猫人族が止めるが、もう止まらない。

 周囲で見ていた探索者たちが、暴力の気配に引き寄せられ接近してきた。

「このっ――! 俺らはトライフェイスだぞ!」

 巨大な集団の一員であることが、この青年の気を大きくしているようだった。

 年上の探索者に比べて、圧倒的に落ち着きが足りない。幹部候補か、縁故採用の坊やか。まったくの新人というわけでもないだろうが、まだ鎧が似合っていない。

 トライフェイスは順当に人数を増やししつつあるが、それにともなって周囲との揉め事が増えていた。押しつけがましい強引な勧誘が、そのほとんどが善意によるものだが、善意だろうと鬱陶しいものは鬱陶しいし、団員が大きな顔をしているのも鬱陶しかった。

「今は俺らの時間で、俺らの場所なんだよ! そうじゃない奴は向こうへ行け!」

 群れると縄張りを主張したがるのは動物と一緒だな。

 ランタンは冷笑し、しかし人々が行う戦争行為はそれの延長かと考えると、なにやら本当に面白くなって笑えてきた。結局、動物という大枠の中に人間はいる。

 なら魔物はどうだろうか、と思考がずれ始める思考を元の位置に戻す。

「ああ、悪い。ちょっと別のことを考えていた。風邪がうつったかな。なんの話だったか?」

「ぐっ、がっ――!」

 怒りで言葉にならない。青年猫人族は唸っている。

「今はこの人たちの時間で、この人たちの場所なんだって。わたし、知らなかったわ」

「僕も。――いつからそうなの? 何時何分何秒に決まったの? 文明が発生して何年後? 誰が決定したの? 探索者ギルドに申し入れたの? まさか自分で勝手に言っているわけじゃないよね? 僕が今は僕の時間だって言ったら、僕の時間になるの?」

「――虚仮にするのも大概にしたらどうだ?」

 中年猫人族が低く、そして深い声で言った。空気が音を立てて軋む。

「我々に盾突くことが、どういうことかわかっているんだろうな」

 誰かが、一人ではない数の人が、ごくりと唾を飲んだ。

 猫人族は剣の柄に手を掛けている。彼だけではない。ここにいるトライフェイスが、地図周りだけではなくこの場に潜んでいる全ての団員が臨戦態勢をとっていた。

 ランタンは視線を逸らすみたいに、微かにうつむいた。

「どうなるんだ?」

「――なに?」

「教えてくれるか?」

「我々はトライフェイスだぞ!」

「それがどうした。僕はランタンだ」

 そして冷ややかな声だった。

「あなたが、あんたが、お前が、お前らがトライフェイスか。なら、お前らの言葉が、行動がトライフェイスの総意ということだな」

 はらりと黒い前髪が揺れる。その下の瞳が声に反して内側から熱されたように、濃く赤くなっていた。濃く熟れた果実のように、今にも破裂しそうな危うい気配がある。

「ここから先は慎重に言葉を選べ。売られた喧嘩は買うぞ。僕は」

 総数が数百を超える大探索団だろうと、ランタンを圧することはできない。それどころかランタンが顔を上げると、その燃える瞳に映るトライフェイスの面々の表情は凍り付いた。

 中年の猫人族だけが苦い表情で堪えている。どうにか口を開いた。

「まさか本気で言っているわけではないだろう。我らと事を構えるのは、望むところではないはずだ……」

「望んでいない? ふ、ふふふ、僕の望みは僕の邪魔をされないことだ。僕は今、迷宮を選ぼうとしている。そしてトライフェイスにそれを邪魔されている。違うか?」

 ランタンは地図をかつんと指で叩いた。

「僕の邪魔をすることが、どういうことかわかっているんだろうな」

 ランタンは相手の言葉を使って、その言葉を使った相手をじっと見た。

「教えてやろうか?」

「……――いや、遠慮しよう」

 中年猫人族は絞り出すようにそう言って、顎をしゃくって地図から離れた。

「邪魔をしないならここにいても文句はつけないよ」

 トライフェイスの面々はその背中に連なって、ぞろぞろと受付から立ち去った。ランタンが背中に声を掛けても誰も振り返りもしなかった。一人、青年の猫人族だけを除いて。

 彼は憎々しげにランタンを睨み付けた。きっと罵倒を口にしているが、敷き詰められた消音魔道によってランタンの耳には届かなかった。

「いやあ、すかっとしたぜ。あいつらよう――」

 その代わりにトライフェイスに追い払われていた探索者たちが、地図を取り囲み馴れ馴れしく話しかけてくる。

 探索受付にいつもの喧噪が戻ってきた。

「あんたも僕の邪魔をするわけ?」

「あ、すみません」

「まったく邪魔ばっかりだな。先が思いやられる」

「そんなこと言わないで、ランタン」

 ランタンはまだ赤い瞳で一睨みして馴れ馴れしい探索者を脅かして、極めて真剣に迷宮を選んだ。

「獣系の低難易度迷宮ないね」

「受付で中難易度迷宮の詳しい内容見てみるか」

「わたし一人で迷宮攻略できるかなあ」

「自分で言い出したくせに」

「だってえ」

「まあ、あいつらに睨まれても堂々としてたから、中難易度の魔物ぐらいなら」

「それはランタンがいるからよ」

 二人はいくつかの獣系迷宮とそれ以外の小迷宮の地図番号を控えて、そんな話をしながら受付へ向かった。

「一人で迷宮攻略?」

「ランタンがじゃなくて?」

 二人の話を耳にした探索者たちが、ぎょっとして顔を見合わせていることにも気が付かず。


200話!

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